蝉がけたたましく鳴く、ある蒸し暑い日、私は手習い所のお仕事を終え、研究室に向かっていた。
ふと、厩に見知らぬ馬が止まっているのを見かける。
―― 誰が来てるんだろう?
不思議に思いながらも研究室でライターの出荷準備をする。
最近は無事にライターの商品化に成功して、製造過程を外注にして、大量生産に成功した。
と言っても、カムナ石は高価だし、貴重なので、今の私の資金だと500本が限界だった。
出来上がった商品を箱に詰めて、最終的に私のカムナリキを、ライターに埋め込まれた雷石に流し込んで、出来上がり、となる。
この商品を売り出すのに、オババ様に紹介してもらった『阿岐商会』という大きな商会と卸し売り契約を交わした。
夕凪ちゃんやオババ様や伊月さんの屋敷の人たちはもう随分と前から使っていて、レビューもなかなか良かった。
「明日はこのライターもいよいよ出荷かぁ。売れるといいな。」
製造元の証として、ライターの入った木箱に、オババ様の龍の焼印をいれた。
―― 完成!
そこに吉太郎がやって来た。
「あ、吉太郎、さっき厩に誰かの馬が止まってたんだけど。」
「亜の国主の使者だ。もう帰った。オババ様が那美を呼んでいる。」
「わかった。じゃあ今から屋敷に行くよ。お遣いありがとう。」
私が鳩せんべいをやると、吉太郎は嬉しそうにせんべいをくわえたまま飛び去った。
屋敷に戻ると、オババ様と夕凪ちゃんがいつものようにお茶しながらお団子を食べていた。
「おお、来たな。 火つけ具はどうじゃ?」
「もう出荷準備できましたよ。あとは、あの商人が明日取りに来てくれたらひとまずひと段落です。」
「あれ、便利よねー。 お陰で料理するのも、雪洞にあかりを付けるのも速くなった。」
そういう夕凪ちゃんの尻尾がふわふわと揺れている。
「ところで那美、生田、亜の国主の名だが、オヌシ、生田に呼ばれておるぞ。」
「え? 私がですか?」
―― 亜の国主の名前、生田って言うんだ。
「さっき伝令が来た。明日、城に来てほしいということじゃ。」
「一体どうして?」
「那美ちゃん、悋気で雷を落として、飛竜を倒したでしょう? あの噂が国主様にも届いたらしいよ。」
「えぇぇ? でも、それでなんで呼ばれるんです?」
「ワシの予測では二つの理由がある。まず、生田はカムナ巫女を恐れている。オヌシにどれだけの力があるのか確かめて、脅威に値すると見れば、その後、何かしらの動きを見せるはずじゃ。」
「監視されるとか、ですか?」
「監視、拘束、監禁、暗殺、色々じゃ。」
「え!? それって結構ヤバいんじゃないですか? 監禁とか暗殺とかかなり物騒な言葉が当たり前のように…」
「まぁそれも強力なカムナリキを持ったものの宿命だ。だが安心しろ。策を講じてやる。」
―― 一向に安心できないんだけど…
「オババ様も色んな国の国主から沢山殺されそうになったことがありますよねー。」
と、夕凪ちゃんが懐かしい思い出みたいに語る。
「そんなことがあったなぁ。あいつらではワシに太刀打ちできないとわかるまではな。」
「確かにオババ様を敵に回すなんて命知らずですね。そ、それで、私がお城に呼ばれる二つ目の理由は?」
「帝国の預言者たちが強力なカムナリキを持つ巫女の話を聞いて、異界から来たものだと確信し、いよいよオヌシを探しにやって来たという理由だ。」
「そ、それで、どっちの理由の方が有力候補ですか?」
「うむ、2つ目の理由の方が大きい。伊月によると、帝国の使者が先日から亜国に訪れ、亜城は接待で大変な騒ぎなのだとか。ただ、生田はオヌシが危険人物かどうかを確かめたい気持ちもあるので、様子を伺ってくるだろう。」
「わ、私はどうしたらいいですか?」
