タカオ山にはけっこう雪が積もっているので、ゆっくりしか歩けなかった。
モフモフのマフラーに顔をうずめながら、伊月さんに手をひかれながら歩いた。
伊月さんは怒られてしまった子供のようにシュンとしている。
「那美どの…。さっきは、取り乱してしまって、見苦しい所を見せてしまった。」
「別にそれはいいんですけど…。それより、あまり、行きたくなさそうでしたね…。」
私は少し、不貞腐れて言った。
「そうではない。だが、私の言ったことのせいで、那美どのを傷つけてしまったと、オババ様が言った。」
「だって、伊月さん、私と時間を過ごすのが嫌そうだったので、嫌われたんじゃないかって一瞬思いました。」
「そんな! 嫌いになど、なるわけないだろう!」
伊月さんは私の手に指を絡めた。
「正直に言うから…笑うなよ?」
「わかりました。何ですか?」
伊月さんは意を決したように言う。
「二人きりになってしまえば、理性が飛んで、また、那美どのに変なことをするかもしれんと思ったのだ。」
「へ、変なことって、どんな事ですか?」
「そ、それは... この前、那美どのの部屋でしたような…。」
―― また、ああいうエッチなことしちゃいそうってこと?
あの夜のことを思い出して、自分の顔がブワっと熱くなった。
「那美どのの事は大切にしたいと思っている…。だが、那美どのと二人になってしまうと、どうしても忍耐がきかなくなる。」
―― 何なの、それ…
―― まるで、私とすぐにでも、そういうこと、したいみたいな…
「そういう自分をどうすればいいか、まだ分からぬのに、それなのに、いきなり、明日まで一緒に過ごせと言われて、余裕がなく、慌ててしまった。その…誠に、情けない。」
―― それで、あんなに焦ってたなんて...。
「た、大切にしてくれているのは…ありがとうございます。」
私はまだ、少し、不貞腐れて言った。
―― でも、私、あんなふうに、我慢できなくなった伊月さんのこと、嫌じゃないのに。
「でも、伊月さんって、困った人ですね。」
「…すまん。」
伊月さんの言葉が嬉しいのに、なんと返していいのかわからずに、意味不明なことを言ってしまう。
私もたいがい、不器用だ。
「ここだな。」
オババ様の地図通りに、私たちはタカオ山の北西の、結構頂上に近い場所に行った。
そこには、小さな鳥居と、見捨てられたような祠があって、「縁結び」と書いてあるボロボロの木の札があった。
「こんな小さな祠、本当に二人で入れるのかな...。」
不思議に思いつつも、伊月さんが護符をかざすと、祠の扉が開いた。
小さな祠を覗き込むと、中には無限大の真っ白な空間が広がっていた。
「す、すごい!まるで、別の世界につながっているみたいですね!」
二人でその空間に入ると、自動的に祠の扉が閉まった。
伊月さんが、入って来た扉を開けようとしたけど、開かなくなった。
「まるで閉じ込められたようだな。もしかしたら本当に明日の昼過ぎまで開かぬのかもしれぬ。」
真っ白な空間は、寒くも熱くもなかった。
「少し、歩いてみるか?」
しばらくその空間を二人で手を繋いで歩いていくと、扉が見えた。
伊月さんがその扉を開けると、そこには信じられない空間が広がっている。
「わ、私が前住んでいた家!」
私は思わず中を見て回った。
それは私が以前、日本に住んでいた時の家で、台所と居間、が再現されている。
「少し間取りが違うけど、日ノ本に住んでいた時と、ほぼ同じです!」
私は興奮して言った。
「記憶を再現するとオババ様が言っていたな。」
伊月さんは、物珍しそうに部屋の中を見回した。
「とりあえず、ゆっくりしますか?」
私は伊月さんと並んでソファーに座った。
