君がくれた物語は、いつか星空に輝く

 公園入口までたどり着くと、そこには不思議な世界が広がっていた。

 まるで公園のなかだけが別世界のように、赤い光に包まれている。
 這うようにベンチのところまで行き、手すりにもたれて上空を仰ぐ。
 夕焼けに包まれながら、あえぎながら口を開けば雨が降りこんできた。

 これが雨星なのかはわからない。
 なんだっていいよ、優太が助かるなら。

「お願いします、優太を助けて!」

 声をふり絞って叫んだ。

「優太を、優太を……」

 もうすぐ夕焼けも終わるのだろう、赤い空は色を濃く変えていく。
 私のすぐ真上では、いくつかの星が蛍のように光っている。

「あ……」

 思わず声が漏れたのは、流れ星が見えた気がしたから。
 雨に負けないように目をこらすと、またひとつ星が流れた。

 違う。

 星の光が雨に溶けているんだ。

 何本もの光の雨が、キラキラと輝きながらこの場所に降り注いでいる。
 手のひらを出してみると、中指の先で光は小さく弾けて消えた。
 ベンチも手すりも地面でさえも、線香花火のように光っている。

 やがてそれは幾千もの光になりヴェールとなり私を包んでいく。
 あまりにも幻想的で美しい光だった。
 光る雨が私の手を、体を光らせているみたい。

「これが……雨星なんだね」

 叶人が見たかった雨星を、私は今浴びているよ。
 叶人に見せたかった、優太と一緒に見たかった。

 会いたいよ。優太に会いたい……。

 砂利を踏む音がすぐうしろで聞こえた。

「ふり向かないで」

 その声が聞こえ、体の動きを止めた。

「ふり向いたら僕は消えてしまう。そのままで話をしようよ」

 ――この声を知っている。

「雨星が降る日に奇跡は起きるんだよ」

 ――甘くて、だけどどこかクールな声を知っている。

「僕が言った通りだったでしょ。ね、お姉ちゃん」
「叶人……」

 これは、私の幻聴なの? それとも本当に叶人がここにいるの?
 不思議と雨の冷たさも感じない。

「本当に……叶人なの?」

 震える声で尋ねる私に、叶人はクスクスと笑った。
 こんな笑いかただった、と胸が熱くなる。

「雨星に乗ってやって来たんだ。って、自分でも信じられないけど」
「なにがどうなってるの……。あのね、今、優太が――」
「うん」

 すべてわかっているような言いかたをする叶人に口を閉じた。

「僕のせいなんだ。僕が夢で見たことを小説にしてもらって、それが現実になるように願っちゃったから」

 やっぱり『パラドックスな恋』と同じことが起きたのは、叶人が願ったからなんだ……。

「どうして、そんなことをしたの?」
「うーん。わかんない」
「覚えてないの?」
「うん」

 思わずムッとしてふり返りそうになるのを寸前でこらえた。
 昔から叶人は直感で行動するくせがあった。

「でもさ」と叶人の声が少し小さくなった。
 同時に、公園を満たす光も少し弱くなってように見える。

「僕が死んじゃったあと、いちばん心配だったのはお姉ちゃんだったからさ」
「私のこと?」
「お姉ちゃんは弱いからさ」
「弱く……ないし」

 懐かしい会話を交わしても、もう叶人はいない。
 私の大切な人は、私を置いてみんな離れていくから。

「弱いのは私だけじゃない。お父さんもお母さんも、よくない方向へ行こうとしてるし」

 今じゃ、顔を合わせればケンカばかり。
 離婚へのカウントダウンすらはじまってしまっている。
 けれど叶人は「大丈夫」とあっさり言った。

「この間、お姉ちゃんがふたりにビシッと言ってくれたおかげで、冷静になれたと思うよ。あのふたり、意地っ張りだから苦労するよね」
「たしかにそうだね。ケンカするといつも長いし」
「毎回大変だった。お母さん、完全なる八つ当たりをかましてきたからね」

