晩秋のある夜、ある事件が起こった。
最近の木版画の技術はさらに上がり、瓦版を始めとする出版物もどんどん安くなって庶民の間でも広く流通した。
庶民でも、字が読めれば、政治の動向や、他国で起きたこと、国主の噂などを安価に知ることができるようになってきた。
ここまでは良かった。
小雪ちゃんは女性の自立に向けて何か社会に貢献したいという気持ちもあったらしく、ある瓦版に風刺絵を提供した。
直接名前は出してないが、亜の国主、生田と亜国の政策を揶揄するような内容だった。
特に女性に不利な婚姻の規制や、税制についてだった。
それが国主に知れ、小雪ちゃんがお城に連行されてしまったのだった。
お仙さんが血相を変えてタカオ山にそれを知らせに来たのはもう日がどっぷり暮れてからだった。
私は亜の国主に面会を願い出た。
「小雪ちゃんの連行について異議があります!どうか話を聞いて下さい!」
私は亜城の第一曲輪の門をドンドン叩いた。
門番が私を警戒して槍を向けているけど、オババ様も一緒に来てくれているので、むげにはできないようだった。
「どうか、お取次ぎをお願いできませんか?」
正攻法では埒があかなかったので、最後の手段に出た。
私は門番に頭を下げつつ、袖に金子を入れた。
門番は、少し待っていろ、と言って、中に入った。
中から、以前、国主の伝令としてオババ様の屋敷に来たことがる人が出て来た。
「オババ様は入れません。那美どの一人で直談判するならお会いするということです。」
「行きます!」
私は言った。
オババ様は反論したが、聞き入れてくれそうになかった。
「オババ様、大丈夫です。先にタカオ山まで帰って下さい。ここまで来てくれてありがとうございました。」
私は制するオババ様を振り切って中に入る。
中に入るといきなり身柄を拘束されて、両手を縛られた。
そのまましばらく庭先に座らされていると、国主の生田が廊下に現れた。
「言いたいことがあるそうだな。」
「小雪ちゃんを解放して欲しくて来ました。彼女は私の生徒です。責任は私が取ります。」
「ほう。お前の責任と言うのか?」
生田はにやりと笑った。
その瞬間、生田の体には、内藤と似たような黒く渦巻く気が流れた。
「朝廷には報告せぬこと、カムナリキを使わぬこと、それを誓えるなら、小雪を解放してやってもいい。」
―― 朝廷には報告できないことをするつもりなんだ。
私は雷神にどうするべきか、心の中で問いかける。
大丈夫だ。そう、確信が持てた。
「…誓います。」
「よし、黒田、その内容を契約書にしろ。そして血判を押させろ。」
生田は側近に、そういうと、黒田と呼ばれた人はさっそく契約書を書いた。
私の所にその紙を持ってきて、小刀の刃の先で私の親指を少し刺した。
血のにじむ親指を紙に押し付けて、生田に渡す。
「おい、小雪とやらを解放しろ。」
そう側近に言った。
「ありがとうございます。」
私が頭を下げると、生田は、だがお前には責任をとってもらうと言った。
しばらくして、同じように縄で縛られた小雪ちゃんが連れてこられた。
「小雪ちゃん!」
「那美先生!」
「ごめんなさい、私、私…。」
「泣かないで。大丈夫。」
私は小雪ちゃんを連れてきた役人を見た。
「解放する約束です。縄を解いて門の外に出してあげてください。」
役人が生田をちらっと見ると、生田がうなずいた。
役人は小雪ちゃんの縄を解くと、さっさと行け、と言った。
「那美先生!」
「行ってて。あとは私が話をするから。大丈夫、心配ないよ。」
役人は泣きじゃくる小雪ちゃんを私から引きはがし城門から出した。
「さて、小娘。」
生田は私を見下ろして薄気味悪く笑った。
「お前はあの小雪の身代わりとして、鞭打ちに処す。50回だ。やれ。」
役人は言われるがままに私の背中に鞭を打った。
「いたっ…」
肌が擦り切れるような熱い痛みが走った。
生田は嬉しそうな笑みを浮かべた。
―― まじ何なのこいつ。きもい。
「何だその目は。おい、もっと強く打て。」
バシン!
