タカオ山にはけっこう雪が積もっているので、ゆっくりしか歩けなかった。
モフモフのマフラーに顔をうずめながら、伊月さんに手をひかれながら歩いた。
伊月さんは怒られてしまった子供のようにシュンとしている。
「那美どの…。さっきは、取り乱してしまって、見苦しい所を見せてしまった。」
「別にそれはいいんですけど…。それより、あまり、行きたくなさそうでしたね…。」
私は少し、不貞腐れて言った。
「そうではない。だが、私の言ったことのせいで、那美どのを傷つけてしまったと、オババ様が言った。」
「だって、伊月さん、私と時間を過ごすのが嫌そうだったので、嫌われたんじゃないかって一瞬思いました。」
「そんな! 嫌いになど、なるわけないだろう!」
伊月さんは私の手に指を絡めた。
「正直に言うから…笑うなよ?」
「わかりました。何ですか?」
伊月さんは意を決したように言う。
「二人きりになってしまえば、理性が飛んで、また、那美どのに変なことをするかもしれんと思ったのだ。」
「へ、変なことって、どんな事ですか?」
「そ、それは... この前、那美どのの部屋でしたような…。」
―― また、ああいうエッチなことしちゃいそうってこと?
あの夜のことを思い出して、自分の顔がブワっと熱くなった。
「那美どのの事は大切にしたいと思っている…。だが、那美どのと二人になってしまうと、どうしても忍耐がきかなくなる。」
―― 何なの、それ…
―― まるで、私とすぐにでも、そういうこと、したいみたいな…
「そういう自分をどうすればいいか、まだ分からぬのに、それなのに、いきなり、明日まで一緒に過ごせと言われて、余裕がなく、慌ててしまった。その…誠に、情けない。」
―― それで、あんなに焦ってたなんて...。
「た、大切にしてくれているのは…ありがとうございます。」
私はまだ、少し、不貞腐れて言った。
―― でも、私、あんなふうに、我慢できなくなった伊月さんのこと、嫌じゃないのに。
「でも、伊月さんって、困った人ですね。」
「…すまん。」
伊月さんの言葉が嬉しいのに、なんと返していいのかわからずに、意味不明なことを言ってしまう。
私もたいがい、不器用だ。
「ここだな。」
オババ様の地図通りに、私たちはタカオ山の北西の、結構頂上に近い場所に行った。
そこには、小さな鳥居と、見捨てられたような祠があって、「縁結び」と書いてあるボロボロの木の札があった。
「こんな小さな祠、本当に二人で入れるのかな...。」
不思議に思いつつも、伊月さんが護符をかざすと、祠の扉が開いた。
小さな祠を覗き込むと、中には無限大の真っ白な空間が広がっていた。
「す、すごい!まるで、別の世界につながっているみたいですね!」
二人でその空間に入ると、自動的に祠の扉が閉まった。
伊月さんが、入って来た扉を開けようとしたけど、開かなくなった。
「まるで閉じ込められたようだな。もしかしたら本当に明日の昼過ぎまで開かぬのかもしれぬ。」
真っ白な空間は、寒くも熱くもなかった。
「少し、歩いてみるか?」
しばらくその空間を二人で手を繋いで歩いていくと、扉が見えた。
伊月さんがその扉を開けると、そこには信じられない空間が広がっている。
「わ、私が前住んでいた家!」
私は思わず中を見て回った。
それは私が以前、日本に住んでいた時の家で、台所と居間、が再現されている。
「少し間取りが違うけど、日ノ本に住んでいた時と、ほぼ同じです!」
私は興奮して言った。
「記憶を再現するとオババ様が言っていたな。」
伊月さんは、物珍しそうに部屋の中を見回した。
「とりあえず、ゆっくりしますか?」
私は伊月さんと並んでソファーに座った。
「おお! 座り心地の良い椅子だな。」
伊月さんがソファーを気に入ったみたいだった。
「お茶でも、淹れましょうか?」
「いや、いい。それよりも…」
伊月さんが私の肩を抱いて、そのまま自分の方に引き寄せ、ぎゅーと抱きしめた。
「久しぶりにゆっくりと二人になれた気がする。何だかんだ言って、源次郎も清十郎も平八郎もおらんのは良いな。」
伊月さんはそういうと、私の顔を覗き込んだ。
「オババ様から、婚儀の承諾も得られたし、これからは、そなたと伊の国に帰って、夫婦として暮らせると思うと、気が緩みそうだ。」