「おお! 座り心地の良い椅子だな。」
伊月さんがソファーを気に入ったみたいだった。
「お茶でも、淹れましょうか?」
「いや、いい。それよりも…」
伊月さんが私の肩を抱いて、そのまま自分の方に引き寄せ、ぎゅーと抱きしめた。
「久しぶりにゆっくりと二人になれた気がする。何だかんだ言って、源次郎も清十郎も平八郎もおらんのは良いな。」
伊月さんはそういうと、私の顔を覗き込んだ。
「オババ様から、婚儀の承諾も得られたし、これからは、そなたと伊の国に帰って、夫婦として暮らせると思うと、気が緩みそうだ。」
そう言ったあまりにも無邪気そうな伊月さんの笑顔がとてもかわいくて、思わず伊月さんの頬を撫でた。
「久々に伊月さんのそんな顔見ました。」
「そんな顔とは?」
「少し気を緩めたような顔です。この所、すごく忙しくて疲れていたみたいなので。」
「疲れていたというか、那美どのと会えずに苛立っておった。」
「苛立って?」
「ああ。会えても短時間で周りにはいつも人がおるし...。」
伊月さんは私に顔を近づけた。
―― 久しぶりのキス…
期待に胸が膨らんで、目をつむろうとした時…
「あ、扉!」
リビングの奥に、扉が3つ出現した。
「あ? お、本当だ。」
伊月さんが開けてみようと言って、席を立つ。
少しワクワクしながら、全ての扉を開けてみる。
一つは、宇の湯治場の湯殿だった。
「わぁ、懐かしいです!あの、絹の湯帷子まである!」
「まことに不思議な空間だな。今夜は風呂にも入れそうだな。」
「そうですね。」
もう一つの扉を開けてみる。
「わぁ! あったかい!」
その扉の先には白く輝く砂浜と青い海がある。
「あ、ここは阿枳さんの船に乗る前に行った砂浜ですね!」
「ああ。後で、泳ぐか。」
「はい! 楽しそう!」
「じゃあ、もう一つの扉は何だと思いますか?」
「開けてみよう。」
そして、最後の扉を開けると、そこは、前に伊月さんが住んでいた亜の屋敷の寝室だった。
「おぉ。懐かしいな。」
「生田にむち打ちにされた時、ここに泊めてもらいました。伊月さんが手当してくれて…」
「そうだったな…。」
「まだ一年も経ってないのに、色々ありましたね。」
伊月さんが戦から怪我をせずに無事に帰ってきてくれたこと、伊と亜を両方治めて国主になったこと、これから結婚して、二人で暮らしていくこと、全部、全部、奇跡みたいだ。
「那美どの…」
伊月さんは私をそっと抱きしめて、頭を撫でた。
「私はこれからもしばらく戦いをやめられない。タマチ帝国を統一したいという野望はまだ健在だからだ。」
「はい。」
「そなたに心配をかけてしまうな。」
「そんなの、今更です。」
「そなたには助けてもらってばかりで、心配もかけてばかりだ。」
「そんなっ。いつも私が危ない時に助けてくれたのは伊月さんですよ。たくさん心配してくれて、手当してくれたり、介抱してくれたり、お互い様です。」
「いや、時として、男として、情けない気持ちになる。」
「ど、どうしてですか?」
「そなたには欲しい物を聞いても何も要らぬというし、願いはあるのかと聞いても何もないという。あの芝居の中の鬼武者のように格好よく何かをしてみたい気があるが、何もしてやれていない。」
「そ、そんな事考えていたんですか?」
伊月さんは少し赤くなって、ふいっと顔を背けた。
「時には甘えてくれてもいいのだぞ。」
私に甘えてもいいって言ってくれたのは人生で伊月さんだけだ。
前に、ぼったくり商人に蹴られそうになった時も、そう言ってくれた。
私はずっと親がいなくて、高校を卒業してすぐに一人暮らしを始めて、甘えたりする人がいなかった。
