那美は、伊月、堀と一緒に、城下町の外れに来ていた。
すっかり夜も更けて、もう誰も外を歩いていない。
「理想を言えば、犯人を生け捕りにし、主犯が誰か吐かせることだが、」
伊月は那美の目を覗き込んだ。
「那美どの、そなたの安全が第一だ。もし危うくなったら犯人を殺してしまっても致し方ない。」
「は…い。」
今日から、那美のおとり捜査が始まる。
堀の調査で、過去の拐かし事件が発生した経歴から、次はこのあたりに犯人が来る可能性が高いと思われた。
「とは言え、予想の範囲を超えぬので、とりあえず、このあたりを那美様一人で歩き回って頂けませぬか?」
「何事もなければそれはそれでいい。」
「殿と私は陰で見守っています。他にも兵を伏せております。危なくなったらすぐに駆けつけますが、できれば犯人の拠点までたどり着きたく思っています。」
「はい。大丈夫です。行ってきます!」
「待て。」
伊月は行こうとする那美の腕を取った。
「無茶は禁物だ。乱暴なことをされたら、すぐにカムナリキで攻撃して逃げること。我慢しないこと。約束だ。」
伊月は右手の小指を突き出した。
それを見て、那美は大きく頷き、伊月の小指に自分の小指を絡めた。
「約束です。」
その様子を堀は不思議そうに見ていた。
那美は一人で路地を出て、外をうろつき始める。
今日は月に雲がかかっていて、提灯を持っていても、足元がよく見えない。
しばらくウロウロしていたが、何も起こらなくて、那美は調子が狂うなと思った。
ふと立ち止まって、空を見上げる。
―― 本当に誘拐犯、出るのかな?
と、那美が思った瞬間だった。
ガサガサっと足音がして、びっくりして後ろを振り向くと、黒い頭巾をかぶった男が三人現れた。
―― きゃ!
次の瞬間、那美は一人の男に羽交い締めにされ、口を布でおさえられた。
他の二人には腕と足をおさえられる。
「声を出すな。暴れれば殺す!」
男の声がする。
那美はうんうんと頷き、抵抗しない意思を表明する。
口を塞がれた布からは不思議な臭いがする。
―― これってずっと吸ってたら駄目なやつじゃ?
那美は息を止め、できるだけそれを吸い込まないようにすると同時に、体の力を抜き、意識を失ったふりをした。
男たちは那美の口から布を取り、体を抑えていた力を緩めた。
―― よし、力をゆるめてくれた。
―― このままアジトに連れて行かれればいいんだよね…?
那美の思惑通り、男たちは那美をどこかへ運び始めた。
「くそっ。」
伊月は今すぐ走り出して那美を助け出したい衝動を抑えている。
―― いくら那美が強力なカムナリキの持ち主だとしても、意識がない時に何かされたら抵抗できぬではないか!