そう言ったあまりにも無邪気そうな伊月さんの笑顔がとてもかわいくて、思わず伊月さんの頬を撫でた。
「久々に伊月さんのそんな顔見ました。」
「そんな顔とは?」
「少し気を緩めたような顔です。この所、すごく忙しくて疲れていたみたいなので。」
「疲れていたというか、那美どのと会えずに苛立っておった。」
「苛立って?」
「ああ。会えても短時間で周りにはいつも人がおるし...。」
伊月さんは私に顔を近づけた。
―― 久しぶりのキス…
期待に胸が膨らんで、目をつむろうとした時…
「あ、扉!」
リビングの奥に、扉が3つ出現した。
「あ? お、本当だ。」
伊月さんが開けてみようと言って、席を立つ。
少しワクワクしながら、全ての扉を開けてみる。
一つは、宇の湯治場の湯殿だった。
「わぁ、懐かしいです!あの、絹の湯帷子まである!」
「まことに不思議な空間だな。今夜は風呂にも入れそうだな。」
「そうですね。」
もう一つの扉を開けてみる。
「わぁ! あったかい!」
その扉の先には白く輝く砂浜と青い海がある。
「あ、ここは阿枳さんの船に乗る前に行った砂浜ですね!」
「ああ。後で、泳ぐか。」
「はい! 楽しそう!」
「じゃあ、もう一つの扉は何だと思いますか?」
「開けてみよう。」
そして、最後の扉を開けると、そこは、前に伊月さんが住んでいた亜の屋敷の寝室だった。
「おぉ。懐かしいな。」
「生田にむち打ちにされた時、ここに泊めてもらいました。伊月さんが手当してくれて…」
「そうだったな…。」
「まだ一年も経ってないのに、色々ありましたね。」
伊月さんが戦から怪我をせずに無事に帰ってきてくれたこと、伊と亜を両方治めて国主になったこと、これから結婚して、二人で暮らしていくこと、全部、全部、奇跡みたいだ。
「那美どの…」
伊月さんは私をそっと抱きしめて、頭を撫でた。
「私はこれからもしばらく戦いをやめられない。タマチ帝国を統一したいという野望はまだ健在だからだ。」
「はい。」
「そなたに心配をかけてしまうな。」
「そんなの、今更です。」
「そなたには助けてもらってばかりで、心配もかけてばかりだ。」
「そんなっ。いつも私が危ない時に助けてくれたのは伊月さんですよ。たくさん心配してくれて、手当してくれたり、介抱してくれたり、お互い様です。」
「いや、時として、男として、情けない気持ちになる。」
「ど、どうしてですか?」
「そなたには欲しい物を聞いても何も要らぬというし、願いはあるのかと聞いても何もないという。あの芝居の中の鬼武者のように格好よく何かをしてみたい気があるが、何もしてやれていない。」
「そ、そんな事考えていたんですか?」
伊月さんは少し赤くなって、ふいっと顔を背けた。
「時には甘えてくれてもいいのだぞ。」
私に甘えてもいいって言ってくれたのは人生で伊月さんだけだ。
前に、ぼったくり商人に蹴られそうになった時も、そう言ってくれた。
私はずっと親がいなくて、高校を卒業してすぐに一人暮らしを始めて、甘えたりする人がいなかった。
甘えたらいけないって、ずっと思ってた。
―― 甘えても…いいんだ。この人には。
「えっと…、じゃあ、伊月さんに、お願いがあります。」
伊月さんは嬉しそうな顔で私を見た。
「言ってみろ。」
私はとても恥ずかしかったけど、思い切って言うことにする。
「伊月さん、その…、前に、宇の湯治場でのことを反省したって言ってました。」
「ああ。」
「私の部屋に忍び込んでしたことも反省しているんですか?」
「...ああ。だから、今日、二人きりになるのがためらわれた。」
「じゃあ、反省しないでください。それが私の願いです。」
「は?」
私の意図を汲んでほしくて、伊月さんを見つめるけど、まだ納得いかない顔をしている。
「だが、宇の湯治場で、私は、具合の悪かったそなたを無理矢理抱くところだった...。」
「む…無理矢理じゃないです! だって、嫌じゃなかったんです。」
「え?」
「それで、反省して、私と、そういう事をするのはちゃんと夫婦になってからだって決めたって言ってました。」
「そうだ。」
「でも、それって伊月さんが勝手に決めたことで、私の気持ちを置き去りにしてます。」
