異世界戦国で侍と恋に落ちたら、巫女になって、一緒に国盗りしちゃいました♪

「なんか、ずるいです!」

源次郎(げんじろう)さんが作ってくれたご飯を食べた後、伊月(いつき)さんは私の手をひいて、湯殿(ゆどの)に連れて行った。
湯殿(ゆどの)には湯帷子が二つ用意してあった。
伊月(いつき)さんのと、もう一つ、女性用の湯帷子(ゆかたびら)だ。

源次郎(げんじろう)の好意をむげにはできぬからな。一緒に入ろう。」

と、伊月(いつき)さんは言った。

「なぁに、湯帷子(ゆかたびら)を着ていれば何も見えん。心配するな。」

とも言った。

「お互いが湯を浴び終わるのを待たずともよいから、時間の短縮にもなるだろう。」

などと言った。

「もう夜も更けているから、さっさと二人で入って寝る準備を始めた方がいい。」

「うぅぅぅ。わ、わかりました!」

私は観念して、一緒にお風呂に入ることを了承した。

「でも、着替える時と、体を洗う時はこっちを見ないで下さいよ?」

「わ、わかった…。」

伊月(いつき)さんはシュンとした顔をした。

「そ、そんな可愛い顔をしても騙されませんから!」

「か、可愛い?」

「あ、つい。心の声が...。」

「そ、そうか... 私が那美(なみ)どのの体を洗ってやっても良いのに。」

「け、結構です。」

「私の体は…」

「背中だけで良ければ流しますよ。」

「それはいいのか?」

「...はい、まあ、それくらいはいいです。」

「そうか。」

伊月(いつき)さんはやけに嬉しそうな顔をした。

―― どうしよう。伊月(いつき)さんが可愛い…。

伊月(いつき)さんは約束通り、私が体を洗って湯帷子(ゆかたびら)を着るまで、こちらを見なかった。
だから、私も約束通り、伊月(いつき)さんの背中を流す。
伊月(いつき)さんは筋肉隆々の背中を私に向けて、座っている。

「し、失礼します。」

泡のついたヘチマたわしで伊月(いつき)さんの背中を洗い始める。

「あぁ。心地よいな。」

―― そっちはリラックスしているみたいだけど、私はドキドキだよ!

大きな背中、引き締まった腰回り、どこをどう見てもカッコいい。
私の目の前で裸になってるっていうのに、堂々としていて、目のやり場に困る。

―― 背中には傷がないんだな。

伊月(いつき)さんは胸元や二の腕に切り傷みたいのがいくつかある。
背中はツルツルだ。

―― 肌もすごくきれい。って、私、何考えてるの!

ドキドキしながらも、背中を洗い、お湯をかけて、泡を流す。

那美(なみ)どのの背中も流さなくていいか?」

「い、いえ、それは遠慮しておきます。」

「そうか…。気持ちいいのに。」

「お、終わりましたから、湯帷子(ゆかたびら)を着て下さい!」

―― お願い、目のやり場に困るから、早く着て。

伊月(いつき)さんは言われるがままに湯帷子(ゆかたびら)を着て湯舟に浸かった。

「ほら、ここに座れ。」

そして、伊月(いつき)さんが自分の膝をポンポンと叩いた。

「え?」

フリーズしている私に伊月(いつき)さんがたたみかけた。

「我が家の湯舟はそんなに広くないからな。他に座るところはないぞ。」

「な、何か、ず、ずるいです。」

お湯の中で、伊月(いつき)さんのひざに乗れって?
私にはハードルが高すぎる。

「ほら、湯冷めするまえに、もう観念して、座れ。」

ええい。もう、なるようになれ。

「じゃ、じゃあ、失礼します。」

私はおずおずと湯舟に浸かって伊月(いつき)さんの膝の上に座る。
伊月(いつき)さんの腕が私のお腹に周って、顎が肩についた。

「お、重くないですか?」

「重くない」

伊月(いつき)さんの低い声が私の耳元を震わせた。

「なぜ震えている。」

「それは…」

「それは?」

伊月(いつき)さんが私の耳の近くで話すから…です」

「ここがくすぐったいのか?」

チュっと水音を立てて、伊月(いつき)さんは私の耳にキスをした。

「ひゃっ」

「ここはどうだ?」

次に耳たぶを優しく噛んだ。

「あっ、だ、だめです…」

「なぜだ」

そして耳の輪郭を舌先でそっと舐めた。

「あっ…やっ」

身をよじると、伊月(いつき)さんは私の耳にキスをするのを止めた。
その代わりに両手で抱きすくめられ、伊月(いつき)さんは私の肩に顔を埋めた。

「はぁ、那美(なみ)どののその声は耳に毒だな。」

「い、伊月(いつき)さんのせいじゃないですか。」

「そうか、私のせいでそのような声が出るのか。」

伊月(いつき)さんがニヤリと笑った。

―― あ、伊月(いつき)さんに意地悪モードのスイッチが入ってる。

「も、もしかして、こんな事をするために、一緒にお風呂に…」

「そういう下心がなかったと言えば嘘になるが、時間短縮になるのは事実だろう。」

「そ、そうですけど…。」

「それに、二人で景色を楽しみたかったのも、ある。」

「景色?」

伊月(いつき)さんは一旦湯舟から出た。
それまで壁だと思っていたところは、実は大きな扉だったみたいで、伊月(いつき)さんはその扉をあけ放った。
湯舟の先に、小さな、でも、手入れの行き届いた中庭が続いていて、一気に湯殿(ゆどの)が露天風呂と化す。

「すごい! こんな造りになっていたんですか?」

「ああ。まあ、完全な露天風呂とは言えないが、半、露天だな。」

伊月(いつき)さんはまた湯舟に戻ってきて、私を膝にのっけた。

「寒くない季節はこうやって庭の景色を見ながら風呂に入るんだ。なかなかいいだろう?」

「はい。すごく素敵です! あ、星が綺麗!」

月が見える位置にはなかったが、夜空に星がびっしり光っている。

「星以外の物も、もうすぐ見れる。」

伊月(いつき)さんがそう言うと、庭の地面がフワっと、一瞬だけ明るく光った。

「あ、何か光ってます…」

やがて、うすい緑の光がフワリ、フワリと光って、どんどん数を増していく。

「な、なんですか?」

やがて、中庭の地面に敷き詰められた、宝石のようにキラキラ輝く光の群れは、飛んで空に舞っていく。

「わぁ。あれって、蛍ですか?」

「ああ。」

蛍はフワッと一斉に空一面に広がり、それまで、ただの何もない夜空だったところを淡く照らし出した。

「わぁ、すごい!綺麗!」

ゆらゆらと周りの景色を、照らしながら飛びまわる光の粒を目で追いながら息を飲んだ。

「蛍がこんなにきれいだなんて。」

こんなに大量の蛍を見たのは初めてだった。
テレビでしか見た事がなかった蛍を異世界で見るなんて思いもしなかった。
沢山の星が敷き詰められた空を、蛍の光が覆った。
薄っすらと青白い星の光と淡い緑の蛍の光が重なり合って視界がゆらゆらと揺れた。
私はしばらくその幻想的な光景に言葉を失って見とれていた。

「気に入ったみたいだな。」

伊月(いつき)さんがフッと笑ったのが分かった。

「あ、見て下さい。あの松の木の周りにも蛍がいっぱい!」

さっきまで暗くて見えなかった中庭の松の形、空の雲の様子、全てがはっきりと光に映し出された。

「あ!」

すぐ側まで蛍の光が飛んできた。

「こっちにも来ました!」

思わず手を伸ばすと、光は私の手を避けてどこかに飛び去って行く。

「あぁ、止まってはくれませんでした。」

伊月(いつき)さんが笑いながら言った。

「蛍ごときでそこまで喜ぶとは思わなかった。」

「蛍を見たの、初めてだったんです。 写真やテレビでは見たことがあったけど。」

「写真? てれび?」

「絵みたいなものです。」

「そうか。こんな小さな中庭と蛍ごときと呆れられると思ったが、良かった。」

不意に伊月(いつき)さんが指先で私の首筋をツっと撫でた。

「ひゃぁ。きゅ、急に何するんですか?」

「言っただろ、下心がなかったわけではないと。」

伊月(いつき)さんは、耳元でささやいて、私の首筋にチュっとキスをした。

「んっ。」

思わず肩が震えてしまう。
そして、また、伊月(いつき)さんは、私を後ろからぎゅっと抱きしめた。

酒呑童子(しゅてんどうじ)那美(なみ)どのの寝巻姿を見られたのも、この肩を触られたというのも、腸が煮えくり返りそうだったのだ。」

伊月(いつき)さんは、苦しそうに言った。

「それなのに、常に女官とか武官とか家臣とかウロウロしおって、うかつに那美(なみ)どのに触れられず、都では誠、苦しかった…」

私の耳元でささやきながら、伊月(いつき)さんの手が私の湯帷子(ゆかたびら)襟元(えりもと)にもぐりこんだ。

「きゃ、あの…」

大きな手が着物の中に滑るように入ってきて、そのまま肩を撫でられた。
肩を触られただけなのに、気持ちよくて鳥肌が立った。

「あ、い、伊月(いつき)さん…」

「あの悪鬼め、この肩を触っておった。絶対に許さん。」

そして、伊月(いつき)さんは私のうなじにキスを落とした。
背筋までぞくぞくして、自分でもはしたないと思うように息が上がった。
伊月(いつき)さんに与えられる感覚に、涙がにじんだ。

「待って…」

「蛍を見ていろ…。」

そういって、伊月(いつき)さんは私を後ろから抱きしめたまま耳や首筋に舌を這わせた。

「む、無理です…。あ、あ...」

「なら、こちらを向け。」

顔を振り向かされて、さっきまで私の首筋を這っていた、伊月(いつき)さんの熱い舌が口の中に入ってきた。

「うっ…ん…」

「ん...那美(なみ)どの…」

伊月(いつき)さんが荒い息遣いで私の名前を呼んだ。
それだけで、耳から溶けそうだった。
水音を立てながらそっと唇を離すと、さっきまで肩を撫でていた大きな手で、私の鎖骨に触れた。

「もう、ここの跡は消えたか?」

「え?」

宇の湯治場で伊月(いつき)さんが付けたキスマークのことだと分かり顔が赤くなった。

「もう、ほとんど見えません。」

「また、つけたい。」

「で、でも…」

「ダメか?」

伊月(いつき)さんの指先が鎖骨を撫でた。

「ダ、ダメじゃ…ないです。 でも…」

声が震えているのが自分でも分かった。
伊月(いつき)さんはその後の言葉を待たずに私の体を少し自分の方に向けると、首筋にキスを落とした。
何度もチュチュと音を立てて、優しくキスをした。
そして、もう乱れている襟元(えりもと)をさらに押し開けて、鎖骨の少し下を吸った。

「きゃぁ、あっ。」

言い知れない感覚に私の背中がビクンとはねた。
いくつか赤い跡がつくと、伊月(いつき)さんは満足したように、また私を後ろから抱きすくめた。
荒く肩で息をしている私をなだめるように、頭を撫でて、頬にキスをした。

「消えたら、またつけたい。」

「い、伊月(いつき)さんは、意地悪です…」

「嫌なのか?」

「そういうの、聞くのも意地悪です。」

那美(なみ)どのが嫌なことはしたくないからだ。」

「嫌じゃないって知ってるくせに。」

「だが、何度でも嫌じゃないと聞きたい。」

「やっぱり、意地悪です…。」

蛍の景色は涙でかすんで、その後よく見えなくなった。
今回は那美(なみ)どのが湯にのぼせる前に上手く風呂を済ませた。
自分の欲望も上手く制御出来たのが、誇らしかった。