甘えたらいけないって、ずっと思ってた。
―― 甘えても…いいんだ。この人には。
「えっと…、じゃあ、伊月さんに、お願いがあります。」
伊月さんは嬉しそうな顔で私を見た。
「言ってみろ。」
私はとても恥ずかしかったけど、思い切って言うことにする。
「伊月さん、その…、前に、宇の湯治場でのことを反省したって言ってました。」
「ああ。」
「私の部屋に忍び込んでしたことも反省しているんですか?」
「...ああ。だから、今日、二人きりになるのがためらわれた。」
「じゃあ、反省しないでください。それが私の願いです。」
「は?」
私の意図を汲んでほしくて、伊月さんを見つめるけど、まだ納得いかない顔をしている。
「だが、宇の湯治場で、私は、具合の悪かったそなたを無理矢理抱くところだった...。」
「む…無理矢理じゃないです! だって、嫌じゃなかったんです。」
「え?」
「それで、反省して、私と、そういう事をするのはちゃんと夫婦になってからだって決めたって言ってました。」
「そうだ。」
「でも、それって伊月さんが勝手に決めたことで、私の気持ちを置き去りにしてます。」
伊月さんが小さく「あっ」と何かに気づいたように言って私を見つめた。
「私の部屋に忍び込んできた時も、そうです。嫌じゃなかったんです。」
「そ...そうなの、か?」
「その、私...、も、もう、覚悟が、出来てます。だから…」
私はそれ以上は恥ずかしくて言えなかった。
伊月さんが夜中に私の部屋に忍び込んで来た日から、私はずっと苦しくて、もっとその先をって望んでしまったのだ。
私は恥ずかしくて、伊月さんの顔を見れなくて、ただ、ぎゅっと抱きついて、伊月さんの着物に顔を埋めた。
「那美どの...」
伊月さんが私の名前を呼んで、頬に手を当て、顔を上向かせた。
「顔が真っ赤だ。」
「だって…。」
「もう我慢しなくていいのか?」
「…はい。」
伊月さんは、一瞬、意地悪な顔をした。
「それで、覚悟が出来たから、何だ?何が望みだ?」
「わ、分からないんですか?」
「不貞腐れるな。言ってほしい。那美どのの口から聞かせてくれ。」
―― う…、そんな、おやつ欲しがる子犬のような目で見られたら、嫌って言えない...
私は、勇気を出して、言う。
「わ、私を...抱いて下さい!」
「ようやくの開城だ!やはり私は攻城戦も得意だ!」
伊月さんは意味がわからないことを嬉しそうに言って、私を横抱きにした。
「きゃぁ!」
そして、そのまま寝室のドアを蹴り開けた。
伊月さんはそのまま私をゆっくりと布団に寝かせた。
「私も、もう我慢の限界だ。出来るだけ、優しくしたいが、正直、あまり余裕がない。」
そういって、ゆっくりとキスをした。
ゆっくりとしたキスはすぐに激しいキスに変わった。
その激しさとは裏腹に、伊月さんの手はそっと私の着物を脱がせた。
「那美どの…」
名前を呼ばれただけで溶けそうだった。
伊月さんは、ゆっくり時間をかけて、私の全身を撫で、全ての場所にキスをした。
体全部が溶けてなくなってしまうかと思ったころに、伊月さんが熱いと言って自分の着物をはぎとるように脱いだ。
伊月さんの全てが見えて、私は息を飲んだ。
無駄なお肉が微塵もない逞しい体が私のお腹の上に覆いかぶさって、熱くて硬いものが私の中に入ってきた。
一瞬の強い痛みのすぐ後に、堪らない快感が押し寄せた。
声を抑えられず、はしたなく乱れてしまう自分を止められなかった。
羞恥と快楽でおかしくなりそうだった。
苦し気に何度も私の名前を呼ぶ伊月さんが愛おしくて堪らなかった。
嬉しくて、悦びの涙が出て、体がブルブルと震えた。
