「……という訳でね、明日から私はミラーク採取に行こうと思っているの。パラディの町からは二、三時間の距離だって言うし、日帰り出来そうだから二人はのんびり待っててくれれば良いわ」
バーベキューパーティーの翌日、私は朝食の席で昨日テッサ夫妻と話が出来て改善策が見つかったことを伝えた。
二日酔いになって頭痛薬を飲んでいるゾアと、いつも通りのクールなメメは一人で行くのはダメだ、と反対した。
「あたた……ともかくエヴリン、あなたなら確かに山賊だろうとヘビやクマだろうと一太刀で何とか出来るとは思うけど、一頭とか一匹ならまだしも、大抵山賊って複数なのよ? 数の暴力って恐ろしいんだから!」
「さようでございますよ。大体腐っても我が国の王女なのですから、腕が立とうが単独行動はいけません。第一、私にすら敵わないではありませんか」
「まだ腐ってないわよ。……ただ私の都合でゾアやメメを巻き込んでいるのが本当に申し訳なくて。グレンのために、せめて薬草の採取ぐらいは自分の力でやらないと、意味がないじゃないの」
私の婚約者になって欲しいのは私の切実な希望でしかないのだ。
「やだわ、巻き込むだなんて今さらよ。昨日私たちは誓いのイノシシとウサギを心ゆくまで食べまくったじゃない。それに……ついでなら一緒にモーモーとか言うネズミもどきも捕まえましょうよ。肝ならかさばらないし、グレンだってもしかしたらチャレンジするって言ってくれるかも知れないし」
「余ったヘビもジューシーだとイルマ様が喜んでおられましたわ」
「あれが誓いの儀式だったとは夢にも思わなかったけど、モーモーの肝は死ぬほどマズいらしいの。テッサおば様は三日でギブアップされてたのに、そんなものをグレンに食べてくれなんて言えないわ!」
「ですが、それを食さないと体質改善は間に合わないんですよね? 本音で申し上げると、陛下が一年待ってくれなんて生ぬるいこと、お許しになると思いますか? むしろそれを理由にご機嫌で婚約破棄しそうじゃありませんか。まあまだ仮ですけれど」
「それはそうなのだけど……」
「グレンはやってくれると思うわ。一カ月間だけ苦いだのすんごくマズいだの我慢すれば、大好きなエヴリンと結婚出来るなら万々歳じゃないの」
『ワシも上から危険がないかどうか見とってやるから安心せい。メメにはモフモフにしてくれた恩義もあるしの』
「ネイサンまで……」
私の周囲は心優しい人(+コウモリ)たちばかりだ。……まあ行動は荒くれ者と大差はなかったりするんだけれどね、自分も含めて。
「……それじゃあ、悪いんだけどもう少しだけ付き合ってくれる?」
「もちろんよ! 私たち親友じゃないの」
「私はエヴリンお嬢様を赤ん坊の頃からお世話しておりますので、畏れ多いことですが娘のように思っております。歩く暴風雨みたいなお嬢様を一人で野放しにするなど、何をされるか不安でおちおち眠ってもいられませんし、何としてでもご一緒させて頂きます」
「メメに関しては、心配の方向性が私の望んだものと少し違う気がするけれどまあ良いわ。二人ともありがとう! 実は一人だと少し不安だったの」
「方向音痴だものねえエヴリンは。私たちがいなければずんずん迷いながら隣国まで行ってしまいそうよねえ」
ゾアが笑ったので私はムッとした。
「そういうことじゃなくて! ほら、もし私が戻らなかったら、志なかばで儚く白骨死体とかになってるかもとは思わないの?」
「えー、だってサバイバル能力も高いし、剣で魔物や動物倒せるし、火は起こせるし、小枝とツルほぐして網を作って川魚だって獲る女じゃないの。儚さというより、しぶとさと力強さと頼りがいしか感じないわ」
「本当に儚ければ、まずパラディの町まで自力で来ようとか考えませんわ」
「外見だけはアジサイおば様に似て儚げ美人だし、守って上げたくなるタイプなのにねえ。まったく見た目詐欺もいいとこだわね」
「ゾア様も人のことは言えませんわよ」
「あら確かに!」
楽しそうに笑っている二人を眺め、
(……結局、自分の日ごろの行いに合った人材が周囲に集まるのよね)
と己の手を見る。まあお茶を飲んでおほほほと噂話と悪口で盛り上がる人たちと話すより、今の状態の方が気楽で幸せなので問題ないのだけど。理解者がいるお陰で私も助かっているのだし。
「それなら明日からまた山歩きになりますし、私は少々雑貨屋で買い物をして参ります。枝で裂けたシャツも買い換えたいですし」
「あっ私も行くー。警戒心の高い動物なら、目立ちにくい色で上下を揃えた方が良いものね。エヴリン、あなたも一緒に行きましょうよ」
「そうね! ネイサンは少し留守番しててね。お土産に甘そうな果物買って来るから」
『おう。ワシはゴロゴロしとるから、のんびりして来たらエエ』
また明日から山ごもりである。
日に日に淑女とか王女というカテゴリーから逸脱して行く気がしないでもないけど、恋する乙女というのはなりふり構ってはいられないのよ。
翌日の早朝、私たち三人とネイサンは、先日作成した台車をコロコロしながらミラーク採取へ出発した。
私の祖父母は来て早々に慌ただしいなと苦笑していたが、それでも私が危険な目に遭うとは全く考えていないらしい。
「町の年寄りはみんな遠出するのが面倒だから、また美味しそうな肉を土産にしてくれると嬉しいな」
「ああ、川でマスとかいたらついでにお願い。ムニエルとか最近食べてないものね」
可愛い孫娘を移動商人や猟師のオジサンみたいに雑に扱うのはどうなのかと思うが、町の住人はとても親切だし色々気遣ってくれているので、獲物を持ち帰ることについては異論はない。恋の成就は山あり谷ありでこそ達成感があるものだし、こんなのは面倒なうちには入らない。
『おーい、そこから左の方一キロ辺りに黒い影が二体おるぞ。多分クマじゃ』
頭上からネイサンが羽根を羽ばたかせながら教えてくれる。
「クマがいるなら遠回りした方が良いかしらね」
「でも進行ルートかなり迂回しないといけませんわね」
メメと相談していると、面倒くさいじゃなーい、とゾアが言い出した。
「私が眠り薬塗った矢を射るから、サクッとやっちゃいましょうよ」
「ゾアったらもう、結局弓を使いたくて仕方ないんじゃないの。一カ月前の淑女はどこへ行ったのかしらね」
「いるわよずっと。私の心の中に」
「薄ぼんやりした思い出レベルに落ちましたわね」
「どうせなら手間掛かるから毒塗った方でお願い出来ないかしら?」
「ええ? ダメよ、だってクマならお肉が食べられるのよ? 食べたことないけど、掌とかもプルプルして美味しいらしいわよ。町の人が教えてくれたわ」
「あなた昨日バーベキューパーティーで、やけに熱心に町の人から聞いていたのはそれだったの? まったくもう」
私は呆れた。
