やがて、伊月さんの護衛隊は市街地を抜けた。
人が見えなくなり、畑すらもなくなり、ただただ野山が広がっている。
夏の盛りで鮮やかに萌える緑の山野の上には青く澄み渡る空が広がっている。
―― 綺麗だな。
しばらく夏の景色を堪能して、手持ち無沙汰になったので体を動かしたくなった。
「あの、歩いてもいいですか?」
籠を運んでいる人達に聞くと、私を籠から下ろしてくれた。
私が籠から降りると、八咫烏さんは、こんなチンタラ行く行列は飽きた、と言って、どこかに飛んでいってしまった。
私が歩き出したのを見て伊月さんが自分の近くに来るように手招きをした。
嬉しくて思わず伊月さんに駆け寄る。
「籠の中は飽きたか?」
「少し。体を動かしたくなりました。この辺は、のどかな所ですね。」
「ああ。この辺は伊の領地との境目だ。しばらくはこの景色が続く。」
「綺麗な景色です。」
「今日は伊の国を横断して、於と伊の国境あたりで宿をとる予定だ。」
「尽世での旅行は初めてなので、ワクワクします。でもちょっと気になることがあって。」
「どうした?」
「八咫烏さんです。やけに大人しいっていうか。ずっとカラス姿だし。」
「私の予想ではオババ様に何かの任務を言い渡されたのだ。」
「任務?」
伊月さんは眉根を寄せて、ふいっと前を向いて行った。
「気にするな。好きにさせておけばよい。それよりも、向日葵は好きか?」
「向日葵ですか? 好きですよ!」
「もう少し行くと、向日葵畑がある。その辺で休憩を取ろう。」
伊月さんの言った通り、しばらく歩くと、休憩にちょうどよさそうな広場があった。
大きな欅の木が立ち並び、並木道っぽくなっている。
小川も流れ、向日葵の畑もある。
観光スポットなのか、旅行者たちがちらほらいて、大きな欅の下で休憩している。
「わぁー綺麗ですね!」
私は青空の下で満開に花を咲かせている向日葵を見渡した。
「行ってみたいか?」
「いいんですか?」
「構わぬ。」
伊月さんはそういって、護衛隊には、小川の近くで休憩をするように言いつけた。
皆が小川で水を汲んだり、おにぎりを食べはじめるのを見届けてから、二人で向日葵畑の方へと歩き始めた。
「わぁ、近くで見ると、すっごく大きいですね!」
向日葵畑に入ると、私よりも背が高い花たちに囲まれる。
花は私の顔よりも大きい。
鮮やかな黄色が青空に映えてとても綺麗だ。
「伊月さんって、向日葵よりも背が高いんですね!」
「私は六尺二寸あるからな。」
後ろを歩く伊月さんを振り返って見て、改めて伊月さんの背の高さに驚く。
六尺二寸って、多分190cmくらいだ。すっごい高い。かっこいい。
「伊月さん、ちょっと、待って下さい。そこで止まって下さい!」
向日葵の花に伊月さんの顔が隠れて、着物を着て歩いている向日葵のお化けみたいに見えた。
「あはは!」
「こら、笑うな。」
伊月さんはあきれたように言って、不意に私を抱き上げた。
「きゃ。」
子供が大人に抱えられるように、だっこされて、伊月さんと目線が一緒の高さになる。
向日葵の花より少し上の目線だ。
「ここから見る眺めもなかなかだぞ。」
「わぁ。」
今度は、私がさっきまで見上げていた花を見下ろす形になる。
どこまで見ても黄色の花弁が揺れていて、それ以外に見えるのは青い空だけだった。
「背が高いと、世界が違って見えるんですね。」
私は感動して花畑を見渡した。
次の瞬間、伊月さんは、そっと私を地におろして、私を自分の背中に隠した。
そして、すっと刀の鞘に手を置いた。
―― な、何?
