マネージャーの下克上宣言!!─うちのアイドルいりませんか!?─

 スーパー銭湯でのライブは二曲のライブにMCの計十五分構成。
 場所はフードコートの特設ステージになるから、メインが食事な以上、こちらに視線誘導をしないと見てもらえない。でも食事の邪魔だと思われたらそっぽを向かれてしまうから、視線を集めつつ、邪魔にならない程度に行わないといけない難しいものだ。
 私がファックスの仕事依頼をコピーしたものをそれぞれに配ると、途端に皆の目が真剣になる。

「ふうん……場所がフードコートだったら、あんまり派手に動けないね。ダンスはしても緩めの振り付けじゃなかったら埃が立つから。歌メインでライブ内容考えないといけないから、結構大変だ。場所の確認したいから、そのスーパー銭湯に行ってみたいけどいいかな?」

 柿沼の言葉に、林場も頷く。

「いくら響学院の名前を使っていても、外に出たら新人アイドルだからな。電車で行ける距離だし、悪くはないか。桜木は?」
「う……うん……音響とか、確認したい、かな?」

 思ってる以上に真面目だ。この辺りは私も経費はどれだけ使えるのか事務所で確認してから、ひとりで見に行こうと思ってたのに。

「一応行っておくけれど、遊びじゃないからね? あくまでライブの確認だから。それじゃ、それぞれのスケジュールは? それまでに曲と振り付けをダンスの先生と音楽の先生に発注かけておくから」

 私は意を決してボードに書き込みを入れると、それぞれのスケジュールの確認を取り、結局は日曜日に皆で下見に出かけることになった。曲と振り付けをもらったら、それでレッスンだし、メイクと衣装の発注もかけないといけないから、本当に大変だ。

****

 私は依頼者のスーパー温泉からライブステージのセットの写真をもらうと、ファッションデザインコースまで走って行った。

「琴葉! 早速依頼だけれど」
「はあいー。でも驚いちゃった。さっちゃんがまさかマネージメント契約するなんて思わなかったなあ」

 私がステージの写真を持ってくると、琴葉はさっさかクロッキー帳から服のデザインをたくさん見せてくれて、理想の形を探してくれた。採寸はこれからだけれど、先にデザインを決めないといけない。
 スーパー温泉だし、あんまり激しいダンスもないから浴衣もいいかなとは思ったものの、歌を歌うときに苦しくないようにしたいから、やっぱり洋服のほうがいいかなと、シンプルなシャツとスラックスをあまり普段着っぽくないデザインで頼むことにした。カラーリングはライブステージの色に合わせて、赤と白、青のトリコロールカラーだ。
 私が指定したデザインで、さらさらと琴葉はデザインを描きつつ、笑いながら言う。

「でも、わたしはよかったと思うなあ」
「なにが?」
「うん、さっちゃんが煮詰まっちゃうんじゃないかと思ってたから、心配してたもの。もちろんさっちゃんが高校卒業したら即就職しないといけない事情はわかってる。でもね、高校時代って今しかない訳じゃない。お金は必要だけれど、それだけに引きずり回されたら、いつか爆発しちゃうんじゃないかって思ってた。他にやりたいこと見つかってよかったなあ……」
「うーん、ひとつは。あいつらが金づるになると思ったから」
「金づる」

 琴葉が目をパチクリとさせる中、私は力説する。

「あいつらの歌とパフォーマンスをこの間見せてもらったけれど、それは充分磨けば光る逸材だった。この間までマネージメントのマの字すら知らなかった私ですら思うものだったもの。あいつらを一度ライブさせれば、絶対にSNSで拡散される。そしたら、絶対にスカウトが来る。事務所にさっさとあいつら入れれば、私は晴れてお役目ごめん。その経歴ひっ下げて、華麗に就職決めてやるわよ」

 私の言葉に、琴葉は引きつった顔をして、背中を仰け反らせた。……なんでよ。クロッキー帳には、私は指定したデザインを元に起こしたライブ衣装のデザインが上がっていた。

「……う、うん。そうだね。まずはライブを成功させないといけないもんね、うん」
「当ったり前よぉ。だから、琴葉に衣装を頼むんだからさ」
「うん」

 元々、琴葉はアイドルが好きで、自分のつくったデザインの衣装を着たアイドルを大きなライブ会場で関係者席から見たいって夢がある。そのために、他の芸能コースの衣装のデザインを受けながらもアイドル志望の子たちへのアピールを忘れていない。
 まずは、私の友達の夢を叶えさせたいじゃない。私と違って、そういう子たちの夢は尊重すべきなんだからさ。

****

 日曜日になり、私は制服姿で待ち合わせしていたものの、私よりも早く待ち合わせの駅に来ていた林場は、ぎょっとした顔で見ていた。
 林場の着ている服は、量販店が最近発売したゲテモノ柄のTシャツにジャケットとスラックスを合わせているんだけれど、姿勢がいいのか、合わせ方がいいのか、妙にそのデザインが似合う。

「……なんだ、北川。制服なのか?」
「そうだけど? だって私、依頼者のオーナーさんともお話しないといけないし」

 この間、事務所を通してつくってもらった名刺を見せると、林場は微妙な顔をした。なんで。

「そうか。俺たちは単なる下見だけれど、お前にとっては初の打ち合わせになるのか」
「うん。だから、私が打ち合わせしている間は、三人は好きに遊んでおいてよ」
「一応俺たちも下見だからな? 別に遊びに来たつもりは」
「今回のことは事務所にも確認したけれど、ちゃんとした仕事だし、もろもろのお金は経費で落ちるから気にしなくていいのに」
「細かいな!?」

 別に気にしなくってもいいのに。仕事をさせてもらえる以上は、こちらも相応の期待に応えないといけないんだし。
 私は林場の言葉に首を捻っていたら、「おーい」と手をぶんぶんと振ってきた。柿沼だ。ぶかぶかの帽子に、有名スポーツメーカーのロゴの入ったTシャツにジャージ姿。そして私の格好を見て、林場と同じく驚いた顔をする。

「なんでさっちゃん制服なの!?」
「林場にも言ったけど、打ち合わせだから。まさかリクルートスーツで行く訳にはいかないでしょ」

 既に型落ちのものを確保しているものの、まだそれを着る機会は得ていない。それにますます困惑した顔をして、柿沼はバタバタと手を動かす。

「だって! 折角遊べると思ったのに!」
「仕事だから」
「全部打ち合わせに終わるのもったいないじゃん!」
「経費使ってるんだから。お金は大事」
「君ってほんっとうに変だよね!?」

 それをあんたが言うか。私は髪を指で梳きながら押し黙っていると、「お、おはよう……遅れた?」とおずおずと桜木がやってきた。
 むしろ内ふたりが早過ぎるだけで、桜木は待ち合わせ時間の五分前に来たんだからこんなもんでしょう。相変わらずのマスク姿もだけれど、下はヒップホップ風のスカジャンにジーンズだ。似合うけど、相変わらずマスクは外さないんだなあ。

「大丈夫、時間は合ってるから。それじゃ行こうか」
「う、うん……あれ、北川さんは、制服?」
「オーナーさんと打ち合わせがあるし」
「で、でも……わ、るいな……」

 相変わらず歌以外では滑舌が悪いものの、何故三人揃って同じことを言うのか。別に友達で遊びに来た訳でもないでしょうに。

「あのねえ。仕事なんだし経費なんだから、私がそれを使っちゃ駄目でしょ。担当アイドルが使うのと、マネージャーが使うのだったら全然違うんだから」
「えっと……そうじゃなくってね。僕たち三人が遊んでるのに、君ひとりを仕事だけさせるのは、申し訳ないな……と」

 そう耳を真っ赤にさせて言われると、こちらも面食らう。だから、マネージャーなんだってば。それにあっさりと柿沼までも「そうそう」と強く頷いてきた。

「もちろん、仕事はきっちりするよ。でもさ、お客さん視点にならなかったら見えないことって多くない? 打ち合わせが終わったら、一緒に見て回ろうよ! 仕事が終わった打ち上げだったら、文句ないでしょ?」
「で、でもね……」
「でも?」

 それに私は明後日の方向を向く。

「……経費以外のお金、持ってきてない」
「なんで!?」
「仕方ないでしょ!? 私、ほんとーっっっっに、お金ないんだから!!」

 そんなこと言わせるなよ、恥ずかしい。ものすっごく恥ずかしいんだからね!?
 私が顔を真っ赤にして俯いてしまうと、林場は「ふむ」と顎を撫でる。

「おごるというのは嫌なんだな?」
「借りをつくるのは返せないのでとても困りますっっ」
「なら入場料金の分だけ遊べばいいんだよ。結構タダのオプション多いしね、スーパー銭湯って」
「そ、そうなの?」

 はっきりいって、スーパー銭湯なんて最後に行ったのは小学生のときだから、今はどんなもんなのかなんて知らない。それに桜木はさっさとスマホを動かしてサイトを見せてくれた。

「えっと……これ。さすがにフードコートは、お金がかかるけれど、よっぽど高いものでない限りは経費で大丈夫だと、思う……」

 ……タオルただ。シャンプーリンスただ。温泉で着る水着無料貸し出し。館内ルームウェアただ……。はあ、相場なんて全然知らなかったけれど、ここまで安くしてたら、そりゃ人を呼んで客層集めようとするわ。
 私はただただ感嘆の溜息を吐いていたら、そのまま柿沼はにこやかに笑う。

「それじゃ、早速行こうか。電車電車」
「うん」

 私たちは電車に乗り継いで、早速目的の場所へと向かったのだ。
 しかし、まあ……。私は少しだけ首を捻っていた。桜木はどうだかよくわからないんだけど、柿沼と林場はどちらかというと遊びに行くってスタンスで仕事に臨むとは思っていなかった。もちろん今日は打ち合わせと下見だから、半分以上は遊びなんだけれど。
 これは単純に交流会だと思ったの? なんか引っかかるんだよね……。
 魚の骨が喉に引っかかったような違和感を覚えながら、ひとまずは打ち合わせのことだけを考えようと思ったのだ。

****

 意外だなあと思った。
 最初に仕事を取ってきたのは、ほとんどのマネージメントコースの子たちは仕事をそのまんま取ってきて、捌いてなかった。だから仕事は父さんとのタイアップとか、家庭訪問とか、そんなのばかりだった。
 だからそこを泣くまで難癖付けたら、簡単に脱落した。もう駄目って思わせたら、あとは転校の話を囁けば、簡単にそれに乗って逃げていったのに、さっちゃんはそれがない。
 それどころか、これを「打ち合わせだから」「仕事だから」ばかり言う。一応顔はいいから、遊びに誘えば簡単に乗ると思ったのに、経費以外持ってこないような徹底ぶりだ。
 頭が固いと言えばそれまでなんだけれど、そもそもさっちゃんはマネージャーになる気はなかったはずなんだ。それがすぐにマネージメントムーブして、大量に来ていたはずの仕事依頼を捌いている。
 この子は、他の子とは違うのかもしれない。
 お金にがめついのもそうだけれど、なにか訳ありなのかな。

「あんたうるさいのに、いきなり黙り込んだけどなに? 乗り物酔いするタイプなの?」
「えっ?」

 オレの思考は打ち消された。こちらを胡乱げに見上げてくるさっちゃんの顔が目に飛び込んでくる。仕事とはいえど、制服姿だし、遊びに来た感じが本当にしない。名刺まで持参しているし。
 オレは気を取り直して笑う。

「ううん、なんでもないよ。ただ楽しみって思っただけ。初ライブ!」
「ふうん……まあ、ちゃんと成功させるから」

 彼女はこちらに照れることもなく言う。
 そういえば、さっちゃんは男子に取り囲まれても照れることも動揺することもない。こちらをさっさとあしらってくるだけだ。オレはなにげに聞いてみる。

「あれ、さっちゃんって男のあしらい方上手い?」
「別にー……ただ、同年代は子供に見えるだけ」
「えー、同い年じゃん」
「同年代は子供でしょうが。私からしてみたら、皆弟にしか見えないわ」

 そうあっさりと言われてしまった。弟……?
 少しだけ引っかかったけれど、ひとまずは笑っておくことにした。オレたちのやり取りを見ていたみっちゃんが、そっと小声で聞いてきた。

「おい、まだ彼女を追い出す気か?」

 みっちゃんからしてみれば、ずっとうちにやって来ていた、芸能人に憧れているだけの子も、二世タレントで売り出そうと安易に走る子も辟易していたから、真面目で頭の固いさっちゃんみたいな子がちょうどよかったんだろう。
 でもなあ。オレはにこにこと笑って答える。

「考え中」

 まだ、初仕事も終わってないから、その考えは保留しておこうかな。
 私は一旦皆に入場料を出してから、「二時になったら私もそっちに行くから」と伝えてから、オーナーさんと打ち合わせに向かう。
 ノートを取り、オーナーさんと話をする。

「はい、今度スーパー銭湯のアイドルの【HINA祭り】が来るんです。その前座を務めてくださればと」
「【HINA祭り】ですか」

 私は手帳に書き留めながら唸る。
 たしか【HINA祭り】は全国のスーパー銭湯を巡ってライブ活動をしている女子アイドルだ。最初はあまりにも色物扱いされていたものの、ずっとハッピ姿に改造浴衣でライブ活動を続けて、全国行脚の追っかけまでできるくらいの知名度にまで成長を遂げていたはずだ。
 うーん……女子アイドルのファンは、基本的に女子アイドルにしか付かない。【GOO!】の場合はまだ駆け出しなんだから、変な色は付けたくないんだけれど。
 オーナーさんは続ける。

「時間は十五分ですので、リハーサル時間と本番で、お客様を沸かせてくだされば」
「リハーサル……そちらはどれだけいただけますか?」
「こちらも本番と同じスケジュールで、最終確認できればと思います」

 つまりは、リハと本番の計三十分で、少しでもお客さんに顔を覚えてもらえればいいって訳ね。私はそれらを手帳に書き加えてから、本番までの日程と段取りまでを聞き出して、手帳に書き加える。
 オーナーさんはにこにこと笑っている。

