家に帰ると、すでに夕飯の準備が終わっていた。今日の夜に秘密基地を探しに行く予定だったけど、本当に京香が僕と行くつもりなのか怪しかった。けど、こうして準備してあるのを見ると、京香が本気だとわかった。
山に行くことを考え、サッカーをしていた頃に愛用していた紺色のジャージに着替えてリビングに行くと、千夏とタケルがカレーを相手に格闘していた。
自分のカレーを用意して席に着くと、遅れて京香が席に加わった。すでに食事は済ませているみたいで、千夏とタケルの麦茶を注いでは、ぼんやりと二人を眺めていた。
食事が終わったところで、タケルに秘密基地の場所を再度確認する。ある程度の場所は聞いていたから、後は地図アプリで正確な位置を確認するだけだった。
秘密基地の場所は、家からそんなに離れてはいない山の中だった。でも、自転車に乗れないから一時間ぐらいは歩いて行くことになりそうだった。ただ、正確なルートを確認している間、京香はずっと顔をしかめていた。夜中に山道を僕と歩くことを考えたら、気分がのらないのも仕方がないと思えた。
部屋で準備を済ませて玄関に向かうと、先に準備を済ませていた京香がタケルたちと談笑していた。
――え?
談笑している京香の姿を見て、息が止まりそうになった。目的地が山の中だから、僕と同じ考えでジャージにしたのは不思議ではない。けど、問題は京香が着ているジャージが、僕と同じモデルの色違いということだった。
「なに?」
談笑していた京香が一瞬で無表情になり、固まった僕に鋭い視線を向けてくる。その眼差しには、タケルたちに向けられていた優しさに満ちた温かさは欠片もなかった。
「いや、なんでも――」
ないという言葉を待たずに、京香が背を向けた。僕の言葉を聞く必要はないらしい。その態度は京香のいつものことだから、微かに胸の痛みを感じたけど、相変わらずなことに妙な安心感もあった。
外に出ると、日は暮れて夜が始まっていた。目的地までは、街灯も人通りも少ない田園風景の中を歩いて行かないといけない。月明かりが綺麗に見えるから歩くのに支障はないけど、やっぱり京香と二人きりという雰囲気には足取りも軽くなれなかった。
当然のように無言のまま、ただ道を歩いていく。京香が家に来た頃は、千夏が拾ってきた犬の散歩に二人で出かけていた。その時は、髪も長くて雰囲気はお嬢様といった感じだったけど、話すと色んな表情を明るく見せてくれるから、一緒にいるのがとても楽しかった。
それが今では、髪を短く切ったのを境に表情を見せることはなくなった。唯一の表情といったら、憎しみを込めて睨んでくるくらいだ。ただ、それは僕に対してだけであって、僕以外の人には今までと変わらない対応している。そのことは嬉しくもあるけど、やっぱり僕の存在が京香を苦しめているんだと痛いほど感じていた。
だから僕は、自殺することを決めた。京香は僕を見る度に斗真を思い出している。僕が生きている限り、ずっと京香は斗真のことに縛られ続けるだろう。
できれば立ち直って欲しかった。そのきっかけを作るのは、斗真を京香から奪った僕の役目だと思う。僕がいなくなれば、いつか京香は立ち直ってくれるはず。
もちろん、その気持ちは誰にも言っていない。表向きは、あくまでも斗真を死なせた責任から逃げるということにしている。そうやって非難の対象となって死んだほうがいい。恩着せがましいと、また京香を苦しめてしまうことになるからだ。
「秀一さんは、この場所に来たことある?」
山道に入り、懐中電灯を点けたところで、少し離れて歩いていた京香が尋ねてきた。
「子供のころ、カブトムシを捕まえに来たことはあるかな」
小学生のころ、木村と何度か来たことはあった。だから土地勘はゼロではない。でも、この先にある工場みたいな所は行ったことはなかった。昔は林業かなにかの工場があったらしいけど、今は別の工場が跡地を使っていることぐらいしかわからない。タケルによれば、放置されているプレハブ小屋が秘密基地だという。
「私も、斗真と何度か来たことがある」
京香の言葉に、首回りにねっとりとかいていた汗が、一気に冷たくなっていった。まさかと思ったけど、険しい顔を見る限り嘘ではないみたいだった。
――だからあの時、険しい顔をしてたんだ
秘密基地への道が、京香の斗真との思い出の場所だった。だから、京香は正確なルートをタケルから聞いていた時に険しい顔をしていたのだろう。