「何か気配がする。」
伊月さんがそう言って目線をやった方向を見ると、向日葵がガサガサと動いている。
しばらく見守っていると、花の間から、人が現れた。
綺麗な着物を着て黒くて艶々の垂髪の女性だった。
―― すごい綺麗な人だな。
「すみません、お侍様、この辺に川か井戸はありませぬか? 飲み水を探しております。」
「小川ならあちらにまっすぐ行くと良い。」
伊月さんが指をさすと、その人はお礼を言ってそちらの方向に歩き始めた。
こんな豪華な着物の女性が一人でこんな所で何しているんだろうと思った瞬間、その女の人は、きゃぁと小さく悲鳴を上げ、地にしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫ですか?」
私が慌てて声をかけると、その人は私のことをガン無視して、今にも泣きそうなウルウル目で伊月さんを見上げた。
―― え?
「足をひねってしまったようです。 もう歩けませぬわ。」
「…仕方ない。おぶって行こう。」
伊月さんはため息をついて、地面に足をつき、女性に背中を見せた。
私はその時、その女の人がニヤっと笑ったのを見逃さなかった。
―― 絶対わざとだ!
女性はいかにも弱々しそうに伊月さんの背中に体を預けた。
―― うわーなんか、演技がむかつく!
「那美どの、すまぬ。このまま皆の所まで戻ろう。」
「…はい。」
―― この人、伊月さんの優しさを利用して、何するつもり?
私は警戒しつつも、女性をおぶって歩き始めた伊月さんの後を歩く。
「このような所で、女人一人で何をなされている?」
伊月さんが女性に声をかけると、仲間と別れてしまって、探しているのだと、言う。
さらに、「一人になってしまって、どうしていいのかわからなくて…」などと、いかにも泣きそうな声を出して、伊月さんの背中に頬をすり寄せた。
―― な、な、何なの!!
イラつきながら後ろを歩く私のことは、ここにいないも同然のように眼中にないらしい。
やがて皆の姿が見えると、平八郎さんが私達に気付いて、手を振ったので、私も手を振り返した。
この嫌な感じの女性の近くにいたくなくて、私は思わずそのまま平八郎さんの方に走って行った。
「な、那美どの?」
伊月さんが私の名前を呼んだけど、知らない。
私のイライラは結構ピークに達している。
ようやく、伊月さんが小川の近くで女性をおろすも、その人は伊月さんの袖をつかんで引き留めた。
そのまま何やら話をしている。
―― もう、知らない!
「な、那美様、大丈夫ですか?」
むくれている私の顔を平八郎さんが覗き込んだ。
「大丈夫です!水を飲んできます!」
そう言って、私は小川の下流の方にかけて行った。
竹の水筒に水を補給して皆の所に戻っていくと、護衛団の皆と談笑しているさっきの美女が見えた。
護衛団の皆はその美女にずいぶん見惚れているみたいで、へらへらしている。
―― 確かにきれいだけど、あの人は同性から嫌われるタイプの女性だよね!
私は、フン、と鼻をならした。
そして、その美女を囲むようにできた護衛隊の輪の中に伊月さんや清十郎さんがいないことに気付く。
―― あれ? 伊月さんはどこに行ったのかな?
そう思った時、目線の先の美女の体に重なって、うっすらと何かが見えた。
―― ん?
