「伊月さんなんか、もう知りません! 月の峠にも二度と行きません!」
那美がわんわん泣き出し、伊月はうろたえた。
―― な、何が起こっている?
「あんなの、あんなの、上司と部下の関係を超えてます!」
「な、那美どの…。」
そこに清十郎がやって来た。
「主!内藤の居場所が大体わかりましたが、さらに翼竜を呼んでおるようです!」
「作戦は一緒だ!一刻もはやく内藤を取り押さえろ。殺してしまっても致し方ない。」
清十郎は一度大きくうなずいて、すぐに櫓の下に消えて行った。
「伊月さんなんて嫌いです!ずるいです!うぅぅぅ...」
那美は状況が変化したことに気づいていないみたいで、泣き続けている。
「…な、那美どの、何を言って…?」
「殿!また翼竜が現れました!また、3体向かってきます!」
堀が声を上げた。
「何だと!? よし、非戦闘員を至急避難させろ!」
さっきの歓喜もつかの間、また翼竜が現れた。
―― 一度に使える翼竜は三体が限度のようだな。
「蝙蝠魔獣は来ないようだな。」
「そのようです。」
「那美どの、顔を上げてくれまいか? また翼竜が出たのだ。」
伊月は冷静に次の作戦を考えるが、まだ那美が泣きじゃくっている。
「うぅぅうぅ、伊月さんのばかぁ。私と月の峠に行った後にはきっと、キヨさんとまたどこか、デートに行くんでしょう?」
「な、那美どの? 一体何の話を?」
―― 翼竜は制する自信はあるが、那美どのを制する自信はないぞ!
伊月が那美の前であたふたしていると、堀が叫んだ。
「殿!この前と同じように、雷をたたえた雨雲が発生しました!」
「何?」
よく見ると、那美の頭上から雨雲が渦巻いて広がっている。
「那美どの? 雷を起こそうとしているのか?」
那美が雷のカムナリキを持っていると伊月と伊月の家臣も知っていて、その力を頼りにおとり捜査も協力してもらった。
「もしや、那美様が?」
源次郎も那美が雷雲の原因だと気づいたらしい。
伊月も源次郎もカムナリキでオババ様が雨を降らせるところを何度も見てきた。
オババ様は龍神の子で、水を操るカムナリキを持っている。
しかも天候を変えることができる程、尋常じゃない威力のカムナリキを持っている。
オババ様が天を仰ぐと雨雲が頭上に発生し、その雲が渦を巻いて、あたり一体に広がり、雨が降る。
そうやって、オババ様は雨乞いをして、色んな農村を助けてきた。
その現象によく似ていることが今、目の前で起こっている。
那美はただ、泣きじゃくって、「伊月さんの馬鹿」と怒りをぶちまけているが、その怒りの大きさを表すように雨雲がばっと広がった。
「那美どの一体どうして…?」
その瞬間、ドッと豪雨が降り、暴風が吹き荒れた。
「うぅぅ、伊月さんなんか嫌い! ばかばかぁ。」
「な、那美どの、もしや、私に怒ってこの暴風雨を?」
風と雨はさらに勢いを増していったが、那美と那美の近くにいる伊月の所だけ渦の中心にいるように雨も風も当たらない。
二人を雨と風の壁が囲んでいるようで、視界が遮られている。
―― これでは翼竜の状況が見えん!