「あら、人にとって食事は大事じゃないの。町の人たちもここ数年は食べてないって言ってたし、お土産にすればまたバーベキューしたりシチュー作ってくれるんじゃない?」
「ゾア様、流石に山の中とは言えよだれはお拭き下さい。ですがそういうことなら、毒物系の矢は使えませんわね」
「……まあ確かに食べるなら無益な殺生ではないものね」
上を旋回していたネイサンは耳が良いので、全部こちらの話が筒抜けだったらしい。
『……お前ら、本当に淑女とは思えんのう。ま、退屈はせんけども』
と呟いて空から先導してくれた。ただ二体は台車で持ち帰れないだろうということで、一体は邪魔だから毒の方で片付けるということで話はまとまった。
近くまで行くと、ゾアは身軽にするするっと木の上に登り、素早く二体のクマを射抜いた。倒れているクマのところまで行くと、ゾアはナイフを取り出して、
「こっち毒塗ってる方だからね」
と指をさし、眠らせている方のクマをさっくりと始末した。
台車からはみ出す大きさのクマで、三人がかりでようやく乗せられた。
ちょっとこれを持ったままミラークの群生地に向かうのは重たいし無謀よねえ、と意見が一致したのでいったん町に戻ることにした。
出て行って二時間もせず戻って来た私たちに驚いていた祖父母も、
「クマがいたのでみんなで片付けて来ました~♪ 今晩の夕食楽しみにしてまーす」
とゾアが笑顔で台車から転がしたクマを指差したら、町の人たちを早急に招集しとくと親指を立てる祖父と、主婦たちの腕の見せどころねえ、と張り切る祖母を置いて、私たちはまた森の中へ。
もう面倒だから帰りがけにしか狩りはしない、と全員で約束し、今度こそ群生地へ到着した。森を抜けるとかなり開けた空間が広がっていて、普通の草原のようである。
「……別に普通の草みたいに見えるけれど、テッサおば様の図解だとこれよね?」
「さようでございますね……少々失礼します」
足元に生えていた草を少しちぎると、メメは口の中に入れる。
そしてモグモグと口を動かす。一瞬の間を置いて、ばっと体が怒った時のように皮膚がうろこ状になって膝をついた。
「──ぐうえええええっっ!」
それでも私の前で嘔吐することは出来ないと考えたのか、四つん這いで木陰にカサカサと這って行くと、思いっきり戻し始めた。
「ちょ、ちょっと二人とも大丈夫?」
何故かゾアまで少し離れた草むらでゲーゲーやっている。何かしらこの地獄絵図は。
ゾアとメメは持って来た水筒から水を含むと、ぐしゅぐしゅとうがいをしては吐き出すを繰り返し、しばらくしてようやく落ち着いた。二人とも涙目だ。
「ねえメメ、そんなに苦かったの?」
「はい、刺すような苦みでございました。少し自然の猛威を舐めておりましたわ。苦いって言ってもせいぜい渋い果物みたいなものかと……」
「──私なんか葉っぱも食べてないわよ。さっさとむしっておこうかと葉っぱを集めて袋に入れてたんだけど、ちょっと枝に指を引っ掛けて少し切っちゃって。で大したことないからって口でくわえて血を止めようとしたんだけど、葉の汁が手についてたのね多分。いきなりガツンと口の中が猛烈な苦みに襲われて……もう毒物よねこれ。ネイサン、どこか近くに果物採れそうなとこない? まだ口の中がニガニガするわ」
『おお、そういや近くにあったな。少し酸っぱいがまだマシじゃろ。ちょっと採って来てやろう。待ってろ』
ネイサンが急いで飛んで行った。
彼女たちが身を持って確かめてくれたのでミラークであると分かった。
……私も一瞬食べて確かめようと思ったけど、やらなくて良かったわ。
でも、少しの葉っぱですらこの破壊力なのに、モーモーの肝とか混ぜたものなんてグレンが耐えられるとは思えないのだけど、
さて、私は一週間で戻る予定と父に伝えていたのだが、既に到着までに二日、パラディの町で五日を過ごしていた。
ミラークも大量に採取したし、テッサおば様からしなびると効果が落ちると言われたので、みんなでゴリゴリとすりばちで小麦粉と混ぜ合わせ丸薬にし瓶に詰め込んだ。もうグレンが一年飲み続ける量ははるかに超えている。
それでも私たちは帰れなかった。
何故ならば、モーモーが現れないからだ。
朝食を済ませるとメメの部屋で作戦会議である。
「もしかしたら別の群生地もあるのかしらねえエヴリン?」
「テッサおば様が言うには知る限りあそこが一番の群生地らしいのだけど……」
「ですが、朝から夕方まで身を潜めていても、全く現れる様子がございませんね」
グレンが挑戦してくれるかも、という淡い期待は持っていたが、無理強いはしない。でもどうせならば、いざという時に使えるように肝は持ち帰りたい。恋する乙女というのは自分勝手な生き物なのである。
ゾアは少しため息まじりに愚痴をこぼした。
「今じゃ私たちもお客さんと言うより、すっかり毎日お肉を獲って来てくれるハンターみたいな感じだものね。……まあジー様バー様は色んな話を知っているから、話していて楽しいし良いんだけど。私もそろそろキアルの顔が見たいわあ」
「そうよね。ごめんなさい……」
「やあね謝らないでよ。エヴリンの手助けをすると言ったのは私なのよ。要はモーモーさえ出てくれば良いだけの話なのよ。ね、メメ?」
「さようでございますね。……それと、陛下とゾア様のご両親にも、もう少し帰りが遅れると連絡致しませんと心配されますわ」
「ああ、それもあったわね」
祖父が軽い手紙程度ならば、パラディに住む吸血鬼族の中でカラスを眷属にしている人がいるそうで、数時間で届けられると聞いた。
しかし、父は一週間も留守にすることすら難色を示していたのだ。これでまだ戻るのが先になりそうなどと言えば、二度と旅行など許可してもらえないかも知れない。
どんな理由を付けるべきか、と手紙の内容に頭を悩ませていると、ベッドルームのクッションでくつろいでいたネイサンが起き上がった。
『──それならワシがひとっ飛びしてこようか?』
「え? ネイサンが?」
『ワシも毎日綺麗にしてもらってモフモフじゃし、礼代わりじゃ。グレンにも見せつけてもっと綺麗に洗えと文句も言いたいわい。それに、群生地だってもう行き帰りもみんな困らんじゃろ? ワシもやることなくて少し退屈でのう。陛下にもちょっと久しぶりなので祖父母と話が弾んでて、帰りが遅くなるとか適当に言っておけば良かろ?』
ネイサンが言ってくれるのなら話は早い。
私はネイサンの頭を撫でてお詫びをした。
「ごめんなさいねネイサン。それじゃ悪いけれど、甘えてしまって良いかしら? 申し訳ないけど、エンジーの町にいる副執事にも伝えておいてくれる? きっと心配しているだろうから」
『任せておけ。戻ったらほれ、あのベリーの砂糖漬けにしたのをくれれば良い。それじゃ、行って来るぞ』