もう一度よく目を凝らして見ると、その美女と重なってタヌキが見える。
「あ、あの人、化けダヌキだ!!」
「やはり、そうか。」
「ぎゃー! んんん!」
いきなり後ろから声をかけられて、びっくりして叫びそうになった私の口を、押さえられた。
「しー。私だ。」
伊月さんだった。
そのまま伊月さんは私を皆から見えない岩陰に連れて行き、ようやく手を離した。
「び、びっくりしたじゃないですか!どこにいたんですか?」
「そなたを探していた。」
ふう、と私は一息ついた。
「おどろかせてすまなかった。」
伊月さんはポンポンと私の頭をなでながら、岩陰から化けダヌキが扮した美女と、その人を取り囲む護衛隊を覗き見た。
「しかし、よく化けダヌキと気づいたな。どう見ても人間にしか見えぬ。」
「これのおかげかな。」
私は夕凪ちゃんからもらったお守り袋を、帯の隙間から取り出して、伊月さんに持たせた。
「おぉ、これを持っておると、タヌキが見えるぞ!」
「やっぱり、これのお陰だったんですね。」
―― 夕凪ちゃんに感謝だな。
「なんと!男のタヌキだったのか!どでかい二つのアレまで下げているな!」
「そ、そんな所まで見なくていいじゃないですか!」
伊月さんは私にお守り袋を返すと、はぁと、大きなため息をついた。
「あれが私の背に乗っていたのか…」
と、言って、顔を青ざめさせて、身震いした。
「タヌキでも女だったらよかったんですか?」
「いや、そういう意味ではない!」
伊月さんは慌てて私の手を取った。
「そ、それより、今はあのタヌキを何とかせねば。」
「そ、そうですね。」
「大方、我らをだまして、荷物でも盗む気だろう。殺気は感じられぬ。」
「ど、どうしましょう?」
「荷を確認しに行こう。」
そう言って、私たちは馬をつないでいる所に行ってみる。
荷物の見張りをしている護衛隊の人に、さっきの女性と似たような着物の美女が話しかけている。
「やはり仲間がいたな。見張りと他の奴らを女で引き付けて、別の仲間が荷を盗む魂胆だな。」
伊月さんは小声で私に囁きつつ、向日葵畑の方を指さした。
「あ!」
花畑の陰にタヌキが3匹隠れているのが見えた。
全部で5匹だ。
「それにしても、男の人って美女に弱いんですねぇー、皆あんなにニマニマして。」
「ん…。鍛えなおさなければいかんな。」
伊月さんは舌打ちをした。
「那美どの、平八郎に、さっきの女を取り押さえるように言ってもらえぬか? 私はこっちの4匹を相手する。」
「わかりました。」
頼む、と言って、伊月さんが岩陰から出て行き、荷物の見張りと話している女性に向かって歩いて行った。
私も、他の護衛隊の人たちが集まっているところへ行き、平八郎さんを探した。
「あ、那美様!」
平八郎さんが私を見つけて、小走りにかけてきた。
「探しましたよ。主のお姿も見えないし。」
「平八郎さん、あの女性、化けダヌキなんです。」
「え?」
「皆の気をひいて、他の仲間のタヌキが荷物を盗もうとしていて、伊月さんはそっちを懲らしめています。あの女性を取り押さえるようにと言ってました。」
私が早口で事情を説明すると、平八郎さんは急いでさっきの女性に化けたタヌキの所に行き、皆に向かって叫んだ。
「その女をとらえよ! 盗賊の一味だ!」
「な、何?」
護衛隊の皆は抜刀して構える。
女は険しい顔をして、「よくも!」と叫んだ。
その瞬間、女の頭から角が出て、口から牙が出た。
「お、鬼だ! 般若だ!」
護衛隊の皆が少しひるんだ。
「違います!化けダヌキです!鬼じゃありません!」
私が叫ぶと、皆は、ハッとしたように、平静を取り戻し、般若顔の元美女にかかっていった。
平八郎さんはすぐさま「お前たちは荷物の確認と、主の援護を!」と言って数人を伊月さんの方へ送る。
そこに、さっきまで全然姿が見えなかった清十郎さんがどこからともなく現れた。
「那美様は私がお守りいたします。」
清十郎さんが言った。
「伊月さんの方に化けダヌキが4匹いました。」
「じゃあ、そちらに行きましょう。こちらはもう、かたがつきそうです。」
般若顔の元美女はとらえられて、ついに本当のタヌキの姿を現したみたいだった。
「うげー、こんな爺ダヌキだったのかー」と、皆が叫ぶのを聞きながら、私たちは伊月さんの方へと向かった。
「うわっ!」
護衛隊の人たちが女性に化けたタヌキと、他のタヌキ2匹を取り押さえていたけど、残りの一匹が、巨大な小入道に化けて暴れまわっている。
周りにいた旅行者たちも大慌てで逃げ惑って、パニック状態だ。
―― あれ、伊月さんはどこ?