「殿!翼竜の火も消えました!飛行もままならぬようです。」
翼竜の羽音が消え、雨と風と雷がゴロゴロとうごめいているような音以外には、那美の泣き声と、家臣の声だけが聞こえる。
「よ、よし、那美どののお陰だ。 そのまま槍を突き出せ。」
「しかし、我が軍も、この暴風雨で体制が取れませぬ!」
「うぅぅ、伊月さんなんか嫌い! ばかばかぁ。」
「主! 那美様に状況をお伝えできませんか?もう少し風を抑えて頂かなければ…」
雨の壁の向こうから、源次郎の声がした。
「な、那美どの。どうして怒っているのか、教えてくれぬか?」
「だって、だって、私、見たんです。聞いたんです。」
「何を?」
「キヨさんと伊月さんが、あんなに顔を近くに寄せて、耳元でささやき合ってるの!」
「それは...。」
「もう何も聞きたくないです!どうせ嘘しか言わないんです!」
「那美どのの知りたいことは全部、正直に話す。だが、今は、あの翼竜をどうにかせねば。どうにか気を収めてもらえぬか?」
「うぅぅぅぅ。翼竜翼竜って…魔獣なんて…」
那美の怒りが頂点に達したのか、那美の頭上の雲がより暗くより厚くなって渦巻く。
「ドラゴンなんて全滅してしまえばいいのよーーー!」
那美が泣きながら声を上げると、那美の体から雷光が上空に放たれた。
その雷光が空を覆った雲に駆け巡った。
その瞬間…
ドカーン!ドーン!ドドーン!
バリバリバリ! ドカーン!
ドカーン!
暫くの間、ものすごい轟音がなり響き、立て続けに雷が落ちた。
雷は狙ったように翼竜の体に落ちて、一瞬で3体の翼竜は全滅した。
ゴーンゴーンと、次々に翼竜がその巨体を地に打ち付け、地響きが暫くやまなかった。
那美と伊月を中心に出来た豪雨の壁せいで鳴り響く轟音は聞こえるが何も見えない。
「な、何が起きた? 戦況が見えぬ。」
「殿、翼竜は全滅いたしました!」
「おぉぉぉおお!!!」
「共舘軍に雷神のご加護ありーーー!」
豪雨の壁の向こうから、人々の歓声が聞こえる。
「殿、那美様に、雨風を弱めて頂けるようお頼みできませぬか?」
「ど、どうすれば?」
「那美様の怒りをお鎮め下さい!このままでは内藤の捜査ができません!」
伊月は那美を見つめた。
那美はまだ伊月の前で子供のように泣きじゃくっている。
「那美どの、誤解がある!キヨは私に暗殺者がいるかもしれないことをこっそり伝えていただけだ!」
「誤解じゃないです! 伊月さん、キヨさんに言ってました。好きだって言ってました。 聞いたんです!」
「那美どの、違う! 隙だ、隙を狙えと言ったのだ!」
「そんな嘘言わないで! これだから、大人の遊び慣れた男の人って信じられません!」
「あ、遊び慣れ…?」
「私、ちゃんと自分の気持ちを伝えたのに、伊月さんは私の事をどう思ってるか言ってくれなかったですよね?」
「そ、それは…」
「伊月さんの気持を言ってくれなかった理由が、今日のキヨさんとの会話でわかりました。」
「そ、そうか?」
「うぅぅ。私とのこと曖昧にしたままキヨさんともいい感じで…。 キヨさんと私、両天秤にかける気だったんですね!」
「誤解だ! 那美どの、大きな大きな誤解がある!」
「な、何も聞きたくないです。うぅぅうぅ。もう伊月さんなんて…」
「よく聞いてくれ。まず、キヨは男だ!」
「え?」
「あいつは優秀な忍びだ。内藤の盗賊団に潜入するために女の恰好をしていた。」
「え?」
那美がびっくりしたように目を見開いて一瞬固まった。
「おぉ、主!風が少し弱まって来ました!そのまま、もっと抑えて頂けませんか?」
「キヨの名前は清十郎という。女になっている時は、清十郎の一文字を取ってキヨと呼んでいる。」
「でも、でも、キヨさん、あんなに綺麗だし…」
「だが、清十郎は男で、私は女を好む!」
「おぉ、主!風が落ち着いたようです!そのまま、雨も押さえて頂けませんか?」
伊月は那美の両頬に手をそえて、驚愕する顔の那美をまっすぐに見た。
「そ、それに私の気持ちをそなたに伝えなかったのは、もう伝わっていると思ったからだ。」
―― それから、女人に好意を持ったことが初めてで、どうしていいかわからなかった、とは言えぬ。