「本当に……うちはいつもいつも響学院さんから新人のアイドルをライブに出してもらって助かっているんですよ。うちにファンの方々が巡礼地として見に来てくださることもありますので。今年も期待しております」
「いえ。こちらこそご依頼、本当にありがとうございました。うちのアイドルを、どうぞよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げてから、打ち合わせを終えたのだ。
 そっか。毎年毎年、うちの先輩方がここでライブをやってたんだね。このライブに応募したのはうち以外はなかった。はっきり言ってあまりお金は入らない上に、初ライブが十五分の前座ということで躊躇するのはわかるつもり。なによりも、うちの学校の生徒だったら誰でもよかったという感じだしね。
 でも逆に言ってしまえば、誰でもいい枠でもいいから食い込めば、名前を覚えてもらえる。歌を覚えてもらえる。……もちろん、ただ歌が上手いだけだったら「なんだか知らないけれど歌が上手いアイドルが来ていた」くらいにしか覚えてもらえないから、それ以外で来ているお客さんを突き刺さなければいけないんだ。
 考えることがいろいろあり過ぎる。
 私はそう思いながら、スマホをタップした。連絡したのは林場だ。

「もしもし。打ち合わせが終わったから、これからそっちに」
『ああ、よかった。ところで、昼食はどうする?』
「私は着いたら食べるから……ちょっと待って。三人はまだ食べてなかったの?」

 下見とはいえど、私が打ち合わせ中は遊んでいると思っていたし、ご飯も先に食べているとばかり思っていた。私の問いに、林場が固い言葉で返す。

『迷子を見つけて、ずっと親御さんを探していた』
「サービスカウンターに連れて行けばよかったでしょ。その子は?」

 なんでいきなりトラブルを拾ってきてるの。私は思わず額に手を当てていたら、林場は再び固い声。

『それが、すぐに走ってどっかに行くから、追いかけっこ状態でなかなか捕まらないんだ。捕まえるたびに逃げ出すから、ずっと追いかけっこを継続している』
「あんたたち三人いるんでしょ!? なんで捕まえられないの! ちょっと、すぐ行くから!」

 親御さんだって、子供が迷子だったら探してるだろうに。私は林場に場所を確認してから、急いでスーパー銭湯に入っていったのだ。

****

 スーパー銭湯では貸し付けのルームウェアでうろうろしている人たちが多数目立つ。てっきり、皆銭湯で浴衣を借りるのかとばかり思っていたけれど、そうでない人も割と多いし、銭湯に全く入らずに漫画コーナーでゴロゴロ転がっている人たちもいる。
 カラオケルームのキンキンの声を耳にしながら、私が辿り着いた先には。何故か小さい男の子を肩車して、ルームウェアでうろうろしている柿沼と桜木の姿だった。

「いないねえ」
「いないなあ」

 まるで親子のように同じ顔をして、うろうろしている柿沼と男の子に私はこめかみを指で弾きながら、ひとまず桜木に声をかける。

「……さっき林場から連絡あったけど。これなに?」
「ああ……お疲れ様、北川さん……うん、追いかけっこしていた子が、ぐずり出したから、こうして柿沼くんが肩車して、親御さんを探してるの……」
「ふうん……林場は?」
「林場くんは……迷子センターのほうに、子供を探している親御さんがいないか確認。あの子もひとりで迷子センターに行くのが嫌みたいだから、少しずつ迷子センターに向かってるの」
「なるほど」

 わんぱくらしい男の子は、ぶらんぶらんさせている足でガシガシと柿沼の胸を蹴っている。

「いなあい……おとうさんもおかあさんも」
「うーん、なら探せそうなところ見つけよっか」

 そのままゆるゆると歩いて行くと、そのままフードコートまで移動する。
 私はちらっとフードコートにあるステージを見た。普段からいろんな催し物をやっているらしく、ステージの背景は程よくチープで、台もつるんとはしてない動きやすいつくりらしい。
 今はライブをしてないせいか、そこのステージに座っている人たちや、そこの周りで追いかけっこしている子供で賑わっているみたいだった。
 柿沼はステージに「よっ」と立つと、ぐるりと見回る。

「うーん、ここにもいない?」
「わかんなーい。おっきいひといっぱい」
「そっかそっか。あっ、さっちゃーん」

 ぶんぶんと私に手を振ってきたので、私は怪訝な顔でそちらに寄っていく。

「さっき林場から連絡来たけど……この子いい加減迷子センターに連れて行ったら? 今日は休日よ? いくら肩車してるからって、探すの無理でしょ」
「えー……オレさあ、そういうのってあんまりよくないと思うんだよねえ……知らない人に囲まれて、事務的に処理されるのって」

 いきなりなにを言い出すんだ。私は少しだけ目を細めるけれど、男の子はガシガシ柿沼の胸を蹴って「いーなーいー」と駄々をこねているのを、柿沼がときどきトントンと足や姿勢を正してあげると、きゃっきゃと喜ぶ。

「うちさあ、父さんが現役でテレビに出てるから、あんまり一家団欒で旅行とかできなかったんだよねえ。しょっちゅうテレビ局が芸能人のホームビデオみたいな形で家にやってくるから、プライベートなんてその辺がきっちりしてる響学院に来るまでなかったし」
「あー……」

 有名税とはいえど、まだ何者でもない子供が、一挙一足を囁かれ続けるのは、気苦労が耐えないのかもしれない。
 響学院は卒業生に大物芸能人を大量に輩出している関係で、芸能界にもそこそこ意見が言える口だ。生徒のプライベートをマスコミに売るような真似はしないし、それをした雑誌や出版社は完全に敷地内を出禁にしている。
 ずっと大人の監視の目があった柿沼からすると、遊びに来たばっかりなのにいきなり大人しかいない迷子センターに連れて行くのは可哀想って気持ちが沸くのかもしれないけれど、でもどうやって親御さん見つけるっていうのよ。

「ただいま……やっぱり迷子センターにもこの子の親御さんの連絡はまだらしい。探しているのかもな。ほら、カラオケルームから借りてきたぞ」
「あっ、お帰りー、みっちゃん。ありがとうー」

 そう言って柿沼はマイクの電源を入れる。それを肩車されている男の子は不思議そうに見ている。
 ……ちょっと待って。まさか。

「きょ、今日はライブじゃないっていうのに、いきなり歌うのは駄目じゃない!? あんたたち、契約っていうのをわかってる!?」
「でもさあ、この子の親御さんとずっとすれ違い続けるのも癪だし。ならここで歌っちゃおうかと」

 待って、さすがにこれは……! 私はとっさにステージを確認する。今日はライブは入ってないらしく、項目は書いてない。
 私は踵を返して、三人に指を差す。

「オーナーさんに話を付けてくるから! あんたたち、ここでライブ以上のことはすんなよ、絶対にすんなよ。迷惑かけるのは私だけにしなさい!!」

 そう言って、人混みを掻き分けて走りはじめた。
 あーん、もう。こいつらなんなの、自由過ぎ! ……そりゃ、あの子の親御さんをライブして集客して、それで見に来た人の中から探そうっていうのはわかる。わかるけどさ!
 多分あいつら、いい奴らなんだろうな。そう思いながら、私は再び関係者通路へと駆け込んでいたのだ。

****

「だから言っただろ、やったらマネージャーが絶対に止めるって」
「でもさっちゃんは走って行ったでしょ。オーナーに許可を取りに行くって」

 芸能人がゲリラライブを行ったら迷惑になるから、基本的には禁止されている。特にうちは今度ここでのライブが決まっているから、同業者に迷惑かかるし、うちの学校の卒業生がつくってきた、スーパー銭湯でのライブ枠が最悪今回の件で消失するかもしれないから。
 でもあの子は、止める前に走っていった。

「……思ったけど……柿沼、くん。北川さんのこと、信頼してきてるの……?」
「まだ保留。だって、これくらい走ってくれないと、オレたちだって安心して背中預けられないでしょ」

 オレは肩車している子をポンと叩く。

「今からちょーっと大きな声が出るから、今のうちに耳を塞いでおいて」
「うんっ」

 その子はオレに細っこい足を絡ませて、律儀に耳を両手で塞いだ。うん、いい子。オレたちはそれぞれマイクに電源を入れると、さっき走って行ったさっちゃんが戻ってきた。
 両手で丸をつくってることからして、許可は下りたらしい。
 オレたちが同時にマイクの電源を入れた途端、プツンという音がフードコートに響いた。途端にステージに一斉に人の視線が集まってくる。それにゆうちゃんは少しだけ怯んだ顔をしたけれど、みっちゃんがあっさりと言う。

「怯むな。これが客の視線だ。俺たちがこれからずっと浴び続ける視線だ。それが全部好意的とは限らない」
「う、うん……」

 生真面目だなあ、みっちゃんは。オレはそう思いながら、片手を上げた。

『みんなーっっ、こんにちはー【GOO!!】です! これからライブを行いますので、食事しながらでいいので聞いてください!!』

 途端にイントロが流れはじめる。さっちゃんが音源を持ってきてくれたらしく、学校の課題曲が流れはじめた。
 周りが突然のライブできょとんとした顔をし出した。あがり症のゆうちゃんはおどおどして、マスクに手を伸ばすけど、みっちゃんがすぐに止める。

「お客さんに失礼だ。マスクは禁止」
「う……うん……すごいね……人」
「ああ」

 覚悟を決めたゆうちゃんが、早速歌い出した途端に、一部がざわつきはじめた。
 ああ、やっぱり。ゆうちゃんの曲のファンがいた。続いてみっちゃんのソロパート。オレのソロパートと続いた途端、最初は怪訝な顔で見ていた視線が、集まりはじめる。

「あれ、嘘。ゆうPの声に似てる!?」
「歌無茶苦茶上手い……ひびがくの新しいアイドル?」
「あの子ダンス上手い!」

 だんだん好意的な視線に変わってきて、ステージにひとり。またひとりと近付いてくる。
 知ってる。お客さんは格好いいもの、可愛いもの、頑張っているものが好き。半分くらいは怪訝な顔で突発ライブを見守っているだけだけれど、一割一分……ううん、百人にひとりでも気になってくれたら、あとは芋づる式で人はやってくる。

「あー、おかあさん!」

 この子が声を上げた。見てみると、突然はじまったステージを怪訝な顔で見ていた人たちの中で、慌てて行列を掻き分けてこちらに寄ってくる夫婦っぽい女の人と男の人がいる。
 ふたりが踊って位置を変えている間に、オレはようやく肩車からこの子を降ろしてステージに立たせると、ようやく行列から抜け出せた親御さんたちがこちらに走り寄ってきた。

「きみくん! 本当に、すみませんでした!」

 みっちゃんが歌を歌っている間に、この子のお母さんが慌ててきみくんと呼ばれているこの子を抱きかかえて、何度も何度も頭を下げた。すると、今までステージの脇に立っていたさっちゃんが寄ってきて、親御さんとこの子になにかを言った。
 こっちからじゃ、なにを言っているのかわからないや。
 そう思っていたら、こちらに三人が並んで曲を聞きはじめたから、多分ライブの宣伝をしてくれたんだろう。
 オレはステージに戻ると、また歌いはじめる。
 ライトはない。音響だって即興だから、ただ曲が流れているだけ。でも、悪くない。
 ようやく最後のフレーズが終わって、曲が終了した途端。

「おにいちゃんすごい!」

 途端にあの子が拍手をはじめたのだ。
 最初はパラパラとしたものだったけれど、だんだんその音は、フードコートを包んでいった。
 オレたちは互いに拳を交わしてから。大きく手を振った。

『ありがとうー! 今度の日曜、またここでライブを行いますので、よかったら来てください!』

 鳴り止まない拍手の中、そう宣伝したのだ。
 ステージの脇でさっちゃんが睨んでいる。口で小さくなにかを言った。
 多分、「バカ」だ。
 いいじゃない。保留にしていたけれど、少しだけは認めてあげるから。
 休み明けに事務所に出かけたら、案の定事務員さんにしこたま怒られた。

「アイドルには縄張りというものがあります、うちの学校はあくまでスーパー銭湯さんの好意で仕事をさせてもらっているのであって、そこの縄張りを荒らしちゃいけません。先方には許可は?」
「いただきました……突発的だったんですが、事情を説明して」

【GOO!!】の皆は、私が事務所で怒られていることは知らないはずだ。アイドルの泥を被るのがマネージャーの仕事なのだから、つまりは怒られるのは私の仕事な訳で。
 事務員さんは私の突発ライブのことをさんざん説教したあと、ようやく顔を緩めた。

「それで、迷子の子の親御さんはちゃんと見つけられたのね?」
「はい。それはあいつら……うちのアイドルたちがちゃんと見つけてくれたので」
「うん。まずは小さくとも、ファンを見つけたのなら、いいことね。でも、あそこは基本的に【HINA祭り】さんの縄張り。くれぐれも【HINA祭り】さんのファンに目を付けられないようにね」
「はい……このことは注意しておきます」

 事務員さんにそう言ってから、最後に【GOO!!】の依頼内容を確認し……相変わらず、親子ブッキングの仕事が多い……お断りの謝罪メール、ファックスを送り、残りはスケジュールが難し過ぎると謝罪メールを送ってから、出て行ったのだ。
 はあ……思わず溜息だって出るというものだ。
 ちゃんとお金になってる? この投資は間違ってない? 実地に勝る勉強はなくって、いくら座学でマネージャーのノウハウは学んでいるとはいえど、アイドルのほうが突発的なことをしてしまったら、私はそれに引きずり回されてしまう。
 まだ前座ライブすら終わっていないのに、こんなんで大丈夫なのかな。私はそう思いながら校舎まで行こうとしたら。

「北川」

 呼ばれて振り返ったら、林場が立っていた。眉を寄せている。

「ああ、林場。昨日はお疲れ様。いきなりのライブだったけど、ちゃんと休めた?」
「それは問題ない。昔から布団に入ったらすぐに寝られる性分だから……北川、昨日は済まなかった」

 そう言って頭を下げられたことに、私はおろおろとする。
 いやいやいや、いきなり頭を下げられても。

「ちょっと顔を上げてよ。私は別にあんたに謝られる覚えはないってば」
「だが、俺たちのせいで、お前は事務所からさんざん怒られたのではないか?」
「怒られるのも、仕事のうちだから。あんたたちが、さっさと事務所入りしてくれたら、私の苦労も帳消しになるんだから、そこは気にしないで」

 そう言うと、林場は「むぅ……」と唇を尖らせた。

「俺たちのマネージャーになってくれて、続けてくれていることに本当に感謝しているんだ」
「なんで?」

 正直言ってしまえば、【GOO!!】の奴らは、私とマネージメント契約なんて結ばなくっても、順調に学内オーディションを受ければ、事務所入りできそうなんだ。だからわざわざ林場に待ち伏せられてまで言われる覚えがない。
 林場は少しだけ端正な顔を歪める。仏頂面をしても、顔がいい奴は顔がいいままだ。

