私は案内されたお風呂を見て小首をかしげる。
公衆温泉にしては小さいけど、誰もいないのを見るとこれってもしかして、貸し切り?
「わが宿は全てのお風呂は家族湯といって、個室、貸し切りになっています。」
「わぁ、何て、贅沢!」
「ここに新しい手ぬぐいを置いておきます。湯殿用の絹の着物もありますので、これを着てお風呂に浸かってみて下さい。絹が肌をツルツルにしてくれるんですよ。」
「へえ、そうなんですね。お湯の中で絹を着るなんて初めてです。やってみます。」
私は髪と体を念入りに洗った。
昨日はお風呂に入れる状態じゃなかったから、体も髪も汗と埃でべたついている。
―― やっぱり、お風呂は毎日入りたいよね!
すっきりした所で、絹の着物を着てみる。
―― うわぁ、何か、新触感。
濡れたからだにサラサラの絹がまとわりついて、そのままお湯に浸かってみると、本当に肌がサラサラになる感覚がした。
お湯の温度もちょうど良くて、一気にリラックスする。
―― はあ、生き返るぅぅ!
お湯につかれることの喜びを噛み締めた。
―― それにしても格差社会ってすごい。
昨日の村の人達が飢えで明日をも知れぬ命だっていうのに、ここは貴族の避暑地として贅沢な施設が整っている。
―― ここにある1%の食料でもあの村に分けられたら…
湯舟の中で色々と考えていると、ザーと、お湯をかけ流す音が聞こえて振り返る。
電気がなくて、窓もなくて、閉め切った部屋に湯気が籠もっているからよく見えないけど、洗い場で誰かが体を洗っているみたいだった。
「だ、誰かいるんですか? ここは貸し切りですよ。」
「私だ。」
それは紛れもない伊月さんの声だった。
「な、なな、な、なんで!」
私はガバっと肩までお湯に浸かって伊月さんの方に背中を向けた。
「この宿には各部屋に一つずつ専用の湯殿があるそうだ。」
「そ、その説明は聞きましたけど、だからって、どどど、どうして、伊月さんがここに!?!?!?
あ、か、各部屋に湯殿が一つ? 各部屋に?」
「ああ。」
「一人に一つじゃなくて?」
「各部屋だ」
―― そう言えば、家族湯って言ってた!!
「じゃ、じゃあ伊月さん、わ、私がここにいるって知ってて入って来たんですか?」
「最初は知らなかったが、脱衣所にそなたの着物があったのと、説明を聞いてそなたがいることが分かった。」
「だ、だ、脱衣所で分かったのに、そ、そんな、普通に入ってきたんですか?」
「あの者の前で散々夫婦の真似事をしておいて、今更途中で引き返すのも変だろうと思ったのだ。」
「だからって、だからって。」
「落ち着け。どうせ何も見えんし、絹を着ているのだろう?」
―― こんな状況で落ち着けなんてどうするの?
「はぁ。昨日も野宿で今日も山の中を抜けて来たので泥まみれだ。ここで温泉に入れるのは有り難いな。」
―― そうだよね、伊月さんにもゆっくりリラックスしてほしい。
私はお湯につかって、静かにすることにした。
しばらく伊月さんが体を洗っている音が聞こえる。
それを聞きながら、私は以前見た伊月さんの筋肉隆々の上半身と美しいシックスパックを思い出した。
―― な、何考えてるの! 私ってば!
私が、脳内の敵(伊月さんのシックスパックのイメージ)と戦っていると、また、ざあ、ざあとお湯をかける音がした。
「洗い終わった。そっちに行くぞ。」
「え、ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあ、私、出ますから...」
ちゃぷん、と音がして、伊月さんが湯船に浸かってきた。
「あの、ちょ、私、出ます。」
慌てて湯船から出ようとすると、手首を掴まれて、引き戻された。
「駄目だ。」
そのまま伊月さんは私を横に座らさせて肩を抱いた。
伊月さんも絹の着物を着ているけど水にぬれた着物が体に張り付いて、伊月さんの筋肉が自己主張している。
どんなに暗い室内でもこれだけ近づけば自然に目に入ってくる。
―― ああ、さっき追い払おうとした脳内イメージの本物がここに!
