【グレン視点】
『おうおう、花婿修行は頑張ってるかのう?』
夕方、自室で仕事のため着替えをしていたら、窓からネイサンがパタパタと飛んで来た。何だかやたらとフワフワしていて小綺麗だ。
「ネイサン、エヴリンの付き添いでパラディに行ってたんじゃ……え、もしかしてエヴリンが戻って来たのか?」
遠くからでも彼女を見ていたのが癒やしだったのに、ここ一週間いないだけで俺のモチベーションはだだ下がりである。ようやく彼女の姿が見られるようになるのか。
『うんにゃ。久しぶりで話が弾んでるで、もう少し滞在するらしい。陛下に伝えておかねば心配するだろうってんで、ワシがお前の様子を見に来るついでに報告に来たんじゃよ。──ところで、どうじゃ、この魅惑のモフモフボディーは?』
「そうなのか……ん? ああ、確かに綺麗になったな」
『そうじゃろ? お風呂で毎日洗ってもらってたからな。お前もマメにワシを洗うなりだな、もう少し敬わんと──』
俺はガシッとネイサンを掴んだ。
「……誰に洗ってもらったんだ?」
『ぐぇっ、メ、メメじゃよ。エヴリンたちの世話ついでにワシが汚いからってのう』
「そうか」
俺はホッとして手を緩めかけ、再びグイっと握る。
『これ、苦しいじゃろうが!』
「──まさか、見てないだろうな? エヴリンのその、は、は、」
『ほ? 風呂に入っとるんじゃから、流石に洋服は着とらんじゃろ。むしろ裸でない方がおかしいのでは──うぐっ』
「俺でさえ見たことがないのに……お前図々しいにもほどがあるぞ」
『いや別にワシがエヴリンやらゾアの裸見たところでどうということもないが、お前が見てたらただの覗きじゃないか。変態だぞ変態。ぎゃっっ』
腹立たしいが言っていることは至極まっとうなので、びよーんと羽根を広げてから離してやる。
『全く! せっかくモフモフを自慢してお前にも気遣いをしろと伝えに来たのに、こんなひどい扱いをされるとはのう。年寄りに対するいたわりっちゅうもんはないのかお前には』
「……今ネイサンは俺より幸せそうじゃないか」
俺がそう返すと、じっと俺の顔を覗き込んだネイサンが告げる。
『疲れが溜まっとるようじゃのう。──エエぞ、ワシの頭を撫でても』
「何でそうなる?」
『いや、別にエエんじゃよ? エヴリンが毎日沢山撫でてくれとるから触りたいんじゃないかのう、と思っただけで。それじゃワシは陛下のところへ──』
出て行こうとするネイサンを素早く捕獲した。
「それを先に言え」
『いだだだだっ、撫で方が荒いんじゃお前は! もっと優しく撫でろ。ハゲるだろうが』
少し肉付きが良くなったネイサンを撫でながら、俺は何で吸血鬼族だったんだろうか、と泣きそうになっていた。
エヴリンがずっと好きだった俺は、彼女を守れる人間であれるよう必死で鍛錬をして、騎士団に入ってからも剣の腕は磨いたし、勉強だって人一倍やった。魔族として人としても恥じぬ行いをしないよう自らを律していた。まあ中級魔族だし、王族である彼女とどうこうなるとはとても思えなかったが、人生何が起きるか分からない。万が一を考えたって悪くないだろうと自分に言い訳をしていた。
だが、成人して婚約者の候補になれる奇跡は起きたが、種族の特性だけはどうにもならないと実感した。
今も必死で起きているよう努力し、どうしても睡魔に負けそうなときは足に針を刺してでも耐えている。だがローゼン王自らが貿易や各国との付き合いについて指導して下さっているのに、段々と王の顔が歪んで来て言葉が耳に入らなくなって来て、油断すると目を閉じそうになってしまう。
昼間は本当に力が入らなくて、気力も集中力も衰える。これではとても先々国政など出来る立場にはなれないだろう。だが、エヴリンと結婚したいと思えばこれを克服しなくてはならない。
だが、本当に克服出来るのだろうか?