そう言うと、開いていた窓からパタパタと飛んで行った。
「ネイサンが連絡してくれるなら一安心ね。私たちも何とかして早くモーモーの肝を入手しないと!」
「そうですわね。真っ白いネズミみたいな愛らしい生き物だって聞いたので、私実は会えるの楽しみにしているのですけれど」
「あんな苦い葉っぱを処理してくれている可愛い獣を狩るのは気が引けるけど、今回だけは勘弁してもらいましょう。ゾアが弓でサクッと眠らせてくれればすぐだわね」
「まー見当たらないものはどうしようもないわよね。さ、じゃあ今日も支度して頑張りましょっか」
私たちは身支度をすると、お馴染みになった感のある祖父母や町の人の期待に満ちた目に見送られてミラークの群生地へ出発した。
だが、気合を入れて行ったにも関わらず、モーモーはやはり現れず。その日はシカとヘビを捕獲したので、その晩はハーブを使ったシカの串焼きとヘビのタレ焼きを堪能し、また見た目は若いお年寄りたちと歌い踊るのだった。
……だって夜はやることないしね。恋する乙女でもストレス発散は必要なのよ。
【グレン視点】
『おうおう、花婿修行は頑張ってるかのう?』
夕方、自室で仕事のため着替えをしていたら、窓からネイサンがパタパタと飛んで来た。何だかやたらとフワフワしていて小綺麗だ。
「ネイサン、エヴリンの付き添いでパラディに行ってたんじゃ……え、もしかしてエヴリンが戻って来たのか?」
遠くからでも彼女を見ていたのが癒やしだったのに、ここ一週間いないだけで俺のモチベーションはだだ下がりである。ようやく彼女の姿が見られるようになるのか。
『うんにゃ。久しぶりで話が弾んでるで、もう少し滞在するらしい。陛下に伝えておかねば心配するだろうってんで、ワシがお前の様子を見に来るついでに報告に来たんじゃよ。──ところで、どうじゃ、この魅惑のモフモフボディーは?』
「そうなのか……ん? ああ、確かに綺麗になったな」
『そうじゃろ? お風呂で毎日洗ってもらってたからな。お前もマメにワシを洗うなりだな、もう少し敬わんと──』
俺はガシッとネイサンを掴んだ。
「……誰に洗ってもらったんだ?」
『ぐぇっ、メ、メメじゃよ。エヴリンたちの世話ついでにワシが汚いからってのう』
「そうか」
俺はホッとして手を緩めかけ、再びグイっと握る。
『これ、苦しいじゃろうが!』
「──まさか、見てないだろうな? エヴリンのその、は、は、」
『ほ? 風呂に入っとるんじゃから、流石に洋服は着とらんじゃろ。むしろ裸でない方がおかしいのでは──うぐっ』
「俺でさえ見たことがないのに……お前図々しいにもほどがあるぞ」
『いや別にワシがエヴリンやらゾアの裸見たところでどうということもないが、お前が見てたらただの覗きじゃないか。変態だぞ変態。ぎゃっっ』
腹立たしいが言っていることは至極まっとうなので、びよーんと羽根を広げてから離してやる。
『全く! せっかくモフモフを自慢してお前にも気遣いをしろと伝えに来たのに、こんなひどい扱いをされるとはのう。年寄りに対するいたわりっちゅうもんはないのかお前には』
「……今ネイサンは俺より幸せそうじゃないか」
俺がそう返すと、じっと俺の顔を覗き込んだネイサンが告げる。
『疲れが溜まっとるようじゃのう。──エエぞ、ワシの頭を撫でても』
「何でそうなる?」
『いや、別にエエんじゃよ? エヴリンが毎日沢山撫でてくれとるから触りたいんじゃないかのう、と思っただけで。それじゃワシは陛下のところへ──』
出て行こうとするネイサンを素早く捕獲した。
「それを先に言え」
『いだだだだっ、撫で方が荒いんじゃお前は! もっと優しく撫でろ。ハゲるだろうが』
少し肉付きが良くなったネイサンを撫でながら、俺は何で吸血鬼族だったんだろうか、と泣きそうになっていた。
エヴリンがずっと好きだった俺は、彼女を守れる人間であれるよう必死で鍛錬をして、騎士団に入ってからも剣の腕は磨いたし、勉強だって人一倍やった。魔族として人としても恥じぬ行いをしないよう自らを律していた。まあ中級魔族だし、王族である彼女とどうこうなるとはとても思えなかったが、人生何が起きるか分からない。万が一を考えたって悪くないだろうと自分に言い訳をしていた。
だが、成人して婚約者の候補になれる奇跡は起きたが、種族の特性だけはどうにもならないと実感した。
今も必死で起きているよう努力し、どうしても睡魔に負けそうなときは足に針を刺してでも耐えている。だがローゼン王自らが貿易や各国との付き合いについて指導して下さっているのに、段々と王の顔が歪んで来て言葉が耳に入らなくなって来て、油断すると目を閉じそうになってしまう。
昼間は本当に力が入らなくて、気力も集中力も衰える。これではとても先々国政など出来る立場にはなれないだろう。だが、エヴリンと結婚したいと思えばこれを克服しなくてはならない。
だが、本当に克服出来るのだろうか?
俺は大抵のことは努力次第で何とかして来た。でも種族の血はなまなかの力では難しい。最近頭が朦朧とすることも増えて、無理かも知れない、と少し弱音が出そうになる自分もいる。
『気が済んだか? とりあえず、ワシは陛下に会って来るで』
「俺も行く」
身支度を済ませてネイサンと寮の部屋を出ると、そのまま王の執務室へ向かって歩き出した。
「……何だと? まだパラディにいるのか?」
案の定、ローゼン王の眉間のシワが深くなった。
『ええ。まあ久しぶりの孫との交流が楽しいんじゃないでしょうかのう。まあそんな訳で、もう数日帰りが遅れるとのことでござ──』
目の前のネイサンの体をきゅ、と掴んだローゼン王は薄く微笑んだ。
「のうネイサンよ、お前何か隠しておるだろう?」
『なっ、何のことですかな?』
「私はな、これでも王なのだ。お前がさっきからまともに私と目を合わせぬのは、何か話したくないことがあるからであろう? だてに長年にわたって腹の読めぬ他国の大臣たちと交渉をして来ていないのだ。大概のことは分かるぞ?」
『……はて、何を仰っておるのやら』
「そうか。……ほう、今気づいたが毛並みが整っておるのう。とりもちでベッタベタになったまましばらく放置したら、剥がすのが大変そうだな。まだらハゲになったら威厳もクソもないんじゃないかな」
『陛下ともあろうお方が脅しでございまするか』
ローゼン王は笑みを深めた。
「──脅し? 脅しというのはな、実際にやらないことをさもやるように言うことだ。私は昔から有限実行だよ」
そう言うとメイドを呼び、とりもちを持って来い、と命令した。俺はネイサンがぷるっと震えて俺を見たが、かばいたくても嘘は良くない。
メイドがとりもちを運んで来てサイドテーブルに置いて下がると、ローゼン王はさて、とハケを握りネイサンに向き直った。