「今夜、伊月を呼ぶ。その時に策を立てよう。」
「は、はい。」
その夜、伊月さんがオババ様の屋敷にやって来た。
久しぶりに見る伊月さんに無意識に胸が高鳴る。
―― 今日もカッコいいなぁ。
「…と、いうことだ。どう思う?」
オババ様が伊月さんに、明日、私がお城に行くことになった経緯を説明している。
「那美どのが異界から来たことを朝廷の使者に伝えた方いいと思います。そうすれば、朝廷が那美どのを庇護することになり、国主が那美どのに害をなすのは難しくなるでしょう。」
「ワシも同意見じゃ。」
「あの、そうすれば、私は都に住むことになるんですか?」
「いや、オヌシの今のカムナリキを操る力と、ここで築き上げたものをもってすれば、朝廷にも互角に交渉できるぞ。」
「え?」
「朝廷に協力する代わりに、都には住まぬと言えばいい。朝廷も納得せざるを得まい。」
「しかし、那美どのがタカオ山にとどまり続ければ、生田への警戒も怠れないですね。」
「まぁ、あやつは相当に阿呆だからな。時々予想外の阿呆なことをする。」
―― 行動が予想できないくらい阿呆なんだ…
「那美、オヌシはタカオ山のカムナ巫女じゃ。カムナ巫女は神に祝福され、神のために何らかの役割を果たすものだ。いくら国主といえど、カムナ巫女を簡単にどうこうできるものではない。神の怒りを買うからだ。」
「…はい。」
「いかなる国境にも縛られずともよく、いかなる国主の命令であっても、神の意思に背くものであれば従う必要はない。迷ったら、雷神に聞くことだ。」
「雷神に?」
「ああ。必要な時に必要な事をいうのが神だ。」
「そ、そうなんですね。」
「まぁ、とりあえずは 拘束されそうになったり、監禁されそうになったら、早々にカムナリキを使って逃げることだ。」
「はい…。」
私が頷くと、伊月さんが私の顔を覗き込む。
「それから、出される食べ物や飲み物には手をつけぬこと。」
―― 毒殺の危険があるってことだよね。
私は唇をきゅっと結んで頷く。
「あとは、色男が寄ってきて籠絡しようとしても落ちぬことじゃ。」
「え?? そ、それはありえません!」
「まぁ、オヌシには伊月しか見えておらんからのう。ははは!」
「オ、オババ様、からかいすぎです!」
伊月さんがオババ様に抗議する。
「ところで、朝廷に協力するってどうすればいいんですか?」
「基本的には有事の際には都に行き朝廷を守るという約束をすることじゃ。」
「それだけですか? 忠誠を誓うってことですか?」
「そうだ。きっと起請文を書かされる。雷神に誓いの言葉を立てるものだ。神との誓いはカムナ巫女にも背けぬからな。」
「なるほど。」
「それから、オヌシの来た世について色々と聞かれるであろうから、それについて答えられる範囲で答えれば良い。」
「答えられる範囲で…」
「ああ。オヌシのもたらす情報は必ず政に反映されるだろう。それを考慮してどんな情報を話し、どんな情報を話さないか、よく見極めねばらならない。オヌシが自分で判断するのだ。」
「うぅぅ、責任重大なんじゃないですか...。」
「これも異界人の、そしてカムナ巫女の宿命じゃ。」
「…はい。」
「ところで、伊月、内藤の件はどうなった?」
オババ様は私たちがここ数日、ずっと気にしていたことを聞いた。
「内藤は私の暗殺になどは特に興味がないです。内藤はただ自身の魔獣を操る力を売り込んで、金を得たいだけでした。 」
「じゃ、内藤を雇った人は…。」
「金払いが悪かったらしく、内藤はあっさり吐きました。 生田の側近の黒田という男だ。まぁ、もとはと言えば生田が黒幕です。生田《いくた》が黒田を使って私を殺せる者を探し出し、内藤と繋がった、というべきですね。」
―― ひどい!