「……うちは少々問題ありの奴しかいないからだ。俺も、元々はアイドルを目指していた訳じゃなかったし、桜木に至っては人前に立つのに不得手だからな……本番には強いのは、昨日のライブを見ていてもわかったが」
「そう? あんたたちはよくやってるじゃない。マネージメントコースの他の奴らで、あんたたちを磨けないなら、それは単純にあんたたちの素材と向き合ってないだけ。あんたたちはなんにも悪くないでしょ」
「そう言ってくれて、助かってる……あとひとつだけ」
「なに? そろそろ予鈴が鳴るけど」

 これだけ言いたかったのなら、普通にアプリのIDくらい交換してるんだから、アプリで連絡くれればいいのに。なにが言いたいんだろ。
 私はますますわからないという顔で林場を見ていたら、ようやく林場は口を開いた。

「……もし、柿沼が馬鹿な真似をしても、それはあいつの本心じゃない。あいつも相当こじれている奴だが、本当に悪い奴じゃないんだ。あいつが馬鹿な真似をして、本気で嫌だって思ったのならリーダーとして俺が止めに入るから。もし、あいつが嫌だって思っても」

 柿沼も、人懐っこい言動かと思いきや、結構口は悪いし、なんか訳ありなんだろうなと思ってはいたけど。わざわざ林場が忠告に来るほどのものだったのかね。
 廊下の窓からは、がやがやと生徒が校舎に吸い込まれていくのがわかる。
 事務所は職員棟にあって、マネージャーコースの教室はその上。他の校舎は渡り廊下で行けるはずだ。そろそろ階段を上らないと駄目だよね。そう考えていたら、やっと林場は絞り出すように言う。

「どうか、マネージャーを辞めたいなんて、言わないでくれ」

 そのひと言に、私はどう反応すればいいのか考えあぐねる余裕は、予鈴のチャイムが許してくれなかった。
 林場は「放課後、またよろしく」と言って私の隣をすり抜けていくのに、私は「うん」と愛想のない返事をしながら、髪に指を突っ込んで考え込んだ。
 それ、どういう意味? 柿沼はややこしい性格をしているとは思っていたけれど、この間のライブで少しだけわかったような気がしていたのに。

「……マネージャーって、アイドルと仲良くなる必要あるのかなあ」

 商品を商品として送り出すのがマネージャーの仕事だけれど。
 でも彼らには感情があって、決して彼らの感情を切り売りしてはいけない。ただ芸能人の一部分は愛せても、一部分は愛せないなんていうのはよくある話で、どの側面を売るのかはマネージャーが決めないといけない。
 コミュニケーション取って、あいつらのことをもっと知る必要があるのかなと、私は大きく溜息をついた。

****

 今日はライブの曲を決めて、それに沿った練習をしないといけないんだけど。MCで言っていいことや言ったら駄目なことは、この間オーナーさんと話をしてきたから、その辺りを踏まえて確認しないと駄目なんだけど。
 私は食堂でサンドイッチを食べながら、手帳を広げてあれこれと書いていると。

「大変だねえ、初ライブ。毎日あっちこっちに根回しや許可取りして」

 そう真咲に言われて、私は少しだけ手帳に書き込んでいた手を止める。

「……マネージメント契約してる子たちって、しょっちゅう授業抜けたり、公休使ってるから、いったいなにをやってんだろうって思ってた。そりゃ授業抜けたり公休使わないと、時間のやり繰りなんてできないって、今思ってるところ」
「そうだねえ。まああたしもライブの前になったら化粧の手伝いに行くけどさあ」

 がっつりは化粧しなくっても、薄くは化粧しないと駄目。アイドルは客商売だから、肌を傷付けるなとやきもきしつつも、手を入れさせてもらわないといけない。
 メイクアップコースの知り合いなんて真咲しかいないから、手を合わせて頼んだら了承してもらえたけど。琴葉は芸能コースから大量に衣装の発注をされて、目を回るような忙しさで、最近はずっと被服室から出てこない。ときどき食堂に来ているときは、もっぱらクロッキー帳を動かして新しいデザインを描いているときくらいだ。

「ごめんね、休みの日に時間もらって」
「あたしも芸能コースに知り合いってそんなにいないから、ライブってのもどんなんか見せてもらえるから楽しみなんだけどね。そういえば、この間あいつらが問題起こしたんだって? 突発ライブ」
「うう……」

 私が事務所で怒られていた理由は、それだ。
 昨日のライブに、運悪くうちの学校の追っかけの子たちが、SNSに動画を上げてしまったのだ。うちの学校は基本的にまだデビュー決まってない生徒に関しては個人情報だからと、生徒にもよそにも動画公開は禁止している。今は学校が動画を上げた子たちに話をして削除してもらったけれど、それでも一度流れてしまった動画はコピーされて回されてしまって、なかなか全部削除完了までには至っていない。
 手帳で予定を確認しながらも、動画サイトでライブが消えてないかと確認していたところで。

「……はい?」

 私はひとつの動画に気付いて、目が点になった。

【発見! スーパー銭湯にゆうPのそっくりさん!】

「ゆうPって、誰……?」
「ああ……そっか。動画サイトで人気出てたけど、咲子は知らないんだ」
「真咲は知ってるんだ?」
「歌が上手いから中学時代から結構聞いてたけどねえ。動画サイトで最初はコピーシンガーとして活躍してたんだよ」

 最近だったら、動画サイトで歌っていた人が、芸能事務所からスカウトされることは珍しくない。私は動画サイトを見る趣味はあまりないけれど、そこから青田買いするファン層は一定数いるらしい。
 その動画を見ていたら、そのゆうPのファンだと言う人たちのコメントがずらりと並んでいる。

【シャイな感じがリアルゆうPって感じがする!】
【他の歌い手さんともちっとも絡まないしねえ】
【あんまり歌い手さんのイベントには出ないもんね、動画サイトオンリーって今時珍しい】
【もう青田買いされてプロ転向してもおかしくないのにねえ】
【じゃあひびがくにスカウトされたの?】
【いや、まだゆうPって決まってないんじゃないの?】

 流れている動画は、そのゆうPが歌っている曲なんだけれど。私は目を剥いてしまった。
 中学生の男の子とは思えないほどの声量。その歌唱力はもうピンでデビューを決めてもおかしくはないし、これだけコメントをもらうのも頷ける。いくら最近は音を加工するソフトが出回っているとはいっても、こんな音に加工はできない。地力がないとこんなに歌は上手くならない。

「これって、桜木だよね……? このファンの言ってることが本当なら」
「あたしには、どっちも歌上手いなあって感じなんだけど、そう聞こえる?」
「……生歌は、こんなもんじゃなく上手い。でもまずいでしょ。だってうちの学校」

 もしまだ歌い手をやってるんだったら、止めないといけないし、やってないんだったら、この動画を下げてもらわないといけない。
 だって、うちの芸能コースは、基本的に事務所に所属している子たちはそこの事務所のやり方に準じているし、まだ事務所に所属してない子たちは、うちの学院の事務所を通した仕事以外の芸能活動は一切認められていない。
 ……最悪、退学だ。そうなったら、私だって管理不行き届きと見なされて、道連れだ。そんなの絶対に困るんですけど。

「ちょっと桜木と話をしてくる!」
「わかったけど、咲子も先に昼ご飯は食べな。腹が減っては力は出ぬ。あんたは頭は人よりちょーっといいからって、頭が回らなかったら、舌戦でだって負けるでしょう?」

 そう言って真咲は、立ち上がろうとする私の腕を掴んで、口の中にサンドイッチを放り込んでくる……。そうでした、午後からはレッスンがあるし、昼休みの今しか、休める時間はないんだ。
 私はもぐもぐとサンドイッチを食べ、カップスープをすすると立ち上がる。
 まだなんにも解決してないけれど、ちょっとは元気になったような気がする。私は急いでスマホで桜木に【今どこ? ちょっと話したいことがある】と打ってから、真咲に手を挙げた。

「それじゃ、ちょっと行ってくる!」
「うん、行ってらっしゃい。頑張れマネージャー」
「ありがとう!」

 私はスマホを片手に、急いで芸能コースの校舎へとすっ飛んでいったのだ。

****

 芸能コースの生徒は、皆驚くほど顔がいい。
 もちろんそうじゃない子もいるけれど、芸能界なんて狭き門を潜ろうとしている子たちは、なにかしら特技があるから侮れない。
 たしかこの間教えられた限りだと、芸能コースは既に事務所所属が三割、マネージメント契約をしているのが六割。意外なことに、残り一割も事務所にも入らず、マネージメントを受けずに独自で仕事を取ってきているらしい。事務所に売り込むにも、あれこれと必要なはずなんだけどな。
 閑話休題。
 私はスマホ片手に桜木の教室に入る。ちょうど教室には柿沼と林場がいた。柿沼はこちらを見つけた途端に「さっちゃん!」と手を振ってきた。

「どうしたの? もうレッスン? まだ早いよね。オレたちこれから食堂に行く予定だったんだけど、さっちゃんも行く?」
「暢気だな!? あと私はもう食事終わりました! 桜木知らない?」
「ええ? ゆうちゃん?」

 柿沼はきょとんとして、林場のほうを見ると、林場は少し考えてから「あ」と言う。

「多分音楽室の個室だと思う」
「音楽室の個室って?」
「音楽室は基本的に合同レッスンになるから、個別でレッスンしたかったら予約して使うんだ。よく桜木はひとりで個室を借りているからな。あいつは本当に歌が好きだから」

 私はそれに頭を抱えそうになった。
 ……まさかとは思うけど、そこで動画撮ってんじゃないでしょうね。まだ学校には見つかってないけど、それも時間の問題だっつうの。私の態度に、ふたりは本気でわからないという顔を示している。

「ゆうちゃんが歌の練習してちゃ駄目だった? それともマネージャーの指示通りじゃないと練習は駄目ってパターン?」
「……そうじゃないの。ちょっとこのことは言えない。個室ってどこ?」
「さっちゃん知らない? 音楽室の近くにいっぱい部屋あったじゃない。あそこの列全部個室だから。プレートに借りてる生徒の名前がかかってるから」
「ありがとう!」

 どうも、ふたりは本気で動画サイトのことは知らないらしい。だとしたら、巻き込んじゃ駄目だよね。私はふたりにお礼を言ってから、慌てて階段を駆け上っていったのだ。
 柿沼から教えてもらった音楽室の個室は、どこもかしこもプレートがかかっていた。結構個人練習している人が多いらしい。私はひとつひとつを見て回っていたところで、ようやく【桜木優斗】と書かれたプレートを発見した。
 私はひと息すると、拳でドアをノックする。

「ごめん、北川だけれど。桜木、いる?」

 無言。反応なし。
 うーん、中に入ったら、多分防音壁のせいで音が聞こえないよね? だからと言ってスマホで呼び出すか? スマホを弄ってメールを使うけれど、それでも反応なし。
 ……仕方ない。強行突破だ。もし鍵が開いてなかったらどうしよう。鍵を壊したらさすがに修理代なんて出せないし。私はひと言「入るよ」と言うと、ドアを開いた。

「え……?」

 私は驚いて目の前の光景を見ていた。
 個室と聞いていたから、てっきりピアノが一台あって、それを弾いたりしながら練習をしているんだとばかり思っていたんだけど。彼は机にノートパソコンを広げて、キーボードを叩いていた。
 モニターに映っているのは、楽譜。ノートパソコンに付けているマイクで桜木が鼻歌を歌うと、それがすぐさま楽譜に入力されていくのだ。

「……うーん、違う。次は」
「ええっと……桜木?」
「じゃあ、こっちは」

 さっき入力した分を削除すると、新しい音を入れる。それをもう一度流すと、それに桜木は「よし」と言いながら保存ボタンを押した。
 どうも、完全に自分の世界に入ってしまって、こちらの声が聞こえていないらしい。私は仕方なく、桜木の真後ろに立つと、手をパーンと叩いた。その音で、ようやく桜木はこちらに振り返った。

「あっ……北川さん……ご、ごめん……曲作りに夢中に……なっちゃって」
「ええっと……本当は私、説教に来たんだけど。先に説明して。これってなに?」
「えっと……」

 桜木は保存すると、ノートパソコンを一旦畳んでこちらに向き直った。さっきまで作曲していて音声を入力していたからマスクを取っていたのに、またマスクを付けて顔を隠してしまった。もったいない。顔はいいのに。

「えっと……趣味が、作詞作曲で……小さい頃から、音声入力ソフトで曲をつくるのが、好きだったんだ……」
「うん」
「最初はそれを、皆が、すごいねすごいねって聞いてくれたけど……ほら、普通の学校だったら、運動が、できたほうが格好いいじゃない……音楽やってるのは……駄目、みたいな、空気になっちゃったから……だから、中学時代は、曲を発表することが、できなくなっちゃったんだ」
「うん」

 桜木は、震える声で一生懸命話している。ノートパソコンを撫でる指先は、よくよく見たらアイドルらしからぬキーボードタコができている。
 基本的に3Bは女性にモテないとかよく言われている。バーテンダー、美容師、そしてバンドマンだ。音楽をやってるとどうしても女癖が悪いとか言われて敬遠されてしまうけれど、今は音楽を発表するのはバンドマンだけじゃない。

「……つくった曲を、誰も聞いてくれないのが、可哀想で……アカウント、つくって流してたんだ……最初は、知らない人の曲なんて、誰も聞いてくれないから。コピーシンガーみたいな、誰でも知ってる曲を歌って、少しずつ、本当に少しずつ、自分の曲を発表してったんだ……いっぱい、聞いてくれる人がいて、嬉しかった」
「……そっか」
「……えっと、北川さんは、説教に来たってことは、僕のアカウントのこと……」

 背中丸めてこちらをちらちらと上目遣いで見てこられたら、こちらがいじめているみたいで、なかなか気まずい。
 私はどう言ったもんかと髪の毛に指を突っ込んでぐるぐると丸めながら、言葉を探す。

「一応聞くけど、そんなに曲をつくるのが好きなんだったら、うちの学校でも作曲方面のコースはあったでしょ。そっちじゃ駄目だったの?」
「ほ、んとうは、そっちを受験するはずだったのに、親が間違えて、芸能コースに申し込んじゃったから……」
「なるほど。でもそれだったら、あんたひとりでプロデュースできるじゃない。なんで、アイドルになろうと思ったの? わざわざ柿沼とか林場とつるまなくってもよかったのにさあ」

 桜木は背中を丸めながら、小さく言う。

「……ここに来たとき、皆本当に、ギラギラしてて、怖かった……僕は本当に、曲がつくれたら、それだけでよかったのに、皆、芸能界に行くぞって意気込んでて、授業中でも、マネージメント契約できる人たち探すのでも、本当に怖くって……」