そう思った瞬間、急に、そこにあった、欅の大木がガサガサと揺れた。
「うぉおぉおぉ!」
と、叫び声が聞こえ、声の方を見上げると、その欅の高い位置にあった木の枝から、伊月さんが飛び出てきた。
伊月さんの体はそのまま宙を舞いあがり、小入道の頭めがけて刀を振り下ろした。
―― い、伊月さんが飛んでる!!!
ゴン!!!!!
と、すごい音がして、伊月さんの刀は小入道の額に命中した。
その瞬間、小入道の体から煙が出て、小入道が小さなタヌキの姿になった。
伊月さんはしっかりきれいにシュタッと着地して、優雅に刀を収めている。
「逆刃で打っただけなので死んでいませんよ。」と、ハラハラしている私に清十郎さんが教えてくれた。
さっきの般若顔の元美女のタヌキを捕まえた他の護衛達の人たちも皆こちらに駆けつけてきた。
伊月さんが気絶して伸びている小入道のタヌキの首根っこを掴んで持ち上げると、まわりにいた旅行者も護衛隊の人たちも、皆が歓声をあげ、伊月さんに拍手を送った。
「おい、起きろ!」
伊月さんがタヌキの頬をペチペチと打つと、タヌキは目覚めた。
「ぎゃー助けて下さい!私たちが悪かったですーーー!」
と、涙目で手足をばたつかせた。
「それでは盗んだ物を全て返すように、そなたの仲間に言うのだ。さもなくばそなたをタヌキ鍋にして食ってやるぞ!」
「か、勘弁して下さい! お、お前ら―全部返せ!」
護衛隊の人たちに捕らえられていたタヌキたちが、それを聞いて、一斉に体をブルブルと震わせはじめた。
―― な、なに?
すると、タヌキたちの立派な二つのアレの間から、じゃらじゃらと色んなものが落ちてきた。
「ど、どこに隠していたんだ...」
伊月さんがゲッソリとした表情をした。
「あ、これは私の財布です!」
タヌキのあそこから落ちてきた物を見て、平八郎さんが叫んだ。
「あ、私の財布も! 印籠も! いつの間に!」
護衛隊の人たちや旅行者の人たちの物がずいぶんとスラれていたようだった。
皆はウゲーと言いながらも渋々自分の持ち物を拾った。
「ど、どうか、御勘弁をー。もう二度としません。」
タヌキは涙目で訴える。
「神に誓えるか?」
尽世では神に誓うというのは一大事だ。
この世では神がわりと身近にいて、神の怒りを買うと、本気で天罰が下る。
自分から神にした約束、神への誓いは絶対守らないと、何が起こるか分からない。
「ち、誓います!」
「よし、では、ここにいる、雷神の巫女、に宣告せよ。」
伊月さんはタヌキの首根っこを持ったまま、私の方に向けた。
「ら、雷神に誓います。もう二度と人の物を盗みませぬ!」
タヌキは震えながら言った。
―― ちょ、ちょっとかわいそう。
可愛いタヌキたちを見ると胸が痛むけど、盗みはやっぱり、ダメだよね。
伊月さんはタヌキを下すと、皆に捕らえていた他のタヌキたちも離すように言う。
「行け。」
そういうと、タヌキたちは一目散に逃げて行った。
旅行者たちはまた歓声を上げてパチパチと伊月さんに拍手喝采を送った。
―― やっぱり、伊月さん、カッコいい!
