私は伊月さんの部屋の、さらに奥にある、伊月さんの寝室に通された。
そこで私は伊月さんから応急処置を受けた。
「着物をぬいでくれるか? 傷口を見たい。」
「は、はい。」
私は着物を脱いで、脱いだ着物で前を隠して背中を伊月さんに晒す。
恥ずかしかったけれど、そんなこと言ってられる状況じゃない。
伊月さんはとても優しく私の背中を消毒してくれて、薬を塗ってくれる。
「うっ」
傷口が染みて思わず声をもらしてしまった。
「すまん…」
「いえ、ちょっと染みただけです。大丈夫です。」
「それだけではない。私は…」
伊月さんはさっきからずっと深刻そうな顔をしている。
心配をかけてしまったんだ。
「伊月さんの寝室、初めて入りました。」
この部屋も相変わらずシンプルで刀置きくらいしか物がない。
「こんな時に、そなたは、誠に能天気だな。」
そう言って、伊月さんは、私の、みみず腫れになった傷跡を冷たい布で冷やしてくれる。
「伊月さん、ご迷惑をかけてすみません。」
私は振り返って伊月さんを見た。
「迷惑などと言うな。そなたが酷い目にあっているのに助けられず私は…。」
「助けてもらっています。私はたいてい何かやらかして、いつもオババ様と伊月さんに助けてもらってばっかりです。」
伊月さんは怒りをたたえた表情をしているが、どこまでも優しい手つきで私の髪を撫でた。
「やらかしてはないだろう。小雪どのを助けた。お仙どのの時もそうだ。そなたはいつも人を助けて自分が危ない目に合う。」
伊月さんは悲しそうに眉をひそめた。
―― そんな顔してほしくないのに。
「私のいた世には言論の自由っていう概念があるんです。」
「言論の自由?」
「はい。思っていることを自由に表現していいってことです。小雪ちゃんがしたように、馬鹿な国主を馬鹿って、公の場で言っても罰せられないっていう決まりです。」
「そうか。素晴らしき世だな。上に立つ者には必然的に批判を受け入れる器の大きさが要求される。」
「私、目の前にあることしかできないから、すぐに突っ走っちゃって…。自分の考えや、常識が、尽世の人たちに簡単に受け入れられないって分かってるのに、言論の自由があるべきだって思って、すぐにカッとなってしまいました。」
伊月さんは私の背中に乗せていた布を新しいのに変えてくれる。
「伊月さんは将来を見据えて、周到に準備して、慎重に、でも、確実に新しい世の中を作ろうとしています。その辛抱強さが私にはないから、いつもやらかしてる気がします。伊月さんみたいにもっと慎重にならなと、ですね。」
私は笑顔を作ったけど、伊月さんはキュッと眉根を寄せた。
「自由を制限されるのは誰しも好きじゃない。人間は本来もっと自由であるべきだ。身分も男も女も関係なくな。私は各個人の自由が確保される世の中を作りたい。」
伊月さんは私の右手を取った。
「と、そういえば大義名分としては聞こえがいいが、しょせんは自分のためにそうしたいだけだ。」
「自分のため?」
「私は幼き頃から人質として、不自由さを感じて生きてきた。だからもう何者にも屈することのない自分でいたいだけだ。」
そのまま伊月さんは私の手を撫でた。
「庶民からすれば家を与えられ、飯を与えられ、何不自由なく生きてきたように見えるだろうが、私としては家畜のような扱いだと思っていた。最低限の食い扶持を与えられ、父を殺され、母と生き別れになろうとも、家畜の主には忠誠を誓うことを要求される。それが自由と言えるだろうか。」
私は伊月さんに握られた手をキュッと握り返した。
「那美どのも、小雪どのも、みな、何かしらの不自由を抱えて生きている。」
「伊月さん...。」
私は苦しそうに話す伊月さんの横顔を見て、たまらなく悲しくなった。
―― そんな顔しないでほしい。
