伊月は内心大いに焦っていた。
まず自分の屋敷に女が入ったことは一度もなかった。
実際はオババ様は入ったことが何度もあるが、伊月の中では女にはカウントされていない。
家人も伊月の家に出入りする者はみな男ばかりだ。
そんなむさ苦しい所に突如、花顔柳腰の女が現れ、鬼武者と言われる悪鬼顔の伊月とも怖がらずに談笑している。
源次郎も焦った。
この家で女人をどうもてなしていいか分からず、せっかく茶を淹れても、何やら女人と良い雰囲気の主の邪魔をしてしまったような気がする。
オババ様がその女人を連れ帰ると、源次郎はすぐに伊月に詰め寄った。
「あ、主! あのような方がお越しになると知っていれば、もっと前もって準備しましたものを!」
「な、何をムキになっておる? 私も知らなかったのだ。」
「し、しかし、あのような可憐な女人が来て、あ、主と、そのっ」
「あー、うるさいな。私が女人と話したのがそんなに珍しいか?」
「珍しいどころか、初めて見ました!」
「そ、それはそうだが...。とにかく、源次郎、落ち着け。ただの来訪者だ。」
「ただの来訪者などと、嘯かれましても。あのように睦み合っておいでではありませんでしたか。」
「睦み合っ!? ただ話していただけではないか! 」
「いいえ、私は見ました! せき込む主を気遣い、優しく背をなでるあの方を!主の事を怖がらず、かと言って野獣を見るような目でさげすみもせず、ニコニコと微笑みかけ、最後には『お友達になりました!』と嬉しそうに言っておいででした!!」
源次郎はまったく女っ気のない主の恋愛フラグを感じ取っていた。
「それに、主が那美様に口移しで薬を飲ませたことをお謝りになられた時も、まるでそれが嬉しかったことのように言われておいでで!!」
「いや、それは、私がきちんと説明せず、たぶん、口移ししたことは…。 そ、それに、そなた、どれだけ人の話を盗み聞いておる!」
「あぁ、こんなことなら洒落た茶菓子の一つも用意して、花の一輪も飾りとうございました。」
―― 聞いておらぬな。
「もう良い。さっさと仕事をしろ。」
伊月はむりやり源次郎を黙らせて下がらせた。
―― まったく、女人ごときで焦ってどうするのだ。
そしてそう自分に言い聞かせ、仕事に戻った。
次の日、また源次郎が騒ぎ出した。
「あ、あるじ、ふ、ふ、文が来ております。」
「何を焦っておる? 文など毎日来るではないか。」
「こ、これにございます。」
源次郎から渡された文は薄桃色の封筒に入っていて、可愛らしい丸文字で「伊月様へ」と書かれていた。
明らかに仕事の手紙ではないようだ。
裏をみると、「那美」と書かれている。
伊月の顔が少し赤くなった。
―― このような女子らしい趣の文をもらうのは何か、むぞがゆいな。
できるだけ平静を装って封を切り、中身を読んだ。
手紙の中には昨日の礼が書いてあり、伊月の教えた薬を作って今朝飲んだという報告だった。
カムナリキの修行はまだまだはかどらず、力を消耗するが、あの煎じ薬を飲むと力が回復すると書いてある。
―― そうか、それは良かった。
他にもとりとめもない事が色々と書き連ねてあった。
オババ様の暴挙奇行の様子や、神社にお参りにやって来る氏子たちとも会えたこと。
オババ様も、夕凪も、氏子たちも皆、優しくしてくれること。
氏子たちには、那美は江の国の田町という農村の出であるということになっていること。
―― 農村の出? あのような土一つ触ったこともないような手をしておいて、すぐにバレるぞ。
そう手紙にツッコミを入れたことで、那美のほっそりとして柔らかい手を思い出した。
―― わ、私は何を考えておる!
伊月が文を読みながら顔を赤らめ、焦っているように見えた。
―― 一体どんなことが書いてあるのか。
源次郎は伊月の様子を観察している。
―― 大体、主は女に耐性があるのか?