「うっ」
次のはずっと痛かった。
痛みで一瞬気を失いそうになる。
―― 負けない。こんなやつに絶対負けない。小雪ちゃんは悪くない。
そう思って、鞭の痛みに耐えると、ふわっと体にオババ様のカムナリキを感じた。
私がいつも首からブラ下げている龍の印のついた石から、その気が流れ出した。
オババ様の水のカムナリキが私の体をそっと包み、バリアを作った。
バシン!
―― へ? ぜ、全然、痛く、ない…?
次に打たれた鞭は、確かに私の背中に当たって、すごい音を立てたのに、痛みはなかった。
生田や他の人たちには、私を守るオババ様の気の存在がわからないようだったので、私は鞭で打たれる度に痛そうなふりをしてみせた。
そうやって、50回のむち打ちの刑は終わった。
それが終わると、生田は飽きたように、「叩き出せ。」とだけ言って去って行った。
役人は縄を切って、私を立たせた。
とても複雑そうな顔をしていた。
―― この人も、きっと、やりたくてこんなことをしているわけじゃないんだな。
「あの、あなたのことは恨みません。」
私がそういうと、その人はびっくりしたように私を見た。
「手加減してくれていたの、分かりました。」
私が門に向かって歩き出すと、その人は駆け寄ってきて、私を引き留めた。
「しばらく腫れて熱が出る。何日か安静にしろ。」
そう言って、とても悲しそうな顔をした。
私はトボトボ歩いて城門を出た。
そこにはオババ様がまだ待っていてくれた。
「オババ様!」
私は思わず走り寄って、オババ様にすがって泣いた。
オババ様は私を抱きしめてくれて、そっと私の頭を撫でてくれた。
「何をされた?」
「鞭打ちを言い渡されました。でもオババ様の石のおかげでほとんど打たれていません。」
「小雪が伊月を呼びに行った。伊月の所で応急処置をしよう。」
第三曲輪を出ると、伊月さんが門番と言い合っていた。
「今夜は共舘様を入れるなと国主からのお達しです!」
「どういったことだ! 納得できん!」
「ともかく、今夜はこれより先にお通しできません!」
「伊月さん!」
「那美どの!」
伊月さんは私を見るなり、門番を押しのけて走り寄った。
そして、すぐに私を横抱きにして、黒毛に乗せた。
「すぐに屋敷に行こう。」
伊月さんも黒毛にまたがり、すぐに黒毛を走らせた。
オババ様は宙を浮いて、黒毛のスピードに合わせて飛んでいる。
「オババ様、すごい!」
「オヌシ、能天気にそんなことを言っておる場合ではなかろうに。」
あきれながらも、オババ様は少し笑みを浮かべて、ワシは先に行くと言って、飛んで行ってしまった。
「那美どの、すまない。」
伊月さんが苦しそうな声を絞り出すように言った。
「どうして、伊月さんが謝るんですか?来てくれて、ありがとうございます。」
伊月さんはそれには答えずに、屋敷まで、無言で黒毛を走らせた。
―――
オババ様のカムナリキが守ってくれたけど、最初の数回は鞭が当たったこともあり、結構背中が痛かった。
皮膚が切れて着物に血がついてしまった。
小雪ちゃんはずっと自分を責めていた。
だけど私は小雪ちゃんに分かって欲しかった。
どれだけ小雪ちゃんがしたことが偉大なことか。
小雪ちゃんのしたことが、どれだけの亜国と伊国の女性の励みになっているかを。
ひとまずこの夜、泣きじゃくる小雪ちゃんを、心配して駆けつけて来てくれていたお仙さんが預かることになった。
平八郎さんが二人をお仙さんの所へ送っていく。
オババ様は別の部屋で源次郎さんと何やら話しているみたいだった。