そのことを今になって知らされ、一気に空気が重苦しいものになっていった。
「斗真は、いっつもカブトムシを捕まえるんだってはりきってた。小さな体に大きな虫あみと虫かごをぶら下げて、私の手を楽しそうに引っ張ってた」
京香は薄闇に包まれた山林を眺めながら、微かに震える声で呟いた。当然だけど、その言葉一つ一つがずっしりと胸に突き刺さってくる。なにか言ったほうがいいのかもしれなかったけど、結局、なにも言えずに黙っていることしかできなかった。
でも、だからといって京香が僕を非難しているというわけではない。むしろ、京香は無理矢理にでも思い出を飲み込もうとしている感じがした。それは、自分自身に対しなん何らかの決着をつけようとしているようにさえ見えた。
結局、会話らしい会話はそれだけで、ようやくそれらしき建物が見えた頃には、いつもの無言に戻っていた。
工場のような建物は明かりがついていて、誰かがいる気配があった。ただ、その周辺となると、タケルがいった通りに放置されたプレハブ小屋がいくつか生い茂った薮の中にたたずんでいるだけだった。
いくつかのプレハブ小屋を覗いた結果、荒れ果てた室内にお菓子の袋が散乱しているプレハブ小屋を見つけた。ちょうど工場からは一段低い位置にあったから、直接は工場に出入りする人から見られる心配もなく、隠れるにはうってつけのように思えた。
荒れ果てた室内には、段ボールの切れ端がいくつか敷いてあり、色んな虫が這いずり回っていた。お世辞にも、秘密基地としての居心地は良いとは言えなさそうだった。
「タケルくん、こんな所でレナちゃんと過ごしてたんだね」
京香が落ちていたゴミを手にしながら、ぽつりと呟いた。
「こんな所でも、タケルにしてみたら家にいるよりレナといたほうがよかったのかもしれないな」
京香につられて、僕も菓子パンの袋を手にしてみた。およそ人が暮らせるような場所とは言えなかった。それでも、タケルにとってはレナを守る為に用意した居場所なのだろう。
「なんか、わかる気がする」
返事なんか期待していなかったけど、僕の呟きに京香が小さな声で返してきた。そのことが意外過ぎて反射的に顔を見たけど、京香の顔は相変わらず無表情だった。
二人で周辺も探してみたけど、結局、誰かがいる気配はなかった。正直なところ、秘密基地の現状からしたら、女の子が一人でいるような場所とは思えなかった。
その考えは京香も一緒だったようで、言葉にしなくても同じ結論に達しているみたいだった。
自然な足取りで来た道を引き返す。結果は空振りだったと思った瞬間、僕は薮の中になにかの気配を感じた。
――誰かいるのか?
咄嗟に向けた懐中電灯の明かりの中に、人の姿はなかった。僕の異変に気づいた京香も懐中電灯を向けてくる。二つの光の輪が周辺をさ迷いながら一つになった時、不意に背後から笑い声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、なにしてるの?」
その声に、僕は一瞬で振り返ってプレハブ小屋の屋根の上を照らした。そして、一呼吸遅れて追いついてきた光の輪が再び一つになって人影を照らし出した。
僕と京香の懐中電灯に照らされた人物。
それは、屋根の上に寝転んで頬杖をつくハナの姿だった。
山に行くことを考え、サッカーをしていた頃に愛用していた紺色のジャージに着替えてリビングに行くと、千夏とタケルがカレーを相手に格闘していた。
自分のカレーを用意して席に着くと、遅れて京香が席に加わった。すでに食事は済ませているみたいで、千夏とタケルの麦茶を注いでは、ぼんやりと二人を眺めていた。
食事が終わったところで、タケルに秘密基地の場所を再度確認する。ある程度の場所は聞いていたから、後は地図アプリで正確な位置を確認するだけだった。
秘密基地の場所は、家からそんなに離れてはいない山の中だった。でも、自転車に乗れないから一時間ぐらいは歩いて行くことになりそうだった。ただ、正確なルートを確認している間、京香はずっと顔をしかめていた。夜中に山道を僕と歩くことを考えたら、気分がのらないのも仕方がないと思えた。
部屋で準備を済ませて玄関に向かうと、先に準備を済ませていた京香がタケルたちと談笑していた。
――え?