伊月さんが小さく「あっ」と何かに気づいたように言って私を見つめた。
「私の部屋に忍び込んできた時も、そうです。嫌じゃなかったんです。」
「そ...そうなの、か?」
「その、私...、も、もう、覚悟が、出来てます。だから…」
私はそれ以上は恥ずかしくて言えなかった。
伊月さんが夜中に私の部屋に忍び込んで来た日から、私はずっと苦しくて、もっとその先をって望んでしまったのだ。
私は恥ずかしくて、伊月さんの顔を見れなくて、ただ、ぎゅっと抱きついて、伊月さんの着物に顔を埋めた。
「那美どの...」
伊月さんが私の名前を呼んで、頬に手を当て、顔を上向かせた。
「顔が真っ赤だ。」
「だって…。」
「もう我慢しなくていいのか?」
「…はい。」
伊月さんは、一瞬、意地悪な顔をした。
「それで、覚悟が出来たから、何だ?何が望みだ?」
「わ、分からないんですか?」
「不貞腐れるな。言ってほしい。那美どのの口から聞かせてくれ。」
―― う…、そんな、おやつ欲しがる子犬のような目で見られたら、嫌って言えない...
私は、勇気を出して、言う。
「わ、私を...抱いて下さい!」
「ようやくの開城だ!やはり私は攻城戦も得意だ!」
伊月さんは意味がわからないことを嬉しそうに言って、私を横抱きにした。
「きゃぁ!」
そして、そのまま寝室のドアを蹴り開けた。
伊月さんはそのまま私をゆっくりと布団に寝かせた。
「私も、もう我慢の限界だ。出来るだけ、優しくしたいが、正直、あまり余裕がない。」
そういって、ゆっくりとキスをした。
ゆっくりとしたキスはすぐに激しいキスに変わった。
その激しさとは裏腹に、伊月さんの手はそっと私の着物を脱がせた。
「那美どの…」
名前を呼ばれただけで溶けそうだった。
伊月さんは、ゆっくり時間をかけて、私の全身を撫で、全ての場所にキスをした。
体全部が溶けてなくなってしまうかと思ったころに、伊月さんが熱いと言って自分の着物をはぎとるように脱いだ。
伊月さんの全てが見えて、私は息を飲んだ。
無駄なお肉が微塵もない逞しい体が私のお腹の上に覆いかぶさって、熱くて硬いものが私の中に入ってきた。
一瞬の強い痛みのすぐ後に、堪らない快感が押し寄せた。
声を抑えられず、はしたなく乱れてしまう自分を止められなかった。
羞恥と快楽でおかしくなりそうだった。
苦し気に何度も私の名前を呼ぶ伊月さんが愛おしくて堪らなかった。
嬉しくて、悦びの涙が出て、体がブルブルと震えた。
伊月さんが「ああ、那美どの!」と、ひと際大きく私の名前を呼んで、私の中で果てたようだった。
その愉悦のすぐあとの記憶はあまりなかった。
気が付いたら、伊月さんに腕枕されて、布団にくるまれていた。
伊月さんは子供のように眠っている。
幸せすぎて、おかしくなりそうだった。
伊月さんの髪の毛をなでて、逞しい腕をつっと撫でると、伊月さんが、ビクンと肩を震わせて、また寝息を立て始めた。
「ふふふ。可愛い。愛おしい。大好き。」
伊月さんの寝息を聞きながら、私も眠りに落ちた。
モフモフのマフラーに顔をうずめながら、伊月さんに手をひかれながら歩いた。
伊月さんは怒られてしまった子供のようにシュンとしている。
「那美どの…。さっきは、取り乱してしまって、見苦しい所を見せてしまった。」
「別にそれはいいんですけど…。それより、あまり、行きたくなさそうでしたね…。」
私は少し、不貞腐れて言った。
「そうではない。だが、私の言ったことのせいで、那美どのを傷つけてしまったと、オババ様が言った。」
「だって、伊月さん、私と時間を過ごすのが嫌そうだったので、嫌われたんじゃないかって一瞬思いました。」
「そんな! 嫌いになど、なるわけないだろう!」
伊月さんは私の手に指を絡めた。
「正直に言うから…笑うなよ?」
「わかりました。何ですか?」
伊月さんは意を決したように言う。
「二人きりになってしまえば、理性が飛んで、また、那美どのに変なことをするかもしれんと思ったのだ。」
「へ、変なことって、どんな事ですか?」
「そ、それは... この前、那美どのの部屋でしたような…。」
―― また、ああいうエッチなことしちゃいそうってこと?
