那美に呼ばれた宴に行く直前、出かける準備をしていると、堀が伊月の屋敷にやって来た。
「良いですか、殿!」
そして、前のめりで言う。
「宴の前に、女人の甘やかし方を伝授いたします!」
「なぜだ?」
伊月は訝し気に眉根を寄せた。
「なぜって、伝授しなければ、あまりにも那美様が可哀そうだからです。」
「那美どのが可哀そう? ど、どういうことだ。」
適当にあしらってスルーつもりだったが、意外な堀の言葉に、伊月は少し耳を傾ける気になる。
「那美様はあんなに健気にも殿の事をお慕いされておりますのに、殿ときたら那美様の喜ぶようなことを全然言いませんし、致しません。」
「ちょ、ちょっと待て! まず、那美どのが私のことを慕っているというのはありえん。」
はぁぁぁ、と物凄いため息が聞こえて振り返ると、源次郎だった。
「主、女人のこととなると、なぜそんなにも鈍感なのですか!」
「は?」
「あんなに文をお互い書きあったり、お会いになった時も仲睦まじく…。那美様は主を一人の男として見ておいでです!」
源次郎が力を込めて言う。
「それは、私は男だからな。女には見えんだろ。」
「はぁ。私が言っていることはそういうことでは…」
源次郎がいつになく白らけた目を伊月に向けている。
「まぁ、とにかく、殿、今日は聞いて頂きます。女人の甘やかし方を!」
堀が詰め寄った。
「しっかり、堀様のお言葉をお聞きください、主!」
源次郎も詰め寄った。
―― ちゃんと聞かんと逃げられぬ雰囲気だな。
伊月は諦めて、居住まいをただした。
「よし、聞く。言え。」
「まず、いつもとは違う簪をしていたり、紅をひいていたりしたら、それを褒めることです。」
「どうやっていつもと違う紅とわかる?」
「日ごろからの観察でございます!分からぬ時はただ綺麗だと言えばよろしい。」
「そなたら、そういう、こっぱずかしいことを女人に普通に言えるのか?」
「もちろん。」「当たり前です。」
二人とも同時にキッパリと返事をした。
「次に、馬に乗せるとようございます。」
「何故だ?」
「二人の距離がグッと縮まります。」
「それは、女人のためではなく、己の下心のためではないのか?」
伊月が片眉を上げ、堀を見る。
「もちろんそれもありますが、女人は馬に乗る機会が少ないのです。馬に乗れるとなれば、きっと喜びます。馬をなでるだけでも嬉しがるものです。」
「…そうか。」
「堀様はいつもそうやって町娘を…」
「げ、源次郎どの、それは今はいいではないか。」
堀は焦ったように源次郎を諫めた。
―― 源次郎も堀も私の知らぬところで色々とありそうだな。
伊月は今までこの二人のそういうプライベートに興味もなかったが、今頃そんなことに気づき始めた。
「殿、そして、何より、場所が大切です。 景色の美しい所に連れて行くと女人は何より喜びます。」
「景色の良いところか…。 それなら、いくつか知っている。」
「お、その調子で御座います。 できるだけ人気のない所がおススメです。 二人でゆっくり話ができますから。」
「なるほど。一応、心に留めておく。」
―――
宴に着くと、なるほど、堀も源次郎も、そして八咫烏まで、女人に対してポンポン誉め言葉を言っている。
―― よくそういう歯の浮くようなことを言えるものだ。
そして、手習い所の若い女たちとすぐに打ち解けていた。
少し飽きれて観察していた伊月の元に那美が来て酌をした。
いつもより着飾って化粧をしている那美を見て、素直にきれいだと思ったが、それを素直に言えなかった。
―― 何故、堀たちはあんなにも、いとも簡単に口に出せる?
不思議に思いながら酒を飲んだ。
宴もたけなわとなり、皆が酔いつぶれ、思いがけなく那美と二人になったので、馬に乗りたいか聞いてみたら、いたく喜んでいた。
―― 堀の言ったこともまんざら嘘でもなかったな。
そうして馬に乗せたはいい物の…
―― こ、これはいかん!
那美の体を後ろから抱きしめているような形になってしまい、伊月は焦った。
月明りに照らされて、那美のうなじがなまめかしく見えた。
少し甘い花のようなにおいが那美の髪から香った。
一生懸命平静を装おうとするくらい一人ドギマギしているのに、那美は、「何だか、とても安心するな。」と言う。
―― この前、背中におぶった時もそうだったが、かなり安心されている…
伊月は複雑な気持ちだった。
源次郎は那美が伊月を男として見ていると言ったが、その割には安心しきって警戒心がない。
―― 男として意識していない証拠ではないか?
酔いが回ってきて、那美の目がとろんと溶けたようになる。
那美の顔が少し上気して、赤くなってきた。
うるんだ目で見つめられてどうしようもなく、胸をかき乱された。
どうしても酒でうるんだ那美の唇に目線が行ってしまう。
―― いかん、このまま一緒にいてはダメだ!
頭の中で警告がなり、那美から酒を没収して馬に乗せる。
那美のふらつく体を支えると、また、「伊月さんといると安心します。」などと言う。
―― やはり安心されているではないか!
と、思えば、「もっと…一緒に...いたいです。」などと言われる。
―― また、そういう事を言って私の心をかき乱す!
