アプリのランキングに載った。
 未だかつてないくらいにコメントをもらった。ときどきメッセージも来たけれど、なにが書かれているのか怖くて全部は読めていない。
 今までは、ひとりでこっそりと歌って、ひとりでこっそりとアップして、ジリジリと増える、亀よりも遅いなめくじのような速さの閲覧数を眺めているものだったのに、たった一日で世界が変わったように思えた。
 ……もっとも、私の学校での生活は、そこまで変わってはいないけれど。

「お願い、山中さん。掃除当番替わって」

 相変わらず顔も名前も覚えられないクラスメイトから、いいように声をかけられる。それを清水さんが咎める顔で、私とクラスメイトどちらも睨み付けていたけれど。
 私はそれに「ごめんなさい」と頭を大きく下げて謝った。

「今日は用事があるから……早く学校を出たくて……」
「ええーっ、ぼっちなのに?」

 余計なことを言われてしまった。それでも私は肩掛け鞄を肩に「ごめんなさい」と謝ってから、いそいそと教室を出ようとすると、委員会議に出るらしい清水さんに声をかけられた。

「山中さん、今のって本当?」
「用事? うん……」
「……そう、よかった」

 清水さんは妙にしみじみした口調で言った。

「山中さん、クラスでも友達いないみたいだし、ああいうサボリ魔の子たちにいいように利用されてるみたいだったから心配してたけど。同じように心配してる子はもうひとりいるけど、どちらも別に成績がガタッと下がったり学校休んだりもしてないから、どうなのかなと思ってたの」

 クラス委員は大変だ。担任の使いっ走りに加えて、私みたいなクラスに全く溶け込めてない子の様子まで気に掛けないといけないなんて。
 私はどうにか大丈夫だと清水さんに伝えようと、手であわあわとする。

「だ、いじょうぶだから。本当に。心配してくれて、ありがとう」
「そう? なにかあったら話は聞くから。担任にも特に告げ口しないし」
「ひ、人をそういう都合よく使うのは、多分、よくないことだと思うから……」

 担任やカウンセラーとかは、話を聞くのも仕事の内だけれど、クラス委員は違うと思う。だから私はぶんぶんと必死に首を振って断ると、清水さんは神経質ような目を見開いてから、口元を綻ばせた。

「意外ね、山中さん。思っているより気遣いね。足止めしてごめんなさい。用事頑張ってね」
「あ、りがとう」

 私はぺこんと清水さんに挨拶をしてから、そのまま校門まで走っていった。
 相変わらず、萩本くんとは教室では特に話をすることもなく、ふたりでカラオケ屋で待ち合わせをして、あれこれと話をしていたのだ。
 その日は、曲をつくってくれた人たちと会うということで、おっかなびっくりしながら私はカラオケ屋に行くこととなった。
 かなたんさんもマキビシさんも、たしか顔出ししていたよなあと思う。前に動画サイトの動画で歌っているのを見たことがある。どちらも二十代くらいの人たちだったと思う。そんな人と知り合いだなんて、本当に萩本くんはすごいなあと思いながら、すっかりと行きつけになったカラオケ屋で待ち合わせをしていたら。
 既に教室を出ていた萩本くんが、スマホを眺めながら入口で待っていた。

「萩本くん」
「あ、さっきぶり」
「早いね。学校終わったの同じなのに、どうして……」

 同じクラスなんだから、ほぼ同時に教室につくはずなのに、既にカラオケ屋の前にもたれかかっているんだから、驚きだ。まあ教室のほぼ中央に座っている私と違って、萩本くんの席は廊下に近かったから、そこから出たら私よりももっと早く着くのかも。
 萩本くんはそれに「んー……」と小首を傾げた。

「ここ、学校の裏から出たら、もうちょっと近いよ」
「……もしかして、前にゴミ捨て場にいたのって」
「普段からあそこ、先生少ないし。俺、マスクのせいで先生に目を付けられやすいから、先生に見つからないようにこっそり出て行こうとしたら、どうしても裏門から出るしかないんだよ」
「なるほど……そういえば、黒いマスクの理由って?」

 日頃から目立つ黒マスクについては、未だに謎のままだった。それに萩本くんは「うーん」と長い首を逸らした。

「白いマスクだと、目の下がチカチカするから?」
「……格好いいとか、そういうこだわりじゃなかったんだね」
「うーん……喉が守れたら別に。でも先生に呼び止められて説教されてたら、逆に燃えてくるというか、頑なになるというか」

 この人不良だ。前に思ったことが頭に閃くけれど、歌っているとき以外はぼんやりとした人を軽く不良呼ばわりしていいものか。
 私はそう思いながらも「そういえば」と尋ねた。

「おふたりはいつ来られるって?」
「さっきアプリでやり取りしてたけど、ふたりともちょっと迷子になってるみたい。迎えに行こうかって言ったら『高校生に大人の財力見せてやる』って言われた」
「なあに、それ」

 思わず笑ったところで、タクシーがカラオケ屋の手前で停まった。
 そこから出てきたのは、ピンク色のマスクにロングスカート。花柄レースが可愛いカーディガンを羽織ったいかにもガーリーな格好の女性に、真っ白なシンプルマスクにTシャツ、デニム。一見ラフ過ぎる格好だけれど、前にあのTシャツと同じ柄のものを着ていたアイドルが、ネット番組で六桁はくだらないと言っていた奴だと、喉の奥がヒュンとなる。
 ふたりはぱっと萩本くんを見ると、それぞれ抱き着いてきた。