伊月さんが「ああ、那美どの!」と、ひと際大きく私の名前を呼んで、私の中で果てたようだった。
その愉悦のすぐあとの記憶はあまりなかった。
気が付いたら、伊月さんに腕枕されて、布団にくるまれていた。
伊月さんは子供のように眠っている。
幸せすぎて、おかしくなりそうだった。
伊月さんの髪の毛をなでて、逞しい腕をつっと撫でると、伊月さんが、ビクンと肩を震わせて、また寝息を立て始めた。
「ふふふ。可愛い。愛おしい。大好き。」
伊月さんの寝息を聞きながら、私も眠りに落ちた。
数日前、亜城で、私を見つけた源次郎と平八郎が脱兎のごとく駆けて来て、呼び止めた。
「清十郎!」
「清十郎様!」
「どうした?」
ただならぬ様子に私は警戒態勢に入る。
「そろそろ主を仕事から解放しては頂けませんか?」
平八郎がすがるような声を出す。
「は?」
「もう亜に帰ってから3か月も那美様とゆっくり時間を過ごされずにおられる。」
なぜか源次郎が必死になっている。
「それは、お忙しいからな。ようやく逃げ回って方々に隠れておった生田の親戚の者たちを全員捕まえたところだ。」
「主は休養が必要だ。今すぐ!」
源次郎がひと際大きな声で言う。
「清十郎様、お願いします。こ、こちらの方が身が持ちません。」
平八郎がげっそりした顔をしている。
話を聞けば、主は那美様にお会いになられても短時間しか会えず、毎日、鬱憤を晴らすように鬼のように仕事をして、さらに仕事の前も後も鬼のように源次郎や平八郎と武術の稽古をなさるそうだ。
「もうちょっと、まとまった時間を取って、ちゃんと睦み合いの時間を与えぬと…。」
「しかし、私にどうこうできることでは…。」
「主がちゃんと那美様と睦合いの時間を取ったのは多分、出陣前にあの、屋敷の庭先で、主が那美様を愛していると叫んでおられた時ですよ。」
「もう、半年近くも前か...」
「ま、待て、主が愛していると叫んだだと?」
私は目を丸くした。
「正確には、『こんなにそなたを愛しているのに、なぜ分かってくれんのだ!』と叫んでおいででした。」
私は、自分の耳が信じられず、かたまってしまった。
「本当のことだ。」
源次郎が平八郎の言葉にお墨付きを与えた。
「あの時は堀様もおいででしたが、人目を気にせず睦みあっておいでだでした。」
「あ、いや、人目を気にせずというか、多分主と那美様は私たちがこっそり見ているとは思ってなかっただろうけども。」
「わ、私は見てはいけないと言ったのですが、堀様と源次郎様がずっと様子を伺っておられたので、つい、私も...」
平八郎が言い訳を始めた。
実際にその後にも主が那美様の部屋にこっそり侵入したことはあるが、この二人は知らぬようなので、何も言わない。
だが、夜、主が四半刻後に呼べと言ったので、呼んだのだが、あの後、すこぶる機嫌が悪かったな。
―― 生殺しにされたな。
と、ピンと来た。
さらにあれから3カ月もそのままとは、主もつらかろうな。
「そ、そんなことよりも、主の体調がいささか気になる。」
源次郎が言う。
「時々、野獣のように叫んで井戸の水をかぶっておいでです。」
平八郎が言う。
「この二月の寒い中に、か?」
「雪の日も、です!」
さすがに、それは重症だと思い、ため息をついた。
しかし、私が二人きりになれる場所を提供するのは難しい。
国主が変わったばかりで、主の命を狙うものはまだゴロゴロいると思われる。
だから、護衛の者が必ず側にいなければいけなくなる。
「うむ…。オババ様に相談してみるか。」
私はオババ様の屋敷に向かった。
オババ様は二人きりになれる場所を提供してくれる、という。
もちろん、神の領域だから、主の命の安全は確保される。
―― それなのに!