「以前、内藤が江の国主と組んだのも金のためか?」
オババ様も興味深そうに聞く。
「はい。江の国主と組んで、亜の大池砦を制圧しようとしましたが、暴風雨と雷で兵が全滅したので、神の怒りを買ったと思い、内藤と手を切ったそうです。」
「うむ。賢いな。神の怒りを買ったのは本当じゃ。」
「やはり、あの江国との小競り合いの時に起こった雷も那美どのが・・・」
漢字
「ああ。まさしく。」
二人はそろって私の方を見た。
「え? 私、その時、気絶してたんじゃ?」
「別に意識がなくとも、オヌシの力を媒体として神が人界に影響を及ぼすことが出来る。特に、オヌシ、あの数珠を持っておったのだろう?」
「あ、そうです。」
―― それが、巫女は神の意思に従うってことなのかな…
「で、内藤は、江の国主から金がもらえなくなり、今度は亜の国主と組んだ、ということじゃな。」
「そうです。 しかし、魔獣を操る術については、なかなか吐きません。 清十郎と堀の見立てでは、先のかどわかし事件と、内藤の魔獣を操る術、何か関係がありそうです。」
「そういえば、内藤は盗賊団を作って、そこに清十郎さんが潜入していたと言っていましたね。」
「そうじゃったな。それで、女に変装した清十郎に那美が悋気を起こし・・・」
「オ、オババ様!今それ、関係ないじゃないですか!」
オババ様は私の恥ずかしがる様子を見てゲラゲラ笑う。
「ワシも悋気を起こして色々とやらかしたことがあったが、那美も同類だったな!」
「な、何か、オババ様と同類って言われると...」
「嬉しいであろう?」
「は、はい、嬉しいような、そうでないような?」
「と、とにかく!」
伊月さんが見かねて話題を変えた。
「明日、那美どのが登城する際に聞かれるであろう質問を考えてみましょう。」
その後もしばらく、伊月さん、オババ様、は私の登城が問題なくいくように、色々と策を講じた。
夜も更け、伊月さんが帰るというので、私はお見送りすると言って、伊月さんと一緒に厩まで歩くことにした。
「今日は源次郎さん、一緒じゃないんですね。」
「今日は清十郎が来ている。」
「え?? え?? いつからですか? どこに??」
周りをキョロキョロしていると、伊月さんが立ち止まって、私の両手をそっと取った。
「那美どのに会うたびに源次郎が近くにおっては、かなわんからな。今日は清十郎に遠くから護衛させている。」
「あの・・・それってどうして・・・」
「こうしたいからだ。」
「あ…」
伊月さんは身をかがめた。
私の顔に自分の顔を近づけ、唇が届きそうなところで止まった。
「口づけたい。いいか?」
そんなの許可なくしたっていいのに、ともどかしく思いながら、私はコクリとうなずく。
伊月さんは一瞬優しい笑みを漏らして、そっと私に優しく口づけた。
「明日、会見が終わるころ、城に迎えに行く。」
「…はい。」
伊月さんは行こうとしたけど、私は繋いでいた伊月さんの両手を手を離さなかった。
久しぶりに会えたのに、せっかく近くに誰もいないのに、あまりにもあっさりしたキスが物足りなくて、引き留めたい衝動にかられてしまった。
そのまま伊月さんの手をきゅっと握って、見つめるけど、私の気持ちは伝わらないみたいだった。
「ん? どうした?」
「あの…。」
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言わぬとわからぬぞ。」
―― あ
伊月さんはニヤっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
―― きっとこの人は分かってる。分かってて、わざと言わせようとしてるんだ!
「ず、ずるいです。」
「何のことだ? ほら、言いたいことがあるなら言え。」
伊月さんはもう一度身をかがめて、顔を近くまで寄せた。
―― やっぱりわかってるんじゃない!
でも、私から言うまではしてくれそうもない。
「も、もう一度…。」
「もう一度、何だ?」
「く、口づけて...ほしいです。」
私は恥ずかしさを押し殺しながら言った。
伊月さんは満足そうな笑みを浮かべて、また、軽くチュっと短くキスをした。
「あっ、あのっ…」
「どうした? まだ足りぬのか?」
―― 絶対わざとしている!
伊月さんのいたずらっ子のような笑みを見て、私は少しむくれてみせた。
「わ、わかってるくせに…、伊月さん、意地悪です!」
「あぁ、もう、ダメだ。睨んでいる那美どのも可愛い。」
そう言って、伊月さんは私の腰を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。
「私の負けだ。私の方が我慢ならん。」
そう言うと、また顔を近づけて、そっと囁く。
「どこかで清十郎が見ているかもしれぬぞ。」
「え…、ん!」
伊月さんは私の言葉を待たずに口づけた。
とても長くて、とても優しいキスだった。
「また明日、城で会おう。」
「はい。」
そう言って黒毛に乗って去って行く伊月さんの後ろ姿を見送った。
―― 清十郎さんって本当にすごい忍なんだな。
―― 全然どこにいるかわからないや。
―― でも、見られてないといいけどな...。
そんなことを考えながら、私は屋敷の中に戻った。
ふと、厩に見知らぬ馬が止まっているのを見かける。
―― 誰が来てるんだろう?