 本当にこいつを、どうしてこんな肉食獣ばっかりなところに放り込んだんだ、親御さんは。私はどうしても遠い目になる。
 どうにも桜木の物言いは、弟を思わせて、あまり無下にはできなかったりする。
 私が黙って続きを促すと、桜木は、たどたどしく口を動かす。

「……掃除当番のとき、もう事務所に入ってる人や、マネージャー探してる人はいなかったから、ひとりで掃除してるとき、歌ってたんだ……そしたら、柿沼くんがものすごく、褒めてくれて……嬉しかったんだ。途中から林場くんも入ってきて、皆足りないものがあるから、なら足りない分を補おうって、三人でアイドルユニットを結成しないかって話になって……だから、嬉しかったんだ……」

 そう締めくくった桜木は、目を細める。
 親の色眼鏡でしか見られないせいで、やたら壁のある柿沼からしてみれば、色眼鏡で見ない相手は貴重だったんだろう。桜木も小学校以来の自分の曲を褒めてくれる相手に出会えて嬉しかった。だから、アイドルになろうとした……。
 綺麗な話だ。端から聞いたら。最後に桜木が言う。

「……北川さんは、マネージャーだから……もし、動画サイトのアカウントを消せって言うんだったら消すけど、最後に……お願いが、あるんだ……」
「なに?」
「……ずっと僕のアカウントを応援してくれた……人たちに、最後に曲を届けたいんだ……それは、駄目かな……?」
「どんな曲?」
「ま、まだ……全部は完成してないんだけど……」

 そう言いながら、桜木はノートパソコンを広げると、保存していたファイルを開いた。
 そこから流れてくる、柔らかい歌声に、私は驚いた。
 柿沼のものとは違う。【GOO!!】のものとも違う。彼の曲は音律が音楽家が規定通りにつくったものとは違って、一定の法則性がないけれど、歌詞の切なさと音の優しさが胸を刺してくるような曲だ。
 正直、アカウントを消せと、今ここで言うのは簡単だけれど、こいつ自身の才能をすり潰してしまうのは、はっきり言ってもったいない。
 アイドルソングというのは、ラブソングは定番で、その次は夢は叶うという応援ソング、大人はなにもわかってないという叫びのような歌が、ファン層に当たる十代に受けるようになっている。あとは季節ネタ。
 十代の窮屈さを歌う歌詞というのは、どちらかというとシンガーソングライターの領分になり、アイドルソングのキャッチーさやわかりやすさを売る場合は暗いからとマイナスになったりするんだけれど。
【GOO!!】の歌唱力を考えれば、マイナスの歌詞をプラスに変えられるだけの力はある。となったら、それを使わないのはもったいない。
 私が黙って手帳を広げ出したのを、桜木は怪訝な顔で眺めていた。

「あ、あの……北川さん……?」
「桜木、まだ今度のライブの選曲終わってないんだけど」
「えっと?」
「本当は学校から曲をもらって、それで二曲とMCで組もうと曲聞いてたんだけど、あんたもしこの曲をライブで歌えって言ったら、どうする?」
「え……で、でも。この曲は、僕のアカウントの最後の、曲に……」
「もちろん、あんたのファンに最後のファンサービスをしたいって気持ちはわかる。そしてアカウントを削除しないといけないという学校側の意向も理解している。だったら、アカウント削除前に、【GOO!!】のライブの宣伝に使わせてもらえない?」
「えっと……?」

 目と眉を垂れさせて、困った顔をしている桜木に続ける。

「あんたのアカウントの削除前にあんたのソロの曲を流す。そしてラストに、この曲を【GOO!!】に提供したと宣伝する。そしてアカウント削除。あんたには相当ファンがいるっていうのは、私も知ったからね。まさか検証動画までつくられるとは思ってなかったし、あんたは歌が上手いとは思っていたけれど、そこまでの大物とは思ってなかったわ」

 学校外で芸能活動をしてはいけないという規定はあるけれど、SNSでの宣伝は規定には含まれてない。ただ、学校ではあんまりSNSのアカウントを持つのを非推奨にしているだけだ……芸能人二世が多い学校なのだから、なにかの拍子にマスコミが学校に押しかけてくるのを防ぐ意味もある。
 正直、桜木が動画サイトでハンドルネームで活動していたのは、ギリギリのグレーゾーンだから、学校規定の仕事の宣伝に持ち込んだ上で削除だったら、学校も黙ってくれるはずだ。

「えっと……だとしたら、来週なんだから、練習するとしても、今晩中には曲を完成させて、皆に送らないと……」
「デモテープ替わりに、あんたが歌った曲をそのまんま使えばいい」
「うん……わかった」

 それから、桜木はおずおずとマスクに指を引っかけた。
 相変わらず素顔はいい。

「あの……北川さん。本当に……ありがとう。僕の、わがままを叶えてくれて」

 正直、本当にわがままなんだから、勘弁して欲しいんだ。マネージャーは契約相手の泥を被るのが仕事とはいっても、私はひとり、あんたらは三人なんだから、皆が皆問題を抱えていても、こちらの身がもたないんだから。
 ただ、まあ。既にこちらは一蓮托生の身。あんたらに稼いでもらわないことには、こっちだって退学なんだ。退学は困るし、就職できないのはもっと困る。

「勘違いしないでちょうだい。私は私のためにあんたたちを利用する。あんたたちはあんたたちのために私を利用しているんだから、おあいこでしょう?」

 そう返した途端に、桜木はふんわりと笑ったことに、私は眉を寄せた。
 別に本当にことしか言ってないんだけれど。天邪鬼でもなんでもなく。

****

 芸能コースに入学したとき、ただ単純に曲をつくりたいだけの僕からしてみれば、呆気に取られることが多かった。

「次のオーディションだけど」
「マネージメントコースの契約は?」
「契約してないと、もらえる仕事は少ないから……」

 自分の売り込みに余念がない人、マネージメント契約をしてさっさと仕事を取りに行ってしまった人、事務所からの仕事優先で全然学校に来ない人……。
 成果を出さなかったら、一年後には退学だと言われているから、余計になんとかしないといけないってわかっていても、どうしても尻込みしてしまっていた。
 本当に……ただ。曲をつくりたかっただけなのになあ……。
 学校を通さない仕事は禁止だったけれど、動画サイトにはアフィリエイトも入れてないし、本当に趣味の領域だった。芸能活動には引っかかるから、本当にグレーゾーンだけれど。
 その鬱屈を溜め込んだら、それを吐き出すためにソフトを使っての曲作りが増えていく。
 一曲、また一曲と増えていき、それを動画サイトにアップすれば、見てくれている常連の人たちの感想がもらえる。それが嬉しくて、悪いとわかっていても、動画サイトのアカウントを消すことができなかったとき。
 ……ゴミ捨て場でひとりでゴミを捨てていた中、思いついた曲を即興で歌っていた。この音を覚えて、あとでソフトに読み込ませようと、何度も何度も歌っているとき、ひょっこりとこちらを見ている視線に気が付いた。

「同じクラスの、桜木くん……だよね?」
「えっと……」

 僕はあんまり人の顔を覚えられない。前々から人の顔と名前を一致させるのが苦手だったから。でも、柿沼くんはそうじゃなかったんだ。

「すごい! 今の曲初めて聞いたけどさあ。誰の曲? オレもアイドルソングとかはずっと追いかけてるけど、変わった歌詞だなあと思って」
「えっと……オ、リジナ……」
「え?」
「ぼ、僕がつくった……オリジナル曲。です」
「すごい」

 あんまりにも屈託なく、ケラケラ笑って褒める柿沼くんに、僕はただ頬を火照らせることしかできなかった。
 彼のお父さんとお母さんがすごい人だって言うのは、教えてもらわなかったら知らなかった。僕は音楽のことは知っていても、ドラマや映画はあまり知らなかったから、僕の知らない話ってあるんだなあと何度も何度も頷いていた。
 こうして友達に音楽の話をして、引かれずに聞いてもらえたのって、いつぶりだろう。

「なんかさあ、オレたちだったらいろいろできそうじゃない?」
「で、できるって……?」
「ゆうちゃんは音楽つくれるし、みっちゃんは演技できるし。オレはそうだなあ……バラエティー担当で! 歌手とか俳優だったら、それしかさせてもらえないけど、アイドルだったら全部できるんじゃない?」
「アイドル……?」

 アイドルと言っても、大きな事務所に所属しているユニット以外はピンと来ない。
 でも柿沼くんがアイドルを語る目が、やけにキラキラしていたことはよく覚えている。

「オレと一緒に、アイドルにならない?」
 桜木に一曲任せて、残りの曲は学校の曲を借りることにした。
 OGやOBがときどきライブで披露しているし、スーパー銭湯はひびがくの常連会場だ。あそこのライブが好きな人たちだったら一緒に歌ってくれるかもしれないという寸法だ。
 振り付けは学校のダンスの先生に頼み、どうにか形だけはライブの準備が整った。あとは、どう中身を充実させるかだ。
 皆のダンスのレッスンを先生に付けてもらっているのを横目に、私は手帳にライブ内容を書き込んでいると。いきなりぶわりと汗の匂いがした。汗、すごっ!?
 私が手帳を抱き締めて仰け反ると、タオルを首にかけた柿沼が「あはは」と笑っている。

「柿沼! 臭い! 汗が手帳に落ちちゃう! ちょっと、練習は!?」
「休憩中~! 先生も今は出てるよ」
「あっそ、お疲れ様! ちょっと一歩でいいから離れなさいよ、臭いってば!」

 うちの弟も、あと何年もしたらこんな風になるのかと、この年代の男子特有のにおいに、私が顔をしかめている中でも、柿沼の笑顔は崩れない。こいつ本当に嫌がらせに来たのか。

「あはは、さっちゃんすごい顔! さっきは眉間に皺すっごい寄ってたし!」
「ひ、人が真剣にスケジュール管理してたら悪い!?」
「ううん。さっちゃんはもーっと過密にスケジュールをオレたちに入れて、さっさと成果を出して事務所にたたき売りするんじゃないかーって思ってたのに、そんなことなくって安心した!」

 ……これは、馬鹿にされてるのか? 毒吐かれてるのか? どっちもか?
 相変わらず全然腹の読めない柿沼に、私は背中を仰け反らせたまま、どうにか答える。

「あんたたちを安売りするような真似はしない。高く買ってもらえるようになるために、価値を付けないと、意味ないでしょ。その第一歩が今度のライブなんだから」
「あはは、わかった了解。でも意外だったなあ」
「なにがよ」

 こいつイチイチ絡んでくるな!? 私はひょいとドリンクボトルを渡したら、それをすごい勢いつけて飲み干してしまった。
 ダンス室は結構空調が効いているのに、ダンスの練習していたらモロに汗が出るんだ。私は自分の体育のときを振り返るけれど、さすがにドリンクボトルをひとつ、全部空にするほど消耗しないから、芸能コースの面子は思いのほか消耗が激しいんだと分析する。でもあんまりドリンク与え過ぎてもカロリーが気になるし、だからと言って水だけ飲ませるのもミネラル不足で論外だから、この辺りは今度栄養学の先生にでも聞きに行くか。
 私がひとりで段取りを考えている中、気にすることもなく柿沼は言葉を続ける。

「君はてっきり、さっさとオレたちを事務所に登録させて、自由になろうとしてるって思ってたのに。意外と面倒見がいいなあと思って」

 こいつ、私の頭でも読んでるのか。そりゃこいつらがさっさと事務所に入ってくれたら、私はようやくお役目御免なんだけど。
 私はできるだけ顔色を変えないように努めながら、汗でぺたんと額に前髪を貼り付けている柿沼を見た。

「……あんたたちを利用したいだけよ。私は私の目標のために、就職しないと駄目なの。できるだけいい就職先を見つけるには、あんたたちを利用するのが手っ取り早いから」
「うん。知ってる。でもそこが不思議なんだよねえ~。君、なんでそこまでお金に困ってるの? 地頭いいんだから、大学だって行けるだろうに、高校を出たら就職するばっかり言って」

 それに思わず私は柿沼のタオルを結んだ。柿沼は「ぐえっ」と声を上げる。

「マネージャーはあくまであんたたちの黒子。黒子が表に出てどうすんの。ほら、あっちで林場と桜木がダンスの打ち合わせはじめたから、あんたもちょっかいかけてないでさっさと行く」
「ぐえ~……わかったぁ~……あぁー、なんで本当に口固いんだろうなあ……」

 そうブチブチ文句を言って去って行く柿沼を、私は手帳を抱き締めたまま見送った。
 あいつ、私の弱味を握ってどうする気なんだろう。それとも。私はまだあいつに試されているんだろうか。
 それに私は小さく首を振った。
 集中。今はスーパー温泉のライブを無事に完遂させることに集中する。
 私は手帳に書いたスケジュールを元に、事務所のほうに確認する事項を書き出していった。

****

 マネージメント契約をしなかったら、なかなか成果の出る仕事を得られることはできない。職員棟にある事務所に芸能活動する届けを出したら、各所に一斉に芸能活動することが報告される。それを元に仕事依頼が届くようになるが。
 マネージャーがいる場合は各所に宣伝をしてくれるし、事務所に行って依頼の中から受けられない仕事の選別もしてくれる。マネージャーがいない間は、俺たちだけで、仕事の選別を行っていた。十代ではアウトな仕事や、芸能界で生き抜くには不得手な仕事、柿沼のように親とタイアップの仕事もわんさかと届いたが、それらは軒並み却下をしたら、それだけでくたびれてしまった。まだなんの仕事もしてなくって、これだ。
 マネージメント契約は必要だと、マネージメントコースに働きかけたものの、柿沼の親の名前を知って目の色を変えてアピールしてくる女子ばかりが目立ってしまった。ただのミーハーなのは論外として、二世タレントと愉快な仲間たちという触れ込みで売ろうとしたところ、結果としてあいつを怒らせての揺すぶり、その末転校なんだから、どちらも得なんてしていない。
 そんな中で、やっと契約できたまともなマネージャーの北川は、ようやくまともな仕事を取ってきてくれたんだけれど。未だに柿沼はなにかとちょっかいをかけては北川を揺すぶっている。
 休憩中には、なにかと北川に声をかけては、すげなく返事をされている……今は、ちょっと首を絞められているが。それで桜木は隣であわあわしていたが、ようやく柿沼が戻ってきた。

