秘密基地の捜索を終えて帰宅した時には、日付が変わろとしていた。玄関を開けると同時に、二階へと逃げていく二つの影が目に入った。どうやら千夏とタケルは仲良くなったらしい。もっとも、ゲーム好きの千夏に無理矢理付き合わされてる可能性も否定できなかった。
部屋に戻り、僅かに開いている押し入れを見ながら今後のことを考えてみる。レナが亡くなっていることについては、まだタケルには秘密にしておくことにした。京香が珍しく黙っていて欲しいとお願いしてきたのもあるけど、一番は僕の希望でもあった。
タケルにレナが亡くなっていることを教えたら、ひょっとしたらタケルがいなくなりそうな気がして、そのことがなぜか怖くて仕方がなかった。
――それに
タケルがこの家に来たことで、なにかが変わろとしている。それは本当に些細なことだけど、でも、とても意味があるように思えた。特に京香の変化ははっきりとしていて、僕と二人で出かけるなんてことは考えられることではなかった。
――上手く立ち直れるきっかけになれば
と考えたところで、僕は頭を激しくふった。そもそも京香が立ち直ることの前提には、僕がいなくなることが絶対条件だ。
――僕は生きたいんだろうか?
自殺を決意した時には、それがあたり前だと思ったし、そうするべきと思った。
けど、決意した瞬間から変わった世界の中でも、やっぱり僕の中のもう一人の自分を誤魔化すことはできなかった。
本当は、僕は生きたいんだと思う。親友の木村と馬鹿な日々を過ごし、京香や千夏たちと穏やかに笑って過ごした日々。そんな戻ることはないかつての日々を、本当の僕は今も望んでいると思う。
だから、タケルが現れた時になにかが変わるような予感がした。それに呼応するように変化の兆しを見せる京香に、いつの間にか僕は淡い期待を抱いていた。
――でも、できるわけないよ
タケルの問題を解決したところで、所詮、タケルはタケルでしかないし、いなくなった斗真が生き返るわけではない。僕が生きている限り、いつかきっと京香はまた同じ苦しみを味わうことになる。
――わかってるくせに、馬鹿だよな
自分の弱さに毒を吐きながら、僕は頭を抱えてベッドに座りこんだ。
「でも、みんなとまた楽しくやりたいんだよ」
叶うことのない想いが、つい言葉になって溢れてくる。この先、七夕まで気持ちをおさえきれるかどうか不安だった。屋上のフェンスを飛び越えるには全力で飛ぶ必要がある。もし踏み切る時に迷いがあったら――。
「秀一さん、シャワー浴びる?」
思い詰めかけたところに、ドアの向こうから京香の声が聞こえてきた。一瞬、呟きを聞かれたかと心臓が跳ね上がったけど、すぐに立ち去る足音が聞こえてきたので安堵のため息をついた。
汗まみれだったことに気づき、シャワーを浴びる準備をしたところで、ふとタケルのことが気になって押し入れの中のタケルに声をかけた。
「どうでした?」
声をかけると同時に、タケルが心配そうな顔つきですぐに押し入れから這い出てきた。ずっと気になっていたんだろう。けど、自分からは言い出せなくて、ずっと僕が話かけてくるのを待っていたみたいだ。
「風呂は入った?」
話題を避けたのは意図的だった。ただ、泥だらけの姿が気になったのも事実で、とりあえずレナのことをどう誤魔化すかを考える時間がほしかった。
話題を避けられたことに落胆するタケルを無理矢理連れて風呂に入る。タケルの体は、一言で言えば見ていられないだった。骨が浮き出るほど痩せた体に刻まれた古傷の数々は、幼い頃から積み重ねられてきた凄惨さを物語っていた。
そんなタケルに胸が抉られそうになり、僕は恥ずかしがるタケルを頭から洗ってやった。シャワーで洗い流す時、もし斗真が生きていたらこんな感じで一緒にお風呂に入ることもあったかと思うと、つい頭を拭いてあげる手に力がこもってしまった。
「タケルは、レナのことが好きなの?」
何気なく呟いた言葉に、湯船に浸かっていたタケルが驚いた顔を向けてきた。
「ち、違います! 僕とレナは、ただの友達ですよ!」
「慌てるところが怪しいな」
「だから――」
さらにむきになったタケルに、お湯をかけてやった。タケルはふてくされた顔を見せてそっぽを向いたけど、突然、タケルもお湯をかけてきた。
しばらく二人で騒いだ後、笑いながら二人で湯船に浸かる。と同時に、タケルが恥ずかしそうになにかを呟いていた。
