秘密基地に続く山道を全力で登り、藪をかき分けて秘密基地にたどり着くと、村井蒼空が出会った時の制服姿のままで僕らを出迎えてくれた。

「お兄ちゃんたち、やっぱり来てくれたんですね」

 村井蒼空が、壁に寄りかかったまま僅かに青ざめた表情で力なく呟いた。その言葉からも、村井蒼空は僕らが来るのを待っていたのがわかった。

「最終的に君を見つける為に、僕を事件に巻き込んだ。そうだろ? 村井蒼空」

 一つゆっくりと深呼吸した後、僕は核心をつくように村井蒼空に迫った。

 村井蒼空は驚いた顔をした後、なにか言いたげに口を開いていたけど、結局、一言も話すことなくがっくりと肩を落とした。

「気づいたんですね?」

「ああ、君たちが起こした警察官銃撃事件は、レナの遺体を見つけるためだけじゃない。本当の狙いは、レナの仇を取ること、そして、君たち二人が入れ替わることだった。そうだろ?」

 僕の問いに、村井蒼空は困惑しながらも黙って頷いた。

「事件の後、警察にレナの件を捜査してもらうなら、さっさと君が通報した方が早いはず。けど、君はなぜか僕を巻き込み、僕に警察へ通報させようとした。このことがずっと引っ掛かっていたんだ」

 そこで言葉を切って村井蒼空の様子を伺った。村井蒼空は、特に否定することなく、俯いたままだった。

「君はレナを探すふりして、僕にレナを探すように頼んだ。しかも、最初に向かわせたのがこの秘密基地だった。レナの遺体を見つけるのが目的なら、まっすぐ遺体のある場所に向かわせるだけでいい。わざわざ誰もいない秘密基地に向かわせる必要はなかったんだ」

 そもそもの疑問は、なぜ誰もいない秘密基地に向かわせたのかだった。無駄なことにしか思えなかったけど、裏を返したら無駄なことでもやる必要があった。

 そう考えると、村井蒼空の狙いには、レナの遺体を見つける以外にもう一つ狙いがあることに気づいた。それは、僕に秘密基地の場所を覚えてもらうことだった。

 それがわかれば後は簡単だった。なぜ村井蒼空は自分で警察に通報しなかったのか。それは、自分の遺体を発見し、かつ、証言してくれる人が必要だったからだ。

 おそらく村井蒼空は、レナの遺体が見つかった直後に死ぬ気だったはず。全ての罪を背負い、タケルとして身元不明の遺体になるつもりだったのだろう。そして、早急に発見されて事件が終わるのを望んだ。長引いてボロが出るのを恐れたのだろう。

 だから、第三者に通報を頼んだ。レナの遺体発見を受けた警察は、必ず事情を追及してくる。その時、秘密基地の話が出るようにわざわざ僕に一度秘密基地に向かわせた。そうすることで、早く警察が来て村井蒼空をタケルだとし、かつ、一連の犯人と認定することで事件を終わらせようと考えた。

 でも、実際はそうならなかった。予定通り僕らがレナの遺体を発見するまではよかった。けど、そこで予想外のことが起きた。通報するはずだった僕が通報せずに、木村の兄に通報を頼んでしまった。

 しかも、木村の兄に事情を話したのは通報の後だ。警察に事情を聞かれる際に、木村の兄はまだ詳しい事情を知らなかったから、秘密基地のことは警察に伝わらなかった。

 だから、村井蒼空は死ぬことができなかった。警察に早く発見されて事件を終わらせないと、いつまでもタケルが捜査の対象になってしまうと考え、なんとかしないといけないと思っていたはず。