「そんなの…。ぜんっぜん、伝わってないです!」
―― やはり、はっきり言わなければ、いけなかったのか。
「伊月さんの気持ちを教えて下さい! 私のこと、どう思ってるんですか?」
伊月は意を決して、那美を見つめ、声を大にした。
「私が恋い慕う女人は那美どのただ一人だ!」
伊月はそういうと、那美の頬にそえた手に力を込めて顔をぐいっと上向かせた。
「きゃっ」
「おぉ、主!雨が落ち着いてまいりました! あ!」
雨が弱まり、雨の壁がなくなり、伊月と那美の姿が見えた。
源次郎と平八郎は
―― み、見てはいけない気がする…
と、思い、思わず二人に背を向けた。
「私は那美どのをどうしようもないほど好いておる!」
伊月は半ば強引に那美の後頭部を引き寄せ、そのまま噛みつくように那美の唇を奪った。
「んんん!!!!????」
「おぉー殿!雨が完全に止みましたぞ!」
下階で堀が呑気に言ったのを聞いて、源次郎たちは二人を櫓に残したまま、下階に降りた。
「神の加護だぁぁぁぁ!」
周りで家臣たちが騒いでいるが、伊月と那美の周りだけ、時が止まったようだった。
伊月は熱く押し付けた唇をゆっくりと離して那美を見た。
那美は顔を真っ赤にしたまま硬直している。
「泣き止んだな。」
伊月は、ふっと笑顔を漏らす。
「殿! 雨雲が晴れて、日が差してまいりました!」
伊月は固まっている那美の乱れた髪の毛をそっと梳いた。
「このくらいでは一向に足りぬ。続きは後にする。」
苦しそうに掠れた伊月の声が那美の耳に直接注ぎ込まれた。
「殿!内藤を生け捕りにしました!」
「よし、勝鬨を上げろ!」
「おぉぉおぉおおおおおおお!」
戦闘員も非戦闘員も一斉に歓声を上げた。
完全に雨雲が晴れ、雲一つない青空が広がっていた。
――――
私はキヨさん、改め、清十郎さんに付き添われて、お化粧を直してもらう。
キヨさん、じゃなくて、清十郎さんは今は男の恰好をしている。
「はい、できましたよ、那美様。」
「あ、ありがとうございます。」
清十郎さんは鏡を見せてくれる。
女性の恰好をしていた時は背がすらっと高くてスタイルがいい美人だと思ったのだけど
男の人として見ると、小柄で華奢な優男って感じだ。
魔獣遣いの内藤が生け捕りにされた後、色々な事後報告をしに来たのがキヨさん、改め清十郎さんだった。
改めて、「うちの忍頭の清十郎という」と、伊月さんに紹介されて、キヨさんが本当に男だったとわかった。
―― 恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
私は今、武術大会の行われた会場の奥にある一室に控えている。
外では魔獣の死体の回収も終わり、生け捕りにした内藤丈之助も牢に入れられたらしく、色々と落ち着きを取り戻しているらしい。
―― あんなことがあった後なのに、皆、たくましいな。
競技に参加していた若者たちも、観客として来ていた豪族や武士たちも、皆、興奮が冷めやらぬ様子らしく、ずぶぬれなのも、血まみれなのも気にせず、現在、武術大会の受賞の儀、兼、戦勝祝いが行われているそうだ。
「オババ様には、お帰りが遅くなることを、伝令を送り伝えました。」
「あの、オババ様は何て?」
「明日は手習い所もお休みなのでゆっくり楽しむようにと仰せでした。」
「ありがとうございます。」
「次は御髪を直しますね。」
涙でぐちゃぐちゃになった私のメイクと、髪の毛を、清十郎さんが直してくれる。
女装慣れしてるからか、私よりもお化粧が得意だ。
「あの、ご迷惑をおかけして、すみません。」
「いいえ、迷惑なんてこれっぽっちも。それよりも、那美様はここにいる皆の命を救って下さいました。」
「いえ、私は…。」
正直に言ってあんまり覚えてない。
怒りで我を忘れて、伊月さんに思いのたけをぶつけまくったことは覚えている。
そのせいで雷を起こしてしまったらしいってのは源次郎さんから聞いた。
そして、伊月さんの気持ちが聞きたいと泣きじゃくって…
―― キ、キスされたんだ…
思い出して顔が真っ赤になる。
―― 恋《こ》い慕うとか言われたし! キャー!
