柿沼から教えてもらった音楽室の個室は、どこもかしこもプレートがかかっていた。結構個人練習している人が多いらしい。私はひとつひとつを見て回っていたところで、ようやく【桜木優斗】と書かれたプレートを発見した。
私はひと息すると、拳でドアをノックする。
「ごめん、北川だけれど。桜木、いる?」
無言。反応なし。
うーん、中に入ったら、多分防音壁のせいで音が聞こえないよね? だからと言ってスマホで呼び出すか? スマホを弄ってメールを使うけれど、それでも反応なし。
……仕方ない。強行突破だ。もし鍵が開いてなかったらどうしよう。鍵を壊したらさすがに修理代なんて出せないし。私はひと言「入るよ」と言うと、ドアを開いた。
「え……?」
私は驚いて目の前の光景を見ていた。
個室と聞いていたから、てっきりピアノが一台あって、それを弾いたりしながら練習をしているんだとばかり思っていたんだけど。彼は机にノートパソコンを広げて、キーボードを叩いていた。
モニターに映っているのは、楽譜。ノートパソコンに付けているマイクで桜木が鼻歌を歌うと、それがすぐさま楽譜に入力されていくのだ。
「……うーん、違う。次は」
「ええっと……桜木?」
「じゃあ、こっちは」
さっき入力した分を削除すると、新しい音を入れる。それをもう一度流すと、それに桜木は「よし」と言いながら保存ボタンを押した。
どうも、完全に自分の世界に入ってしまって、こちらの声が聞こえていないらしい。私は仕方なく、桜木の真後ろに立つと、手をパーンと叩いた。その音で、ようやく桜木はこちらに振り返った。
「あっ……北川さん……ご、ごめん……曲作りに夢中に……なっちゃって」
「ええっと……本当は私、説教に来たんだけど。先に説明して。これってなに?」
「えっと……」
桜木は保存すると、ノートパソコンを一旦畳んでこちらに向き直った。さっきまで作曲していて音声を入力していたからマスクを取っていたのに、またマスクを付けて顔を隠してしまった。もったいない。顔はいいのに。
「えっと……趣味が、作詞作曲で……小さい頃から、音声入力ソフトで曲をつくるのが、好きだったんだ……」
「うん」
「最初はそれを、皆が、すごいねすごいねって聞いてくれたけど……ほら、普通の学校だったら、運動が、できたほうが格好いいじゃない……音楽やってるのは……駄目、みたいな、空気になっちゃったから……だから、中学時代は、曲を発表することが、できなくなっちゃったんだ」
「うん」
桜木は、震える声で一生懸命話している。ノートパソコンを撫でる指先は、よくよく見たらアイドルらしからぬキーボードタコができている。
基本的に3Bは女性にモテないとかよく言われている。バーテンダー、美容師、そしてバンドマンだ。音楽をやってるとどうしても女癖が悪いとか言われて敬遠されてしまうけれど、今は音楽を発表するのはバンドマンだけじゃない。
「……つくった曲を、誰も聞いてくれないのが、可哀想で……アカウント、つくって流してたんだ……最初は、知らない人の曲なんて、誰も聞いてくれないから。コピーシンガーみたいな、誰でも知ってる曲を歌って、少しずつ、本当に少しずつ、自分の曲を発表してったんだ……いっぱい、聞いてくれる人がいて、嬉しかった」
「……そっか」
「……えっと、北川さんは、説教に来たってことは、僕のアカウントのこと……」
背中丸めてこちらをちらちらと上目遣いで見てこられたら、こちらがいじめているみたいで、なかなか気まずい。
私はどう言ったもんかと髪の毛に指を突っ込んでぐるぐると丸めながら、言葉を探す。
「一応聞くけど、そんなに曲をつくるのが好きなんだったら、うちの学校でも作曲方面のコースはあったでしょ。そっちじゃ駄目だったの?」
「ほ、んとうは、そっちを受験するはずだったのに、親が間違えて、芸能コースに申し込んじゃったから……」
「なるほど。でもそれだったら、あんたひとりでプロデュースできるじゃない。なんで、アイドルになろうと思ったの? わざわざ柿沼とか林場とつるまなくってもよかったのにさあ」
桜木は背中を丸めながら、小さく言う。
