翌日、学校をサボった僕と京香は、同じく学校をサボった木村が家に来るのを待っていた。タケルにはなにも話してはいなかったけど、妙な空気を感じ取っているみたいで、そわそわと落ち着かない瞳を僕と京香に向けていた。

「タケルくん、今日はレナちゃんの知り合いを訪ねて回るんだよ」

 朝食の後片付けを終えた京香が、リビングで不安そうにしているタケルに声をかける。今日もお揃いのジャージ姿だったことに、安心したような気まずいような感情が胸の中でざわついていた。

 呼び鈴が鳴り、京香と二人で木村を出迎える。木村は色違いだけど同じ格好をしている僕らを見て、隠すことなく動揺を見せた。

「京香ちゃん、秀一を憎んでいたよな?」

 玄関を出る際、木村が耳元で小さく囁いてきた。

「そうだけど?」

「いや、同じ格好をしているから、ちょっとびっくりして」

 木村が鼻の頭をかきながら、神妙な顔つきで僕と京香に何度も視線を向けてきた。木村の中で理解できないものがあるんだろう。その気持ちは、同じく理解できない僕も痛いほどわかった。

 レナの体探しは、昼間に行くことにした。学校が終わってからだと夜になるから、さすがに遺体を見つけるには気が引けたからだ。

 その為、昼間を選んだわけだけど、躾の厳しい木村が一緒に行くのは難しいかもしれないと思っていた。

 でも、木村はあっさりと参加してきた。学生服姿を見る限り、学校に行くふりをしてきたのだろう。

「兄ちゃん」

 特に話題もなく、微かにぎこちない雰囲気の中歩き出したところで、レナが突然姿を見せた。

「兄ちゃんたち、なんか葬式に行く雰囲気だね」

 レナが僕らを見ながら茶化してくる。これから自分の体を探すというのに、レナは相変わらずのハイテンションだった。

「秀一さん、レナちゃんがいるの?」

 僕の変化に気づいた京香が、感情のない瞳を向けてきた。その問いに頷くと、京香は一発でレナの前に右手を差し出した。

「あれ? 今日はボケないんだ」

 いつもの調子ではない京香に、レナが嬉しそうに笑ってみせる。そのまま、レナは手をつなぐように京香の右手に左手を重ねた。

「今、京香の右手を握っているよ」

 そう教えると、京香は見えていないはずのレナに笑顔を向けて右手を僅かに握りしめた。

「京香ちゃん、少し変わったか?」

 少しだけ離れて歩いていた木村が、僕を呼び寄せて耳元で囁いた。

「そうかな?」

 木村の問いに、僕は首を傾げるしかなかった。相変わらず僕に対しては無表情だし、時折向けられる視線にも刺ばかりを感じている。そこに変化があれば、鈍感な僕でもわかるはずだった。

「なんて言うか、前の京香ちゃんは秀一を完全拒絶していたけど、今は迷っているように見えるんだ」

「迷っているって、なにを?」

「なんて言うか、言葉にし難いんだけど、ちょっと角が取れたというか」

 そこまで口にして、木村は表現できない苛立ちを表すかのように、頭をかきながら意味不明なうめき声を上げた。

「実はよ」

 そう口にして、木村は僕の自殺に関して、京香とラインでやり取りをしていることを打ち明けてきた。木村は諦めた素振りを見せながらも、水面下ではまだ諦めていなかった。京香を説得する為に、嫌われてもかまわない覚悟でやり取りを続けているという。

「やり取りといっても、俺の一方通行だったんだ。返信もなかったしな。けど、最近になって一度だけ電話で話をしたんだ」

 どんなやり取りをしたのかはわからないけど、その結果、木村は京香が迷っていると判断したらしい。だから、昨日学校で話の場を作ったという。本来なら無視されて終わりなのに、京香は話の場に現れた。そのことからも、京香は完全拒絶の殻を少しずつ剥がしていると、木村は考えているみたいだった。