自分の耳まで熱くなったのがわかった。
「お化粧も、御髪も整いました。主を呼んで参りますね。」
「あ、あの、私、まだ心の準備が…」
「あれだけ雷を落とされた方が、何をいくじのないことを仰せですか。」
清十郎さんはクスクスと笑って部屋を出て行った。
―― どんな顔をして伊月さんに会えばいいの?
「入るぞ。」
心の準備が整わないまま、部屋のふすまが開き、伊月さんが入ってきて、私の目の前に座った。
私は恥ずかしすぎて、うつむいたままだ。
「空気の抜けた紙風船のようにしぼんでおるな。」
そういって、伊月さんは私の顎を持って、俯いた私の顔をそっと上向かせる。
「す、すみません!」
「何故謝る?」
「だって...私、我を忘れて...。清十郎さんのことも女だって思って疑わなくて...。」
「それはそうだ。女じゃないとバレるようでは優秀な忍びとは言えない。」
「だけど、恥ずかしいです。 穴があったら入りたいです。」
「だが、そなたのお陰で、戦果も大きかった。」
「本当に、私が起こした雷なんですか?偶然なんじゃ…。」
「いや、私も源次郎もはっきり見た。那美どのの体から雷が放出されたのを。それにオババ様も那美どのの強力なカムナリキを感じて空を見上げると雨雲が広がっていたと言っていたらしい。」
「そ、そうですか...」
伊月さんがクスクス笑う。
「顔が真っ赤だ。」
「恥ずかしいです。悋気で我を忘れて雷を起こすなんて…」
「私はそんな那美どのが可愛く愛おしい。」
「え?」
「私のことであんなに怒られると思ってなかった。オババ様のげんこつよりも強烈だな。」
また伊月さんがおかしそうに笑いながら言う。
「もう、笑いごとじゃないです。」
―― アンガーマネジメントしないと!
そういえば、以前、オババ様が尽世の北の果に、悋気で大穴を開けたって言ってた。
それを聞いてビックリしてたんだけど、私も人の事言えないんじゃ…。
「皆、そなたの顔を見たがっている。一緒に戦勝祝いに来てくれぬか? けが人もいるから、軽く残りの酒を空けたら、皆、帰路に着く。」
「けがをした人たちは大丈夫なんですか?」
「ああ。皆、軽傷だ。それに、月を見に行く約束もまだ有効ということでいいか?」
「でも、後処理はいいんですか?」
「いい。」
伊月さんがきっぱりと言い切った。
私はコクリ、とうなづく。
伊月さんは私の手を取り、宴の広間へといざなう。
廊下の途中で伊月さんは不意に立ち止まって、私の顔を覗き込んだ。
「な、何ですか?」
「しーー」
伊月さんは私を黙らせて、チュっと軽く口づけた。
「な、何するんですか?」
「口づけた」
「そんなの言わなくてもわかります!」
伊月さんはあははと笑いながら広間の襖を開けた。
広間に入ると、歓声が上がった。
「那美様だ!」
「那美様、共舘様!万歳!」
私は皆に温かく迎え入れられた。
恥ずかしすぎる経験だったけど、一応誰かの役に立ったのだから、結果オーライでいいかな?
私は伊月さんをちらりと見ると、伊月さんも私の方を見ていた。
そして、そっと顔を寄せてささやいた。
「酒の勢いに任せていうが・・・・」
「何ですか?」
「今日の那美どのは、目が眩むほど綺麗だ。」
「なっ・・・・」
伊月さんはそれだけ言って、ふいっと横を向いて、他の武将たちと雑談し始めた。
―― ずるい。
でも嬉しさがあふれ出て思わず微笑む。
今朝は全然そんなこと言ってくれなかったのに、お酒の勢いがなければ言えないの?
