翌日の放課後も、学校で一番高い場所から町を見下ろしていた。ただ、連日の賑やかさはさすがになく、今日は桜木公園も静かになっていた。相変わらず警察による規制はされているけど、取り囲んでいた報道陣も大部分が姿を消し、野次馬たちも日常に帰っていったみたいだ。

「秀一、今日も予行練習か?」

 ぼんやりと景色を眺めていたところで、木村の声が聞こえてきた。下を見ると、木村が困ったような顔で手招きしていた。

「今日はバンドよかったの?」

 木村に尋ねながら梯子を降りていく。木村は、「飽きた」と言って笑ってた。

「バンドはいつでもできるけど、秀一とはもうあまり時間ないだろ? だから、秀一と一緒にいたいわけよ」

 木村が、本気とも冗談ともとれる内容を口にしながら肩を叩いてきた。そんな風にストレートに言われると返答に困ってしまう。すると木村が「冗談だ」と笑って僕の背中を叩いてきた。最近の僕らのやりとりは、こんな感じに始まることが多かった。

「それより、聞いたか?」

 いつものようにフェンスに寄りかかって空を眺めたところで、木村が口を開いた。

「なにを?」

「病院に入院してる奴。ネットで追跡してた奴の一人がさ、実名公表して騒ぎになってるみたいだぜ」

 木村によると、ネットで書き込みしていた人たちの誰かが、警察官銃撃事件で負傷して入院している中学生を特定して実名を公開したらしい。情報源は病院関係者らしいけど、今は記事も削除されているらしく、名前だけが拡散されているという。

 このことが原因で、マスコミの動きにも変化があったらしい。全国から注目を浴びる中、進まぬ捜査と報道規制に苛立ったマスコミは、一斉に警察を非難し始めた。また、独自に調査をしていたところが次々に情報を公開し始めたことで、ニュースは回を重ねるごとにヒートアップしているとのことだった。

「実名は村井蒼空《むらいそら》っていう奴で、N中の一年生だって」

 N中は、千夏が通う桜木中からそれほど離れていないところにあって、事件のあった桜木公園からもそれほど離れてもいない。そのせいかはわからないけど、警察はすぐに特定できたという。

「それで、その蒼空っていうのはどんな奴なの?」

「それが、兄貴に聞いてもわからないんだ。他の記者たちも取材しているんだけど、どんな奴かさっぱりわからないらしい。もともとよそから流れてきたみたいで、こっちの小学校にはも通ってなかったまたいだな。そのおかげで、同級生はもちろん、知ってる奴らはほとんどいないんだとさ」

 木村が、困ったように肩をすくめながら説明する。その仕草が木村の兄に似ていて、つい笑ってしまった。

「まあ、親が育児放棄してたのが原因なんだけどよ、肝心のその親も亡くなっているみたいだぜ」

「亡くなってる?」

「ほら、先月にあっただろ? ゴミ屋敷放火事件。その時に焼死体が発見されたってニュースになってたけど、その焼死体ってのが蒼空の母親らしいんだ」

 蒼空の母親はギャンブル依存性で借金も結構あったらしく、保険をかけられていたことから、保険金目当ての事件ではないかと木村の兄は言っているらしい。

「そういうわけだから、村井蒼空が誰とつるんでいたのかもわからないし、村井蒼空に関しては警察が情報をシャットアウトしてるから、直接の情報は引き出せないってわけだ」

 だから、村井蒼空と一緒にいたミスターXについても、どの情報も混乱していると木村は他人事のように笑った。

「お兄さんも大変だね」

 そのミスターXが僕の家にいるとは、警察も木村の兄も思っていないだろう。そう考えると、日本中が注目しているミスターXの存在を僕が握っていることに、妙にこそばゆい感じがした。

「ま、そうでもなさそうだけどな」

「どういうこと?」

「手がかりというか、ひょっとしたらミスターXにつながる人物を、今追いかけてるらしいんだ」

 木村が横目で僕の様子を伺ってきた。興味があるなら教えてやろうかと瞳が語っている。僕がそれとなく続きを促すと、木村は満足に顔をにやつかせた。

「実はよ、村井蒼空と仲良くしていた女の子がいて、そいつがミスターXの鍵を握っているかもしれないんだ」

 女の子という言葉に、僕はタケルが言っていたレナのことを思い出した。たしかタケルは、レナを探して欲しいと言っていたはず。

「ただ、その女の子っていうのが村井蒼空の同級生なんだけど、そいつもワケありなんだ」

「ワケありって?」

「類は友を呼ぶじゃないけどさ。その女の子の家もあまりいい環境じゃないらしいんだ。まあ、頻繁に違う男が出入りするって言えば想像つくよな?」

 木村の問いに、僕は黙って頷いた。

「だから、その女の子もよく家出して男の家を転々としてたらしい。今も家出中らしいから、その女の子を警察もマスコミも血眼になって探しているってわけだ」

 木村の説明で、だんだんと情報がつながってきた気がした。実名は極秘扱いだから確定はできないけど、タケルが探して欲しいと言っていたレナと、木村が言っている女の子は同一人物で間違いないだろう。

