「ん? 那美どの…それは?」
「え?」
私のことを抱きしめていてくれていた伊月さんが、不意に体を離した。
そして、私の懐を指さした。
離れていく温かさを少し寂しく思いながら、自分の胸元を見ると…、
「あ。つい嬉しくて、カムナリキがダダ漏れに…。」
着物の襟から、黄色い光が漏れている。
私は光っている雷石のついた数珠を懐から取り出した。
「あの時、櫓で何やら拾っていた物か?」
「そうです。これがないとカムナリキを使えないんです。」
私は光っている玉をそっと触って、漏れている自分のカムナリキを抑え込んだ。
「お、光が消えたな。」
「はい。持ってる時に、ちゃんと自分のカムナリキを制御しないと光ってしまうんです。」
そういって、私は数珠を伊月さんに見せた。
「これは…」
伊月さんは目を見開いて、数珠を手に取った。
「こ、これを、どこで手に入れた?」
「小さい時に知らない子供にもらったんです。」
伊月さんは数珠の隅々まで見た。
「もしかして、桜の木の下で、か?」
「え? どうしてそれを...」
「これは私が小さい頃、見知らぬ女児にあげた数珠に似ている。」
伊月さんと私は息を飲んで見つめ合った。
「もしかして、あの袴のお兄ちゃんは...」 「あの、不思議な着物の女児は...」
「伊月さんだったんですか?」 「那美どのだったのか?」
私達は同時に言った。
信じられなかったけれど、伊月さんが小さい時の思い出を話してくれた。
「その女児は私に不思議な菓子をくれた。見たこともない素材の包みに入った、溶ける菓子だ。」
「それはチョコレートです。いつも、いくつか持ち歩いてて…。ある日、桜の下で泣いている男の子がいて…。」
「な、泣いてなどおらぬ!」
「うふふ。その子もそう言っていました。お母さんがどこかに行ってしまったと、悲しそうでした。」
「その女児は、母親が生きていればいつか会えると言ったな。その女児の母親は3歳の時に亡くなったと...」
「あぁ、やっぱりあれは伊月さんだったんですね…。」
「信じられぬ…。」
私たちはしばらく驚きの眼差しでお互いを見つめていた。
私たちはずっと前にも会っていたんだ。
「あの時、あの場所で、尽世と、私のいた世界とが繋がっていたってことですか?」
「恐らくな…。全く不思議なことがあるものだ。」
伊月さんは前に、この尽世にやってくる異界人には何かしらの役目があると言っていた。
もしかしたら、伊月さんと私が出会ったことにも何かしらの意味があるのかもしれない。
伊月さんが、私の手を取って、手のひらにそっと数珠を乗せた。
「半分、夢じゃないかと思ってました。でも、この数珠があるから、夢ではないんだなって。」
「私も夢じゃないかと思っていた。もしくはその女児があやかしか何かかと思ったのだ。」
「あ、そういえば、人間か? って聞きましたよね!」
「そうだったな。あの場所に見知らぬ子供がいたのが不思議だったのだ。そして着ていた着物も変わっていたしな。」
「私の来た世界ではあれが普段着です。」
「それでは、空から落ちて来た時に着ていた着物は?」
「あれは卒業式っていう特別な時に着るものです。」
「そうか…。あの肩にかけていた妙な袋は…。」
「みょ、妙ってひどいです! ショルダーバッグですよ。」
「あ、いや、その、不思議な素材という意味だ。」
伊月さんはバツが悪そうに、またシュンとした顔をした。
でもすぐに何かを思いついたように顔を上げた。
「そういえば、那美どのはお祖母様と暮らしておったのだろう? 急にそなたがいなくなって心配しておられるのだろうな。」
「おばあちゃんは去年亡くなりました。最後の家族だったんです。父と母は3歳のときに事故で亡くなってて。」
「…そうか。すまぬことを聞いた。」
「いえ。いいんです。伊月さんはお母様と会えたんですか?」
「いや、あのまま生き別れて以来会っておらぬ。」
「そんな…。」