「なにか言った?」
「いえ、僕には兄弟がいなかったから、その、お兄ちゃんがいたらこんな感じかなと思ったんです」
タケルがもじもじしながら語る言葉に、湯船に浸かったのとは違う体温の上昇を感じた。
「だから、その、ここにいる間だけ、お兄ちゃんて呼んでもいいですか?」
恥ずかしそうに、でも、期待のこもった瞳に意識が飛びそうになった。こみ上げてくるものに目頭が熱くなり、慌てて顔を何度も洗い流した。
タケルが不思議そうに見つめてくる中、お風呂から上がって着替えを済ませると、廊下に京香が立っていることに気づいた。
「悪いけど、先に部屋に戻ってくれる?」
京香の険しい表情に気づいて固まっていたタケルの背中を押してやると、タケルは半分口を開けたままよろよろと二階に戻っていった。
「楽しそうだね」
棘を含んだ京香の言葉に、一気に罪悪感が胸に広がっていった。お風呂のやり取りを聞かれたらしく、京香の態度がいつも以上に冷たいことにすぐに気づいた。
「お兄ちゃんて呼ばれて嬉しかった?」
「いや、そんなことは――」
咄嗟に言い訳しようとした僕を、京香の冷たい瞳が遮ってくる。明らかに、言葉の端に感じるのは斗真のことだった。
「私は、嬉しかったよ」
さらに非難してくると思った京香だったけど、急に座りこんで弱い口調で呟いた。
「タケルくんに、お姉ちゃんて呼ばれたの。まるで、斗真に再び呼ばれた気がして、私は嬉しかったよ」
そう語る言葉とは裏腹に、京香は辛そうに顔を歪めていた。
「斗真が成長したら、きっとこんな感じなんだろうなって思ったの。でも、それと同時に、そんな未来は来ないんだって思ったら――」
そこで堪えきれなくなったのか、京香の声が涙で震え始めた。
「タケルくん、斗真にそっくりだよね?」
見上げてくる京香から咄嗟に視線を逸らすと、「秀一さん!」と強く名前を呼ばれた。
「秀一さんは、もう斗真のこと忘れてしまったの?」
思いがけない言葉に、僕は反射的に京香の顔を覗き込んだ。
「忘れることなんて、できるわけないよ!」
ただ感情を失って真っ直ぐ見つめてくる京香に、僕はつい声に力を込めてしまった。
「そっか」
僕を非難するわけでもなく、京香は掠れた声で頷きながら乱暴に涙を拭った。けど、拭えば拭うほど京香の瞳から涙が溢れ続け、やがて京香は顔を伏せて泣き声を漏らした。
「斗真に会いたいよ」
かすかに聞こえてきた声に、僕は慰める言葉もなく、ただ罪悪感だけが全身を支配していくのを感じていた。と同時に、京香は一年前から少しも立ち直ることなく、今も苦しみ続けていることに改めて気づかされた。
生きたいと一瞬でも思った自分が情けなくなった。斗真を失ったことで、京香はあるべき姿を失っている。その原因を作ったのも、立ち直る邪魔をしているのも自分だと、今さらながらはっきりと思い知らされた。
かける言葉もなく見守ることもできなかった僕は、そのまま立ち去ることにした。
「逃げないでよ」
京香の前を通り過ぎようとした僕の手を、京香が力強く握りしめてきた。
「別に、慰めとかいらないから」
泣き声に重なって聞こえてきた言葉に、僕は受けとめることも振り払うこともできず、ただ立ち尽くすしかなかった。
「今だけ、そばにいて」
掠れて消えていく声で呟くと、京香は僕の手を握ったまま顔を伏せて泣き続けた。
部屋に戻り、僅かに開いている押し入れを見ながら今後のことを考えてみる。レナが亡くなっていることについては、まだタケルには秘密にしておくことにした。京香が珍しく黙っていて欲しいとお願いしてきたのもあるけど、一番は僕の希望でもあった。
タケルにレナが亡くなっていることを教えたら、ひょっとしたらタケルがいなくなりそうな気がして、そのことがなぜか怖くて仕方がなかった。
――それに
タケルがこの家に来たことで、なにかが変わろとしている。それは本当に些細なことだけど、でも、とても意味があるように思えた。特に京香の変化ははっきりとしていて、僕と二人で出かけるなんてことは考えられることではなかった。
――上手く立ち直れるきっかけになれば
と考えたところで、僕は頭を激しくふった。そもそも京香が立ち直ることの前提には、僕がいなくなることが絶対条件だ。
――僕は生きたいんだろうか?