あの夜のことを思い出して、自分の顔がブワっと熱くなった。
「那美どのの事は大切にしたいと思っている…。だが、那美どのと二人になってしまうと、どうしても忍耐がきかなくなる。」
―― 何なの、それ…
―― まるで、私とすぐにでも、そういうこと、したいみたいな…
「そういう自分をどうすればいいか、まだ分からぬのに、それなのに、いきなり、明日まで一緒に過ごせと言われて、余裕がなく、慌ててしまった。その…誠に、情けない。」
―― それで、あんなに焦ってたなんて...。
「た、大切にしてくれているのは…ありがとうございます。」
私はまだ、少し、不貞腐れて言った。
―― でも、私、あんなふうに、我慢できなくなった伊月さんのこと、嫌じゃないのに。
「でも、伊月さんって、困った人ですね。」
「…すまん。」
伊月さんの言葉が嬉しいのに、なんと返していいのかわからずに、意味不明なことを言ってしまう。
私もたいがい、不器用だ。
「ここだな。」
オババ様の地図通りに、私たちはタカオ山の北西の、結構頂上に近い場所に行った。
そこには、小さな鳥居と、見捨てられたような祠があって、「縁結び」と書いてあるボロボロの木の札があった。
「こんな小さな祠、本当に二人で入れるのかな...。」
不思議に思いつつも、伊月さんが護符をかざすと、祠の扉が開いた。
小さな祠を覗き込むと、中には無限大の真っ白な空間が広がっていた。
「す、すごい!まるで、別の世界につながっているみたいですね!」
二人でその空間に入ると、自動的に祠の扉が閉まった。
伊月さんが、入って来た扉を開けようとしたけど、開かなくなった。
「まるで閉じ込められたようだな。もしかしたら本当に明日の昼過ぎまで開かぬのかもしれぬ。」
真っ白な空間は、寒くも熱くもなかった。
「少し、歩いてみるか?」
しばらくその空間を二人で手を繋いで歩いていくと、扉が見えた。
伊月さんがその扉を開けると、そこには信じられない空間が広がっている。
「わ、私が前住んでいた家!」
私は思わず中を見て回った。
それは私が以前、日本に住んでいた時の家で、台所と居間、が再現されている。
「少し間取りが違うけど、日ノ本に住んでいた時と、ほぼ同じです!」
私は興奮して言った。
「記憶を再現するとオババ様が言っていたな。」
伊月さんは、物珍しそうに部屋の中を見回した。
「とりあえず、ゆっくりしますか?」
私は伊月さんと並んでソファーに座った。
「おお! 座り心地の良い椅子だな。」
伊月さんがソファーを気に入ったみたいだった。
「お茶でも、淹れましょうか?」
「いや、いい。それよりも…」
伊月さんが私の肩を抱いて、そのまま自分の方に引き寄せ、ぎゅーと抱きしめた。
「久しぶりにゆっくりと二人になれた気がする。何だかんだ言って、源次郎も清十郎も平八郎もおらんのは良いな。」
伊月さんはそういうと、私の顔を覗き込んだ。
「オババ様から、婚儀の承諾も得られたし、これからは、そなたと伊の国に帰って、夫婦として暮らせると思うと、気が緩みそうだ。」
そう言ったあまりにも無邪気そうな伊月さんの笑顔がとてもかわいくて、思わず伊月さんの頬を撫でた。
「久々に伊月さんのそんな顔見ました。」
「そんな顔とは?」
「少し気を緩めたような顔です。この所、すごく忙しくて疲れていたみたいなので。」
「疲れていたというか、那美どのと会えずに苛立っておった。」
「苛立って?」