―― やはり、慣れが大切なのかな。

湯の中でイチャイチャするというのは前にやって、色々と反省もあったから、今回は余裕なくがっつくというのはなかった。
もちろん、自制するのには大変な精神力を要するが、それでも、あのように愛らしい那美(なみ)どのを見るのは、いい。

―― 私も成長したな。

背中を流してもらえたのも、良し。
那美(なみ)どのの体を洗ってみたい衝動もあったが、それを許されていたら、あのように制御できなかったかもしれない。

―― あれでよかった。

二人で風呂から出たあとは、一緒に縁側で酒を飲みながら、またしばらく庭の蛍を見た。
蛍の光に必死に手を伸ばして、「止まってはくれませんねぇ」という那美(なみ)どのは、(まこと)、可愛かったな。
そんな那美(なみ)どののため、私は、源次郎(げんじろう)に、懐紙(かいし)とはちみつを持って来させた。

「何をするんですか?」

「まあ、見ていろ。」

私は、紙を筒状にして、床に置き、紙の中にはちみつを少し塗った。
それを、那美(なみ)どのの目の前に置くと紙の筒の中に蛍が集まってきた。

「わぁ素敵! 蛍のランタン、雪洞(ぼんぼり)みたい。幻想的ですねぇ。」

と、那美(なみ)どのが目を輝かせてはしゃいでいるのを見て、心底、癒された。

源次郎(げんじろう)に、那美(なみ)どのの布団は客間に準備するように言うと、信じられないと言った表情をしていた。

―― まあ、大人の男の余裕というのは演出できたのではないか。

私は、都で八咫烏(やたがらす)が語っていた、酒呑童子(しゅてんどうじ)に教えてやったという手練手管(てれんてくだ)を思い出した。
八咫烏(やたがらす)酒呑童子(しゅてんどうじ)の16人の妻について色々と護衛隊の者たちに語っていた。
人が仕事をしているのにも関わらず、ペラペラと話しおって。

―― だが、役に立ったかもしれぬ。

その時に、八咫烏(やたがらす)が、酒呑童子(しゅてんどうじ)が自ら妻の寝所に行かずとも、妻の方から寝所に来てくれと言わせる方法を教えたと言った。
護衛隊の者は皆、その方法を知りたいとせがんだ。
勿体ぶりながらも八咫烏(やたがらす)が話して聞かせていたのが、私の耳にも否応なく聞こえてきた。

「これは男と女の攻防(こうぼう)だ。女は城だと思え。これは城攻めの(いくさ)と思え。」

八咫烏(やたがらす)が大げさに言っていたが、戦略の話となれば興味が湧くものだ。
戦の中でも攻城戦(こうじょうせん)はかなり難しい。
将は相手方に籠城(こじょう)されるのを嫌い、できるだけ城の外に兵をおびき出したいものだ。
何しろ、城というのは元より、敵を寄せ付けないように、様々な創意工夫をして作られている。
中に攻め込んでも、罠が幾重にも張り巡らされ、うかつに侵入すれば、相手の思うつぼだ。

「城攻めに大切なことは何か?」

八咫烏(やたがらす)が皆に問うている。

―― 城攻めは忍耐比べだ。先に資源が枯渇した方が負けるか、先に精神力が切れた方が負ける。

「城攻めに一番大切なのは忍耐だ。どれだけ耐えられるか、耐えぬいた方の勝ちだ。分かるか?」

八咫烏(やたがらす)が続ける。

(いくさ)ではそうです。でも女人(にょにん)はどうなのですか?」

「さて、籠城(こじょう)している者に城を開けさせるにはどうしたらいいと思う?」

(あお)って城から誘い出すか、資源の補給路を断って、飢えるのを待つか、ですか?」

―― それから、情報網を利用しての心理戦もあるな。

相手が籠城(こじょう)するには様々な理由がある。
敵が援軍を待つ間に時間稼ぎをしているのであれば、援軍が来ないなどの情報を流し、士気を弱め、和議に持ち込める。

「そうだ。女も飢えさせればよい。補給路を断つ、つまり、自分以外の男が寄り付かないようにすればいい。酒呑童子(しゅてんどうじ)は自分の屋敷に妻を囲っているので、その点は合格だ。」

―― そうか、女の話だった。

「では、敵が飢えているかどうか確かめるためにはどうする?」

八咫烏(やたがらす)の問いに、護衛隊の家臣は考えている。

―― 敵の資源がどれだけあるか確かめるには、時に城を攻め立てて、どれだけ抗戦してくるかを見極める必要があるな。

「時々つついてみて、どれだけ飢えているか確認せねばいかんだろう? 時には攻めることも大切だ。」

家臣たちはうんうん、と真剣に聞いているようだ。
八咫烏(やたがらす)は女の話をすると思わせ、家臣たちに大切な戦術を教えているのかもしれん。
なかなかやるな。

「つまり、定期的に女を攻めなければいかん。だが、最後までは攻めてはいかん。どれだけ飢えているか様子をさぐるだけだ。」

―― やはり、女の話か。

「それではこちらが生殺しです。」

「だから忍耐戦と言ったのだ。自分の忍耐が勝つか、女の忍耐が勝つか、先に飢えた方が負けだ。」

「私の方が先に飢えてしまう自信があります。」

一人の隊員が言って、皆がどっと笑った。

「しかし、男はこの忍耐戦略に有利だ。」

「どうしてですか?」

「女にだって欲望はあるのだ。時々攻めたてられて、最後まで与えられなければ、女の方の欲望はどんどん膨れ上がっていくだけだ。だが、男には、はけ口があるだろう?女にはそれがなく、ただただ溜まっていくだけだ。」

「おぉ。なるほど!」

「時々攻めたて、でも最後までは攻めないかぁ。面白い作戦ですね!」

「欲望を植え付け、焦らして、焦らして、向こうから開城させるまで忍耐だ。」

「忍耐のコツはありますか?」

隊員が聞く。

「余裕だ。いいか、男には余裕が必要なのだ。余裕を持って、いつでも、あと何回でも攻めればいいんだと思えば、相手が飢えるのを待つ忍耐力になる。」

「余裕ですか。」

「余裕を持って、攻めてみるのを、何回か繰り返してやってみろ。慣れれは自分から誘わずとも女の方から誘ってくるコツを掴めるぞ。」

「そういうことでしたかー!だが、やってみる相手がおりませんな。」

また皆がどっと笑った。

―― 女との情の通わせ方を戦のように考えたことはなかったな。八咫烏(やたがらす)は、やはり変わったやつだ。

いつか、那美(なみ)どのから誘ってくれることがあるのだろうか?
そんなことがあれば男冥利(おとこみょうり)に尽きるというものだ。
しかし、私の忍耐がもつかな。

戦においては忍耐戦は得意だが、那美(なみ)どのが相手となると、自信がない。

―― 余裕か。いつでも攻められるという余裕。よし。心に留めておこう。

あの時八咫烏(やたがらす)が語っていたことと、()湯治場(とうじば)での失態で学んだことを考慮して、今回は上手くやれたのではないか。
那美(なみ)どのはなかなか手ごわそうだが、これからもちょくちょく時をかけて攻めてみるか。
あの反応を見るのも好きだしな。

(あるじ)、お茶をどうぞ。」

そこに源次郎(げんじろう)が茶を持って来た。

(あるじ)那美(なみ)様のことですが…。」

「何だ?」

「本当に客間にお布団を敷いて良かったのですか? (あるじ)那美(なみ)様はもう公認の仲ですよ。私どもにご遠慮されているのなら...」

「別にそなたらに遠慮をしているわけではない。」

「そうですか?…それならよろしいのですが。」

源次郎(げんじろう)はいぶかし気にしてはいたが、那美(なみ)どのをタカオ山に送り届けた後に、「(あるじ)が辛抱強い方だと知ってはおりましたが、(あるじ)ほど自制心の強い男は知りません。」と言っていた。

やはり、忍耐戦は得意だな。
(みやこ)への旅を終えて一週間、私はタカオ山での平穏な日常を取り戻しつつあった。
手習い所(てなら じょ)での仕事も、研究室での商品開発も再開した。

タカオ山ではすっかり、真夏の暑さが薄らいできて、コスモスが咲き始め、夜には鈴虫の音が聞こえ始めた。

あの蛍を見た次の日、伊月(いつき)さんは荷物と一緒に私をタカオ山まで送り届けてくれた。
その日は夕凪(ゆうなぎ)ちゃんとオババ様が出迎えてくれて色々と近況を報告し合った。

「オヌシが位階(いかい)をもらったり、鬼を泣かせたりしたのを、色々と八咫烏(やたがらす)から聞いたぞ。」

オババ様が楽しそうに言った。

「その、鬼を泣かせたっていうのはどうかと...。」

(まこと)のことだろう。それで、旅は楽しんだか?」

「旅はすごく楽しかったです。伊月(いつき)さんの秘密を色々と知りました。」

オババ様はニッコリ笑った。

「そうか、そうか。あやつと組むとなかなか儲かるぞ。」

伊月(いつき)さんって色んな才能があるんですね。あ、それから、オババ様の作った、あの、阿枳(あき)さんの船もすごかったです。」

「ああ、あれか。ワシはカムナリキを提供しただけだ。船の設計は阿枳(あき)がした。」

「すごいですね!」

伊月(いつき)はどこからともなく、才のある者を見つけて来るのだよ。」

私は伊月(いつき)さんが領地よりも扶持(ふち)よりも人材を得たいと言っていたのを思い出す。

「こっちでは、オヌシらが留守の間、内藤(ないとう)の調査がすすんでおるようじゃよ。」

留守にしていた間、気がかりだった内藤(ないとう)のこともオババ様が説明してくれた。

内藤(ないとう)自身は、女の持つカムナリキが強いのか弱いのかが感じられず、オヌシがおとり捜査で捕まえた盗賊団を使って、手当たり次第に女を誘拐して、カムナリキの抽出の儀式を行っておったらしい。」

誘拐事件を捜査していた正次(まさつぐ)さんと、内藤(ないとう)の調査をしていた清十郎(せいじゅうろう)さんが、二つの事件が繋がっていることを突き止めた。
あの武術大会の日に伊月(いつき)さんを狙って内藤(ないとう)がやって来る事も清十郎(せいじゅうろう)さんが知らせていた。

「誘拐した女から抽出したカムナリキを、カグツチの(ほこら)に持って行き、どのカムナリキが火の性質を持っておるのか調べておったようだ。」

「カムナリキの種類もわからずに、人を誘拐してそんなことをしていたんですか?」

「ああ。全く信じられぬ。」

「でも、どうしてわざわざカグツチの(ほこら)に? 火のカムナの玉をかざしたら、火のカムナリキかどうか分かるでしょう?」

「普通の女のカムナリキは微々たる物だ。我らのような巫女とは違うからな。ワシやオヌシが触った時のようにカムナの玉も反応せんよ。」

「なるほど。」

「カグツチの祠に行けば、巨大な火のカムナの玉が奉納してあり、わずかなカムナリキでも、それが微かに光るのだ。」

「それで、火のカムナリキを持っているってわかったら、どうするんです?」

「その女のカムナリキを抽出し続ける。監禁されて、カムナリキが翼竜を動かせるくらいになるほどに、ずっと抽出されるのだ。」

オババ様は嫌悪の表情を浮かべた。

「でも、どうやってカムナリキを抽出するんですか?」

「そのようなことはきっと誰かが考えた秘術に違いない。ワシとて聞いたことがなかった。」

オババ様も知らない秘術を知っているなんて、内藤(ないとう)ってどんな男なんだろう。
ただただ、黒い渦巻く気の流れを持っていることしかわからない。

ひとしきり、オババ様と内藤(ないとう)の事を話し合って、私は皆にお土産を渡した。
夕凪(ゆうなぎ)ちゃんには(みやこ)で買った巻物をあげた。
恋の話が沢山載っている絵巻物だ。
その日の夜から夕凪(ゆうなぎ)ちゃんは夜な夜なその絵巻物を食い入るように読んでいるらしい。

