伊月さんに連れられて行った地下牢は暗くジメジメしていた。
檻に入れられている人たちが私たちを物珍し気にジロジロ見た。
―― 正直怖い。
伊月さんが一つの檻の前で止まり、ここだ、というように指をさした。
「あのアメコミは、あなたのですか?」
私は伊月さんの後ろに隠れながら、牢の中の人に話しかけてみた。
内藤はバッと振り向いて、誰だアメコミのことを知っているのは?と言った。
―― やっぱりアメコミが分かるんだ。
伊月さんの背中から出て、内藤の顔を覗き見る。普通にアジア人の顔だった。
牢獄暮らしで随分とやつれているようだったが、あの、黒く渦巻くような不気味な気の流れは変わらなかった。
「あなた、異界人ですか?」
内藤はそれには答えずに私をじっと睨んでいるようだった。
暗がりの中でよく分からなかったから、少し柵に近づいてみる。
その瞬間に内藤の顔を真正面から見た。
「あ! あなたは!」
「お前は!」
内藤は目を見開き、不敵な笑みを浮かべた。
「見つけたぞ! 見つけた!」
そして、柵に走り寄って、私に近寄った。
伊月さんが私を柵から離す。
内藤は狂ったように、「お前を探していたんだ」と、叫び、わめいた。
「お前のせいでここに来たんだ!お前のせいだ!殺してやる!」
伊月さんは私の顔を着物の袖で隠した。
「行こう。話しは後だ。」
伊月さんはそのまま私とオババ様をかばい、出口へと促した。
―― 信じられない! 何で、あの男がここに?
私は震えていた。
―――
「あの男は日ノ本でお前を殺そうとした辻斬りだな?」
牢を出て、オババ様が開口一番に言った。
「ど、どうして分かったんですか?」
「あの者の気は狂っておる。弱い者をいたぶり、人殺しを楽しむ種類の者の気だ。オヌシがこちらの世界に来た時に巻き込まれたのだと、カグツチの声がした。」
「でも、私と一緒にこちらの世に来たというのはおかしいです。私がここに来た時に、内藤はもうすでに翼竜を操る術を持っていました。」
「異界からの移動は同じ時間、同じ場所にたどり着くとは限らん。」
「私とは違う時間に違う場所に行ってしまったのですか。」
「そうかもしれぬ。」
オババ様は身震いをした。
「伊月、那美、タカオ山に帰るぞ。あのようなおぞましい気を受けてたままではかなわん。禊祓いをしたい。」
オババ様の言葉に従って、私たちはタカオ山に戻った。
「ワシは先に禊をする。オヌシたちはここで待っていろ。」
そういうと、オババ様はタカオ神殿の裏手にある小川で禊の儀式の準備を始めた。
思わず、はぁ、とため息をついた。
狂ったような内藤の顔とわめき声が脳裏に焼き付いて、気分が悪い。
「那美どの、少し休もう。」
伊月さんは神殿の横に置いてある長椅子に私を座らせた。
「無理矢理牢に連れて行ってもらったのに、取り乱してしまってすみません。」
「いや。お陰で手がかりができた。内藤が異界人だと分かっただけでも、収穫は大きい。」
「私、日本で、あの男に殺されそうになったんです。でも、その瞬間、桜の木のうろに落ちて。気がついたらこの世界に来ていました。」
「怖い思いをしたな。だが、あの者は牢の中だ。那美どのに危害を加えることは、もうない。」
「はい、ありがとうございます。」
伊月さんが私の背中をさすってくれて、気持ちが落ち着いてくる。
「あの者の処刑は死刑と生田から沙汰が出て、もう決まっておる。生田としては、内藤が暗殺のことを話す前にサッサと殺したいのだ。」
「そうなんですね。」
「のらりくらりとまだ生かしているのは、私のためだ。生田と黒田が私を暗殺しようとした生きた証拠だからだ。だが、もし那美どのがあの男を許せぬのなら、すぐにでも死刑に処してもかまわん。」
「私はあの男が何人もの人を無差別に殺したのを見ました。何の理由もなく、ただそこにいたというだけで。道を歩いていただけで殺されちゃったんです。それに加えて、こっちの世界でも女の人をかどわかしていたなんて、悪魔の所業です。とても許せません。でも、だからこそ、利用できるうちは利用して、伊月さんのために使って下さい。」
伊月さんは私の手を握って、空を見上げた。
「私にもあの者のような黒い気が流れておるのか?」
「え?」
「私も沢山の人の命を奪った。そなたも見たはずだ。」
「伊月さんの気には、内藤のような黒く渦巻いたような気は全くありません。」
私はもう片方の手を伊月さんの手に重ねた。
―― きっとこの人は苦しんでいるんだ。
「伊月さん…。」
私は何と言っていいかわからなかった。
ただ、私も伊月さんと一緒に空を見上げた。
秋の気配がにじむ晴れた空だった。
「伊月、那美。」
オババ様の声がして振り向いた。
「お前たちも禊をしたほうが良い。那美から、来い。」
「はい。」
私は禊用の白い着物に着替えた。
オババ様がオオヌサで私を祓ってくれる。
オババ様に言われたとおりに玉櫛を持ってそのまま小川の水に入り、肩まで浸かる。
―― 冷たい。
でもその冷たさが、私の脳裏に焼き付いた内藤の声と気持ち悪い形相と、体にまとわりついた薄暗い気を優しく包み込み、川下に流して行った。
ビックリするくらい気持ちがスッキリした。
