最近、ようやく開発が進む住宅地の一角に、僕の家がある。周りと大差のない二階建ての家は、駐車場に車がないことぐらいしか外観的な差異はない。

 ただ、家の中となると、周りの家とは極端に違っていた。一年程前に両親が再婚し、僕と父親の二人で住んでいた家に、母親になる人と、その子供たちが引っ越してきた。子供たちは全員僕より年下だから、いきなり妹と弟ができることになった。

 長女の京香は、一つ年下で同じ高校の二年生で、次女の千夏は中学二年生だ。二人とも仲が良く、特に千夏は、京香を慕いながらも甘えている感じがいつも伝わってくる。

 そんな姉妹と、この家で暮らしている。両親は共に仕事で家にはいないし、弟は僕が一年前に死なせてしまったから、今は三人だけで生活を共にしていた。

 息苦しさしかない家のドアを開けると、待ってましたとばかりに千夏が小走りで近づいてきた。ポニーテールの髪を揺らし、笑うと見えなくなるような糸目が垂れていた。赤いジャージの部屋着でいるということは、午前中で学校が終わった後はちゃんと家に帰って留守番をしていたみたいだ。

「秀兄ちゃん、おかえり」

 千夏が、目を一層細めて出迎えてくる。普段はゲーム機の前から動かないのに、こうやってわざわざ出迎えに来るということは、なにか企んでいる証拠だった。

「犬も猫も飼えないからね」

 千夏は、捨て猫や犬をよく拾ってくる。おかげで庭が賑やかになったことがあり、引き取ってくれる人を探すのに苦労したことがあった。今は引き取り手がなかった雑種のシロがいるから、仲間を増やしてやるつもりはなかった。

「犬とか猫じゃないよ」

 出鼻を挫いてやったのに、千夏は糸目をさらに細くした愛想笑いを崩すことはなかった。しかも、犬や猫は否定したのに、拾ったことを否定しなかったことが引っかかった。

「拾ったのは、人間なの」

「ふーん、そっか。って、え?」

 台所に移動し、冷蔵庫から麦茶を取り出したところで手が止まった。聞き間違いでなければ、千夏は人間を拾ったと言ったような気がした。
 もう一度確認しようとふりかえると、同じタイミングでリビングのドアが開き、半袖の開襟シャツに学生ズボンの少年が姿を表した。

 ――え?

 現れた少年は、千夏と変わらないくらいの男の子だった。伸びきったぼさぼさの金髪に、身長は僕と変わらないくらいだけど、体つきは異常なくらい痩せ細っていた。

 そんな少年の外見の中で、特に目を奪われたのが顔つきだった。幼さが残るやけに目鼻がはっきりした顔は、病的に青白いのを除けば、亡くなった弟の斗真を連想させるくらいによく似ていた。

 せり上がった心臓が、少しずつ乱れていくのを感じた。動揺をおさえる為に麦茶をコップに注ごうとしたけど、手が震えて上手くいかなかった。

「勝手にお邪魔してごめんなさい」

 少年は声変わりしかけた声で呟くと、肩にかけていた黒いバックを胸に抱いて深々と頭を下げた。なんとかコップに注いだ麦茶を一気に飲み干した僕は、その声さえも斗真の声にしか聞こえなかった。

「秀兄ちゃん?」

 途切れかかった意識の中に、突然千夏の声が響いてきた。我に返って千夏に目を向けると、千夏が心配そうな顔で僕を見ていた。

「大丈夫。急なお客さんにびっくりしただけだよ」

 少しも大丈夫ではないのに、僕は適当に誤魔化した。けど、すぐにもう一度千夏の顔を覗き込んでみた。

 少年を拾ってきたと言った千夏。けど、その少年はただの少年ではない。一年前に死んだ斗真に瓜二つの少年だ。

 そうなると、千夏も当然気づいているはず。口には出さないけど、明らかに僕の反応を確かめようとしているのはわかった。

 だとしたら、なぜ少年を拾って、いや、連れてきたのだろうか。なにか企んでいるのか、それとも咄嗟の思いつきで連れてきただけなのだろうか。

「千夏の同級生?」

 とりあえず探りを入れるために尋ねると、千夏はあっさりと首を横に振った。

「知らない人かな。あ、でも知ってる人になるのかな?」

 千夏は首を傾げながら髪の毛をいじり始めた。ふざけているわけではないみたいだから、余計に千夏の言っていることがわからなかった。

「うーん、簡単に言ったら、お巡りさんを撃った犯人だよ」

 ふんわりとした口調で、千夏があっけらかんと説明してきた。けど、その口から出てきた内容に、僕は飲みかけていた麦茶をふきだしそうになった。

「え? なんだって?」

「だから、今話題の人だよ。お巡りさんを撃って逃げている少年だよ」

 千夏に悪びれる様子もなく、さらに淡々と説明を続けていく。その意味がどれだけ衝撃的か、千夏はわかっていないみたいだ。

「あの、それについては僕に説明させてください」

 千夏の言葉に動揺していたところに、急に少年が割って入ってきた。

「警察官を撃ったのは本当です。それで、あてもなく逃げていたところを、千夏さんに助けてもらったんです」

 少年によれば、行き場のない逃走を繰り返した結果、僕の家の前で力尽きたという。その後、学校から帰ってきた千夏に見つかり、保護されたとのことだった。

「お願いがあります。僕をしばらくここに置いてもらえませんか?」

 少年は、必死な形相でふらつきながらもフローリングの床に正座すると、何度も頭を下げ続けた。

「ちょっと、わかったから一回座ってくれる?」

 土下座を止めさせようとしたけど、少年は頭を下げたまま固まってしまった。その態度に仕方なく折れた僕は、少年を椅子に座らせて話を聞くことにした。

「とりあえずさ、名前から教えてよ」

 気を取り直し、僕は少年と千夏の分のコップを用意して麦茶を注いだ。

「タケルって呼ばれてます。生まれた時からタケルってしか呼ばれてませんので、名字はわかりません」

 タケルは小さく何度も頭を下げながら麦茶を受け取ると、ぼそぼそと聞き取りづらい声で呟いた。見た目だけで予想は簡単にできそうだけど、タケルは要するに普通の少年ではなさそうだった。

 とりあえずタケルに拳銃の有無を確かめると、今は持っていないとのことだった。どうしたのか聞いてみたけど、タケルは答えたくないのか下を向いて黙ってしまった。

 けど、それも一瞬のことで、タケルはすぐにおどおどした表情に戻っていった。

 ――ミスターXか

 周囲の情報だと、タケルに関する情報は誰も掴めていない。話を聞く限り、タケルはこの町の外から流れ着いている。しかも、母親に事実上見捨てられているみたいだから、どこでなにをしていたかなんてわかる人もいないのかもしれない。

 けど、タケルは確かにここに存在している。病院に運ばれてる少年は地元の中学生らしいから、おそらく二人はこの町で出会ったんだろう。

 そして、警察官を銃撃するという凶行に出た。なにがあったかはわからないけど、そこには、世界を変えたいという二人にしかわからない理由があるのかもしれない。

 そんなことを考えていたところで、玄関が開閉する音が聞こえてきた。と同時に、「秀一さんいる?」という声が響き渡る。どうやら京香が帰ってきたみたいで、途端に空気と共に鳩尾の奥が重くなった気がした。