オババ様には椿油と(くし)だ。
髪の毛につけるとツルツルになって次の日の寝癖が押さえられると聞いた。
次の日から、心なしか、朝のオババ様の寝癖がおさまったように見えた。

それから、吉太郎(よしたろう)、お(せん)さんや手習い所(てなら じょ)に来る生徒さんたちと一緒に食べたくて、
大量のまんじゅうやおせんべいやお菓子も買って来た。

手習い所(てなら じょ)では授業の合間に生徒さんたちが私の旅の話を聞きたがった。
この尽世(つくよ)には自動車もないし、治安も良くないし、旅費もかかるので、
普通の人にとって、旅に行くのは夢のまた夢だ。

私が話した旅の出来事は漫画部の皆が色々と脚色してアドベンチャーストーリー仕立ての漫画になっているらしい。
小雪(こゆき)ちゃんに、私にも漫画の試作を見せてほしいと言ったけど、一冊出来上がるまで待つように言われた。
どうやらサプライズのつもりらしい。

―― 楽しみだな。

色んなことが順調に行っているように思えたけど、やはり内藤丈之助(ないとうじょうのすけ)のことは気がかりだった。
今日は、オババ様と一緒に伊月(いつき)さんの屋敷に行って内藤(ないとう)のことを話し合うことになっている。
()の国の情勢についても話したいことがあると言っていた。

―― ()の国といえば、兵五郎(ひょうごろう)さんたちは今ごろどうしてるかな。

旅行から帰ってから、伊月(いつき)さんとは(ふみ)を何度かやり取りしているけど、会えていない。
伊月(いつき)さんは旅の間に溜まっていた仕事をこなすので忙しそうだった。


―――

オババ様と一緒に伊月(いつき)さんの屋敷に行くと、源次郎(げんじろう)さんと平八郎(へいはちろう)さんが迎えてくれた。

那美(なみ)様が(みやこ)に行っていた間、内藤(ないとう)が吐きました。カムナリキを抽出する目的のために盗賊団を使って、女人(にょにん)をかどわかしていたのです。ただ、どのように抽出するのかは、なかなか吐きません。」

源次郎(げんじろう)さんと話していると、伊月(いつき)さんが部屋に入ってきた。

「オババ様、那美(なみ)どの、お待たせしました。 今日は見せたいものがあります。」

そういうと、伊月(いつき)さんは包みに入ったものを畳の上に置いた。

内藤(ないとう)が拠点としていた所をいくつか見つけ、そこで不思議な書物を見つけました。どうやら、女人(にょにん)からカムナリキを抽出する方法を記した書物らしいが、読めぬ。」

オババ様が包みを開けようとすると、伊月(いつき)さんが言う。

那美(なみ)どの、これを見て嫌な思いをするかもしれぬ。」

「大丈夫です。見ます。」

オババ様が私の言葉を待って、包みを開けたると、オババ様が目を見張った。

「何とも不思議な材質の紙、光沢のある不思議な色じゃな。」

私も自分の目を疑った。

「これは、アメコミ!」

「あめこみ?」

私はビックリした。
それはスーパーヒーロー物のアメリカンコミックだった。
出版年と出版社を見ると、20XX年ニューヨークのマルベール社出版と英語で書かれている。

「きっと、私の来た世から持ち込まれた物です。」

「何と!」

二人は私を見て目を見張った。

「英語という言葉で書かれています。」

「読めるか?」

「全部はわからないですけど、少しわかります。 ちょっと読んでみますね。」

それはコウモリマンというスーパーヒーローのエピソードだった。
悪の組織のリーダーがエクソシスト(悪魔祓い)に変装して、悪魔に憑りつかれた女性から悪魔を追い払うとみせかけ、その悪魔を自分の中に取り入れ、増幅させて、サタンを召喚しようとする。
それをコウモリマンガ阻止するという単純明快なストーリーだった。
ただ、そこに書かれている悪魔を取り出す儀式が詳細に描かれている。
そして、その描写が結構、暴力的でグロテスクだ。

―― 嫌な物を見るかもしれないってこのことだったんだ。

「この書物は私が来た地球で手に入る物です。アメリカという国の漫画です。しかも結構最近出版されたものです。」

「となると、内藤丈之助(ないとうじょうのすけ)は異界人かもしれぬ。 それとも異界人と接触を持ってその書物を手に入れたか。」

「でも、本当にこの書物を読んでカムナリキを抽出したのでしょうか。ただの物語ですよ。」

「どうだろうか。今の所、(やつ)の持ち物の中でそれが一番不審な物だ。女から何か取り出している絵が描いてあるのでそう思ったのだが。」

「私が内藤(ないとう)に会ってみてはダメでしょうか?」

これには伊月(いつき)さんが難色を示して、那美(なみ)どのに見せられるようなものではないが、と言った。
でも、そのまま少し考え込んだ。

オババ様が、

那美(なみ)が会う事で解決の糸口が見えてくるかもしれぬぞ。」

と、伊月(いつき)さんに言った。

「嫌な物を見るかもしれぬが、いいか?」

私は大きく頷いた。
オババ様もついてきてくれると言った。


伊月(いつき)さんに連れられて行った地下牢は暗くジメジメしていた。
(おり)に入れられている人たちが私たちを物珍し気にジロジロ見た。

―― 正直怖い。

伊月(いつき)さんが一つの檻の前で止まり、ここだ、というように指をさした。

「あのアメコミは、あなたのですか?」

私は伊月(いつき)さんの後ろに隠れながら、牢の中の人に話しかけてみた。
内藤(ないとう)はバッと振り向いて、誰だアメコミのことを知っているのは?と言った。

―― やっぱりアメコミが分かるんだ。

伊月(いつき)さんの背中から出て、内藤(ないとう)の顔を覗き見る。普通にアジア人の顔だった。
牢獄暮らしで随分とやつれているようだったが、あの、黒く渦巻くような不気味な気の流れは変わらなかった。

「あなた、異界人ですか?」

内藤(ないとう)はそれには答えずに私をじっと睨んでいるようだった。
暗がりの中でよく分からなかったから、少し柵に近づいてみる。
その瞬間に内藤(ないとう)の顔を真正面から見た。

「あ! あなたは!」

「お前は!」

内藤(ないとう)は目を見開き、不敵な笑みを浮かべた。

「見つけたぞ! 見つけた!」

そして、柵に走り寄って、私に近寄った。
伊月(いつき)さんが私を柵から離す。
内藤(ないとう)は狂ったように、「お前を探していたんだ」と、叫び、わめいた。

「お前のせいでここに来たんだ!お前のせいだ!殺してやる!」

伊月(いつき)さんは私の顔を着物の袖で隠した。

「行こう。話しは後だ。」

伊月(いつき)さんはそのまま私とオババ様をかばい、出口へと促した。

―― 信じられない! 何で、あの男がここに?

私は震えていた。

―――

「あの男は日ノ本でお前を殺そうとした辻斬(つじぎ)りだな?」

牢を出て、オババ様が開口一番に言った。

「ど、どうして分かったんですか?」

「あの者の気は狂っておる。弱い者をいたぶり、人殺しを楽しむ種類の者の気だ。オヌシがこちらの世界に来た時に巻き込まれたのだと、カグツチの声がした。」

「でも、私と一緒にこちらの世に来たというのはおかしいです。私がここに来た時に、内藤(ないとう)はもうすでに翼竜を操る術を持っていました。」

「異界からの移動は同じ時間、同じ場所にたどり着くとは限らん。」

「私とは違う時間に違う場所に行ってしまったのですか。」

「そうかもしれぬ。」

オババ様は身震いをした。

伊月(いつき)那美(なみ)、タカオ山に帰るぞ。あのようなおぞましい気を受けてたままではかなわん。禊祓(みそぎはら)いをしたい。」

オババ様の言葉に従って、私たちはタカオ山に戻った。

「ワシは先に(みそぎ)をする。オヌシたちはここで待っていろ。」

そういうと、オババ様はタカオ神殿の裏手にある小川で(みそぎ)の儀式の準備を始めた。

思わず、はぁ、とため息をついた。
狂ったような内藤(ないとう)の顔とわめき声が脳裏に焼き付いて、気分が悪い。

那美(なみ)どの、少し休もう。」

伊月(いつき)さんは神殿の横に置いてある長椅子に私を座らせた。

「無理矢理牢に連れて行ってもらったのに、取り乱してしまってすみません。」

「いや。お陰で手がかりができた。内藤(ないとう)が異界人だと分かっただけでも、収穫は大きい。」

「私、日本で、あの男に殺されそうになったんです。でも、その瞬間、桜の木のうろに落ちて。気がついたらこの世界に来ていました。」

「怖い思いをしたな。だが、あの者は牢の中だ。那美(なみ)どのに危害を加えることは、もうない。」

「はい、ありがとうございます。」

伊月(いつき)さんが私の背中をさすってくれて、気持ちが落ち着いてくる。

「あの者の処刑は死刑と生田(いくた)から沙汰(さた)が出て、もう決まっておる。生田(いくた)としては、内藤(ないとう)が暗殺のことを話す前にサッサと殺したいのだ。」

「そうなんですね。」

「のらりくらりとまだ生かしているのは、私のためだ。生田(いくた)黒田(くろだ)が私を暗殺しようとした生きた証拠だからだ。だが、もし那美(なみ)どのがあの男を許せぬのなら、すぐにでも死刑に処してもかまわん。」

「私はあの男が何人もの人を無差別に殺したのを見ました。何の理由もなく、ただそこにいたというだけで。道を歩いていただけで殺されちゃったんです。それに加えて、こっちの世界でも女の人をかどわかしていたなんて、悪魔の所業です。とても許せません。でも、だからこそ、利用できるうちは利用して、伊月(いつき)さんのために使って下さい。」

伊月(いつき)さんは私の手を握って、空を見上げた。

「私にもあの者のような黒い気が流れておるのか?」

「え?」

「私も沢山の人の命を奪った。そなたも見たはずだ。」

伊月(いつき)さんの気には、内藤(ないとう)のような黒く渦巻いたような気は全くありません。」

私はもう片方の手を伊月(いつき)さんの手に重ねた。

―― きっとこの人は苦しんでいるんだ。

伊月(いつき)さん…。」

私は何と言っていいかわからなかった。
ただ、私も伊月(いつき)さんと一緒に空を見上げた。
秋の気配がにじむ晴れた空だった。

伊月(いつき)那美(なみ)。」

オババ様の声がして振り向いた。

「お前たちも(みそぎ)をしたほうが良い。那美(なみ)から、来い。」

「はい。」

私は(みそぎ)用の白い着物に着替えた。
オババ様がオオヌサで私を(はら)ってくれる。
オババ様に言われたとおりに玉櫛(たまぐし)を持ってそのまま小川の水に入り、肩まで浸かる。

―― 冷たい。

でもその冷たさが、私の脳裏に焼き付いた内藤(ないとう)の声と気持ち悪い形相と、体にまとわりついた薄暗い気を優しく包み込み、川下に流して行った。
ビックリするくらい気持ちがスッキリした。

