「昔からエヴリンは向こう見ずなところがあって、私はいつも心配していた」
「はい申し訳ありません!」
「大体私たちが間に合わなければ、皆が命に関わるかも知れなかったのだぞ?」
「全くもってその通りです。本当にすみませんでした」
「ローゼンおじ様、本当にごめんなさい! 私も自分の力を過信してました!」
「陛下、私もエヴリンお嬢様を守り切れずおケガを負わせてしまい、言葉もございません。自分の不甲斐なさが情けのうございます」

 逃げ切ろうと思っても逃げ切れるはずもなく、パラディの町に戻った私たちは、祖父母の家のリビングの床に座り、ただひたすらに父に対して頭を下げていた。
 私は包帯を巻かれた左腕を見ながら、事前の情報収集の甘さを後悔していた。恋する乙女というのは目的に向かって一直線で、まさにイノシシの如くなのである。私自身も腕にそこそこ自信があったので、モーモーの件も何とかなるんじゃないかと軽く見ていたところもある。それでゾアやメメまで危険に晒していたのだから世話はない。

「エヴリン姫……こう申し上げては何ですが、リスクも考えずに危険に立ち向かうなど、王族としての振る舞いではございません。軽率かと思われます」
「……自分でもそう思います」

 さらにはグレンにまで叱られてしまった。軽蔑されてしまったのではないかと考えると胸に痛みが走る。
 ソファーに座り、黙って話を聞いていた祖父母だったが、祖母が穏やかに告げた。

「まあまあ、エヴリンたちも反省しているのだから、そんなに叱らないでちょうだいなローゼン。私たちも夏場のモーモーがそんなに凶暴だとも大きくなるとも知らなかったのだし。イノシシやクマが狩れるぐらいだから大丈夫だと思っていたのよ」
「しかし母上」
「──ローゼン。いつまで過ぎたことをグチグチ言うの? みっともない、それでも国を治める王ですか?」

 強面の父にこれだけ強気な発言が出来るのは祖父母ぐらいである。父がぐっ、と言葉に詰まると祖父が笑った。

「まあエヴリンも軽傷で済んだのだから何よりじゃないか。結果モーモーも仕留めたんだし、目的は達せた訳だ。なあ?」

 私にウインクをする祖父。

「しかし父上。いくら幼馴染みの婚約者候補のためだからと言って、王女自らが進んでこのような無謀な行為を行うのを見過ごす訳には参りません」

 傍で控えていたグレンが深々と頭を下げた。

「幼い頃よりエヴリン姫は友人思いで、そのために何かあると全力を注いでしまうようなところがございました。今回このような事態になりましたのも、幼馴染みである私が婚約者候補になってしまったからかと思います。誠に申し訳ございませんでした」
「グレンが謝る必要はないわ。私が軽率だっただけなの」

 私はグレンに謝罪させるために努力したのではないのだ。罪なら私にある。

「父様。私はどんな罰でも受けますけれど、グレンには全く関係のない話です。彼に対して処罰を与えるのだけは止めて下さい」
「……そもそもグレンが吸血鬼族だったからこそお前は動いたのだろうエヴリン? 全く関係ないとは言えないと思うがな」
「父様……」

 我慢出来ない、といった感じでぷぷーっと祖母が吹き出した。

「やだ、ローゼンったら、娘がよその男のために動くことに単に嫉妬してただけじゃない。我が息子ながら本当に恥ずかしいわー。ねえあなた?」
「いや本当になあ。子煩悩は良いが、限度を考えんと情けないぞローゼン」
「そっ、そんな話ではありません!」

 父がアワアワするのはとても珍しい。
 祖父が何か言おうとする父を制して続けた。

「どちらにせよもう終わったことだ。エヴリンは充分反省しているし、次回からそんな無茶をすることもあるまい。そうだろうエヴリン?」
「はい」
「だからこの件はもうおしまいだ」
「ですが──」
「私がおしまいだ、と言ったらおしまいなんだよローゼン。もちろん、そこのグレン君への処罰も不要だ」

 流石は元国王である。威厳というか一言の重みがすごい。昨日まではバーベキューでお酒を飲んで肉を食い散らかし、陽気に歌って騒ぐ見た目の若いおじいちゃんだったのに、いざという時は決めて来る。
 お祖父様最高! 一生感謝します!
 祖父の言葉に渋々ながらも了承した父だったが、私を見て質問を投げ掛けた。

「まあ今回の件は不問にするとしてだな、疑問なのだがその──そうそう、ミラークだとかモーモーの肝というのは本当に体質を変えられるのか?」
「パラディにお住まいのテッサおば様が吸血鬼族で、リザード族の旦那様と結婚するためにそのミラークを丸薬にして飲んだのだそうです。実際に昼間起きられるようになるそうですわ。ただ……」
「ただ?」
「ミラークだけを丸薬にした場合は一年掛かるそうです。それでミラークを食べているモーモーの肝を合わせて薬にすると、期間が一カ月になるというのでつい……」
「ふん、なるほどな」
「──私はミラークの話、今回初めて聞きました。ですがその薬を飲めば、私は昼間起きていられるようになるんですね?」