そんな伊月さんが愛おしくて、おかしくなりそうだった。
那美がわんわん泣き出し、伊月はうろたえた。
―― な、何が起こっている?
「あんなの、あんなの、上司と部下の関係を超えてます!」
「な、那美どの…。」
そこに清十郎がやって来た。
「主!内藤の居場所が大体わかりましたが、さらに翼竜を呼んでおるようです!」
「作戦は一緒だ!一刻もはやく内藤を取り押さえろ。殺してしまっても致し方ない。」
清十郎は一度大きくうなずいて、すぐに櫓の下に消えて行った。
「伊月さんなんて嫌いです!ずるいです!うぅぅぅ...」
那美は状況が変化したことに気づいていないみたいで、泣き続けている。
「…な、那美どの、何を言って…?」
「殿!また翼竜が現れました!また、3体向かってきます!」
堀が声を上げた。
「何だと!? よし、非戦闘員を至急避難させろ!」
さっきの歓喜もつかの間、また翼竜が現れた。
―― 一度に使える翼竜は三体が限度のようだな。
「蝙蝠魔獣は来ないようだな。」
「そのようです。」
「那美どの、顔を上げてくれまいか? また翼竜が出たのだ。」
伊月は冷静に次の作戦を考えるが、まだ那美が泣きじゃくっている。
「うぅぅうぅ、伊月さんのばかぁ。私と月の峠に行った後にはきっと、キヨさんとまたどこか、デートに行くんでしょう?」
「な、那美どの? 一体何の話を?」
―― 翼竜は制する自信はあるが、那美どのを制する自信はないぞ!
伊月が那美の前であたふたしていると、堀が叫んだ。
「殿!この前と同じように、雷をたたえた雨雲が発生しました!」
「何?」
よく見ると、那美の頭上から雨雲が渦巻いて広がっている。
「那美どの? 雷を起こそうとしているのか?」
那美が雷のカムナリキを持っていると伊月と伊月の家臣も知っていて、その力を頼りにおとり捜査も協力してもらった。
「もしや、那美様が?」
源次郎も那美が雷雲の原因だと気づいたらしい。
伊月も源次郎もカムナリキでオババ様が雨を降らせるところを何度も見てきた。
オババ様は龍神の子で、水を操るカムナリキを持っている。
しかも天候を変えることができる程、尋常じゃない威力のカムナリキを持っている。
オババ様が天を仰ぐと雨雲が頭上に発生し、その雲が渦を巻いて、あたり一体に広がり、雨が降る。
そうやって、オババ様は雨乞いをして、色んな農村を助けてきた。
その現象によく似ていることが今、目の前で起こっている。
那美はただ、泣きじゃくって、「伊月さんの馬鹿」と怒りをぶちまけているが、その怒りの大きさを表すように雨雲がばっと広がった。
「那美どの一体どうして…?」
その瞬間、ドッと豪雨が降り、暴風が吹き荒れた。
「うぅぅ、伊月さんなんか嫌い! ばかばかぁ。」
「な、那美どの、もしや、私に怒ってこの暴風雨を?」
風と雨はさらに勢いを増していったが、那美と那美の近くにいる伊月の所だけ渦の中心にいるように雨も風も当たらない。
二人を雨と風の壁が囲んでいるようで、視界が遮られている。
―― これでは翼竜の状況が見えん!