 仲が良かったころは、こんな話をよくしていたね。
 どうして私はもっと叶人と話をしなかったのだろう……。

 今、すぐうしろに叶人がいることは奇跡としか言いようがない。

 だとしたら、ちゃんと私も彼に伝えたい。

「叶人、いろいろごめんね。私、もっと叶人と話をすればよかった。もっと病院に行けばよかった。もっと……」

 言葉は涙にあっけなく負けてしまう。胸が苦しくて続けられない。

「そんなのお互い様だよ。僕だって素直じゃなかったし。反抗期ってやつだよね」

 叶人の顔を見たい。でもそれは、今度こそ叶人との別れを意味している。
 説明のつかないことでも受け入れている自分が不思議だった。

「僕が今日ここに来たのは、お姉ちゃんに謝りたかったから。今度はお姉ちゃんの番だよ」
「私の?」
「雨星に願うんだよ。お姉ちゃんが今、かなえたいことをちゃんと伝えて」

 星がまだ私たちに降ってきている。

 私が願いたいことは……。
 はあはあ、と息を吐いてから口を開いた。

「昔に戻りたい。叶人がいて、優太がいたころに戻りたい。ううん、叶人の病気がわかるもっと前に戻れば――」
「違うよ」

 あきれたように叶人は言った。

「自分では気づいていないかもしれないけど、僕の死をお姉ちゃんは乗り越えたんだよ。ふりだしに戻っても意味がない」
「でも……」
「雨星はお姉ちゃんにとって今、いちばん必要なことを願うために現れたんだよ。もうすぐ雨星は終わる。その前に、ちゃんと言葉にして」

 昔から叶人はどこか大人ぶっていて、私を妹のように扱うところがあった。
 今だってそうだ。

 息を大きく吸い、空を見た。

 上空の赤色は、もうすぐ紺色へ塗りつぶされてしまいそう。
 降り注ぐ光も、きっともうすぐ消える。

 私は今、本当の願いを口にする。

「私は、小説の世界から抜け出したい。ちゃんと自分の気持ちを言葉にして、私の物語を自分の力で描いていきたい」
「うん」
「そのためには優太が必要なの。私の物語には優太が必要なの。どうか、彼を返してください」

 そう言ったとたんに、上空にあった雨雲が溶けるように薄くなっていくのが見えた。
 さっきまでの雨がウソみたいに空はどんどん赤く塗り替えられていく。

「やったね。おねえちゃんの願いが雨星に届いたんだよ」
「これでよかったの? ねえ、叶人……」

 見渡す限りの夕焼けが世界を赤く染めていた。
 視線の高さで燃えている太陽がまぶしくて目が開けられない。

「もう大丈夫。今日までの不思議な出来事はリセットされた。パラドックスな世界はおしまい」
「おしまいって……?」

 どういうことなのか理解がついていかない。

「現実に現れた小説世界のことは、お姉ちゃん以外の人の記憶からは消える。それによって起きたこともぜんぶだよ」
「ぜんぶ……。じゃあ、大雅のことも?」

 だとしたら日葵の想いもなかったことになるのかな。
 お父さんとお母さんのことは?

「大丈夫だよ」と、私の心配を和らげるように叶人は言う。

「みんなの想いはちゃんと受け継がれる。雨星の奇跡ってすごいんだから」

 叶人の声がすぐうしろでしている。

「そろそろ、僕も行くね」

 まるで、ちょっと遊びに行くみたいな口調で叶人は言う。

「待って。まだ行かないで」
「もう大丈夫だよ。新しい物語を楽しみに見ているから」

 雨が弱くなっていく。声もどんどん遠くなっていく。
 やっと会えたのに、もう終わりなの?

「待って、叶人。お願い、最後に顔を――」
「雨星を信じてくれてありがとう。お姉ちゃん、またね」

 その声を最後に、なにも聞こえなくなった。