俺は大抵のことは努力次第で何とかして来た。でも種族の血はなまなかの力では難しい。最近頭が朦朧とすることも増えて、無理かも知れない、と少し弱音が出そうになる自分もいる。
『気が済んだか? とりあえず、ワシは陛下に会って来るで』
「俺も行く」
身支度を済ませてネイサンと寮の部屋を出ると、そのまま王の執務室へ向かって歩き出した。
「……何だと? まだパラディにいるのか?」
案の定、ローゼン王の眉間のシワが深くなった。
『ええ。まあ久しぶりの孫との交流が楽しいんじゃないでしょうかのう。まあそんな訳で、もう数日帰りが遅れるとのことでござ──』
目の前のネイサンの体をきゅ、と掴んだローゼン王は薄く微笑んだ。
「のうネイサンよ、お前何か隠しておるだろう?」
『なっ、何のことですかな?』
「私はな、これでも王なのだ。お前がさっきからまともに私と目を合わせぬのは、何か話したくないことがあるからであろう? だてに長年にわたって腹の読めぬ他国の大臣たちと交渉をして来ていないのだ。大概のことは分かるぞ?」
『……はて、何を仰っておるのやら』
「そうか。……ほう、今気づいたが毛並みが整っておるのう。とりもちでベッタベタになったまましばらく放置したら、剥がすのが大変そうだな。まだらハゲになったら威厳もクソもないんじゃないかな」
『陛下ともあろうお方が脅しでございまするか』
ローゼン王は笑みを深めた。
「──脅し? 脅しというのはな、実際にやらないことをさもやるように言うことだ。私は昔から有限実行だよ」
そう言うとメイドを呼び、とりもちを持って来い、と命令した。俺はネイサンがぷるっと震えて俺を見たが、かばいたくても嘘は良くない。
メイドがとりもちを運んで来てサイドテーブルに置いて下がると、ローゼン王はさて、とハケを握りネイサンに向き直った。
「王自らがまんべんなく塗ってやるぞ。ありがたく思え」
『ままま、待って下され! 嫌じゃ、せっかくメメに綺麗にしてもらったのに、ばっちくなってハゲるのは嫌じゃああっ!』
ローゼン王の手の中で暴れるネイサンに俺は言う。
「まさか自分にも隠しごとをしているとはな。さっさと吐けネイサン」
『わっ、分かりましたじゃあっ!』
味方がいないと悟ったネイサンが白状するのは早かった。
「……あのバカ娘、モーモーを捕らえるだと?」
「エヴリン姫……」
俺は、エヴリンが俺を助けるために体質改善の薬草を集めに行っているとは思ってもいなかったし、もっと効能があるモーモーの肝まで獲ろうとしていることを知り胸が熱くなった。彼女は昔から誰に対しても優しい。幼馴染みの俺が苦労しているのを知って、力になろうと動いてくれたのだろう。そういう優しいところが大好きだ。……まあ彼女に俺の気持ちは伝えていないので、本気で俺が権力ではなくエヴリンそのものを手に入れたいと思ってはいないだろうが。それでも自分のために動いてくれたのがたまらなく嬉しいのである。喜びに身震いした。
「ネイサン、そのミラークの群生地は分かるんだな?」
『それは分かりますが』
「良し。すぐ支度して出発する。お前も来いグレン」
ローゼン王は立ち上がった。
「は。……しかし陛下、何故そんなに慌てておられるのですか? エヴリン姫もゾアも、メメまでいるんですよね? 正直、そこらの男が数人でかかっても敵わないぐらいの戦力ではありませんか?」
「普通ならな。……だが夏場のモーモーというのはえらく成長するんだよ。寒がりで冬場全く出て来ないから夏に食いだめをするんだ。普段の倍ぐらいだそうだ。だから体もでかくなる。通常は体長二メートルで百キロないぐらいの、まあ子熊レベルだが、夏場は百五十キロぐらいになる。しかも敏捷で、食事を邪魔されると怒って恐ろしく攻撃的になる。クマよりたちが悪い」
『なんと……そんな話聞いておりませぬぞ』
「そのテッサとやらいうご婦人も、たまたま春先で溜め込んでた栄養を消化しきった小さい状態しか知らなかったのかもな。奴の歯は鋭くて敏捷だし、噛まれると丈夫な魔族でも深手を負うことが多いらしい。エヴリンたちが警戒してなければ危険だ。見た目は可愛いらしいからな」