「でも生きておる。生きていればいつか会えるさ。そなたが言った言葉だ。」
伊月さんはそれから、あの時あったことを色々と話してくれた。
伊月さんは伊国の主城で生まれて、9歳までそこで暮らしていた。
お爺さんの時代には領土をどんどん拡大していて、小さく分かれていた領土を伊の国として基盤を築いた。
でもそのお爺さんが亡くなって、お父さんが家督を継ぐと、情勢が変わった。
「父は東の亜の国と協力して、西の於の国を滅ぼそうとした。伊の国は大国の亜と於に挟まれているからな。」
オババ様からも聞いたことがある。
亜と於がこのタマチ帝国では一番力がある国だ。
「しかし、亜と協力することに反対した母の兄、私の叔父にあたる人は、密かに於と通じていたのだ。」
「叔父様が謀反を?」
「そうだ。」
「もしかして、そのせいでお母様が追放されちゃったんですか。」
「そうだ。母方の親族全員が裏切り者とみなされ、殺されたり、島流しにされたり、国外追放となった。」
「そんな…。」
「父も苦肉の決断だったのだろう。一族から出る裏切りは何よりも厳しく罰せねば、いつか必ず痛い目を見るからな。」
やっぱり、ここは、私の感覚では到底に理解できない厳しい世界なんだ。
「その後、父が亜国から協力を得続けるため、私が人質に出された。」
何て壮絶な子供時代だろう。
身分とか、政治とかそんなの全く関係のない世界で生きていた私には想像もつかない。
「お父様は生きていらっしゃるんですか?」
「いや、数年前に死んだ。 原因不明だ。 表向きは病死だが、多分毒殺だ。」
「え? そ、そんな...」
伊月さんは唇をきゅっと結んで月を見た。
お仙さんやお仙さんのママ友たちの噂話で聞いたことがある。
伊の王子様、つまり、伊月さんは、人質として子供時代を過ごし、元服してからも伊には帰してもらえず、そのまま亜の国主に忠誠を尽くす将軍となるほかなかった。
それでも、自由な移動は許されず、厳しく監視され、一番戦果を上げているにも関わらず、領地をもらえず、亜の国主がくれる報酬もとても少ないらしい。
お父様が亡くなった時にすら、伊月さんは伊国に帰してもらえなかったんだ。
その代わりに亜王の甥にあたる人が伊国の国主として据えられたんだ。
ということは…
「もしかして…、 亜の国主がお父様を…?」
伊月さんは私を見据えて大きくうなずいた。
「多分そうだ。」
「ひどい…」
「いや、父の政が甘すぎただけだ。」
―― お父さんのことそんな風に言うなんて…
伊月さんは決して非情な人じゃない。
ただ、抱えているものがとても大きいんだ。
自分の父親の生死に関わる問題ですら、冷静に政治の問題として分析している。
「あのっ…。 今日、伊月さんを暗殺しようとした人って…」
「多分、内藤は雇われただけだ。 まぁ私には政敵が多いからな。」
伊月さんは、はははと笑いながら頭をかく。
「もしかして、内藤を雇って伊月さんを暗殺しようとしたのって、それも亜の国主が…」
「大いに有りうる。豊藤の家系を断絶したいだろうからな。そうすれば名実ともに伊の国は亜の国主の物となる。」
「そんな!」
伊月さんは、「那美どの…」と言いながら、体を私の方に向けて、真剣な眼差しを送ってくる。
「はい。」
「江の国境の小競り合いに行った時、那美どのが空から降ってきた日だ。あの日、小さな村に立ち寄った。」
そういって、記憶をたどるように、空を見上げた。
「その村で、ある預言者が神託を得たと言った。私が何か幸運の物を拾うという神託だった。」
「幸運の拾い物ですか?素敵な話ですね!それで、何か拾ったんですか?」
「そなたを拾った。」
「え?」
「その予言者はその拾い物は鳥のような物だと言った。そなたは空から降って来たし、千鳥柄の着物を着ていたし…。」
「私がその、鳥のような物だっていうんですか?」
「そうだと確信している。」
「他には何も拾わなかったんですか?」