「……ここに来たとき、皆本当に、ギラギラしてて、怖かった……僕は本当に、曲がつくれたら、それだけでよかったのに、皆、芸能界に行くぞって意気込んでて、授業中でも、マネージメント契約できる人たち探すのでも、本当に怖くって……」
本当にこいつを、どうしてこんな肉食獣ばっかりなところに放り込んだんだ、親御さんは。私はどうしても遠い目になる。
どうにも桜木の物言いは、弟を思わせて、あまり無下にはできなかったりする。
私が黙って続きを促すと、桜木は、たどたどしく口を動かす。
「……掃除当番のとき、もう事務所に入ってる人や、マネージャー探してる人はいなかったから、ひとりで掃除してるとき、歌ってたんだ……そしたら、柿沼くんがものすごく、褒めてくれて……嬉しかったんだ。途中から林場くんも入ってきて、皆足りないものがあるから、なら足りない分を補おうって、三人でアイドルユニットを結成しないかって話になって……だから、嬉しかったんだ……」
そう締めくくった桜木は、目を細める。
親の色眼鏡でしか見られないせいで、やたら壁のある柿沼からしてみれば、色眼鏡で見ない相手は貴重だったんだろう。桜木も小学校以来の自分の曲を褒めてくれる相手に出会えて嬉しかった。だから、アイドルになろうとした……。
綺麗な話だ。端から聞いたら。最後に桜木が言う。
「……北川さんは、マネージャーだから……もし、動画サイトのアカウントを消せって言うんだったら消すけど、最後に……お願いが、あるんだ……」
「なに?」
「……ずっと僕のアカウントを応援してくれた……人たちに、最後に曲を届けたいんだ……それは、駄目かな……?」
「どんな曲?」
「ま、まだ……全部は完成してないんだけど……」
そう言いながら、桜木はノートパソコンを広げると、保存していたファイルを開いた。
そこから流れてくる、柔らかい歌声に、私は驚いた。
柿沼のものとは違う。【GOO!!】のものとも違う。彼の曲は音律が音楽家が規定通りにつくったものとは違って、一定の法則性がないけれど、歌詞の切なさと音の優しさが胸を刺してくるような曲だ。
正直、アカウントを消せと、今ここで言うのは簡単だけれど、こいつ自身の才能をすり潰してしまうのは、はっきり言ってもったいない。
アイドルソングというのは、ラブソングは定番で、その次は夢は叶うという応援ソング、大人はなにもわかってないという叫びのような歌が、ファン層に当たる十代に受けるようになっている。あとは季節ネタ。
十代の窮屈さを歌う歌詞というのは、どちらかというとシンガーソングライターの領分になり、アイドルソングのキャッチーさやわかりやすさを売る場合は暗いからとマイナスになったりするんだけれど。
【GOO!!】の歌唱力を考えれば、マイナスの歌詞をプラスに変えられるだけの力はある。となったら、それを使わないのはもったいない。
私が黙って手帳を広げ出したのを、桜木は怪訝な顔で眺めていた。
「あ、あの……北川さん……?」
「桜木、まだ今度のライブの選曲終わってないんだけど」
「えっと?」
「本当は学校から曲をもらって、それで二曲とMCで組もうと曲聞いてたんだけど、あんたもしこの曲をライブで歌えって言ったら、どうする?」
「え……で、でも。この曲は、僕のアカウントの最後の、曲に……」
「もちろん、あんたのファンに最後のファンサービスをしたいって気持ちはわかる。そしてアカウントを削除しないといけないという学校側の意向も理解している。だったら、アカウント削除前に、【GOO!!】のライブの宣伝に使わせてもらえない?」
「えっと……?」
目と眉を垂れさせて、困った顔をしている桜木に続ける。
「あんたのアカウントの削除前にあんたのソロの曲を流す。そしてラストに、この曲を【GOO!!】に提供したと宣伝する。そしてアカウント削除。あんたには相当ファンがいるっていうのは、私も知ったからね。まさか検証動画までつくられるとは思ってなかったし、あんたは歌が上手いとは思っていたけれど、そこまでの大物とは思ってなかったわ」
学校外で芸能活動をしてはいけないという規定はあるけれど、SNSでの宣伝は規定には含まれてない。ただ、学校ではあんまりSNSのアカウントを持つのを非推奨にしているだけだ……芸能人二世が多い学校なのだから、なにかの拍子にマスコミが学校に押しかけてくるのを防ぐ意味もある。