「おい、いい加減にしろ。柿沼。本当に北川が嫌気差してマネージャー降りられたら、困るのは俺たちのほうだぞ」

 戻ってきた柿沼に声をかけると、柿沼はふてくされた顔をして、唇を尖らせてきた。

「うーん、だってさあ。さっちゃんは未だに腹の中が見えないんだもん」
「そ・れ・は・お・ま・え・も・だ・ろ」
「痛い痛い痛いっ、オレの額はクイズ大会のボタンじゃありませんっ! 連打しないで!」

 指でさんざんつつき回したら、オーバーリアクションで額を抑えてひっくり返った。それを俺と桜木はマジマジと見下ろした。

「あの……大丈夫? 柿沼くん」
「ゆうちゃーん!! オレに優しいのゆうちゃんしかいないっ!」
「え? 暑い! 苦しい!」

 そのまま柿沼はガバリと起き上がると桜木が抵抗しているのをまるっと無視して、抱き着いていた。見ているこっちが暑苦しい。こちらを見て呆れてるんじゃないかと、俺はちらりとパイプ椅子に座っている北川を見たが、北川はこっちを見ていなかった。
 眉間にカードでも挟めそうなくらいに皺を刻み込んで、スマホであちこちに打ち合わせをしている。

「すみません、ライブの確認なんですが……はい、はい。じゃあそれをお願いします」

 レッスンのときにはきっちりとダンスの先生に話を通してくれているし、俺たちの不備を全部後始末している。マネージャーがいないときからの癖で、リーダーとして仕事内容を探しに行こうとした際、しょっちゅう先に北川が来て、仕事の選別をあのしかめっ面でしているのを見ている。
 ……マネージャーが来てくれて、本当に助かってるじゃないか。
 なにが不満なんだこいつはと思っていたら、柿沼はふてくされた顔で桜木に抱き着いたまま言う。

「だってさ。さっちゃん。口ではオレたちを商品扱いするし、箔付けするとか言ってるけど、今までのアレな子たちとは全然違うじゃない。でもあの子、どう考えたって訳ありじゃない」
「……まあ、たしかに」

 いくら他が芸能コースとのマネージメントを優先させているからと言っても、北川がマネージメントコースの生徒と一緒にいるところを一度も見たことがない。よそのコースに彼女の友達がいるらしいし、一緒に食事を摂っているところは何度も見たことがあるが、それでも訳ありだ。
 ……思えば、柿沼恒例のマネージャーに対する嫌がらせを受けてないのも彼女だが、柿沼が痺れを切らして金で買収するような馬鹿な真似をしたのも彼女だった。
 柿沼はようやく桜木を離したあと、唇を尖らせて続ける。

「……別に言ってくれればいいのに。オレたちのことは管理するとか言う名目で、あれこれ聞き出すのにさあ。なんかズルい」
「子供か。北川だって、学業優先したいのに、無理してマネージャーやってくれてるんだから感謝しろ。あと彼女は成績を落とせないんだから、少しは手加減しろ。今までの彼女たちみたいに手荒な扱いするんじゃないぞ」
「わかってまーす……誰だっけ? さっちゃん以外の女子って」

 こいつは。俺は深く深く溜息をついた。
 ときどきこいつの言っていることが、冗談なのか本気なのかわからなくなる。
 桜木はそれをにこにこしながら眺めているが。

「……どうした、桜木?」
「ううん……前は、もっとピリピリしてたから、こういうの、ちょっといいなと思っただけ」

 そうにこにこしながら言うもんだから、俺は脱力した。
 桜木は桜木で、もともと歌は抜群に上手いのに、闘争心というものが欠片もないせいで、ピリピリとした空気は苦手だった。だから、マネージャーと柿沼の諍いのときは、本気で背中を丸めて脅えていた。
 そう考えたら。今はなにもかもが順調に回っているんだから、いい傾向なのかもしれない。
 俺はそう思いながらドリンクボトルを空にしたとき。

「お待たせ。それじゃ、レッスン再会しましょう」

 先生が入ってきたので、俺たちはそれぞれダンス室の隅に置いている鞄にドリンクボトルとタオルを押し込むと、立ち位置に着いた。
 前はやらないといけないことが多過ぎて、いっぱいいっぱいだったのが、今はレッスンだけに集中できるし、目の前のことひとつひとつにだけ全力投球できる。
 きっと、事務所に入るのも、マネージメント契約するのも、これが普通なんだろう……ただ、俺たちが普通から大幅に遅れていただけで。

「お願いします!」
「それじゃ、音楽流します」

 曲が流れ出したのと同時に、俺たちはダンスをはじめた。
 相変わらず北川は、こちらのほうをときどき見るだけで、ずっとあちこちに連絡をし、ときどきダンス室を出ては戻ってきてを繰り返している。
 それに何故か、ほっとした。
 ……目の前のことだけに集中できるのは、本当に気持ちのいいことだ。
 音楽室の個室。私は桜木から「新曲できたよ」と連絡をもらって、それを聞かせてもらっていた。
 アイドルソングと言っても、ジャンルはいろいろある。
 定番のJ-POPは明るい恋愛ソングや夢を追いかけるときめきを歌ったものが多いけれど、既にそれは大手アイドルユニットが歌っているし、そもそも学校から借りている曲が定番のアイドルソングなんだから、変化を付けたい。
 だからと言って食事中に派手すぎる曲を聞かせるのも気が引けるから、私は桜木に「フードコートの食事の邪魔にならないようにして」「こっちは時間がないから振り付けの発注ができないから、踊らなくっても間が持つようなもの」と、我ながら抽象的過ぎる発注をかけたけれど。
 前に聞いた曲よりも、何倍も完成度を高めていた曲を、私は真剣に聞いていた。
 元々甘い桜木の声に、バラードはよく似合った。全部聞き終えてから、ようやく桜木は広げたノートパソコンを閉じた。

「ど、どう……かな?」
「桜木……あんた、天才?」
「え?」

 またも桜木はマスクで鼻から下を隠してしまい、目をしぱしぱとさせる。
 私は曲を聞きながら頷く。まだ勉強している途中で、音楽業界について詳しい訳ではないけれど、桜木が登録している動画サイトの歌い手の曲はあらかた聞いた。
 歌い手のつくる曲は、音楽をがっつり勉強している人がつくっているパターンを崩しているのが多い。それは一見すると斬新に聞こえるけれど、上手い具合にまとめてしまわないと、だんだん外れたパターンは斬新さよりも不安を誘ってしまうあやうさがある。でも桜木の曲はその着地点が上手いんだ。
 定番のアイドルソングに、聞かせるバラード。この二曲で、なんとかライブができる。
 前座とはいえど、これで正式がライブができるんだから、願ったり叶ったりだ。

「曲がすごくいい。前に途中の分を聞かせてもらったけれど、それよりも格段によくなっている。これは絶対に聞いてもらえる。これ、他のふたりにも聞かせるから。歌詞は?」
「う、うん……」

 桜木は慌てて印刷した歌詞をくれた。曲を配る際に歌詞もコピーして渡しておかないと。あとは歌の先生に見てもらって練習したら、どうにかライブには間に合うか。
 本当に突貫だったけれど、なんとかなるもんだ。
 あとに、桜木のアカウント削除の問題だ。

「……あんたには悪いけれど、本当にグレイゾーンだから、動画サイトのアカウント消してもらわないといけないんだけど。大丈夫?」

 ライブの宣伝動画を流したら、一日後のアカウントを削除する。そう桜木に約束を取り付けたのだけれど。あんまりSNSを弄らない私はさておいて、中学時代からずっと自分のアカウントに曲を載せ続けていたのを見ると、すこーしだけ忍びない。
 桜木は一瞬視線を泳がせたあと、マスクをずらして、私と視線を合わせる。

「ありがとう……応援してくれた人たちに、お礼を言える機会をつくってくれて。アカウントを消してしまうのは悲しいけど。でも、それがはじまりだと思うから」

 そう言って、ふんわりと笑った。
 ほんとーうに、桜木は顔がいいのだ。私は少しだけ視線を逸らした。

「桜木、あんた普段からマスク付けてるけどさあ。それ、外せないの? まあ、喉を痛めるからとかだったら、私も止められないんだけど」
「ぼ、く……まだ、柿沼くんとか、林場くんみたいに、人と面と向かってしゃべれないから……マスクがないと、不安で……」

 人見知りが原因か。私は仕方なく、桜木のマスクに指を引っかけた。

「取りなさい。初仕事が終わってからも、仕事取ってくるとき、人見知りが邪魔をしたら、話になんないでしょ」
「う、うん……頑張る」

 なんでこんなに小動物みたいな反応するんだ。もう。私もこれ以上は強く言うことができず、しょげてしまった桜木に「まずはレッスン以外でマスクを取る訓練しなさい」と言うだけに留めてしまった。
 それはあまりにも甘過ぎるとは、自分でも思うんだけど。この手の生き物には、どうしても強くは出られないんだよね。
 私たちは、音源を柿沼と林場に送り、歌詞もそれぞれに配ってから、放課後のレッスンに落ち合うこととなったのだ。
 スーパー銭湯のライブまで、本当に突貫工事だったけれど。次の日曜にはいよいよライブなんだ。もうそろそろ衣装を着てのレッスンにもなるから、忙しくなる。
 私が音楽室の個室から出たところで、アプリが反応していることに気付き、スマホをタップする。琴葉からだった。

【衣装できたよ。突貫でごめんね】

 出来上がった写真と一緒にそんなメッセージが入っていた。半被をモチーフにした衣装に、ハーフパンツ。うん、完璧だ。
 私は琴葉に【ありがとう!!!!】とお礼メッセージを送ったあと、今日のレッスン時間とレッスン場所の番号を送っておいた。さあ、最後の仕上げだ。私は握りこぶしをぎゅっとつくって、マネージメントコースの校舎へと戻っていった。

****

 放課後になったら、予定のレッスン場に急いでいるところで「さっちゃーん!」と甲高い声で呼ばれて振り返ると、紙袋を提げた琴葉が駆け寄ってきた。

「琴葉、ありがとうね。他の芸能コースの人たちからも依頼があったんでしょう?」
「うん。大変だったなあ……演劇用衣装に、商材用衣装に、今回のライブ衣装……全部コンセプトが違うから、選ぶ布地から型紙まで全部違うしねえ」

 指折りながらそうのんびりと言う琴葉に、私は思わず身震いした。本当にファッションデザインって大変だ。演劇用衣装もライブ衣装も、ドラマや映画の撮影用の衣装と違って、普段着遣いなんてまず無理だ。舞台上で目立つこと前提の服だから、素材からして目立たないと意味がないんだから。
 いろいろ予定が立て込んでいたのに、よくここまで仕上げてくれたもんだと、私は琴葉に手を合わせた。

「本当にありがとね。次もあんたに仕事回せるよう、私もうちの奴らの仕事取ってくるから」
「そりゃわかってるよう。でも楽しみだなあ。今まで芸能コースの人たちとはいろいろ話してきたけど、アイドルやってる人たちとしゃべるのは初めてなんだあ」

 そう言って琴葉はにこにこしている。そりゃそうか。この子の夢はライブ会場で、自分のデザインした服を着て歌って踊っているアイドルを鑑賞することなんだから。

「うちの奴ら、男アイドルだけどいいの?」
「そりゃいいよー。女子アイドルと男子アイドルだと、コンセプトもいろいろ違うけど、ライブ会場でわたしの服見れるのだけは変わらないんだからあ」

 そうこうしている間に、レッスン場に来た。そこでは既にレッスンで最後の仕上げをしていた。空調を効かせているにも関わらず、相変わらずアイドルの踊りは汗をふんだんに掻く。汗の匂いをむわりと漂わせながら、三人が曲をかけてマイクで歌いながら踊っていた。
 学校の曲だから、皆聞いたことある歌だ。それを琴葉は目をキラキラさせながら見ているのに苦笑しながら、私は手をパンパンと叩いた。

「皆ー、練習中にごめん! 衣装が完成したから、衣装着て練習してもらってもいい? サイズがおかしかったら、すぐに調整するから。ほら、彼女はファッションデザインコースの島津(しまづ)琴葉さん。柿沼と林場は会ったことあるだろうけど。はい、お礼言ってー」
「ありがとうございます!!」

 三人ともペコッと頭を下げたのに、琴葉はにこにこ笑いながら、「はい、着替えてー」と服を差し出した。
 急いで着替えはじめたのに、まるで男子校だなあと私は思う。共学だったら、割と女子と男子と分けて着替えるから、女子が教室に入ってきた途端に男子が衣を裂いたような悲鳴を上げてもおかしくなかったのに。
 弟がいる関係で見慣れている私と、既にあちこちに衣装係として派遣されてつくった衣装のサイズチェックを行っている琴葉は、慣れきった様子でそれを眺めていた。
 さっさと着替え終えたのは林場だった。

「すまない。衣装の着付けはこれで合っているか?」

 半被にハーフパンツの衣装は、元々和風な雰囲気の林場には驚くほど似合っていた。琴葉は少しだけ半被の裾をチェックして、それに付属のたすきを取り出す。

「あとは袖をたすき掛けすれば完成なんだけど。自分でたすき掛けできるかな?」
「あー……すまん、頼む」
「オッケー」

 たすきで裾を止めて、クロスして結ぶ。これでダンスを踊っていても、袖が邪魔ということもないし、歌を歌っているときに袖がパタパタして気になることもないはず。
 さっさとひとりで着替え終えた柿沼は、たすき掛けに手間取っている桜木のたすきを結んであげている。
 それぞれ両手両足を動かしてもらうけれど、縫製は問題ないし、動きも阻害しないみたい。そのまま一曲踊ってもらうことになった。
 私はパイプ椅子を琴葉の分も引っ張り出して座り、皆の動きを見ながら手帳に書き込んだ。
 手帳に書いてあるタスクリストにチェックを入れる。
 曲は一曲目は完全に仕上げてある。二曲目のバラードの完成がまだだけれど、もう衣装はできているし、あとはライブ前にリハーサルさえやればいけるか。本当にギリギリのスケジュールだな。立てたのは私だし、自業自得だけれど。
 そう思いながら、三人のそれぞれを眺めていたら、隣で琴葉が目をキラキラさせているのが目に入る。

「……琴葉?」
「かっこいい、すごい……」
「……ちょっと?」

 目がハートになっているのに、私は内心「やばい」と冷や汗をかく。
 この子は惚れっぽいんだ。私はすっかり見慣れてしまったけれど、一応【GOO!!】の連中は顔はいいんだ。免疫がなかったら落ちる子だっているだろう。
 でもうちの学校は恋愛禁止だし、こんなことでこの問題児らの足かせになる訳には。