「俺はまだ、諦めてないからな」

 木村がそっぽを向いて呟いた。僕の反論には耳を貸さないと、態度で示しているみたいだった。

 ――木村

 木村の優しさに、胸の奥に封印している想いが疼きだした。何気ない日常を、このままこうして送れることができたらと望む気持ちが、抑えきれない勢いで膨らんでいった。

 ――でも

 膨らんだ気持ちも、斗真に会いたいと涙する京香の残像の前に萎んでいった。例え京香に変化があったとしても、根本的な部分には変化はない。僕が生きている限り、僕を見る度に、京香は斗真への気持ちと嫌でも向き合うことになる現実は、今までも、そしてこれからも変わらないだろう。

「ちょっとそこの二人、せっかくのお出かけ日和なのになんて顔をしてるの」

 前を歩いていたレナが、いつの間にかふりかえっていて呆れた顔をしていた。

 その顔に苦笑いで返すと、いつの間にか元に戻った木村が「どうした?」と聞いてきた。レナに呆られていると答えると、木村も僕と同じように苦笑いでごまかしていた。

 レナに変な奴と言われながら、僕らはエリアOO1へと向かった。快晴の空は天気予報通りで、山道へとたどり着いた時には全身が不快な汗にまみれていた。

「なんかこの風景、見覚えある」

 山道とはいっても、ちゃんと舗装された道をしばらく歩いたところで、急にレナがガードレールに走り寄った。

 ガードレールの先は、階段みたいに田んぼが広がっている。ちょうど田植えが終わった後だから、緑の絨毯が広がっているように見えた。

「このあたりで記憶がなくなった気がする」

 相変わらずあっけらかんと語るレナの言葉に、僕は少しだけ肩を落とした。心のどこかに、ひょっとしたら違うかもという期待があった。本当はエリアOO1なんかに行ってなくて、別の場所で事故に遭ったとかいうオチを期待していたけど、その期待は簡単に潰されてしまった。

 目的地の森が近づくにつれ、誰も言葉を発しなくなった。これから遺体と対面するかと思うと、まるで現実味のない世界を歩いている感じだった。

 森へと続く脇道に着いたところで、京香がなにかを発見し、声をあげながら指さした。その指さした先を見ると、ピンク色のサンダルが片方だけ落ちていた。

「私のサンダル――」

 ふらふらと近寄ったレナが、声にならない声で呟いた。そして、ぎこちない動きで抱きつくように京香の腕にしがみついた。

「森の中を調べてみよう」

 木村が緊張した面持ちで呟いた声に、僕も京香も黙って頷いた。

 脇道に入ったところで、異変はすぐに見つかった。ほとんど人の出入りした形跡のない藪の中に、不自然になぎ倒された跡があった。その先は崖になっているみたいだから、なにかが引きずられて崖から落とされたと考えるのが自然だった。

 問題は、なにが落ちているかだった。草むらの独特の匂いに混ざって、急に異臭がしてきたように感じた。額の汗を拭い、表情を失って固まったレナと京香を残し、木村と二人で崖の下を覗き込んだ。

 ――うっ

 崖の下に広がる光景に、咄嗟に口を塞いで声が漏れるのを堪えた。

「キャロルのメンバーみたいだな」

 同じく口を手で塞いでしかめっ面をしている木村が、声を震わせて呟いた。

 崖下にあったのは、レナの遺体ではなかった。独特の入れ墨を両腕に入れた、黒いタンクトップに迷彩柄のズボンという姿の男だった。うつ伏せに倒れていたから顔は見えなかったけど、間違いなく死んでいるのだけはわかった。

