()の娘は私の叔母に当たったが、数多の血脈の中では接点など乏しくそうそう気軽に会える相手では無かった。それでも私と彼の娘は年が幾百程しか離れていなかったせいか仲が良かった。

 少なくとも、嫁入り前に文を出せば招かれ、雑談に興じるくらいには。

「叔母上」
 立場上私は甥だ。ゆえに、そう自分と外見年齢上差異無い容姿の彼の娘を私は“叔母上”と呼んだ。
「どうかしましたか。────信太(しのだ)
“信太”は私の名前だ。この名前は彼の娘が、叔母上が付けた。愛着在る土地からだと、以前由来を聞いたことが在る。慈悲深く愛に満ちた微笑む(かんばせ)は天上人の如く美しい。私は、ぐっと詰まった。胸が詰まった。
「……本当に嫁がれるのか? 彼の者は人の子ですぞ。つらい思いをされることは必至。今一度考え直されては如何か」
 叔母上の嫁ぎ先は人間の一族だった。何でも信太の森で出会い狩人から救われたところ恋に落ちたと言う……そう。
 私の名前の元となった場所で知り合った男と。
 叔母上は“運命(さだめ)だったのでしょう”“私の使命なのかもしれぬ”と笑っていた。今のように。
「……それで良いのです。私は、彼の方のおそばにお仕えすると決めました。私は、決めたのです」
 実に晴れ晴れとした表情で言い切った叔母上。私は二の句が告げず黙するに徹した。こんな私の様子に困ったように叔母上は緩く苦く笑む。
「気を……病ませてしまっていますね。申し訳ないことをしています」
 姉上に申し訳が立たない、と呟く。私は小声で、有り得ますまい、と囁いた。叔母上の指す姉は私の母だ。やはり多過ぎる一族では希薄な親子関係であるが、別に仲が悪いなんてことは無い。特別良くもないが。
 私の一族はそれなりに規律を重んじる。基本単体で行動するけれども、だからと言うか誰の子誰の親と言う概念では見ない。一族なれば、上の者で在れば下の者の世話をするし下の者ならば上の者に従う。
 要するに規律を守り上下をきちんと弁えていれさえすれば一族は一員として認め力を貸すのだった。あとは落ちぶれようと栄えようと構わない。
 これが私の一族の有り様だ。理に外れない限り、一族は私も叔母上も許容する。
 時世を乱す悪狐と判断されない限り、は。
 でなくば、この婚儀が黙認される訳が無い。勿論、反対派の使者は来た。だけど。
 人の害になることではない、と言うことで多数が認知した。他の種族にも人に嫁いだ者はいる。人の社会に溶け込むのは私の一族が一番優れていた。今更、となったようだ。
 今更。確かにそうだった。でも。
「……叔母上が、嫁に行かれる意味がわからない。あなたは私の嫁になると申したのに」
 私がぼやくと、叔母上が目を丸くした。こうした顔をすると少女のようだ、と感じる。実際には私より幾百上だと言うのに。
「おやまぁ、そのように昔のことを覚えておいででしたか」
 私も、成人して随分経つ。凡そ百年。私は頬が染まったことだろう。本当に、生まれてほんの数十年くらい前に交わした言葉だったから。
 私たちと人間たちでは時の感覚が違う。人間が文化を築く前から私たちは存在した。言うなれば、この大地が意思を持った辺りから。人間は私たちの後続の種だ。
「……よもやそのことであなたが私の婚儀を祝ってくださらなかったとは……思いもしませんでしたわ」
 ころころと笑う。何がおかしいと仰せか。詰め寄ればますます笑われた。
「信太」
 柔らかい音が私を呼ぶ。さっきまで意地悪く弾んでいた声が。私は何ですか、とぶっきらぼうに答えた。にこりと叔母上が笑んだ。
「あなたのことはたいせつですよ」
 私は背けていた面を向けた。視界の端で捉えていた叔母上の微笑は、正面では見惚れる程美しかった。
「だけどね、私はあの方のお役に立ちたいの。あの方が言ったの。“知恵比べをしよう”って」
 私の眉間は疑義を皺として刻んだことだろう。訳がわからない。
 なぜ、知恵比べをすることが、役に立つことなのか。なぜ、それで叔母上が嫁がれるのか。叔母上は口角を上げた。深くなる笑顔。
「“お前は奇妙な女だ。俺より賢いだろう。お前と暮らすのは面白そうだ。どうだ、