正直、桜木が動画サイトでハンドルネームで活動していたのは、ギリギリのグレーゾーンだから、学校規定の仕事の宣伝に持ち込んだ上で削除だったら、学校も黙ってくれるはずだ。
「えっと……だとしたら、来週なんだから、練習するとしても、今晩中には曲を完成させて、皆に送らないと……」
「デモテープ替わりに、あんたが歌った曲をそのまんま使えばいい」
「うん……わかった」
それから、桜木はおずおずとマスクに指を引っかけた。
相変わらず素顔はいい。
「あの……北川さん。本当に……ありがとう。僕の、わがままを叶えてくれて」
正直、本当にわがままなんだから、勘弁して欲しいんだ。マネージャーは契約相手の泥を被るのが仕事とはいっても、私はひとり、あんたらは三人なんだから、皆が皆問題を抱えていても、こちらの身がもたないんだから。
ただ、まあ。既にこちらは一蓮托生の身。あんたらに稼いでもらわないことには、こっちだって退学なんだ。退学は困るし、就職できないのはもっと困る。
「勘違いしないでちょうだい。私は私のためにあんたたちを利用する。あんたたちはあんたたちのために私を利用しているんだから、おあいこでしょう?」
そう返した途端に、桜木はふんわりと笑ったことに、私は眉を寄せた。
別に本当にことしか言ってないんだけれど。天邪鬼でもなんでもなく。
****
芸能コースに入学したとき、ただ単純に曲をつくりたいだけの僕からしてみれば、呆気に取られることが多かった。
「次のオーディションだけど」
「マネージメントコースの契約は?」
「契約してないと、もらえる仕事は少ないから……」
自分の売り込みに余念がない人、マネージメント契約をしてさっさと仕事を取りに行ってしまった人、事務所からの仕事優先で全然学校に来ない人……。
成果を出さなかったら、一年後には退学だと言われているから、余計になんとかしないといけないってわかっていても、どうしても尻込みしてしまっていた。
本当に……ただ。曲をつくりたかっただけなのになあ……。
学校を通さない仕事は禁止だったけれど、動画サイトにはアフィリエイトも入れてないし、本当に趣味の領域だった。芸能活動には引っかかるから、本当にグレーゾーンだけれど。
その鬱屈を溜め込んだら、それを吐き出すためにソフトを使っての曲作りが増えていく。
一曲、また一曲と増えていき、それを動画サイトにアップすれば、見てくれている常連の人たちの感想がもらえる。それが嬉しくて、悪いとわかっていても、動画サイトのアカウントを消すことができなかったとき。
……ゴミ捨て場でひとりでゴミを捨てていた中、思いついた曲を即興で歌っていた。この音を覚えて、あとでソフトに読み込ませようと、何度も何度も歌っているとき、ひょっこりとこちらを見ている視線に気が付いた。
「同じクラスの、桜木くん……だよね?」
「えっと……」
僕はあんまり人の顔を覚えられない。前々から人の顔と名前を一致させるのが苦手だったから。でも、柿沼くんはそうじゃなかったんだ。
「すごい! 今の曲初めて聞いたけどさあ。誰の曲? オレもアイドルソングとかはずっと追いかけてるけど、変わった歌詞だなあと思って」
「えっと……オ、リジナ……」
「え?」
「ぼ、僕がつくった……オリジナル曲。です」
「すごい」
あんまりにも屈託なく、ケラケラ笑って褒める柿沼くんに、僕はただ頬を火照らせることしかできなかった。
彼のお父さんとお母さんがすごい人だって言うのは、教えてもらわなかったら知らなかった。僕は音楽のことは知っていても、ドラマや映画はあまり知らなかったから、僕の知らない話ってあるんだなあと何度も何度も頷いていた。
こうして友達に音楽の話をして、引かれずに聞いてもらえたのって、いつぶりだろう。
「なんかさあ、オレたちだったらいろいろできそうじゃない?」
「で、できるって……?」
「ゆうちゃんは音楽つくれるし、みっちゃんは演技できるし。オレはそうだなあ……バラエティー担当で! 歌手とか俳優だったら、それしかさせてもらえないけど、アイドルだったら全部できるんじゃない?」
「アイドル……?」
アイドルと言っても、大きな事務所に所属しているユニット以外はピンと来ない。