「キャロルのメンバーと思う男が死んでいる」

 京香のもとに戻り、状況を説明する。京香はすぐに意味がわからなかったみたいだけど、僕と木村を交互に見つめた後、大きく目を見開いた。

「レナ、なにがあったか知らない?」

 明らかに動揺した表情を浮かべるレナに、僕は声を殺して話しかけた。レナの体を探しに来たはずなのに、なぜか見つけたのはキャロルのメンバーの遺体だった。

 とても偶然とは思えない状況に、僕はレナがなにかを隠していると直感した。

 レナは京香の腕にしがみついたまま、震え続けていた。その震えは、なにかに怯えているようにも見えた。

「秀一さん、レナちゃんに強く言わないで」

 冷たい視線を向けながら、京香がさらに冷たさを帯びた言葉を浴びせてくる。僕は一度冷静になるために深呼吸をした。

 まさにその時だった。

 奥に進んでいた木村が悲鳴を上げ、続けて僕の名前を叫んだ。とりあえずレナのことは後回しにして、木村のもとに走り出した。

 その瞬間、背後に聞こえたレナの言葉が、妙に耳に引っ掛かった。

 京香の腕から離れ、手を握りしめながら京香を見上げていたレナは、確かに「姉ちゃんありがとう。さよなら」と呟いていたような気がした。

 けど、そのことに構っていることができなかった。すっかり血の気を失った木村が、呆然と森の奥を見つめたまま、何度も僕の名前を呼んでいた。

 木村のそばに立った瞬間、異様な臭いに鼻がつまりそうになった。さらには、ダイレクトに胃を刺激してくるせいで、強烈な吐き気に襲われた。

 それでも、木村が見た方向に目を向けた。

 その瞬間、胃の中にあるものを全て吐き出すように嘔吐を繰り返した。

 草むらの先に、レナと思われる遺体があった。両手には手錠がかけられ、周囲にはレナのワンピースが落ちていた。それだけで、レナが酷い目に遭ったことは容易に想像できた。

 がさりと草を踏む音がした。振り返ると、京香が強張った表情で近寄ってきていた。

「来るな!」

 咄嗟に大声で叫び、京香の足を止めた。京香は驚いたまま固まっていたけど、トラウマになりそうな光景を見るよりはましだと思った。

 抑えきれない怒りが猛烈に沸き上がり、気がつくといつの間にか涙していた。その場に崩れ落ち、行き場のない怒りをぶつけるように地面を叩いた。

 修羅場は覚悟していたつもりだった。

 事件に巻き込まれた可能性が高いこともわかっていたつもりだった。

 けど、現実を前にして、その考えが甘かったことを痛感した。想像以上の現実に、怒りや悲しみで頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。

「おい、秀一」

 ふいに木村から声をかけられた。見上げると、木村は信じられないといった表情を浮かべていた。

「あれ、学ランだよな?」

 木村に問われ、木村が指さす方向を確認してみる。レナの遺体には、黒い布みたいなものがかけられていた。それが最初はなにかわからなかったけど、確かに木村の言うとおり学ランに見えた。

 ――どういうこと?

 ドクンと、胸が大きく波打った。丁寧にかけられた学ランを見る限り、明らかに誰かがレナのためにかけてやったとしか思えなかった。

 木村と視線が重なり、木村はなにかを感じ取ったかのように、レナの遺体にかけられた学ランを調べ始めた。

 やがて、学ランの内側を調べたところで、木村はスマホで画像を一枚撮影し、僕の所に戻ってきた。

「なあ秀一、タケルと村井蒼空はレナを探していたんだよな?」

 険しい顔をした木村が、声を震わせながら聞いてきた。

「そのはず、だけど?」

 僕が答えると、木村は震える手でスマホで撮影した画像を僕に見せてきた。

 その画像には、学ランの内側に刺繍された名前が写っていた。不馴れな手つきで刺繍したと思う名前は、カタカナで『ムライソラ』となっていた。

「どういうこと?」

 画像を確認した僕は、完全に頭が混乱してしまい、木村を見つめたままそう呟くだけで精一杯だった。

「タケルも村井蒼空も、既にレナの遺体を見つけていたってことだろ」

 わけがわからないといった表情で、木村が弱々しく切り捨てる。その言葉の意味を理解するのに、途方もないような時間が流れたような気がした。


 ――第二章 了――