私がどう返答したものか。正直断りたいというほうに天秤が傾いている中。萩本くんはスマホを動かして、曲を流しはじめた。

「この曲。作詞はマキビシさんで、作曲はかなたんさん」
「ふぁっ……!」

 変な声が出た。
 作曲のかなたんさんは、作曲の幅が広くて、アップテンポなテクノからゆったりとしたバラードまで、最近のヒットソングの中で全く聴かない日がないくらいに有名な人。
 作詞のマキビシさんは元々シンガーソングライターだけれど、思春期の痛みや悩みをそれぞれ巧みに書き分ける歌詞が評判になり、有名なアイドルグループや映画のタイアップなどにも歌詞を提供しているような人だ。
 そのふたりに曲をつくってもらった【カズスキー】さん……萩本くん、すご過ぎないかな。そして私にまでその曲を分け与えようとするのに。
 歌っているのは、マキビシさんらしい。独特のハスキーな声が歌っているのは、もうすぐ母校が無くなってしまうという十代の叫びのような曲だった。相変わらずなんでも作曲するかなたんさんは、バラードも淡々としているだけでなく、途中でいきなり高音が飛び出たり低音が飛び出たりと油断ならない曲調を、マキビシさんが丁寧に丁寧に歌い上げていた。
 私はそれをしばらく聴いていて、口ずさんでいた。
 いつも曲を覚えるのは、一度聴いては歌ってみて、二度聴いては歌ってみる反復練習だ。この曲はサビの部分の高低の激しささえなんとか反復練習で乗り越えたら、歌えないことはない。

「……すごくいい曲だね」
「じゃあ」
「でも……この曲本当に私が歌っていいの? 【カズスキー】さんは有名だからわかるけど、私は全然無名の歌い手で……怒られないかなと思う」
「むしろこれ、俺がマキビシさんに相談されたんだよ。女性の歌い手で、悲しい歌詞を癒やしの歌に変えられるような人がいないかって。歌い手って、結構主張が強いから、力強く歌ったら悲しさが強調されてしまって聴いてられなくなるからって。だから俺が【カイリ】さんを紹介したんだから」
「……そこまで?」
「上手い歌い手って、今の界隈だったらいくらでも見つかると思う。皆すぐ歌を聴いて、練習してそれっぽく歌えるようになるから。でもこの曲は【カイリ】さんじゃないと歌えないと思うけど」

 そう言われてしまうと、私もついつい押し黙ってしまう。
 今まで、「あなたでいい」と投げやりに言われたことはいくらでもある。グループ分けをする際、ひとりでふらふらしていた私を人数調整のために入れられたりとかはあるけれど、こういう人が欲しいと探している人に紹介されるなんてこと、ちっともなかった。
 そこまで褒めてくれる人のことを、無下になんてできるだろうか。
 私の中の天秤がグラグラと左右に揺れているのを感じていたら、予鈴が鳴った。本鈴までに戻らないと、授業がはじまってしまう。
 私はどうにか言葉を絞り出した。

「……一度歌を歌って録音するから、それを曲をつくってくれたふたりに聴いてもらってから、判断してもいい? さすがに……無名の私が泥を塗る訳にもいかないから」
「本当? じゃあふたりに連絡しておくよ」
「うん……」

 私は萩本くんから「外に出さないでね」と念押しされてから、録音をもらった。これを聴きながら練習しよう。そう思いながら、教室へと戻る。
 話が大きくなってしまった。
 普段だったら「そんな恐れ多い」と逃げてしまいそうだけれど、素敵な曲だった。選んでくれた人を無下にはできないから、この曲をできる限り素敵に歌おう。そう心に誓った。

****

 それから私は萩本くんと一緒に、練習を兼ねてカラオケ屋によく行くようになった。

「萩本くんくらいにオリジナル曲もばんばん出している人だったら、スタジオとか借りれないの?」
「ブッ……」

 私の思いつきは、思いっきり萩本くんに笑い飛ばされてしまった。萩本くんは「よく舐めてる奴。山中さんもどうぞ」とポリフェノール入りの喉飴を回してくれながら、手を振った。

「それはない。それはない。この辺りだったら、もうちょっと大きな街まで出ないとスタジオなんかないし。車もバイクも持ってないのに、そんなところまでいちいち通えないから」
「それもそっか……」
「そこまで稼いでいる歌い手なんて、自分で作詞作曲全部できるような人だけだから。俺は曲をつくってもらわないと歌えないから」

 そう言いつつマスクを外すと、飴を口の中で転がしはじめた。
 私たちが提供してもらった曲は、当然ながらカラオケで配信されているものじゃない。だから喉の奥を開くために一曲歌ってから、問題の曲を伴奏なしで歌うのだ。
 私は後で喉飴をいただこうと思いながら、先に一曲カラオケマシンに入れてみる。歌う曲は、最近アプリでよく耳にするK-POPだった。
 キーは高いし、曲も高低差が激しくて難しい。でも、課題曲も相当難しい曲だから、喉を開くのにはちょうどいいと思う。
 私が一曲歌いきると、萩本くんは拍手を送ってくれた。

「すごいね、相変わらず」
「あ、ありがとう……飴、いただくね」
「どうぞー」

 萩本くんは口の中で転がしていた飴をガリッと噛んでから飲み込むと、温かい紅茶で流し込んでから、自分も歌いはじめた。これはダンス曲としてよくアプリで聴くレゲェだった。本当に……【カズスキー】さんは曲幅が広い。
 歌い終わったあと、私も思わず拍手をしてから、それぞれ曲を歌いはじめる。