「あの、琴葉?」
「わたしのつくった衣装をアイドルが着て踊ってる! かっこいい、すごい!!」
「あ、そっちか?」

 琴葉の歓声に、私は心底ほっとした。あー、そっか。この子の趣味はどちらかというと年上だもんね。同い年のこいつらは範疇外か。よかった。あー、本当よかった。
 曲が終わったところで、私は「ありがとう! 衣装問題なかった? 問題なかったのなら、これ全部回収して本番までにクリーニングかけるけど」と声をかける。
 それに柿沼は、こっちまでやってきて、クルンと回転してみせた。和装がよく似合っている。三人ともスタイルはいいし、この分だったら他の和装も着せたいけれど、こいつらは和風って色を付けて売るのも曲調からしてよろしくないし、次はもっと正統派のアイドル衣装用意してもらったほうがいいかなと考えていたら、柿沼はそのままパイプ椅子のほうまでやってくると、琴葉の手をぎゅっと取った。

「ありがとう! すっごい着心地いい! 本番もよろしく」

 そうアイドルスマイルで言ったのだ。
 ……こいつは。私は思わず額に手を当てた。
 恋するなら年上趣味だろうが、芸能人に免疫のない子がアイドルオーラに当てられて、平常心を保てる訳がない。琴葉は動転して、そのままパイプ椅子ごと倒れてしまった。

「ちょっ、琴葉……!? こら、柿沼! 衣装用意してくれた子からかうんじゃない!」
「あはははは、ごめんごめん」

 私は慌てて、トんでしまった琴葉の救出に向かうのだった。

****

 ライブまで突貫工事。
 うちのマネージャーも予定の組み立てが乱暴で、一曲目のレッスンは進んだものの、二曲目は完成を待たなければいけなかった。桜木の曲は聞いたことがあるが、彼の曲はたしかにいい。だが、俺たちが覚えられなかったら意味がない。
 まだかまだかと思ったところで、ようやく二曲目のデータがスマホに届いた。急いでそれを流す。

「あっ、ゆうちゃんすごい。わざと歌詞を覚えやすい曲にしてる」

 柿沼はにこにこしながら、曲を何度も何度も再生させていた。たしかに、曲自体は癖のないバラードだ。だがバラードは歌唱力の差が露骨に出る。突貫工事でライブで歌えるものなのか。
 俺はそれを何度も何度も真剣に聞いていたら、柿沼が人の眉間に指をぐいっと押しつけてきた。

「みっちゃん。眉間の皺すごーい。さっちゃんみたいだ」
「な……元々は北川を困らせているのはお前だろ」
「そしてさっちゃんはオレたちのために、今までの倍々働いている訳だ。特待生辞める訳にはいかないから、学業は落とせないし。退学がかかっているからオレたちから目を離せないし」

 柿沼は謳うようにそうのたまうので、思わずまた眉間に力がこもると、柿沼はそこを面白がって何度も何度も指で突っついてくる。うっとうしいと、手をベチンと払いのけたら、本人は「あはは」と笑った。

「まさか、ここまで嫌がらせして、逃げないとは思わなかったんだ」
「……柿沼。まだ北川を信用してないのか?」

 いい加減、彼女のことを信じてやって欲しいと思う。彼女が桜木の事情を考慮した上で、曲をライブ前ギリギリまで粘って制作させたんだから、ギリギリの配慮のはずだ。
 俺の言葉に、柿沼はキョトンとする。

「んー……だってさあ。さっちゃんは、オレたちのことまだ信じてないじゃない?」
「……待て、話が飛躍し過ぎてわからない」
「信じてもらえないのに、100%信じることって、できなくない?」

 この宇宙人が。わかる日本語で言え。
 それから柿沼は、放課後まで俺の追求をのらりくらりと交わしたのだから、本当に始末に負えない。こいつがいったいなににそこまで固執してるのかは、そのときはちっともわからなかったんだ。
****

 その日は晴天。いいホリデーだ。まあ、一般人はだけど。
 私たちはスーパー銭湯の裏口から入ると、オーナーさんが用意してくれた控え室に入った。普段は会議室に使われているらしい部屋で、急いで衣装を着替えてもらうと、化粧のために呼んでいた真咲に、最後の仕上げを頼む。

「はい、ヘアメイクコースの田所(たどころ)真咲。今日は休みを潰して来てくれたんだから、皆挨拶するように」
「ありがとうございまーす」
「はいはい。まあ……まだ練習をちょっとだけ見せてもらったばかりだけど、いい男っぷりだねえ」

 そうしみじみと言う真咲に、桜木は顔を真っ赤にして俯いた。真咲は同い年からしてみても、かなり大人びているから、あっさりと褒めたのが駄目なのかもしれない。
 私は相変わらずの制服姿の中、真咲はぴったりとした黒いカットソーにレギンスパンツという体のラインがものすごく出る服を着ながら、手には大きなバッグを持っている。彼女の商売道具であるメイク道具一式がこの中に入っているのだ。
 さっさと着替えた皆をひとりひとり並ばせると、肌つやが出るように薄くファンデーションを塗り、目元に軽くラメを入れはじめた。
 アイドルが化粧崩れでグズグズになってしまったら目も当てられなくなってしまうから、スーパー温泉の湿気やダンスで出た汗でも流れ落ちないように、ウォータープルーフのメイクを頼んだのだ。
 化粧はナチュラルメイクが一番難しい。本当だったら下地を塗ってファンデーションを塗って口元にグロスを塗るっていうのが一番てっとり早いんだけど、それだと顔がペタンとして立体感が損なわれてしまう。その点、既にプロのメイクを勉強している真咲は、さっき一緒にステージのライトの位置を確認して、光源を計算しながらメイクを施してくれているから仕上がりも満足行くものだ。
 化粧をひと通り終えたら、それぞれの髪に手を入れる。
 そもそもストレートヘアの林場は軽くブラシをかけるだけで済んだけれど、ふわふわの癖毛の柿沼と桜木は、どうしても湿気のこもるスーパー銭湯だと、ライブ中に頭が爆発してしまうと判断して、軽くムースで固めないといけなかった。

「はい、できたよ。これで大丈夫か確認して」

 鏡を渡すと、柿沼はペタペタと手で頭を顔を触るものだから「やめなさい、綺麗にしてもらったのに」と私が注意する。それに真咲は苦笑しながら、メイク道具を片付けていった。

「本当にありがとうね、真咲。今日は家の手伝いだったんでしょう?」

 私がこっそりとお礼と言うと、真咲は涼しい顔だ。彼女の実家は商店街の中にある化粧品屋なんだ。

「いいよいいよ。あたしも女子の化粧の手伝いは何度かさせてもらったけれど、咲子の付き合いがなかったら男子の化粧の機会なんかなかったしねえ。頭も触らせてもらったし」
「でも……」
「あたしは普段は充分家の手伝いしてるからいいよ。あんたのほうが心配。すっかりと灰色の高校生活が地に着いちゃって」

 そう言って、ちらっと男子たちのほうを見る。林場は律儀に「ありがとう、おかげでライブに出られる」と挨拶したあと、皆で【HINA祭り】の控え室に挨拶に行く。私も着いていかないと。
 私は立ち上がり、真咲に振り返る。

「今、結構充実してるから。そこまで真咲が心配しなくってもいいよ。それに、猶予期間なんてないしさ。あいつらちゃんと事務所に入れなきゃ、私の就職にも響くしさ」

 そう言って「観客席から見てあげて、あいつらのこと!」と手を振っていった。真咲のボソリとした「だからそこが心配なんだって」と言う声は、聞き流すことにした。
 あいつらが私を利用するように、私だってあいつらを利用している。運命共同体だけど、別に友達じゃないし、仲間でもないから。本当にただ、それだけ。

****

【HINA祭り】の控え室は、普段からスーパー銭湯の常連なせいか、ちょっと広めの部屋が宛がわれている。響学院も毎年ここにライブの仕事をもらっていても、ここまでVIP対応はされてないんだけど。
 私たちはドアを「失礼します、今回前座を務めさせていただくことになった【GOO!!】です」とノックしながら言う。
 すぐに「はあい」という声と同時にドアが開いた。ムワリと漂うのは化粧の匂いで、こちらも化粧の最終チェックに余念がなかったみたいだ。
 ピンク色の膝上の浴衣に、レースの前掛けをあしらったおそろいの衣装を着た女の子たち。化粧もパステルカラーを載せていてニコニコ笑っている。
 この人たちが全国行脚しているスーパー銭湯専用アイドルなんだ。芸能人は独特の人を釘付けにするオーラをまとっている人たちが多いけれど、彼女たちは不思議と商店街で顔馴染みになった店の店員さんみたいな安心感がある。

「こんにちはぁ、響学院の【GOO!!】さんですよね? この間のネット配信見ました。びっくりしましたよ。ええっと、ゆうPさんは?」

 意外だ。ネット動画の歌い手までチェックしているなんて。スーパー温泉のライブの宣伝を、アカウント消す前にしたから、スーパー温泉のライブの噂をネットでリサーチしてたのかも。
 いきなり振られて、一瞬桜木はビクッと肩を跳ねさせたものの、今日は既に化粧をしているから、いつものマスクはない。柿沼が背中をドシンと叩き、林場は肩を軽く叩くと、観念したように彼女たちの前に一歩出ていった。

「ぼ、僕です……い、今は本名、桜木優斗で……【GOO!!】のメンバーですけど……」
「いえいえ、そこまで緊張しなくっても。あの歌、すっごく素敵でした。三人で歌うの、本当に楽しみにしています」

 驚いた。本当にアカウント削除まで三日ほどしか、ゆうPとしての歌は流していない。それもきちんとチェックしているなんて。
 リーダー格らしい、ポニーテールの女性は「私、花菱立夏《はなびしりっか》と言います」と名乗ってから、にこやかに笑った。

「毎年毎年、響学院さんからやってくるアイドルの人たちの完成度が高くって、私たちも負けてられないぞって思ってチェックしているんです。初ライブだって思って緊張しないで、100%の力を出し切る感じで頑張ってください。それがお客様には伝わりますから」

 なるほど……桜木は花菱さんが差し出してきた手を、本当におずおずと握ると、そのまま握手した。皆それぞれ握手をしてから、最後に私はマネージャーさんと名刺交換して、ようやく控え室を後にする。
 響学院は有名芸能人を大量に輩出してきた学校だ。うちのOBもOGも芸能界でそこそこの地位に立っている。その卵を、まだなんの略歴もないからって、前座だからって甘く見ることはないってことか。
 ちゃんとライバル認定されているっていうのは、初ライブとしては上々なのかな。

「うーん、女子アイドルと男子アイドルだったら、結構派閥が違うから、それぞれ異種格闘技戦で頑張ろうって感じになるのかなあと思ったけど、そんなことなかったねえ?」

 のんびりとした声を上げる柿沼の声に、林場は「そりゃそうだろ」と言う。

「俺たちは彼女たちの縄張りを荒らしに来たんだ。今日のライブはどちらかというと彼女たちのライブに、俺たちが間借りするだけなんだから。彼女たちはいわゆるご当地アイドルであり、俺たちと目指す方向性は違えども、今日の舞台は同じだ。油断なんかしてくれる訳がない」
「結構もっと「一緒に頑張りましょう」って感じかなあと思ってたのに、結構食い合いの話になるんだあ」
「逆に言ってしまえば、彼女たちに縄張り荒らしされるって警戒させられたのは上々だろう。それに、彼女たちのファン層はスーパー銭湯に通うお客さんなんだから、老若男女幅広い。俺たちの名前を覚えてもらえる可能性だってあるし、桜木が動画サイトでつくったファンも見に来てくれているだろうし……桜木?」

 リハーサルに向かう中、桜木は真咲にきっちりメイクしてもらったにも関わらず、顔が真っ青になってしまっている。ええっと……緊張してるの。

「ご、ごめん……ちょっと待って、トイレ……」
「ああ、ゆうちゃん……!」

 そのままトイレまで直行してしまった。ちょっと待って。今はリハーサルだからいいけど、本番まで既に二時間切ってるのよ!?
 私はふたりに「ごめん、私。桜木の様子見てくる! ふたりは先にリハーサルに向かって!」と声をかけて、桜木を追って走って行った。
 どうするどうする。さすがに男性トイレまで入っていけないし、私はここで待つだけか? ぐるぐると考えていたら、桜木がよろよろして出てきた。

「ちょっと桜木、あんた大丈夫?」
「う……ごめん……ちょっと、緊張して」

 こいつは。この間の突発ライブはきちんと成功させたでしょうが。それをそのまま口にしちゃ駄目だよなと、私はできる限り優しい言葉を探し出す。

「……緊張する方なの? リハーサル前だけど」
「ご。ごめん……動画サイトで、上げてたときは……コメントをもらうまで、誰が僕の歌を聞いているのかわからなかったし……前のときは、男の子の親御さん探すっていう使命があったから、できたけど……今回は、先輩アイドルのファンがいっぱい来ている中、前座をするんだって思ったら……本当に、吐きそうになって……」

 また口元を抑える桜木に、私は慌てて背中をさする。
 ナイーブか。いや、普段から見られ続けるのが常な柿沼や、元々が俳優志望だった林場の鉄が心臓過ぎるんだ。アウェイに放り込まれたときは、緊張するほうが普通だ。
 私は背中をさすりながら、なんとか言葉を選ぶ。

「……そりゃ、緊張するよね。ここにいるのは、あんたのファンだけじゃないし。でもさ。動画サイトで歌を歌って、ファンをつくっていたのはあんたの功績でしょう? 全員はあんたのファンではないかもしれないけど、あんたのファンがいない訳でもないでしょう?」
「……北川さ」
「それに、あんたの曲はいい。これだけは間違いないの。あんたの歌も、あんたのつくった曲も本当にいい。それを、今回は初めて、【GOO!!】としてお披露目するんだから。あんたがアカウント消したことで悲しんだ人も、あんたの門出を祝いに来ているかもしれない。もちろんあんたのファンにだって事情はあるだろうから、全員ではないかもしれないけれど、ひとりくらいは、いるかもしれないでしょう? それに」

 つくった曲は、本当に全員でギリギリまで練習して、どうにか空で歌えるようになったものの、まだ揃っているとはとてもじゃないけれど言えない。
 すっかり歌い慣れてる学校制定の曲とは違い、完成させたばかりの新品の歌だ。そう一長一短で揃うはずがない。でも。
 柿沼の歌、林場の歌、そして桜木の歌がきっちりと重なったとき。それは絶対に気持ちのいい曲になるはずなんだ。