「ああ。何も拾わなかった。」
伊月さんは、また、私の方を見ると、私の体を自分の方にそっと引き寄せた。
「それに、そなたが来てから、かどわかし事件も、翼竜退治も順調に進み、内藤も捕らえられたし、幸運の拾い物だったという他ない。それに…」
伊月さんは、私をそっと抱きしめた。
「そなたが来てから私はこの上なく幸せだ。」
「伊月さん…。」
私も伊月さんを抱きしめ返す。
「私も伊月さんに拾われた事は幸福でした。前にも言ったけど、ひどい人に発見されてたら売り飛ばされていたかもしれないし、それに、私も…とても幸せです。」
伊月さんは私の髪の毛をそっと撫でた。
「幼き頃にも会っていたとは、何かしらの縁を感じる。ただ…。」
伊月さんが私を抱きしめる腕に少し力が入った。
「ただ、何ですか?」
伊月さんが体を離し、私の顔をのぞきこむ。
「前に話したと思うが、私はいつか伊の国に帰りたいと思っている。その意味がわかるか?」
「つまり…亜の国主に、背くのですか?」
「そうだ。とても危険なことだ。」
「…はい。」
「亜に謀反し、伊に帰り、伊と亜を両方おさえる。それが私の当面の目標だ。」
「…はい。」
「一歩間違えれば一族郎党、反逆者として葬られる可能性がある。」
「…そう、でしょうね。」
「こんな私の人生に、那美どのを巻き込みたくはない。」
「え?」
「那美どのは私には勿体なさすぎる。」
「勿体ないって…そんなこと…。もしかして、そうやって私を突き離す気ですか? 」
「離れようとしたのだ。...でも出来なかった。」
「え?」
「那美どのを、危ないことには巻き込みたくないのに...。それでもそなたを手放せそうになくて困っている。」
「じゃあ、手放さないで下さい。」
私は伊月さんの大きな左手に自分の両手を重ねた。
「おとり捜査の時も、翼竜の時も、伊月さんの戦いぶりを見ました。伊月さんが日々どれだけ危ないことをしてるか理解しているつもりです。」
私の両手に伊月さんの大きな右手が被せられた。
そして、私の目をじっとのぞきこみ、真剣な強い語気で言う。
「もし、私のせいで危ない目に合ったら、すぐに私のことを捨てて逃げてほしい。」
伊月さんの右手がキュッと私の両手を包んだ。
「約束してほしい。」
私はどう答えていいかわからずにうつむいた。
私のことを切実に心配してくれているのは分かるけど、そんなのフェアじゃない。
「私は何よりそなたが傷つくのが耐えられぬ。」
私だって伊月さんが傷つくのが何より耐えられない。
でも、ここで約束できないって言ったら、伊月さんの重荷になるのかな。
―― だったら…
私は顔を上げて伊月さんの目を見据えた。
「約束します。本当に自分の命が危なくなったら、伊月さんのことなんて捨ててとっとと逃げてあげます。」
こんなに酷いことを言ったのに、伊月さんはホッとしたような顔をする。
そんな伊月さんを見て、泣きたい気持ちになった。
「その代わり、伊月さんも、私に二つ約束して下さい。それが条件です。」
「どんなことだ?」
「謀反するにも、政敵や魔獣と戦うにも、上手くやるって約束してください。私が伊月さんを捨てて逃げ出さなきゃいけないような、そんな状況にならないように、上手くやるって、約束して下さい。」
伊月さんは一瞬目を丸くして、すぐに真顔になった。
「それで、もう一つの条件は何だ?」
「多少の危ない状況でも、私は自分を守るくらいのカムナリキがあります。そこは少しくらい私の力を信じて頼ってもらいたいです。」
真剣に話をしているのに、伊月さんはフッと笑った。
「そうだな。そなたは強い。見た目がそうだから、時々忘れてしまう。」
「見た目が弱そうってことですか?」
「弱そうというか、可愛いということだ。」
「な、何ですか!人が真剣な話をしているのに!」
―― なんか、急に人のこと可愛いって連発で言って、伊月さんってこういう人だったっけ?