「ああ。会えても短時間で周りにはいつも人がおるし...。」
伊月さんは私に顔を近づけた。
―― 久しぶりのキス…
期待に胸が膨らんで、目をつむろうとした時…
「あ、扉!」
リビングの奥に、扉が3つ出現した。
「あ? お、本当だ。」
伊月さんが開けてみようと言って、席を立つ。
少しワクワクしながら、全ての扉を開けてみる。
一つは、宇の湯治場の湯殿だった。
「わぁ、懐かしいです!あの、絹の湯帷子まである!」
「まことに不思議な空間だな。今夜は風呂にも入れそうだな。」
「そうですね。」
もう一つの扉を開けてみる。
「わぁ! あったかい!」
その扉の先には白く輝く砂浜と青い海がある。
「あ、ここは阿枳さんの船に乗る前に行った砂浜ですね!」
「ああ。後で、泳ぐか。」
「はい! 楽しそう!」
「じゃあ、もう一つの扉は何だと思いますか?」
「開けてみよう。」
そして、最後の扉を開けると、そこは、前に伊月さんが住んでいた亜の屋敷の寝室だった。
「おぉ。懐かしいな。」
「生田にむち打ちにされた時、ここに泊めてもらいました。伊月さんが手当してくれて…」
「そうだったな…。」
「まだ一年も経ってないのに、色々ありましたね。」
伊月さんが戦から怪我をせずに無事に帰ってきてくれたこと、伊と亜を両方治めて国主になったこと、これから結婚して、二人で暮らしていくこと、全部、全部、奇跡みたいだ。
「那美どの…」
伊月さんは私をそっと抱きしめて、頭を撫でた。
「私はこれからもしばらく戦いをやめられない。タマチ帝国を統一したいという野望はまだ健在だからだ。」
「はい。」
「そなたに心配をかけてしまうな。」
「そんなの、今更です。」
「そなたには助けてもらってばかりで、心配もかけてばかりだ。」
「そんなっ。いつも私が危ない時に助けてくれたのは伊月さんですよ。たくさん心配してくれて、手当してくれたり、介抱してくれたり、お互い様です。」
「いや、時として、男として、情けない気持ちになる。」
「ど、どうしてですか?」
「そなたには欲しい物を聞いても何も要らぬというし、願いはあるのかと聞いても何もないという。あの芝居の中の鬼武者のように格好よく何かをしてみたい気があるが、何もしてやれていない。」
「そ、そんな事考えていたんですか?」
伊月さんは少し赤くなって、ふいっと顔を背けた。
「時には甘えてくれてもいいのだぞ。」
私に甘えてもいいって言ってくれたのは人生で伊月さんだけだ。
前に、ぼったくり商人に蹴られそうになった時も、そう言ってくれた。
私はずっと親がいなくて、高校を卒業してすぐに一人暮らしを始めて、甘えたりする人がいなかった。
甘えたらいけないって、ずっと思ってた。
―― 甘えても…いいんだ。この人には。
「えっと…、じゃあ、伊月さんに、お願いがあります。」
伊月さんは嬉しそうな顔で私を見た。
「言ってみろ。」
私はとても恥ずかしかったけど、思い切って言うことにする。
「伊月さん、その…、前に、宇の湯治場でのことを反省したって言ってました。」
「ああ。」
「私の部屋に忍び込んでしたことも反省しているんですか?」
「...ああ。だから、今日、二人きりになるのがためらわれた。」
「じゃあ、反省しないでください。それが私の願いです。」
「は?」
私の意図を汲んでほしくて、伊月さんを見つめるけど、まだ納得いかない顔をしている。