 俺の嫁に来ないか”」

「……」
「私に拒む理由は在りませんでした」

 満足そうに、喋る叔母上。決めてしまったのだ、と思った。私は瞳を伏せた。会話は潰えた。



「────……(まこと)か?」

 あれから少しして叔母上は赤子を授かった。男子で、狐の血を強く強く引いてしまった。叔母上は、どうしてか更にしばらくを経て信太の森へ戻って来られた。
 この報告を耳にした瞬間私はいても立ってもいられず、逸る気持ちのまま叔母上の元へ馳せ参じた。

「なぜ、戻られた。添い遂げるのではなかったか。あの人の子と」
「我が子が私の真実を見てしまいました。あの方にも感付かれてしまったでしょう。仕方有りますまい」

 ここで、私は叔母上が周囲の人間だけでなく、自らの夫にも素性を隠していたのだとようやく知った。つらい思いをするのでは、と言う考えは私たちと人の子では習慣も価値観も時間の流れすらも違うからだった。まさか、自己の正体を隠していたなんて。
「愚かなことを」
「ええ。けれど後悔はしていないわ。どちらにせよ、私はずっとは共にいられない。それに、あの子の力を強めてしまうもの。引き際、と言うものでしょう」
「……」
「これで良いのよ。何より、あの子を産んだ。

 子育ては一等の知恵比べだもの。楽しみね、あの子がどう育つか。

 そうは思わない?」



 あっけらかんと、寂しそうに、なのに楽しそうに、最高の笑い顔を見せた叔母上の顔を思い出した。






「きみと話していると、とても懐かしいことを思い出しますよ」
「え、何ですか?」

 怪訝な表情で僕を見るのは僕よりは若い少年だった。僕は目を細めた。ここは公園。あの信太の森ではない。時代の変遷と連動して様変わりした世界で、私は少年とベンチに並んで座り世間話をしていた。彼に目線をやると、訝しげに見返して来る。
 世間話とは詰まるところ少年の愚痴だった。曰く、或る女性に勝てない、と言った趣旨の。
「……まぁ、良いですけど」
 僕が口を開く気配が無いと判断したらしく、深く深く溜め息を吐いた。あのときの私のようだ、とまた彼の知らない内で微笑ましく思った。
「にしても……何であんな横暴なのかわかりません」
「女性は強いものですから」
 結論から発すれば再度深々吐き出される息。幼げな顔立ちに疲労が窺えた。私は……僕は苦笑した。

「仕様が有りません。僕たちじゃ勝てないんですよ。女性は強かです。特に、母親はね」

 僕の意見に、ああ、と頭を抱えるのが目の端で見えた。そっと肩を撫でる。そう、勝てはしないのだ。



 あのときから約百年経った。季節は巡り人の生活も僕たちの生活も変わった。

 けれども。根本的なことは結局何も変化していなんじゃないかと思った。

 たいせつなことも、どうしようもないことも。

 僕たちだけだろうか。違う、と僕は思いたい。

 だって。

「僕も昔は悩んだものですよ。女性は、男性を振り回す天才ですからね」

 百年前の僕と変わらない悩みを持つ彼がいて、それが現代だから。



 きっと、根底に在ることは。






   【Fin.】
 母は、白い狐でした。
 私は泣けませんでした。



 


「わらいなさい」
 つらそうな笑顔に、そう言ったのは母だった。
「さみしくなったらいらっしゃい。信太の森に、私はいるから」
 母はそっと頭を撫でると一鳴きして消えた。



 父も母が狐だと知ったのは私が生まれてからだった。母が産んだ私は母の血も在って異形の力を強く持って生まれた。だから、思慮も足らない幼子にして。
「……母様、母様はなぜ白い狐なの?」
 母の姿を視てしまい告げてしまったのだ。



 母が消え、父は表こそ変わらないが私や家人が寝静まった時分には母を想い月を仰ぎ眺めていた。
 父は母が狐とは知らなかった。私が安易に口にした問いが二人を裂いたのだ。
「父様……」
「……起きていたのか。早う寝ないと朝起きられぬぞ?」
 別れ際の母がしたように、父の無骨な手が頭を撫でた。その手があたたかくて無性に泣きたくなって私は口を噤んだ。