不思議に思いながらも研究室でライターの出荷準備をする。
最近は無事にライターの商品化に成功して、製造過程を外注にして、大量生産に成功した。
と言っても、カムナ石は高価だし、貴重なので、今の私の資金だと500本が限界だった。
出来上がった商品を箱に詰めて、最終的に私のカムナリキを、ライターに埋め込まれた雷石に流し込んで、出来上がり、となる。
この商品を売り出すのに、オババ様に紹介してもらった『阿岐商会』という大きな商会と卸し売り契約を交わした。
夕凪ちゃんやオババ様や伊月さんの屋敷の人たちはもう随分と前から使っていて、レビューもなかなか良かった。
「明日はこのライターもいよいよ出荷かぁ。売れるといいな。」
製造元の証として、ライターの入った木箱に、オババ様の龍の焼印をいれた。
―― 完成!
そこに吉太郎がやって来た。
「あ、吉太郎、さっき厩に誰かの馬が止まってたんだけど。」
「亜の国主の使者だ。もう帰った。オババ様が那美を呼んでいる。」
「わかった。じゃあ今から屋敷に行くよ。お遣いありがとう。」
私が鳩せんべいをやると、吉太郎は嬉しそうにせんべいをくわえたまま飛び去った。
屋敷に戻ると、オババ様と夕凪ちゃんがいつものようにお茶しながらお団子を食べていた。
「おお、来たな。 火つけ具はどうじゃ?」
「もう出荷準備できましたよ。あとは、あの商人が明日取りに来てくれたらひとまずひと段落です。」
「あれ、便利よねー。 お陰で料理するのも、雪洞にあかりを付けるのも速くなった。」
そういう夕凪ちゃんの尻尾がふわふわと揺れている。
「ところで那美、生田、亜の国主の名だが、オヌシ、生田に呼ばれておるぞ。」
「え? 私がですか?」
―― 亜の国主の名前、生田って言うんだ。
「さっき伝令が来た。明日、城に来てほしいということじゃ。」
「一体どうして?」
「那美ちゃん、悋気で雷を落として、飛竜を倒したでしょう? あの噂が国主様にも届いたらしいよ。」
「えぇぇ? でも、それでなんで呼ばれるんです?」
「ワシの予測では二つの理由がある。まず、生田はカムナ巫女を恐れている。オヌシにどれだけの力があるのか確かめて、脅威に値すると見れば、その後、何かしらの動きを見せるはずじゃ。」
「監視されるとか、ですか?」
「監視、拘束、監禁、暗殺、色々じゃ。」
「え!? それって結構ヤバいんじゃないですか? 監禁とか暗殺とかかなり物騒な言葉が当たり前のように…」
「まぁそれも強力なカムナリキを持ったものの宿命だ。だが安心しろ。策を講じてやる。」
―― 一向に安心できないんだけど…
「オババ様も色んな国の国主から沢山殺されそうになったことがありますよねー。」
と、夕凪ちゃんが懐かしい思い出みたいに語る。
「そんなことがあったなぁ。あいつらではワシに太刀打ちできないとわかるまではな。」
「確かにオババ様を敵に回すなんて命知らずですね。そ、それで、私がお城に呼ばれる二つ目の理由は?」
「帝国の預言者たちが強力なカムナリキを持つ巫女の話を聞いて、異界から来たものだと確信し、いよいよオヌシを探しにやって来たという理由だ。」
「そ、それで、どっちの理由の方が有力候補ですか?」
「うむ、2つ目の理由の方が大きい。伊月によると、帝国の使者が先日から亜国に訪れ、亜城は接待で大変な騒ぎなのだとか。ただ、生田はオヌシが危険人物かどうかを確かめたい気持ちもあるので、様子を伺ってくるだろう。」
「わ、私はどうしたらいいですか?」
「今夜、伊月を呼ぶ。その時に策を立てよう。」
「は、はい。」
その夜、伊月さんがオババ様の屋敷にやって来た。
