私と萩本くんが揃って教室に戻ったら、派手なグループがあからさまにこちらを楽しげな顔で見ていた。

「あれ? 結局萩本くんと山中さんって付き合ってたの?」

 周りから口笛がピューと飛ぶ。
 いい加減、誰かと誰かが付き合っていたらと過程して喜ぶ真似、小学生と変わらないと誰か教えてあげて欲しい。
 清水さんは心配そうに「大丈夫?」と寄ってきたのに、私は小さく会釈をする。萩本くんは私と清水さんを一瞥してから、無視して自分の席に着いた。
 私たちがなにも答えないのが面白くなかったのか、「ねえ、どうなの?」と聞いてくる。いい加減にしつこい。だからと言って、なにをどう答えても勝手に話をつくられるような気がして、迂闊なことも言えない。
 どうしようと思って黙りこくっていたら、先に口を開いたのは萩本くんだった。

「だったらなに?」
「えっ?」

 今までの無愛想具合を考えれば、返事をしてくるなんて微塵にも思わなかったんだろう。萩本くんはただじっと彼女と目を合わせた。

「俺と山中さんが付き合ってたら、悪い?」

 普段から彼の物言いを聞いている私からしてみれば、別に普段通りだけれど、マスクを付けて淡々と話し出すと、不機嫌にも聴こえる。そのせいで、ダラダラと彼女は冷や汗を出しはじめた。

「え、ええっと……駄目じゃ、ない。です。はい……」

 そのまま彼女はパッと自分のグループに逃げてしまった。周りも一瞬萩本くんが淡々としゃべった声で、勝手に不機嫌な話をつくり上げようとしたものの、表立って関わろうとする気はなくなったらしく、これ以上は視線を集めることもなかった。
 ある程度事情を聞いていた清水さんだけは、冷静に私のほうに振り返っていた。

「そうなの?」
「うーん……どうなんだろうね?」

 私たちは、互いに告白をしただけ。
 自分から重いって言ってきた萩本くんと、本当に情けない告白をした私。まだ手を繋いだくらいで、それ以上のことは本当になにもしていない。
 付き合うって言ってもなにをすればいいんだろう。カラオケに行ったり、遊びに行ったり。なにをすれば付き合うってことになるのか、いまいちピンと来なかった。
 それでも清水さんは、少しだけ胸を撫で下ろしていた。

「でもよかったじゃない。嬉しそうよ、山中さん」
「……そうなのかな」
「そうよ」

 萩本くんの問題って、とっても厄介だ。顔を出した途端に人間関係が壊れてしまうと怖れて、マスクを外したがらないんだから。実際にそれでさんざんな中学生活を送っていたのなら仕方ないだろう。
 私は私で、上手くしゃべれないし、もっと気の利いたことを言ったほうがいい場面でも言葉が出てこない。
 そんなでこぼこの私たちだけれど、ゆっくりと変わっていくしかないんだろう。

****

 私と萩本くんが付き合いはじめたことは、一応かなたんさんとマキビシさんにはチャットアプリを通じて報告しておいたら、ふたりからやけに喜ばれてしまった。

【そうなんだ。でもいくら付き合いはじめて浮かれてるからって、動画でぽろっと情報出したらまずいからね】

 マキビシさんにそうきっぱりと釘を刺された。それはなんとなくわかる。だって人気アイドルや有名俳優がお付き合いや結婚報道が流れた途端に、びっくりするくらいに炎上するもの。萩本くんは歌い手だけれど、そんじょそこらの歌い手でもないから、私と付き合っているとなったら、間違いなく私のアカウントがまた炎上する。
 ひとりでさんざん泣いたのだから、あんな怖い想いはたくさんだ。

【わかってますよ。その辺りは特に言いません。カイリさんが歌えなくなったら、世界の損失ですし】
【カズスキーさんのファンの人に、また怒られたくないです】

 私と萩本くんがそれぞれ言わない宣言をしていたら、かなたんさんはほのぼのとした文面を打ち込んでくる。

【そりゃそうだよね。今は事務所に入っている歌い手だって、プライベートの情報はなるべく出さないように気を付けてるから。そういうバックアップが期待できない個人はもっと気を付けないといけないから】
【わかってますよ】

 ふたりのやり取りを見ていたら、マキビシさんが言葉を挟んできた。

【ところでカイリさん。前に言った次の曲をカズスキーくんと一緒に歌って欲しいって打診、考えてくれたかな?】

 そう言われて、私は頭に浮かべる。
 前のときは、弱小アカウントが調子に乗っていると思われたら怖くて、引き受けられなかった。実際にそのことで【カズスキー】さんのファンをさんざん怒らせてしまって炎上したし。でも。
 私の中でゆっくりと意見は変わっていた。

【カズスキーさんがよかったら、引き受けますよ】

 私の言葉に、スマホが鳴った。萩本くんからの通信アプリのメッセージだ。

【本当に大丈夫?】

 炎上で怖がって泣いていたことを、萩本くんは知っているから。それがなんだか嬉しくって、手早くメッセージを返した。

【もう大丈夫。ひとりで炎上だったら怖くて仕方がなかったけれど、今はもうひとりじゃないから。だから歌っても平気】
【そっか。念のためコメント欄が見えなくなるアプリ教えるから、なにかあったら使って】