と伊月のことを心配もしている。
他にも、昨晩、野良猫が迷い込んできて、オババ様の眷属の鳩を追いかけ回したことなどが書いてある。
―― 何と他愛もない
フフっと伊月は無意識に笑っていた。
その様子を隣で見ていた源次郎は、おどろいた。
―― 女からもらった文を嬉しそうに読んでいる。
そんなデレっとした主の顔は今までに見たことがなかった。
主に届いたのは恋文であると確信した。
―― 主がお返事を書かれるのに使う紙も女人受けするものを用意せねば。紙に炊き込める香も花のような香りを...。
源次郎はひそかに心に決める。
文の最後には、『今朝、夕凪ちゃんと一緒に草餅を作ったので、皆さんでどうぞ。』と書かれていた。
「草餅?」
伊月がつぶやくと、源次郎が重箱を持ってきた。
「これも一緒に届きました。」
重箱を開けるとなるほど草餅だ。
さっそく一つ頬張る。
「うむ、これは旨いな。お前も食うか?」
「では、頂きます。うーん、これは美味しいですね。那美様は料理もお出来になるのか。」
そこに、庭に通じる裏門がガタガタと鳴り、誰かが入ってきた。
「殿、聞きましたぞ!」
慌ただしくやって来た男は、軍師の堀正次だった。
「なぜ、いつも裏門から入ってくる?」
「殿がお救いになられた女人が回復されたそうですな。」
―― 聞いておらぬな。
「ああ。昨日オババ様とここに来た。名は那美という。」
「那美様ですか。いやぁ、何やら大変に可愛らしい方だとか。」
―― 源次郎のやつめ何を言ったのだ。
源次郎を睨みつけるも、いっこうに意に介さず草餅を頬張っている。
堀の言葉には答えずに「ところで、」と話題を変えた。
「持ち帰った魔獣の屍はどうなった?」
「検死は進んでおります。しかし、魔獣使いの方の情報がつかめませぬ。」
「手がかりが少なすぎるな。厄介だな。引き続き情報収集を頼む。」
「は。では、私はこれで。」
堀は立ち去ろうとしたが、立ち止まり、振り返った。
「那美様は何かと要り用でしょうな。」
「は?」
「いや、新しい土地で新しい生活を始められるところです。色々と要り用でしょうな。いやいや、ふと、思っただけです。では、殿、失礼します。」
―― あいつめ。言外に何か言っておるな。
伊月は立ち上がった。
「源次郎、港町に行く。」
「あ、はい。お供します。」
まず自分の屋敷に女が入ったことは一度もなかった。
実際はオババ様は入ったことが何度もあるが、伊月の中では女にはカウントされていない。
家人も伊月の家に出入りする者はみな男ばかりだ。
そんなむさ苦しい所に突如、花顔柳腰の女が現れ、鬼武者と言われる悪鬼顔の伊月とも怖がらずに談笑している。
源次郎も焦った。
この家で女人をどうもてなしていいか分からず、せっかく茶を淹れても、何やら女人と良い雰囲気の主の邪魔をしてしまったような気がする。
オババ様がその女人を連れ帰ると、源次郎はすぐに伊月に詰め寄った。
「あ、主! あのような方がお越しになると知っていれば、もっと前もって準備しましたものを!」
「な、何をムキになっておる? 私も知らなかったのだ。」
「し、しかし、あのような可憐な女人が来て、あ、主と、そのっ」
「あー、うるさいな。私が女人と話したのがそんなに珍しいか?」
「珍しいどころか、初めて見ました!」
「そ、それはそうだが...。とにかく、源次郎、落ち着け。ただの来訪者だ。」
「ただの来訪者などと、嘯かれましても。あのように睦み合っておいでではありませんでしたか。」
「睦み合っ!? ただ話していただけではないか! 」
「いいえ、私は見ました! せき込む主を気遣い、優しく背をなでるあの方を!主の事を怖がらず、かと言って野獣を見るような目でさげすみもせず、ニコニコと微笑みかけ、最後には『お友達になりました!』と嬉しそうに言っておいででした!!」
源次郎はまったく女っ気のない主の恋愛フラグを感じ取っていた。
「それに、主が那美様に口移しで薬を飲ませたことをお謝りになられた時も、まるでそれが嬉しかったことのように言われておいでで!!」
「いや、それは、私がきちんと説明せず、たぶん、口移ししたことは…。 そ、それに、そなた、どれだけ人の話を盗み聞いておる!」
