生田(いくた)のいる本丸の部屋の扉が開いた。
とっさに生田(いくた)は、私とオババ様のスライムを自分の楯にするように引っ張った。
そして、オババ様のスライムの首もとに刀をつけた。

部屋にどっと伊月(いつき)さんの兵が流れ込んできて、黒田と生田(いくた)を包囲する。

―― ああ、伊月(いつき)さんだ!

そして、二か月ぶりに見る、鬼武者(おにむしゃ)の姿が現れた。

「そ、そそそ、それ以上近づけば、この、この、この者を斬るぞ!!!」

生田(いくた)は恐怖で歯をガタガタと鳴らしている。

伊月(いつき)さんは立ち止まらずに匕首を取り出し、そのまま生田めがけて投げた。

「ぎゃやああああああ!」

生田(いくた)が刀を持っていた腕に匕首が命中し、生田(いくた)が床に転がってのたうち回る。
私は生田(いくた)のもとを離れようとしたけど、足枷が重くて上手く走れない。

黒田の家臣は勇敢にも少数で伊月(いつき)さんの軍が立ち向かっていく。
その瞬間、黒田が私に後ろから手を回し、首に刀を当てた。

「那美どの!」

「わ、私に構わないで下さい!」

―― こんな所で、伊月(いつき)さんの邪魔になるなんて、嫌だ。

豊藤(とよふじ)どの!」

黒田が叫んだ。

「共に生田(いくた)様をお守りして戦った仲間ではないか!生田(いくた)様のお命だけはどうかお見逃しできまいか。」

伊月(いつき)さんが答える前に、スライム状のオババ様がジュワーと音を立てて溶け始めた。

「な、何事だ! タ、タカオどのが!」

黒田が一瞬ひるんだ時に、そのスライムがシューとすごい音を立てて水しぶきとなって飛び散った。オババ様の形は消え、スライムの水が私と黒田を濡らした。

―― あ! カムナリキが使える!

スライムの水で、足枷(あしかせ)の術式が消えたみたいだった。
私はその瞬間に自分のカムナリキを思い切り黒田に向けて放出する。

ドカーン!

という音がして、本丸に大きな一筋の雷が落ちた。
めがけたように黒田の体に落ち、真っ黒になった黒田の死体がごとり、と転がった。
その瞬間に本丸に火がついた。

「ひえええっぇぇえ!」

生田(いくた)が悲鳴を上げて泣きわめいている。

「やれ!」

伊月(いつき)さんが言うと伊月(いつき)さんの軍が黒田の家臣たちを全員斬り捨てた。

残ったのは床で転がって叫び続けている生田(いくた)と、生田(いくた)(はべ)らせていた女たちだけだった。
伊月(いつき)さんは私に駆け寄って、足枷(あしかせ)を剣で切った。

生田(いくた)を生け捕りにしろ!」

「は!」

「消火はするな!このまま本丸と第一曲輪(くるわ)全体を燃やす!」

「は!」

「おい、そなたたちは逃げたければ逃げろ。」

伊月(いつき)さんが女たちにいうと、一斉に本丸から転がるように逃げて行った。

生田(いくた)を生け捕った!(かちどき)をあげろ!」

「おー!」

伊月(いつき)さんは素早く家来に指示を出した。
皆が(かちどき)を上げ歓喜に満ちる中、伊月(いつき)さんは心配そうな表情のまま私の頬をそっと包み込んで顔を覗き込んだ。

「怪我は…」

私の顔をみて、生田(いくた)にぶたれた頬をそっと触った。

「待て…」

伊月(いつき)さんは、生田(いくた)を捕縛して本丸から出ようとしている家来を止めた。
生田(いくた)はまだ泣きわめいている。

伊月(いつき)さんは生田(いくた)の胸ぐらをつかんで、こぶしで頬を殴った。

「ぐわぁゴホッ」

物凄い音がして、生田(いくた)が血を吐いた。
もう泣きわめくこともできないみたいに、ぐったりとした。

那美(なみ)どのにしたことの報復のほんの一部だ。」

私は伊月(いつき)さんに駆け寄った。

伊月(いつき)さん!」

伊月(いつき)さんは、もうろうとしている生田(いくた)を家臣に渡した。

「連れて行け。」

本丸の中も外も、皆が歓喜でわいているのに、伊月(いつき)さんは苦しそうな顔をしている。

伊月(いつき)さん、怪我はないですか?」

「こんな時まで私の心配をしなくていい。」

そう言うと、伊月(いつき)さんはヒョイと私を横抱きにした。

「え? ちょっと待ってください。」

戸惑う私をよそに私を抱えたまま伊月(いつき)さんは、スタスタと歩き始めた。

「足が痛いのだろう?」

「ど、どうしてわかったんですか?」

「見れば分かる。急がねば、火が回るのは速い。空気が乾いている。」

伊月(いつき)さんと一緒に本丸を出た。
安全な所まで来ると急に伊月(いつき)さんが帰ってきてくれたんだと、実感が沸く。
久しぶりに見る伊月(いつき)さんは日焼けをしていて、前よりずっと(たくま)しく見えた。
私を抱えて歩く伊月(いつき)さんの後ろに、縄をかけられ、引きずられて歩く生田(いくた)がついてくる。