 そう言って萩本くんは、動画アプリのコメント欄を閉鎖して見えなくするツールのアドレスを教えてくれた。
 マキビシさんとかなたんさんは【まだ全部できてないけど】と言いながら、つくり途中の
曲のファイルを送ってくれた。
 歌っているマキビシさんの声は相変わらず不思議と落ち着く音色で、それを聴きながら目を閉じた。
 ひまわりの花が枯れて、種ができるまでの歌みたいだ。
 ひまわりの大輪が枯れるというのは一見物悲しく感じるけれど、季節が変わる、来年もまたひまわりが見られる、蕾だった気持ちが実を結んだとも取れて、不思議と前向きになる曲調だ。
 相変わらずおふたりは素敵な曲をつくる。

【それじゃあ、今度うちのスタジオにおいで。そこで曲を収録しよう】

 マキビシさんにそう言われ、私はパソコンで返事を書く前に、あわあわと萩本くんにスマホでメッセージを送る。

【あの、マキビシさんのスタジオって、今まで萩本くんは言ったことあるの?】
【あるよ。前にオリジナルデビュー曲つくる際に、呼んでもらってそこで歌ったことがある。すっごく気持ちよかった】
【わあ】
【どうする? 緊張するんだったら、断ってもいいと思うけど】
【行ってみたい。そんな機会、もうないかもしれないから】

 私がそう言うと、萩本くんはポンポンスタンプを送ってきた。これ、もしかして受けられているんだろうか。
 そう思っている間に、萩本くんはさっさとチャットのほうに返事を書き込んでいた。

【裏で話をしてましたけど、カイリさんも行けるそうです。俺も久し振りに行ってみたいです】
【よしよし、おいで。楽しみにしてるから】

 そう言われて、私はベッドに転がった。
 予定日時は休日で、どう考えても私服で行かないといけない。思えば付き合いはじめて初めて私服で会うのだから、普段着じゃ駄目だろうと、なんとか服を考えないといけない。
 どんな服を着よう。私は頑張ってベッドを起き上がって、のろのろとクローゼットを開いた。
 今まで、デートなんてしたことがなかった。そもそも人と付き合うことだってはじめてだ。こういうのは清水さんに相談していいのかどうかさえわからず、自分で考えるしかない。
 あわあわと服を探し出し、見つけてきたのは買ってもらったのはいいものの、どこで着ればいいのかわからず着るタイミングを逃していた真っ白なワンピースだった。下手したら井戸から出てきた幽霊みたいな装いになってしまうからと、どうにかサンダルと黒い小さめのリュックを用意して、幽霊っぽさを誤魔化した。
 家の外では、ジリジリと虫の鳴き声が聴こえてくる。あれだけいろいろ詰め込まれていた長い春もすっかりと終わりを迎え、今は大気が存在感を誇っている夏へと切り替わりつつある。
 夏も萩本くんと一緒にいられるのかと思ったら、少しだけ誇らしかった。

****

 まだ少しだけ早い蝉の鳴き声が聴こえてくる。
 あれかな、アスファルトが熱過ぎて、これ以上地面に埋まっていたら蒸し焼きにされてしまうと危機感を募らせて出てきちゃったのかな。
 その蝉の鳴き声をぼんやりと聴きながら、空を仰いだ。
 今年は空梅雨で、雨がちっとも降らなかった。そのせいなのか、大気がずいぶんと重くて湿気が体に纏わり付くような不快感を覚える。
 私はワンピースにリュック、皮のサンダルの出で立ちで、待ち合わせ場所に立っていた。

「暑い……」

 汗が背中にペタンと貼り付いてしまって落ち着かない。
 デオドラントも流されてしまいそうだなあと、ぼんやりと考えていた先で。

「おはよう、今日は早いね」

 聴き馴染みのある声に、私は振り返って少しだけ固まった。
 萩本くんがシャツにデニムで立っていたのだけれど、前よりもスタイルが洗練されているように見える。スポーツメーカーの大きめのシャツに、少し穿き古した感じが洒落ているデニム。鞄はスポーツメーカーの腰バッグを斜めにぶら下げていた。そして相変わらず黒いマスクをしている。

「山中さん?」
「あ、うん……格好いいねと思って……でも暑そう。黒いマスクは夏にはきつくない?」
「黒だったら、あんまり照り返しがないから日焼けしないらしいんだけど」
「そうなの、知らなかったなあ」

 他愛ない会話をしている中、萩本くんが私を上から下までじぃーっと見ているように感じ、思わず縮こまった。
 変な組み合わせではないと思って着たけれど、一歩間違えたら幽霊扱いされそう。
 そう思っていたら、萩本くんが「ふーん」と言った。

「ひまわり畑にいそう」
「はい?」

 思ってもみなかった感想で、思わず声が裏返る。一方萩本くんはどこか楽しげだった。

「マキビシさんがつくった歌、ひまわりの花の歌だったから、そこからインスピレーション浮かんだの?」
「た、たまたまです……なに着ようと思って探してたら、出てきたので……」
「うん、山中さんに似合ってる」

 あまりにもさらりと普通に言うものだから、こちらも照れていたたまれなくなる。その上、萩本くんは手を差し出してきたのだ。

「手、繋ぐ?」
「あああああ……暑くない? 手汗とか……」
「手汗? ああ、ごめん。拭いとく」

 そう言いながら萩本くんは腰バッグからタオルハンカチを取り出して手を拭きはじめたので、ますますもっていたたまれない。

「私の手汗だから! 萩本くんのじゃないから!」
「そう? 俺は気にしないけど。俺が気にしないなら、手を繋いでいい?」

 あまりにも普通に言うものだから、照れているのは私だけなのかと反省する。でもよくよく考えたら、前にも手を掴まれているから同じかもしれない。

「どうぞ」

 私が手を差し出すと、それを萩本くんはきゅっと掴んだ。ふたり揃って手はぐっしょりと濡れていて、思わず互いに顔を見合わせて笑ってしまった。