(みそぎ)ってすごいですね!」

「当たり前じゃ。ほれ、着替えて来い。次は伊月(いつき)じゃ。」

「ありがとうございます!」

体を拭いて着替えると、いよいよ心が晴れてきた。
禊祓(みそぎはら)いをしてもらってスッキリさっぱりした伊月(いつき)さんと私は、オババ様の屋敷で夕凪(ゆうなぎ)ちゃんが淹れてくれたお茶をすする。

「さて、内藤(ないとう)のことはこれからまた取り調べでわかることも増えると思うが、次は()の国じゃな。」

オババ様が私の作ったきなこ餅を頬張りながら切り出す。

()の国情は思ったよりも悪く、民が飢えています。国内だけでは租税が取れず、近々伊の南部を攻めにやってくるでしょう。」

オババ様と伊月さんが何やら難しそうな話しをする中、私もきなこ餅を頬張った。
二人の会話を聞いていて分かったことは、伊月(いつき)さんは各地で色んな伝手(つて)を利用して、情報収集を行っているということだった。
()の北には伊月(いつき)さんの叔父様が、南には源次郎(げんじろう)さんの弟が住んでいて、定期的に(しのび)を送って情報を仕入れている。
()の東側の様子は()の国境あたりにいる伊月(いつき)さんの「手の者」が見張っていて、
()の西側の様子は()湯治場(とうじば)にいる商人たちからの情報が入ってくる。
そして、今回の旅で仲間にした兵五郎(ひょうごろう)さんたちは()の中ごろ、山脈の様子を伝える役目を担った。

―― 伊月(いつき)さん、すごいな。

「まずは()岩山城(いわやまじょう)を狙っているようです。」

「うむ。岩山城(いわやま)は良い岩石が取れ、名馬の産地でもあるからな。」

岩山(いわやま)城主(じょうしゅ)だけでは手が足りませんので、きっとこちらから誰かが加勢(かせい)しに行かされるはずです。」

「誰が行かされるのか。」

「多分、島田(しまだ)どの辺りが派遣され、私はその補助として行かされるでしょう。」

島田(しまだ)はついでに()の領地を攻めとるのか。」

「きっとそれを狙うでしょう。」

話しを聞いていると、伊月(いつき)さんは魔獣征伐や、ちょっとした小競り合いなどの領地が手に入らない戦いには一人で派遣されるのだけど、今回のように新たに領地を拡大できるかもしれない戦には誰かの補佐として付けられることが多いようだ。
さらに、伊月(いつき)さんが働いて新しく得た領地も、その大将への褒美として与えられることが多々あるらしい。

―― 伊月(いつき)さん、戦に行っちゃうのかもしれないのか。

「また今回も手柄を島田(しまだ)にやるつもりか。」

「そのつもりでしたが...そろそろ家臣の我慢も限界に来ております。」

「だろうな。」

二人はそれからしばらく黙っていた。
もしかしたら伊月(いつき)さんはこれを機に()国主(こくしゅ)反旗(はんき)(ひるがえ)すのかもしれない。

―― もし、そうなったら亜国(あこく)(いくさ)になっちゃうのかな?

那美(なみ)、心配するな。どんな(いくさ)が起きようとも、タカオ山は神の領域、不可侵地(ふかしんち)じゃ。」

「…はい。」

―― でも、伊月(いつき)さんが長期間、(いくさ)に行くのはやっぱり心配だ。

私は伊月(いつき)さんの顔を見れなかった。
ようやく(こころざし)に向けて伊月(いつき)さん達が動き出すかもしれない時に心配だなんて言いたくなかった。
私はここにいて、伊月(いつき)さんの無事を祈りながら、帰ってくるのを待つことしかできない。

那美(なみ)どの、心配するな。このようなことは日常茶飯事だ。」

伊月(いつき)さんは何事もない当たり前のことのように言って、きなこ餅を頬張った。
「お、美味いな。」 なんて、言っている。
私にはいつも能天気っていうのに。

――――

伊月(いつき)さんが帰って行き、いつものように夕凪(ゆうなぎ)ちゃんと一緒に夕ご飯の準備を始める。

「ねぇねぇ、那美(なみ)ちゃん。」

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんが、私の顔を(のぞ)き込んだ。

那美(なみ)ちゃんは知らないと思うけど、伊月(いつき)さんの軍は最強だよ。」

「え?」

「心配してるって顔にでかでかと書いてあるからさ。」

「我慢して言わなかったのに、顔に出てた?」

「え? 我慢してたの? 那美(なみ)ちゃん考えてることが顔から駄々洩れだよ。」

「うっ。」

()の領地は、今よりももっと小さかったんだ。でも、伊月(いつき)さんの軍が少しずつ領地を増やしていったようなもんだよ。北の尾谷城(おたにじょう)も、南の竹日津城(たけびつじょう)も、東の長岡城(ながおかじょう)も、みんな伊月(いつき)さんの軍が取ったんだ。ただ、戦果は全部ほかの将軍に持っていかれちゃったけどね。」

「そんなに沢山のお城を取ったんだ。」

伊月(いつき)さん、なんでいつまでも今の状態に甘んじてるんだろうね。私だったら自分が攻め落とした城は自分がもらうって主張するのに。」

「きっと伊月(いつき)さんは目の前の小さな成功を気にしてないから、そういうお城はいらないんだよ。もっと大きいものが欲しいから。」

伊月(いつき)さんはタマチ帝国全体を狙ってるから、小さなお城をくれてやってもいいんだ。
いずれば全部自分の物にするつもりだから。
だけどそうやって戦果を上げて、各地に武勇を知らしめてる。
少しずつ、でも確実に、人望を得てる。
そして、城を持てない代わりにビジネスで財を築いてる。
こっそりと、でも順調に。
何て慎重で、何て頭がいい人なんだろう。

「よくわかんないけど、とにかく、伊月(いつき)さんの軍は強いから大丈夫だよ。」

「そうだね。ありがとう、夕凪(ゆうなぎ)ちゃん。」

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんに言われて改めて気づいた。

―― 前から思ってはいたんだけど、すごい人を好きになっちゃったんだな、私。

そういう人の(そば)にいるには、小さいことでいちいち狼狽(うろた)えてたらダメだ。
伊月(いつき)さんを信じて、デンと構えてないと。
私は気持ちを新たにして、今日も沢山ご飯を食べた。
小雪(こゆき)ちゃんが、少しモジモジしたように差し出した紙の束をそっと受け取る。

「この短期間でこれだけ書いたの? すごい!」

それは漫画部が完成させた最初のエピソードだ。

「試作を色々作ったんですが、やっぱり、那美(なみ)先生が言ってた鬼武者(おにむしゃ)の話が一番人気だったんです。夕凪(ゆうなぎ)ちゃんのご指導もあり、鬼武者(おにむしゃ)の恋愛話にしてみました。」

―― ああ、夕凪(ゆうなぎ)ちゃんが指導したら絶対ラブストーリーになるよね。

「じゃあ、読んでみるね。」

「はい!」

漫画部の子たちが見守る中、私はできたてほやほやのマンガを読んだ。

鬼武者(おにむしゃ)が魔獣討伐に行った村で、ある女の子と出会う。
大きな魔獣を次々に倒し、すごく強い鬼武者(おにむしゃ)だけど、時々は怪我もする。
その日も、魔獣の鈎爪がかすり、小さな傷を作った。
魔獣の返り血をあびて、血まみれになって戦う鬼武者(おにむしゃ)を恐れずに、その女の子は彼に近づき、傷の手当をしようとする。
鬼武者(おにむしゃ)は初めての出来事に戸惑い、邪険(じゃけん)に扱ってしまうが、その女の子に恋心を抱いてしまう。
二人は少しずつだけど会話をするようになる。
ある日その女の子が魔獣に襲われそうになり、危機一髪ということろで鬼武者(おにむしゃ)が現れて女の子をかばう!
と、いうところでこの回は終わっている。

「えーーーー! 続きが気になる! この恋が実るのか、鬼武者(おにむしゃ)面具(めんぐ)を取って素顔を見せるのか色々と気になる!!!」

「どうでしょうか?」

「いいよ! すごくいい! 何より、絵が綺麗で物語の世界にどっぷり浸かれる!」

私の反応を見て、漫画部の子たちが一斉に歓声を上げた。

「売れると思うんだけど、一旦売り始めたら、続きを書き続けなくちゃだよ。できそう?」

漫画部の子たちは一人残らず、出来ます! と声を張り上げた。

「もう版元(はんもと)には話しがついてるんですよ。 あとは那美(なみ)様の了承を頂くだけです。」

と、お(せん)さんが言う。
手際が良すぎる。

「さっすが、お(せん)さん! じゃあ、さっそくこれを版元(はんもと)に持って行きましょう!」

「わーい!」

「あ、でも! ちょっと待って下さい。もう一人だけ、了承を得たい人がいます。」

「どなたですか?」

鬼武者(おにむしゃ)さん本人です。」

「え?」

私のこの発言には皆も驚いたらしく、鬼武者(おにむしゃ)を知ってるんですか?と騒然となった。

―――

私はさっそく、伊月(いつき)さんのお屋敷に行ってみた。
いつものように源次郎(げんじろう)さんが客間に通してくれる。

(あるじ)は今、平八郎(へいはちろう)に稽古をつけております。呼んで参ります。」

「あ、いいえ。邪魔したくないので、終わるまで待ってます!」

私は源次郎(げんじろう)さんを止めた。

「稽古の様子を御覧になりますか?」

「見たいです!」

源次郎(げんじろう)さんに促されて縁側に出ると、庭の奥で対峙している平八郎(へいはちろう)さんと伊月(いつき)さんを見つけた。
平八郎(へいはつろう)さんが先竹制の薙刀(なぎなた)を持ち、伊月(いつき)さんは竹刀(しない)を持っている。
平八郎(はいはちろう)さんが薙刀(なぎなた)伊月(いつき)さんに打ちかかるけど、その長い薙刀(なぎなた)が全然伊月(いつき)さんに届かない。
すぐに間合いを詰められ、伊月(いつき)さんが竹刀(しない)で胴を打つ。

「脇があまいぞ。重心を低くしろ。」

平八郎(へいはちろう)さんの体がよろつくも、ザっと地面を踏みしめて持ち直す。

「まだまだ!」

平八郎(へいはちろう)さんはまた負けじと向かっていくけど、何度やっても結果は同じだった。

―― 伊月(いつき)さんって、本当に強いんだな。

(あるじ)は雨の日も風の日も嵐の日も、訓練を欠かしません。体は熊のようにでかいですが、速さは兎のごとしです。」

源次郎(げんじろう)さんが自慢げに言う。
他の家臣同様、源次郎(げんじろう)さんも伊月(いつき)さんの強さに心酔しているようだった。

「あ!」

平八郎(へいはちろう)さんが思い切り、伊月(いつき)さんの竹刀(しない)を打ち付けると、伊月(いつき)さんが竹刀(しない)を落とした。

「あれはわざとでございますよ。油断をさせているのです。」

と、源次郎(げんじろう)さんが小声で解説してくれる。

(あるじ)、今日こそ一本取ります! やあああ!」

伊月(いつき)さんめがけて平八郎(へいはちろう)さんが切り込んでいく。

「わぁ!」

「え?」

一瞬何の出来事だったけど、伊月(いつき)さんは腰に指していた扇子をさっと取り出し、それで平八郎(へいはちろう)さんの後頭部を打ったらしい。
その瞬間あっけに取られた平八郎(へいはちろう)さんに隙が出来て、伊月(いつき)に足を取られた平八郎(へいはちろう)さんが盛大に地面に転がってしまう。

―― うっ…痛そう!