でも柿沼くんがアイドルを語る目が、やけにキラキラしていたことはよく覚えている。
「オレと一緒に、アイドルにならない?」
私はひと息すると、拳でドアをノックする。
「ごめん、北川だけれど。桜木、いる?」
無言。反応なし。
うーん、中に入ったら、多分防音壁のせいで音が聞こえないよね? だからと言ってスマホで呼び出すか? スマホを弄ってメールを使うけれど、それでも反応なし。
……仕方ない。強行突破だ。もし鍵が開いてなかったらどうしよう。鍵を壊したらさすがに修理代なんて出せないし。私はひと言「入るよ」と言うと、ドアを開いた。
「え……?」
私は驚いて目の前の光景を見ていた。
個室と聞いていたから、てっきりピアノが一台あって、それを弾いたりしながら練習をしているんだとばかり思っていたんだけど。彼は机にノートパソコンを広げて、キーボードを叩いていた。
モニターに映っているのは、楽譜。ノートパソコンに付けているマイクで桜木が鼻歌を歌うと、それがすぐさま楽譜に入力されていくのだ。
「……うーん、違う。次は」
「ええっと……桜木?」
「じゃあ、こっちは」
さっき入力した分を削除すると、新しい音を入れる。それをもう一度流すと、それに桜木は「よし」と言いながら保存ボタンを押した。
どうも、完全に自分の世界に入ってしまって、こちらの声が聞こえていないらしい。私は仕方なく、桜木の真後ろに立つと、手をパーンと叩いた。その音で、ようやく桜木はこちらに振り返った。
「あっ……北川さん……ご、ごめん……曲作りに夢中に……なっちゃって」
「ええっと……本当は私、説教に来たんだけど。先に説明して。これってなに?」
「えっと……」
桜木は保存すると、ノートパソコンを一旦畳んでこちらに向き直った。さっきまで作曲していて音声を入力していたからマスクを取っていたのに、またマスクを付けて顔を隠してしまった。もったいない。顔はいいのに。
「えっと……趣味が、作詞作曲で……小さい頃から、音声入力ソフトで曲をつくるのが、好きだったんだ……」
「うん」
「最初はそれを、皆が、すごいねすごいねって聞いてくれたけど……ほら、普通の学校だったら、運動が、できたほうが格好いいじゃない……音楽やってるのは……駄目、みたいな、空気になっちゃったから……だから、中学時代は、曲を発表することが、できなくなっちゃったんだ」
「うん」
桜木は、震える声で一生懸命話している。ノートパソコンを撫でる指先は、よくよく見たらアイドルらしからぬキーボードタコができている。
基本的に3Bは女性にモテないとかよく言われている。バーテンダー、美容師、そしてバンドマンだ。音楽をやってるとどうしても女癖が悪いとか言われて敬遠されてしまうけれど、今は音楽を発表するのはバンドマンだけじゃない。
「……つくった曲を、誰も聞いてくれないのが、可哀想で……アカウント、つくって流してたんだ……最初は、知らない人の曲なんて、誰も聞いてくれないから。コピーシンガーみたいな、誰でも知ってる曲を歌って、少しずつ、本当に少しずつ、自分の曲を発表してったんだ……いっぱい、聞いてくれる人がいて、嬉しかった」
「……そっか」
「……えっと、北川さんは、説教に来たってことは、僕のアカウントのこと……」
背中丸めてこちらをちらちらと上目遣いで見てこられたら、こちらがいじめているみたいで、なかなか気まずい。
私はどう言ったもんかと髪の毛に指を突っ込んでぐるぐると丸めながら、言葉を探す。
「一応聞くけど、そんなに曲をつくるのが好きなんだったら、うちの学校でも作曲方面のコースはあったでしょ。そっちじゃ駄目だったの?」
「ほ、んとうは、そっちを受験するはずだったのに、親が間違えて、芸能コースに申し込んじゃったから……」
「なるほど。でもそれだったら、あんたひとりでプロデュースできるじゃない。なんで、アイドルになろうと思ったの? わざわざ柿沼とか林場とつるまなくってもよかったのにさあ」
桜木は背中を丸めながら、小さく言う。
「……ここに来たとき、皆本当に、ギラギラしてて、怖かった……僕は本当に、曲がつくれたら、それだけでよかったのに、皆、芸能界に行くぞって意気込んでて、授業中でも、マネージメント契約できる人たち探すのでも、本当に怖くって……」