談笑している京香の姿を見て、息が止まりそうになった。目的地が山の中だから、僕と同じ考えでジャージにしたのは不思議ではない。けど、問題は京香が着ているジャージが、僕と同じモデルの色違いということだった。
「なに?」
談笑していた京香が一瞬で無表情になり、固まった僕に鋭い視線を向けてくる。その眼差しには、タケルたちに向けられていた優しさに満ちた温かさは欠片もなかった。
「いや、なんでも――」
ないという言葉を待たずに、京香が背を向けた。僕の言葉を聞く必要はないらしい。その態度は京香のいつものことだから、微かに胸の痛みを感じたけど、相変わらずなことに妙な安心感もあった。
外に出ると、日は暮れて夜が始まっていた。目的地までは、街灯も人通りも少ない田園風景の中を歩いて行かないといけない。月明かりが綺麗に見えるから歩くのに支障はないけど、やっぱり京香と二人きりという雰囲気には足取りも軽くなれなかった。
当然のように無言のまま、ただ道を歩いていく。京香が家に来た頃は、千夏が拾ってきた犬の散歩に二人で出かけていた。その時は、髪も長くて雰囲気はお嬢様といった感じだったけど、話すと色んな表情を明るく見せてくれるから、一緒にいるのがとても楽しかった。
それが今では、髪を短く切ったのを境に表情を見せることはなくなった。唯一の表情といったら、憎しみを込めて睨んでくるくらいだ。ただ、それは僕に対してだけであって、僕以外の人には今までと変わらない対応している。そのことは嬉しくもあるけど、やっぱり僕の存在が京香を苦しめているんだと痛いほど感じていた。
だから僕は、自殺することを決めた。京香は僕を見る度に斗真を思い出している。僕が生きている限り、ずっと京香は斗真のことに縛られ続けるだろう。
できれば立ち直って欲しかった。そのきっかけを作るのは、斗真を京香から奪った僕の役目だと思う。僕がいなくなれば、いつか京香は立ち直ってくれるはず。
もちろん、その気持ちは誰にも言っていない。表向きは、あくまでも斗真を死なせた責任から逃げるということにしている。そうやって非難の対象となって死んだほうがいい。恩着せがましいと、また京香を苦しめてしまうことになるからだ。
「秀一さんは、この場所に来たことある?」
山道に入り、懐中電灯を点けたところで、少し離れて歩いていた京香が尋ねてきた。
「子供のころ、カブトムシを捕まえに来たことはあるかな」
小学生のころ、木村と何度か来たことはあった。だから土地勘はゼロではない。でも、この先にある工場みたいな所は行ったことはなかった。昔は林業かなにかの工場があったらしいけど、今は別の工場が跡地を使っていることぐらいしかわからない。タケルによれば、放置されているプレハブ小屋が秘密基地だという。
「私も、斗真と何度か来たことがある」
京香の言葉に、首回りにねっとりとかいていた汗が、一気に冷たくなっていった。まさかと思ったけど、険しい顔を見る限り嘘ではないみたいだった。
――だからあの時、険しい顔をしてたんだ
秘密基地への道が、京香の斗真との思い出の場所だった。だから、京香は正確なルートをタケルから聞いていた時に険しい顔をしていたのだろう。
そのことを今になって知らされ、一気に空気が重苦しいものになっていった。
「斗真は、いっつもカブトムシを捕まえるんだってはりきってた。小さな体に大きな虫あみと虫かごをぶら下げて、私の手を楽しそうに引っ張ってた」
京香は薄闇に包まれた山林を眺めながら、微かに震える声で呟いた。当然だけど、その言葉一つ一つがずっしりと胸に突き刺さってくる。なにか言ったほうがいいのかもしれなかったけど、結局、なにも言えずに黙っていることしかできなかった。
でも、だからといって京香が僕を非難しているというわけではない。むしろ、京香は無理矢理にでも思い出を飲み込もうとしている感じがした。それは、自分自身に対しなん何らかの決着をつけようとしているようにさえ見えた。
結局、会話らしい会話はそれだけで、ようやくそれらしき建物が見えた頃には、いつもの無言に戻っていた。
工場のような建物は明かりがついていて、誰かがいる気配があった。ただ、その周辺となると、タケルがいった通りに放置されたプレハブ小屋がいくつか生い茂った薮の中にたたずんでいるだけだった。
いくつかのプレハブ小屋を覗いた結果、荒れ果てた室内にお菓子の袋が散乱しているプレハブ小屋を見つけた。ちょうど工場からは一段低い位置にあったから、直接は工場に出入りする人から見られる心配もなく、隠れるにはうってつけのように思えた。
荒れ果てた室内には、段ボールの切れ端がいくつか敷いてあり、色んな虫が這いずり回っていた。お世辞にも、秘密基地としての居心地は良いとは言えなさそうだった。
「タケルくん、こんな所でレナちゃんと過ごしてたんだね」
京香が落ちていたゴミを手にしながら、ぽつりと呟いた。
「こんな所でも、タケルにしてみたら家にいるよりレナといたほうがよかったのかもしれないな」
京香につられて、僕も菓子パンの袋を手にしてみた。およそ人が暮らせるような場所とは言えなかった。それでも、タケルにとってはレナを守る為に用意した居場所なのだろう。
「なんか、わかる気がする」
返事なんか期待していなかったけど、僕の呟きに京香が小さな声で返してきた。そのことが意外過ぎて反射的に顔を見たけど、京香の顔は相変わらず無表情だった。
二人で周辺も探してみたけど、結局、誰かがいる気配はなかった。正直なところ、秘密基地の現状からしたら、女の子が一人でいるような場所とは思えなかった。
その考えは京香も一緒だったようで、言葉にしなくても同じ結論に達しているみたいだった。
自然な足取りで来た道を引き返す。結果は空振りだったと思った瞬間、僕は薮の中になにかの気配を感じた。
――誰かいるのか?
咄嗟に向けた懐中電灯の明かりの中に、人の姿はなかった。僕の異変に気づいた京香も懐中電灯を向けてくる。二つの光の輪が周辺をさ迷いながら一つになった時、不意に背後から笑い声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、なにしてるの?」
その声に、僕は一瞬で振り返ってプレハブ小屋の屋根の上を照らした。そして、一呼吸遅れて追いついてきた光の輪が再び一つになって人影を照らし出した。
僕と京香の懐中電灯に照らされた人物。
それは、屋根の上に寝転んで頬杖をつくハナの姿だった。