久しぶりに見る伊月さんに無意識に胸が高鳴る。
―― 今日もカッコいいなぁ。
「…と、いうことだ。どう思う?」
オババ様が伊月さんに、明日、私がお城に行くことになった経緯を説明している。
「那美どのが異界から来たことを朝廷の使者に伝えた方いいと思います。そうすれば、朝廷が那美どのを庇護することになり、国主が那美どのに害をなすのは難しくなるでしょう。」
「ワシも同意見じゃ。」
「あの、そうすれば、私は都に住むことになるんですか?」
「いや、オヌシの今のカムナリキを操る力と、ここで築き上げたものをもってすれば、朝廷にも互角に交渉できるぞ。」
「え?」
「朝廷に協力する代わりに、都には住まぬと言えばいい。朝廷も納得せざるを得まい。」
「しかし、那美どのがタカオ山にとどまり続ければ、生田への警戒も怠れないですね。」
「まぁ、あやつは相当に阿呆だからな。時々予想外の阿呆なことをする。」
―― 行動が予想できないくらい阿呆なんだ…
「那美、オヌシはタカオ山のカムナ巫女じゃ。カムナ巫女は神に祝福され、神のために何らかの役割を果たすものだ。いくら国主といえど、カムナ巫女を簡単にどうこうできるものではない。神の怒りを買うからだ。」
「…はい。」
「いかなる国境にも縛られずともよく、いかなる国主の命令であっても、神の意思に背くものであれば従う必要はない。迷ったら、雷神に聞くことだ。」
「雷神に?」
「ああ。必要な時に必要な事をいうのが神だ。」
「そ、そうなんですね。」
「まぁ、とりあえずは 拘束されそうになったり、監禁されそうになったら、早々にカムナリキを使って逃げることだ。」
「はい…。」
私が頷くと、伊月さんが私の顔を覗き込む。
「それから、出される食べ物や飲み物には手をつけぬこと。」
―― 毒殺の危険があるってことだよね。
私は唇をきゅっと結んで頷く。
「あとは、色男が寄ってきて籠絡しようとしても落ちぬことじゃ。」
「え?? そ、それはありえません!」
「まぁ、オヌシには伊月しか見えておらんからのう。ははは!」
「オ、オババ様、からかいすぎです!」
伊月さんがオババ様に抗議する。
「ところで、朝廷に協力するってどうすればいいんですか?」
「基本的には有事の際には都に行き朝廷を守るという約束をすることじゃ。」
「それだけですか? 忠誠を誓うってことですか?」
「そうだ。きっと起請文を書かされる。雷神に誓いの言葉を立てるものだ。神との誓いはカムナ巫女にも背けぬからな。」
「なるほど。」
「それから、オヌシの来た世について色々と聞かれるであろうから、それについて答えられる範囲で答えれば良い。」
「答えられる範囲で…」
「ああ。オヌシのもたらす情報は必ず政に反映されるだろう。それを考慮してどんな情報を話し、どんな情報を話さないか、よく見極めねばらならない。オヌシが自分で判断するのだ。」
「うぅぅ、責任重大なんじゃないですか...。」
「これも異界人の、そしてカムナ巫女の宿命じゃ。」
「…はい。」
「ところで、伊月、内藤の件はどうなった?」
オババ様は私たちがここ数日、ずっと気にしていたことを聞いた。
「内藤は私の暗殺になどは特に興味がないです。内藤はただ自身の魔獣を操る力を売り込んで、金を得たいだけでした。 」
「じゃ、内藤を雇った人は…。」
「金払いが悪かったらしく、内藤はあっさり吐きました。 生田の側近の黒田という男だ。まぁ、もとはと言えば生田が黒幕です。生田《いくた》が黒田を使って私を殺せる者を探し出し、内藤と繋がった、というべきですね。」
―― ひどい!