本当にこいつを、どうしてこんな肉食獣ばっかりなところに放り込んだんだ、親御さんは。私はどうしても遠い目になる。
どうにも桜木の物言いは、弟を思わせて、あまり無下にはできなかったりする。
私が黙って続きを促すと、桜木は、たどたどしく口を動かす。
「……掃除当番のとき、もう事務所に入ってる人や、マネージャー探してる人はいなかったから、ひとりで掃除してるとき、歌ってたんだ……そしたら、柿沼くんがものすごく、褒めてくれて……嬉しかったんだ。途中から林場くんも入ってきて、皆足りないものがあるから、なら足りない分を補おうって、三人でアイドルユニットを結成しないかって話になって……だから、嬉しかったんだ……」
そう締めくくった桜木は、目を細める。
親の色眼鏡でしか見られないせいで、やたら壁のある柿沼からしてみれば、色眼鏡で見ない相手は貴重だったんだろう。桜木も小学校以来の自分の曲を褒めてくれる相手に出会えて嬉しかった。だから、アイドルになろうとした……。
綺麗な話だ。端から聞いたら。最後に桜木が言う。
「……北川さんは、マネージャーだから……もし、動画サイトのアカウントを消せって言うんだったら消すけど、最後に……お願いが、あるんだ……」
「なに?」
「……ずっと僕のアカウントを応援してくれた……人たちに、最後に曲を届けたいんだ……それは、駄目かな……?」
「どんな曲?」
「ま、まだ……全部は完成してないんだけど……」
そう言いながら、桜木はノートパソコンを広げると、保存していたファイルを開いた。
そこから流れてくる、柔らかい歌声に、私は驚いた。
柿沼のものとは違う。【GOO!!】のものとも違う。彼の曲は音律が音楽家が規定通りにつくったものとは違って、一定の法則性がないけれど、歌詞の切なさと音の優しさが胸を刺してくるような曲だ。
正直、アカウントを消せと、今ここで言うのは簡単だけれど、こいつ自身の才能をすり潰してしまうのは、はっきり言ってもったいない。
アイドルソングというのは、ラブソングは定番で、その次は夢は叶うという応援ソング、大人はなにもわかってないという叫びのような歌が、ファン層に当たる十代に受けるようになっている。あとは季節ネタ。
十代の窮屈さを歌う歌詞というのは、どちらかというとシンガーソングライターの領分になり、アイドルソングのキャッチーさやわかりやすさを売る場合は暗いからとマイナスになったりするんだけれど。
【GOO!!】の歌唱力を考えれば、マイナスの歌詞をプラスに変えられるだけの力はある。となったら、それを使わないのはもったいない。
私が黙って手帳を広げ出したのを、桜木は怪訝な顔で眺めていた。
「あ、あの……北川さん……?」
「桜木、まだ今度のライブの選曲終わってないんだけど」
「えっと?」
「本当は学校から曲をもらって、それで二曲とMCで組もうと曲聞いてたんだけど、あんたもしこの曲をライブで歌えって言ったら、どうする?」
「え……で、でも。この曲は、僕のアカウントの最後の、曲に……」
「もちろん、あんたのファンに最後のファンサービスをしたいって気持ちはわかる。そしてアカウントを削除しないといけないという学校側の意向も理解している。だったら、アカウント削除前に、【GOO!!】のライブの宣伝に使わせてもらえない?」
「えっと……?」
目と眉を垂れさせて、困った顔をしている桜木に続ける。
「あんたのアカウントの削除前にあんたのソロの曲を流す。そしてラストに、この曲を【GOO!!】に提供したと宣伝する。そしてアカウント削除。あんたには相当ファンがいるっていうのは、私も知ったからね。まさか検証動画までつくられるとは思ってなかったし、あんたは歌が上手いとは思っていたけれど、そこまでの大物とは思ってなかったわ」
学校外で芸能活動をしてはいけないという規定はあるけれど、SNSでの宣伝は規定には含まれてない。ただ、学校ではあんまりSNSのアカウントを持つのを非推奨にしているだけだ……芸能人二世が多い学校なのだから、なにかの拍子にマスコミが学校に押しかけてくるのを防ぐ意味もある。
正直、桜木が動画サイトでハンドルネームで活動していたのは、ギリギリのグレーゾーンだから、学校規定の仕事の宣伝に持ち込んだ上で削除だったら、学校も黙ってくれるはずだ。
