思い立ったらすぐに実行しろ――。

 お母さんの彼氏だった目つきの悪い熊みたいな人が言ってた言葉。くよくよ考えるからチャンスを逃すんだと、朝から酒臭い息を吐きながら語っていたことを思い出し、僕はタケルに会いに行くことに決めた。

 僕が考えた作戦には、協力者が二人必要だった。そのうちの一人がタケルだ。逃げる気満々のタケルを説得するのは大変だけど、今回は上手くいくはず。タケルにとっては悪い話じゃないから、きっと協力してくれると思う。

 問題は、もう一人の方。僕とタケルで警察官を撃った後、警察とマスコミがレナの存在に目を向けたタイミングで、レナの遺体を見つけてくれる人物が必要だった。

 本当は、僕らが頃合いを見て警察に連絡するのが一番なんだけど、僕が捕まらない保証はないし、できれば僕は完全に姿を消しておきたかった。それに、この作戦には僕らとは関係ない人の協力が必要不可欠だ。レナの姿が見える人で、かつ、遺体を探して通報してくれるような人がどうしても必要だった。

 そんな都合のいい人がいるかは正直期待できなかったけど、レナには一人だけ心当たりがあるみたいだ。ただ、今は物凄く不機嫌そうにしているから、 誰なのかは教えてくれそうになかった。

 相変わらず降ったり止んだりの空模様の下、顔を伏せたまま小走りで秘密基地に向かった。その間、レナはそばにいてくれたけど、不機嫌さを隠すことなく一言も話してくれなかった。

 多分、レナにしてみたら、僕のアイデアは納得いかないんだと思う。成功したら全て解決できるといっても、代償は払わないといけない。その代償を考えたら、賛成できないというのがレナの気持ちなんだと思う。