「今日はここまでだ。」

伊月(いつき)さんがそういうと、源次郎(げんじろう)さんも私も思わずパチパチと拍手した。

(あるじ)、さすがです。」

―― ふふふ。源次郎(げんじろう)さんって伊月(いつき)さんが大好きだよね。

那美(なみ)どの、来ておったのか。」

「あ、那美(なみ)様!」

私はペコリと頭を下げると、二人はこちらに歩み寄った。

那美(なみ)様にお恥ずかしい所をお見せしました。」

平八郎(へいはちろう)さんが頭をかきながら言う。

「怪我はありませんか?」

「大丈夫です。」

「盛大にやられておったな。」

源次郎(げんじろう)さんは笑っている。

那美(なみ)どの、ちょうど良かった。少し話がある。私の部屋へ。」

私は源次郎(げんじろう)さんと平八郎(へいはちろう)さんにお辞儀をして、伊月(いつき)さんの後に続いた。

―― 伊月(いつき)さんの部屋はいつ来てもシンプルで綺麗だな。

何気なく伊月(いつき)さんの部屋を見渡して、そこで、棚にあるものを見つけた。

―― あ!

それは、伊月(いつき)さんの部屋にはまるで似合わないコン吉人形だった。
全体的に渋い感じの部屋に異様な可愛さを漂わせてコン吉人形が目立っている。
何だかちぐはぐな感じが面白いけど、大切に持っていてくれている事がとても嬉しい。

「何をニヤニヤしている?」

「あ、つい、嬉しくて。」

「嬉しい?」

「はい。コン吉人形、ちゃんと持っててくれたんですね。私も部屋に飾ってるから、本当にお揃いだなって思って。」

「そんな事で嬉しいのか…。」

それならば、と、伊月(いつき)さんが、引き出しから小さな布に包まれている何かを取り出した。

「これも見てみるか?」

「何ですか?」

伊月(いつき)さんが包みを開けると同時に覗き込む。

「え? これって!」

私は目を丸くした。
それは私が子供の時に大好きだったチョコレートのプラスチック包装だった。

「幼いそなたが私にくれた物だ。」

「こんな物、そんな布に包んで大切に取っていたんですか?」

「こんな物とは何だ。このような材質の物は尽世(つくよ)のどこを探しても見つからんかった。」

―― 探したんだ。

「あの菓子が(うま)すぎて、家臣に頼んで色々と探してもらったのだ。だが誰にも見つけられんかった。今思えば無理もないな。異界の物だったとはな。」

「私も、今でもチョコレートを無性に食べたくなる時があります。カカオさえ手に入ればなぁ。」

「かかお?」

「はい。チョコレートはカカオとお砂糖で出来てるんです。あとは、牛乳も入れたりします。」

ふむ…と伊月(いつき)さんは何か考え込んでいるようだった。

「そういえば、何か話があるって言っていましたよね?」

「ああ。内藤(ないとう)の事だ。どのようにこの世界に来たかを詳細に聞いた。」

「話したんですか?」

「ああ。同じ異界から来たそなたがこちらで優遇されていること話した。今までは、自分が異界人だと言っても誰も信じなかったそうだ。だが、私が異界人の存在を信じ、優遇していることを伝えると、ペラペラと話しおった。」

伊月(いつき)さんによると、やはりオババ様の見立て通り、内藤(ないとう)は私の異世界への移動に巻き込まれて、あの桜の木のうろに落ちたらしい。
でも、内藤(ないとう)がたどり着いたのは今よりも3年も前で、場所も()の国の北の果てで、山賊がウロウロしているような物騒な所だった。

こちらに来た時の持ち物は人を殺すための包丁とポケットに突っ込んだアメコミ一冊、財布、バタフライナイフ、という私には到底理解できない持ち物だったそうだ。

山賊に自分は魔術を使えるとうそぶいて、詐欺まがいの事をしつつ、何とか生き伸びた。
ある日、山賊がさらって来た女が欲しくなって色々と理由をつけ、儀式をするために女をくれと言った。
山賊が儀式を見守るというので、アメコミで読んだ方法をそのまま実行してみた。
すると、女の体から赤い気が出て、近くの石に宿った。

それがカムナリキだったことを内藤(ないとう)は後で知ったそうだ。

「そんな!あんな物語のやり方で出来ちゃったんですか?」

「ああ。」

「でも、あのアメコミで読んだ方法って、結構、いや、かなり、残酷でした。あんな事を女の人にしたんですか?」

「ああ。」

「ひどいです…」

「あの者はオババ様の言った通り、人殺しを愉しむ気の狂った者だ。女をいたぶり、何人も殺している。」

私はあまりの理不尽さに怒りで震えた。
伊月(いつき)さんが私の背中をさすった。

「私はただ…那美(なみ)どのが無事で、本当に良かったと思う。」

伊月(いつき)さん…」

「とにかく、内藤(ないとう)の件は、すぐに、かたがつくだろう。」

伊月(いつき)さんは私が持ってきたマンガを見つける。

「ん…?それは?」

「あ、私、この事を聞きに来たんです。 伊月(いつき)さんの了承が欲しくて。」

私は事の次第を話して、伊月(いつき)さんに小雪(こゆき)ちゃんの絵を見せた。
怒られるかな、とも思ったけど、怒られはしなかった。
ただ、(あきれ)れられた。

「まったく女人(にょにん)が好きな事はわからぬ。これのどこが楽しいのやら。」

鬼武者(おにむしゃ)って、本物だけど架空の人物っていうか、そういう曖昧(あいまい)さ加減が物語にピッタリっていうか…」

「まったく…女人(にょにん)のことはわからぬ。」

伊月(いつき)さんは眉をひそめながら絵を見ている。

「だが、架空の人物というのは言い得て妙だな。」

「え?どういう事ですか?」

「できれば私の軍が共舘(ともだて)の軍だと市中の者に知られたくないのだ。だからいつも面具(めんぐ)をつけていたら、いつの間にか鬼武者(おにむしゃ)という架空の人物ができていたのかもしれぬ。」

「知られたくないってどうして? 伊月(いつき)さんほど戦果を上げていれば普通はもっと名前を広めたいって思いますよね。」

共舘(ともだて)亜国(あこく)の将だ。」

―― そういうことか。

それはきっと伊月(いつき)さんの本当のアイデンティティーと一致しないのだろう。
本当の伊月(いつき)さん、伊国(いこく)の王子、豊藤伊月(とよふじいつき)と、亜国(あこく)の将、共舘伊月(ともだていつき)は全然違う人物なんだ。
だからと言って、自分の本当の名前を言えない。

―― だから旗指物(はたさしもの)も真っ黒なんだな。

亜国(あこく)の将に戦果を取られるのが嫌なんですか?」

「ああ。(しゃく)(さわ)るな。これから名を上げるのは伊国(いこく)豊藤(とよふじ)だ。だからそれまでは鬼武者(おにむしゃ)ってことでいい。」

伊月(いつき)さんはニッと悪だくみをする少年のような笑みを見せた。

「とにかく、漫画のことは好きにしろ。 どうせ作り話と言うのは誰が見ても明らかだからな。」

「やったぁ。ありがとうございます。小雪(こゆき)ちゃんたちもきっと喜びます。」

「ところで、那美(なみ)どの、旅が終わったら出かけるという約束を覚えているか?」

「はい。もちろんです。

「私は…」

伊月(いつき)さんは、私の肩を抱いて、そっと自分の方に引き寄せた。
体が密着して鼓動が高鳴りだす。

「そたなを…」

伊月(いつき)さんの大きな手が私の頬を包んで、上向かせる。

―― キス、される?

甘い期待に目を瞑ったその時、

(あるじ)! 失礼します!」

源次郎(げんじろう)さんの大きな声が聞こえて、障子が開く。
私も伊月(いつき)さんも同時にバッと体を離した。

「城門の東に魔獣が出たようで討伐に出向くように城の使者が伝令を寄越しました。」

「わかった。すぐに準備しろ。」

「は。」

すぐに伊月(いつき)さんは甲冑(かっちゅう)を取り出し、着替え始めたので、私もそれを手伝う。

(ほり)を呼べ。いつもの編成で行く。 平八郎(へいはちろう)は留守を頼む。」

「承知!」

伊月(いつき)さんと源次郎(げんじろう)さんはあっという間に闘争準備を整えた。
正次(まさつぐ)さんをはじめ、武装した家臣たちも庭先に集まった。

那美(なみ)どの、明日までには戻ってくる。」

「気を付けて行って下さい。待ってます。」

伊月(いつき)さんは鬼の面具(めんぐ)を付けた。
完全武装した鬼武者(おにむしゃ)姿の伊月(いつき)さんは、正直、酒呑童子(しゅてんどうじ)よりも怖い。

「皆の者、行くぞ!」

「おー!」

私は伊月(いつき)さんの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
私はお(せん)さんと一緒に版元(はんもと)を訪ね、小雪(こゆこ)ちゃんの漫画を持ち込んだ。
版元(はんもと)の人も、試作の時からこの漫画をいたく気に入っていたようだった。

「斬新です!」

版元(はんもと)の店主は鼻息を荒くして言った。
物語を伝える方法自体も斬新だけど、物語も斬新だと言った。
町の人から恐れられる鬼武者(おにむしゃ)に、こんな優しい一面があるとなると、色々と空想が膨らみます、と言い。

「よし、まずは100部すりましょう。できるだけ武家や金持ちのお嬢さんたちに営業して、売れ残りは貸本屋においてもらいます。」

と、いうことになった。
尽世(つくよ)で木版技術が発達したのはまここ最近で、まだまだ庶民にとって本は高価な物で簡単に買えない。
その代わり、最近貸本業が賑わってきて、数も増えている。
と言っても、貸本を利用するのはほとんどが読み書きができる男性だ。

小雪(こゆき)ちゃんの漫画は女性読者をターゲットにしているので、貸本屋で借りてくれる人がいるかはわからない。

「なぁに、大丈夫ですよ。最近は那美(なみ)先生の手習い所(てなら じょ)に通う女子供(おんなこども)が増えて、本を借りる女人(にょにん)も増えてきたと言っておりました。まぁ、少しずつ始めて、様子をみましょう。」

私はライターを売って儲かったお金から、木版を作る職人さんへの代金と、版元(はんもと)への代金と、諸々の諸費用を払った。
出版が決まったことを伝えると、漫画部の皆は歓喜して、さっそく鬼武者(おにむしゃ)の話の続きを書き始めた。

―― 初期費用がかかるな。もっとライターを売らなきゃ。それから次の製品の開発もしよう。

―――

いつものように、皆が帰って誰もいなくなった手習い所(てなら じょ)を片付けて、机に腰かけた。
机の上に紙を広げ、その紙に『作りたい物リスト』と書いた。
自分の雷のカムナリキを使って色んなものを開発したいけど、
旅行に行ったりバタバタしてたから一旦落ち着いて、考えを整理したかった。
以前ライターと同時進行で開発していた護身用のスタンガンは実験が難しいのと、悪用される可能性もあるので、とりあえず放置していた。

けれど、昨日、伊月(いつき)さんから聞いた内藤(ないとう)のことを思い出す。
女をいたぶって殺してしまうのが好きなんて、許せない。
そういうやつから身を守る何かが、女性には必要だ。
スタンガンの開発も再開して進めることにする。