自殺を決意した時には、それがあたり前だと思ったし、そうするべきと思った。
けど、決意した瞬間から変わった世界の中でも、やっぱり僕の中のもう一人の自分を誤魔化すことはできなかった。
本当は、僕は生きたいんだと思う。親友の木村と馬鹿な日々を過ごし、京香や千夏たちと穏やかに笑って過ごした日々。そんな戻ることはないかつての日々を、本当の僕は今も望んでいると思う。
だから、タケルが現れた時になにかが変わるような予感がした。それに呼応するように変化の兆しを見せる京香に、いつの間にか僕は淡い期待を抱いていた。
――でも、できるわけないよ
タケルの問題を解決したところで、所詮、タケルはタケルでしかないし、いなくなった斗真が生き返るわけではない。僕が生きている限り、いつかきっと京香はまた同じ苦しみを味わうことになる。
――わかってるくせに、馬鹿だよな
自分の弱さに毒を吐きながら、僕は頭を抱えてベッドに座りこんだ。
「でも、みんなとまた楽しくやりたいんだよ」
叶うことのない想いが、つい言葉になって溢れてくる。この先、七夕まで気持ちをおさえきれるかどうか不安だった。屋上のフェンスを飛び越えるには全力で飛ぶ必要がある。もし踏み切る時に迷いがあったら――。
「秀一さん、シャワー浴びる?」
思い詰めかけたところに、ドアの向こうから京香の声が聞こえてきた。一瞬、呟きを聞かれたかと心臓が跳ね上がったけど、すぐに立ち去る足音が聞こえてきたので安堵のため息をついた。
汗まみれだったことに気づき、シャワーを浴びる準備をしたところで、ふとタケルのことが気になって押し入れの中のタケルに声をかけた。
「どうでした?」
声をかけると同時に、タケルが心配そうな顔つきですぐに押し入れから這い出てきた。ずっと気になっていたんだろう。けど、自分からは言い出せなくて、ずっと僕が話かけてくるのを待っていたみたいだ。
「風呂は入った?」
話題を避けたのは意図的だった。ただ、泥だらけの姿が気になったのも事実で、とりあえずレナのことをどう誤魔化すかを考える時間がほしかった。
話題を避けられたことに落胆するタケルを無理矢理連れて風呂に入る。タケルの体は、一言で言えば見ていられないだった。骨が浮き出るほど痩せた体に刻まれた古傷の数々は、幼い頃から積み重ねられてきた凄惨さを物語っていた。
そんなタケルに胸が抉られそうになり、僕は恥ずかしがるタケルを頭から洗ってやった。シャワーで洗い流す時、もし斗真が生きていたらこんな感じで一緒にお風呂に入ることもあったかと思うと、つい頭を拭いてあげる手に力がこもってしまった。
「タケルは、レナのことが好きなの?」
何気なく呟いた言葉に、湯船に浸かっていたタケルが驚いた顔を向けてきた。
「ち、違います! 僕とレナは、ただの友達ですよ!」
「慌てるところが怪しいな」
「だから――」
さらにむきになったタケルに、お湯をかけてやった。タケルはふてくされた顔を見せてそっぽを向いたけど、突然、タケルもお湯をかけてきた。
しばらく二人で騒いだ後、笑いながら二人で湯船に浸かる。と同時に、タケルが恥ずかしそうになにかを呟いていた。
「なにか言った?」
「いえ、僕には兄弟がいなかったから、その、お兄ちゃんがいたらこんな感じかなと思ったんです」
