久しぶりにゆっくりと眠った気がした。微睡みの中、ゆっくりと現実に色が帯びていく。窓から差し込む光の強さから、今はお昼過ぎぐらいの時間だと予想できた。
――うわっ、ヤバい!
弾けるように起き上がると、台所に駆け込んで勢いよく蛇口をひねった。けど、水はいくらひねっても出なかった。どうやら水道まで止められているみたいだった。
小さく舌打ちしながら急いで冷蔵庫を開ける。腐った臭いに鼻がもげそうになったけど、なんとかハムを一つ取り出した。変色して嫌な臭いしかしないけど、とりあえず乾いた食パンにはさむことにした。
即席のサンドイッチと、床に転がっているビールを手にしてお母さんのもとに向かう。お母さんの食事は僕の担当だから、起きる前に用意しておかないと大変なことになってしまう。
焦る気持ちで食事を運んだけど、お母さんはまだ寝ていたからほっとした。けど、すぐに昨夜のことを思い出し、僕は力が抜けるようにその場に崩れ落ちた。
お母さんはもう死んでいるんだ――。
その現実が、やけに重くのしかかってきた。これからどうしたらいいのか、僕はどうなるのか。そんな現実を再びつきつけられ、立ち上がることさえできずにお母さんをぼんやり見ていた。
「村井さーん、いるんでしょ?」
音のない部屋に、突然玄関を激しく蹴りつける音と、聞き慣れた男の怒声が聞こえてきた。
――うわっ、怖い人たちが来た
男の怒声に、全身が寒気で震え出した。身を低くして這いずりながら、いつものように押し入れに避難した。
「おい、村井! いい加減にしろよ!」
怒号が襖を越えて聞こえてくる。お母さんの知り合いの中でも、特にたちの悪い借金取りと呼ばれる人たちだ。見つかったらどんな目に遭うか想像もできなかった。
身を縮め、両耳を思いっきりふさぐ。玄関を蹴る音、窓を割る音が響き、僕は嵐が過ぎるのをひたすら待ち続けた。
『ったく、どこに行ったんだ』
『確か、クソガキもいましたよね?』
『ガキをさらってやりたいが、ガキもどこにいるのか見当もつかねえ。おいお前ら、女が無理ならガキを見つけ出してさらってこい』
『しかし、ガキを見つけるにしても、ここのクソガキは学校も行ってないような奴ですよ。知り合いもいないみたいですし、誰も知らないから探しようがないですよ』
『それを見つけるのがお前らの仕事だろうが。いいか、確かレナっていう女のガキなら知ってたはずだ。ガキの居場所がわからなかったら、レナを探してこい!』
男の怒号が響いたところで、嵐が過ぎたように静けさが戻ってきた。外の気配に神経を集中させて様子を伺う。どうやら借金取りの人たちはいなくなったみたいだ。
ほっと一息つき、襖を開けて這い出ると、困ったような表情を浮かべたレナが立っていた。
「あんた寝起きから忙しすぎ」
腕を組んだままのレナが、壮大なため息をつく。どうやら僕のことを黙って見ていたらしい。
「仕方ないよ、いつものことだし。それよりお腹空かない? 朝ご飯用意するよ」
「だから、死んでるっつーの」
そそくさとご飯の準備に取りかかろうとする僕に、レナが呆れ気味のツッコミをいれてきた。
「ちょっとタケルの様子を見てきたんだけど、早ければ今夜には町を出るみたいよ」
レナが様子を見た感じだと、タケルは今日一日だけ僕を待ってみて、来なければ町を離れるつもりでいるらしい。タケルにしたら、キャロルのメンバーとトラブったわけだから、一日でも早く逃げたい様子だったという。
「私のことをどうするか、決めてる暇はないんじゃない?」
「え?」
突然、真顔になったレナが僕に詰めよってきた。
「タケルが感じてる通り、キャロルのメンバーとトラブった以上、この町にいたら危険だよ。だから、私のことはもういいから、早くタケルと逃げたほうがいいって」
「でも、そうしたらレナが」
「だから、何度も同じ事を言わせるなっつーの。私にかまってたら、キャロルのメンバーに酷いことされるんだよ」
その言葉に、レナの遺体が頭に浮かびそうになって、僕は慌て頭を振ってイメージを追い出した。
レナの言う通り、キャロルが先にメンバーの遺体を見つけたら大変なことになるのは簡単に予想できた。あの時逃げたメンバーは、僕が撃ったことを知っている。メンバーの遺体が発見されたら、真っ先に僕が標的になってもおかしくはなかった。
でも、それでも諦めがつかなかった。このままレナの仇もとれないまま逃げ続けることに、どうしても決心がつかなかった。