 そういう理由だから、僕らがここに来た時、村井蒼空は一瞬嬉しそうな顔をしたけど、すぐに困惑した。来て欲しかった警察官の姿がなかったからだ。

 そう問い詰めると、村井蒼空は肩を震わせながら黙りこんでいた。けど、ゆっくりと顔を上げると、力のない笑みを見せた。

「違うんです、お兄ちゃん」

 僕の推理を否定するように、村井蒼空は、はっきりとした口調で告げてきた。

「なにが違うんだ? 君は、隠している拳銃で自殺するつもりなんだろ?」

 僕の考えが正しければ、村井蒼空はタケルになって死ぬ気だろう。その方法として考えられるのは、出会った時にはどこにあるか教えてくれなかった拳銃による自殺だ。その時の為に、村井蒼空は取り上げられないように隠していたはずだった。

「自殺なんかしませんよ。もう拳銃には弾がないですから。それに、自殺しなくても、僕は間もなく死ぬんです」

 僕の予想を再び否定する村井蒼空。どういうことかと問い詰めようとした瞬間、村井蒼空は両手を口にあてて大きく咳き込んだ。そして、おびただしい量の血痕がついた両手を僕らに向けてきた。

「蒼空――」

「蒼空君!」

 僕の驚いた声と、京香の悲鳴に似た声が重なり、京香が慌て崩れ落ちた村井蒼空を抱き抱えた。

「秀一さん、救急車――」

「待って、お姉ちゃん!」

 慌てる京香を遮るように、村井蒼空が声を上げた。

「蒼空君」

「お姉ちゃん、もう僕は助からないんです」

「駄目よ、そんなこと言ったら」

「お姉ちゃん、僕は死ぬのは怖くないんです。だって、レナのいる世界に行けるんですから」

 弱々しく村井蒼空が笑った。その言葉に、京香が続けようとした言葉を飲み込むのがわかった。

「お兄ちゃん、僕が警察に通報しなかったのは、警察が信じられなかったからだけなんです。それだけじゃなくて、大人を信用できなかったからなんです」

 京香に寄りかかったまま、村井蒼空が弱々しく呟いた。その瞳には、寂しげな光が宿っていた。

「信用できなかった?」

「はい。僕は、レナを守ってやりたかったんです。けど、僕にはその力がありませんでした。だから、警察や大人に助けて欲しいとお願いしました。でも、誰も僕の話は聞いてくれませんでした」

 苦しげに語る村井蒼空の表情が、一気に曇っていく。村井蒼空は、レナを探す為に警察へ捜索するようにお願いしていた。けど、それもレナの母親のせいもあって実現しなかった。そう考えると、村井蒼空が警察や大人を信用しなくなっても不思議ではなかった。

 いや、そもそも村井蒼空は、最初から大人を信用していなかったかもしれない。風呂場で見た村井蒼空の体にあった虐待の痕からしても、村井蒼空が大人にいいイメージを抱いているとは思えなかった。

「だから、警察には頼りたくなかったんです。でも、そうなると僕のアイデアは成功しないことになります。僕のアイデアは、お兄ちゃんの言う通り、入れ替わった僕をタケルとして見つけてくれる人がどうしても必要だったんです」

 その候補として僕が選ばれた。レナの姿が見えて、かつ、村井蒼空を匿ってくれる人として、村井蒼空はレナに紹介されて僕を頼ってきた。

 多分、普通に生きていたら、僕は村井蒼空を助けていなかっただろう。けど、両親不在という環境に加え、斗真を失った京香という妹がいたことが、結果的に村井蒼空を受け入れることになった。まるで、運命の悪戯のように、僕と村井蒼空は出会うべくして出会ったのかもしれない。