「あぁ、こんなことなら洒落た茶菓子の一つも用意して、花の一輪も飾りとうございました。」
―― 聞いておらぬな。
「もう良い。さっさと仕事をしろ。」
伊月はむりやり源次郎を黙らせて下がらせた。
―― まったく、女人ごときで焦ってどうするのだ。
そしてそう自分に言い聞かせ、仕事に戻った。
次の日、また源次郎が騒ぎ出した。
「あ、あるじ、ふ、ふ、文が来ております。」
「何を焦っておる? 文など毎日来るではないか。」
「こ、これにございます。」
源次郎から渡された文は薄桃色の封筒に入っていて、可愛らしい丸文字で「伊月様へ」と書かれていた。
明らかに仕事の手紙ではないようだ。
裏をみると、「那美」と書かれている。
伊月の顔が少し赤くなった。
―― このような女子らしい趣の文をもらうのは何か、むぞがゆいな。
できるだけ平静を装って封を切り、中身を読んだ。
手紙の中には昨日の礼が書いてあり、伊月の教えた薬を作って今朝飲んだという報告だった。
カムナリキの修行はまだまだはかどらず、力を消耗するが、あの煎じ薬を飲むと力が回復すると書いてある。
―― そうか、それは良かった。
他にもとりとめもない事が色々と書き連ねてあった。
オババ様の暴挙奇行の様子や、神社にお参りにやって来る氏子たちとも会えたこと。
オババ様も、夕凪も、氏子たちも皆、優しくしてくれること。
氏子たちには、那美は江の国の田町という農村の出であるということになっていること。
―― 農村の出? あのような土一つ触ったこともないような手をしておいて、すぐにバレるぞ。
そう手紙にツッコミを入れたことで、那美のほっそりとして柔らかい手を思い出した。
―― わ、私は何を考えておる!
伊月が文を読みながら顔を赤らめ、焦っているように見えた。
―― 一体どんなことが書いてあるのか。
源次郎は伊月の様子を観察している。
―― 大体、主は女に耐性があるのか?
と伊月のことを心配もしている。
他にも、昨晩、野良猫が迷い込んできて、オババ様の眷属の鳩を追いかけ回したことなどが書いてある。
―― 何と他愛もない
フフっと伊月は無意識に笑っていた。
その様子を隣で見ていた源次郎は、おどろいた。
―― 女からもらった文を嬉しそうに読んでいる。
そんなデレっとした主の顔は今までに見たことがなかった。
主に届いたのは恋文であると確信した。
―― 主がお返事を書かれるのに使う紙も女人受けするものを用意せねば。紙に炊き込める香も花のような香りを...。
源次郎はひそかに心に決める。
文の最後には、『今朝、夕凪ちゃんと一緒に草餅を作ったので、皆さんでどうぞ。』と書かれていた。
「草餅?」
伊月がつぶやくと、源次郎が重箱を持ってきた。
「これも一緒に届きました。」
重箱を開けるとなるほど草餅だ。
さっそく一つ頬張る。
「うむ、これは旨いな。お前も食うか?」
「では、頂きます。うーん、これは美味しいですね。那美様は料理もお出来になるのか。」
そこに、庭に通じる裏門がガタガタと鳴り、誰かが入ってきた。
「殿、聞きましたぞ!」
慌ただしくやって来た男は、軍師の堀正次だった。
「なぜ、いつも裏門から入ってくる?」
「殿がお救いになられた女人が回復されたそうですな。」
―― 聞いておらぬな。
「ああ。昨日オババ様とここに来た。名は那美という。」
「那美様ですか。いやぁ、何やら大変に可愛らしい方だとか。」
―― 源次郎のやつめ何を言ったのだ。
源次郎を睨みつけるも、いっこうに意に介さず草餅を頬張っている。
堀の言葉には答えずに「ところで、」と話題を変えた。
「持ち帰った魔獣の屍はどうなった?」
「検死は進んでおります。しかし、魔獣使いの方の情報がつかめませぬ。」
「手がかりが少なすぎるな。厄介だな。引き続き情報収集を頼む。」
「は。では、私はこれで。」
堀は立ち去ろうとしたが、立ち止まり、振り返った。
「那美様は何かと要り用でしょうな。」
「は?」
「いや、新しい土地で新しい生活を始められるところです。色々と要り用でしょうな。いやいや、ふと、思っただけです。では、殿、失礼します。」
―― あいつめ。言外に何か言っておるな。
伊月は立ち上がった。
「源次郎、港町に行く。」
「あ、はい。お供します。」