「そんな! すぐに参りましょう!」
俺は背中に嫌な汗が流れた。自分のためにエヴリンにケガを負わせるかも知れない、そう考えただけでも気分が悪くなる。ゾアやメメも心配だ。
執務室を飛び出して馬小屋に向かいながら、俺は必死に何事もありませんように、と祈っていた。
『おうおう、花婿修行は頑張ってるかのう?』
夕方、自室で仕事のため着替えをしていたら、窓からネイサンがパタパタと飛んで来た。何だかやたらとフワフワしていて小綺麗だ。
「ネイサン、エヴリンの付き添いでパラディに行ってたんじゃ……え、もしかしてエヴリンが戻って来たのか?」
遠くからでも彼女を見ていたのが癒やしだったのに、ここ一週間いないだけで俺のモチベーションはだだ下がりである。ようやく彼女の姿が見られるようになるのか。
『うんにゃ。久しぶりで話が弾んでるで、もう少し滞在するらしい。陛下に伝えておかねば心配するだろうってんで、ワシがお前の様子を見に来るついでに報告に来たんじゃよ。──ところで、どうじゃ、この魅惑のモフモフボディーは?』
「そうなのか……ん? ああ、確かに綺麗になったな」
『そうじゃろ? お風呂で毎日洗ってもらってたからな。お前もマメにワシを洗うなりだな、もう少し敬わんと──』
俺はガシッとネイサンを掴んだ。
「……誰に洗ってもらったんだ?」
『ぐぇっ、メ、メメじゃよ。エヴリンたちの世話ついでにワシが汚いからってのう』
「そうか」
俺はホッとして手を緩めかけ、再びグイっと握る。
『これ、苦しいじゃろうが!』
「──まさか、見てないだろうな? エヴリンのその、は、は、」
『ほ? 風呂に入っとるんじゃから、流石に洋服は着とらんじゃろ。むしろ裸でない方がおかしいのでは──うぐっ』
「俺でさえ見たことがないのに……お前図々しいにもほどがあるぞ」
『いや別にワシがエヴリンやらゾアの裸見たところでどうということもないが、お前が見てたらただの覗きじゃないか。変態だぞ変態。ぎゃっっ』
腹立たしいが言っていることは至極まっとうなので、びよーんと羽根を広げてから離してやる。
『全く! せっかくモフモフを自慢してお前にも気遣いをしろと伝えに来たのに、こんなひどい扱いをされるとはのう。年寄りに対するいたわりっちゅうもんはないのかお前には』
「……今ネイサンは俺より幸せそうじゃないか」
俺がそう返すと、じっと俺の顔を覗き込んだネイサンが告げる。
『疲れが溜まっとるようじゃのう。──エエぞ、ワシの頭を撫でても』
「何でそうなる?」
『いや、別にエエんじゃよ? エヴリンが毎日沢山撫でてくれとるから触りたいんじゃないかのう、と思っただけで。それじゃワシは陛下のところへ──』
出て行こうとするネイサンを素早く捕獲した。
「それを先に言え」
『いだだだだっ、撫で方が荒いんじゃお前は! もっと優しく撫でろ。ハゲるだろうが』
少し肉付きが良くなったネイサンを撫でながら、俺は何で吸血鬼族だったんだろうか、と泣きそうになっていた。
エヴリンがずっと好きだった俺は、彼女を守れる人間であれるよう必死で鍛錬をして、騎士団に入ってからも剣の腕は磨いたし、勉強だって人一倍やった。魔族として人としても恥じぬ行いをしないよう自らを律していた。まあ中級魔族だし、王族である彼女とどうこうなるとはとても思えなかったが、人生何が起きるか分からない。万が一を考えたって悪くないだろうと自分に言い訳をしていた。
だが、成人して婚約者の候補になれる奇跡は起きたが、種族の特性だけはどうにもならないと実感した。
今も必死で起きているよう努力し、どうしても睡魔に負けそうなときは足に針を刺してでも耐えている。だがローゼン王自らが貿易や各国との付き合いについて指導して下さっているのに、段々と王の顔が歪んで来て言葉が耳に入らなくなって来て、油断すると目を閉じそうになってしまう。
昼間は本当に力が入らなくて、気力も集中力も衰える。これではとても先々国政など出来る立場にはなれないだろう。だが、エヴリンと結婚したいと思えばこれを克服しなくてはならない。
だが、本当に克服出来るのだろうか?