 それはそれで嬉しいんだけど、ここまできたらもう後には引けなかった。一生警察やキャロルに追われて暮らすくらいなら、新たな道を進んだほうがいいと僕なりに考えていた。

「蒼空、来てくれたのか?」

 秘密基地の窓から中を覗くと、タケルが僕の顔を見て嬉しそうに手をあげた。

「蒼空、今晩貨物列車が走るから、それに紛れて逃げようぜ」

 タケルは僕が逃げると思っているみたいで、早速逃走手段と行き先を話し始めた。

「タケル、僕は逃げないよ。キャロルに復讐するつもりだ」

「蒼空、まだ馬鹿なこと言ってるのか?」

「タケル、聞いて欲しいんだ。確かに馬鹿なことかもしれないけど、でも、たった一つだけこの状況を変えられる方法があるんだ」

 タケルは露骨に嫌そうな顔をしていたけど、僕に案があるとわかり、渋々ながら僕と向かい合ってくれた。

「タケル、僕はこの拳銃で警察官を撃つつもりでいるんだ」

 バックから拳銃を取り出し、おどけながら構えて見せる。口を開けたまま固まっていたタケルに、僕は計画の全てを打ち明けた。

「それって――」

 話を聞き終えたタケルは、半ば放心したように口を半開きにしたまま視線をさ迷わせていた。

「上手くいけば、全て解決すると思わない?」

 僕は笑顔を作りながら尋ねてみた。タケルの横でレナが大きくため息をつくのが見えた。

「本気、なのか?」

「本気だよ。それに、タケルにとっても悪い話じゃないよね?」

 僕の言葉に、タケルの瞳が揺れた。タケルにしたらやりたい話なんだろう。けど、代償が邪魔をしてすぐには受け入れられないでいるみたいだった。

「けどよ」

「タケル、やっぱり僕はレナが好きなんだ。色々考えてみたけど、この気持ちは変わらないんだ。ずっと一緒だったし、レナをこのまま一人にはさせたくないんだ」

 なにかを言いかけたタケルを遮って、僕は自分の決心と覚悟を伝えた。

「それに、僕にはあまり時間が残されてないんだ」

 最後にそう付け加え、僕は咳き込んで両手に付いた血をタケルに見せた。

「蒼空、お前――」

 手のひらに広がる血を見て、タケルの顔が驚きに変わる。病院に行くことさえできない僕らにとって、この状況が意味することを、タケルは感じ取っているみたいだった。

「くそ、わかったよ」

 しばらくして真顔に戻ったタケルが、頭を激しくかきながら呟いた。

「蒼空の覚悟に付き合ってやるよ。ただし、やるって決めたら、もう後戻りできないぞ」

 タケルの真面目な表情に、僕は黙って頷いた。

「で、いつやるんだ?」

「今からだよ」

 僕が即答すると、タケルは呆れてため息をついた後、しょうがない奴だと言うように笑った。

 二人で秘密基地を後にして、僕の家に戻る。家に着いた時には夜になっていた。これからやる作業を考えたら、暗い方が都合が良かった。

「持ってきたぜ」

 家の中にある物で、特に僕に関する物を集めていたところに、タケルが灯油の入ったポリタンクを抱えてやってきた。この季節にあるかは不安だったけど、意外と民家の倉庫にあるもんだと、タケルが額の汗を拭いながら笑った。

 タケルと二人で、家の中に灯油を撒いていった。僕に関する物といっても数えるほどしかなく、目的の物だけをポケットに入れ、後は火種となるゴミの山の中に捨てて残りの灯油をかけた。

「本当にいいんだな?」

「大丈夫だよ。後は自分で火をつけるから、タケルは先に秘密基地に帰っていて。あ、例の物を調達するのは忘れないでね」

 僕が確認すると、タケルは黙って頷いた。しばらく名残惜しそうにしていたけど、またなと言い残して出ていった。

 異臭と灯油の臭いが漂う部屋の中、僕はぼんやりとお母さんの遺体を見つめていた。

「もう、後戻りできないんだね?」

 しばらく姿を見せていなかったレナが、急に僕の隣に現れた。

「後戻りはしない。前に進むだけだよ」

「てか、こんな時に格好つけるなっつーの」

 レナがツッコミを入れてきたけど、その言葉はどこか弱く聞こえてきた。

「ここ、色んなことがあったよね」

 レナが、散らかった部屋を眺めながら小さく呟いた。レナと出会い、レナが家にいられない時には僕の家に連れてきていた。だから、レナにしてみたらこのゴミ屋敷は、第二の家と言えるのかもしれない。

「色々あったけど、それもこれでおしまい。これからは、新しい世界に行くんだ」

 僕はそう言って左手をレナに差し出した。レナは僕を一度だけ見つめた後、右手を重ねてくれた。

「もし、蒼空は私に出会わなかったら、こんな目に遭わなかったと思う?」

 ライターをポケットから取り出した僕に、レナがゴミの山を見つめたまま尋ねてきた。

「こんな目に遭わなかったと思うよ」

 そう答えると、レナは少しだけ悲しそうな瞳を向けてきた。

「レナと出会っていなかったら、地獄に耐えられずにとっくに死んでいたと思う。だから、こんな目に遭うことはなかったかな」

 冗談っぽく、でも気持ちを込めてレナに伝えた。

「馬鹿」

 レナはそう吐き捨てると、そっぽを向いてしまった。でも、その肩は小さく震えていて、重ねられた右手はより強く僕の左手を握っているように見えた。

 ライターで新聞紙の切れ端に火をつけ、ゴミの山に放り投げる。小さかった炎はすぐに大きくなり、やがて家を飲み込むように広がり始めた。

「お母さん、バイバイ」

 勝手口から脱出した後、一度だけふり返って呟いた。別に大した思い出はなかったけど、なぜか涙が溢れてきた。

 ――新しい世界へ行くんだ

 僕は乱暴に涙を拭うと、家から持ち出してポケットに入れておいた物を握りしめて、秘密基地に向かって走り出した。