伊月(いつき)さんは黒毛に運ばせた床几(しょうぎ)を二つ岩肌に並べた。
その一つに私を座らせて、もう一つに自分が座った。
私がこの尽世(つくよ)に来たすぐのころは、二つの月がはっきり別れていたけど、最近は少しだけ二つの月の距離が縮まった気がする。
さみだれの季節も終わりを迎えたみたいで、晴れの日も多くなってきた。

「魔獣と内藤(ないとう)のせいで随分と予定が食い込んだな。」

「そうですね。」

今更ながら、私はすごく緊張していた。
今日一日、色んなことがあって、まだ頭が追いついていない。

武術大会を見て、ドラゴン倒して、告白されて、キスされて、戦勝会に参加して…目まぐるしすぎた。
あれから伊月(いつき)さんと一旦屋敷に戻って、月が出るまで待った。
その間、伊月(いつき)さんは湯あみをして、もう蝙蝠(こうもり)魔獣の血のついた着物から着替えた。
私もすっかり酔いがさめた。
今はやっと二人きりになって、この、月の見える峠に来た。
やっと周りが静かになったっていうのに、何を話していいかわからない。

「その反物(たんもの)打掛(うちかけ)にしたのだな。」

「あ、はい。」

色々ありすぎて忘れていたけど、この打掛(うちかけ)の出来具合を見て欲しかったんだ。

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんと、オババ様に教えてもらって作りました。着物を作ったのは初めてでしたが、どうでしょう?」

伊月(いつき)さんはそっと、私の打掛(うちかけ)(そで)の端を手に取って見た。

「よく仕立てられているし、とても似合っている。」

「今朝、伊月(いつき)さんに見せたかったんですけど、伊月(いつき)さんすぐにどこかに行ってしまって...。」

「すまん。」

伊月(いつき)さんはシュンとした顔を見せた。
皆がいる所では絶対に見せない顔だ。

―― なんだか、かわいい…

那美(なみ)どのは、私が遊び慣れてると言ったが、そんなことは断じてない。全く女人(にょにん)には慣れていない。」

「そ、そうなんですか?」

伊月(いつき)さんはなぜかドヤ顔で女性に慣れてない宣言したけど、私は少し信じられないといった語調で返した。

「今朝も、(ほり)に…、その…、那美(なみ)どのに見惚れていると図星を指されてしまい、あのような態度を...」

「ず、図星って…」

「正直、み、見惚れていた。その…、私の贈った反物(たんもの)が…とても、似合っているのも嬉しかった。」

伊月(いつき)さんはシュンとした顔のまま、少し頬を赤らめて言った。

―― 何、そんな照れ屋さんみたいな顔して… 思春期男子じゃないんだから!

そんな伊月(いつき)さんのぎこちない様子を見て胸の奥がキュンとする。

―― もしかして本当に女性慣れしてないのかな? でも…

「でも、伊月(いつき)さん、女性の好きそうな事とか、場所とか、物とか、良く知っていますよね。 この反物だって…。」

「それは…。」

伊月(いつき)さんは、少しすまなそうに、私に色々と裏話を教えてくれた。

城下に一緒に出かけた時に、オババ様の逢瀬指南書(おうせしなんしょ)をそのまま実践したこと。
源次郎(げんじろう)さんに(ふみ)の書き方を指摘され続けていること。
正次(まさつぐ)さんに女性が景色の良い所に連れて行ってもらうと、喜ぶと聞いたこと。
紫陽花の花園のことも正次(まさつぐ)さんがおススメしたデートスポットだったらしい。
他にも、清十郎(せいじゅうろう)さんに女性への|贈り物の選び方を教えてもらったこと。
私がキヨさんへのやきもちで、伊月(いつき)さんを避け続けていた時に、平八郎(へいはちろう)さんや八咫烏(やたがらす)さんに探りを入れたこと。