 だとしたら、タケルの願いは叶ったことになるかもしれない。タケルがお願いしても動かなかった警察が、今は必死になって探している。もしかしたら、この状況こそがタケルの望んだ世界ではないだろうか。

 しばらく黙って考えた結果、僕はタケルのことを木村に話した。木村を相手に隠し事をするのは嫌だったし、なんとなくだけど木村には話をしたほうがいいような気がした。

「お前さ、いきなりすぎるんだよ」

 最初は笑いながら話を聞いていた木村だったけど、冗談ではないとわかったのか、最後は固まった笑顔でドン引きしていた。

「そういうわけだから、タケルが変えたかった世界って、誰も相手にしてくれなかった世界じゃないのかなって思ったんだ」

 タケルは警察にレナを探して欲しいと頼んだ。けど、警察は相手にしなかった。確か、捜索願いは親族じゃないと受付られないとネットで見たような気がする。だとしたら、レナの親族は捜索願いを出していなかったのだろう。頻繁に家出を繰り返していたことから、親もレナがいなくなったことを問題視していなかったのかもしれない。

「タケルは、レナの失踪をいつもの家出じゃないと思ってる。だから、探して欲しいと警察に頼んだ。けど、相手にされなかったから、警察を動かす為に犯行に及んだって考えられないかな?」

 木村に僕の考えを伝えると、木村はなにかを考え込むように真顔で僕を見つめてきた。

「タケルの存在は周りに知られていない。それを逆手に取って事件を起こした。タケルを探す手がかりは、村井蒼空かレナしかいない。村井蒼空も、きっとタケルと同じ思いだったはず。だから二人で犯行に及んだと思う。結果的に村井蒼空は捕まったけど、多分、タケルやレナのことは固く口を閉ざしていると思う」

「なるほどな。レナを警察に探させる為に、自分たちが囮になったってわけか」

 木村が目を閉じて、考えをまとめるかのように長いため息をついた。

「兄貴も言ってたんだけど、交番に女の子を探して欲しいと言ってきた少年がいるらしいんだ。どうやら女の子は補導歴があるらしくて、警察もいつものこととして相手にしなかったらしい。しかも、記録も残してなかったせいで、少年の情報は全く残っていないと言ってた。なのに、今頃になって警察総出で探しているとしたらとんだ笑い話だな」

 木村がフェンス越しに町を見下ろした。つられて僕も見下ろしてみる。ここから見えるだけでも、パトカーの赤色灯があちこちに見えた。

「一発の銃弾が世界を変えるか。この状況が、タケルが変えた世界だと秀一は考えているんだよな?」

 木村の問いに、僕は黙って頷いた。

「でもさ、なんで警察官を銃撃したんだ?」

「え?」

「レナをタケルは探しているんだろ? その為に警察を巻き込もうとしたのはわかる。けどさ、だったら別に警察官を銃撃しなくてもさ、コンビニ強盗とかを演じてもよかったんじゃないのかって思うわけ。わざわざ警察官を銃撃したせいで、応戦されて一人は捕まったわけだし、そんなリスクを背負ってまで警察官を銃撃したことが、ちょっと腑に落ちないっていうか、不思議なんだよな」

 木村の言い分に、僕は返す言葉がなかった。木村の言う通り、警察官を銃撃するというのは無謀というか、下手したら二人とも捕まる恐れがあったはず。

 レナを探してくれなかったことへの恨みとも考えられるけど、それとは別に深い意味があるような気がしてきた。

「とりあえず、俺も参加していいか?」

「参加って、レナ探しに?」

「そうだ。俺には兄貴の情報網があるから、上手いこと利用すればなにかわかるかもしれない。それに――」

 木村はそこで立ち上がると、僕に手を差し出してきた。

「秀一と、最後に思い出を作っておきたいから」

 木村の手を掴んで立ち上がった瞬間、木村が僅かに顔を伏せて呟いた。

 その消えそうな声に、僕は木村の申し出を断ることができず、ただ黙って受け入れることしかできなかった。