タケルがもじもじしながら語る言葉に、湯船に浸かったのとは違う体温の上昇を感じた。
「だから、その、ここにいる間だけ、お兄ちゃんて呼んでもいいですか?」
恥ずかしそうに、でも、期待のこもった瞳に意識が飛びそうになった。こみ上げてくるものに目頭が熱くなり、慌てて顔を何度も洗い流した。
タケルが不思議そうに見つめてくる中、お風呂から上がって着替えを済ませると、廊下に京香が立っていることに気づいた。
「悪いけど、先に部屋に戻ってくれる?」
京香の険しい表情に気づいて固まっていたタケルの背中を押してやると、タケルは半分口を開けたままよろよろと二階に戻っていった。
「楽しそうだね」
棘を含んだ京香の言葉に、一気に罪悪感が胸に広がっていった。お風呂のやり取りを聞かれたらしく、京香の態度がいつも以上に冷たいことにすぐに気づいた。
「お兄ちゃんて呼ばれて嬉しかった?」
「いや、そんなことは――」
咄嗟に言い訳しようとした僕を、京香の冷たい瞳が遮ってくる。明らかに、言葉の端に感じるのは斗真のことだった。
「私は、嬉しかったよ」
さらに非難してくると思った京香だったけど、急に座りこんで弱い口調で呟いた。
「タケルくんに、お姉ちゃんて呼ばれたの。まるで、斗真に再び呼ばれた気がして、私は嬉しかったよ」
そう語る言葉とは裏腹に、京香は辛そうに顔を歪めていた。
「斗真が成長したら、きっとこんな感じなんだろうなって思ったの。でも、それと同時に、そんな未来は来ないんだって思ったら――」
そこで堪えきれなくなったのか、京香の声が涙で震え始めた。
「タケルくん、斗真にそっくりだよね?」
見上げてくる京香から咄嗟に視線を逸らすと、「秀一さん!」と強く名前を呼ばれた。
「秀一さんは、もう斗真のこと忘れてしまったの?」
思いがけない言葉に、僕は反射的に京香の顔を覗き込んだ。
「忘れることなんて、できるわけないよ!」
ただ感情を失って真っ直ぐ見つめてくる京香に、僕はつい声に力を込めてしまった。
「そっか」
僕を非難するわけでもなく、京香は掠れた声で頷きながら乱暴に涙を拭った。けど、拭えば拭うほど京香の瞳から涙が溢れ続け、やがて京香は顔を伏せて泣き声を漏らした。
「斗真に会いたいよ」
かすかに聞こえてきた声に、僕は慰める言葉もなく、ただ罪悪感だけが全身を支配していくのを感じていた。と同時に、京香は一年前から少しも立ち直ることなく、今も苦しみ続けていることに改めて気づかされた。
生きたいと一瞬でも思った自分が情けなくなった。斗真を失ったことで、京香はあるべき姿を失っている。その原因を作ったのも、立ち直る邪魔をしているのも自分だと、今さらながらはっきりと思い知らされた。
かける言葉もなく見守ることもできなかった僕は、そのまま立ち去ることにした。
「逃げないでよ」
京香の前を通り過ぎようとした僕の手を、京香が力強く握りしめてきた。
「別に、慰めとかいらないから」
泣き声に重なって聞こえてきた言葉に、僕は受けとめることも振り払うこともできず、ただ立ち尽くすしかなかった。
「今だけ、そばにいて」
掠れて消えていく声で呟くと、京香は僕の手を握ったまま顔を伏せて泣き続けた。