しんと静まり返るなか、耳を澄ませばいくつかの音がよみがえっていく。
 虫の声、カラスの鳴き声、車の音、風が草木を揺らす音。

 ……叶人は私を助けるために来てくれたんだ。

 病院の建物が遠くに見える。夕焼けに染まるあの場所へもう一度行こう。

「私は奇跡を信じるよ」

 口に出せば少し勇気が生まれる。そう、思ったことをちゃんと口にすることが大切だったんだね。

 ゆっくりとふり向くと、公園の入り口に誰かが立っているのが見えた。

 それは――優太だった。

 私は……幻を見ているの?

 彼はゆっくり私に近づいてくる。夕焼けを受け、赤く燃えながら私だけを見つめてほほ笑む。

「誰かと思ったら悠花か。こんなところでなにやってんの?」

 見慣れた制服。
 大きなバッグを肩にかける優太の髪が、風に踊る。
 すぐそばに立つ姿があふれる涙で見えなくなる。

「優太。優太……!」

 顔をくしゃくしゃにして抱き着くのに、ためらいなんてなかった。
 たしかめるように背中に手を回せば、「えっと」と戸惑いながら優太も抱きしめ返してくれた。

「なんかあったのか? 誰かになにか言われた?」
「ちが……。だって、優太が事故に、遭って、いなく……」

「ああ」と優太が笑う。

「ベンチで寝ちゃったのか。悠花らしいな」

 優太のぬくもりをこれほど感じたことはなかった。
 まるで子守歌のように私をやさしく包んでくれる。

 やっと体を離してハンカチで涙を拭った。
 夢じゃないんだ。優太がここにいてくれる。
 それでも消えてしまいそうで、優太の袖を片方の手でギュッと握りしめたまま離せない。

 まだなにが起きているのかわからない私の頭に、優太は右手をポンポンと置いた。

「大丈夫だよ、ここにいるから」

 導かれるようにベンチに座ると、ビルの向こうにわずかな夕日が見えていた。
 その周りだけ夕焼けはわずかに残っていて、上空には夜が訪れている。

 雨星は終わったんだ……。

「優太、あのね……」

 聞きたいことはたくさんあった。
 おばさんはどこにいるの? 知登世ちゃんは? 
 けれど、もしも雨星が奇跡を運んでくれたのなら、この質問をすればいい、とわかる。

「山本大雅って知ってる?」

 優太は、笑みを浮かべたまま首をかしげた。

「それって芸能人のこと? 俺、あんまりテレビ見ないからなあ」

 ……そっか、とすとんと胸に落ちた。

 大雅はやっぱり小説のなかだけに出てきた人だったんだ。
 叶人がすべてリセットしてくれたんだね。

「その人がどうかした?」
「ううん。なんでもない」

 横顔のまま優太は消えそうな太陽を眺めている。
 どうか優太がずっとこの世界にいますように。
 そのためには、私は自分の気持ちを言葉にしていかなくちゃ。

 なにも怖くない。
 優太がいなくなることに比べたら、大したことじゃないから。

「優太に話したいことがあるの」
「うん」
「あのね、私――」
「悠花のことが好きなんだ」

 息ができなくなる。
 固まる私に、優太は「いや」と指先で鼻の下をかいた。

「前から言おうと思ってたんだけど、なんか照れくさくってさ。でも、ほら」

 ポケットから取り出したのは、切れた赤いミサンガだった。

「これが切れたら言おうと思ってたんだ。さっき歩いてたら急に切れてさ」
「あ……うん」

 赤いミサンガにかけた願いは、私へ告白をすることだったの?

「あんまり見るなよ。マジでヤバいから、今」

 胸をトントンと叩く優太に、また視界が潤んでくる。

「私も好き。優太のことが好き」

 そう言うと、優太は見たことがないくらいうれしそうに笑ってから、「はい」と片手を出した。
 その手を握れば、心までジンと温かくなっていく。

 この先どんなことが起きたとしても、私は大丈夫。
 空を見あげると、まばゆいほどの星が瞬いている。
 あのひとつに叶人がいる。

 私は私の物語を今日から紡いでいくよ。
 雨の日や風の日だってあるだろう。

 それでも、いつか太陽が星が空を輝かせることを、私はもう知っているから。