私が一人で焦っているのをよそに、伊月さんはまた真顔になった。
「わかった。約束しよう。そなたを危ない目に合わせないように最善を尽くす。多少の危機的状況においては、そなたの力を信ずる。」
そして、伊月さんは小指を差し出した。
「だがそれでも命に危険があったら、私との関係を断ち切り、生き延びること。約束だな?」
「...はい。」
伊月さんの小指に自分の小指を絡めた。
本当にそういう状況になったら、私は約束を破ってしまうかもしれない。
でも、そういう状況にならないように伊月さんが最善を尽くしてくれるって信じている。
「え?」
私のことを抱きしめていてくれていた伊月さんが、不意に体を離した。
そして、私の懐を指さした。
離れていく温かさを少し寂しく思いながら、自分の胸元を見ると…、
「あ。つい嬉しくて、カムナリキがダダ漏れに…。」
着物の襟から、黄色い光が漏れている。
私は光っている雷石のついた数珠を懐から取り出した。
「あの時、櫓で何やら拾っていた物か?」
「そうです。これがないとカムナリキを使えないんです。」
私は光っている玉をそっと触って、漏れている自分のカムナリキを抑え込んだ。
「お、光が消えたな。」
「はい。持ってる時に、ちゃんと自分のカムナリキを制御しないと光ってしまうんです。」
そういって、私は数珠を伊月さんに見せた。
「これは…」
伊月さんは目を見開いて、数珠を手に取った。
「こ、これを、どこで手に入れた?」
「小さい時に知らない子供にもらったんです。」
伊月さんは数珠の隅々まで見た。
「もしかして、桜の木の下で、か?」
「え? どうしてそれを...」
「これは私が小さい頃、見知らぬ女児にあげた数珠に似ている。」
伊月さんと私は息を飲んで見つめ合った。
「もしかして、あの袴のお兄ちゃんは...」 「あの、不思議な着物の女児は...」
「伊月さんだったんですか?」 「那美どのだったのか?」
私達は同時に言った。
信じられなかったけれど、伊月さんが小さい時の思い出を話してくれた。
「その女児は私に不思議な菓子をくれた。見たこともない素材の包みに入った、溶ける菓子だ。」
「それはチョコレートです。いつも、いくつか持ち歩いてて…。ある日、桜の下で泣いている男の子がいて…。」
「な、泣いてなどおらぬ!」
「うふふ。その子もそう言っていました。お母さんがどこかに行ってしまったと、悲しそうでした。」
「その女児は、母親が生きていればいつか会えると言ったな。その女児の母親は3歳の時に亡くなったと...」
「あぁ、やっぱりあれは伊月さんだったんですね…。」
「信じられぬ…。」
私たちはしばらく驚きの眼差しでお互いを見つめていた。
私たちはずっと前にも会っていたんだ。
「あの時、あの場所で、尽世と、私のいた世界とが繋がっていたってことですか?」
「恐らくな…。全く不思議なことがあるものだ。」
伊月さんは前に、この尽世にやってくる異界人には何かしらの役目があると言っていた。
もしかしたら、伊月さんと私が出会ったことにも何かしらの意味があるのかもしれない。
伊月さんが、私の手を取って、手のひらにそっと数珠を乗せた。
「半分、夢じゃないかと思ってました。でも、この数珠があるから、夢ではないんだなって。」
「私も夢じゃないかと思っていた。もしくはその女児があやかしか何かかと思ったのだ。」
「あ、そういえば、人間か? って聞きましたよね!」
「そうだったな。あの場所に見知らぬ子供がいたのが不思議だったのだ。そして着ていた着物も変わっていたしな。」
「私の来た世界ではあれが普段着です。」
「それでは、空から落ちて来た時に着ていた着物は?」
「あれは卒業式っていう特別な時に着るものです。」
「そうか…。あの肩にかけていた妙な袋は…。」
「みょ、妙ってひどいです! ショルダーバッグですよ。」
「あ、いや、その、不思議な素材という意味だ。」
伊月さんはバツが悪そうに、またシュンとした顔をした。
でもすぐに何かを思いついたように顔を上げた。
「そういえば、那美どのはお祖母様と暮らしておったのだろう? 急にそなたがいなくなって心配しておられるのだろうな。」
「おばあちゃんは去年亡くなりました。最後の家族だったんです。父と母は3歳のときに事故で亡くなってて。」