「王自らがまんべんなく塗ってやるぞ。ありがたく思え」
『ままま、待って下され! 嫌じゃ、せっかくメメに綺麗にしてもらったのに、ばっちくなってハゲるのは嫌じゃああっ!』
ローゼン王の手の中で暴れるネイサンに俺は言う。
「まさか自分にも隠しごとをしているとはな。さっさと吐けネイサン」
『わっ、分かりましたじゃあっ!』
味方がいないと悟ったネイサンが白状するのは早かった。
「……あのバカ娘、モーモーを捕らえるだと?」
「エヴリン姫……」
俺は、エヴリンが俺を助けるために体質改善の薬草を集めに行っているとは思ってもいなかったし、もっと効能があるモーモーの肝まで獲ろうとしていることを知り胸が熱くなった。彼女は昔から誰に対しても優しい。幼馴染みの俺が苦労しているのを知って、力になろうと動いてくれたのだろう。そういう優しいところが大好きだ。……まあ彼女に俺の気持ちは伝えていないので、本気で俺が権力ではなくエヴリンそのものを手に入れたいと思ってはいないだろうが。それでも自分のために動いてくれたのがたまらなく嬉しいのである。喜びに身震いした。
「ネイサン、そのミラークの群生地は分かるんだな?」
『それは分かりますが』
「良し。すぐ支度して出発する。お前も来いグレン」
ローゼン王は立ち上がった。
「は。……しかし陛下、何故そんなに慌てておられるのですか? エヴリン姫もゾアも、メメまでいるんですよね? 正直、そこらの男が数人でかかっても敵わないぐらいの戦力ではありませんか?」
「普通ならな。……だが夏場のモーモーというのはえらく成長するんだよ。寒がりで冬場全く出て来ないから夏に食いだめをするんだ。普段の倍ぐらいだそうだ。だから体もでかくなる。通常は体長二メートルで百キロないぐらいの、まあ子熊レベルだが、夏場は百五十キロぐらいになる。しかも敏捷で、食事を邪魔されると怒って恐ろしく攻撃的になる。クマよりたちが悪い」
『なんと……そんな話聞いておりませぬぞ』
「そのテッサとやらいうご婦人も、たまたま春先で溜め込んでた栄養を消化しきった小さい状態しか知らなかったのかもな。奴の歯は鋭くて敏捷だし、噛まれると丈夫な魔族でも深手を負うことが多いらしい。エヴリンたちが警戒してなければ危険だ。見た目は可愛いらしいからな」
「そんな! すぐに参りましょう!」
俺は背中に嫌な汗が流れた。自分のためにエヴリンにケガを負わせるかも知れない、そう考えただけでも気分が悪くなる。ゾアやメメも心配だ。
執務室を飛び出して馬小屋に向かいながら、俺は必死に何事もありませんように、と祈っていた。
「今日も収穫なしだったわねえ……」
「もしやと思った影もイノシシだったものねえ」
「まあ有り難く狩らせて頂きましたし、デュエル様たちも大喜びでしたけれども」
ネイサンが伝言コウモリとして空に消えて行った日も、私たちはモーモーの発見に至らなかった。まあレアな生き物と呼ばれているのにそう気軽に現れる訳もないのだけれど、念じれば通ずるみたいな甘い気持ちがあったのよね。
私たちは恒例の夕食バーベキューの後、お風呂で愚痴をこぼし合っていた。
メメに頭と体を洗ってもらい、湯船に浸かる。
ゾアがメメに洗われている間に、私は何かもっと良い方法がないか考えていた。
ふと、気づいたことがあり、メメたちに声を掛ける。
「……ねえねえ、モーモーって基本的にミラークしか食べないじゃないってことは、すりつぶしたミラークを腕とかに塗れば、もっと香りが広がって、モーモーが引き寄せられないかしら?」
「──うーん、そうねえ。悪くはないけど、体にアレ塗るの? 悪臭とまではいわないけど、ちょっと刺激のある香りじゃない?」
「口に入れた時の衝撃ほどではございませんけれどもね。確かに、すりつぶすと酸っぱいような独特の香りが強まりますね」
「でしょう? 強まるってことは、動物の嗅覚って私たちより何百倍もあるって言うし、集まりやすくなるんじゃない?」
「そうね。どうせなら色々試さないと、いつまで経っても帰れないわよね。いいわ、明日試してみましょ」
私たちもいつまでもここでハンターをしている訳には行かないのである。
翌朝、群生地へ向かった私たちは、二の腕の辺りにミラークの葉の汁を塗っていた。手のひらから肘辺りまではうっかり舐めたら地獄を見るのと、香りがキツいためだ。
今日も到着してから二時間、身を潜めて辺りを監視しているが全く動きはない。
必ず現れると言われて待つのと、現れるかも知れない、では心身の疲れがまるで違う。私たちは今日もダメかも知れないという諦めの心境にあった。
「……もう少し待ってみて来ないようなら岩場に移動して昼食にしましょうか」
私はゾアたちに小声で話し掛ける。
「そうですね」
「今日はイルマおば様特製の炙ったイノシシ肉を入れたサンドイッチだったわよね。マスタードが効いてて最高に美味しいのよねえ……お腹空いて来ちゃったわー」
「…………あ」
私はとっさに唇に指を当て、もう片方の腕で前方を指差した。
真っ白な毛並みのグラマラスなボディー。ネズミっぽい見た目。
あれはきっとモーモーだ。初めて見た。だけど、聞いていた話では大きくても私たちの身長ぐらいって言ってなかっただろうか?
私の視線の先に見えるモーモーは、少し離れていることを差し引いても体が二メートルはゆうに越えている。
ちょこちょこ動き回りながらミラークを食べている姿を見ながら私は囁いた。
「……アレ、ちょっと大きすぎない?」
「かといって、毒矢を使ってしまって肝取る時に万が一血に毒が混じっても困るしね。でも、あの大きさで眠り薬塗った矢が効くかしら……動きも思ったより素早いわね」
そう言いながらもゾアが背中からそっと弓を引き抜いた。
慎重に狙いを定める姿を息を止めて見守る。
「──ちっっ」
弓を放ったと思ったら小さくゾアの舌打ちが聞こえた。外してしまったようだ。モーモーは体を起こし、鼻をうごめかせて周囲を警戒してチチチ、と歯を鳴らしている。
ゾアが慌てて二の矢を放とうと矢をつがえたが、私たちの気配に気づかれた。
こちらに向かって走って来る様子に矢を撃っている時間はないと判断し、ゾアはナイフを腰の鞘から掴んで引き出した。私も長剣を鞘から抜き払う。
「エヴリンお嬢様、ゾア様、離れないで下さい。行きますわよ!」
メメもニードルと呼ばれる刀身が針のように丸く細長い剣を掴むと、真っ先に草むらを飛び出した。
ギイイイッ! っと声を上げながら威嚇するモーモーに、私たちは何とか致命傷を与えようと動き回ったが、とにかく動きが素早く思った以上に傷を負わせることが出来ない。また爪が固く長いので、打ち下ろした剣が振り払われる形で弾かれてしまう。だが、ようやく現れたモーモーだ。絶対に逃がさないわ。
(……やった!)