「殿!翼竜の火も消えました!飛行もままならぬようです。」
翼竜の羽音が消え、雨と風と雷がゴロゴロとうごめいているような音以外には、那美の泣き声と、家臣の声だけが聞こえる。
「よ、よし、那美どののお陰だ。 そのまま槍を突き出せ。」
「しかし、我が軍も、この暴風雨で体制が取れませぬ!」
「うぅぅ、伊月さんなんか嫌い! ばかばかぁ。」
「主! 那美様に状況をお伝えできませんか?もう少し風を抑えて頂かなければ…」
雨の壁の向こうから、源次郎の声がした。
「な、那美どの。どうして怒っているのか、教えてくれぬか?」
「だって、だって、私、見たんです。聞いたんです。」
「何を?」
「キヨさんと伊月さんが、あんなに顔を近くに寄せて、耳元でささやき合ってるの!」
「それは...。」
「もう何も聞きたくないです!どうせ嘘しか言わないんです!」
「那美どのの知りたいことは全部、正直に話す。だが、今は、あの翼竜をどうにかせねば。どうにか気を収めてもらえぬか?」
「うぅぅぅぅ。翼竜翼竜って…魔獣なんて…」
那美の怒りが頂点に達したのか、那美の頭上の雲がより暗くより厚くなって渦巻く。
「ドラゴンなんて全滅してしまえばいいのよーーー!」
那美が泣きながら声を上げると、那美の体から雷光が上空に放たれた。
その雷光が空を覆った雲に駆け巡った。
その瞬間…
ドカーン!ドーン!ドドーン!
バリバリバリ! ドカーン!
ドカーン!
暫くの間、ものすごい轟音がなり響き、立て続けに雷が落ちた。
雷は狙ったように翼竜の体に落ちて、一瞬で3体の翼竜は全滅した。
ゴーンゴーンと、次々に翼竜がその巨体を地に打ち付け、地響きが暫くやまなかった。
那美と伊月を中心に出来た豪雨の壁せいで鳴り響く轟音は聞こえるが何も見えない。
「な、何が起きた? 戦況が見えぬ。」
「殿、翼竜は全滅いたしました!」
「おぉぉぉおお!!!」
「共舘軍に雷神のご加護ありーーー!」
豪雨の壁の向こうから、人々の歓声が聞こえる。
「殿、那美様に、雨風を弱めて頂けるようお頼みできませぬか?」
「ど、どうすれば?」
「那美様の怒りをお鎮め下さい!このままでは内藤の捜査ができません!」
伊月は那美を見つめた。
那美はまだ伊月の前で子供のように泣きじゃくっている。
「那美どの、誤解がある!キヨは私に暗殺者がいるかもしれないことをこっそり伝えていただけだ!」
「誤解じゃないです! 伊月さん、キヨさんに言ってました。好きだって言ってました。 聞いたんです!」
「那美どの、違う! 隙だ、隙を狙えと言ったのだ!」
「そんな嘘言わないで! これだから、大人の遊び慣れた男の人って信じられません!」
「あ、遊び慣れ…?」
「私、ちゃんと自分の気持ちを伝えたのに、伊月さんは私の事をどう思ってるか言ってくれなかったですよね?」
「そ、それは…」
「伊月さんの気持を言ってくれなかった理由が、今日のキヨさんとの会話でわかりました。」
「そ、そうか?」
「うぅぅ。私とのこと曖昧にしたままキヨさんともいい感じで…。 キヨさんと私、両天秤にかける気だったんですね!」
「誤解だ! 那美どの、大きな大きな誤解がある!」
「な、何も聞きたくないです。うぅぅうぅ。もう伊月さんなんて…」
「よく聞いてくれ。まず、キヨは男だ!」
「え?」
「あいつは優秀な忍びだ。内藤の盗賊団に潜入するために女の恰好をしていた。」
「え?」
那美がびっくりしたように目を見開いて一瞬固まった。
「おぉ、主!風が少し弱まって来ました!そのまま、もっと抑えて頂けませんか?」
「キヨの名前は清十郎という。女になっている時は、清十郎の一文字を取ってキヨと呼んでいる。」
「でも、でも、キヨさん、あんなに綺麗だし…」
「だが、清十郎は男で、私は女を好む!」
「おぉ、主!風が落ち着いたようです!そのまま、雨も押さえて頂けませんか?」
伊月は那美の両頬に手をそえて、驚愕する顔の那美をまっすぐに見た。
「そ、それに私の気持ちをそなたに伝えなかったのは、もう伝わっていると思ったからだ。」
―― それから、女人に好意を持ったことが初めてで、どうしていいかわからなかった、とは言えぬ。