 グレンが呟いた。

「グレン待って。今回モーモーの肝は獲って来たわ。だけど、これは無理強い出来るものじゃないのよ。とっても覚悟がいるものなのよ」
「……それはどうしてでしょうか?」
「えーとね……ミラークって有り得ないほど苦いのよ。それで、それを餌にしてるモーモーの肝というのも、私は味を知らないのだけど──」
「この世の終わりみたいな味がするそうなの。先ほどのテッサおば様は三日でギブアップしたそうよ」

 ゾアが横から口を出した。
 父が鼻で笑った。

「バカバカしい。甘い物が好きな女性は多い。だからそう感じるのだろうが、男はかなり苦みに強いぞ? 苦いと言われる塩漬けにした魚のワタだって良い酒のつまみだ」

 私はゾアとメメを見た。経験者にしか分からないやれやれ感が全身から漂っている。

「……あの、父様は実際にミラークの味を知らないので分からないと思いますわ。本当に平気なのかどうか、ほんの一口でかまいませんので味わって頂いても?」
「ああ、持って来なさい」

 私は立ち上がると、丸薬ではない葉っぱの方を一枚持って来て父に差し出した。

「父様、本当に苦いので無理をなさらず。端っこの方を少しだけでかじって──」
「大丈夫だと言っているだろう」

 私が注意したのが気に入らなかったのか、一枚丸々口の中へ入れモグモグ。
 あ、と思った時にはもう遅く、顔面蒼白になった父が口を押さえて素早く立ち上がり、トイレへ向かって見たことないほどのスピードで消えて行った。少し経つと明らかに嘔吐を繰り返している音がする。

「だから言ったのにもう!」

 私は心配で見て来ようかと思ったが、祖母が放っておきなさい、自業自得なのだからとクスクス笑った。

「それに毒じゃないし。ミラークは確かに苦いけど実は薬効があるのよ? 血を綺麗にする薬とか、頭痛薬なんかにも使われてるわ。まあ分からないほど少量だけどね」
「……ああ! 良い薬ほど苦いとか言われますものね!」

 ゾアがポンと手を合わせた。メメがなるほどと頷いた。

「薄めて使うべきものを原液で味わったようなものだったのですね、私とゾア様は」
「毒じゃなくても二度と味わいたくはない苦さだったけど……あ」

 グレンがいるのを忘れていたゾアが口を押さえ、慌てて続ける。

「グレン、あ、あのね、確かにとても苦いんだけど、丸薬にしたからまだ飲みやすいと思うの! いや、肝を混ぜてなければきっと大丈夫だと思うのよ私!」
「……肝、混ぜないと一年掛かるんだよなゾア?」

 父がいなくなったためか普段の口調に戻ったグレンがゾアに尋ねた。

「ええ、そうらしいけど……」
「──じゃあ肝を混ぜた方を飲む」

 そう言い切ると、私に目を向ける。

「エヴリン、迷惑を掛けてしまって済まない。幼馴染みの手助けだからとはいえ、こんな大変なことをさせてしまって、俺は情けない」
「え? あ? えーと……」

 グレンは単に幼馴染みだから私が助けようと思っているのだろうか? 昔から女心とかそういう繊細な感情には疎かったけれど、いやまさか、という気持ちである。

「だけど友人に甘えてばかりもいられない。俺は俺でそのミラークを飲んで、何としてでも昼間起きて動けるようになり、そしてっ……」

 ハッと我に返った彼は、私に一礼した。

「エヴリン姫、ご助力を心から感謝致します。私は、必ずや体質を克服して改めてお気持ちをお伝えしたいと思います! 少しだけお待ち頂けますか」

 ……いや、だからいつでもウェルカムなのだけど私。
 と言うかお気持ち表明は今でも良いのよ個人的には。
 彼の口からはっきり気持ちを聞かないと安心出来ないじゃないの。

 やがて父が戻って来た。吐くだけ吐いてうがいをしても口の中が苦くて気分が悪いと、テーブルに載っていたブドウをわし掴みして、グレンを連れて彼ら用に用意された寝室に消えて行った。何とも慌ただしい。
 祖父母が私を見ながら、

「──エヴリンのお相手って、結構アホなのねあなた」
「いや、まあ真面目というか、察しの力が弱いだけだろアレは」
「まあエヴリンもほら、アレだし。ある意味お似合いよね」
「そうだな」

 などとひそひそ話をしている姿を見て、何だかいたたまれない気持ちであった。