しばらく攻撃を仕掛けていると、私の剣がモーモーの肩口を裂き、血が流れたモーモーからギッ、と悲鳴が上がる。
だが私も大きな攻撃が当たったので油断していた。モーモーが剣を避けようと振り回した爪が左腕に当たり、一瞬の後に一気に流血した。四本の線が走ったような切り傷を見て、ゾアが悲鳴を上げる。
「エヴリン!」
「大丈夫よこれぐらい! それよりよそ見をしないでっ!」
「エヴリンお嬢様、前に出過ぎです! お下がり下さい!」
「嫌よ! ここで諦めたら何のためにずっと待ってたのよ! それに皆が傷つけられる方が怖いわよ!」
全てはグレンのためである。つまりは自分のためなのだ。せっかく付き添ってくれた友だちのゾア、第二の母のような存在のメメ。己の欲望のために彼女たちにケガを負わせる訳には行かないのだ。
私は更に一歩前に出る。
すると頭上から『おーい、お前たちー!』と念話が届いた。
「……ネイサン?」
モーモーから視線を離さずに声を上げると、背後の方から馬のいななきに続けて父の声が聞こえた。
「エヴリンッ!」
「エヴリン姫!」
あらグレンの声まで聞こえたわ。幻聴かしら?
だが振り向きたくても、私たちに手傷を負わされ気が立って攻撃してくるモーモーからの防御で目を離せない。
馬の足音が近くで止まる気配がして、すぐ横に誰かが立った。
「エヴリン、大丈夫か?」
「──やっぱり父様だったのね? 一体どうしてここへ……」
「詳しい話も説教もあとだ。ケガはないか?」
「えーと……まあ大したことはないわ」
構えた剣をそのままに腕を父に見せたら、ひゅっと息を飲む声がした。
「……大事な娘に流血させおって。クソネズミめ、楽には殺さんぞ」
構えた大剣を恐ろしい速さでモーモーに振るい、あっさりとモーモーの右腕がぽとん、と落ちた。
グギギイイッ! モーモーが大きな悲鳴を上げる。
「エヴリン姫! ひとまず皆さんと下がって下さい! あとは陛下と私が相手をします!」
「グレン……」
彼らの前では私たちは足手まといでしかない。ゾアやメメに手で後方へ合図をし、私もそっと下がった。
お陰でようやくまともに姿を見られたが、広々とした背中まで神々しいわグレンは。
だが父は昔から向かうところ敵なしという常識外の強さだったので良いが、最近グレンが戦う姿を見たことがなかった。
ハラハラと見守ったが、心配することもなく、父とグレンの二人で大した時間も掛からずに倒してしまった。グレンが執拗に爪の辺りを攻撃しながら「万死に値する」「尊い血を……」などとブツブツと言っていたが、少し離れていたため細かくは聞き取れなかった。
動かなくなったモーモーを見て更に心臓辺りにとどめの一撃を加えようとした父を見て、ハッとした私が慌てて止めた。
「待って父様! 肝が必要なの!」
すんでのところで止まった父は、忌々しそうに剣を収めた。
私はゾアと協力して腹を裂き肝を取り、メメが取り出した革袋に入れる。
「ああ、良かったわねえ!」
「良かったけど……ローゼンおじ様とグレンが後ろでめちゃくちゃ怖い顔してるわよ」
「言わないで。怖くて振り返れないもの」
「諦めましょうよエヴリンお嬢様。とりあえずパラディに戻って傷の手当てをしてからのお話ですわ。最悪、傷が痛くて辛い、とか言って本日は逃げ切りましょう。どうせ帰るのは早くても明日ですし」
「そうねそうね」
ひそひそと会話を交わしつつも、私たちは何とか逃げ道はないかとあがくのだった。
「昔からエヴリンは向こう見ずなところがあって、私はいつも心配していた」
「はい申し訳ありません!」
「大体私たちが間に合わなければ、皆が命に関わるかも知れなかったのだぞ?」
「全くもってその通りです。本当にすみませんでした」
「ローゼンおじ様、本当にごめんなさい! 私も自分の力を過信してました!」
「陛下、私もエヴリンお嬢様を守り切れずおケガを負わせてしまい、言葉もございません。自分の不甲斐なさが情けのうございます」
逃げ切ろうと思っても逃げ切れるはずもなく、パラディの町に戻った私たちは、祖父母の家のリビングの床に座り、ただひたすらに父に対して頭を下げていた。
私は包帯を巻かれた左腕を見ながら、事前の情報収集の甘さを後悔していた。恋する乙女というのは目的に向かって一直線で、まさにイノシシの如くなのである。私自身も腕にそこそこ自信があったので、モーモーの件も何とかなるんじゃないかと軽く見ていたところもある。それでゾアやメメまで危険に晒していたのだから世話はない。
「エヴリン姫……こう申し上げては何ですが、リスクも考えずに危険に立ち向かうなど、王族としての振る舞いではございません。軽率かと思われます」
「……自分でもそう思います」
さらにはグレンにまで叱られてしまった。軽蔑されてしまったのではないかと考えると胸に痛みが走る。
ソファーに座り、黙って話を聞いていた祖父母だったが、祖母が穏やかに告げた。
「まあまあ、エヴリンたちも反省しているのだから、そんなに叱らないでちょうだいなローゼン。私たちも夏場のモーモーがそんなに凶暴だとも大きくなるとも知らなかったのだし。イノシシやクマが狩れるぐらいだから大丈夫だと思っていたのよ」
「しかし母上」
「──ローゼン。いつまで過ぎたことをグチグチ言うの? みっともない、それでも国を治める王ですか?」
強面の父にこれだけ強気な発言が出来るのは祖父母ぐらいである。父がぐっ、と言葉に詰まると祖父が笑った。
「まあエヴリンも軽傷で済んだのだから何よりじゃないか。結果モーモーも仕留めたんだし、目的は達せた訳だ。なあ?」
私にウインクをする祖父。
「しかし父上。いくら幼馴染みの婚約者候補のためだからと言って、王女自らが進んでこのような無謀な行為を行うのを見過ごす訳には参りません」
傍で控えていたグレンが深々と頭を下げた。
「幼い頃よりエヴリン姫は友人思いで、そのために何かあると全力を注いでしまうようなところがございました。今回このような事態になりましたのも、幼馴染みである私が婚約者候補になってしまったからかと思います。誠に申し訳ございませんでした」
「グレンが謝る必要はないわ。私が軽率だっただけなの」
私はグレンに謝罪させるために努力したのではないのだ。罪なら私にある。
「父様。私はどんな罰でも受けますけれど、グレンには全く関係のない話です。彼に対して処罰を与えるのだけは止めて下さい」
「……そもそもグレンが吸血鬼族だったからこそお前は動いたのだろうエヴリン? 全く関係ないとは言えないと思うがな」
「父様……」
我慢出来ない、といった感じでぷぷーっと祖母が吹き出した。
「やだ、ローゼンったら、娘がよその男のために動くことに単に嫉妬してただけじゃない。我が息子ながら本当に恥ずかしいわー。ねえあなた?」
「いや本当になあ。子煩悩は良いが、限度を考えんと情けないぞローゼン」
「そっ、そんな話ではありません!」
父がアワアワするのはとても珍しい。
祖父が何か言おうとする父を制して続けた。
「どちらにせよもう終わったことだ。エヴリンは充分反省しているし、次回からそんな無茶をすることもあるまい。そうだろうエヴリン?」
「はい」
「だからこの件はもうおしまいだ」
「ですが──」
「私がおしまいだ、と言ったらおしまいなんだよローゼン。もちろん、そこのグレン君への処罰も不要だ」
流石は元国王である。威厳というか一言の重みがすごい。昨日まではバーベキューでお酒を飲んで肉を食い散らかし、陽気に歌って騒ぐ見た目の若いおじいちゃんだったのに、いざという時は決めて来る。
お祖父様最高! 一生感謝します!