「そんなの…。ぜんっぜん、伝わってないです!」
―― やはり、はっきり言わなければ、いけなかったのか。
「伊月さんの気持ちを教えて下さい! 私のこと、どう思ってるんですか?」
伊月は意を決して、那美を見つめ、声を大にした。
「私が恋い慕う女人は那美どのただ一人だ!」
伊月はそういうと、那美の頬にそえた手に力を込めて顔をぐいっと上向かせた。
「きゃっ」
「おぉ、主!雨が落ち着いてまいりました! あ!」
雨が弱まり、雨の壁がなくなり、伊月と那美の姿が見えた。
源次郎と平八郎は
―― み、見てはいけない気がする…
と、思い、思わず二人に背を向けた。
「私は那美どのをどうしようもないほど好いておる!」
伊月は半ば強引に那美の後頭部を引き寄せ、そのまま噛みつくように那美の唇を奪った。
「んんん!!!!????」
「おぉー殿!雨が完全に止みましたぞ!」
下階で堀が呑気に言ったのを聞いて、源次郎たちは二人を櫓に残したまま、下階に降りた。
「神の加護だぁぁぁぁ!」
周りで家臣たちが騒いでいるが、伊月と那美の周りだけ、時が止まったようだった。
伊月は熱く押し付けた唇をゆっくりと離して那美を見た。
那美は顔を真っ赤にしたまま硬直している。
「泣き止んだな。」
伊月は、ふっと笑顔を漏らす。
「殿! 雨雲が晴れて、日が差してまいりました!」
伊月は固まっている那美の乱れた髪の毛をそっと梳いた。
「このくらいでは一向に足りぬ。続きは後にする。」
苦しそうに掠れた伊月の声が那美の耳に直接注ぎ込まれた。
「殿!内藤を生け捕りにしました!」
「よし、勝鬨を上げろ!」
「おぉぉおぉおおおおおおお!」
戦闘員も非戦闘員も一斉に歓声を上げた。
完全に雨雲が晴れ、雲一つない青空が広がっていた。
――――
私はキヨさん、改め、清十郎さんに付き添われて、お化粧を直してもらう。
キヨさん、じゃなくて、清十郎さんは今は男の恰好をしている。
「はい、できましたよ、那美様。」
「あ、ありがとうございます。」
清十郎さんは鏡を見せてくれる。
女性の恰好をしていた時は背がすらっと高くてスタイルがいい美人だと思ったのだけど
男の人として見ると、小柄で華奢な優男って感じだ。
魔獣遣いの内藤が生け捕りにされた後、色々な事後報告をしに来たのがキヨさん、改め清十郎さんだった。
改めて、「うちの忍頭の清十郎という」と、伊月さんに紹介されて、キヨさんが本当に男だったとわかった。
―― 恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。
私は今、武術大会の行われた会場の奥にある一室に控えている。
外では魔獣の死体の回収も終わり、生け捕りにした内藤丈之助も牢に入れられたらしく、色々と落ち着きを取り戻しているらしい。
―― あんなことがあった後なのに、皆、たくましいな。
競技に参加していた若者たちも、観客として来ていた豪族や武士たちも、皆、興奮が冷めやらぬ様子らしく、ずぶぬれなのも、血まみれなのも気にせず、現在、武術大会の受賞の儀、兼、戦勝祝いが行われているそうだ。
「オババ様には、お帰りが遅くなることを、伝令を送り伝えました。」
「あの、オババ様は何て?」
「明日は手習い所もお休みなのでゆっくり楽しむようにと仰せでした。」
「ありがとうございます。」
「次は御髪を直しますね。」
涙でぐちゃぐちゃになった私のメイクと、髪の毛を、清十郎さんが直してくれる。
女装慣れしてるからか、私よりもお化粧が得意だ。
「あの、ご迷惑をおかけして、すみません。」
「いいえ、迷惑なんてこれっぽっちも。それよりも、那美様はここにいる皆の命を救って下さいました。」
「いえ、私は…。」
正直に言ってあんまり覚えてない。
怒りで我を忘れて、伊月さんに思いのたけをぶつけまくったことは覚えている。
そのせいで雷を起こしてしまったらしいってのは源次郎さんから聞いた。
そして、伊月さんの気持ちが聞きたいと泣きじゃくって…
―― キ、キスされたんだ…
思い出して顔が真っ赤になる。
―― 恋《こ》い慕うとか言われたし! キャー!
