京香の足音がゆっくりと近づいてくる。心なしか、千夏の顔が強ばっているように見えた。僕と千夏の空気を察してか、タケルの顔からも血の気が引いていくのが伝わってきた。

「ただいま」

 リビングのドアが開かれ、京香の抑揚のない声が響く。長身で凛とした出で立ちは、セーラー服姿であっても気品と厳しさを感じさせた。斗真が亡くなって以来、長かった髪も短くカットしていて、優しくみんなを見守っていた大きな瞳は、今は意思を感じさせないほど冷たく研ぎ澄まされていた。

「お姉ちゃん、おかえり」

 いつものように千夏が京香に抱きついていく。京香は千夏を受け止めると、頭を軽く叩いた。姉妹間でずっと続いているやりとりで、その様子をみる限り、京香の機嫌が悪いのは、いつものように僕に対してだけだとわかった。

「誰?」

 顔を伏せていたタケルを見て、京香が眉をひそめた。

 けど、タケルが顔を上げた瞬間、その冷たい瞳が大きく見開かれるのがわかった。

「お姉ちゃん、この人はお巡りさんを撃った犯人だよ」

 いきなりな千夏の紹介に、気を落ち着かせようとして口に含んだ麦茶を再びふきだしそうになった。紹介するにしても、もっとましな方法があるだろうと言ってやりたかった。

 そんな千夏との水面下でのやりとりの間、京香は半分口を開いたままタケルを見つめていた。僕ですら驚くのだから、京香がタケルを見てなにも思わないはずがない。かつて溺愛していた斗真と瓜二つの顔があるのだから、京香が固まってしまうのも頷ける話だった。

「お姉ちゃん?」

 僕の時と同様に、千夏が京香に声をかける。京香はすぐに気づかなかったけど、みんなが見ていることにようやく気づいたのか、驚いた表情が瞬時に険しい顔になっていった。

「警察官を撃ったんだ。それは大変だったね」

 まるで世間話でもするかのように、京香がタケルに話しかける。それはまるで、悪さをした斗真を優しく包み込む時の言い方と同じだった。

 そんな京香の反応に、千夏とタケルから力が抜ける気配が伝わってきた。怒られると思ったのだろう。僕も同じだったから、京香の全く問題視しない態度に一気に緊張が解けていった。

「で、ここに来たのはどうして?」

 京香が鞄を置いて僕の隣に座る。柔らかく甘い匂いが鼻をくすぐらせたけど、そうした反応は決して顔に出すことはできなかった。

 まごつくタケルに代わり、千夏が事情を説明する。親に見捨てられて警察官を撃ったという、誤解を招きそうな短絡的な説明だったけど、京香は特に驚くことも眉間に皺を寄せることもなく、黙って聞き続けていた。

「あの、それでもう一つお願いがあるんです」

 匿って欲しいんだってと千夏が説明したところで、タケルがすがるような目で京香に訴えてきた。

「女の子を探して欲しいんです」

 喉の奥から絞り出すような声に、妙な引っかかりを感じた。これまでおどおどしながらも割りとはっきり物を言っていたタケルが、この時だけはやけに言葉にするのにもたついている感じがした。

「お友達?」

 京香が尋ねると、タケルは少しだけ考える素振りをした後小さく頷いた。

「レナって名前の子で、この町に来てから仲良くなった友達なんです。でも、突然いなくなってしまったんです」

 タケルによれば、同じ年の女の子で、この町で出会ってからはずっと仲良くしていたという。今までも時々家出を繰り返していたけど、一週間以上いなくなることはなかったと真剣な眼差しで訴えてきた。

「つまり、レナって女の子になにかあったんじゃないかって心配しているわけね?」

 京香はゆっくりと諭すような口調でタケルに話しかける。緊張とは違う歯切れの悪い話し方をしていたタケルだったけど、いつの間にか京香の雰囲気に包まれたかのように、強ばった表情を緩ませていた。

