「じゃあ、そろそろ私はお暇する」

少し三人で談笑をした後、お父様がそう言って席を立った。

……え?これって、私と寒緋の二人きりになるってこと…?

まだ会って間もないのに二人っきりなんて、とてもじゃないが気まずい。
そう思って、お父様を祈るように見つめると、何かがわかったように頷かれた。

「…ああ、別に朝まで居てくれて構わない。でも、学校には遅れるなよ」

変な勘違いをされたことに、頬が赤くなる。
けれど、そんなことよりも、私に関心がないんだなと感じられて、胸が痛くなった。

バタン

襖が閉められた音が、やけに大きく響く。
お父様がいなくなった今、私は何を話せば良いというのだろう。

「えっと…その__」
「____こなた様は、この場所があまりお好きではないでありんすか?」

少し吃っていると、彼がそんな質問を投げかけてきた。
まるで心を見透かされたようでドキッとするも、嘘を吐くこともないので、正直に話す。

「……ええ、そうね、嫌いっていうほどではないのよ?でも、此処っていうか、上級階級の人達があまり好ましくなくて…まあ、わたくし自身も含まれるのですけれど」
「えっ……?」

まるで想定外のことを言われたように大きく見開かれた瞳を見て、喋り過ぎてしまったことを悟った。

「…あっ、ごめんなさいね、変なことを言ってしまって…忘れて頂戴。わたくしは、もう失礼するわ」

変なことを初対面の相手に言ってしまったし、このまま居ても気まずいだけだと感じたため、腰を浮かした。

「短い時間だったけれど、とても楽しかっ____」

ぐいっ

「____!?」

突然、身体が軽く後ろへと引っ張られた。
驚いて後ろを振り返ると、彼が私の服の袖を掴んでいる。

「…こなた様は_____いや、篤姫は、僕が嫌い?」
「えっ…?」

廓言葉ではなく、普通に話しかけてくる彼。
その表情は、先程よりも幾分か柔らかくなっているような気がした。

「いえ、寒緋のことは_____」

『好き』

ただそう言うだけなのに、言ってしまったら違う意味になってしまう気がして、少し躊躇われる。
しかし、『嫌い』と言うのも本意ではないため、思い切って口にした。

「……好き」

そう言うと、彼は頬を薔薇色に染めて私に飛びついてきた。

「ほんと!?嬉しい!」

彼の肌と触れ合っている部分が、大きな熱をもつ。
さらっと私の頬にかかった杏色の髪や、直接鼓膜に響く甘い声に、頭がふわふわしていくのを感じた。

「え、ちょ、ちょっと離れて…!」

そういうことに気を取られたせいか、口調が乱れてしまう。
私は焦ったが、彼は更に嬉しそうに口元を緩めた。

「ふふ、やっと口調戻ったねえ。僕は戻したんだから、君も戻してよ。…それに、こういうお堅いの、嫌いなんでしょ?」

彼の言葉から、廓言葉を元に戻したのは私のためだったということがわかった。
彼の優しさに、何度も何度も胸が甘い音をたてる。

「う、うん。……ありがと、寒緋」

本当は、もっとちゃんとお礼を言いたかったのに、つい目を逸らしてしまった。
自分が素直になれないことに苛立ちを覚えたが、それでも彼は明るく笑ってくれる。

「どーいたしまして。……ねえねえ、こっちに来て!君に見せたいものがあるの!」

軽く手首を掴まれ、部屋の障子を開けて中庭へと連れていかれた。
私も彼も裸足であったため、地面を踏んで足が汚れてしまうが、そんなこと気にならないくらい、彼の隣から見る景色に愛しさを覚えた。

「ほら、ここ!」

そう言って指差された場所には、綺麗な桜の木が一本植えられている。
風に乗って落ちてくる花びらが、私と彼の頭上に降り注いだ。

「僕の名前は寒緋でしょ?これはね、“寒緋桜”が由来なの。此処に初めて来たとき、僕がこの寒緋桜をもの凄く気に入ったから」
「へえ……そうなんだ。じゃあ、桜は寒緋の木だね」

私がそう言うと、彼は一瞬驚いたたような表情をした後、『ふふっ』と笑う。

「そっか、これは僕の木か……そんじゃ、えいっ」

彼はそう言いながら、桜の枝を一本折った。

「え、ちょっと良いの?」
「いいの、いいの!だって僕の木だし!それよりも_____」

彼の綺麗な顔が、徐々に私に近付いてくる。
何をされるのかわからなくて、ギュッと目を瞑っていると、耳の辺りに硬い感触がした。

「ふふ、綺麗」

手で触って確かめると、そこには先程折られた桜の枝が掛けられていた。

「君の白髪によく似合ってるよ、篤姫。____んふ、どうしたの?篤姫も桜色になってんじゃん」
「え、ちょ、ちょっと見ないでっ」

急いで顔を隠すも、私の口元は微笑んでいた。
今まで大嫌いだったこの白髪も、彼の桜が似合うのなら、彼に『綺麗だ』と褒めてもらえるのなら、少しだけ好きになれそうな気がした。





「______好き」





「…え、何か言った?」

つい出てしまった、心の奥に降り積もっていた言葉。
このまま、彼に伝えないまま終わってしまうのが惜しくて、もう一度口にする。

「…好きだよ、寒緋。こんな言葉、言われ慣れてると思うけど。でも、でも……たった数時間だったけど、もの凄く心が救われた。また会えるかはわからないけど、きっと、きっと、今日のことは私にとって一生の想い出になると思ったから」

伝えられた。
さっきから、ずっと伝えたいと思っていた言葉。
建前の裏側に隠れていた気持ち。
彼からしたら、今日のことなんて一晩寝たら忘れてしまうようなものなのかもしれない。
でも、寒緋と出会えたことは、寒緋が言ってくれた言葉は、ずっと私の心に残り続けると思ったから。

言葉の奥に込められていた沢山の想いは、彼にはちゃんと伝わったようだ。
噛み締めるように、優しく笑ってくれる。

「ふふ、なーに言ってんの。______また何回も来てよ、僕が来てほしいから」

そう言うと、彼に優しい動作で手を握られた。
そして、私の手の甲に顔を近づけ、優しく口付ける。
甘いリップ音と共に顔を上げた彼は、今までで一番、普通の男の子らしい表情をしていた。

「…僕、自分から来てほしいって言ったの君が初めて。普通は、こんなことしないんだよ?……こんなにサービスしたんだから、もう一回でもいいから来てよ」

少し懇願するような瞳を向けられた私には、最初から選択肢なんて一つしか存在しないのだ。

「…うん、寒緋がいいよって言ってくれるなら」