いつもの通学路を抜けて、南へ南へ。
しばらく歩いたら、海が見えた。
この辺りは遊泳は禁止で、ヨットやマリンスポーツだけ推奨されている。理由はよく知らない。
浜辺の奥はコンクリート舗装されて、潮風を受けながらジョギングするスペースがあり、海を見ればマリンスポーツをしている人たちが見受けられる。
砂浜だとサンダルで入ったら砂が入ってジャリジャリしてしまうため、私たちはコンクリート舗装された道を歩いてテトラポットへと渡り、そこで座って海を眺めていた。夏の日差しで、むせかえるような潮の匂いがする。
「どうして一緒に海を見たかったの?」
「ひとりになりたいときは、いつも海に来ていたから」
そうぽつんと萩本くんが言った。
彼はマスクを外すと、遠くを見る。私も一緒に彼の視線の先を追うけれど、なにを見ているかはよくわからなかった。
「海だったら、マリンスポーツやジョギングに夢中で、俺がマスクを外しても誰もなにも言わないから」
「そう……」
マスクを外していたら、好き勝手にいろいろ言われて、好き勝手にいろいろされてしまう彼のことだ。息苦しくて、呼吸のできる場所を探していたら、海に辿り着いたのだろう。
そう思うと、彼のお気に入りの場所に連れてきてもらえた私は、特別なんだと今更思い至った。付き合いはじめたと言っても、まだ私たちはなにもしていない。ただ手を繋いで、一緒に歌を歌っている人たちのスタジオにお邪魔しただけ。
人生って息苦しい。私は友達いないし、人に合わせるのが本当に苦手。人に好きなことをとやかく言われてしまったらやめてしまうくらいに一本気がない。だからこそ、本当に好きなことは限られた人にしか言えなかった。
ふと私は、唇に歌を乗せてみた。
「山中さん?」
尋ねられても、そのまま歌った。
好きなことを好きと堂々と言える人は、多分強いんだろう。私は弱い。弱いから、好きなことはこっそりとしか人と共有できない。
やがて、萩本くんは私の歌に重ねるようにして、一緒に歌いはじめた。
私ひとりだとかすか過ぎる声だったけれど、ふたりで歌うと声が大きくなる。そのためにジョギングをしていた人たちが少し驚いたように足を止めたり、海から上がってきたマリンスポーツ帰りの人たちが振り返ったりしたけれど、私たちは無視して歌った。
「今さ、ものすっごく歌上手い子たちがいたけど」
「青春だねえ……」
幸いにも、ここには歌い手のことを知る人たちも、【カズスキー】さんが売れっ子歌い手だって知っている人もいなくて、ここだとただの歌が上手い高校生くらいのカップルにしか見えなかった。
歌い終えたあと、ふいに萩本くんがじぃーっと私を見てきた。
意味がわからなくって彼に視線を合わせたら、小さく「目を閉じて」と言われた。私は言われるがまま目を瞑った途端、唇に生暖かいものが一瞬掠めたあと、離れていったことに気付いた。
キスをされたということに、今気付いた。
萩本くんは今の顔を見られたくないのか、急いでマスクをして顔を隠してしまったけれど、隠れていない髪から覗いた耳が真っ赤になっているので、多分照れているんだと思う。
私も伝染したように、じわじわと体中に熱が回ってきた。決して熱中症ではないはずだ。多分。
「……帰ろうか」
「うん」
私たちはまた手を繋いで、家へと帰ることにした。
歌で世界は変わらない。清水さんは実家の都合で人間関係に苦労しているし、萩本くんは相変わらずマスクを外せない。私も自分が歌い手をしていることを、家族にだって言っていない。
でも。私が唇から溢れた恋の歌は、たしかに萩本くんに届いた。
その小さな奇跡に、今は感謝している。
<了>
しばらく歩いたら、海が見えた。
この辺りは遊泳は禁止で、ヨットやマリンスポーツだけ推奨されている。理由はよく知らない。
浜辺の奥はコンクリート舗装されて、潮風を受けながらジョギングするスペースがあり、海を見ればマリンスポーツをしている人たちが見受けられる。
砂浜だとサンダルで入ったら砂が入ってジャリジャリしてしまうため、私たちはコンクリート舗装された道を歩いてテトラポットへと渡り、そこで座って海を眺めていた。夏の日差しで、むせかえるような潮の匂いがする。
「どうして一緒に海を見たかったの?」
「ひとりになりたいときは、いつも海に来ていたから」
そうぽつんと萩本くんが言った。
彼はマスクを外すと、遠くを見る。私も一緒に彼の視線の先を追うけれど、なにを見ているかはよくわからなかった。
「海だったら、マリンスポーツやジョギングに夢中で、俺がマスクを外しても誰もなにも言わないから」
「そう……」
マスクを外していたら、好き勝手にいろいろ言われて、好き勝手にいろいろされてしまう彼のことだ。息苦しくて、呼吸のできる場所を探していたら、海に辿り着いたのだろう。
そう思うと、彼のお気に入りの場所に連れてきてもらえた私は、特別なんだと今更思い至った。付き合いはじめたと言っても、まだ私たちはなにもしていない。ただ手を繋いで、一緒に歌を歌っている人たちのスタジオにお邪魔しただけ。
人生って息苦しい。私は友達いないし、人に合わせるのが本当に苦手。人に好きなことをとやかく言われてしまったらやめてしまうくらいに一本気がない。だからこそ、本当に好きなことは限られた人にしか言えなかった。
ふと私は、唇に歌を乗せてみた。
「山中さん?」
尋ねられても、そのまま歌った。
好きなことを好きと堂々と言える人は、多分強いんだろう。私は弱い。弱いから、好きなことはこっそりとしか人と共有できない。
やがて、萩本くんは私の歌に重ねるようにして、一緒に歌いはじめた。
私ひとりだとかすか過ぎる声だったけれど、ふたりで歌うと声が大きくなる。そのためにジョギングをしていた人たちが少し驚いたように足を止めたり、海から上がってきたマリンスポーツ帰りの人たちが振り返ったりしたけれど、私たちは無視して歌った。
「今さ、ものすっごく歌上手い子たちがいたけど」
「青春だねえ……」
幸いにも、ここには歌い手のことを知る人たちも、【カズスキー】さんが売れっ子歌い手だって知っている人もいなくて、ここだとただの歌が上手い高校生くらいのカップルにしか見えなかった。
歌い終えたあと、ふいに萩本くんがじぃーっと私を見てきた。
意味がわからなくって彼に視線を合わせたら、小さく「目を閉じて」と言われた。私は言われるがまま目を瞑った途端、唇に生暖かいものが一瞬掠めたあと、離れていったことに気付いた。
キスをされたということに、今気付いた。
萩本くんは今の顔を見られたくないのか、急いでマスクをして顔を隠してしまったけれど、隠れていない髪から覗いた耳が真っ赤になっているので、多分照れているんだと思う。
私も伝染したように、じわじわと体中に熱が回ってきた。決して熱中症ではないはずだ。多分。
「……帰ろうか」
「うん」
私たちはまた手を繋いで、家へと帰ることにした。
歌で世界は変わらない。清水さんは実家の都合で人間関係に苦労しているし、萩本くんは相変わらずマスクを外せない。私も自分が歌い手をしていることを、家族にだって言っていない。
でも。私が唇から溢れた恋の歌は、たしかに萩本くんに届いた。
その小さな奇跡に、今は感謝している。
<了>