自分の耳まで熱くなったのがわかった。
「お化粧も、御髪も整いました。主を呼んで参りますね。」
「あ、あの、私、まだ心の準備が…」
「あれだけ雷を落とされた方が、何をいくじのないことを仰せですか。」
清十郎さんはクスクスと笑って部屋を出て行った。
―― どんな顔をして伊月さんに会えばいいの?
「入るぞ。」
心の準備が整わないまま、部屋のふすまが開き、伊月さんが入ってきて、私の目の前に座った。
私は恥ずかしすぎて、うつむいたままだ。
「空気の抜けた紙風船のようにしぼんでおるな。」
そういって、伊月さんは私の顎を持って、俯いた私の顔をそっと上向かせる。
「す、すみません!」
「何故謝る?」
「だって...私、我を忘れて...。清十郎さんのことも女だって思って疑わなくて...。」
「それはそうだ。女じゃないとバレるようでは優秀な忍びとは言えない。」
「だけど、恥ずかしいです。 穴があったら入りたいです。」
「だが、そなたのお陰で、戦果も大きかった。」
「本当に、私が起こした雷なんですか?偶然なんじゃ…。」
「いや、私も源次郎もはっきり見た。那美どのの体から雷が放出されたのを。それにオババ様も那美どのの強力なカムナリキを感じて空を見上げると雨雲が広がっていたと言っていたらしい。」
「そ、そうですか...」
伊月さんがクスクス笑う。
「顔が真っ赤だ。」
「恥ずかしいです。悋気で我を忘れて雷を起こすなんて…」
「私はそんな那美どのが可愛く愛おしい。」
「え?」
「私のことであんなに怒られると思ってなかった。オババ様のげんこつよりも強烈だな。」
また伊月さんがおかしそうに笑いながら言う。
「もう、笑いごとじゃないです。」
―― アンガーマネジメントしないと!
そういえば、以前、オババ様が尽世の北の果に、悋気で大穴を開けたって言ってた。
それを聞いてビックリしてたんだけど、私も人の事言えないんじゃ…。
「皆、そなたの顔を見たがっている。一緒に戦勝祝いに来てくれぬか? けが人もいるから、軽く残りの酒を空けたら、皆、帰路に着く。」
「けがをした人たちは大丈夫なんですか?」
「ああ。皆、軽傷だ。それに、月を見に行く約束もまだ有効ということでいいか?」
「でも、後処理はいいんですか?」
「いい。」
伊月さんがきっぱりと言い切った。
私はコクリ、とうなづく。
伊月さんは私の手を取り、宴の広間へといざなう。
廊下の途中で伊月さんは不意に立ち止まって、私の顔を覗き込んだ。
「な、何ですか?」
「しーー」
伊月さんは私を黙らせて、チュっと軽く口づけた。
「な、何するんですか?」
「口づけた」
「そんなの言わなくてもわかります!」
伊月さんはあははと笑いながら広間の襖を開けた。
広間に入ると、歓声が上がった。
「那美様だ!」
「那美様、共舘様!万歳!」
私は皆に温かく迎え入れられた。
恥ずかしすぎる経験だったけど、一応誰かの役に立ったのだから、結果オーライでいいかな?
私は伊月さんをちらりと見ると、伊月さんも私の方を見ていた。
そして、そっと顔を寄せてささやいた。
「酒の勢いに任せていうが・・・・」
「何ですか?」
「今日の那美どのは、目が眩むほど綺麗だ。」
「なっ・・・・」
伊月さんはそれだけ言って、ふいっと横を向いて、他の武将たちと雑談し始めた。
―― ずるい。
でも嬉しさがあふれ出て思わず微笑む。
今朝は全然そんなこと言ってくれなかったのに、お酒の勢いがなければ言えないの?
そんな伊月さんが愛おしくて、おかしくなりそうだった。