「あんたたちの一番のファンは、関係者席でずっと見てる。あんたたちが曲を完成させるのを、楽しみにしてるんだから」

 桜木の手を取った。男子は基本的に女子よりも冷え性にはならないとは聞いていたのに、緊張で爪先の色が抜け落ちてしまい、手が驚くほど白いし冷たい。私は自分の体温を分け与えるようにして握った。

「えっと……僕。上手くできるかはわからないけど……でも」

 今度は桜木が私の空いている手を取って、握ってきた。
 少しだけ爪先に赤みが灯り、体温が戻ってきたような気がした。

「頑張るから……見てて」
「……わかった。ほら、リハーサル行ってきなさい。私も後から行くから」
「うん」

 滑舌がよくなってきた。桜木は、動画サイトでは滑舌よかったんだもの、きっと緊張がほぐれてきたんだろう。
 大丈夫。初ライブは絶対に成功する。私はそう確信を持って、【GOO!!】のリハーサルを見に行くこととなったのだ。
 リハーサルだけれど、既にフードコートの特設ステージには人がわんさかと詰めかけていた。食事する人たちはもちろんのことだけれど、並べられたパイプ椅子にはばっちりと人が並んでいる。
 なにがすごいって、既に【HINA祭り】のロゴの入ったタオルを持っている人たちが並んでいることだ。おろしたての服に汚れひとつない靴と、スーパー銭湯密着型アイドルのファンとしてのプライドが見えるのに、私は喉を鳴らす。
 ステージ裏には、私と同じくネームプレートを首にかけた【HINA祭り】のマネージャーさんが立ってハラハラしながらステージを見ている。

「すごいですね、まだ前座がいるにも関わらず、あんなに【HINA祭り】さんのファンが並んでて」

 私がマネージャーさんに声をかけると、マネージャーさんは笑顔を浮かべる。

「いえ。うちの子たちも負けず嫌いですから。今回は【HINA祭り】の独壇場にはなりそうもありませんし」
「ええ?」

 マネージャーさんが仰いだ先を見て、私は少しだけ驚く。【HINA祭り】のファンはスーパー銭湯の常連の男性客やファミリー層だ。でもその中でぽつぽつと女の子のファンが座っているのが見える。
【GOO!!】がゲリラライブを行ったのは、ついこの間。たった一曲でファンが付いたとは思えないけれど、これって桜木のアカウントで呼びかけた客層ってことなのかな。
 マネージャーさんはにこにこ笑う。

「いつも響学院さんからやってくるアイドル勢は油断ができません。おまけに、本当に久し振りの男性ユニットだったんで、客層が違うと思って油断していましたが、こちらも気を引き締めてかからなければいけませんね」
「そんな……あいつらは、たしかに実力はありますが、知名度は【HINA祭り】さんには全然負けています」
「ほら、あなただってすっかり彼らのファンじゃないですか」

 そう言われて、私は「しまった」と口を塞いだ。
 ……あいつらは、実力はあるんだよ。本当に。ただこいつらは100%力を発揮するための環境がなかっただけで。
 たった一回の、それもスーパー銭湯のライブで、しかも前座で、なにが掴めるのかなんてわかりゃしないけど。でも。あいつらを見せびらかしたいじゃない。あいつらはアイドルなんだと。
 皆がステージに並ぶと、最初のリハーサル限定のMCがはじまった。
「学校の校則とかしゃべったり、誰かの悪口はNG。できれば場を借りているスーパー銭湯の宣伝をしてあげて」という打ち合わせで、いったいなにを話すんだろうと思っていたけれど、先に元気に柿沼はマイクを持った。

『皆さーん、こおーんにーちはー!!』

 普段の腹黒さを感じさせない、明るい声だ。ファミリー層の子供たちが早速「こおーんにーちはー!!」と挨拶を返す。

『まだまだ元気が足りないよ。こーんにちはー!!』
「こーんにちはー!!」
『うん、オッケー。まだライブははじまらないし、これからリハだけれど、オレたちの歌を聞いていってください! オレたち、【HINA祭り】さんの前座を務めますけれど、負けるつもりはありませんから』

 アホー!!
 私は頭を抱えて、にこにこ笑っているマネージャーさんをちらっと見ると、必死で謝る。
 なにいきなり喧嘩売ってんだ! だから、初ライブで早速【HINA祭り】に喧嘩を売るような真似をするのはやめろって言ったでしょうが! ネットで拡散されたら、こっちだって手の施しようがないんだってば……。
 私はこれをどうするどうすると思っていたところで、スパーンとスリッパの音が響いた。 って、スリッパ? ステージを見たら、思いっきり柿沼を林場がスリッパで殴っていた。途端にドカンドカンと笑いが広がっている。ええー……。

『やめろ馬鹿。【HINA祭り】さんに場所をお借りして歌を歌えるようになったのに、いきなり喧嘩を売るんじゃない』
『ネットは、怖いよ……?』

 林場だけでなく、桜木までツッコミを入れている。そして柿沼はオーバーリアクションで頭を抑え込んでいる。
 ……ああ、そうか。あれで頭のいい柿沼のことだ。自分が喧嘩を売るような真似をしたら、生真面目な林場だったら絶対にツッコミを入れるし、引っ込み思案の桜木だって止めに入るのを計算に入れた上で、MCで喧嘩を売ったんだ。
 これで、ボケ1:ツッコミ2のキャラがわかる。しかも林場が持ってきてるスリッパ、地味にここのスーパー温泉のものじゃない。これでスーパー温泉の宣伝までするつもりか。
 私が勝手に感心している間に、林場はMCを続けた。

『そして、俺たちは歌いに来たのであって、漫才をしに来た訳じゃない。お客様が俺たちのことをトリオ漫才師と思って帰ったらどうするんだ』
『ぼ、くたちは、【GOO!!】って言います。覚えて帰ってくださいね』
『【HINA祭り】さんに喧嘩を売った馬鹿集団って覚えてってくださいー!』
『だから、いちいち喧嘩を売るな!』

 またもドッカンドッカンと笑いを取っているので、私は頭を抱えてしまった。これで、歌を聞いてもらえるんだろうか。
 でも、MCが終わって、観客席もざわつきはじめ、BGMが流れはじめた途端に……皆の視線がステージに釘付けになった。
 ライトの位置、フードコート特有の空気、銭湯から出たばかりの人たちの熱気。それらが一心に溶け込んだこの場所で、彼らのダンスと歌で、皆の視線を奪ったのだ。
 途端にどこからかタオルが振られる。銭湯のタオルだったり、ライブタオルだったり、それらが振られる中、私はステージ裏でむずむずと見ていた。

「よっす。はじまってるね」
「まだリハーサルだっていうのに、熱気がすごいね」

 ステージ裏には、ちょうど真咲と琴葉がやって来て、ステージのほうに視線を注いでいた。ふたりは【HINA祭り】さんのマネージャーさんにも挨拶を済ませると、ステージを見た。ふたりともステージで歌って踊っている【GOO!!】に、目が釘付けになっている。

「すごいね……普段しゃべってるときは、普通の高校生なのに。ライトを浴びた途端にあんなに変わるんだ」

 琴葉のしみじみとした声に、私も頷いた。レッスンにも立ち会っているし、なんだったら衣装合わせのときだって、一対一でしゃべったことだってあるのに、それでもステージの上にいるのと普段だと、全然違う。
 真咲はステージを見ながら満足げに笑う。

「うん、これだったら咲子がのめり込む訳だ。恋のひとつもしないで学校卒業しそうだから心配してたけど、これだったら安心だ」
「……あのね、真咲。うちの学校はそもそも恋愛禁止」
「思うだけだったら、交際してないんだから自由だと思うけどねえ」

 なんで混ぜっ返すかな、この人は。私はそう思いながらも、歌を終えて、一旦ステージ裏に置いてあるタオルとドリンクボトルを飲みに来た皆に、それぞれ渡す。
 帰ってきた途端に、むせかえるような汗の匂いに、私はそれぞれの頭にタオルを被せてやる。一曲はたった五分だっていうのに、それでこの量の汗……。今まではあそこまで明るいライトの下で歌ったり踊ったりしたことないし、なによりもお客様の前でのライブは初めてだ。それですぐに消耗するんだったら、こっちもなにか考えないと駄目だな。

「あれ、まあちゃんだけでなく、こうちゃんも来てくれたんだ」

 柿沼はドリンクボトルを一気に飲み干すと、琴葉のほうに目を瞬かせる。それに、琴葉は小さく手を振る。

「うん、わたしのつくった衣装着た皆が見てみたかったし。あと【HINA祭り】さんの衣装も見てみたかったから」

 他社の縫製も見たいなんて、さすが琴葉。勉強に余念がない。林場や桜木もぺこっと頭を下げてから、「また行ってくる」とステージへと戻っていった。
 リハーサルだけで、これだけの熱量じゃ。本番はいったいどうなってしまうんだろう。
 次のバラードも滞りなく終わったところで、ようやくステージには【HINA祭り】さんたちが並んだ。彼女たちは控え室にいたときは、もっと普通の女の子たちだと思っていたけれど。ステージ裏にスタンバイした途端に雰囲気が変わった。
 再び戻ってきた【GOO!!】の皆は、バラードなだけあって、そこまで消耗せずに、ただ大人しくタオルを被って見守っている。

『皆さーん、こんにちはー!! 【HINA祭り】です!!』

 途端に、【GOO!!】が掴んでいた空気は、途端に拡散され、フードコート全体に拍手と歓声、熱気が膨らんでいった。
 すごい。たったひと言のMCで、ここまで空気が変わるなんて。
 そうか、ここは彼女たちのホーム。前座はいわばアウェイであり、ゲストだ。彼女たちが温かく迎えられるのを見て、私はただただ驚いてしまった。
 もっとショックを受けるのかな、こいつらも。私はちらっと座って見物している奴らを見るけれど。三人とも、目はキラキラしたままステージに釘付けになっている。

「すごいよねえ、ホームでこんなにお客様たちに迎えられるなんてさ」
「彼女たちはすごいな。いったいどれだけ足で稼いだんだ」
「うん……スーパー銭湯でのライブって、年々増えているから、全国行脚しているとはいっても、そこで営業してる人たちが頑張ってない訳がない。だから全国でトップでなくても、スーパー銭湯でトップになるっていうのだけでも、本当にすごいことだと思うよ」

 三人とも、早速歌って踊りはじめた【HINA祭り】の面子を褒めながらも、ずっと凝視している。彼女たちがお客様たちにマイクを向ける仕草、追っかけのファンたちがタオルをくるくると回す仕草、歓声……これはもう、ただ【HINA祭り】がすごいんじゃなくって、お客様たちと一緒にステージをつくろうとする歴戦の技だ。
 ただ踊りと歌だけを完璧にしても、こんなアットホームなステージはつくれない。
 それをただ、貪欲に吸収しようとしている皆に、私は感心してしまった。

「……敵わないなあ」

 MCを挟んで、二曲目に入り、今度はお客様と一緒に手拍子をはじめた【HINA祭り】のステージを見ながら、私はぽつりと呟く。
 それに真咲は眉を持ち上げる。

「そりゃあっちはスーパー温泉での営業活動五年のベテラン勢だろ。いくら有名芸術学校の生徒だからって、経験が足りないのに勝てる訳ないだろ」
「もちろん【HINA祭り】はすごいよ。そうじゃなくって、あっち。あいつら」

 私はできる限り声を小さくして、ライブを見ている三人をちらっと見た。
 柿沼は観客席に視線を向けているし、林場はステージの上で飛び跳ねている【HINA祭り】に目が釘付けだ。桜木はずっとスピーカーを気にしているのは、曲の流れ方を考えているのかも知れない。

「あいつらは才能があるから、人の才能に嫉妬をしない。むしろ、どうやってそれを吸収するかって、そればっかり考えてる。すごいよ。あいつらは本当に」
「ベタ惚れなんだねえ……あんたも」
「変な言い方やめてってば」
「いや? 単純に、本当にほっとしただけだよ。咲子があいつらにベタ惚れなおかげで、あんたは義務以外もできるみたいでさ」

 真咲のひと言に、琴葉は見かねて「しぃー! まあちゃんそれ以上は駄目」と言う。
 心配させてるんだなあ、本当に。私は琴葉にも。真咲にも。でも。
 私はこの生き方以外ができないし、捨てる気もないから。あいつらに才能があると思えば思うほど、早く解放しなくてはって思えてくる。
 私みたいな人間じゃなくって、もっとまともなマネージメントを受けられるように。いい事務所に入れるように。全力で売り込まないといけない。
 それが、きっとあいつらにとっても幸せなことだから。

****

「あの、すみません。ここのスピーカーなんですけれど。二曲目のとき、もうちょっと右側のスピーカーの音を小さくして、左側のスピーカーの音を大きくできませんか?」

 リハーサルが終わり、三十分の休憩を挟んでいよいよ本番になるんだけれど。
【HINA祭り】はご丁寧に、リハーサル衣装と本番衣装とが違うため、本番用浴衣に着替えに行っている。その間に食事休憩なんだけれど、桜木は音響さんに交渉に出かけている。
 私ではよくわからなかった音のことを、普段から曲をつくっている桜木はなにかしら思うところがあったのかもしれない。
 帰ってきた桜木に「どういうこと?」と聞きに行ったら、いつものように薄く笑って教えてくれた。

「左側はお年寄りが多くて、右側は小さい子が多かったから。僕たち全体的に声が高いから、お年寄りの耳には聞こえにくいかもしれないって思ったんだ……【HINA祭り】さんのリハを見学してたら、やっぱり聞こえにくいらしくって、反応が遅れてたから」

 ああ……お年寄りは高音が聞き取りにくくって、低音は拾えると聞いていたけれど。わざわざ【HINA祭り】のために調整してたんだ。
 一方MCの内容を林場と柿沼はしゃべっている。

「やはり俺たちが北川に買ってきてもらったフードコートの食事のことは話すべきか……」「もう喧嘩を売るネタはリハで使っちゃったからできないしねえ。だったら次はテロ宣言? あ、駄目だ。ネタが被ってる」
「もっと穏便なネタを使え。掴みはよかったけど、これ以上やったら【HINA祭り】のファンを刺激しかねない」

 わいわいとやっているのを見ながら、私は「とりあえず、全員食べながらでいいから聞いて」と言う。
 三人の視線が集中するのを感じながら、私は続ける。

「さっきのを見てて、よくわかった。あんたたちは、ちゃんと自分のできることをやれるし、貪欲に吸収しようとしているから。だから、もうMCに指示は入れない。……まあ、あんまりやり過ぎると、私も事務所からものすっごく怒られるし、そのぶんだけ仕事探しも遅れます」

