翌日には、レナの遺体とキャロルの遺体が見つかった件で大騒ぎになっていた。どちらの遺体も殺害された可能性があるとして、警察は捜査本部を設置し、大々的にキャロルに対する捜査を展開させることになった。

 そんなニュースが報じられる一方、いまだにミスターXが捕まっていないことに対して、いくつもの議論が繰り広げられていた。中には最初から存在していないのではという説まで浮上していて、情報はますます混乱するばかりだった。

 学校の準備をすませた僕は、 全てのニュースにタケルが捕まったという情報がないことを確認すると、もう少しだけとせがむ千夏を押しきってテレビを消した。

 今のところ、タケルが無事なことに少しだけ安心することができた。けど、二度と戻ってくることはない予感がするだけに、突然の別れはこの家に暗い影を落としていた。

――一応は、タケルの考えたとおりになったのかな

 ニュースの内容を思い出しながら、いなくなったタケルに思いを馳せる。結果的にはタケルが思っていたとおりの結末になったとはいえ、腑に落ちない違和感はまだ拭いきれなかった。

――タケルは、一体どんな世界を描いていたんだろう?

結局、タケルたちが変えたかった世界の意味はわからなかった。そのことが悔しくて、苛立ちに任せて拳を握りしめたとくだった。

「ちょっと千夏、何度言ったらわかるの?」

 登校しようと千夏が立ち上がったところで、洗濯物と格闘していた京香が苛立ちを含ませた声をかけてきた。どうやら替えの制服に生徒手帳を入れたままにしていたことに、京香は怒っているみたいだった。

「お姉ちゃん、遅れるから後お願いね」

 千夏は怒られると察知したのか、鞄を手にするとそそくさと家から出て行った。

「もう。いつもこうなんだから」

 京香がぶつぶつと独り言を繰り返しながら、忙しく動き回る。その動きはいつものことだけど、どこか寂しさを紛らわせているようにも見えた。

 京香がテーブルに置いた千夏の生徒手帳を手にしてみる。身分証の欄には写真がついていて、童顔の千夏がかしこまっていた。

 ――生徒手帳?

 何気なくテーブルに戻した瞬間、生徒手帳という単語が引っ掛かった。どこかで聞いたような気がして記憶の中を探ってみた。

 ――え?

 生徒手帳という単語を聞いた場面を思い出した途端、ある疑惑が頭の中に弾けた。

 ――村井蒼空は逃げるのに失敗したんじゃなくて、最初から捕まるつもりだったとしたら?

 タケルたちが考えた警察官銃撃事件は、どう考えてもリスクしかない。けど、もし最初からどちかが捕まるつもりでいたとしたら、一人を逃がす為にもう一人が犠牲になることでリスクを避けられるかもしれない。

 ――でも、なんでそんなことをしたんだ?

 気を落ち着かせて、慎重に疑惑と向き合ってみる。その瞬間、残されていた謎が顔を出し、疑惑と重なったところで僕の中に確信的な答えが浮かんできた。

「そうか、そういうことだったのか」

「秀一さん、どうしたの?」

 一仕事を終え、登校しようとしていた京香が足を止めてリビングに入ってきた。

「なんで気づかなかったんだろう」

「え?」

 僕の言葉に、京香が眉間にシワを寄せた。

「警察は、病院に運ばれた中学生を村井蒼空だとしている。木村から聞いた話だと、生徒手帳から身元が判明したとなってるけど、これって変だよね?」

 僕の言葉に、京香が鞄をテーブルに置いて僕のそばに近寄ってきた。

「なんで村井蒼空は生徒手帳なんか持っていたんだ?」

「蒼空君は中学生だから、持ってても変じゃないと思うけど」

「学校に行っていないのに?」

 僕が切り返すと、京香は口を開けたまま固まった。どうやら僕の言った不自然さに気づいたみたいだった。

「学校に行っていないということに関したら、タケルもそうだ。学校に行ってない奴が、なぜ制服を着ていたんだ? その前に、タケルは戸籍がないから入学できる学校があったとは考えにくい。なのになぜ、学生服姿でいたんだ?」

 疑惑を口にしながら、一つ一つを検証していく。タケルも村井蒼空も学校には行っていない。けど、村井蒼空は戸籍があるから、中学校は決まっていたはず。だから、その学校から生徒手帳を送られていたとしてもおかしくはない。そして、その生徒手帳を使って、誰も知らない自分たちの存在を証明しようと考えたとしたら――。