「…そうか。すまぬことを聞いた。」
「いえ。いいんです。伊月さんはお母様と会えたんですか?」
「いや、あのまま生き別れて以来会っておらぬ。」
「そんな…。」
「でも生きておる。生きていればいつか会えるさ。そなたが言った言葉だ。」
伊月さんはそれから、あの時あったことを色々と話してくれた。
伊月さんは伊国の主城で生まれて、9歳までそこで暮らしていた。
お爺さんの時代には領土をどんどん拡大していて、小さく分かれていた領土を伊の国として基盤を築いた。
でもそのお爺さんが亡くなって、お父さんが家督を継ぐと、情勢が変わった。
「父は東の亜の国と協力して、西の於の国を滅ぼそうとした。伊の国は大国の亜と於に挟まれているからな。」
オババ様からも聞いたことがある。
亜と於がこのタマチ帝国では一番力がある国だ。
「しかし、亜と協力することに反対した母の兄、私の叔父にあたる人は、密かに於と通じていたのだ。」
「叔父様が謀反を?」
「そうだ。」
「もしかして、そのせいでお母様が追放されちゃったんですか。」
「そうだ。母方の親族全員が裏切り者とみなされ、殺されたり、島流しにされたり、国外追放となった。」
「そんな…。」
「父も苦肉の決断だったのだろう。一族から出る裏切りは何よりも厳しく罰せねば、いつか必ず痛い目を見るからな。」
やっぱり、ここは、私の感覚では到底に理解できない厳しい世界なんだ。
「その後、父が亜国から協力を得続けるため、私が人質に出された。」
何て壮絶な子供時代だろう。
身分とか、政治とかそんなの全く関係のない世界で生きていた私には想像もつかない。
「お父様は生きていらっしゃるんですか?」
「いや、数年前に死んだ。 原因不明だ。 表向きは病死だが、多分毒殺だ。」
「え? そ、そんな...」
伊月さんは唇をきゅっと結んで月を見た。
お仙さんやお仙さんのママ友たちの噂話で聞いたことがある。
伊の王子様、つまり、伊月さんは、人質として子供時代を過ごし、元服してからも伊には帰してもらえず、そのまま亜の国主に忠誠を尽くす将軍となるほかなかった。
それでも、自由な移動は許されず、厳しく監視され、一番戦果を上げているにも関わらず、領地をもらえず、亜の国主がくれる報酬もとても少ないらしい。
お父様が亡くなった時にすら、伊月さんは伊国に帰してもらえなかったんだ。
その代わりに亜王の甥にあたる人が伊国の国主として据えられたんだ。
ということは…
「もしかして…、 亜の国主がお父様を…?」
伊月さんは私を見据えて大きくうなずいた。
「多分そうだ。」
「ひどい…」
「いや、父の政が甘すぎただけだ。」
―― お父さんのことそんな風に言うなんて…
伊月さんは決して非情な人じゃない。
ただ、抱えているものがとても大きいんだ。
自分の父親の生死に関わる問題ですら、冷静に政治の問題として分析している。
「あのっ…。 今日、伊月さんを暗殺しようとした人って…」
「多分、内藤は雇われただけだ。 まぁ私には政敵が多いからな。」
伊月さんは、はははと笑いながら頭をかく。
「もしかして、内藤を雇って伊月さんを暗殺しようとしたのって、それも亜の国主が…」
「大いに有りうる。豊藤の家系を断絶したいだろうからな。そうすれば名実ともに伊の国は亜の国主の物となる。」
「そんな!」
伊月さんは、「那美どの…」と言いながら、体を私の方に向けて、真剣な眼差しを送ってくる。
「はい。」
「江の国境の小競り合いに行った時、那美どのが空から降ってきた日だ。あの日、小さな村に立ち寄った。」
そういって、記憶をたどるように、空を見上げた。
「その村で、ある預言者が神託を得たと言った。私が何か幸運の物を拾うという神託だった。」
「幸運の拾い物ですか?素敵な話ですね!それで、何か拾ったんですか?」
「そなたを拾った。」
「え?」
「その予言者はその拾い物は鳥のような物だと言った。そなたは空から降って来たし、千鳥柄の着物を着ていたし…。」
「私がその、鳥のような物だっていうんですか?」
「そうだと確信している。」
「他には何も拾わなかったんですか?」
「ああ。何も拾わなかった。」
伊月さんは、また、私の方を見ると、私の体を自分の方にそっと引き寄せた。
「それに、そなたが来てから、かどわかし事件も、翼竜退治も順調に進み、内藤も捕らえられたし、幸運の拾い物だったという他ない。それに…」