でも、もっと日頃の生活が便利になるような物も作りたい。
私の雷のカムナリキは電気の力なのだから、電化製品ができるはず。

「照明器具、クーラー、パソコン、携帯、電気自動車」

自分が欲しいものを書き連ねてみるけど、この中で簡単に作れそうなのは照明器具くらいだ。
他の物は電気以外にも色んな物質が必要だ。
クーラーにはコンデンサがいるし、パソコンや携帯にはCPUとか液晶とか必要で、私には無理だ。
次は照明器具を作ることにした。

―― でも、電気自動車は我ながらナイスアイディアかもしれない。

道を整備しないと使えないけど、将来を見越して作り始めてもいいかな。

「電気とはなんだ?」

「電気って言うのはですね、雷のあの、バチバチってなる気に似た・・・って、誰?」

慌てて振り向くと、凄い至近距離で、ニヤニヤしている八咫烏(やたがらす)さんがいた。

「びっくりしたじゃないですか!気配消さないで下さいよ。」

八咫烏(やたがらす)さんは驚いて心臓が止まりそうになった私をガハハと笑っている。

「すっごく、お久しぶりですね。(みやこ)以来ですね。元気でした?」

那美(なみ)に会えなかったので元気ではなかった。」

「お元気そうでなりよりです。」

「元気じゃねーって言っただろ!」

久しぶりに八咫烏(やたがらす)さんの突っ込みが聞けて嬉しくて笑ってしまう。

(みやこ)での旅では何か、オババ様に言われた仕事をしていたんですか?」

「そうだ。最近頻繁に魔獣が人間の居住地域に出るから、そのことで調べものをしていてな。山や森に住まう獣のたちの面倒を見るのも俺の管轄だからな。」

「そうなんですね。意外にも重役担ってるんですね。」

「当たり前だろう。毎日ちゃらちゃらして生きてると思ってたのか?」

「はい。」

「おい、即答するな。」

「お茶飲みますか?」

「そんな悠長なこと言ってていいのか?」

「え? どうして?」

「お前、伊月(いつき)のこと聞いてないか?あいつ今ごろ・・・。」

―――

私はタカオ山を走って降りた。
八咫烏(やたがらす)さんに教えてもらった道を駆けて、亜国(あこく)の東門の前に着いた。
暮鐘(ぼしょう)が鳴ってしまったので、門番が門を閉めようとする。

亜城(あじょう)の東に魔獣が出て、伊月(いつき)さんの隊が魔獣討伐に出発したのを見送ったのは昨日の昼過ぎだ。
今までも、ちょっとした魔獣討伐に、伊月(いつき)さんはよく呼び出されていて、その都度対応していた。
だから、私もそんなに気にしてなかったのだけど。

―― ひどい怪我だったら、どうしよう。

「あ、源次郎(げんじろう)さん!」

もうすぐで門が閉まる、という所で、源次郎(げんじろう)さんが馬を走らせてやってきた。

共舘軍(ともだてぐん)凱旋(がいせん)いたします。しばらくお待ち下さい。」

と、門番に言うと、門番たちはまた門を大きく開く。

「え? 那美(なみ)様?」

源次郎(げんじろう)さんが私に気づく。

「あのっ、八咫烏(やたがらす)さんから、伊月(いつき)さんが怪我したって聞いて。」

源次郎(げんじろう)さんは大した怪我ではありません、大丈夫ですよと言って、また来た方に馬を走らせて行った。
しばらく待っていると、人々が、誰かが魔獣討伐から凱旋(がいせん)するそうだ、とささやきあった。

―― あ、伊月(いつき)さん達の軍だ!

50人くらいの集団の中に、鎧を着た伊月(いつき)さんが黒毛に乗ってこちらに向かって来るのが見えた。
(うわさ)通り、鬼の面具(めんぐ)夜叉(やしゃ)(かぶと)を付けたまま、返り血も拭かず、真っ黒の旗指物(はたさしもの)をして市中に向かってくる。

―― ここからじゃ、見どこを怪我しているのか分からない。

遠目に伊月(いつき)さんの集団を見た町の人たちが「鬼武者だ」と言い合い、野次馬が集まって来た。
怖い物見たさ、興味半分でやって来たというのが分かる。

「おぉ、見ろ、あの、でかい魔獣を倒して来たのか!」

町の人たちが指さす方向には、足軽の人たちが魔獣の死体を車に積んで運んでいる姿がある。
とても大きな、頭が三つある狼のような魔獣だ。
それが何頭か台車に積みあがっている。

「な、那美(なみ)どの?」

伊月(いつき)さんは門を抜けるとすぐに私に気づき声をかけたので、私は思わず歩み寄った。

「大丈夫ですか?」

馬に乗ったまま歩みを止められない伊月(いつき)さんに合わせて私も早歩きする。
他にも出迎えに来ている家族の人達がそれぞれの兵士に歩み寄った。

「どうしてここへ? こんな時間に女人が一人でウロウロするものじゃないぞ。」

「でも心配で…。八咫烏(やたがらす)さんから怪我をしたって聞きました。」

伊月(いつき)さんは、はぁと溜息をはき、あの阿呆めがと言った。

「心配せずとも良い。」

その時、ザーっと雨が降り始めた。

那美(なみ)どの、濡れてしまうぞ。」

「そんなの構いません。それより怪我は…。」

「私の屋敷で待っていてくれるか?」

伊月(いつき)さんはそう言うと、私の頭をポンポンと撫でた。

「...はい。」

これ以上伊月(いつき)さんの隊の邪魔はできない。
これから伊月(いつき)さんはお城へ帰還の報告に行くはずだ。

―― とりあえず普通に乗馬できてるってことはそこまで酷い怪我じゃなさそう。

雨はすぐに土砂降りになり、野次馬たちは急いで家の中に入って行く。
私は心配な気持ちを殺して、伊月(いつき)さんの屋敷の方へ向かった。
どこからともなくサッと音がして、隣に清十郎(せいじゅうろう)さんが立った。

(あるじ)の屋敷までご一緒します。」

「ありがとうございます。私...逆に迷惑かけちゃったみたいですね。」

「そんなことはありません。(あるじ)は出迎えられて嬉しそうでしたよ。」

「そんな風には見えませんでした。」

怪我のことが心配で思わず飛び出してきてしまったけど、思えば私が来たって伊月(いつき)さんの怪我を癒せるわけじゃない。
逆にお仕事の邪魔をしちゃったみたい。
こういう時、どうしていいか分からずに、無鉄砲に行動してしまった自分が痛い。
どうするのが正解だったんだろう。
伊月(いつき)さんを見て安堵したのもあって、少し涙が出てしまった。
土砂降りだったのは幸いだった。


清十郎(せいじゅうろう)さんに付き添われて伊月(いつき)さんの屋敷に行くと、留守番をしていた平八郎(へいはちろう)さんが出迎えてくれた。

「な、那美(なみ)様、ずぶ濡れでどうしましたか!」

平八郎(へいはちろう)那美(なみ)様を頼む。(あるじ)ももうすぐ帰られる。 那美(なみ)様、私はこれで。」

清十郎(せいじゅうろう)さんがそう言ってまた雨の中に消えていった。

那美(なみ)様、中にお入り下さい。風邪をひきますよ。」

平八郎(へいはちろう)さんは、私に湯殿(ゆどの)を使うように言って手拭いを渡してくれた。
そして、伊月(いつき)さんのものらしい浴衣を手渡される。

「これしかありませんが、濡れた着物よりかはましかと思います。お風呂の後、どうぞお着替えください。」

「ありがとうございます。」

私はびしょ濡れになった自分の着物を脱いでお風呂で体をあたためた。
平八郎(へいはちろう)さんが手渡してくれた男物の浴衣(ゆかた)を手に取ると、伊月(いつき)さんのヒノキのお(こう)(かおり)がする。
大好きな匂いだ。

―― でも、で、でかい!

私は渡された浴衣に着替えようとするも、横にも縦にも大きすぎる伊月(いつき)さんの浴衣にモタモタしていた。
長さはものすごく長くおはしよりを作れば何とかなるとして、身幅が大きすぎて、二周くらい回せる。

―― そして、(そで)から手が出ない!

一人であたふたしてると、湯殿(ゆどの)の外が少し騒がしくなった。
伊月(いつき)さんたちが帰ってきたみたいだった。
すぐに伊月(いつき)さんの声がした。

那美(なみ)どの、ここにいるのか?」

私は湯殿(ゆどの)の扉を開けた。

「あの、浴衣が大きくて…。」

伊月(いつき)さんは、大きな浴衣をどうにか着ている私を見て一瞬かたまった。

「ぷっ」

伊月(いつき)さんがたまらず笑いだす。

「あははは!何だそれは。浴衣の中に埋もれておるぞ!」

「わ、笑わないで下さい!それよりも、怪我は、きゃ!」

浴衣の(すそ)を踏んでしまって、転びそうになったのを伊月(いつき)さんがキャッチしてくれる。

「怪我は打ち身だけだ。八咫烏(やたがらす)が大げさなだけだ。心配するな。」

「打ち身? 見せて下さい。どこですか?」

ここだ、と言って伊月(いつき)さんは自分の左肩の後ろを指さす。

「受け身を取った時に打っただけだ。案ずるな。それよりもちゃんと温まったのか?」

伊月(いつき)さんは自分の怪我のことなど気にもせず、私の事を心配してる。

―― 戦いから帰って来たばかりなのに、心配もさせてくれないの?

私は少し不貞腐(ふてくさ)れる。

伊月(いつき)さんだってずぶ濡れじゃないですか。早く着替えて暖かくしてください。そして、怪我を見せて下さい。本当に心配したんです。私の事なんてどうでもいいじゃないですか。」

「じゃあ、脱がせてくれ。」

「へ?」

「怪我をみるのだろう?痛くて脱衣もままならん。風呂にも入りたいし。」

―― やっぱり痛いんだ!

「わ、分かりました。」

私は伊月(いつき)さんのつけている甲冑(かっちゅう)を全て取った。
具足(ぐそく)の下の着物まで雨でぐっしょり濡れている。

「着物も脱がせてくれぬか?いやー痛くてかなわん。」

「そ、そんなに痛いんですか?」

私は伊月(いつき)さんの着物の帯の結び目をほどいた。
帯を取ると、伊月(いつき)さんの着物がはだける。

「あ、あの、座ってくれませんか? 届かなくて。」

伊月(いつき)さんは大人しく私の前に背を向けて座った。
そっと襟元(えりもと)に手をかけ、着物を脱がすと、左肩の後ろに青あざができてた。

「うっ、痛そう。結構内出血していますよ。」

言いながら伊月さんの着物を全部取った。

―― どうしよう… 体が美しすぎる…。

「あの、お風呂に浸かりますか?」

こんな時に胸がドキドキしてしまっている自分が恥ずかしい。

「そうだな。ちょっと 湯に浸かってくる。待っていてくれるか?」

「はい。じゃあ、手拭いと、新しい着物を取ってきます。」

「助かる。」

私は平八郎(へいはちろう)さんに手拭いと、伊月(いつき)さんの着替えの着物をもらいに行ったのだけど、

「浴衣が歩いているのかと思いました」と、爆笑される。

「し、仕方ないじゃないですか...」

「我が家にも女性用の着物を買いそろえなければいけませんね。」

「いや、そこもまでしなくても…。今日は、たまたまこういう事になっただけなので。」

「あの、これも、良かったら、(あるじ)に渡してもらえませんか? 打ち身用の薬です。」

「分かりました。」

私は伊月(いつき)さんの着替えと、薬箱を受け取って、湯殿(ゆどの)に戻った。

伊月(いつき)さん、手拭い、ここに置いておきますね。」

伊月(いつき)さんは私の声を聞いてお湯から上がってきた。

「いやぁ、怪我が痛くて、体を拭くのも難儀だ。」

「え? だ、だ、大丈夫ですか?」

私は思わず伊月(いつき)さんの方を見ないように背を向けた。

「那美どのが体を拭いてくれればこの上ない幸せなのだが。」

そう言いながら、私の後ろで何か、ゴソゴソしている。

「う、は、はい...。体を拭きます。」

「こっちを向け。」

伊月(いつき)さんは私の肩を掴んで振り向かせた。
伊月(いつき)さんは(ふんどし)姿で、堂々としている。

―― あ、(ふんどし)つけてたのか。少しほっとした。

「あの、伊月(いつき)さん、座ってくれないと、届きません。」

「おう。」

伊月(いつき)さんはまた私の前に背中を向けて座ったので、体を拭き始める。

―― 打ち身、痛そうだなぁ。

「前も拭いてくれるか?」

「う...は、はい。」

私は伊月(いつき)さんの前に回り込んだ。
どうしよう、ドキドキしすぎて、見れない!