伊月さんを抱きしめたい衝動にかられたけど、代わりに顔を伊月さんの胸にうずめた。
「那美どの…。」
伊月さんは私の頭をそっと撫でて頭頂部に口づけた。
「私はそろそろ立ちあがろうと思う。」
伊月さんはとうとう生田に反旗を翻すと決めたんだ。
「機は熟しかけている。もうしばらくの辛抱だ。」
伊月さんは続ける。
「あとは於が動けば完全にその時の到来だ。於が動くのは初冬だ。今はまだ収穫で兵が不足している。冬が深まりすぎれば雪で兵の進退がままならぬ。」
「伊月さんならきっと出来ます。 私もこんな国主はうんざりです。」
「我が父の仇を、自身が暗殺されそうになった仇を、そして、可愛いそなたをこんな目に合わせられた仇を取りたい。」
伊月さんは私の髪の毛をそっと梳いた。
「あの、私、伊月さんの秘密をまた見つけちゃった気がします。」
「まだ何かあったか?」
「はい。」
「今回、不可解だったことは何だ?」
「伊月さんがあんまり城下町の人と親しくしないから、何でかなって、ずっと思ってて。」
「それで、分かったことは?」
「生田に反旗を翻す時、亜の城下町を焼き払ったりする可能性もあるから。もしくは亜の城下の人たちを傷つける可能性があるから、ですか?」
伊月さんは苦しそうに眉根を寄せた。
「その通りだ。一旦戦となれば、勝つまでやめられぬ。もちろん抵抗しない者を斬るつもりはない。だが抵抗が強ければ、私に選択肢はない。」
私達はしばらく黙って寄り添っていた。
伊月さんは何かを断ち切るようにスッと立ち上がった。
薬を取って来ると言って、いつもの、カムナリキ回復ドリンクを持って来てくれた。
最後に冷たく冷やした布を私の背中から取って、よし、少し腫れがひいたな、と言った。
「伊月さんのその薬、本当に効きます。すぐにカムナリキマックスになるんです。」
「まっくす?」
「最大ってことです。」
「そうか。」
私に薬の入ったお椀を渡してくれるのかなと思ったけど、伊月さんはぐいっとそれを自分で飲み始めた。
―― ん?
「あの、伊月さん?え?ちょ?…んんん!」
伊月さんは、そのまま少し強引に口づけをして来た。
舌先で私の唇を押し開き、そのまま薬を流し込んだ。
「ん!」
思わずそれをゴクリと飲み込む。
伊月さんは、お椀に残っている薬をまた自分が飲み始める。
「あの、私、自分で飲めま…んんん!」
私の声を無視して、また、口づけをした。
温かい薬が流れ込んで、慌てて飲み込んだ。
今度は飲み込んでしまっても伊月さんの唇は離れなかった。
そのまま私の口の中を伊月さんの熱い舌がなぞった。
「あ...あ、んっ...」
息が上がってしまって、肩が上下し始めると、ようやく伊月さんが解放してくれる。
「い、つき、さん…」
「次は解熱と鎮痛の薬だ。」
伊月さんはまたもう一つのお椀から薬を口に含んだ。
意地悪モードのスイッチが入ってるみたいだった。
「あの、一体どうして… んんん!」
私はまた伊月さんから口移しで薬を飲まされる。
しかも薬を飲んでも、しばらく解放してくれず、口の中を蹂躙される。
わけがわからないけれど、抵抗できずに、私はされるがままになった。
―― どうしよう。嫌じゃない...
「はぁ、はぁ。」
私の息が苦しくなってくると、伊月さんはようやく唇を離した。
そして、そのままおでこを私のおでこにくっつけた。
「そなたにこうして薬を飲ませたのは最初ではない。」
「え?」
伊月さんが空から降ってくる私を拾った時に、意識のない私にこうやって薬を飲ませたと言った。
私は恥ずかしくて、顔が赤くなるのが分かった。
「知りませんでした。」
「ちゃんと、謝ったぞ。」
「あ、そういえば!」
伊月さんに初対面の時に薬を飲ませて悪かった、許せって、すごい謝られた記憶がある!