生田(いくた)はそのまま市中で引きずりまわせ!」

「は!」

生田(いくた)の身柄は曲輪(くるわ)の外に待っていた騎馬隊が預かり、そのまま市中にみっともない姿をさらされに行くようだった。

――
ふいに周りにいる人たちの視線を感じて、伊月(いつき)さんに抱かれているのが恥ずかしくなった。
第二曲輪(くるわ)の門をくぐると、ここまで門を開けて伊月(いつき)さんの軍を招き入れた()の兵士や、町の人たちが歓声を上げた。

鬼武者(おにむしゃ)、万歳!」

殿(との)! おめでとうございます!」

伊月(いつき)さんの家臣団も歓声を上げた。

「あの、い、伊月(いつき)さん、おろして下さい。自分で歩きます。」

「何故だ?」

「だって…。恥ずかしいです。」

「却下する。」

「ど、どこまで行くんですか?」

第二殿(だいにでん)だ。後でタカオ山まで送っていく。だが、もうしばらく、一緒にいてくれるか?」

伊月(いつき)さんは懇願するように私を見た。

「...はい。」

―― そんなの断るわけないじゃない。

伊月(いつき)さんに抱きつきたい衝動に駆られるけど、皆の視線があるので、我慢だ。
伊月(いつき)さんは第二曲輪(くるわ)にある、御殿(ごてん)に陣取った。

「あ! 源次郎(げんじろう)さん。」

那美(なみ)様! ご無事で何よりです。」

「しばらくは、ここを拠点に後処理をする。源次郎(げんじろう)那美(なみ)どのの手当てを。」

「承知。」

伊月(いつき)さんが、後処理のために、あれこれ家臣たちに指示を出して、御殿の中を歩き回っている間、源次郎(げんじろう)さんが私の足の手当てをしてくれた。

「応急処置で、すみません。」

「ありがとうございます。皆さん、御無事でよかった。」

()の国の城がこんなに容易(たやす)く開くとは思いませんでした。こちらは死人どころか、けが人もありません。那美(なみ)様のおかげなのでしょう?」

「いいえ。手習い所(てなら じょ)の皆さんのおかげです。」

「あ! 那美(なみ)様!」

そこに久しぶりに見るエンジェルスマイルの人物が来た。

平八郎(へいはちろう)さん!無事だったんですね。」

那美(なみ)様、お怪我をされたんですか?」

「ちょっとだけ。でも、大したことはありません。源次郎(げんじろう)さんに手当してもらいました。源次郎(げんじろう)さんも平八郎(へいはちろう)さんも、少し見ない間に随分と(たくま)しくなったみたいですね。」

二人は嬉しそうに笑った。

正次(まさつぐ)さんは?」

(ほり)様は今、伊城(いじょう)を守っておいでです。」

「はぁ。皆さん、無事でよかった。」

御殿の中を歩き回っていた、伊月(いつき)さんが戻って来た。

源次郎(げんじろう)那美(なみ)どのの、足はどうか?」

「応急処置はしました。術式(じゅつしき)でつきた傷です。オババ様に見せるのが一番かと。」

「そうか。やはり、後でタカオ山に送っていこう。」

(あるじ)、私どもは、外を見回ってまいります。」

「ああ。」

平八郎(へいはちろう)、行くぞ。」

気を使ってくれたのか、源次郎(げんじろう)さんが平八郎(へいはちろう)さんを連れて、部屋を出て行った。
二人が出ていくと、伊月(いつき)さんは私の目の前に腰かけた。

那美(なみ)どの、そなたに報告せねばならんことがある。」

伊月(いつき)さんは、悪いことをしてしまった子犬のようにシュンとした顔をして、(ふところ)からある物を出した。
それは私が伊月(いつき)さんに、出陣前にあげた鏡を入れていたお守り袋だった。
伊月(いつき)さんは袋の中から5つに割れた鏡を取り出た。

「あら、割れてる。」

「矢が当たった。すまん。」

「え? 矢が当たったんですか?」

「ああ。馬上で、流れ矢が飛んできて、(ふせ)ぎきれなかった。」

「えぇぇえ! 危なかったんじゃないですか?」

「あぁ。この鏡がなかったら、胸に矢が刺さっていたな。」

「ほ、他に怪我とかしなかったんですか?」

「怪我をしたのは鏡だけだ。すまん。」

「そんな、謝らないで下さい。ちゃんと伊月(いつき)さんのお守りになって良かったです。雷神が守ってくれたんです。きっと。」

私は伊月(いつき)さんの無事を確かめるようにぎゅっと抱きしめた。
どんなに周到に準備していたとはいえ、戦場(いくさば)は、きっと私の想像する以上に危ないところだ。
そんな危ない所から伊月(いつき)さんが怪我をせずに無事に帰ってきてくれたことは奇跡みたいなことだ。

那美(なみ)どの…」

伊月(いつき)さんを抱きしめる私の髪をそっと撫でた。

「私も伊月(いつき)さんに報告しないといけないことがあります。生田(いくた)の家臣にとらわれた時に、数珠(じゅず)を取られちゃったんです。でも、きっと手習い所(てなら じょ)あたりに落ちてると思います。」

「そんなもの、どうでもいい。那美(なみ)どのが無事であれば。」

伊月(いつき)さんは私をきつく抱きしめた。

「会いたかったです。」

「私もだ。」

伊月(いつき)さんは軽く私のおでこにキスをした。
久しぶりのキスにしては物足りなかった。
でも我慢した。
伊月(いつき)さんも何かを我慢しているのが分かったから。

「やはり、そなたをタカオ山に送っていく。もう少し待っていてくれ。」

「はい。」

伊月(いつき)さんはまた、忙しそうに、家臣の元へ行った。