「最初は、上手くいくか心配でした。でも、お兄ちゃんもお姉も僕を見捨てずに匿ってくれました。そのことは、とても嬉しかったです」

 苦しそうに顔を歪ませながらも、弱々しく笑う村井蒼空。その姿が斗真と重なって見えた僕は、続ける言葉を失ったまま動けなくなってしまった。

「蒼空君、やっぱり病院に行こうよ」

 再び咳き込んで吐血した村井蒼空を、京香が包み込むように抱きしめる。多分、京香にも村井蒼空の姿がはっきりと斗真に見えたのだろう。

「お姉ちゃん、心配しないでください」

 京香の両腕の中から顔をのぞかせた村井蒼空が、斗真と瓜二つの笑顔を見せた。

「僕は、ここでタケルとして死なないといけないんです」

「どうして? 蒼空君もタケル君と同じように生きていこうよ」

「僕は大丈夫です。レナのいる世界にいけるんですから。それに、タケルにはちゃんと生きて欲しいんです」

「でも――」

「お姉ちゃん、タケルは僕に初めてできた親友なんです。だから、タケルを助けてやりたいんです」

 弱く掠れた村井蒼空の言葉に、京香が目を大きく見開いたまま固まってしまった。多分、村井蒼空の「親友」という言葉に胸を打たれたのだろう。

 斗真は、ずっとイジメられていたせいで友達がいなかった。そのことを、京香は常に心配していた。そんな斗真と瓜二つの村井蒼空の口から出た「親友」という言葉は、京香がずっと待っていた言葉でもあった。

 僕はゆっくりと京香に歩み寄り、その肩に手を置いた。京香は泣くのを堪えようとしていたけど、僕を見上げた途端に、その瞳からは大粒の涙が流れ落ちていった。

「蒼空、レナのことがやっぱり好きなんだな?」

 僕の言葉に、当然だよとでも言うように、村井蒼空が大きく頷いた。

「蒼空君、レナちゃんに会ったらちゃんと守ってやるんだよ。それに、今度は体を大切にすること。いい? それから――」

「大丈夫ですよ、お姉ちゃん」

 説得を諦めた京香が、いつもの心配症へと変わる。そんな京香を、村井蒼空は嬉しそうに笑って見ていた。

「レナに会ったら、出会えて楽しかったと伝えて欲しい」

 そう伝えながら村井蒼空の手を握る。村井蒼空が微かに握り返してきたところで、京香が僕に手を差し出してきた。その手を、僕は無理矢理笑いながら握り返した。

「生きていても、ただ辛いだけでした。でも、そんな世界をレナが変えてくれました。地獄だった日々でしたけど、レナといる時だけは幸せでした。それに、最後にお兄ちゃんとお姉ちゃんに会えて良かったです」

 途切れ途切れに語る村井蒼空の息が、はっきりと弱くなっていく。けど、その表情には苦悶の色はなく、穏やかな寝顔のように見えた。

「レナ、君のところに行くから――」

 消えいく声で呟いた村井蒼空の腕が、力を失ったように垂れ下がった。同時に、腰に挟めてあった拳銃が転がり落ちてきた。

 ――一発の銃弾が世界を変える

 村井蒼空の言葉が、ゆっくりと頭を過っていく。村井蒼空は、自分たちの世界を変えようとしていると思ったけど、それは間違いだった。

 村井蒼空が変えようとしたのは、タケルの世界だけだった。

 村井蒼空の世界は、レナと出会ったことでとっくに変わっていた。

 だから、村井蒼空は自分が死ぬことも怖れなかった。

 大好きなレナのいる世界こそが村井蒼空の世界であり、その世界に行くのだから、村井蒼空にとっては生きることよりも幸せだったのかもしれない。

 視界が滲んでいき、頬を冷たいものが流れていった。村井蒼空は、この小さな体で、過酷な世界を生きてきた。

 そこには、レナを想う気持ちがあり、レナへの気持ちを貫いた村井蒼空の姿があった。

「秀一さん?」

 村井蒼空を泣きながら抱きしめていた京香が、不思議そうな顔で見つめてきた。

「村井蒼空が羨ましいよ。ちゃんと自分の想いを貫いた上に、タケルを助けたんだから」

 慌て涙を拭いながら、僕は無理矢理に京香へ笑ってみせた。

 一発の銃弾でタケルの世界を変えた村井蒼空を前にして、僕は自分の中でなにかがはっきりと形になっていくのを感じた。

―第四章 了――