祖父の言葉に渋々ながらも了承した父だったが、私を見て質問を投げ掛けた。
「まあ今回の件は不問にするとしてだな、疑問なのだがその──そうそう、ミラークだとかモーモーの肝というのは本当に体質を変えられるのか?」
「パラディにお住まいのテッサおば様が吸血鬼族で、リザード族の旦那様と結婚するためにそのミラークを丸薬にして飲んだのだそうです。実際に昼間起きられるようになるそうですわ。ただ……」
「ただ?」
「ミラークだけを丸薬にした場合は一年掛かるそうです。それでミラークを食べているモーモーの肝を合わせて薬にすると、期間が一カ月になるというのでつい……」
「ふん、なるほどな」
「──私はミラークの話、今回初めて聞きました。ですがその薬を飲めば、私は昼間起きていられるようになるんですね?」
グレンが呟いた。
「グレン待って。今回モーモーの肝は獲って来たわ。だけど、これは無理強い出来るものじゃないのよ。とっても覚悟がいるものなのよ」
「……それはどうしてでしょうか?」
「えーとね……ミラークって有り得ないほど苦いのよ。それで、それを餌にしてるモーモーの肝というのも、私は味を知らないのだけど──」
「この世の終わりみたいな味がするそうなの。先ほどのテッサおば様は三日でギブアップしたそうよ」
ゾアが横から口を出した。
父が鼻で笑った。
「バカバカしい。甘い物が好きな女性は多い。だからそう感じるのだろうが、男はかなり苦みに強いぞ? 苦いと言われる塩漬けにした魚のワタだって良い酒のつまみだ」
私はゾアとメメを見た。経験者にしか分からないやれやれ感が全身から漂っている。
「……あの、父様は実際にミラークの味を知らないので分からないと思いますわ。本当に平気なのかどうか、ほんの一口でかまいませんので味わって頂いても?」
「ああ、持って来なさい」
私は立ち上がると、丸薬ではない葉っぱの方を一枚持って来て父に差し出した。
「父様、本当に苦いので無理をなさらず。端っこの方を少しだけでかじって──」
「大丈夫だと言っているだろう」
私が注意したのが気に入らなかったのか、一枚丸々口の中へ入れモグモグ。
あ、と思った時にはもう遅く、顔面蒼白になった父が口を押さえて素早く立ち上がり、トイレへ向かって見たことないほどのスピードで消えて行った。少し経つと明らかに嘔吐を繰り返している音がする。
「だから言ったのにもう!」
私は心配で見て来ようかと思ったが、祖母が放っておきなさい、自業自得なのだからとクスクス笑った。
「それに毒じゃないし。ミラークは確かに苦いけど実は薬効があるのよ? 血を綺麗にする薬とか、頭痛薬なんかにも使われてるわ。まあ分からないほど少量だけどね」
「……ああ! 良い薬ほど苦いとか言われますものね!」
ゾアがポンと手を合わせた。メメがなるほどと頷いた。
「薄めて使うべきものを原液で味わったようなものだったのですね、私とゾア様は」
「毒じゃなくても二度と味わいたくはない苦さだったけど……あ」
グレンがいるのを忘れていたゾアが口を押さえ、慌てて続ける。
「グレン、あ、あのね、確かにとても苦いんだけど、丸薬にしたからまだ飲みやすいと思うの! いや、肝を混ぜてなければきっと大丈夫だと思うのよ私!」
「……肝、混ぜないと一年掛かるんだよなゾア?」
父がいなくなったためか普段の口調に戻ったグレンがゾアに尋ねた。
「ええ、そうらしいけど……」
「──じゃあ肝を混ぜた方を飲む」
そう言い切ると、私に目を向ける。
「エヴリン、迷惑を掛けてしまって済まない。幼馴染みの手助けだからとはいえ、こんな大変なことをさせてしまって、俺は情けない」
「え? あ? えーと……」
グレンは単に幼馴染みだから私が助けようと思っているのだろうか? 昔から女心とかそういう繊細な感情には疎かったけれど、いやまさか、という気持ちである。
「だけど友人に甘えてばかりもいられない。俺は俺でそのミラークを飲んで、何としてでも昼間起きて動けるようになり、そしてっ……」
ハッと我に返った彼は、私に一礼した。
「エヴリン姫、ご助力を心から感謝致します。私は、必ずや体質を克服して改めてお気持ちをお伝えしたいと思います! 少しだけお待ち頂けますか」
……いや、だからいつでもウェルカムなのだけど私。
と言うかお気持ち表明は今でも良いのよ個人的には。
彼の口からはっきり気持ちを聞かないと安心出来ないじゃないの。
やがて父が戻って来た。吐くだけ吐いてうがいをしても口の中が苦くて気分が悪いと、テーブルに載っていたブドウをわし掴みして、グレンを連れて彼ら用に用意された寝室に消えて行った。何とも慌ただしい。
祖父母が私を見ながら、
「──エヴリンのお相手って、結構アホなのねあなた」
「いや、まあ真面目というか、察しの力が弱いだけだろアレは」
「まあエヴリンもほら、アレだし。ある意味お似合いよね」
「そうだな」
などとひそひそ話をしている姿を見て、何だかいたたまれない気持ちであった。
私たちはパラディの町の人々から本気で惜しまれつつ帰路に着いた。
祖父母は目頭を押さえながら抱き締められ、肉はまだ沢山あるので良いがまた気が向いたら肉を土産においで、魚も大歓迎だ、どうせなら塩漬けやタレに漬け込んで長期保存するから長めの滞在が良い、などと確実に移動商人か無料ハンター認定をしていたが、結婚式が決まったら必ず連絡してくれとも言ってくれた。
「可愛い孫娘の花嫁姿を見ないと死ぬに死ねないからな」
「そうよねえ」
「お祖父様お祖母様、その台詞、肉や魚の話よりも前にして頂きとうございました。感動が台無しです。でも久しぶりにお会いできて嬉しかったですわ」
「また遊びに来ますねーデュエルおじい様、イルマおばあ様。あ、うちのお祖父様とお祖母様もね!」
ゾアも笑顔で自分の祖父母に手を振る。
彼女の祖父母もご両親も物静かで穏やかな紳士淑女なのだが、なぜこの上品な血筋にこの子が紛れ込んでいるのか不思議でならない。だがこれを深掘りしてしまうと、自分と友だちになったせいだという結論になってしまうのは明らかなので、深い穴に記憶を落とし、永遠の秘密として土をかけておこう。
さて、無事に王宮に戻ったところで、私には真っ先にやらねばならぬことがあった。
そう、モーモーの肝を使った薬を作ることだ。
ミルクで血抜きをした肝を天日に干して乾燥させた後、ゴリゴリとすり鉢で粉末状にする。そしてミラークの葉もゴリゴリとつぶしながら混ぜ合わせて行く。二つが合わされたことですごい刺激臭が発生している。目から涙が止まらない。童話で魔女が毒薬を調合している恐ろしいシーンがあったが、部屋に漂う臭いだけであの恐ろしさをスキップで軽々と飛び越えられるほどの恐怖がある。
臭いがすごいだろうと普段使ってない空き部屋を使用したが、廊下を掃除していたメイド二名が部屋から漏れ出す刺激臭を嗅いで気を失った。