旅行者たちは伊月さん率いる護衛隊にお礼を言って、ひとしきり頭を下げて去って行った。
人が見えなくなり、畑すらもなくなり、ただただ野山が広がっている。
夏の盛りで鮮やかに萌える緑の山野の上には青く澄み渡る空が広がっている。
―― 綺麗だな。
しばらく夏の景色を堪能して、手持ち無沙汰になったので体を動かしたくなった。
「あの、歩いてもいいですか?」
籠を運んでいる人達に聞くと、私を籠から下ろしてくれた。
私が籠から降りると、八咫烏さんは、こんなチンタラ行く行列は飽きた、と言って、どこかに飛んでいってしまった。
私が歩き出したのを見て伊月さんが自分の近くに来るように手招きをした。
嬉しくて思わず伊月さんに駆け寄る。
「籠の中は飽きたか?」
「少し。体を動かしたくなりました。この辺は、のどかな所ですね。」
「ああ。この辺は伊の領地との境目だ。しばらくはこの景色が続く。」
「綺麗な景色です。」
「今日は伊の国を横断して、於と伊の国境あたりで宿をとる予定だ。」
「尽世での旅行は初めてなので、ワクワクします。でもちょっと気になることがあって。」
「どうした?」
「八咫烏さんです。やけに大人しいっていうか。ずっとカラス姿だし。」
「私の予想ではオババ様に何かの任務を言い渡されたのだ。」
「任務?」
伊月さんは眉根を寄せて、ふいっと前を向いて行った。
「気にするな。好きにさせておけばよい。それよりも、向日葵は好きか?」
「向日葵ですか? 好きですよ!」
「もう少し行くと、向日葵畑がある。その辺で休憩を取ろう。」
伊月さんの言った通り、しばらく歩くと、休憩にちょうどよさそうな広場があった。
大きな欅の木が立ち並び、並木道っぽくなっている。
小川も流れ、向日葵の畑もある。
観光スポットなのか、旅行者たちがちらほらいて、大きな欅の下で休憩している。
「わぁー綺麗ですね!」
私は青空の下で満開に花を咲かせている向日葵を見渡した。
「行ってみたいか?」
「いいんですか?」
「構わぬ。」
伊月さんはそういって、護衛隊には、小川の近くで休憩をするように言いつけた。
皆が小川で水を汲んだり、おにぎりを食べはじめるのを見届けてから、二人で向日葵畑の方へと歩き始めた。
「わぁ、近くで見ると、すっごく大きいですね!」
向日葵畑に入ると、私よりも背が高い花たちに囲まれる。
花は私の顔よりも大きい。
鮮やかな黄色が青空に映えてとても綺麗だ。
「伊月さんって、向日葵よりも背が高いんですね!」
「私は六尺二寸あるからな。」
後ろを歩く伊月さんを振り返って見て、改めて伊月さんの背の高さに驚く。
六尺二寸って、多分190cmくらいだ。すっごい高い。かっこいい。
「伊月さん、ちょっと、待って下さい。そこで止まって下さい!」
向日葵の花に伊月さんの顔が隠れて、着物を着て歩いている向日葵のお化けみたいに見えた。
「あはは!」
「こら、笑うな。」
伊月さんはあきれたように言って、不意に私を抱き上げた。
「きゃ。」
子供が大人に抱えられるように、だっこされて、伊月さんと目線が一緒の高さになる。
向日葵の花より少し上の目線だ。
「ここから見る眺めもなかなかだぞ。」
「わぁ。」
今度は、私がさっきまで見上げていた花を見下ろす形になる。
どこまで見ても黄色の花弁が揺れていて、それ以外に見えるのは青い空だけだった。
「背が高いと、世界が違って見えるんですね。」
私は感動して花畑を見渡した。
次の瞬間、伊月さんは、そっと私を地におろして、私を自分の背中に隠した。
そして、すっと刀の鞘に手を置いた。
―― な、何?