伊月さんは、私をそっと抱きしめた。
「そなたが来てから私はこの上なく幸せだ。」
「伊月さん…。」
私も伊月さんを抱きしめ返す。
「私も伊月さんに拾われた事は幸福でした。前にも言ったけど、ひどい人に発見されてたら売り飛ばされていたかもしれないし、それに、私も…とても幸せです。」
伊月さんは私の髪の毛をそっと撫でた。
「幼き頃にも会っていたとは、何かしらの縁を感じる。ただ…。」
伊月さんが私を抱きしめる腕に少し力が入った。
「ただ、何ですか?」
伊月さんが体を離し、私の顔をのぞきこむ。
「前に話したと思うが、私はいつか伊の国に帰りたいと思っている。その意味がわかるか?」
「つまり…亜の国主に、背くのですか?」
「そうだ。とても危険なことだ。」
「…はい。」
「亜に謀反し、伊に帰り、伊と亜を両方おさえる。それが私の当面の目標だ。」
「…はい。」
「一歩間違えれば一族郎党、反逆者として葬られる可能性がある。」
「…そう、でしょうね。」
「こんな私の人生に、那美どのを巻き込みたくはない。」
「え?」
「那美どのは私には勿体なさすぎる。」
「勿体ないって…そんなこと…。もしかして、そうやって私を突き離す気ですか? 」
「離れようとしたのだ。...でも出来なかった。」
「え?」
「那美どのを、危ないことには巻き込みたくないのに...。それでもそなたを手放せそうになくて困っている。」
「じゃあ、手放さないで下さい。」
私は伊月さんの大きな左手に自分の両手を重ねた。
「おとり捜査の時も、翼竜の時も、伊月さんの戦いぶりを見ました。伊月さんが日々どれだけ危ないことをしてるか理解しているつもりです。」
私の両手に伊月さんの大きな右手が被せられた。
そして、私の目をじっとのぞきこみ、真剣な強い語気で言う。
「もし、私のせいで危ない目に合ったら、すぐに私のことを捨てて逃げてほしい。」
伊月さんの右手がキュッと私の両手を包んだ。
「約束してほしい。」
私はどう答えていいかわからずにうつむいた。
私のことを切実に心配してくれているのは分かるけど、そんなのフェアじゃない。
「私は何よりそなたが傷つくのが耐えられぬ。」
私だって伊月さんが傷つくのが何より耐えられない。
でも、ここで約束できないって言ったら、伊月さんの重荷になるのかな。
―― だったら…
私は顔を上げて伊月さんの目を見据えた。
「約束します。本当に自分の命が危なくなったら、伊月さんのことなんて捨ててとっとと逃げてあげます。」
こんなに酷いことを言ったのに、伊月さんはホッとしたような顔をする。
そんな伊月さんを見て、泣きたい気持ちになった。
「その代わり、伊月さんも、私に二つ約束して下さい。それが条件です。」
「どんなことだ?」
「謀反するにも、政敵や魔獣と戦うにも、上手くやるって約束してください。私が伊月さんを捨てて逃げ出さなきゃいけないような、そんな状況にならないように、上手くやるって、約束して下さい。」
伊月さんは一瞬目を丸くして、すぐに真顔になった。
「それで、もう一つの条件は何だ?」
「多少の危ない状況でも、私は自分を守るくらいのカムナリキがあります。そこは少しくらい私の力を信じて頼ってもらいたいです。」
真剣に話をしているのに、伊月さんはフッと笑った。
「そうだな。そなたは強い。見た目がそうだから、時々忘れてしまう。」
「見た目が弱そうってことですか?」
「弱そうというか、可愛いということだ。」
「な、何ですか!人が真剣な話をしているのに!」
―― なんか、急に人のこと可愛いって連発で言って、伊月さんってこういう人だったっけ?
私が一人で焦っているのをよそに、伊月さんはまた真顔になった。
「わかった。約束しよう。そなたを危ない目に合わせないように最善を尽くす。多少の危機的状況においては、そなたの力を信ずる。」
そして、伊月さんは小指を差し出した。
「だがそれでも命に危険があったら、私との関係を断ち切り、生き延びること。約束だな?」
「...はい。」
伊月さんの小指に自分の小指を絡めた。
本当にそういう状況になったら、私は約束を破ってしまうかもしれない。
でも、そういう状況にならないように伊月さんが最善を尽くしてくれるって信じている。