「なぜ目を瞑ったまま拭いている?」

「そ、それは…秘密です!」

緊張で伊月(いつき)さんの体を拭く手が震えているのが自分でもわかった。

「あの、打ち身の手当...湿布しましょうか?薬を持ってきました。」

「ああ。頼む。」

私は伊月(いつき)さんに言われるままに、薄い布に薬をへらで伸ばして、それを肩に貼り付けた。
それを固定するのに、包帯を巻く。

「着物、着せますよ。」

「ああ。」

伊月(いつき)さんの肩にそっと着物をかぶせる。

「帯、できますか?」

「いやぁ、痛くて手がまわらぬなぁ。」

「じゃ、じゃあ、立って下さい。私がしますから。」

伊月(いつき)さんに立ってもらい、真正面に立って、襟元(えりもと)を合わせる。
でも、伊月(いつき)さんの体をまだ直視できない。

那美(なみ)どの、顔が赤いぞ。大丈夫か?」

「だ、大丈夫です!」

伊月(いつき)さんの胴まわりに手をかけて帯をまいていくと、ハグしているみたいな恰好になる。

―― 伊月(いつき)さんが怪我で大変な時に、一人でこんなドキドキしてるなんて、ダメだ。

私は自分に(かつ)を入れて、帯を絞めた。

「で、できました。」

「ありがとう。」

伊月(いつき)さんはそういうと、私をひょいっと横抱きにした。

「な、何するんですか?」

「次は那美(なみ)どのを介抱(かいほう)せねばな。その赤くなった頬をどうにかせねば。」

伊月(いつき)さんは湯殿(ゆどの)を出て私を運んでいく。

「怪我が悪くなります!痛いんでしょ?おろして下さい。」

「ちっとも痛くない。」

「む、無理しないで下さい。さっきは痛がっていたじゃないですか。」

「嘘も方便というやつだ。」

「う、うそ?」

那美(なみ)どのに世話を焼かれるのは好きだからな。」

「な、何言って!」

那美(なみ)どのの反応が可愛くてつい、な。」

「ひ、ひどいです! 心配したのに!」

伊月(いつき)さんは、すまんすまんと言ったけど、ちっともすまなさそうじゃない。
そして、そのまま私を自室に連れて行くと、そっと床におろして、私の浴衣の帯を取った。

「な、何するんですか?」

「体に合っておらん。」

「だ、だからって。」

「そなたの着物がもうすぐ届く。」

「え?」

「今日はここに泊まっていけ。この雨ではそなたを送っていくのが大変だ。清十郎(せいじゅうろう)がオババ様にここに泊まると伝えて、そなたの着替えを持ってくる。もうすぐ帰ってくるだろう。」

そういうと、伊月(いつき)さんは私の唇をチュっと奪って、私を自分の膝の上に乗せた。
伊月(いつき)さんの大きな浴衣にくるまれて、そのまま伊月(いつき)さんに抱きしめられた。

那美(なみ)どのといると落ち着くな。」

伊月(いつき)さん…。無事に帰って来てくれてよかったで… ん…。」

言い終わる前に伊月(いつき)さんがキスをした。
すぐに伊月(いつき)さんの舌が私の唇を割って入って来た。
強引に入ってきたのに、すごく優しいキスだった。
ゆっくりと、舌を絡めて、ゆっくりと口の中を蹂躙してくる。

「はぁ、んん...」

息が上がって、肩が上下しはじめた時、伊月(いつき)さんがゆっくりと唇を離した。

「そなたの着物が届いたようだ。」

「…え?」

伊月(いつき)さんが自室の障子を開けると、廊下に風呂敷包みが置いてあった。
清十郎(せいじゅうろう)さんの仕事の速さはすごい。

―――

その日は、伊月(いつき)さんのお家で夕ご飯を作って、平八郎(へいはちろう)さん、源次郎(げんじろう)さんと清十郎(せいじゅうろう)さんも含め、皆で食卓を囲んだ。

雨は夜中までふり続けたけど、朝にはすっかり晴れていた。
夏は完全にどこかに行ってしまったみたいで、風が涼しい。

その日は、伊月(いつき)さんは、朝からお城に行かなきゃいけなかったので、伊月(いつき)さんをお見送りしてからタカオ山に帰ることにした。
玄関先に立って、刀を二本指した凛々しい姿の伊月(いつき)さんをお見送りする。

―― ここで、あれ、やりたい!

私は、ある衝動にかられて、周りを見回した。
誰もいないことを確認すると、伊月(いつき)さんに近寄った。

「あの、伊月(いつき)さん!」

そして、勇気を出して自分からキスしようとした。
憧れの、行ってらっしゃいのキスをしようとしたのだ。
だけど、頑張って背伸びしたけど、背の高い伊月(いつき)さんに届かなかった。

―― う…。恥ずかしすぎる。

憧れの、行ってらっしゃいのキスは不発に終わって恥ずかしさにうつむく。

一瞬、間をおいて、私が何をしようとしていたのか理解したのか、伊月(いつき)さんはふっと笑って、身を屈めた。

「もう一度、頼む。」

「は、はい。 あの、伊月(いつき)さん…」

私はもう一度背伸びした。

「行ってらっしゃい。」

そして、伊月(いつき)さんに、チュっと口づけた。

「行ってくる。」

そう短く言って、お城に行く伊月(いつき)さんの大きな後ろ姿を見送った。


「今日の殿(との)は、いつになく苛立っておられるな。」

(ほり)は魔獣に切り込んでいく伊月(いつき)を見た。
普段あんな戦い方をされないのに、何か、苛立ちを発散させているかのような太刀筋だ。
伊月(いつき)の鬼のような戦いぶりのおかげで、魔獣の討伐は早々に終わった。

「なぜ殿(との)は、あんなにむきになっておられたのだ?」

(ほり)源次郎(げんじろう)に聞くと、那美(なみ)様のことでしょうと言う。

(あるじ)はここの所、内藤(ないとう)の事と、()の国情の調査で忙しくされておりました。那美(なみ)様も何か忙しそうにしておられ、旅から戻って以来お二人の時間がないのでございますよ。」

「そういうことか。」

「今日、久しぶりに那美(なみ)様がお見えになられて、ようやくお部屋でお二人になられたのに、そこにこの魔獣の知らせが…。」

「ああ、だからあんなにも魔獣に怒りをぶつけておいでだったのか。納得だ。」

(ほり)!」

伊月(いつき)(ほり)を呼んだ。

「はい、殿(との)。」

「今夜はここで野宿する。魔獣は倒したが、ついでに八咫烏(やたがらす)の調査にも協力する。」

「は。」

八咫烏(やたがらす)はここ最近、人の居住区によく出てくる魔獣の様子を調べているらしかった。
天幕を張り、外で皆で飯を食べていると、八咫烏(やたがらす)が飛んできた。

「この1里先に別の魔獣の巣窟を見つけた。ついでにそいつらもどうにか出来るか。」

「ああ。明日の朝一番に見に行こう。」

伊月(いつき)は短く言うとサッサと天幕に入り、寝た。

「あいつはどうしたのか?」

八咫烏(やたがらす)(ほり)に聞く。

「深刻な那美(なみ)様不足に(おちい)っておられる。旅から戻って来てからお二人の時間がないのだそうだ。」

「はっ。そんなことか。」

「しかし、おかしなものだ。殿(との)は以前ずっとあんな感じだった。那美(なみ)様と出会われる前はずっとあのように眉根をひそめておられて、私たちも特別にそれを気にしなかったものだ。」

「確かにな。那美(なみ)が変えたのだな。あの堅物不器用(かたぶつぶきよう)男を。」

八咫烏(やたがらす)はため息をつきながら、明日は少し伊月(いつき)に加勢してやるか、と思った。

――――

次の日。

源次郎(げんじろう)亜城(あじょう)の門番に魔獣討伐隊の帰還を伝えている時に、那美(なみ)がそこにいるのが見えた。
八咫烏(やたがらす)から、伊月(いつき)が怪我をしたと聞いたと、血相を変えている。

―― 八咫烏(やたがらす)もなかなかやるな。

源次郎(げんじろう)はそう思いつつも、心から心配している那美(なみ)のことを少し気の毒に思った。
源次郎(げんじろう)は隊に戻り、(ほり)に言った。

那美(なみ)様がお出迎えだ。」

「おぉ。それは良いな。」

伊月(いつき)は門を入るとすぐに那美(なみ)を見つけた。
心配そうに伊月(いつき)に駆け寄っていく那美(なみ)はいかにも健気だった。

「鬼の面具(めんぐ)を付けていても、デレデレ顔なのがわかるようだ。」

(ほり)源次郎(げんじろう)に言うと、源次郎(げんじろう)はうんうん、と(うなず)いた。
雨が降ってくると、伊月(いつき)はすぐに清十郎(せいじゅうろう)那美(なみ)を屋敷まで送って行くように言った。

源次郎(げんじろう)どの、私は那美(なみ)様を屋敷にお届けする。そのままオババ様に今夜那美(なみ)様が屋敷にお泊りになることを伝えに行く。」

そういって、清十郎(せいじゅうろう)がさっと消えた。

「聞きましたか?」

源次郎(げんじろう)が目を輝かせて(ほり)を見る。

「聞いた! しばらくは殿(との)の機嫌も直るだろうな!」

城での帰還報告を手短に終えて、家に帰ると、すっかり機嫌を直した伊月(いつき)は嬉しそうに、そしてまっさきに那美(なみ)のもとへと行った。
那美(なみ)が夕飯を作ってくれ、皆でそれを食べている間も伊月(いつき)はデレデレだった。
夕飯の後は、伊月(いつき)と二人で仲睦まじく、ずっと話しをしているらしい。
談笑する声が伊月(いつき)の部屋から聞こえてくる。

「あの(あるじ)のデレデレ顔はどうかと思いますが、那美(なみ)様がいらっしゃると飯も美味いし、主の機嫌はいいし、屋敷の中が華やぎますね。」

源次郎(げんじろう)清十郎(せいじゅうろう)に言うと、清十郎(せいじゅうろう)は笑った。

「それにしても、健全なご関係のようだな。」

「そうなのですよ。今日も那美(なみ)様の布団は客間に敷けと仰いました。どれだけ奥手なのですか。」

「大切になさりたいのだろう。」

「しかしあの、デレデレした締まりのない顔は…」

「良いではないか。しかし、それに比べ平八郎は複雑そうな顔だったな。」

「ああ、あれは旅から帰ってきてから余計にこじらせております。きっと旅の間、那美(なみ)様のことをますます慕うようになったのではないかと... 本人は自分の気持ちにもまだ気づいておらんでしょうが。」