そんな諦めの悪さがいい方向に転んだのか、 空回りし続ける思考の中に、そっと妙案が浮かんできた。更には、さっきの借金取りが叫んでいた言葉が引き金となって、妙案が鮮やかに色づいていった。
「僕らのこと、誰も知らないんだ」
散らばっていた妙案が線でつながっていく中、僕はぶつぶつと独り言を繰り返していた。
「急にどうしたの?」
「さっき、借金取りの人たちが言ってたよね。僕のことはレナ以外は誰も知らないから、レナを探せって。ひょっとしたら、警察もマスコミも同じ事を考えるんじゃないかな?」
僕の考えはこうだ。僕とタケルが警察を相手に問題を起こして逃げる。警察は僕とタケルを捕まえる為に、手掛かりとなるレナを探そうとするはず。
そこまで考えをまとめた瞬間、僕の中に一つのイメージがわき上がってきた。それは頼りない小さな希望だったけど、やり方によっては、大きな希望の光になるような気がしてきた。
「確かに、あんたらを探す為に警察は私を探すかもね。でも、だからといって、私のことを捜査するかはわからないでしょ?」
「捜査するんじゃなくて、させるんだよ。ほら、警察を動かすにはマスコミを動かせばいいって言ったよね? だから、僕とタケルで警察官を銃撃する。そうすれば、全て解決すると思うんだ」
レナに説明している間も、思いついた案が頭の中で具体的な形になっていく。キャロルのメンバーを殺害してしまった件も、タケルや僕が抱えている問題も、全て解決できる魔法のようなアイデアが僕の中で完成した。
「どうしたの?」
興奮気味に話していた僕が黙ったから、レナは変に思ったみたいだ。僕は無理に笑顔を作りながら、出来上がったアイデアをもう一度頭の中で再現してみた。
僕が思いついたアイデアは、成功すれば全ての問題が解決するはず。その為には、どうしても犠牲にしないといけないものがあった。
「あんた、ヤバいこと考えてない?」
なにかを察知するみたいに、レナが目を細めてつっこんできた。勘のいいレナだから、僕がよからぬことを考えていると思ったのかもしれない。
違うよと否定しようとしたところで、強烈な吐き気に襲われた。両手で口を押さえたけど間に合わなくて、両手に信じられないような量の血を吐いた。
「蒼空、あんた――」
僕の様子を見ていたレナの表情が一瞬で曇り、その声が掠れていった、
「大丈夫――」
心配いらないと続けようとした言葉を更なる吐血が遮り、僕は力が抜けてその場に崩れ落ちた。
「ちょっと、蒼空!」
心配した表情で、レナが悲鳴のような声を上げる。その声も遠くに聞こえる中、僕は自分の体に起きている異変をはっきりと自覚した。
――僕、死んでしまうんだ
遅れてやってきた痛みに耐えながら、目を背けていた現実と向き合う。僕の体に起きている異変は、死を予感させるには充分だった。
――だったら、一層のこと
絶望と恐怖に意識が沈む中、不意に射し込んできた光が、強烈な閃光となって僕の中を貫いていった。
「レナ、もう大丈夫。なんとかなりそうだよ」
「大丈夫って、全然大丈夫じゃないじゃない!」
「大丈夫。上手くいけば、きっと全てが解決するよ」
泣き顔になって怒声を上げるレナに、優しく語りかける。光の中で見たものが実現すれば、きっと全てが解決する自信があった。
「ねえ蒼空、あんたなに考えてるの?」
僕の言葉に不満を持ったみたいで、レナは眉間にしわを寄せて声を荒げた。
「心配ないよ。きっと上手くいくから」
レナをなだめるように笑顔を作ったけど、レナはさらに眉間のしわを深くした。仕方なく僕は、思いついたアイデアを話した。
「あんた、馬鹿なの?」
期待を込めたアイデアだったけど、レナはマジギレして否定してきた。
「なんで?」
「なんでって、そんなの無理に決まってる。だって――」
「大丈夫。だって、タケルは僕の初めての友達なんだし、それに、やっぱり僕はレナが好きなんだ」
更になにかを言いかけたレナを、僕は想いを込めて遮った。レナのことを想う気持ちがある限り、僕はこのアイデアを成功させる自信があった。
「あんた、本当に意味わかってるの?」
「わかってるよ」
「だったら、成功しても――」
「大丈夫。成功したら、僕は――」
僕はレナに近づき、耳もとで最後の秘策を打ち明けた。
「たった一発の銃弾で世界が変わるんだ。やらない手はないよ」
僕は拳銃を取り出し、おどけながらも格好をつけつつ構えてみせた。
そんな僕を見てか、レナは驚いて硬直したまま動かなくなった。
~第三章 了~
――うわっ、ヤバい!