「何か気配がする。」
伊月さんがそう言って目線をやった方向を見ると、向日葵がガサガサと動いている。
しばらく見守っていると、花の間から、人が現れた。
綺麗な着物を着て黒くて艶々の垂髪の女性だった。
―― すごい綺麗な人だな。
「すみません、お侍様、この辺に川か井戸はありませぬか? 飲み水を探しております。」
「小川ならあちらにまっすぐ行くと良い。」
伊月さんが指をさすと、その人はお礼を言ってそちらの方向に歩き始めた。
こんな豪華な着物の女性が一人でこんな所で何しているんだろうと思った瞬間、その女の人は、きゃぁと小さく悲鳴を上げ、地にしゃがみこんだ。
「だ、大丈夫ですか?」
私が慌てて声をかけると、その人は私のことをガン無視して、今にも泣きそうなウルウル目で伊月さんを見上げた。
―― え?
「足をひねってしまったようです。 もう歩けませぬわ。」
「…仕方ない。おぶって行こう。」
伊月さんはため息をついて、地面に足をつき、女性に背中を見せた。
私はその時、その女の人がニヤっと笑ったのを見逃さなかった。
―― 絶対わざとだ!
女性はいかにも弱々しそうに伊月さんの背中に体を預けた。
―― うわーなんか、演技がむかつく!
「那美どの、すまぬ。このまま皆の所まで戻ろう。」
「…はい。」
―― この人、伊月さんの優しさを利用して、何するつもり?
私は警戒しつつも、女性をおぶって歩き始めた伊月さんの後を歩く。
「このような所で、女人一人で何をなされている?」
伊月さんが女性に声をかけると、仲間と別れてしまって、探しているのだと、言う。
さらに、「一人になってしまって、どうしていいのかわからなくて…」などと、いかにも泣きそうな声を出して、伊月さんの背中に頬をすり寄せた。
―― な、な、何なの!!
イラつきながら後ろを歩く私のことは、ここにいないも同然のように眼中にないらしい。
やがて皆の姿が見えると、平八郎さんが私達に気付いて、手を振ったので、私も手を振り返した。
この嫌な感じの女性の近くにいたくなくて、私は思わずそのまま平八郎さんの方に走って行った。
「な、那美どの?」
伊月さんが私の名前を呼んだけど、知らない。
私のイライラは結構ピークに達している。
ようやく、伊月さんが小川の近くで女性をおろすも、その人は伊月さんの袖をつかんで引き留めた。
そのまま何やら話をしている。
―― もう、知らない!
「な、那美様、大丈夫ですか?」
むくれている私の顔を平八郎さんが覗き込んだ。
「大丈夫です!水を飲んできます!」
そう言って、私は小川の下流の方にかけて行った。
竹の水筒に水を補給して皆の所に戻っていくと、護衛団の皆と談笑しているさっきの美女が見えた。
護衛団の皆はその美女にずいぶん見惚れているみたいで、へらへらしている。
―― 確かにきれいだけど、あの人は同性から嫌われるタイプの女性だよね!
私は、フン、と鼻をならした。
そして、その美女を囲むようにできた護衛隊の輪の中に伊月さんや清十郎さんがいないことに気付く。
―― あれ? 伊月さんはどこに行ったのかな?
そう思った時、目線の先の美女の体に重なって、うっすらと何かが見えた。
―― ん?