「歌詞はこれ。山中さんは、曲は全部耳で覚えるタイプ?」
「うん。そのほうが覚えやすいから。萩本くんは?」
「俺は歌詞を読みながら曲を覚えるから」

 真面目だ。多分そのほうが覚えやすいんじゃないかと思う。私は歌詞を見せてもらいながら、耳で覚えた曲に歌詞を乗せていく。
 幸か不幸か、私は母校がなくなった経験はない。でもうちの学校みたいに無理な吸収合併をしまくったせいで、母校がなくなって悲しい思いをしている人たちはきっといるんだろうな。
 私だって、そこらへんがあって友達とは学校が離れてしまった。遠過ぎて地元の公立を諦めて、近場で通える私立に入学を決めた子だって、隣の県に引っ越して通える学校に行くことにした子だっていたもの。
 多分なくなって寂しいっていうのは、集まる理由がなくなって寂しいに近いような気がする。いくら同じ学校を卒業したからって、それぞれ今の交友関係や趣味バイトがあるんだから、いつでも連絡するってできなくなる。私みたいにひとりでうろうろしているのだっているけれど、全員にそれを求めても仕方がないから。
 私はその辺りの、自分で決めた訳じゃないけれど決まってしまったもやもやを、歌詞に乗せて歌い終えた。
 しばらくすると、萩本くんも「じゃあ俺も歌うから」と言って歌いはじめた。
 そういえば。私と同じ歌を、萩本くんはどう歌うんだろう。私はそれをじっと聴き、思わず目を見開いてしまった。
 同じ曲。同じ歌詞。同じ歌い口なはずなのに、不思議と全く違う歌に聴こえる。アレンジなんてしてないのに。
 私はどうしようもないもやもやを歌にしたけれど、萩本くんはすっきりとした過去の恋の歌に聴こえる。たしかに、どちらも母校が消えてなくなってしまって、集まる理由がなくなってしまった歌だ。その中で、同じ学校を卒業して、タイムカプセルを取りに行こうとした相手が、友達じゃなくって片思いの相手でもいい訳だから、たしかにこの歌い方もありなんだ。
 同じ曲、同じ歌詞、同じ歌い口なのに、こんなに変わるものなんだ。
 歌い終えた萩本くんに、私は思わず手を叩いていた。

「……すごいね、同じ曲のはずなのに、私と萩本くんだと全然違う歌に聴こえた」
「ありがとう。でも正直、俺は山中さんの歌のほうがいいなーと思った。山中さんは曲をどんな解釈で歌ったの?」
「解釈?」
「歌詞を読んでどんな話に取ったのかなと」

 世の中の歌い手って、歌詞を読んで書かれたフレーズの流れを意識しながら歌うものなんだろうか。それとも私たちが思いの外真面目に歌詞を考えながら歌っているだけなんだろうか。
 私はさっき思いついたことを、たどたどしく言ってみた。

「……もう会えないって思いながら歌ってた」
「もう会えない?」
「集まる理由がなくなっちゃったから。学校がなくなったから。そりゃ、卒業してからも付き合いのあるグループはいくらでもあるとは思うけど、誰だって昔の付き合いよりも、今の付き合いを優先するから。自分たちが悪くて離ればなれになった訳じゃないのに、なんか嫌だなあと思いながら、歌ってた」
「なるほど。やっぱり山中さんすごいな」
「え……?」
「俺、普通にこの歌詞を恋愛の歌だと思ったから」
「多分、普通はそう取るんじゃないかと思ったから、別に間違ってないと思ったけど」

 私は別に、誰かとお付き合いしたことはないし、学校の人を好きになったことがないけど。タイムカプセルを開くとか、同窓会とか、そういう理由を付けて会いに行ったときに告白したいって人がいても、おかしくはないと思ったから。むしろ今はそういうわかりやすい物語のほうが、受けるんじゃないかと思ったんだけれど。
 それに萩本くんは「そうだけどさあ」と髪を引っ掻いた。普段は滅多にしない、眉根を深めて吐き出した。

「なんでもかんでも、わかりやすかったら嫌じゃん」
「そう……なの?」
「たとえばさ、直情的って言葉あるけど、直情的ってイコール考えなしの馬鹿って思われてたら嫌じゃん」
「……直情的は直情的であって、馬鹿ってことではないよね?」
「そうだけど、わかりやすくしようわかりやすくしようとしたら、勝手にそうなっていることがあるから、そういうのは、歌詞を書いてくれた人に失礼だから……」

 最後の言葉は、ぽつんとつぶやきのように聴こえた。

「それって要は、勝手に恋愛ソングに押し込めて、郷愁や戻れない昨日の歌っていう範囲を狭めたくないってこと?」
「そう! だから、歌詞からイメージを拾って、どんどん広げた山中さんはすごいんだよ」

 なるほど……解釈が違うって、勝手にイメージがすり替わってしまうから、それをなくしたいって嘆いてたんだな。
 これは私がお金がかかっている曲を歌ったことがないから勝手に思っているだけだけれど。萩本くんは真面目なんだなあ。好きなように歌えばいいって思っている私よりも、ずっといろんなことを気にしながら歌っている。
 有名人って大変なんだなあ。勝手にそう同情するのは、失礼なことだろうか。