「そ、そんなことまで人に聞いたんですか?」

「そ、そうだ。すまん。」

私が知らない所で、伊月(いつき)さんは、私を喜ばせるために色んな人から色んなアドバイスを聞いたんだ。

「どうしよう…すごく嬉しいです。」

「そ、そうか? 源次郎(げんじろう)のように(しら)けた目を向けられるのではないかと思った。」

「そんなことないです! 伊月(いつき)さんがそんなに私のためにあれこれ考えてくれたなんて…すごく、嬉しいです。」

ふと、おとり捜査の時やドラゴンが現れた時の伊月(いつき)さんを思い出す。
伊月(いつき)さんは勇猛果敢で、すごく強い人だ。
体が大きくて、強面で、実際、敵を躊躇(ちゅうちょ)なく斬り捨てる怖い一面もある。
どんな危険な状態の時でも余裕酌酌(よゆうしゃくしゃく)で自信がたっぷりなのに…。

―― 女性のことでは自信がなくて、色んな人にアドバイスを求めていたなんて…。
―― 大人の男性に対してこういうのは悪いかもだけど…、伊月(いつき)さん、かわいすぎる。

私は愛おしさを込めて、伊月(いつき)さんの目を見つめた。
そして、罪悪感が押し寄せてきた。

「そんなに色々と考えてくれてたのに、遊び慣れてるなんて言って、ごめんなさい。」

「い、いや、それは構わぬ。」

伊月(いつき)さん、優しいし、強いし、カッコイイし、女の人にモテそうだし、きっと恋人の一人や二人、いるかなって…」

「なっ... そんな事は初めて言われた。」

伊月(いつき)さんはますます顔を赤くして、フイっと顔を背けた。

―― どうしよう、やっぱりカワイイ!

「恐ろしい、野蛮、鬼、獣、近寄りがたい、何を考えているかわからない。普通、皆は、私をそういう風に形容する。」

「強すぎて恐ろしい一面もあります。絶対敵にはしたくないです。」

いつか商人を片手で持ち上げた伊月(いつき)さんのチートレベルの強さを思い出して思わずクスクス笑ってしまった。
伊月(いつき)さんはそんな私を不思議そうに見ている。

確かに最初はちょっと近寄りがたいかもと思った。
それに時々、何を考えているかわからない時もある。
でもすぐに、ただ寡黙なだけで、本当は優しい人だって分かった。

「でも、鬼とか獣だなんて、ひどすぎます! 」

しばらく黙っていた伊月(いつき)さんが一瞬悲しそうな目をした。

「だが本当だ。鬼や獣と言われても仕方ない。殺傷が仕事のような物だ。」

そう言った伊月(いつき)さんの横顔があまりに苦しそうで私は言葉を失った。
伊月(いつき)さんは蝙蝠(こうもり)魔獣の群れをバタバタとあっという間に斬り捨てた。
沢山の兵を統率して巨大なドラゴンも殺した。

―― 戦となれば、ああいうことを人間相手にもしないといけないんだよね。

今日殺したのが魔獣じゃなくて人間だったら、今頃私は、普通の精神状態を保てなかったんじゃないかな。
でも、この世界はお人好しばかりでは生きていけないことも分かってる。
私は(かどわ)かされた女性たちの顔を思い浮かべた。
弱いとやられる。
ここはそういう弱肉強食の世界だ。

「確かに伊月(いつき)さんのお仕事はそういう仕事ですけど、それによって守られている人がいるはずです。」

伊月(いつき)さんはさっきの苦しげな表情を変えて私の方を向き、クスリと笑った。

那美(なみ)どのは私と正反対だな。皆に天女と呼ばれ、人が寄っていく。そして何を考えているかがすぐわかる。」

「皆に天女って呼ばれていませんよ。正次(まさつぐ)さんだけです。お世辞で軽いノリで言われているのは分かっています。」

「私も…。」

伊月(いつき)さんはそう言って、また顔を赤くしてフイっと顔を背ける。

「へ? 私も、何ですか?」

私は意味が分からずに伊月(いつき)さんの顔をのぞきこむと、伊月(いつき)さんはもっと顔を背けた。

「ちょっとー、どうしてそんなに顔を背けるんですか?私も、の後は何ですか?ちゃんと言って下さいよ。」

よくわからない伊月(いつき)さんの反応にプッシュしてみると、伊月(いつき)さんは決意を固めたように私の顔を見た。
真正面から見つめられて、今度は私の方が少し顔が赤くなる。