 それに、この間の突発ライブのことを思い出したのか、三人とも視線が泳いだ。こら、泳ぐな、こっち見ろ。
「でも」と私は続ける。

「責任は取るから、好きにやりなさい。ただ、無謀な真似はすんな」
「おう!!」

 ライブ前って、こんなもんだったっけ。
 全員がサンドイッチに紅茶、唐揚げを食べ終えたのを確認して、それぞれのゴミを回収したところで「円陣組もう!」と呼ばれる。
 私は無理矢理、柿沼と林場の間に入れられ、額をごちんと桜木とぶつける。痛い。

「初ライブ、成功させるぞぉー!!」
「おうっ!!」

 ばっかみたい。こいつらがこうなのか、それとも男がこうなのかは知らないけれど。
 なにもはじまってない。初ライブで、前座で、これが次の仕事に繋がるのかさえわからない。でも。
 何故かそれがくすぐったくて仕方がなかった。
 スーパー銭湯のライブも無事終了。

「お疲れー!」
「初ライブ楽しかったぁー!」
「お疲れ様!」

 汗だくだくで、三人とも満足げにしていた。
 本当にすごかった。リハーサルで100%出し切ってるんじゃないかと思っていたけれど、本番はそれ以上の熱気だった。
 あの場にいたほとんどの目当ては【HINA祭り】であり、前座が終わった途端に【GOO!!】がつくった空気を塗り替えられてしまうのはけしからんかったけれど、控え室で着替えていたときに、すぐに【HINA祭り】の人たちが挨拶に来てくれたのだ。

「すごかったです! 初ライブで場数踏んでいるような言動取られるとは思わなかったし、うちのお客様を取られるんじゃないかってびっくりしました!」

 まさか歴戦の猛者からそんなこと言われるなんて。それは最上級の褒め言葉じゃないだろうか。それには代表して林場が挨拶に向かう。

「こちらこそ、本当にいいライブをありがとうございました。自分たちの初ライブを、こんな貴重な場で」
「いいえ! もし単独ライブするんでしたら、応援しますから! あ、こちら【HINA祭り】のSNSのアカウントに公式サイトです! なにかありましたら連絡してくださいね、こちらも宣伝しますから!」

 そう言って、わざわざ【HINA祭り】さんの名刺を置いていってくれたのだ。私はそれをしまい込む。彼女たちは、つくづく場数を踏んでいる。相手の敵にならないで味方を増やす術を知っている。これも覚えて帰らないとな。
 私がそう考えている中、「さっちゃーん!」と声をかけられた。

「ほら、さっちゃん。まあちゃんやこうちゃん誘って、打ち上げしない? そこのフードコートでもいいし、ファミレスでもいいけどっ」

 柿沼に明るく声をかけられるものの、私はちらっと時計を見た。
 そろそろ帰らないと、スーパーの日曜セールに間に合わないなあ。初仕事だから頑張れって応援してくれていても、私の突然の路線変更に困らせているんだから、これ以上は迷惑はかけられない。

「ごめん、帰らないと駄目だから」
「えー、用事? それなら仕方ないけど」
「あんたたちは、打ち上げ行っていいから。なんだったら予算を」
「いいよ。ただ、親睦会したかっただけー」

 べえっと柿沼に舌を出されてしまい、私は目を細めた。
 こいつ、ほんっとうに宇宙人だな。こっちを試すようなことしてきたと思ったら親睦深めたいって、一貫性が全然ない。
 私は「いつか誘って」とだけ言って皆に挨拶して帰ることにした。
 琴葉と真咲も、用事が終わったから私と一緒に帰路に着いた。

「もったいない。誘われたんだから行ってこればよかっただろ。あいつら、気持ちいい奴らだしさあ」
「……あいつらは、芸能界に行くの。私はあいつらを送り出すための、ただの踏み台だから」
「んー、多分柿沼くんたち、さっちゃんがそう言ってるの知ったら泣いちゃうと思うよ?」
「泣かない泣かない。あいつら外面いいだけで、結構いい性格してるから。それより、ふたりとも本当にありがとう。私、人望ないから、ライブのことなんてどうすればいいのかわからずいっぱいいっぱいだったのに、手伝ってくれて」

 ふたりに頭を下げると、真咲はばっさりと「大袈裟」と切って捨て、琴葉は「いいよぉ、そんなの。【HINA祭り】のライブも間近で見られたし」と笑って答える。

「あんたのところも。落ち着くといいんだけどね」
「……うん」

 そればっかりは、私だってどうにかなるのかわからないから。
 帰り際にSNSを確認してみたら、意外と【HINA祭り】のファンの人たちが書き込んでくれているのにほっとした。あと桜木のファン。あと一部の柿沼隼人のファンが気付いたらしく【この子、隼人さんの息子じゃない?】と昔バラエティーで映った柿沼の映像を見てざわついているものの、そこまで大事にはなっていないみたいだ。
 この分なら、柿沼の二世タレント推しはしないって方向性のまま、堅実に仕事を増やせるかな。そう思ってスマホの電源を落とそうとしたとき、気になるカキコミを見つけた。

【これって、みっちゃんじゃない?】
【ええ、たしかに顔はいいけど、みっちゃんってアイドルに転向するの??】

 私はそのカキコミに首を捻った。そういえば、林場は元々俳優志望だったのに、柿沼に引っ張り込まれて【GOO!!】に入ったとか、履歴に書いてたけど。でも、なんで林場のこと知ってるんだろう。
 その人たちのアカウントを確認してみると、どうもその人たちは観劇が趣味らしい。ひと口に劇といっても、ミュージカルから朗読劇までいろいろあるし、有名な劇団は全国公演もしているけれど、この人たちの好きなのは、純粋な芝居のようだ。
 私は林場のプロフィールを確認するものの、特に見つからない。なんでだろう。これは明日事務所に行ったときに、事務員さんに聞けばいいのかな。カキコミは気になるものの、そろそろ時間になってしまうからと、足を速めた。

****

 事務所に顔を出したものの、一度前座ライブをしたからと言って、そう簡単に仕事をこちらに回してもらえる訳もなく、相変わらずやってくる柿沼の二世推しの仕事にお断りメールやファックスを送りながら、事務員さんに話しかけてみた。

「そういえば、林場って元々俳優志望だったのに、何故か今はアイドルユニットに所属してるんですよね。たしかにアイドル事務所から出ている俳優も何人だっていますけど、ちょっと謎ですよね」

 私はそう言いながら、最後のファックスを送ると、事務員さんは「ああー」と返した。

「彼、過去に事務所入ってたけど退所してるし、事務所もその履歴を公開してないですからね。そういう子ってうちの学校にも結構いますから」
「え……あいつ、事務所に入ってたんですか!?」

 私は思いっきり事務員さんに振り返って、頭をゴンッと打ち付ける。
 パソコンの入力をしていた他のマネージメントコースの子たちや他の事務員さんが、不審げに振り返るのを、私は「あはは……」と笑って誤魔化したら、事務員さんは頷いた。

「何年周期でやってくる子役ブームのときなんかは、子役専門の事務所が乱立しますから。大手事務所の子役部門だったらまだいいんですけど、中には子役を何年単位で変わる使い捨ての部品扱いするようなひどいところもありますから。まあ、林場くんがいたところは、どちらかというと大手でしたし、むしろ彼は引き留められたと思うんですけどねえ……まあ、思春期はいろいろありますから、林場くんもいろいろ思うところがあって、履歴を消したんでしょうが」
「そうだったんですか……」

 前に見たSNSのカキコミを思い返す。あいつが事務所に入ってから退所するまで、いったいどれだけの時間入所していたのかはわからないけれど。ひとっ言もそのことを口にしていないってことは、林場もいろいろ思うところがあるんだろうな。
 これは、私も話を振られない限りは知らないふりを通したほうがいいんだろう。そう割り切ったところで、「あ」と、さばいていた仕事に目を付ける。
 二世タレントのタイアップの仕事を根こそぎお断りして残った仕事はごくごく少数で、中にはちっともこちらの履歴にも残らないものが多いんだけれど。今回はちょっとは実りがあるかな。
 地元の小さな遊園地のヒーローショーの前座だ。ひとまず概要を確認したい旨をメールで送り、【GOO!!】のリーダーの林場にも先に仕事依頼をアプリで送ってから、授業に出ることにした。
 思えば。つい数週間前までは普通の高校生で、真咲いわく灰色の学生生活を送っていたのに、今となったらすっかり慌ただしいマネージャーの仕事を続けているんだから、人生どう転がるのかわかりゃしない。
 まあ、あいつらにさっさと箔を付けたくても、まだ知名度が全然足りないんだから、地道に仕事を付けていくしかない。これでいいのかなと思ったりもするけれど、なかなか大きな仕事のオーディションは舞い込んでこないんだから、地道に行こう。
 それに。
 私は事務所を出るときに、ちらっとポスターを見た。
 もうすぐ、芸能コースで事務所所属非所属問わない大型ライブが行われる。アイドル希望者や歌手希望者だけでなく、俳優や声優希望の人たちも入り乱れてのライブには、大手事務所のスカウトたちも大勢来る。
 優勝はプロのマネージメントを受けている事務所所属の連中がかっさらっていくらしいんだけれど、ここで芸能コースの連中を事務所に押し込んだから、結果としていい就職先を確保できた先輩たちもいるという。
 まずはそのための箔を付けよう。うん。
 ……ただ、ひとつだけ気がかりなことはあるんだけれど。
 今までは事務所所属の芸能コースの生徒は、基本的に事務所の方針が優先だったから、授業には単位を取れるギリギリでしか来なかったけれど、大型ライブの場合は話が変わってくる。
 うちらの同世代には、相当大物もいるし、今までは全然会わなかっただけの先輩もいるから、その人たちにうちの奴らが飲まれたらやだなあ。
 そうふと思って、首を振った。
 ……芸能界に入ったら、どっちみちそういう連中とも競い合わないと生き残れないんだから、そういう風に考えるのはやめよう。私はあいつらを事務所に入れる。そこまでの役割しかないはずなんだから。
 あいつらには才能がある。私はそれの踏み台になる……それだけだ。

****

「ねえねえ、ライブのこと結構SNSに上がってる!」

 柿沼は元気にスマホでSNSを確認していた。スーパー銭湯のライブは、基本的に写真撮影録画録音はNGで、それが原因でスーパー銭湯自体出禁になった業者もいるらしく、お客様のマナーもいい。
 ファミリー層やら【HINA祭り】のファンやらが、あれこれとライブの感想を書き込んでくれているのを見ると、一応の達成感はある。

「すごい、ゆうちゃんのファンも結構いるみたい」
「う、嬉しいな……告知なんて、本当に二日できたらいいほうだったのに……曲も、完成まで、時間がかかったから」

 相変わらず桜木はマスクで顔を覆い、見える場所を真っ赤に染めている。多分照れて笑っているんだ。
 柿沼の親が特定されていたり、うちの学校の芸能人の青田買いファンが分析していたりと面白いものが流れている中。

【これみっちゃん?】
【え、本当にみっちゃん?】

 一部のコメントに、俺は思わず固まった。

「なんかみっちゃんの話多いよね、そりゃみっちゃんは格好いいけど……みっちゃん?」
「……なんでもない。大丈夫だ」
「そう?」

 ……あの頃のお客様たちが、まさかスーパー銭湯の、しかも前座ライブに来ているなんて思わなかった。まだ、覚えていてくれたのか。
 どうにか動揺を消そうとしているとき、俺のスマホが揺れた。北川からのメッセージだ。
 アプリを見てみると、北川らしいスタンプもなしの簡潔なメッセージが入っていた。

【仕事が入った。地元遊園地のショーの前座。今詳細の問い合わせ中。受ける?】

 俺はふたりに声をかけた。

「北川が次の仕事を見つけてくれたらしい。地元遊園地のショーの、前座になるが。受けるか?」
「遊園地かあ……そういえば、オレ。遊園地は遠足以外じゃ行ったことないなあ。ゆうちゃんは?」
「ぼ、僕は……それなりに行ったこと……あるかな? 林場くんは?」
「俺は」

 子供の頃の思い出なんて、自習室で勉強しているか、レッスン場でセリフの読み合わせをしているか、誰かになりきっているか。
 遊園地が出てくる場面も、遊園地で遊ぶ子供を演じたことも。そういえばちっともなかった。

「ないな、全然」
「マジか! あはは、遊園地行ってみたいなあ。ショーの前だったら遊びに行けるかなあ?」
「え、でも……あそこの遊園地、結構古いから、あんまり遊べるかどうか、わからないよ?」
「ゆうちゃんはそうかもしれないけど! オレもみっちゃんも遊園地で遊んだことないから! 行ってみたい!」

 柿沼は笑ってそう言うので、俺も釣られて笑ってしまった。
 押しも押されぬ名俳優に、元有名アイドルが両親なんだ。遊園地で遊んでいたらすぐに写真を撮られてしまうし、だからといって撮影でもないのに貸し切りになんてできる訳もない。プライベートでゆっくりすることを考えたら、遊園地なんて場所に遊びに行くなんて選択肢は、柿沼の家にはなかったんだろう。
 俺は笑いながらも、とりあえず形だけは言ってみる。

「北川は仕事の調整中なんだ。遊びに行くんじゃない。もし仕事をするんだったら、それで出かける。遊びじゃないからな」
「えー、でもみっちゃん。遊園地って聞いてそわそわしてるでしょ?」
「子供か。そんな訳あるかっ」

 俺と柿沼のやり取りを、桜木は目を細めて眺めていた。そして、マスクをずらしてにこにこと楽しげに言う。

「うん。友達と遊園地っていいよね。北川さんも一緒に、遊べるといいよね」
「あっ、それいい。マネージャーをねぎらうのも、アイドルの仕事だしっ」
「……それもそうだな」

 彼女が俺たちのマネージメントを引き受けてからも、必死で資格勉強をしたり、授業に出て、成績を落とさないようにしているのを知っている。そもそもどこに行っても制服を着ていないんだから、なにか訳ありだろうということくらいは察しが着く。
 北川の友達らしい、よその科の島津や田所だったら事情を知っているかもしれないが、彼女が言いたがらないのを聞き出すのは、野暮ってもんだろう。

「彼女にも、楽しんでもらおう」

 そのひと言で、柿沼と桜木は、手をバチンと叩き合ったのだ。