「そうか。若いな。」

「ですね。」

「ところで、あの、(あるじ)の部屋にある面妖(めんよう)な狐の人形だが…。」

「あぁ、旅の土産物らしいですが。あれがどうかしましたか?」

夕凪(ゆうなぎ)どのに頼んで那美(なみ)様の着替えを取りに行ってもらったのだが、その時に那美(なみ)様の部屋がちらっと見えた。」

「それで?」

那美(なみ)様の部屋にも同じ人形があった。」

「え? 何でしょうかね? 何かのまじないか何かですかね。」

奇妙なことをなさる、と二人は言い合って、酒を飲んだ。
随分と涼しくなった。
山のイチョウがうっすら黄色に色づき始め、朝晩の空気が冷たい。

―― 尽世(つくよ)での生活にも結構慣れてきたな。

現代日本で生きてきた時は一人暮らしで、家族もいなくて、仕事と家との往復しかしていなかった。
ずっと孤独で、どこかモヤモヤしながら生きてきた。
でも、今は、仲間もいるし、やりがいのある仕事もあるし、恋人もできた。
尽世(つくよ)での充実ぶりがびっくりだ。

少し自分の意志と違うのは、(みかど)の参与という役職を与えられて、色々と朝廷と文章をやりとりしていること。
(みかど)の質問に答えたり、タカオ山周辺の情報を提供したり、現代日本の政治システムのことを教えたり。
紙に手書きするのは結構時間がかかる。

―― 少しだけテクノロジーが恋しい。

とはいえ、尽世(つくよ)でもテクノロジーの発達はある。
少し前に()の国で開発された木版技術のおかげで、短時間にたくさんの印刷物が作れるようになった。
その技術もますます進んでいるらしく、最近では、新聞のような瓦版(かわらばん)も町中で安く買えるようになった。

このブームにのっかって、小雪(こゆき)ちゃんを部長にする手習い所(てなら じょ)の漫画部は鬼武者(おにむしゃ)を題材に漫画を出版して、ヒットを飛ばした。
漫画を読みたいがために字を習いに来る生徒も増えて、手習い所(てなら じょ)も忙しくなった。

小雪(こゆき)ちゃんたちの成功は女でも自立して働けるという、いいお手本になり始めている。
沢山お金を稼げるようになった小雪(こゆき)ちゃんと漫画部は、その一部を手習い所(てなら じょ)に寄付してくれた。

「こんなに寄付してくれるの?」

私は渡された金子(きんす)を見てびっくりする。

「はい。それもこれも那美(なみ)先生のお陰です。紙や墨を買うのに使って下さい。」

小雪(こゆき)ちゃんも漫画部の皆も生き生きして、まさしく青春って感じで眩しい。

「紙や墨を買うにしては多すぎるよ。じゃあ、このお金、手習い所(てなら じょ)に来たいけど、月謝を払えない子たちの奨学金にしてはどうかな。」

「奨学金?」

うん、と(うなず)いて、私は奨学金のことを説明する。

「お金が全然なくても、孤児でも、ここで学べるってことですか?」

「そう。だって、誰がどんな才能を持ってるか分からないじゃない? 孤児でも、いつか、小雪(こゆき)ちゃんみたいに才能を発揮して自立する子が出てくるかも。 そういう子たちに機会を与えるためにお金を使うのはどうかな?」

「それ、やりたいです!」

私たちは話し合って、学生支援機構を立ち上げた。
小雪(こゆき)ちゃんが信頼している手習い所(てなら じょ)で算術が一番得意な(さと)ちゃんという子にその運営を任せることになった。

「私、小さい時からずっと絵を描いていたのだけど、皆に馬鹿なことやめて嫁入り修行しろってずっと言われていたんです。」

小雪(こゆき)ちゃんは、今、15歳で、この辺りでは、このくらいの年にお嫁に出されるのが普通だ。
小雪(こゆき)ちゃんにも20歳も年上の男性から縁談の話しが来ていた。
小雪(こゆき)ちゃんのうちはお父さんが戦で亡くなって、お母さんが女手一つで小雪(こゆき)ちゃんをはじめ、6人の子供を育てていた。
だから、小雪(こゆき)ちゃんが、ずっと年上の財力のある人に嫁げば、家族の暮らしは多少良くなると思っていた。

「でも、どうしても嫌だったんです。あんなオヤジの元に嫁ぐのは。いかにもエロそうだし。ちょっとくさいし。キモイし。」

歯に衣着せぬ勢いで小雪(こゆき)ちゃんが縁談相手をディスる。
しかも私が教えてしまったエロとかキモイという言葉を使いながら。

―― しかし、エロくて、くさいのか。そんな人のお嫁に行かされそうになるなんて気の毒すぎる。

「私、もっと、中性的な人が好みなんです。スラっと背が高くて、色白で、見目麗しい、そう、光源氏のような…」

―― あ、小雪(こゆき)ちゃんが乙女モードに入った。小雪(こゆき)ちゃんはアイドル顔が好きそうだな。

でも、結果的に結婚しなくても、漫画を頑張った方がずっと暮らし向きは良くなり、お母さんも納得してくれて、縁談もすっぱり断った。

「私の絵を笑ったり、しかったりしないで、色々と指導して下さったことに本当に感謝しています。」

「指導だなんて。小雪(こゆき)ちゃんの才能だよ。」

「そんなことないです。那美(なみ)先生が認めてくれなかったら、私、自分でこんな風に自分の好きなことでお金が稼げるって知りませんでした。」

「そういう風に言ってもらえたら、私もすごく嬉しい。」

「あと、那美(なみ)先生にお願いがあるんですが。 あの、『すたんがん』っていう物のことです。」

小雪(こゆき)ちゃんは私に早くスタンガンの開発をしてほしいと言った。
このところ、私は照明器具の方に力を入れていたから、スタンガンの開発の進行具合はとてもゆっくりだった。

「どうしてスタンガンが欲しいの?」

話しを聞いていると、どうやら小雪(こゆき)ちゃんが縁談を断った相手がストーカーになりつつあるみたいだ。

「この前も帰り道をつけられて、怖かったんです。一人では出歩かないようにしているんですけど。」

やっぱり、女性を守る物が必要だな。
そんな事なら、私も急がなくちゃ。

私は小雪(こゆき)ちゃんの要請を受けて、スタンガンの開発を進めた。

―――

商品化できない問題点が二つあって、一つはスタンガンが悪用される可能性があることだ。
女性を守りたくて作ったのに、男性の手に渡り、女性を誘拐するのに使われたりしたら本末転倒だ。
これについてはオババ様に色々アドバイスをもらった。

「使用者が本当に危機を感じた時にしか発動しない仕組みにするといい。そうすれば、人を害そうとする者に悪用されることはない。」

「なるほど。本当に護身のためにしか発動しないのですね。」

オババ様はそうするための術を教えてくれたが、なかなか上手く行かなかった。

「その術式を毎日練習しろ。オヌシなら習得が早いぞ。」

もう一つの問題点は、威力がどのくらいか分からないことだ。
人体実験できないから、殺してしまうほどの威力があるかもしれない。
殺してしまわない程度だったとしても、どんな反応があるのか、後遺症が残るのか、未知の部分が多い。

これについては、伊月(いつき)さんが意外なアイディアをくれた。

「人体実験か。できるぞ。」

「え?」

内藤(ないとう)だ。」

「あ。内藤丈之助(ないとうじょうのすけ)で?」

「ああ。これまで、さんざん女人(にょにん)をいたぶってきたのだ。少しは女人(にょにん)の護身のために貢献しても良かろう。」

「でも、もし、威力が強すぎて、死んでしまったら・・・。」

伊月(いつき)さんは周りを見回して、グッと顔を寄せると、小声でささやいた。

生田(いくた)黒田(くろだ)に私の暗殺を頼まれたことを、いきさつも含め詳細に手記させた。」

「え? よく書きましたね!」

牢守(ろうもり)の手腕だ。」

―― 拷問ってことかな。

「嫌な思いをさせるだろうから、そなたにはこういう事を話したくないのだが…。とにかく私たちの欲しい証拠はそろった。」

「じゃあ、内藤(ないとう)はもう、用無しってことですか。」

「ああ。」

内藤(ないとう)はどのみち死刑が決まっている死刑囚だ。だけど。
いくら内藤(ないとう)がひどいやつでも、私は人に痛みを与えるような自分があまり好きじゃない。

―― 寝つきが悪くなりそうだ。

でも、平八郎(へいはちろう)さんが山賊に殺されかけた時に伊月(いつき)さんが言ったことが脳裏によぎった。

「ためらうな。お前のためじゃない。ここにいる全員の命のためだ。」

あの言葉がまだ胸の中に残って、ずっと響いている。

「ためらうな。私のためじゃない。小雪(こゆき)ちゃんたちや、かどわかされた女性たちのためだ。」

私は思わず声に出していた。

「ん? 覚悟が出来たか?」

伊月(いつき)さんを見つめる。
この人もこういう覚悟を毎日して生きているんだ。
ここにいる守りたい全員の人たちのために自分の手を汚すことをためらわない。
ためらえば、守れないから。
それがどんなに苦しいことでも。
寝付きが悪くなるような事でも。

「覚悟ができました。」

私は色々な強度の試作品を伊月(いつき)さんに見せた。

「スタンガンの使用実験をお願いします。」

こうやって、内藤で実験したことで、沢山データが集まり、スタンガンの出力調整が上手くできた。
オババ様から習った術式も、毎日練習していたら、2週間もしないうちにできるようになった。

この練習でカムナリキを相当に消耗したけど、夕凪(ゆうなぎ)ちゃんが差し入れてくれたおにぎりと、伊月(いつき)さんに以前教わった滋養強壮の薬で何とか乗り越えた。

―――

「商品化できたよ!」

私は小雪(こゆき)ちゃんに一番にスタンガンをあげた。

「ありがとうございます!」

小雪(こゆき)ちゃんは、うっすら涙を浮かべている。
最近、縁談を断った男のストーキングがひどくなってきているみたいだった。

「いくらスタンガンを持っていても、それは心配だな。絶対一人で出歩いちゃダメだよ!」

「はい。」

私は手習い所(てなら じょ)に通う全ての生徒にスタンガンを無料提供した。
使い方を教えて、いつも肌身離さず持っているように言った。
スタンガンは娘さんたちのためにと、武家と商家の親がよく買ってくれて、また収入が増えた。

同時進行で開発した照明器具はずっと簡単に商品化できて、それも売れ行きが好調だった。
まだまだ高価な代物で、庶民には行き届かないけど、こっそり、外国へと照明器具を輸出してくれる人がいた。
伊月(いつき)さんと阿枳(あき)さんだ。
タマチ帝国の人たちに売るよりも何倍もの値段で、外国の貴族たちが買ってくれたみたいだった。
そして、また収入が増えた。

―――

こうろぎたちの声が聞こえ始めた秋晴れの朝、内藤が処刑されたことが知らされた。
城下町でも瓦版が飛び交った。
字を読める人が読めない人に内容を教えたりしていた。

「かどわかし事件の張本人、翼竜を操る魔獣使い、内藤丈之助(ないとうじょうのすけ)、斬首に処せられる。首は五手河原(ごてがわら)にて、さらし首。共舘(ともだて)将軍の調査の賜物(たまもの)。」

ひと段落、というか、自分の中で何かの踏ん切りがついた、という気がした。