弾けるように起き上がると、台所に駆け込んで勢いよく蛇口をひねった。けど、水はいくらひねっても出なかった。どうやら水道まで止められているみたいだった。
小さく舌打ちしながら急いで冷蔵庫を開ける。腐った臭いに鼻がもげそうになったけど、なんとかハムを一つ取り出した。変色して嫌な臭いしかしないけど、とりあえず乾いた食パンにはさむことにした。
即席のサンドイッチと、床に転がっているビールを手にしてお母さんのもとに向かう。お母さんの食事は僕の担当だから、起きる前に用意しておかないと大変なことになってしまう。
焦る気持ちで食事を運んだけど、お母さんはまだ寝ていたからほっとした。けど、すぐに昨夜のことを思い出し、僕は力が抜けるようにその場に崩れ落ちた。
お母さんはもう死んでいるんだ――。
その現実が、やけに重くのしかかってきた。これからどうしたらいいのか、僕はどうなるのか。そんな現実を再びつきつけられ、立ち上がることさえできずにお母さんをぼんやり見ていた。
「村井さーん、いるんでしょ?」
音のない部屋に、突然玄関を激しく蹴りつける音と、聞き慣れた男の怒声が聞こえてきた。
――うわっ、怖い人たちが来た
男の怒声に、全身が寒気で震え出した。身を低くして這いずりながら、いつものように押し入れに避難した。
「おい、村井! いい加減にしろよ!」
怒号が襖を越えて聞こえてくる。お母さんの知り合いの中でも、特にたちの悪い借金取りと呼ばれる人たちだ。見つかったらどんな目に遭うか想像もできなかった。
身を縮め、両耳を思いっきりふさぐ。玄関を蹴る音、窓を割る音が響き、僕は嵐が過ぎるのをひたすら待ち続けた。
『ったく、どこに行ったんだ』
『確か、クソガキもいましたよね?』
『ガキをさらってやりたいが、ガキもどこにいるのか見当もつかねえ。おいお前ら、女が無理ならガキを見つけ出してさらってこい』
『しかし、ガキを見つけるにしても、ここのクソガキは学校も行ってないような奴ですよ。知り合いもいないみたいですし、誰も知らないから探しようがないですよ』
『それを見つけるのがお前らの仕事だろうが。いいか、確かレナっていう女のガキなら知ってたはずだ。ガキの居場所がわからなかったら、レナを探してこい!』
男の怒号が響いたところで、嵐が過ぎたように静けさが戻ってきた。外の気配に神経を集中させて様子を伺う。どうやら借金取りの人たちはいなくなったみたいだ。
ほっと一息つき、襖を開けて這い出ると、困ったような表情を浮かべたレナが立っていた。
「あんた寝起きから忙しすぎ」
腕を組んだままのレナが、壮大なため息をつく。どうやら僕のことを黙って見ていたらしい。
「仕方ないよ、いつものことだし。それよりお腹空かない? 朝ご飯用意するよ」
「だから、死んでるっつーの」
そそくさとご飯の準備に取りかかろうとする僕に、レナが呆れ気味のツッコミをいれてきた。
「ちょっとタケルの様子を見てきたんだけど、早ければ今夜には町を出るみたいよ」
レナが様子を見た感じだと、タケルは今日一日だけ僕を待ってみて、来なければ町を離れるつもりでいるらしい。タケルにしたら、キャロルのメンバーとトラブったわけだから、一日でも早く逃げたい様子だったという。
「私のことをどうするか、決めてる暇はないんじゃない?」
「え?」
突然、真顔になったレナが僕に詰めよってきた。
「タケルが感じてる通り、キャロルのメンバーとトラブった以上、この町にいたら危険だよ。だから、私のことはもういいから、早くタケルと逃げたほうがいいって」
「でも、そうしたらレナが」
「だから、何度も同じ事を言わせるなっつーの。私にかまってたら、キャロルのメンバーに酷いことされるんだよ」
その言葉に、レナの遺体が頭に浮かびそうになって、僕は慌て頭を振ってイメージを追い出した。
レナの言う通り、キャロルが先にメンバーの遺体を見つけたら大変なことになるのは簡単に予想できた。あの時逃げたメンバーは、僕が撃ったことを知っている。メンバーの遺体が発見されたら、真っ先に僕が標的になってもおかしくはなかった。
でも、それでも諦めがつかなかった。このままレナの仇もとれないまま逃げ続けることに、どうしても決心がつかなかった。
そんな諦めの悪さがいい方向に転んだのか、 空回りし続ける思考の中に、そっと妙案が浮かんできた。更には、さっきの借金取りが叫んでいた言葉が引き金となって、妙案が鮮やかに色づいていった。