「なっ、も、もう黙っていろ。…て、寝たのか? お、おい。那美どの?」
伊月はスヤスヤ眠る那美の寝顔を見た。
気を失っていた時とは違う、安らかな寝顔だった。
部屋まで運び、布団に寝かせても、赤ん坊のように眠りこけて起きない。
―― ふっ。可愛いな。
こういう寝顔を見れたのだから、堀の助言はまずまずだったなと思い直した。
しばらく、そのまま寝顔を見守っていた。
「良いですか、殿!」
そして、前のめりで言う。
「宴の前に、女人の甘やかし方を伝授いたします!」
「なぜだ?」
伊月は訝し気に眉根を寄せた。
「なぜって、伝授しなければ、あまりにも那美様が可哀そうだからです。」
「那美どのが可哀そう? ど、どういうことだ。」
適当にあしらってスルーつもりだったが、意外な堀の言葉に、伊月は少し耳を傾ける気になる。
「那美様はあんなに健気にも殿の事をお慕いされておりますのに、殿ときたら那美様の喜ぶようなことを全然言いませんし、致しません。」
「ちょ、ちょっと待て! まず、那美どのが私のことを慕っているというのはありえん。」
はぁぁぁ、と物凄いため息が聞こえて振り返ると、源次郎だった。
「主、女人のこととなると、なぜそんなにも鈍感なのですか!」
「は?」
「あんなに文をお互い書きあったり、お会いになった時も仲睦まじく…。那美様は主を一人の男として見ておいでです!」
源次郎が力を込めて言う。
「それは、私は男だからな。女には見えんだろ。」
「はぁ。私が言っていることはそういうことでは…」
源次郎がいつになく白らけた目を伊月に向けている。
「まぁ、とにかく、殿、今日は聞いて頂きます。女人の甘やかし方を!」
堀が詰め寄った。
「しっかり、堀様のお言葉をお聞きください、主!」
源次郎も詰め寄った。
―― ちゃんと聞かんと逃げられぬ雰囲気だな。
伊月は諦めて、居住まいをただした。
「よし、聞く。言え。」
「まず、いつもとは違う簪をしていたり、紅をひいていたりしたら、それを褒めることです。」
「どうやっていつもと違う紅とわかる?」
「日ごろからの観察でございます!分からぬ時はただ綺麗だと言えばよろしい。」
「そなたら、そういう、こっぱずかしいことを女人に普通に言えるのか?」
「もちろん。」「当たり前です。」
二人とも同時にキッパリと返事をした。
「次に、馬に乗せるとようございます。」
「何故だ?」
「二人の距離がグッと縮まります。」
「それは、女人のためではなく、己の下心のためではないのか?」
伊月が片眉を上げ、堀を見る。
「もちろんそれもありますが、女人は馬に乗る機会が少ないのです。馬に乗れるとなれば、きっと喜びます。馬をなでるだけでも嬉しがるものです。」
「…そうか。」
「堀様はいつもそうやって町娘を…」
「げ、源次郎どの、それは今はいいではないか。」
堀は焦ったように源次郎を諫めた。
―― 源次郎も堀も私の知らぬところで色々とありそうだな。
伊月は今までこの二人のそういうプライベートに興味もなかったが、今頃そんなことに気づき始めた。
「殿、そして、何より、場所が大切です。 景色の美しい所に連れて行くと女人は何より喜びます。」
「景色の良いところか…。 それなら、いくつか知っている。」
「お、その調子で御座います。 できるだけ人気のない所がおススメです。 二人でゆっくり話ができますから。」
「なるほど。一応、心に留めておく。」
―――
宴に着くと、なるほど、堀も源次郎も、そして八咫烏まで、女人に対してポンポン誉め言葉を言っている。
―― よくそういう歯の浮くようなことを言えるものだ。
そして、手習い所の若い女たちとすぐに打ち解けていた。
少し飽きれて観察していた伊月の元に那美が来て酌をした。
いつもより着飾って化粧をしている那美を見て、素直にきれいだと思ったが、それを素直に言えなかった。
―― 何故、堀たちはあんなにも、いとも簡単に口に出せる?
不思議に思いながら酒を飲んだ。
宴もたけなわとなり、皆が酔いつぶれ、思いがけなく那美と二人になったので、馬に乗りたいか聞いてみたら、いたく喜んでいた。
―― 堀の言ったこともまんざら嘘でもなかったな。
そうして馬に乗せたはいい物の…
―― こ、これはいかん!
那美の体を後ろから抱きしめているような形になってしまい、伊月は焦った。
月明りに照らされて、那美のうなじがなまめかしく見えた。
少し甘い花のようなにおいが那美の髪から香った。
一生懸命平静を装おうとするくらい一人ドギマギしているのに、那美は、「何だか、とても安心するな。」と言う。
―― この前、背中におぶった時もそうだったが、かなり安心されている…
伊月は複雑な気持ちだった。
源次郎は那美が伊月を男として見ていると言ったが、その割には安心しきって警戒心がない。
―― 男として意識していない証拠ではないか?
酔いが回ってきて、那美の目がとろんと溶けたようになる。
那美の顔が少し上気して、赤くなってきた。
うるんだ目で見つめられてどうしようもなく、胸をかき乱された。
どうしても酒でうるんだ那美の唇に目線が行ってしまう。
―― いかん、このまま一緒にいてはダメだ!
頭の中で警告がなり、那美から酒を没収して馬に乗せる。
那美のふらつく体を支えると、また、「伊月さんといると安心します。」などと言う。
―― やはり安心されているではないか!
と、思えば、「もっと…一緒に...いたいです。」などと言われる。
―― また、そういう事を言って私の心をかき乱す!
「なっ、も、もう黙っていろ。…て、寝たのか? お、おい。那美どの?」
伊月はスヤスヤ眠る那美の寝顔を見た。
気を失っていた時とは違う、安らかな寝顔だった。
部屋まで運び、布団に寝かせても、赤ん坊のように眠りこけて起きない。
―― ふっ。可愛いな。
こういう寝顔を見れたのだから、堀の助言はまずまずだったなと思い直した。
しばらく、そのまま寝顔を見守っていた。