 父が仕事で家を空けていたとき、母は去った。私にふわり苦しそうに微笑んで別れの挨拶をした。
「母がいなくても、わらいなさい。
 あなたは強い子。どうかわらいなさい」
 母のほうが今にも泣きそうだった。ゆえに、私は泣けなかった。嫌だと縋り付けば何か変わっただろうか。今思えばここで駄々を捏ねれば母はどこへも行かなかったのでは在るまいか。あるいは、もっと別れを先延ばし出来たのでは無いか。
 少なくとも父はこんな、幼子にすらわかるような切ない瞳をせずに済んだのではないか。
 幼子にしてはやたら知恵の回るおよそ幼子らしくない私は、けれどやはり経験の少ない幼子らしく、ただただ母を見上げるしか無かったのだ。
「わらいなさい。そうして私の代わりにあの方を、あなたの父上を支えて差し上げて」
 切羽詰まったみたいな、真剣な表情。かと思えば急激に綻んで。
「そして、たまに、私の代わりにあの方を困らせて差し上げて? 約束なの」
 だから、母が笑う。眼はうっすら膜を張り、耐えているかのようだ。
「だから、わらいなさい。私の可愛い、やや子」



「当年は多く吉兆を示してございます」
 年の始め、帝へ占いの結果を告げる。今年は吉兆らしい。良きかな、と言ったところだ。
 あれから幾許も時は過ぎ、私は成人し占者になっていた。星を読み解き世の流れを見据える。星が行く末を教えてくれるなど、人によっては胡散臭さそうに顔を歪めるものだ。だが実際星は関係している。星と言うよりかは天体、とでも言おうか。月が海の満ち潮に関わるように、なぜ人に関わらないと断ぜるだろう。
 特に私の読みはかなりの精度で当たるそうで、帝にたいそう気に入られていた。私は幾つかの吉兆と合間に気を付けなければならない陰について語りその場を辞した。
 与えられたとも、自力で手にしたとも言える己の邸に戻る際不意に顔を上げれば一人の青年と目が合った。……否、青年は実は“青年”ではない。今では私より年の頃は下と見えるが、実態は私が幼子より姿変わらず、何百年も年を重ねている『信太(しのだ)』と言う名の、母の縁者であった。
「久しいな、信太」
「年上には敬意を払うものだぞ。まったく、お前はあの父親に似て……」
 くどくど始まった説教に私は年甲斐無く舌を出した。母がいなくなり元服を迎える段になった年、信太が突然現れたのだ。
 見た目だけなら優美だった母に似て信太は如何にも学者然とした貴人に見える。だけど正体は白い狐だ。母の一族は白狐。善良でそこそこ高い地位の狐と聞いた。
「信太」
「だからお前は……何だ」
 改めない私にあきらめたのか信太が気を取り直した風に問い返す。私は尋ねた。
「母上は、息災か」
 信太が、苦虫を潰した顔をした。ああ、これは。
「相変わらずか」
「ああ、相変わらずだ。しかしお前も気になるなら見に参れば良かろう。叔母上は申したのだろう?」
 母に翻弄されているのだろう。眉間に皺を寄せた信太がぼやく。確かに、母は私に来いと言った。だけれどもそれは、さみしかったら、だ。私は残念ながらさみしくは無い。母がいないのはさみしい、のではなく、かなしかった、から。
「私はな、信太。今さみしい、どころか疲れているのだ。ならば母上の元に馳せ参じるより信太に愚痴を零すのが妥当であろう?」
 信太が、一番の嫌そうな顔をした。私は笑う。あの日、母が行方を眩ませた日から私はよく笑う子になった。
 母がした最後の言い付けだった。父を支え敵にすら私はわらってみせた。もっともこの“わらう”は『嗤う』だが。きっと、この先も、私はこうしてわらって逝くのだろう。






「信太さん、こんな公園のベンチで何読んでんですか?」
「うん? きみか。いや、僕の従兄弟に当たるんだけど、本当に彼は有名だよね」
「ああ、彼ですか。そうですね。良い題材ですからね。いろんな本に出てますよね」
「うん。彼とはいろいろ在ったけど、本当、立派になったよ。もういないのに、未だにこうやって存在しているんだ。
 きっと、自慢の息子だったろうね、叔母上の」






   【Fin.】

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