「僕らのこと、誰も知らないんだ」
散らばっていた妙案が線でつながっていく中、僕はぶつぶつと独り言を繰り返していた。
「急にどうしたの?」
「さっき、借金取りの人たちが言ってたよね。僕のことはレナ以外は誰も知らないから、レナを探せって。ひょっとしたら、警察もマスコミも同じ事を考えるんじゃないかな?」
僕の考えはこうだ。僕とタケルが警察を相手に問題を起こして逃げる。警察は僕とタケルを捕まえる為に、手掛かりとなるレナを探そうとするはず。
そこまで考えをまとめた瞬間、僕の中に一つのイメージがわき上がってきた。それは頼りない小さな希望だったけど、やり方によっては、大きな希望の光になるような気がしてきた。
「確かに、あんたらを探す為に警察は私を探すかもね。でも、だからといって、私のことを捜査するかはわからないでしょ?」
「捜査するんじゃなくて、させるんだよ。ほら、警察を動かすにはマスコミを動かせばいいって言ったよね? だから、僕とタケルで警察官を銃撃する。そうすれば、全て解決すると思うんだ」
レナに説明している間も、思いついた案が頭の中で具体的な形になっていく。キャロルのメンバーを殺害してしまった件も、タケルや僕が抱えている問題も、全て解決できる魔法のようなアイデアが僕の中で完成した。
「どうしたの?」
興奮気味に話していた僕が黙ったから、レナは変に思ったみたいだ。僕は無理に笑顔を作りながら、出来上がったアイデアをもう一度頭の中で再現してみた。
僕が思いついたアイデアは、成功すれば全ての問題が解決するはず。その為には、どうしても犠牲にしないといけないものがあった。
「あんた、ヤバいこと考えてない?」
なにかを察知するみたいに、レナが目を細めてつっこんできた。勘のいいレナだから、僕がよからぬことを考えていると思ったのかもしれない。
違うよと否定しようとしたところで、強烈な吐き気に襲われた。両手で口を押さえたけど間に合わなくて、両手に信じられないような量の血を吐いた。
「蒼空、あんた――」
僕の様子を見ていたレナの表情が一瞬で曇り、その声が掠れていった、
「大丈夫――」
心配いらないと続けようとした言葉を更なる吐血が遮り、僕は力が抜けてその場に崩れ落ちた。
「ちょっと、蒼空!」
心配した表情で、レナが悲鳴のような声を上げる。その声も遠くに聞こえる中、僕は自分の体に起きている異変をはっきりと自覚した。
――僕、死んでしまうんだ
遅れてやってきた痛みに耐えながら、目を背けていた現実と向き合う。僕の体に起きている異変は、死を予感させるには充分だった。
――だったら、一層のこと
絶望と恐怖に意識が沈む中、不意に射し込んできた光が、強烈な閃光となって僕の中を貫いていった。
「レナ、もう大丈夫。なんとかなりそうだよ」
「大丈夫って、全然大丈夫じゃないじゃない!」
「大丈夫。上手くいけば、きっと全てが解決するよ」
泣き顔になって怒声を上げるレナに、優しく語りかける。光の中で見たものが実現すれば、きっと全てが解決する自信があった。
「ねえ蒼空、あんたなに考えてるの?」
僕の言葉に不満を持ったみたいで、レナは眉間にしわを寄せて声を荒げた。
「心配ないよ。きっと上手くいくから」
レナをなだめるように笑顔を作ったけど、レナはさらに眉間のしわを深くした。仕方なく僕は、思いついたアイデアを話した。
「あんた、馬鹿なの?」
期待を込めたアイデアだったけど、レナはマジギレして否定してきた。
「なんで?」
「なんでって、そんなの無理に決まってる。だって――」
「大丈夫。だって、タケルは僕の初めての友達なんだし、それに、やっぱり僕はレナが好きなんだ」
更になにかを言いかけたレナを、僕は想いを込めて遮った。レナのことを想う気持ちがある限り、僕はこのアイデアを成功させる自信があった。
「あんた、本当に意味わかってるの?」
「わかってるよ」
「だったら、成功しても――」
「大丈夫。成功したら、僕は――」
僕はレナに近づき、耳もとで最後の秘策を打ち明けた。
「たった一発の銃弾で世界が変わるんだ。やらない手はないよ」
僕は拳銃を取り出し、おどけながらも格好をつけつつ構えてみせた。
そんな僕を見てか、レナは驚いて硬直したまま動かなくなった。
~第三章 了~