俺は大抵のことは努力次第で何とかして来た。でも種族の血はなまなかの力では難しい。最近頭が朦朧とすることも増えて、無理かも知れない、と少し弱音が出そうになる自分もいる。
『気が済んだか? とりあえず、ワシは陛下に会って来るで』
「俺も行く」
身支度を済ませてネイサンと寮の部屋を出ると、そのまま王の執務室へ向かって歩き出した。
「……何だと? まだパラディにいるのか?」
案の定、ローゼン王の眉間のシワが深くなった。
『ええ。まあ久しぶりの孫との交流が楽しいんじゃないでしょうかのう。まあそんな訳で、もう数日帰りが遅れるとのことでござ──』
目の前のネイサンの体をきゅ、と掴んだローゼン王は薄く微笑んだ。
「のうネイサンよ、お前何か隠しておるだろう?」
『なっ、何のことですかな?』
「私はな、これでも王なのだ。お前がさっきからまともに私と目を合わせぬのは、何か話したくないことがあるからであろう? だてに長年にわたって腹の読めぬ他国の大臣たちと交渉をして来ていないのだ。大概のことは分かるぞ?」
『……はて、何を仰っておるのやら』
「そうか。……ほう、今気づいたが毛並みが整っておるのう。とりもちでベッタベタになったまましばらく放置したら、剥がすのが大変そうだな。まだらハゲになったら威厳もクソもないんじゃないかな」
『陛下ともあろうお方が脅しでございまするか』
ローゼン王は笑みを深めた。
「──脅し? 脅しというのはな、実際にやらないことをさもやるように言うことだ。私は昔から有限実行だよ」
そう言うとメイドを呼び、とりもちを持って来い、と命令した。俺はネイサンがぷるっと震えて俺を見たが、かばいたくても嘘は良くない。
メイドがとりもちを運んで来てサイドテーブルに置いて下がると、ローゼン王はさて、とハケを握りネイサンに向き直った。
「王自らがまんべんなく塗ってやるぞ。ありがたく思え」
『ままま、待って下され! 嫌じゃ、せっかくメメに綺麗にしてもらったのに、ばっちくなってハゲるのは嫌じゃああっ!』
ローゼン王の手の中で暴れるネイサンに俺は言う。
「まさか自分にも隠しごとをしているとはな。さっさと吐けネイサン」
『わっ、分かりましたじゃあっ!』
味方がいないと悟ったネイサンが白状するのは早かった。
「……あのバカ娘、モーモーを捕らえるだと?」
「エヴリン姫……」
俺は、エヴリンが俺を助けるために体質改善の薬草を集めに行っているとは思ってもいなかったし、もっと効能があるモーモーの肝まで獲ろうとしていることを知り胸が熱くなった。彼女は昔から誰に対しても優しい。幼馴染みの俺が苦労しているのを知って、力になろうと動いてくれたのだろう。そういう優しいところが大好きだ。……まあ彼女に俺の気持ちは伝えていないので、本気で俺が権力ではなくエヴリンそのものを手に入れたいと思ってはいないだろうが。それでも自分のために動いてくれたのがたまらなく嬉しいのである。喜びに身震いした。
「ネイサン、そのミラークの群生地は分かるんだな?」
『それは分かりますが』
「良し。すぐ支度して出発する。お前も来いグレン」
ローゼン王は立ち上がった。
「は。……しかし陛下、何故そんなに慌てておられるのですか? エヴリン姫もゾアも、メメまでいるんですよね? 正直、そこらの男が数人でかかっても敵わないぐらいの戦力ではありませんか?」
「普通ならな。……だが夏場のモーモーというのはえらく成長するんだよ。寒がりで冬場全く出て来ないから夏に食いだめをするんだ。普段の倍ぐらいだそうだ。だから体もでかくなる。通常は体長二メートルで百キロないぐらいの、まあ子熊レベルだが、夏場は百五十キロぐらいになる。しかも敏捷で、食事を邪魔されると怒って恐ろしく攻撃的になる。クマよりたちが悪い」
『なんと……そんな話聞いておりませぬぞ』
「そのテッサとやらいうご婦人も、たまたま春先で溜め込んでた栄養を消化しきった小さい状態しか知らなかったのかもな。奴の歯は鋭くて敏捷だし、噛まれると丈夫な魔族でも深手を負うことが多いらしい。エヴリンたちが警戒してなければ危険だ。見た目は可愛いらしいからな」
「そんな! すぐに参りましょう!」
俺は背中に嫌な汗が流れた。自分のためにエヴリンにケガを負わせるかも知れない、そう考えただけでも気分が悪くなる。ゾアやメメも心配だ。
執務室を飛び出して馬小屋に向かいながら、俺は必死に何事もありませんように、と祈っていた。