あろうことか、主は、その祠とやらに行くのをためらっておられる。
オババ様を始め、ここにいる那美様以外、全員が主に白い目を向けている。
那美様があきらかに悲しそうな顔をして、少し不貞腐れたように、準備する、と言って自室に行かれた。
主も那美様の気持を察したのか、縮こまるように、正座して座った。
「私は、何をしてしまったのでしょうか。ご教示願えますか。」
オババ様が、はぁ、とため息をついた。
「オヌシは那美を傷つけた。」
「な、なぜ?」
「お前が、那美と二人で過ごしたくないと言ったようなものじゃ。」
「そ、そんなことは断じて!」
「では、なぜ、行くのをためらう?」
「な、那美どのは、難攻不落の城にございます!今の私には到底太刀打ちできません!」
―― 我が主ながら、誠、意味がわからん。
「何を言っておる?ちゃんと、人間の言葉をしゃべれ。」
主の話によれば、主は夫婦になるまで那美様とは健全な関係を続けるのだと自分に誓いを立てたそうだ。
そして、那美様の方から欲して、無血開城せぬ限り、自分から攻め入ることを禁じているらしかった。
―― だいぶ、こじれておられるな...
「それで、那美と二人で夜を過ごせば、自制が効かず、その誓いを破ってしまうかもしれぬと...」
「…はい。」
「それは、那美が夫婦になるまで待てと言ったのか?」
「え?」
「え?ではない!だから、那美がオヌシに夫婦になるまで待ってほしいと言ったのか?」
「いいえ…」
―― 先走りか…。
「オヌシが勝手に自分に誓いを立てたのだな?」
「…はい。」
「あほか!」
―― 大の大人が、しかも城を五つも落とした、我が主が叱られている...。
「那美の気持ちも聞かずに勝手に誓いを立ておって。それで、過去に那美が拒んだのか?」
「え?」
「え? ではない! だから、那美がオヌシを激しく拒絶したことがあるのかと聞いておる!」
「あ…いえ…」
「全く、あほか!! この、こじらせ童貞め!!」
―― ど、童貞と、オババ様がはっきり...
オババ様は立ち上がり、苛立ちを解消するかのように、主に蹴りを入れた。
―― う、うわー。今や天下人に一番近い男と呼ばれる、鬼武者こと、豊藤伊月が蹴られた!
「那美の気持ちを聞かずに自分だけで色々と決めおって。そういうことは二人で決めねばならぬだろう?二人で正直に話し合うことだ。」
「はい…」
そこに那美様が風呂敷包みを持ってこられた。
「お待たせしました。」
不穏な空気を感じ取ったのか、那美様が訝し気に私たちを見ておられるが、主も居心地が悪いのか、そそくさと、
「オババ様、行って参ります。お気遣いに感謝いたす。皆も、仕事は頼んだ。」
と、言って、二人でオババ様の描いた地図を持って出かけられた。
「全く、あの、青二才めが…」
「オババ様、ありがとうございます。」
私をはじめ、源次郎と平八郎が頭を下げた。
少なくとも、明日の昼すぎまでは源次郎と平八郎には平穏な時間になる。
―― だが、今回も生殺し状態で帰って来られたら、もっと悪化するかもしれぬな。
私の心配事がわかったのか、オババ様がすかさず言う。
「清十郎、心配するな。あの祠は、交わい事をせねば、出れぬようになっておる。」
「え?」
「しかも、祠の中には、それにふさわしい、二人だけの空間が広がっておるはずだ。」
「な、何と、夢のような祠ですね!」
源次郎が目を輝かせた。
「そうじゃ。だから、源次郎のような者に使わせぬよう、護符がいる。」
「そ、そんな…」
源次郎が頭をかきながら笑った。
オババ様の父上、高龗の神が奥手でなかなか子供をつくらない村の男女のために縁結びの神を召喚して作った祠らしい。
「しかし、わが父も若い人間の女が好きでなー。色々と放蕩事件を起こして、縁結びの神から、あの祠には出入り禁止を言い渡された。」
「高龗の神まで出入り禁止なら、確かに源次郎は無理だな!」