もう一度よく目を凝らして見ると、その美女と重なってタヌキが見える。
「あ、あの人、化けダヌキだ!!」
「やはり、そうか。」
「ぎゃー! んんん!」
いきなり後ろから声をかけられて、びっくりして叫びそうになった私の口を、押さえられた。
「しー。私だ。」
伊月さんだった。
そのまま伊月さんは私を皆から見えない岩陰に連れて行き、ようやく手を離した。
「び、びっくりしたじゃないですか!どこにいたんですか?」
「そなたを探していた。」
ふう、と私は一息ついた。
「おどろかせてすまなかった。」
伊月さんはポンポンと私の頭をなでながら、岩陰から化けダヌキが扮した美女と、その人を取り囲む護衛隊を覗き見た。
「しかし、よく化けダヌキと気づいたな。どう見ても人間にしか見えぬ。」
「これのおかげかな。」
私は夕凪ちゃんからもらったお守り袋を、帯の隙間から取り出して、伊月さんに持たせた。
「おぉ、これを持っておると、タヌキが見えるぞ!」
「やっぱり、これのお陰だったんですね。」
―― 夕凪ちゃんに感謝だな。
「なんと!男のタヌキだったのか!どでかい二つのアレまで下げているな!」
「そ、そんな所まで見なくていいじゃないですか!」
伊月さんは私にお守り袋を返すと、はぁと、大きなため息をついた。
「あれが私の背に乗っていたのか…」
と、言って、顔を青ざめさせて、身震いした。
「タヌキでも女だったらよかったんですか?」
「いや、そういう意味ではない!」
伊月さんは慌てて私の手を取った。
「そ、それより、今はあのタヌキを何とかせねば。」
「そ、そうですね。」
「大方、我らをだまして、荷物でも盗む気だろう。殺気は感じられぬ。」
「ど、どうしましょう?」
「荷を確認しに行こう。」
そう言って、私たちは馬をつないでいる所に行ってみる。
荷物の見張りをしている護衛隊の人に、さっきの女性と似たような着物の美女が話しかけている。
「やはり仲間がいたな。見張りと他の奴らを女で引き付けて、別の仲間が荷を盗む魂胆だな。」
伊月さんは小声で私に囁きつつ、向日葵畑の方を指さした。
「あ!」
花畑の陰にタヌキが3匹隠れているのが見えた。
全部で5匹だ。
「それにしても、男の人って美女に弱いんですねぇー、皆あんなにニマニマして。」
「ん…。鍛えなおさなければいかんな。」
伊月さんは舌打ちをした。
「那美どの、平八郎に、さっきの女を取り押さえるように言ってもらえぬか? 私はこっちの4匹を相手する。」
「わかりました。」
頼む、と言って、伊月さんが岩陰から出て行き、荷物の見張りと話している女性に向かって歩いて行った。
私も、他の護衛隊の人たちが集まっているところへ行き、平八郎さんを探した。
「あ、那美様!」
平八郎さんが私を見つけて、小走りにかけてきた。
「探しましたよ。主のお姿も見えないし。」
「平八郎さん、あの女性、化けダヌキなんです。」
「え?」
「皆の気をひいて、他の仲間のタヌキが荷物を盗もうとしていて、伊月さんはそっちを懲らしめています。あの女性を取り押さえるようにと言ってました。」
私が早口で事情を説明すると、平八郎さんは急いでさっきの女性に化けたタヌキの所に行き、皆に向かって叫んだ。
「その女をとらえよ! 盗賊の一味だ!」
「な、何?」
護衛隊の皆は抜刀して構える。
女は険しい顔をして、「よくも!」と叫んだ。
その瞬間、女の頭から角が出て、口から牙が出た。
「お、鬼だ! 般若だ!」
護衛隊の皆が少しひるんだ。
「違います!化けダヌキです!鬼じゃありません!」
私が叫ぶと、皆は、ハッとしたように、平静を取り戻し、般若顔の元美女にかかっていった。
平八郎さんはすぐさま「お前たちは荷物の確認と、主の援護を!」と言って数人を伊月さんの方へ送る。
そこに、さっきまで全然姿が見えなかった清十郎さんがどこからともなく現れた。
「那美様は私がお守りいたします。」
清十郎さんが言った。
「伊月さんの方に化けダヌキが4匹いました。」
「じゃあ、そちらに行きましょう。こちらはもう、かたがつきそうです。」
般若顔の元美女はとらえられて、ついに本当のタヌキの姿を現したみたいだった。
「うげー、こんな爺ダヌキだったのかー」と、皆が叫ぶのを聞きながら、私たちは伊月さんの方へと向かった。
「うわっ!」
護衛隊の人たちが女性に化けたタヌキと、他のタヌキ2匹を取り押さえていたけど、残りの一匹が、巨大な小入道に化けて暴れまわっている。
周りにいた旅行者たちも大慌てで逃げ惑って、パニック状態だ。
―― あれ、伊月さんはどこ?
