「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「ありがとう、行ってくるわ」

いつも通りの時間に、学校へと到着した。
唯一、いつもと違うところといえば、堂々と校門の前に車を停めたところだろうか。
もうバレてしまったのだから、今更隠したってしようがない。
どうせ、もう誰も純粋な好意からは寄って来ないだろう。

「…あっ、いたいた篤姫ぃ〜!今日はどうしたのっ?なんかめっちゃ良い車!!」
「……」

昨日と同じように話しかけてきた千夏。私のことは、まだ知らないのだろうか。

だったら、もういっそ………

千夏が自分から離れていく光景を見るのは、やっぱり、どうしても辛い。

だったら___



______自分から伝える。

「…っ、ごめんなさい、千夏さん。わたくし、実は橘の一人娘なの。今まで黙ってたことを謝るわ」
「え?なに、その口調……」

驚いたように見開かれた彼女の瞳を見て、胸が苦しくなった。

この純粋な表情は、いったい、あと何秒続くのだろう?
数秒後の彼女は、私にどんな感情を向けるのだろう?

その全てを知りたくなくて、自分から遠ざけてしまいたくて、わざと苦い言葉を放った。

「千夏さん……もう、話しかけないでくださらない?」
「…なんで?どうして?ちゃんと説明してくれないと、わからないよ…」
「…っ」

いくら千夏を遠ざけるためだとしても、今までの幸せな日常を否定するような言葉は使いたくなかった。

でも__

「…さっ、最初からっ…!貴女のことなんて嫌いだったの!…これ以上、側にいられると迷惑なのよ……」

最後は、少し涙混じりの声になってしまった。
泣いていることを隠すため、自分の袖で乱暴に目元を拭うと、すぐに走り去る。
乱暴に擦りすぎてしまったせいで、目元がジンジンと痛んだ。

「あ、篤姫っ……!」

『この声を聞けるのも、今日で最後なんだ』と思うと、せっかく拭ったはずの涙が、また、身体の奥からせり上がってくる。
涙が溢れ出す中、必死に遠くへと足を動かした。

「……うっ…ふっ………ぐすっ」

校舎裏まで来たため、一度立ち止まると、ポロポロと落ちた涙が地面に沢山の染みをつくっている。

こんな顔じゃ、授業に出られないよ……

急いで拭おうと腕を上げた瞬間に、誰かにその腕を掴まれた。

「……え?」
「いやいや、『え?』じゃないよ。せっかく心配で追いかけてきたのに」

背後から、何処かで聞いたことがあるような声が響く。
でも、誰だかわからなくて、力づくでその手を振り払った。

「ちょ、ちょっとやめてよ…!それに、誰…?」

私が誰かを問うと、彼は『ふふっ』と笑って私の前に出て来た。

「遊馬 桜久だよ、覚えてる?一応同じクラスなんだけど」

目の前には、昨日仲良くなりたいと思った彼がいた。
前髪が長いため、ハッキリと顔を識別することは出来ないが、風にのって揺れた髪の合間から少しだけ覗く、瞳が綺麗だと思った。

「なんで、追いかけて来てくれたの…?」

私達は、つい先程まで言葉すら交わしたことがなかったのに、なぜ追いかけてくれたのだろうか。
ただ純粋に、疑問に感じた。それに、『追いかけた』ということは、あのときの私と千夏の会話を聞いていたということだ。
あんな状況の中で私に話しかけようとする人なんて、存在するのだろうか。
…………いや、実際存在したのだが。

「え?……内緒」

にやりと口角を上げて、『しー』と人差し指を立てた。

「てゆうか、さっきのヤツ……君、本心じゃなかったでしょ?ボロボロ泣いてたし。あの子も気がつきはしたんだろうけど、あんなこと言われた手前、もう話しかけられないだろうね」

『いいの?』と首をこてんと傾げる彼を見て、少し安心した。
千夏を遠ざけるような態度で接したのには、“彼女から離れられるのが辛かったから”という理由もあるが、彼女と私が一緒にいることで、ありもしない噂で傷つけられるのを防ぐためでもあったのだ。

「良いのよ、それで。…だって、わたくしが選んだことだもの」

本当は寂しいし、今すぐ戻って『さっきのは嘘だよ、ずっと仲良しでいたいよ』って言いたい。そして、また二人でお喋りがしたい。
でも、私のことがバレてしまった以上、千夏にも被害が及ぶかもしれない状況で一緒にいることはできないのだ。
少し強がって、自分を鼓舞するようにそう言うと、明らかに疑わしそうな声が返ってきた。

「えぇ〜?…君、嘘ついてるでしょ?本心は?……あ、ちなみにお嬢様言葉はナシね」

『絶対そんなこと言ってやるもんか』と思ったが、彼の促すような目線にはどうしても逆らえず、渋々口にする。

「……………一緒に、いたい。で、でもっ、私なんかとつるんでたら、千夏まで何か言われるかもしれないし」

自分で言っている内に、段々と心の整理がついてきた。
そして、それと同時に、千夏を強引にでも守れたことに満足感を覚える。

「千夏を守れたなら、それでいいんだよ」

今度こそ、ちゃんと心から『これで良かったんだ』と思えた。

私が何よりも守りたかったのは、千夏、貴女なんだから。

そういう思いを含んだ笑みを浮かべると、彼は驚いたように目を見開いたのがわかった。

「…そっか。ふふ、君は強いなあ」
「遊馬さんは、何か私のことを知ってるの?だから、追いかけて来てくれたの?」

彼を見たとき、何か違和感を感じたのだ。

どこかで会ったことがあるような、でも、忘れているような。

彼に聞いたらわかると思ったのだが、彼はわざとらしく首を傾げる。

「えー?……どうだろうねえ?」
「もうっ、なんではぐらかすのっ?私は真剣に聞いてるのにっ」

少し頬を膨らませてそう言うと、彼は本当に可笑しそうに笑う。

「いやいやいや、怒っても全然怖くないし。なんか君って、怒るのヘタなんじゃない?よく言われるでしょ」
「えっ、ひどっ!?」

いつのまにか、私も彼と一緒に笑い転げていた。
ちょっと揶揄った風に話してくれるのも、彼なりの気遣いなのかもしれない。
そう思うと、胸がじんわりと暖かくなった。

「…ねぇ、また私と一緒に話してくれる…?」

この温もりを手放したくなくて、ついそう聞いてしまう。
彼だけでいい、もうそれ以外要らないから、彼だけは隣に居てくれるという安心感が欲しかった。

「んー、どうしよっかなぁ………教室では、きっと話したくないんでしょ?」

彼の言葉に、こっくりと頷く。
教室で話すのでは、遊馬さんを守ることが出来ない。でも、彼とまた話がしたい。
そんな矛盾した気持ちを、彼は的確に把握してくれていた。

「ふふ、じゃあ僕と話したくなったら、また此処に来て?僕は大体ここにいるし」

そう言って笑ってくれた彼の表情に、心がぐいっと引き寄せられた。
悪戯っ子のようで、それでいて酷く慈愛のこもったその笑顔が、私の瞳に眩しく映る。

「あ、あと屋上ね」
「えへへ、ありがとう。……じゃあ、また昼休みに来てもいい?」
「別に、そんなこと聞かなくてもいいよ。僕と話したくなったらおいで?」

『おいで?』の一言でさえ、今の私をときめかせるには充分過ぎた。
彼の言葉に、大きく頷く。

「うん!だったら絶対行く!」