「あの、あの...。」
「そんなに慌てて出なくとも、もう少し、浸かっていればよいではないか。」
「でも…でも…。」
「しー。静かにしろ。やはり湯に浸かると体がほぐれるな。」
私はこの状況がわからず、伊月さんに肩を抱かれたまま体を固くして縮こまっている。
一緒の部屋で寝るのをあれだけ拒んでいた人が、一体、急に、どうして。
―― もしかして、また、仕返しされてる?
伊月さんと想いが通じ合うようになって気づいたことがある。
伊月さんは時々すっごく意地悪でドSだ。
わざと私がドキドキするような事をして反応を楽しんでる時がある。
―― きっと今もそうだ。
私が大人しくなると、伊月さんは私の頭をそっと押さえて、自分の方に傾けた。
伊月さんの肉厚の胸板が私の頬に触れる。
ドキドキと自分の鼓動と伊月さんの鼓動がうるさく聞こえる。
伊月さんは、そのまま濡れた私の髪の毛を撫で始めた。
「そんなに体を固くしていたら休まらんぞ。力を抜け。」
「無、無理です。」
伊月さんが私の顎を取って自分の方に上向かせた。
「何故だ。」
「い、伊月さんが...」
「私が何だ?」
「い、色っぽすぎます。」
「な…。」
伊月さんは一瞬息をのんで、次の瞬間、噛みつくようにキスをした。
「あっ…ん…」
性急な口づけに思わずはしたない声が出る。
慌てて身をよじると、伊月さんはあっけなく口づけをやめた。
そして私の頬をそっと撫でた。
「那美どのは分かっていない。」
「な、何がですか…」
「そなたのすること、言うことが、いつも私を煽っているということを。」
「そ、それは…」
「そなたと二人きりになる度、私がどれだけ我慢を強いられてるか。分かっていない。」
伊月さんは私の体を抱きしめた。
薄衣越しに濡れた伊月さんの体の感覚が伝わってきて、ドキドキが止まらない。
「那美どのは全然分かっていないのだ。私がそなたにどんな事をしたいのかを。」
「伊月さん…」
伊月さんがいつになく余裕のない顔をしている。
私のことを欲しくてたまらないといった表情だ。
いつも余裕があって、平静を保っている人がこんな顔をするなんて。
―― なんて愛おしいんだろう。
私は思わず伊月さんの背中に手を回してギュッと抱きついた。
「伊月さん、好きです。」
「く…そ...」
伊月さんは、そう苦しそうにそう言うと、もう一度荒々しく私の唇をふさいだ。
すぐに伊月さんの熱い舌が割り込んで来て、私の舌を、歯列を舐め回す。
じゅるじゅるといやらしい音を出しながら、伊月さんが私の舌を吸って、唇を食んだ。
「ん…は…。」
上手く息ができなくて、肩を震わせると、伊月さんは、そっと唇を離し、次にその熱い唇を私の耳に押し当てた。
「ひゃぁ」
くすぐったくて身をよじるけど、離してくれなかった。
伊月さんはそのまま私の耳を舐め耳朶を食んだ。
「あっ、い、伊月さんっ... やめて」
伊月さんの荒々しい息遣いとはしたない水音が耳に直に注ぎ込まれた。
―― あ、あ、これ以上はダメなやつ...
思わず首をそらすと、伊月さんは次に私の首筋に舌を這わせた。
「きゃ、や…」
言葉とは裏腹に、自分の肌が上気するのがわかった。
―― あ、力がぬける。おかしくなりそう。
伊月さんは私の首筋にキスをしながら、私を抱きしめていた大きな手で、肩や二の腕を優しくなでた。
「っあ、い、伊月さん...」
伊月さんの大きな手は、次に私のうなじや背中を撫で上げて、その間に、伊月さんの唇と舌が私の首すじをどんどん下の方へと這っていく。
そして、チュウと音を立てて、伊月さんが私の鎖骨の下あたりの肌を吸った。
「あぁ」
言いしれない快楽が体を巡って、あれほど固くなっていた私の体から、ガクリと力が抜けた。
私は思わず伊月さんの頭を抱いて、そっと撫でた。
愛おしすぎて頭がクラクラする。
覚悟ができてないって思ってたけど、嫌じゃない自分がいる。
―― もしかして私達このままここで…?
伊月さんから与えられた快感に溺れるように、私の意識は朦朧としていった。
「那美どの? 大丈夫か? おい、しっかりしろ。」
「え? ここは、どこでしたっけ?」
このあと、意識がはっきりした時には脱衣所で、湯にのぼせた私を、伊月さんが介抱してくれていた。