「そんなこととは思いませんでした...」
「私を恨むか?」
「いえ、むしろファーストキスが伊月さんで嬉しいです。」
「ふぁあすときすとは何だ?」
「人生で初めての口づけってことです。」
「そ、そうなのか…」
今度は伊月さんの顔がブワっと赤くなった。
どことなくぎこちない動きで伊月さんは立ち上がった。
何をするのかと見ていると、私の隣に布団を敷き始めた。
「あの…もしかして、ここで寝るんですか?」
「私の寝室だからな。」
「あの、じゃあ、私は...」
「ここで寝るに決まっている。」
「でも、前は客間に…」
「客間はオババ様に使ってもらっている。」
伊月さんは自分の布団を私の布団にピッタリとくっつけた。
「ほら、横になれ。少し熱が出ている。」
「あの...じゃあ、せめて、着物を着て…。」
「あー、よせ。傷に触るぞ。」
「でもこのままじゃ...」
私は片手で前を隠したままでいる。
「どうせ暗くするのだから、何も着らずに寝ればいいではないか。」
「そ、それは無理です!」
焦る私の反応を見て、伊月さんは楽しそうに笑った。
やっぱり、意地悪モードになってる!
「ほら。晒を巻いてやる。腕を上げろ。」
伊月さんは晒を持って、私の後ろに座った。
「み、見ないで下さい。」
「前は見ないから早くしろ。」
伊月さんが前を隠している私の腕をそっと取った。
恥ずかしさで肩が震えた。
傷が痛くないように、伊月さんは私の背中にそっと、優しく晒を当てた。
そのまま手を滑らせて、私の胸の周りをぐるり、ぐるりと何度か巻いた。
晒を持った伊月さんの手が乳房に当たり、ぞくぞくっと鳥肌が立ったのがわかった。
「なぜそんなに震えている?」
伊月さんは後ろから私の顔を覗き込んだ。
「い…伊月さんのせいです。」
「そうか。私のせいか。」
なぜか伊月さんは満足気にそう言った。
私は、上は晒、下は腰巻だけという姿になり、あまりの恥ずかしさに自分の顔を両手で隠した。
「そんなに恥ずかしがるな」と言いつつ、伊月さんが灯りを消してくれた。
「そなたの体を見たのは初めてではない。」
そういって、伊月さんは私の二の腕を撫でた。
「どういうことですか? 湯殿では一応、湯帷子を着ていましたよ。」
「そなたが空から降って来た時、ずぶ濡れになったそなたの着物を着替えさせた。」
「え?え??え???オババ様が着替えさせてくれたんじゃないんですか?」
「今日はあの時のように、珍妙な胸当てをしておらんな。」
「珍妙な胸当て? も、もしかして、ブ、ブラを見たんですか?」
「ぶら?」
「あ、あんなダサダサのブラ見られてたなんて、あぁぁ私の青春は終わりを告げて…」
「こら。静かにして、もう寝ろ。」
そう言って伊月さんは私にチュっと口づけをした。
そのまま布団に横になり、腕を広げて、来い、と言った。
―― う、腕枕ってこと?
「えっと…」
「はやくしろ。」
「うぅぅ。じゃ、失礼します。」
私はおずおずと伊月さんの腕に頭を預けた。
ヒノキのお香が鼻をくすぐる。
伊月さんは、「背中の傷が当たらぬように、こっちに体を預けろ」 と言って、私の体を引き寄せた。
胸と胸がぴったりと触れ合って、ドキドキと心臓の音が重なる。
しばらく緊張していたけど、伊月さんがずっと髪を撫でてくれていたのと、伊月さんの温かい体温が心地よいので、体から余計な力が抜けた。
「伊月さんの腕の中、すごく落ち着きます。」
「腕枕も初めてか?」
「あ、当たり前じゃないですか。」
「そうか。」
また、伊月さんは満足げに言った。
―― ずるい。
私は伊月さんにぎゅっと抱きついた。
―― 好きすぎる。
「休め。寝ることが何よりの薬だ。」
伊月さんは私が眠りにつくまで、ずっと頭を撫でていてくれた。