伊月(いつき)さんの屋敷で家事手伝いをする日々も終わりを迎えた。
いよいよ武術大会の準備も整い、源次郎(げんじろう)さんもずっとお家にいれるようになり、平八郎(へいはちろう)さんも一人で何でもそつなくこなせるようになって、私は手伝えることがほとんどなくなった。
少し寂しい気もするけど、伊月(いつき)さんたちが元の生活に戻って、落ち着きを取り戻し始めているのは嬉しい。

―― それにしても伊月(いつき)さんって本当に何を考えてるのかわからないな。

私はあの日、紫陽花(あじさい)の花園でキヨさんに焼きもちを焼いていたことを打ち明けた。
伊月(いつき)さんは、私のヤキモチを可愛いと言いながら、私の事を抱きしめてくれた。

―― 本当に幸せすぎてどうにかなるかと思った。

思わずニヤけそうになる自分の頬を両手でペチンと叩く。

―― でも...でも!

私は焼きもちを焼いてたってことを打ち明けた事で、伊月(いつき)さんのこと好きだって言外に言ったつもりだったんだけど…。
伊月(いつき)さんが私の事をどう思っているのか、とか、そういうのは教えてはくれなかった。
それに、ハグ以外の進展も、今のところ、ナシ。

―― もどかしすぎる!

あの長いハグの後、普通にタカオ山まで馬で送ってくれて、普通にさよならして、普通に次の日も伊月(いつき)さんの屋敷に行って家事手伝いやって、普通に伊月(いつき)さんと雑談した。

―― 少なくとも嫌がられてないっていうのは分かったんだけど…。

あまりにも今までと変わらなさ過ぎて拍子抜けしている。

―― もう少し何か言ってくれても良くない?
―― もしかして、何か駆け引きされてる?

と、あれから悶々と考えている。

「これだから大人の男の人ってずるい。」

―― 私、駆け引きみたいなの、出来ないのに。

一つだけ違ったことはあった。
いよいよ明日は武術大会で、私が伊月(いつき)さんの屋敷にお手伝いに来るのは最後の日という時、伊月(いつき)さんが来て、コッソリ私の耳元でささやいた。

「武術大会の後、月が出たらあの峠に行こう。」

「え? いいんですか? 武術大会のあとも忙しいんじゃ?」

「大丈夫だ。だが、みんなには内緒だ。」

伊月(いつき)さんの重低音ボイスが耳をくすぐって、秘密めいた逢瀬の約束にドキドキした。

―― もしかして、そこで少しは展開があるのかな?

なんて、淡い期待もある。

―― 明日は頑張っておしゃれしなきゃ。

そして、その日の夕方。

―― で、できた!!

私は伊月(いつき)さんにもらった反物で作った打ち掛けを目の前に広げた。

―― わぁ、きれい!!

障子(しょうじ)越しに届く柔らかな日の光に照らされて、刺繍模様がきらきら輝く。

―― これ、早く着たいな。

私は数日前に夕凪(ゆうなぎ)ちゃんとオババ様に反物を見せて、これで何を作ったらいいか相談した。

「おぉ、これは良い品じゃな。 伊月(いつき)もなかなかやるではないか。」

「可愛いですね!那美(なみ)ちゃん、やっぱり伊月(いつき)さんといい感じじゃない?」

「これを打掛(うちか)けにして、武術大会に着ていけばよい。」

「え、武術大会に、ですか?」

「うむ。これなら共舘(ともだて)家の客人として他の侍大将たちの前に出ても恥ずかしくないな。」

オババ様いわく、この武術大会は亜国(あこく)傘下の豪族(ごうぞく)たちを呼んで盛大に行うそうで、私も伊月(いつき)さんの客人として、位の高い武人たちとも会う機会がある。

「そ、そんな大事な会に私が行ってもいいのでしょうか?」

「良いから呼ばれたのだろう。まぁ、せいぜい伊月(いつき)に恥をかかせぬくらいには礼儀作法を教えてやる。」

「うっ...。自信がない...。」

「人間って堅苦しいのが好きだよねー。あぁ、化け狸の私には面倒くさいわぁ。」

夕凪(ゆうなぎ)ちゃんは尻尾を振りながら言った。

「でも、こんなに綺麗な反物で作った着物を着られるのはうらやましいな。那美(なみ)ちゃん、頑張ってね。」

夕凪(ゆうなぎ)ちゃん、ありがとう。」

私はオババ様と夕凪(ゆうなぎ)ちゃんに教えてもらいながら作った打掛(うちか)けをはおってみた。

―― わぁ。

思った以上に華やかだった。
豪華さのなかにも可愛さと上品さが共存している。

―― 間に合って、良かった。 それにしても…

伊月(いつき)さん、センスいいなぁ…。」

―― もしかして、女の人のプレゼント買い慣れてる?
―― ・・・いや、そういうことは今、考えない!

このところの伊月(いつき)さんとの曖昧な関係で増してきている不安を押し込めた。

――  明日の武術大会に集中しよう。

武術大会に行くのは緊張だけど、けっこう楽しみにしている。
そして、武術大会の後に月の峠に行くのは、もっと楽しみだった。

本当は伊月(いつき)さんと月の峠に行きたいって思ってたんだけど、伊月(いつき)が忙しいから、わがまま言えなかったって、言ったこと、覚えてくれてたんだな。

私は少しの緊張と多くの期待の中、眠りについた。