そう思った瞬間、急に、そこにあった、欅の大木がガサガサと揺れた。
「うぉおぉおぉ!」
と、叫び声が聞こえ、声の方を見上げると、その欅の高い位置にあった木の枝から、伊月さんが飛び出てきた。
伊月さんの体はそのまま宙を舞いあがり、小入道の頭めがけて刀を振り下ろした。
―― い、伊月さんが飛んでる!!!
ゴン!!!!!
と、すごい音がして、伊月さんの刀は小入道の額に命中した。
その瞬間、小入道の体から煙が出て、小入道が小さなタヌキの姿になった。
伊月さんはしっかりきれいにシュタッと着地して、優雅に刀を収めている。
「逆刃で打っただけなので死んでいませんよ。」と、ハラハラしている私に清十郎さんが教えてくれた。
さっきの般若顔の元美女のタヌキを捕まえた他の護衛達の人たちも皆こちらに駆けつけてきた。
伊月さんが気絶して伸びている小入道のタヌキの首根っこを掴んで持ち上げると、まわりにいた旅行者も護衛隊の人たちも、皆が歓声をあげ、伊月さんに拍手を送った。
「おい、起きろ!」
伊月さんがタヌキの頬をペチペチと打つと、タヌキは目覚めた。
「ぎゃー助けて下さい!私たちが悪かったですーーー!」
と、涙目で手足をばたつかせた。
「それでは盗んだ物を全て返すように、そなたの仲間に言うのだ。さもなくばそなたをタヌキ鍋にして食ってやるぞ!」
「か、勘弁して下さい! お、お前ら―全部返せ!」
護衛隊の人たちに捕らえられていたタヌキたちが、それを聞いて、一斉に体をブルブルと震わせはじめた。
―― な、なに?
すると、タヌキたちの立派な二つのアレの間から、じゃらじゃらと色んなものが落ちてきた。
「ど、どこに隠していたんだ...」
伊月さんがゲッソリとした表情をした。
「あ、これは私の財布です!」
タヌキのあそこから落ちてきた物を見て、平八郎さんが叫んだ。
「あ、私の財布も! 印籠も! いつの間に!」
護衛隊の人たちや旅行者の人たちの物がずいぶんとスラれていたようだった。
皆はウゲーと言いながらも渋々自分の持ち物を拾った。
「ど、どうか、御勘弁をー。もう二度としません。」
タヌキは涙目で訴える。
「神に誓えるか?」
尽世では神に誓うというのは一大事だ。
この世では神がわりと身近にいて、神の怒りを買うと、本気で天罰が下る。
自分から神にした約束、神への誓いは絶対守らないと、何が起こるか分からない。
「ち、誓います!」
「よし、では、ここにいる、雷神の巫女、に宣告せよ。」
伊月さんはタヌキの首根っこを持ったまま、私の方に向けた。
「ら、雷神に誓います。もう二度と人の物を盗みませぬ!」
タヌキは震えながら言った。
―― ちょ、ちょっとかわいそう。
可愛いタヌキたちを見ると胸が痛むけど、盗みはやっぱり、ダメだよね。
伊月さんはタヌキを下すと、皆に捕らえていた他のタヌキたちも離すように言う。
「行け。」
そういうと、タヌキたちは一目散に逃げて行った。
旅行者たちはまた歓声を上げてパチパチと伊月さんに拍手喝采を送った。
―― やっぱり、伊月さん、カッコいい!
旅行者たちは伊月さん率いる護衛隊にお礼を言って、ひとしきり頭を下げて去って行った。