「殿、ご辛抱を。」
堀が小声で諌める。
「わかっておる。」
黒頭巾の男たちは茅蓑で那美を包むと、肩に担いで運んだ。
伊月と堀は川岸に伏せている忍に鏡で合図を送る。
そして闇にまぎれ、那美を拐った男たちをつけた。
男たちは港の近くの倉庫街まで那美を運び、立ち並ぶ倉庫の一つに入る。
表に見張りの者が二人立っているが、隙だらけだ。
裏口に回ると、見張りはいない。
そこに先程の忍たちが合流し、そのうちの一人が屋根に登る。
壁に耳を当てると、人の声と足音がした。
伊月は堀にハンドジェスチャーを送る。
―― 中にいるのは少なくとも五人だ。
堀は頷き、忍と共に倉庫の表に回り、伊月は裏手で様子を伺った。
―― いたっ
那美は体を動かそうとするが、手足を縛っている縄が肌に喰い込み痛い。
周りを見ると、他にも女の人たちが手足を縛られて寝転がらさせられている。
皆、意識はあるようだったが、暗くてよく見えない。
声が出せないように口にも何かつけられている。
頭巾を取った男たちが暗がりの中でタバコを吸いながら何か話している。
「女に手出しは禁物だって言われてる。」
「バレるものか。」
「いや、その男には分かるらしいのだ。バレて殺された奴が片手で数えられねえほどいる。」
「ん…」
那美は体をくねらせて、背中を壁に預けた。
「そろそろ薬が切れたようだな。」
那美が動いたのに気がついた男が声をかけた。
「命が惜しければ大人しくしていることだ。」
それだけ言うと、また、男たちの会話が始まった。
那美はできるだけ小さなカムナリキを使って、後ろ手に縛られている縄をそっと焼き切った。
かすかだが、縄の焼けるにおいが立って、那美の横にいる女がそれに気づいたようだった。
男たちはタバコを燻らせていて、気づいてない。
那美は隣の女の人を見て、自由になった手で、人差し指を立て、「しー」っと、ジェスチャーをした。
女は恐怖から涙を浮かべているが、希望を見出したみたいに、ウン、と、うなずいた。
那美は両手を背中に隠し、縄を焼き切ったことを悟られないようにした。
そのまま隣の女の縄も、こっそり焼き切る。
その時、建物の奥の方から、扉を蹴り破る音がする。
男たちは慌てふためいて、武器を手に取った。
―――
伊月が裏口を蹴り、倉庫に押し入ると、中にいる者たちが騒ぎ始めた。
表に立っていた見張りが何事かと扉を開け、中を覗き込んだ瞬間、堀が後ろから頭をなぐりつける。
見張り二人は気絶し、地に這いつくばった。
忍達はこの二人に縄をかけて身柄を確保する。
堀は二人を踏みつけて中に押し入る。
建物の中にいる誘拐犯達は伊月の見立て通り五人だった。
すでに伊月が裏口に殺到した二人を地に転がして、同じように忍たちが身柄を抑えていた。
表口と裏口からの侵入者に、統率の取れていない犯人たちはパニックになっている。
倉庫の中央付近には那美を含めて女が8人いる。
那美は伊月たちを見ると安堵した顔をした。
那美はどさくさに紛れて、全ての女の手足を縛っていた縄を切っていた。
堀と伊月が残りの男達と刀を交えているうちに、忍がやってきて、女達を外に逃がす。
那美も外に出ようとするが、男の一人が那美の腕を掴み、ねじりあげた。
「い、いたぃ!」
「それ以上近づけばこの女を切る!」
男は伊月と堀を牽制して那美に短刀を向けた。
伊月も堀も忍びも動きを止めたが、その瞬間、
「やめて!」
と、那美がカムナリキを放出した。
バチバチッと雷の閃光が男の体に走って、男は体をビクンと一度くねらせ、そのまま意識を失い、その場に倒れた。
「那美どの、外に!」
「はい!」
那美が外に出ると、倉庫に囚われていた女たちは身を寄せ合ってすすり泣きはじめる。
「もう大丈夫です。」
那美は女たちに声をかける。
「あ、ありがとうございます。」
女たちは恐怖と安堵で震えていた。
履く物もなく裸足の者もいる。
着物も羽織っておらず、襦袢だけを着ている者もいた。
那美は自分の羽織っていた上着をその女にかけ、草履のない者に自分の草履を履かせた。
「でも、あなたは…。」
女は戸惑ったが、那美は「私は底厚の足袋をはいているから大丈夫。」と言ってゆずらなかった。
一人、足を怪我していて、思うように歩けない女がいて、伊月の忍がその女を背中に背負った。
そのうちに伊月と堀が倉庫から出てきた。
「那美どの、怪我は?」
「大丈夫です。ピンピンしてます。伊月さんは?」
「私も怪我はない。」
「良かった。」
「堀と一緒に、女達を連れて先に屋敷に戻ってくれるか?私は後始末をする。」
「はい。」
那美は堀と忍と一緒にみんなを連れて城下町へと入り、武家屋敷街へと入った。