「だが、宇の湯治場で、私は、具合の悪かったそなたを無理矢理抱くところだった...。」
「む…無理矢理じゃないです! だって、嫌じゃなかったんです。」
「え?」
「それで、反省して、私と、そういう事をするのはちゃんと夫婦になってからだって決めたって言ってました。」
「そうだ。」
「でも、それって伊月さんが勝手に決めたことで、私の気持ちを置き去りにしてます。」
伊月さんが小さく「あっ」と何かに気づいたように言って私を見つめた。
「私の部屋に忍び込んできた時も、そうです。嫌じゃなかったんです。」
「そ...そうなの、か?」
「その、私...、も、もう、覚悟が、出来てます。だから…」
私はそれ以上は恥ずかしくて言えなかった。
伊月さんが夜中に私の部屋に忍び込んで来た日から、私はずっと苦しくて、もっとその先をって望んでしまったのだ。
私は恥ずかしくて、伊月さんの顔を見れなくて、ただ、ぎゅっと抱きついて、伊月さんの着物に顔を埋めた。
「那美どの...」
伊月さんが私の名前を呼んで、頬に手を当て、顔を上向かせた。
「顔が真っ赤だ。」
「だって…。」
「もう我慢しなくていいのか?」
「…はい。」
伊月さんは、一瞬、意地悪な顔をした。
「それで、覚悟が出来たから、何だ?何が望みだ?」
「わ、分からないんですか?」
「不貞腐れるな。言ってほしい。那美どのの口から聞かせてくれ。」
―― う…、そんな、おやつ欲しがる子犬のような目で見られたら、嫌って言えない...
私は、勇気を出して、言う。
「わ、私を...抱いて下さい!」
「ようやくの開城だ!やはり私は攻城戦も得意だ!」
伊月さんは意味がわからないことを嬉しそうに言って、私を横抱きにした。
「きゃぁ!」
そして、そのまま寝室のドアを蹴り開けた。
伊月さんはそのまま私をゆっくりと布団に寝かせた。
「私も、もう我慢の限界だ。出来るだけ、優しくしたいが、正直、あまり余裕がない。」
そういって、ゆっくりとキスをした。
ゆっくりとしたキスはすぐに激しいキスに変わった。
その激しさとは裏腹に、伊月さんの手はそっと私の着物を脱がせた。
「那美どの…」
名前を呼ばれただけで溶けそうだった。
伊月さんは、ゆっくり時間をかけて、私の全身を撫で、全ての場所にキスをした。
体全部が溶けてなくなってしまうかと思ったころに、伊月さんが熱いと言って自分の着物をはぎとるように脱いだ。
伊月さんの全てが見えて、私は息を飲んだ。
無駄なお肉が微塵もない逞しい体が私のお腹の上に覆いかぶさって、熱くて硬いものが私の中に入ってきた。
一瞬の強い痛みのすぐ後に、堪らない快感が押し寄せた。
声を抑えられず、はしたなく乱れてしまう自分を止められなかった。
羞恥と快楽でおかしくなりそうだった。
苦し気に何度も私の名前を呼ぶ伊月さんが愛おしくて堪らなかった。
嬉しくて、悦びの涙が出て、体がブルブルと震えた。
伊月さんが「ああ、那美どの!」と、ひと際大きく私の名前を呼んで、私の中で果てたようだった。
その愉悦のすぐあとの記憶はあまりなかった。
気が付いたら、伊月さんに腕枕されて、布団にくるまれていた。
伊月さんは子供のように眠っている。
幸せすぎて、おかしくなりそうだった。
伊月さんの髪の毛をなでて、逞しい腕をつっと撫でると、伊月さんが、ビクンと肩を震わせて、また寝息を立て始めた。
「ふふふ。可愛い。愛おしい。大好き。」
伊月さんの寝息を聞きながら、私も眠りに落ちた。