源次郎はしばらく笑っていたが、ふっと真顔になり、言った。
「しかし、これでやっと、やっと、ようやっと、主が男になられる…。全く肩の荷が下ります…」
切実そうな源次郎の言葉に、オババ様も同情の目を向けた。
―――
次の日、主は縁結びの祠で一晩過ごして、次の日の夕方に城に帰って来られた。
「清十郎様、助かりました。」
平八郎が言った。
「清十郎、誠、恩に着る!」
源次郎が言った。
主はすっかり落ち着きを取り戻したようだった。
顔色も随分とよくなり、朗らかになられた。
そして、仕事もより一層はかどっておられるようだった。
「鼻歌を歌っておられましたよ。」
「な、何だと!? あの、主がか?」
「本当のことだ。」
源次郎が平八郎の言葉にお墨付きを与えた。
「そして、このごろは、伊城での那美様の室の準備を喜々としてしております。」
「ほう。それはそれは…」
三人は内心オババ様にいたく感謝した。
桜のつぼみが、まん丸に膨れ、ちらほらと花を咲かせ始めたころ、私と伊月さんはタカオ神殿で神前結婚式を挙げた。
滞りなく式は進み、そのままオババ様の屋敷で小さな宴を開いた。
伊月さんは私を太元法師に会わせてくれた。
「幼き頃に教えを賜った師だ。」
「やっと那美様に会えました。」
太元法師は私を自分の子供のようだと言ってくれて、伊月さんの子供の頃の話を聞かせてくれた。
意外にも、伊月さんは小さい時、やんちゃだったらしい。
今の物静かな感じの伊月さんからは想像ができなかった。
「あれは伊月が13の時だったかな。とても大切な儀式があり、このタカオ神殿に帝がいらっしゃった時だ。ご挨拶のために城の皆が集まった。伊月も大仰な着物を着せられ儀式に参加しておってな。でも、儀式の途中で急にいなくなったのだ。」
「え? な、何していたんですか?」
「そこの境内の横で立ちションしておった。」
オババ様が呆れたように言って、境内の外を指さした。
「えー! 帝が来ている時に、しかも儀式の最中に? しかも境内で!?」
「も、もう、昔のことではないか! 我慢できなかったのだ!」
「他にも・・・」
「も、もう良いでないか。」
伊月さんがあたふたしているので、太元法師も、今日はこの辺にしておくと言った。
正次さんも伊から駆けつけてくれた。
「はぁ、やっと主が結婚なさったので、私どももこれから結婚できますな。」
「何だ、そなた、意中の者がおったのか?」
「いや、まだおりませんが、私どもは、主のように奥手ではありませんから。なぁ、源次郎どの。」
「まあ、そうですね。私も肩の荷が下りました。」
「あの、正次さんが、伊月さんに、景色の良い所につれていけって言ってくれたって聞きました。お陰でとても素敵な所にたくさん連れて行ってもらえました。」
「ああ、そんな事もありましたね。紫陽花の花園を勧めたのも私ですぞ。あの時、殿は那美様を泣かせてしまったと言って、まるで地震と台風が合わせて来たかのような慌てふためきようでして…」
「そ、そんなには慌てておらんではないか!」
「女の機嫌の取り方がわからん!仲直りの仕方を教えろと・・・」
「う、うるさい! お前はあっちで飲んでいろ!」
伊月さんは正次さんを追いやってしまった。
小雪ちゃんやお仙さんを始めとする、手習い所の子達も来てくれた。
「これ、那美先生に。」
小雪ちゃんが小さな冊子をくれる。
開けてみると、火事で燃える建物の中から、雷巫女が鬼武者に横抱きにされて出てきている絵だった。
「これは…」
「豊藤軍が生田を捕縛した直後に燃える曲輪の中から鬼武者が那美様を抱いて出て来られたと皆が言っておりました。それを絵にしてみたら、沢山売れています。」
さらにページをめくると、雷巫女が鬼武者のイチャラブシーンが沢山収めてあった。
なんだか恥ずかしいけど、絵の中の幸せそうな二人が私の幸せな気持ちをよく表している。