「私も、そう思っている。」

「そうって?」

話の流れが分からず小首をかしげる。

那美(なみ)どのが天女のようだと、思っている。」

「な... 何ですか、それ!」

今度は私の方が赤面して、顔を背けた。

「何故、顔を背ける?」

今度は伊月(いつき)さんが私の顔をのぞきこんだ。

「ふ、不意打ちすぎて、反則です。普段、そういうの、全然言わないのに!」

「ははは。そういうそなたは可愛いな。」

伊月(いつき)さんはそう言って、私の頬に手を当て、私の顔を自分の方に向けさせた。

「それにしても、まさか清十郎(せいじゅうろう)悋気(りんき)を起こされるとは思わなかったな。」

伊月(いつき)さんはまた思い出してはははと笑った。

「もう、笑わないで下さい! すごく恥ずかしいんですから。」

「恥ずかしがるそなたが可愛いから、わざと恥ずかしいことを言っている。」

―― 意地悪だな。永遠に封印したい黒歴史なんだけど…

「でも、清十郎(せいじゅうろう)さんの存在がなかったら、自分の気持に気付けませんでした。」

「ん? どういうことだ?」

「その…、自分がやきもちやいてるって分かって、それで、伊月(いつき)さんの事が…好きなんだって自覚して…」

言いながら恥ずかしくなって思わずうつむいてしまった。

「ならば清十郎(せいじゅうろう)には感謝しなければな。」

そう言って伊月(いつき)さんはいたずらっ子みたいな笑顔を作った。

「あの…伊月(いつき)さんは、どうなんですか?」

「どうって、何がだ?」

「だ、だから、いつ、気が付いたんですか? その…私のことが、す、好きって…。」

こういうの、聞くのは恥ずかしいんだけど、でもやっぱり気になる。
いつぐらいから気になってくれてたのかなー、とか…

「確実に気付いたのは、座禅をして、瞑想していた時だ。」

「へ?」

あまりに意外すぎる答えに私は唖然とした。

―― 恋心って座禅とか瞑想している時に目覚めるものなの!? 初耳だよ、そんなの!

太元法師(たいげんほうし)の話をしたのを覚えているか?」

「あ、はい。伊月(いつき)さんの先生ですよね?」

「ああ。この頃、気持ちがざわついていたので、座禅をして考えようと思って、太元法師(たいげんほうし)の寺に行ったのだ。」

―― ど、どうしよう、全然話が見えてこない。

「そして、自分自身との対話と、太元法師(たいげんほうし)との対話でやっとわかった。」

伊月(いつき)さんはそう言うと、そっと私の手を取った。

「な、何がわかったんですか…?」

「私の心をどうしようもなく乱しているのが那美(なみ)どのだということを。」

「え?」

意外過ぎる言葉に私の頭は追いついていかなかった。

―― な、何言ってるの、この人は!?

でも、気持ちはすぐに反応した。
伊月(いつき)さんの意外過ぎる言葉が嬉しくて、恥ずかしくて、いとおしくて、どうしていいかわからなくなった。

―― この人は太元法師(たいげんほうし)にまで恋愛相談したの? しかも大真面目な顔して...。

「顔が赤いぞ。」

「い、伊月(いつき)さんのせいです…。」

「やはり、可愛い。」

「もう、可愛いって言い過ぎです!…きゃ!?」

次の瞬間、伊月(いつき)さんは私をぎゅっと抱きしめた。
こういう時、どうしていいかよくわからないけれど、私もそっと手を伸ばして、伊月(いつき)さんの背中に回した。

―― あったかいな。

そして、二人何も言わず、しばらくそうしてた。