「久し振りー、【カズ】くんちょっと前に会ったときより身長伸びてない?」
「お久し振りです。親戚のおばさんみたいですよ、かなたんさん」
「おひさー、夏のフェス以来?」
「お久し振りです、マッキーさん。あっ、彼女が」

 ふたりともフレンドリーなのは、【カズスキー】さんとして、歌い手のイベントに出席しているかららしかった。まあ、歌い手は歌さえ歌えれば、顔はお面なり布なり被ってもオッケーだったから、顔出ししなくってもいいし、身内間にさえ顔が割れればいいんだろうなあ。
 萩本くんが紹介してくれようとするので、私はあわあわとする。

「わ、私。歌い手のことは、誰にも、言ってなくって……!」
「ああ、そっか。私はかなたんで活動してます」
「自分はマキビシです。とりあえずカラオケ行きましょっか」
「は、はい……!」

 私は何度も何度も頭を下げていた。頭のどこかがジリジリする感覚がしているのは、普段だったら緊張し過ぎてなにをしゃべったのかも、どんな会話をしたのかもすぐに忘れてしまうのに、忘れたくない一心で緊張回路を自ら焼き切ってしまったらしい。
 皆で飲み物を頼んで、サイドメニューにフライドポテトと唐揚げを山盛り注文してから、部屋へと移動した。
 今日移動した部屋は、初めて萩本くんと一緒に入った集団用の部屋だった。

「【カイリ】さん。今回歌ってくれて本当にありがとう。閲覧数も順調に稼いでくれててよかったあ」

 そう言って挨拶してくれたマキビシさんはマスクを外すと、前に動画で見たことのある、大型犬みたいな愛嬌のある大きな口が出てきた。にこにこと笑っていて、昔近所に住んでいたゴールデンレトリバーを思い出させた。
 その言葉に頷きながら、かなたんさんもマスクを外す。目元だけのときから思っていたけれど、おっとりとした雰囲気を保っている可愛らしい人だ。

「ええ、【カズ】くんがウィスパーボイスだからぜひ聴いて欲しいって言うからね。この子誰のことでも褒めるから」
「そう……なんですか?」

 それは意外だなと思って私は萩本くんを見た。私が知っている限り、わざわざ【カイリ】のアカウントをSNSで紹介していたのくらいしか、人を紹介しているのを知らない。あとは曲をつくる関係で知り合ったような人たちばっかりだったように思える。
 それに萩本くんは、相変わらず好きらしい唐揚げをもりもり食べながら訴える。

「ええ……だって褒められるのって気持ちいいじゃないですか。その気持ちのよさを歌に出してくれたらもっといいんですけど」
「そりゃねえ。大人になったらなかなか誰も褒めてくれなくなるから」

 かなたんさんの言葉に、私は思いっきり頷いてしまった。従姉妹のお姉ちゃんは就職決まった途端に「結婚は?」を連呼されるようになって辟易してから、親戚の集まりで一切見なくなったし、従兄弟のお兄ちゃんも「昇進は?」を連呼されている。
 私も萩本くんに会うまで、ここまで褒めてもらえたことってない。
 それにマキビシさんは「でもなあ、【カズ】」と苦言を呈す。

「お前、褒めまくって相手を逆上せ上がらせた結果、相手を自爆させてること多いから。ほんっとうに、【カイリ】さんはよくやってるからな?」
「えっと……自爆って?」
「うーんと。有名人に褒めてもらったっていうのは、自慢にならない?」

 そうマキビシさんに言われて、私は首を捻った。
 たしかに私は萩本くんに褒めてもらえたのは嬉しかったけれど、それをわざわざ触れ回る相手がいない。中学時代の同級生にわざわざアプリメッセージ入れてまで自慢するかというと、微妙なところだ。

「私、自慢するような相手いませんし……褒めてもらえたからって、イコール自分の評価が上がる訳でもないですし……」
「あー、なるほど。だから【カズ】が悪気なく自爆させて回っているのに巻き込まれなかったのかも。【カズ】に褒められたことにうつつを抜かして、歌を歌わずに宣伝ばっかりした結果、歌がどんどん歌えなくなって、結果的にアカウントを削除しちゃう子が多いんだよね。もったいない」

 マキビシさんはそう言いながら、フライドポテトを食べた。なるほど……。私は日頃から宣伝活動にそこまで力を入れないし、本当に歌っているだけだったから、そういう自爆行動に走らなくって済んだって感じか。
 それに萩本くんは本気でわからないというように眉をひそませていた。

「……俺、普通にその歌がいいから、これからも頑張ってと言っただけで、どうしてそんな行動取るのかわからないんですよ」
「有名人に歌を褒められたっていうのを、一種の名刺代わりにするのは誰だってあるから。本当に褒められたって事象があっただけで、自分の実力が跳ね上がった訳じゃないんだけど」

 かなたんさんにそう言われて、私はますますもって困った顔で皆の顔を交互に眺めていた。

「褒められたら、歌わなくってもいいんでしょうか……?」
「えっ?」
「……私、歌いたいから歌ってただけで、褒められるのはそのついでなんですけど……」

 そう私がボソボソと言った途端に、どっと笑い声が上がった。私は目を白黒とさせる。

「あ、あのう……私、おかしなこと」
「いいえ、それが普通だと思うから」

 かなたんさんは笑顔で言った。

「だから【カズ】くんと【カイリ】さんは仲がいいんだわ」