「ありがとう。大切にするよ。」
「今までのように頻繁にお会いできなくなるのは寂しいです。でもお幸せになって下さいね。」
お仙さんが泣き出した。
小雪ちゃんも泣き出した。
それにつられて私も泣いてしまった。
「私、お仙さんや、小雪ちゃんに沢山色んなことを教わりました。そして、沢山勇気をもらいました。ありがとうございます。」
宴が終わると、私と伊月さんは用意されて輿のある所まで行く。
これから伊の主城、伊城に行くことになっている。
「堀、これからは亜の城主として良き政に勤めよ。」
「承知。一介の野武士であった私を御見立下さり、さらには一国一城の主にして頂いたご恩、一生忘れません。」
正次さんは伊月さんに頭を長い時間下げていた。
「オババ様、夕凪ちゃん。私のこと、いつも助けてくれて、本当の家族のようにして下さって、ありがとうございました。私、日本では家族がいなかったから、こっちに来て、オババ様と夕凪ちゃんに会えて・・・うううぅぅぅ。」
私は泣いてしまって言葉が出なくなった。
オババ様はそっと私を抱きしめて、頭を撫でた。
「いつでも戻って来い。そして、飯を作れ。わかったな?」
オババ様はいつもの調子で言ったけど、少し泣いていた。
夕凪ちゃんも泣いていた。
「那美ちゃんなら大丈夫だと思うけど、伊のお城でも沢山ご飯食べて頑張ってね。」
「ありがとう。ありがとう。」
私は皆に見送られながら輿に乗り込んだ。
皆の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
皆も私たちが見えなくなるまで見送ってくれた。
手を振るのをやめて輿に座りなおすと、伊月さんが手拭いで涙を拭いてくれた。
「またすぐに会える。そんなに遠くはない。」
「はい。」
別々の領地だった亜国と伊国は、今は、亜伊の国と名前を改め、朝廷に一つの国と認められた。
そして私の旦那様、豊藤伊月は、その亜伊の国の初代国主となった。
それに伴って、階位が従四位下になり、右近衛少将と任命された。
「那美どの、そなたには侍女を幾人か付ける。 侍女長は、そなたがかどわかし事件で救い出した女人の一人だ。」
「え?」
「そなたに深く感謝しており、身の回りの世話をしたいと言ってきた。琴という。」
「ああ、あの琴ちゃん。」
「覚えておるか?」
「はい。足を怪我してて、正次さんに介抱してもらっていた子です。」
「ああ。だから堀が勧めてきたのか。」
「あれ以来、正次さんと交流があったんですね。」
「そのようだな。堀が勧めたので信頼できると思った。」
「また会えるの、嬉しいです。」
伊月さんの軍師だった、堀正次さんは、亜伊の国の東の要所、亜城の城主になった。
源次郎さんこと、松永源次郎は、亜伊の国の南の要塞、竹日津城の城主となった。
伊月さんはタカオ山一帯の護衛のために新たに小さい城を建てることにして、普請の準備を進めている。
その城が完成した暁には、平八郎さんこと、富田平八郎が城主になる。
伊月さんの新しい馬廻りには、武術大会で見つけた人材と、これまで亜伊で手足となって働いていた人、
伊の国で代々豊藤に仕えていた人たちの中から10人が抜擢された。
兵五郎さんと兵五郎さんの手下たちは、亜伊の国に呼ばれ、伊月さん直属の将軍となった。
皆、大出世だ。
「それから、もう少し落ち着いたら、母上を城に呼びたい。」
「あ!お母様と一緒に暮らせるのですね!」
「ああ。9つの時に生き別れて以来だから、もう随分年を取っている。」
「良かったです!」
亜の前の国主、生田良和は、内藤が記した手記によって、人質だった伊月さんを暗殺しようとしていたことが証明され、市中を引き回しにされたあと、斬首刑となった。
その首は罪人のそれと変わらぬさらし首になった。