「えっと……だとしたら、来週なんだから、練習するとしても、今晩中には曲を完成させて、皆に送らないと……」
「デモテープ替わりに、あんたが歌った曲をそのまんま使えばいい」
「うん……わかった」
それから、桜木はおずおずとマスクに指を引っかけた。
相変わらず素顔はいい。
「あの……北川さん。本当に……ありがとう。僕の、わがままを叶えてくれて」
正直、本当にわがままなんだから、勘弁して欲しいんだ。マネージャーは契約相手の泥を被るのが仕事とはいっても、私はひとり、あんたらは三人なんだから、皆が皆問題を抱えていても、こちらの身がもたないんだから。
ただ、まあ。既にこちらは一蓮托生の身。あんたらに稼いでもらわないことには、こっちだって退学なんだ。退学は困るし、就職できないのはもっと困る。
「勘違いしないでちょうだい。私は私のためにあんたたちを利用する。あんたたちはあんたたちのために私を利用しているんだから、おあいこでしょう?」
そう返した途端に、桜木はふんわりと笑ったことに、私は眉を寄せた。
別に本当にことしか言ってないんだけれど。天邪鬼でもなんでもなく。
****
芸能コースに入学したとき、ただ単純に曲をつくりたいだけの僕からしてみれば、呆気に取られることが多かった。
「次のオーディションだけど」
「マネージメントコースの契約は?」
「契約してないと、もらえる仕事は少ないから……」
自分の売り込みに余念がない人、マネージメント契約をしてさっさと仕事を取りに行ってしまった人、事務所からの仕事優先で全然学校に来ない人……。
成果を出さなかったら、一年後には退学だと言われているから、余計になんとかしないといけないってわかっていても、どうしても尻込みしてしまっていた。
本当に……ただ。曲をつくりたかっただけなのになあ……。
学校を通さない仕事は禁止だったけれど、動画サイトにはアフィリエイトも入れてないし、本当に趣味の領域だった。芸能活動には引っかかるから、本当にグレーゾーンだけれど。
その鬱屈を溜め込んだら、それを吐き出すためにソフトを使っての曲作りが増えていく。
一曲、また一曲と増えていき、それを動画サイトにアップすれば、見てくれている常連の人たちの感想がもらえる。それが嬉しくて、悪いとわかっていても、動画サイトのアカウントを消すことができなかったとき。
……ゴミ捨て場でひとりでゴミを捨てていた中、思いついた曲を即興で歌っていた。この音を覚えて、あとでソフトに読み込ませようと、何度も何度も歌っているとき、ひょっこりとこちらを見ている視線に気が付いた。
「同じクラスの、桜木くん……だよね?」
「えっと……」
僕はあんまり人の顔を覚えられない。前々から人の顔と名前を一致させるのが苦手だったから。でも、柿沼くんはそうじゃなかったんだ。
「すごい! 今の曲初めて聞いたけどさあ。誰の曲? オレもアイドルソングとかはずっと追いかけてるけど、変わった歌詞だなあと思って」
「えっと……オ、リジナ……」
「え?」
「ぼ、僕がつくった……オリジナル曲。です」
「すごい」
あんまりにも屈託なく、ケラケラ笑って褒める柿沼くんに、僕はただ頬を火照らせることしかできなかった。
彼のお父さんとお母さんがすごい人だって言うのは、教えてもらわなかったら知らなかった。僕は音楽のことは知っていても、ドラマや映画はあまり知らなかったから、僕の知らない話ってあるんだなあと何度も何度も頷いていた。
こうして友達に音楽の話をして、引かれずに聞いてもらえたのって、いつぶりだろう。
「なんかさあ、オレたちだったらいろいろできそうじゃない?」
「で、できるって……?」
「ゆうちゃんは音楽つくれるし、みっちゃんは演技できるし。オレはそうだなあ……バラエティー担当で! 歌手とか俳優だったら、それしかさせてもらえないけど、アイドルだったら全部できるんじゃない?」
「アイドル……?」
アイドルと言っても、大きな事務所に所属しているユニット以外はピンと来ない。
でも柿沼くんがアイドルを語る目が、やけにキラキラしていたことはよく覚えている。
「オレと一緒に、アイドルにならない?」