メメも私と同じく鼻に詰め物をし、さらにスカーフで鼻と口を覆って作業を手伝ってくれたが、それでもこぼれる涙は止まらないし、目はお互い充血して真っ赤である。
「……それにしても想像を絶する臭いですね」
「薬効があるのは聞いたけれど、それにしてもすごいわよね……」
ようやく全部混ざって葉の汁でどろどろの液状になったものを見つめたが、赤黒いというか濃い紫というか、何とも言いがたい闇の薬の元が無事出来上がった。
「本来なら人も魔族も決して口にしてはいけない色合いでございますね」
「混ぜなくても危険、混ぜたらもっと危険って感じよね。グレンも可哀想に……挑むと口にしてしまったばっかりに」
私は本当に無理をしなくて良いと伝えたのだが、父がミラークの味を知った後になってやたらと協力的になった。
「この味に更に苦みが足されたもの……想像がつかんな。しかしその薬を一カ月飲み続ければ、今のように講義をしていても目を開いたまま眠っているような状態からも抜け出せるのであろう? 娘のためとは言え、並々ならぬ苦行だ。そんな楽し……苦しみも、国の、ひいては娘のためならば耐えられるのではないか? 少なくともその試練を乗り越えてこそ、道は開かれる。そうだろうグレン?」
「はい! 私も国を守り、エヴリン姫を守るため、どんな試練も乗り越えて当然かと考えます」
「──そうか。期待しているぞ」
頭を下げたグレンの肩に手を乗せて労っていたが、父の顔は満面の笑みを浮かべていて、仏頂面でも美丈夫なのに、まるで神の降臨とばかりキラキラと輝きを放っていた。
あれは期待をしている笑みではなく、私以上に悶絶して欲しいという期待感に違いない。戻って来てからも、普段飲まないオレンジジュースやチョコレートに手をつけているぐらいだ。ゾアもメメも味を知っているが、やはり相当後に響く苦さなのだろう。
「……私も味わって見た方が良い? 流石に不公平だものねえ」
すり鉢の中の物体を見ながら勇気を振り絞ってメメに訴えたが、即座に却下された。
「吸血鬼族は古き時代、長期にわたり血を糧としていた時代があったため、通常の飲食をするようになってからの歴史は浅いのです。そのため、大きな声では言えませんが味に対しての許容範囲が広いのです。感覚が鈍いとも言いますけれども。だからミラークやモーモーの肝にも耐えられるのです。私たちのように食べることに貪欲な魔族には攻撃力が高すぎるんです。ゾア様も一生忘れられない味だったと仰ってました」
「そうなの……何だかグレンに飲んでもらえるのは嬉しいけど、その苦さも分からない状態だから、何だか申し訳なくて」
「──小さな頃、エヴリンお嬢様がクッキーを作ったの覚えておられます?」
「え? ああ、覚えているわ」
グレンに食べてもらいたいと思って一生懸命作ったのだが、塩と砂糖を間違えてやたらとしょっぱいクッキーが出来上がった。
「ゾア様や他のご友人方も、一口食べてむせたり吐き出したりされましたでしょう? 私は必死で堪えましたけれど」
「そうだったわね。見た目が綺麗に焼けたからって味見もしてなかったから」
「でも、グレン様は美味しい美味しいってバクバク食べてましたわよね? あれは、もちろんしょっぱいとは感じていたのでしょうが、それでもむせずに食べられる種族独自の鈍感な舌あってこそですわ。グレン様本来の優しさもあるでしょうが」
「そうなのよ。彼は本当に優しいから、マズいものでも絶対に食べてくれてたのよね……それなら、この薬も皆よりは楽に飲めるのかしら?」
「そう思いますわ。──ですがこのドロドロのままでは丸められないですし、小麦粉を入れてクッキーの種のようにして固めませんと……それと丸める際には流石に直接触らないといけませんから仕方ないですが、決してその手を洗うまでは絶対にどこにも触れてはいけませんよ? 肝を使った状態だと先日の苦しみ以上でしょうから」
「わ、分かったわ」
私とメメは慎重な動きでせっせと大きめの丸薬を製作して行った。
「……この丸薬が、アレなのですね?」
「そう、アレなのです」
どうしても自分も一緒にその場に立ち会いたいと父が駄々をこねたので、例の丸薬はグレンを夕食に招いて、食後にその場で渡すことになった。
綺麗な瓶に入っており、一見してチョコトリュフか何かのようにも見えはするが、蓋を開けても決してカカオの香りはしない。
「毎日、夜に一つずつ服用して下さい。舌に乗せただけでも痺れるような苦みだと思うので、決して噛んだりしないで、水で早急に流し込んで欲しいのです」
この丸薬を作ったあと、五回ぐらい石鹸を付けまくって手を洗わないと臭いも取れなかったと言う劇薬に等しい存在である。もう手がカッサカサだ。
「本当に……本当に申し訳ないのだけれど、当然吐いてしまうと効力が無くなるので、何とか耐えて体内に取り込んで下さい」
グレンが私の言葉に少し不安そうな顔になった。
彼は大げさに言っていると感じるのかも知れないが、嘘いつわりなく事実に基づいた忠告である。大体父もあれだけゲーゲーやっていたのを見ていただろうに。味覚のボーダーラインが緩い吸血鬼族には他人事なのだろうか。
「可愛い娘が自らの手で作ったものだ。当然、問題なかろう? そうだなグレン」
「……ええ、もちろんです」
「グレン……その、どうしても無理だったら──」
「いえ! 全く問題ありません!」
グレンは笑顔に戻ると、大事そうに瓶を受け取った。
「──どうかねグレン。ここで試しに一つ飲んでみたら? もう夜なのだし」
「父様!」
「エヴリン、私は別に彼に意地悪をしたくて言っている訳ではないのだ。飲んだ後どういう状態になるのかを事前に知っておかねば、病気なのか薬の症状なのか分からないだろう? 変に周囲が大騒ぎするようなことになるのは避けたい」
もっともらしいことを言っているが、単にグレンが悶え苦しむさまを見て先日の自身の辛さを味わわせてやりたいと思っているに違いない。だって目が楽しそうだもの。
「それもそうですね。……分かりました。今こちらで飲ませて頂きます。申し訳ありませんが水を頂けますでしょうか?」
傍に控えていたメイドに声を掛け、水差しと水をなみなみと注いだグラスを受け取ったグレンは、一呼吸おいて瓶のふたを開けた。一気に広がる刺激臭。
「……っっ!」
父も葉っぱだけだった時とは段違いの臭いの暴力に、一気に眉間のシワが深まった。そりゃそうよね、私もメメも鼻に詰め物して更にスカーフで防御してたんだもの。とっさにハンカチで鼻と口を覆ったが、私は既に涙目だ。
グレンも驚いて持っていたふたを落としていたが、目をしばたたかせ、一粒取り出してすぐにふたを戻す。丸薬が一つ出ているものの、まだ大量の刺激臭からは逃れられてホッとする。
「頂戴致します」
覚悟を決めたグレンがグラスを片手に丸薬を口に入れた。すぐ水を飲んで流し込もうとしたようだが、その瞬間、顔が真っ赤になり、体が電流を流されたようにブルブルッと震え、持っていたグラスが音を立てて床に落ち、割れた。