「禊ってすごいですね!」
「当たり前じゃ。ほれ、着替えて来い。次は伊月じゃ。」
「ありがとうございます!」
体を拭いて着替えると、いよいよ心が晴れてきた。
禊祓いをしてもらってスッキリさっぱりした伊月さんと私は、オババ様の屋敷で夕凪ちゃんが淹れてくれたお茶をすする。
「さて、内藤のことはこれからまた取り調べでわかることも増えると思うが、次は於の国じゃな。」
オババ様が私の作ったきなこ餅を頬張りながら切り出す。
「於の国情は思ったよりも悪く、民が飢えています。国内だけでは租税が取れず、近々伊の南部を攻めにやってくるでしょう。」
オババ様と伊月さんが何やら難しそうな話しをする中、私もきなこ餅を頬張った。
二人の会話を聞いていて分かったことは、伊月さんは各地で色んな伝手を利用して、情報収集を行っているということだった。
於の北には伊月さんの叔父様が、南には源次郎さんの弟が住んでいて、定期的に忍を送って情報を仕入れている。
於の東側の様子は伊の国境あたりにいる伊月さんの「手の者」が見張っていて、
於の西側の様子は宇の湯治場にいる商人たちからの情報が入ってくる。
そして、今回の旅で仲間にした兵五郎さんたちは於の中ごろ、山脈の様子を伝える役目を担った。
―― 伊月さん、すごいな。
「まずは伊の岩山城を狙っているようです。」
「うむ。岩山城は良い岩石が取れ、名馬の産地でもあるからな。」
「岩山の城主だけでは手が足りませんので、きっとこちらから誰かが加勢しに行かされるはずです。」
「誰が行かされるのか。」
「多分、島田どの辺りが派遣され、私はその補助として行かされるでしょう。」
「島田はついでに於の領地を攻めとるのか。」
「きっとそれを狙うでしょう。」
話しを聞いていると、伊月さんは魔獣征伐や、ちょっとした小競り合いなどの領地が手に入らない戦いには一人で派遣されるのだけど、今回のように新たに領地を拡大できるかもしれない戦には誰かの補佐として付けられることが多いようだ。
さらに、伊月さんが働いて新しく得た領地も、その大将への褒美として与えられることが多々あるらしい。
―― 伊月さん、戦に行っちゃうのかもしれないのか。
「また今回も手柄を島田にやるつもりか。」
「そのつもりでしたが...そろそろ家臣の我慢も限界に来ております。」
「だろうな。」
二人はそれからしばらく黙っていた。
もしかしたら伊月さんはこれを機に亜の国主に反旗を翻すのかもしれない。
―― もし、そうなったら亜国も戦になっちゃうのかな?
「那美、心配するな。どんな戦が起きようとも、タカオ山は神の領域、不可侵地じゃ。」
「…はい。」
―― でも、伊月さんが長期間、戦に行くのはやっぱり心配だ。
私は伊月さんの顔を見れなかった。
ようやく志に向けて伊月さん達が動き出すかもしれない時に心配だなんて言いたくなかった。
私はここにいて、伊月さんの無事を祈りながら、帰ってくるのを待つことしかできない。
「那美どの、心配するな。このようなことは日常茶飯事だ。」
伊月さんは何事もない当たり前のことのように言って、きなこ餅を頬張った。
「お、美味いな。」 なんて、言っている。
私にはいつも能天気っていうのに。
――――
伊月さんが帰って行き、いつものように夕凪ちゃんと一緒に夕ご飯の準備を始める。
「ねぇねぇ、那美ちゃん。」
夕凪ちゃんが、私の顔を覗き込んだ。
「那美ちゃんは知らないと思うけど、伊月さんの軍は最強だよ。」
「え?」
「心配してるって顔にでかでかと書いてあるからさ。」
「我慢して言わなかったのに、顔に出てた?」
「え? 我慢してたの? 那美ちゃん考えてることが顔から駄々洩れだよ。」
「うっ。」
「亜の領地は、今よりももっと小さかったんだ。でも、伊月さんの軍が少しずつ領地を増やしていったようなもんだよ。北の尾谷城も、南の竹日津城も、東の長岡城も、みんな伊月さんの軍が取ったんだ。ただ、戦果は全部ほかの将軍に持っていかれちゃったけどね。」
「そんなに沢山のお城を取ったんだ。」
「伊月さん、なんでいつまでも今の状態に甘んじてるんだろうね。私だったら自分が攻め落とした城は自分がもらうって主張するのに。」
「きっと伊月さんは目の前の小さな成功を気にしてないから、そういうお城はいらないんだよ。もっと大きいものが欲しいから。」
伊月さんはタマチ帝国全体を狙ってるから、小さなお城をくれてやってもいいんだ。
いずれば全部自分の物にするつもりだから。
だけどそうやって戦果を上げて、各地に武勇を知らしめてる。
少しずつ、でも確実に、人望を得てる。
そして、城を持てない代わりにビジネスで財を築いてる。
こっそりと、でも順調に。
何て慎重で、何て頭がいい人なんだろう。
「よくわかんないけど、とにかく、伊月さんの軍は強いから大丈夫だよ。」
「そうだね。ありがとう、夕凪ちゃん。」
夕凪ちゃんに言われて改めて気づいた。
―― 前から思ってはいたんだけど、すごい人を好きになっちゃったんだな、私。
そういう人の側にいるには、小さいことでいちいち狼狽えてたらダメだ。
伊月さんを信じて、デンと構えてないと。
私は気持ちを新たにして、今日も沢山ご飯を食べた。