生田の一族郎党はことごとく捕縛され、島流しか斬首などの刑に処せられた。
島流しになったうちの一人に世里奈姫もいる。
後で聞いた話だけど、世里奈姫は寺の僧侶と姦通していて、その僧侶は死罪になったそうだ。
現代日本人の私からすると随分厳しい処分だけど、亜の民は誰も意義を唱えなかった。
それに、伊月さんが国主になって、皆の暮らし向きがずっと良くなった。
「小雪どのと、お仙どのの懇願書をもう一度、読み直した。まるで朝廷の文官のような文章で驚いた。那美どのの指導の賜物だな。」
「懇願書なんて書いていたんですか?」
「ああ。女人の人身売買を全面的に禁止することなどが書いてある。」
「それで、どうするんですか?」
「もちろん、禁止にする。女人の意にそぐわない形で女郎小屋などに売り飛ばされることはもうなくなる。」
「良かった!小雪ちゃんも、お仙さんも、皆、喜びます!」
「それから、これからは警備員を地区ごとに置いて、治安維持に勤め、女人が一人でも安心して出歩けるような町作りをしたいと思っている。」
私は嬉しくて、伊月さんの手をきゅっと握った。
「私は新妻を喜ばせられているかな?」
「はい! 嬉しいです!」
「では、褒美を所望する。」
「褒美って?」
伊月さんは私の唇をフニっと指先で押した。
キスのことだとわかり、顔が赤くなる。
「じゃ、じゃあ目を瞑って下さい。」
伊月さんは素直に目を瞑った。
私のキスを待っているその無防備な顔が無性に愛おしい。
そっと、伊月さんの唇にキスをすると、そのまま体をぎゅっと抱きしめられた。
「捕まえた。」
そういうと、伊月さんは私の肩に顔を埋めた。
「そなたと共に、私の故郷に住めることが、どうしようもなく嬉しい。」
「伊月さん…。私も同じ気持ちです。」
私は伊月さんの頭をそっと撫でた。
輿は伊城に着いた。
伊月さんは私の手を取り、輿の外に出るのを手伝ってくれる。
「そなたに一番に見せたいものがある。」
建物の中に入る前に伊月さんは本丸の裏手にある庭に私を連れて行った。
「あ! これは!」
そこには大きな古い桜の木があって、しめ縄がされている。
私たちを待っていたかのように花を咲かせて、ゆらゆらと揺れている。
「母上が離縁された日、私はこの桜の木の下で泣いていたのだ。そして、そなたと出会った。」
私はそっと桜の木を触って、ぐるっと一周した。
「近所の神社にあった木とそっくりです。同じ場所に、同じうろまで!」
「幼き頃はよくこのうろに隠れていたものだ。」
「私もです。」
「運命としか思えぬ。」
伊月さんは私を後ろからそっと抱きしめた。
太くて逞しい伊月さんの腕をそっと抱きしめ返した。
「きっと二人一緒でなければ出来ないことがあるんですよ。きっとそのために尽世の神様に呼ばれて来たんじゃないかって思います。」
「那美どの。これからも私と、この尽世で生きてくれるか。」
「当たり前です。ずっと側にいますから。」
伊月さんの手が私の顎を取って上向かされた。
「那美どの、愛している。」
「私もです。」
私たちは桜の木の下で愛を誓いあうように口づけた。
これからも伊月さんの戦いは終わらない。
厳しい戦のある世の中を、飢えのある世界を、生きていかなければいけない。
でも、私は幸せだった。誰よりも幸せだった。
私たちをめぐり合わせてくれた桜の木に、この運命に、尽世の神々に、私はずっと伊月さんと一緒に生きていくと誓った。
――おわり―――
ここまで、読みすすめていただき、本当にありがとうございました。
こんなにも長い物語だったのに、完読して下さった方には、いくらお礼を言っても言い切れません。
もしよかったら、感想や、コメントを残していただけると本当に嬉しいです。
誤字報告も受け付けています。
皆さまとの交流で、次作への創作意欲が倍増されます。ぜひとも、よろしくお願いします(*- -)(*_ _)ペコリ