「以前、内藤が江の国主と組んだのも金のためか?」
オババ様も興味深そうに聞く。
「はい。江の国主と組んで、亜の大池砦を制圧しようとしましたが、暴風雨と雷で兵が全滅したので、神の怒りを買ったと思い、内藤と手を切ったそうです。」
「うむ。賢いな。神の怒りを買ったのは本当じゃ。」
「やはり、あの江国との小競り合いの時に起こった雷も那美どのが・・・」
漢字
「ああ。まさしく。」
二人はそろって私の方を見た。
「え? 私、その時、気絶してたんじゃ?」
「別に意識がなくとも、オヌシの力を媒体として神が人界に影響を及ぼすことが出来る。特に、オヌシ、あの数珠を持っておったのだろう?」
「あ、そうです。」
―― それが、巫女は神の意思に従うってことなのかな…
「で、内藤は、江の国主から金がもらえなくなり、今度は亜の国主と組んだ、ということじゃな。」
「そうです。 しかし、魔獣を操る術については、なかなか吐きません。 清十郎と堀の見立てでは、先のかどわかし事件と、内藤の魔獣を操る術、何か関係がありそうです。」
「そういえば、内藤は盗賊団を作って、そこに清十郎さんが潜入していたと言っていましたね。」
「そうじゃったな。それで、女に変装した清十郎に那美が悋気を起こし・・・」
「オ、オババ様!今それ、関係ないじゃないですか!」
オババ様は私の恥ずかしがる様子を見てゲラゲラ笑う。
「ワシも悋気を起こして色々とやらかしたことがあったが、那美も同類だったな!」
「な、何か、オババ様と同類って言われると...」
「嬉しいであろう?」
「は、はい、嬉しいような、そうでないような?」
「と、とにかく!」
伊月さんが見かねて話題を変えた。
「明日、那美どのが登城する際に聞かれるであろう質問を考えてみましょう。」
その後もしばらく、伊月さん、オババ様、は私の登城が問題なくいくように、色々と策を講じた。
夜も更け、伊月さんが帰るというので、私はお見送りすると言って、伊月さんと一緒に厩まで歩くことにした。
「今日は源次郎さん、一緒じゃないんですね。」
「今日は清十郎が来ている。」
「え?? え?? いつからですか? どこに??」
周りをキョロキョロしていると、伊月さんが立ち止まって、私の両手をそっと取った。
「那美どのに会うたびに源次郎が近くにおっては、かなわんからな。今日は清十郎に遠くから護衛させている。」
「あの・・・それってどうして・・・」
「こうしたいからだ。」
「あ…」
伊月さんは身をかがめた。
私の顔に自分の顔を近づけ、唇が届きそうなところで止まった。
「口づけたい。いいか?」
そんなの許可なくしたっていいのに、ともどかしく思いながら、私はコクリとうなずく。
伊月さんは一瞬優しい笑みを漏らして、そっと私に優しく口づけた。
「明日、会見が終わるころ、城に迎えに行く。」
「…はい。」
伊月さんは行こうとしたけど、私は繋いでいた伊月さんの両手を手を離さなかった。
久しぶりに会えたのに、せっかく近くに誰もいないのに、あまりにもあっさりしたキスが物足りなくて、引き留めたい衝動にかられてしまった。
そのまま伊月さんの手をきゅっと握って、見つめるけど、私の気持ちは伝わらないみたいだった。
「ん? どうした?」
「あの…。」
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言わぬとわからぬぞ。」
―― あ
伊月さんはニヤっといたずらっぽい笑みを浮かべた。
―― きっとこの人は分かってる。分かってて、わざと言わせようとしてるんだ!
「ず、ずるいです。」
「何のことだ? ほら、言いたいことがあるなら言え。」
伊月さんはもう一度身をかがめて、顔を近くまで寄せた。
―― やっぱりわかってるんじゃない!
でも、私から言うまではしてくれそうもない。
「も、もう一度…。」
「もう一度、何だ?」
「く、口づけて...ほしいです。」
私は恥ずかしさを押し殺しながら言った。
伊月さんは満足そうな笑みを浮かべて、また、軽くチュっと短くキスをした。
「あっ、あのっ…」
「どうした? まだ足りぬのか?」
―― 絶対わざとしている!
伊月さんのいたずらっ子のような笑みを見て、私は少しむくれてみせた。
「わ、わかってるくせに…、伊月さん、意地悪です!」
「あぁ、もう、ダメだ。睨んでいる那美どのも可愛い。」
そう言って、伊月さんは私の腰を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめた。
「私の負けだ。私の方が我慢ならん。」
そう言うと、また顔を近づけて、そっと囁く。
「どこかで清十郎が見ているかもしれぬぞ。」
「え…、ん!」
伊月さんは私の言葉を待たずに口づけた。
とても長くて、とても優しいキスだった。
「また明日、城で会おう。」
「はい。」
そう言って黒毛に乗って去って行く伊月さんの後ろ姿を見送った。
―― 清十郎さんって本当にすごい忍なんだな。
―― 全然どこにいるかわからないや。
―― でも、見られてないといいけどな...。
そんなことを考えながら、私は屋敷の中に戻った。