「グレン! 誰か新しいグラスを!」
私は近くのメイドに叫んだが、そんなのを悠長に待っている時間もなかったのだろう。口を押さえて素早く水差しを掴むと、そのまま一気に飲み始めた。
恐ろしい速さで減っていく水に、私も父も唖然と見守るばかり。
ほぼ水差しの水が空っぽになったところで、グレンが水差しをテーブルに戻した。
「……グ、グレン? 大丈夫?」
「大丈夫で……」
言いかけてグレンがそのまま失神した。
「おい! グレン、しっかりしろ!」
がくがくと父が体を揺らしたが目覚める気配はない。ただ脈もあるし心臓の動きも少し早いが正常だ。常駐している医師を呼んで診てもらったが、命に別状はないと言う。
そのまま寮の部屋に運んで寝かせることにした。
「……何と言うか……あれだ、体質を変えるというのは、大変だな」
最初は楽しそうに見ていた父も、グレンの様子を見て少し顔色を変えていた。
私も予想以上の結果に半泣きである。まさかあそこまでひどい状態になるなんて。きっともうグレンは飲みたくないだろうし、私も勧められないわ。
テッサおば様が三日でギブアップしたって言っていたけど、葉っぱだけではないんだものね。聞くと見るとじゃ大違いだったわ。
(グレンとの結婚はもう諦めるべきなのかも知れない……)
グレンにあんな負担をさせるのは間違ってる。私の都合で彼にだけ大変な思いをさせられないもの。明日、彼にもうやらなくて良いと伝えなくては。
やはり、種族の違いというのはそんなに簡単なものではなかった。
深夜遅くまで天井を見つめつつ訪れない睡魔を待ちながら、私は何度も寝返りを打っていた。
よく眠れないまま夜が明け、もう起きようとベッドから降りて化粧室で顔を洗い歯磨きをする。
朝食の際、いつもはあれこれ話し掛けて来る父が、珍しく寡黙である。もしかすると私に気を遣っているのかも知れない。
朝食を済ませ、あの悪夢のような丸薬をどう処分したものかと考えていると、メメが私の方へ近づいて来た。
「エヴリンお嬢様、グレン様がお見えになりました」
「え? ……そう、通してくれる?」
そうか。彼もやっぱり早く断りを入れたいんだわ。そりゃあそうよね。
私はため息を吐いた。
「失礼致します」
食堂へ入って来たグレンは昨夜、自分が丸薬を飲んだ後で倒れたと医者から聞いて慌てたらしい。父と私に深々と頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした! 私としたことが何という体たらく……ご迷惑をお掛けしてお詫びの言葉もございません」
「良いのよ。アレが相当マズいらしいのは皆が把握しているの。肝を混ぜたものは誰も経験がないのだけれど、原料から想像は出来るわ」
「──うむ。ミラークの葉ですら相当なものだったからな。私もまさか気を失うほどとは思わず、無理強いをしてすまなかった」
「いえ、お陰であの薬が効果があることが分かりましたから、私も嬉しいです!」
「……え?」
「……どういうことだ?」
何だか様子がおかしい。私は首を傾げた。あんな恐ろしい丸薬はもう飲めないから婚約については慎んで辞退する、みたいな流れになるのではないのかしら?
父と私の不思議そうな様子を見て、言葉足らずですみません、と続けた。
「その、私は記憶が途切れているのですが、倒れてから自室のベッドに運ばれていたようで、目覚めたのが今朝の六時前だったのです」
「……はあ」
ピンと来ていない様子の私たちに、
「お分かりになりませんか? 夜、いくら頑張ってもベッドに横たわるだけで全く眠れなかった私が、【夜】に眠ったんです!」
「──ああ!」
いや眠れたのではなく気を失っていたのでは、と一瞬思ったが、本人がとても嬉しそうだったのでそこには触れずにおいた。
「なるほど……言われてみれば確かにそうだな。まあ起きてはいなかったし」
父も何か言いたげではあったが、頷いて見せる。
「もちろん一度飲んだだけですし、昼間に眠くならない保証はありませんが、強制的に眠りに落ちたことで、少しずつ昼間の睡魔も堪えられる時間が増えるのではないか、とかように考えます」
「あの……グレン、間違っていたら申し訳ないけれど、まさかこれからもあの丸薬を飲むのを続けるつもりなのかしら? 倒れて記憶が飛ぶほどの辛い思いをしたのに?」
私はとても信じられないような気持ちで確認をした。
グレンは私を真っ直ぐ見つめて頷いた。
「当然です。私は期限内に昼間に執務をこなせるようにならねば、エヴリン姫との結婚以前に、婿になれる資格すらないのですから」
当たり前のように返されて、ああそう言えば彼は昔から目標のための努力を惜しまないタイプだったわ、と思い出した。自分にも他人にも誠実なのである。そこも好きなところなのだけど……。
「……男に二言はないぞ。本当に続けるのだな? 今ならその……ミラーク一年間でも認めてやらなくもないが」
父が珍しく譲歩案を出した。前回の経験がよほど辛かったらしい。
「続けます。そんなに長い時間を掛けてエヴリン姫との結婚が遅れることも、お待たせすることも私は望みません」
「そうか……分かった。思っていたより骨がある男だったな」
父は苦笑すると、席を立った。
「──だが今日も鍛錬以外は勉強してもらうぞ。ビシビシしごかせてもらう」
「了解致しました」
私は父を見送ると、グレンに改めてお礼を言った。
「本当にごめんなさい。でもありがとう。本音を言うとね、私はもうあの薬を飲みたくはないだろうと諦めていたの」
「……まあ確かに強烈でしたね。はははっ、何しろ飲み干そうとしたら丸薬の味が水に溶けてあまりの苦みで息が止まりましたから。吐き出しそうになるの我慢して、何とか押し込んだはいいものの、そのまま気が遠くなって……」
でも、と綺麗なルビー色の瞳で私を優しく見つめた。
「ここ何年も味わえなかったエヴリン姫のお手製の品なのですから、大切に飲ませて頂きます」
「グレン……」
この人は本当に私をどこまで惚れさせれば気が済むのだろうか。
「それでは、陛下のところに参ります。あ、こちらの瓶は頂いて行きますね」
グレンは笑顔で丸薬の瓶を抱えると、一礼して食堂を出て行った。
私は笑みを浮かべ、背後を振り返る。
「……ねえメメ、グレンって本当にいい男じゃない?」
「さようでございますね。あの毒物と変わらないような丸薬を平気で飲み続けようだなんて、とても正気の沙汰とは思えませんが」
「一カ月……耐えられるかしら」
「どうでしょうねえ。本人の気力次第ですわね。二人で陰ながら応援いたしましょう」
「例え結果はどうあれ、挑戦してくれるだけで一生感謝しなくちゃね」
昨夜あれだけ悩んでいたのは何だったのかとも思うが、それもこれもグレンの包容力あってこそである。
──だけどお願いします神様、無事に最後までやり通せますように。