伊月さんは、指切りしていた小指をそっと解くと、一瞬ため息をついて、私の頬に手を当てた。
「那美どのは、私と一緒にいて、後悔せぬか?」
「しません! 伊月さんこそ、後悔しないんですか? こんな雷女...」
「ははは。後悔は、しないが…。」
「が、何ですか?」
「雷を落とされぬように注意はする。」
「か、雷、落としませんよ! もう…ひどいです。」
「駄目だ。そんなふくれっ面も可愛いとしか思えぬ。」
伊月さんはいつになく優しく私に微笑みかけてくれる。
「そういえば、那美どのは、私がきちんと気持ちを伝えていないと言って怒っていた。」
「は、はい。」
「だが私も那美どのの気持ちをきちんと教えてもらってないぞ。」
「え?」
「キヨ、というか、清十郎に対して悋気を起こしているということしか聞いてない。」
「そっそれは、そこまで言えばわかるかなって…」
伊月さんはいたずらっ子みたいな笑顔を浮かべた。
「全然わからぬ。」
―― うっ。これは仕返しされてる気が...
「私はきちんと伝えたのだ。那美どのの気持も教えて欲しい。」
確かに伊月さんにはちゃんと気持ちを言えってせがんでおいて、自分が言わないのはフェアじゃない。
私は意を決して、伊月さんの手をきゅっと握って、伊月さんの目を真っ直ぐに見つめる。
「私、伊月さんのこと、好きです。すごく好きです....お慕い、しています。」
「うっ....」
その後、数秒沈黙が続いた。
沈黙に耐えられずに、うつむいた。
「ど、どうして黙ってるんですか? 恥ずかしいじゃないですか? 何か言って下さい。」
「その...、意外に那美どのの言葉の威力が大きくて…」
「な、何を言ってるんですか...」
「だめだ。」
伊月さんは優しく手のひらを私の頬に当て、私の顔を上向かせた。
「うつむくのを禁ずる。」
「で、でも。」
「那美どのは美しい。もっと顔を見たい。」
「は、恥ずかしいです。」
伊月さんはそのまま顔を寄せてきた。
私は思わず目を瞑った。
甘い予想を裏切らず、伊月さんの唇が私の唇に押し付けられた。
そして、軽く啄むようなキスを繰り返され、思わずため息が漏れる。
チュっと音を立てて伊月さんの唇が離れた。
「はぁ。」
と、ため息をついて、伊月さんは自分のおでこを私のおでこにくっつけた。
「さっきは、人前で、半ば強引に口づけてしまい、すまなかった。」
「あ、いえ…」
ドラゴンと戦ってる最中に、櫓の上で告白されてキスされたことを思い出し、急に恥ずかしさが募る。
「嫌だったか?」
伊月さんは、悪い事をして、叱られた子供のような顔をして私の目をのぞきこんでいる。
―― どうしよう、かわいい...
「い、嫌じゃないです。ビックリしたし、恥ずかしかったけど… でも、嬉しかったです。」
近距離にある伊月さんの目を見れなくなって、目線をそらした。
「あの時にやりたくても出来なかった事をやり直したい。」
「それってどんな... んっ!」
その瞬間、伊月さんがまた私にキスをした。
櫓の上でされたみたいに噛み付くようなキスだった。
すぐに伊月さんの熱い舌が私の唇を押し開いて口の中に入って来た。
始めての感覚にびっくりした。
身をよじり逃げようとするけど、後頭部を抑えられて逃げられなかった。
―― どうしよう...
伊月さんの激しいキスを必死で受け止めているうちに頭の奥がジンジン痺れてきた。
私の唇も、舌も、伊月さんに優しく食べられているような気がした。
言い知れない感覚に、肩が震えて、目に涙がたまった。
―― な、なんか、無理…
とろけるような感覚に、ふっと体の力が抜けた時、伊月さんはバッと体ごと私から離れた。
「え…」
急に止んだキスの嵐に呆然としていると、伊月さんは肩で息をしながら、苦しそうに言った。
「こ、これ以上はいかん…」
そして、すくっと立ち上がって、月に向かって「くそおおおおお」と叫び始めた。
―― な、何? なんかデジャブが…
わけがわからずに呆然としている私をよそに、伊月さんは叫び続けた。
それでも落ち着かなかったのか、岩の崖の上をウロウロ歩き回った。
―― く、熊みたい…
よくわからなかったけど、そんな伊月さんが可愛いと思ってしまった。
―― 私、何回この人のこと、可愛いって思っているんだろう。
暫くウロウロ歩いて深呼吸をして、伊月さんはまたどかっと床几に座った。
「す、すまん。」
「いえ。ふふふふ。」
「そ、そんなに笑うな。 私も、色々と不慣れなのだ。」
「ふふふ。すみません。でも、伊月さんのこと、可愛いって思っちゃって。ふふ。」
笑いをこらえられずにいると、伊月さんはビックリしたような顔をした。
「か、可愛い? わ、わ、私が?」
私がうんうん、と首を縦に振ると、伊月さんは目の周りを真っ赤にして、フイっと横をむいた。
「すみません。気を悪くしましたか?」
「いや、そうではない。ただ、驚いただけだ。」
そう言って、伊月さんはまた私の方に顔を向け、その瞬間にチュっとキスされた。
「ふ、不意打ち禁止です!」
「ははは。そろそろ、帰ろう。那美どのも疲れているだろう。オババ様にも怒られそうだ。」
「はい。」
私たちはまた黒毛にまたがって月の峠をあとにした。
伊月さんがとても近くにいて、伊月さんのいつものお香の香りがして、触れ合った体からあったかさが伝わってくる。
ドキドキするのに、安心もする、不思議な気分だ。
―― 幸せってこういうことなのかな。
私はこの幸せすぎる一瞬をかみしめて帰路についた。