ちょっと、いや、だいぶ困ったことになった。レナを探しに行った矢先、僕と一緒に探していたタケルがキャロルのメンバーに襲われてしまった。

 揉み合いの末の銃撃戦。タケルは腕を撃たれたみたいだけど大丈夫かどうかわからなかった。

 本当は助けてやりたかったし、一緒に逃げたかった。でも、それは無理だから置いてきてしまった。

 だって、僕は絶対に捕まるわけにはいかなかった。二人とも捕まったら、レナを探すことができなくなってしまう。だから僕は、怒号を背中に受けながら胸が破裂するんじゃないかってぐらい走って逃げたんだ。

 そのおかげで、なんとか逃げきって秘密基地に隠れることができた。暗く狭い穴蔵みたいなところだけど、外をうろついているよりましだと思う。

 丸くなって外の気配に神経を集中させる。さっきまで聞こえていた話し声や、歩く音は聞こえなくなっていた。外はすっかり暗闇に包まれているから、出かけるにはちょうどいいかもしれない。

 薄暗い空間を手探りで歩き、壊れた扉から外へと飛び出す。汗ばんだ体に湿った空気が絡みついてきた。夕方から降っていた雨も、今は一休みしているみたいだ。でも、すぐにまた降り始めるかもしれないから、僕は前屈みになって走ることにした。

 車が来る度に、電柱や路駐してる車の陰に飛び込む。時には田植えしたばかりの田んぼにも飛び込んだから、せっかくお母さんに買ってもらった学生服が台無しになってしまった。

 顔についた泥水を拭いながら、なんとか自分の家にたどり着いた。一階建てのボロ小屋みたいな家だけど、やっぱり目にするとなんだか安心してしまうのは不思議だった。

 軋んだ音のする勝手口のドアノブを回すと、あっさりとドアが開いた。お母さんのサンダルがあるから、今日も家にいるみたいだ。

 となると、あんまり音を立てるわけにはいかない。寝ているお母さんを起こした時ほど怖いものはないからね。ついこの前、夜中に帰ってきて血が出るほど蹴られたばかりだから、同じ過ちは繰り返さないようにと慎重に台所へ足を運んだ。

 台所とその奥にある部屋からは、お酒の臭いと生ゴミの腐った臭いが強烈にブレンドされて漂ってきた。二日前に家を出るときに片付けなかったのがいけなかったみたいだ。いつものように、ゴキブリにネズミ、さらにはムカデまでもが、散らかったビニール袋の中で餌を求めて騒いでいた。

 鼻をつまみながら、台所の生ゴミを袋に詰めてゴミ袋に捨てていく。あまりの臭いに吐き気と目眩が襲ってきたけど、怒られたら嫌だから、我慢して片付けを終わらせた。

 隣の部屋に忍び足で入ると、相変わらずお母さんは下着姿のまま一升瓶を抱いて寝ていた。握り潰されたビールの缶がテーブルに散乱し、灰皿からは煙草が溢れていた。僕が作ったサンドイッチは、無惨なまま放置されていたから、灰皿の煙草と一緒にゴミ箱に捨てた。

 一通り片付けが終わったところで、窓を開けて空気の入れ替えをする。目に染みるような臭いが薄くなったような気がしたところで、お母さんに酒臭いタオルケットをかけてあげた。

 お母さんは怒ると怖いけど、なにもしなければ怒られることはない。僕のことも、「おい」としか呼ばず、家事全般をちゃんとやっていれば、たまにご飯も食べさせてくれる。次々と入れ替わる男の人たちも、機嫌を損なわなければお菓子やお小遣いをくれるから、隅っこでへらへらしていれば暴力も少なくてすむんだ。

 お母さんが寝ているのを確かめて、隣の物置部屋へと移動する。電気がつかなかったから、また止められたみたいだ。床に転がっていたろうそくに火をつけ、明かりを確保したところで雨が屋根を叩く音が聞こえてきた。

 ろうそくの明かりを頼りに、本屋で盗んできた地図を床に広げると、仕入れた情報を頼りに場所を確認することにした。

 僕が仕入れた情報によれば、レナはキャロルのメンバーと一緒にいたみたいだ。その情報は多分間違いないと思う。キャロルといえば、この町を拠点とする少年ギャングのことだ。少年といっても、大人の人もメンバーにいて、暴力団とも繋がっていることは有名な話だ。

 そんなメンバーと一緒にいたらしいから、お巡りさんに助けを求めた。だけど、レナのお母さんがいつもの家出と言ったせいで、お巡りさんも僕の話を聞いてくれなかった。

 だから、なんとかして僕らだけでレナを助けないといけない。でも、頼れる相棒のタケルはキャロルのメンバーに撃たれたせいでいないから、今は僕一人でなんとかしないといけなかった。

 キャロルのメンバーの溜まり場は、エリアOO1という所。『ゼロゼロイチ』と読むんじゃなくて、『オーオーイチ』と読む。アウトオブ110を略したもので、携帯電話の電波が入らないから警察を呼べない場所っていわれている。実際に、カップルの人たちが迷い込んで酷い目にあったなんて話もあるくらいだ。

 そんなエリアOO1に行くことを考えたら、やっぱりちょっと怖い。昨日までは二人で探していたからまだよかったんだけど、今度は一人で行かないといけないのが辛かった。

 頼れるものは、このずっしりとした重みのある拳銃だけ。キャロルのメンバーと揉み合いになった時に、やけに虚ろな目をした人から奪い取ったものだ。弾は一発しか入ってないみたいだけど、本物には変わりない。キャロルのメンバーを相手にするには全然足りないけど、ないよりましだと思うしかなかった。

 ろうそくを掲げて、エリアOO1の正確な位置を確認する。昨日、タケルと向かった場所で間違いないみたいだ。ただ、僕らが襲われた地点からエリアOO1は、まだまだ山道を登っていく必要があった。となると、エリアOO1にたどり着く前にキャロルのメンバーに見つかるかもしれない。多分、見つかったら無事には帰れないだろう。

 それでも、行くしかなかった。レナを助けられるのは僕だけだ。だとしたら、ちょっとやばくても逃げるわけにはいかない。

 雨が強くなってきたみたいだから、僕は学ランをカッパ代わりにすることにした。名札はついてないけど、内側のポケットの上に僕の下手な裁縫で名前を入れてある。バザーでお母さんが買ってくれた大切な制服だった。

 学ランを羽織り、一升瓶を抱いたままのお母さんをしばらく眺めてから勝手口に向かう。もうすぐ夜が明けるから、決行は明日にすることにした。

 またこの家に帰って来れることを祈りながら、僕は薄闇の町の中へ駆け出した。


 ―第一章 了―