「なにもなかったら、僕らの秘密基地にいるはずなんです」

「秘密基地?」

 意外な言葉に驚いて聞き返したけど、京香の底冷えする視線に遮られ、それ以上はなにも言えなかった。

「家出したレナの為に用意した場所なんです。レナは、家出をしたら男の人の家を転々としてたから……」

 言葉を濁したタケルが、顔を伏せて肩を落とした。その仕草で、タケルがレナに好意を寄せているのがわかった。好きな子が男の家を転々としているのを見かねて秘密基地を作った。それだけで、タケルの不器用だけど真っ直ぐな想いが伝わってきた。

「要するに、秘密基地にレナちゃんがいるかどうか確かめて欲しいんだ?」

「はい。僕は警察に追われてますから、秘密基地まで行けないと思うんです」

「でも、なにかあったとしたら私たちよりも警察にお願いした方がよくないかな?」

 あくまでも京香の言葉は優しく語りかけるものだった。けど、警察と京香が口にした途端、タケルは目を見開いて京香を睨みつけた。

「警察の人にも頼みました。けど、あいつらはなにもしてくれなかったんです。必死に探してほしいって頼んだのに、迷惑そうに追い払うだけだったんです」

 勢いよく立ち上がったタケルが、顔を真っ赤にして涙声をもらした。警察との間になにがあったかはわからないけど、必死の想いを無下にされたのだろう。その悔しさが、怒りで震えるタケルの肩からストレートに伝わってきた。

「タケルくん、座って」

 取り乱したタケルに対して、京香は変わらず落ち着いた顔でタケルに話しかける。その横顔が、斗真のわがままを諭す時の横顔と同じだったから、僕は咄嗟に目を逸らした。

「秀一さん、どうするの?」

 タケルが崩れるように椅子に座る気配がしたのと同時に、抑揚のない京香の声が聞こえてきた。

「どうするって――」

 言葉を選びながら、京香の表情を伺う。相変わらず、会話するのさえ嫌だと言いたげなよそよそしさが見てとれた。

 話を聞く限り、タケルは犯罪者だ。そのタケルを匿って、なおかつ、レナという女の子を探すのには抵抗があった。万が一警察に見つかれば、タケルを匿った罪を問われるのは間違いないし、全国規模で事件はニュースになっているから、マスコミの対象として京香や千夏が晒されるのも目に見えている。

 両親が不在だからこそ、家を守る義務もある。それに、もうすぐ七夕を迎えるから、今は余計なトラブルに巻き込まれて問題を残しておきたくなかった。

「気持ちはわかるんだけど――」

 断って追い出すか警察に通報した方がいい。そう判断して口を開いた時だった。

「なにがわかるの?」

 僕の言葉を遮るように京香の冷たい言葉がリビングに響き渡り、一気に空気が張り詰めていった。

「気持ちなんかわからないくせに、適当なことを言わないでよ」

「京香」

「他人の気持ちなんかわからないくせに。そうやってわかったふりしているのが、本当に嫌いなんだけど」

 京香の怒りに、千夏とタケルが同時に怯えた表情を見せた。さっきまで穏やかな雰囲気が一変したのだから無理もなかった。

 でも、僕には当たり前のことだった。一年前に、京香が溺愛していた斗真を死なせたのは僕だから、京香にとって僕は兄ではなく憎い存在でしかないのだ。だから、僕の意見に対して真っ向から反発するのはいつものことだった。

「タケルくん、レナちゃんを秀一さんと一緒に私が探してあげる」

 怒りに震えていた京香だったけど、気を取り直すようにタケルに微笑んだ後、はっきりとそう告げた。

 ――え? どういうこと?

 京香に代わって、今度は僕が取り乱す番だった。タケルを匿い、レナという女の子を探すのはわかる。けど、それを嫌っている僕と一緒にやるという意味がわからなかった。

「なにか文句ある?」

 反射的に京香を見つめると、京香が僕を睨みつけていた。

 その瞳は、斗真の葬式の時に「殺してやりたい」と泣き叫んでいた京香の瞳と同じだった。