「僕たち、なにもわかっていなかった」

「わかっていなかったって、なにを?」

「レナの遺体にかけられていた学ランには、村井蒼空の名前があった。だとしたら、学生服姿でいるのは村井蒼空になるよね?」

 僕の問いに、京香が眉間にシワを深く刻んでいく。けど、すぐにその表情は驚きに変わっていった。

「村井蒼空とタケル、誰も知らないこの二人をどうやって判別したらいい?」

「秀一さん、まさか二人は――」

「おそらくだけど、入れ替わっていると思う」

 不自然に持っていた生徒手帳。誰も二人の存在を知らないがゆえに、唯一身分を証明できる物が生徒手帳だけだとしたら、それを持っていたタケルを、村井蒼空だと警察が認定してもおかしくはないかもしれない。

 実際に、警察もマスコミも病院にいる中学生を村井蒼空と認定し、逃げた中学生をミスターXとしている。けど、本当の意味では、タケルと村井蒼空を判別しているとは言い切れないのではないだろうか。

「だから、家を放火したんだ。自分の痕跡を消す為にね」

 村井蒼空は、母親の遺体をどうにかしようとして放火しただけではなかった。自分に関する情報を抹消する為にも、自分の家に放火したはずだ。

 その結果、残ったのが戸籍と生徒手帳だった。村井蒼空は、タケルと入れ替わる為にあえて生徒手帳を残したに違いない。

「木村が、わざわざ警察官を狙ったのは不自然だと言ってた。注目を集めて囮になる方法としてはリスクが高いってね。でも、リスクなんてなかった。最初から、一人は捕まるつもりでいたんだと思う。タケルを、村井蒼空と認定してもらう為にね」

 タケルと村井蒼空が起こした警察官銃撃事件の真相。

 それは、マスコミを利用して警察を動かし、仇をとるだけではなかった。

 本当の目的は、タケルと村井蒼空が入れ替わることだった。

 僕の家に来たのがタケルではなく村井蒼空だとしたら、このアイデアを考えたのも村井蒼空だろう。

 十三歳が考えた無茶苦茶なアイデア。でも、二人はそれを実行して成功させた。成功できた理由はただ一つ。誰も二人のことを知らなかったからだ。

 けど、村井蒼空のアイデアにも唯一の欠点があった。それは、タケルになった村井蒼空が制服を着ていたことだ。学校に行ってないタケルが、制服を着ているのは変だとは思わなかったのたろうか。それとも、よほどの思い入れが制服にあったのだろうか。

 完璧に思えたアイデア。でも、そこに残された綻びから、なぜか村井蒼空の切ない気持ちが現れている気がした。

「ちょっと出かけてくる」

 タケルと村井蒼空が入れ替わっているとしたら、僕の家に来たのが村井蒼空だとしたら、村井蒼空が消えた理由は一つしかなかった。

「秀一さん、蒼空君の所に行くんでしょ? 私も一緒に行く」

「いや、それは――」

 やめた方がいいと言いたかった。けど、言えなかった。あまりにも京香の思い詰めた表情に、言葉が喉に詰まって出てこなかった。

「私、もう色んなことから逃げたくないの」

 京香はそうはっきりと口にすると、黙って僕を睨んできた。なにから逃げているのかはわからないけど、京香なりになにかと向き合おうとしているのが伝わってきた。

「急ごう。あまり時間がないかもしれない」

 京香に一緒に行くことを告げると、僕は家を飛び出した。既にニュースでは、警察がキャロルの壊滅に向けて動きだしたと報道している。それを村井蒼空が知ったとしたら、おそらくこの世に思い残すことはないだろう。

 僕の考えが正しければ、村井蒼空は秘密基地にいるはず。そう確信があった。秘密基地までは、急いでも一時間はかかる。けど、自転車で行けばそんなに時間はかからない。

 庭にある自転車に目がいった。斗真を死なせてから一度も自転車には乗っていない。けど、時間があまり残されてない可能性がある以上、迷っている暇はなかった。

「京香、後ろに乗って」

 今は京香が使っているシルバーの自転車を取り出し、玄関から出てきた京香に声をかける。京香は一瞬、驚いた表情を見せたけど、すぐに真顔になって後ろに乗ってくれた。

 快晴の空の下、なだらかな坂道を下りていく光景は、一年前に斗真を乗せて出かけた時と同じだった。

 斗真がいなくなって一年。決して埋まるはずのなかった京香との溝。今も埋まることはないけど、でも、こうして二人で自転車に乗る日がくるとは思わなかった。

 そのきっかけを作ってくれたのは村井蒼空だ。斗真に似た顔立ちで僕らの前に現れ、止まっていた僕と京香の時計の針を動かしてくれた。

 ――間に合うか?

 坂道を下り終わった僕は、減速することなくさらにスピードを上げた。