駅前に戻るころには、上空に厚い雲が浸食してきていた。
 太陽は雲の間から短い秋を主張するように、サラサラとした光があたりに降り注いでいる。

 重い体と気持ちを引きずるように歩く私は、映画で見たゾンビみたい。
 行き先もわからずにさまよっている。
 やっぱり学校に行こうという気持ちにはなれないまま、駅前のベンチで歩く人をぼんやり眺めている。
 どこにいたって優太のことばかり考えてしまう。
 どうか優太になにも起きませんように。優太、優太、優太……。

 もう一度会いたい。笑顔で彼に会いたい。

 小説のなかでも大雅は事故に遭ったけれど、左腕の骨折で済んでいた。
 優太の意識が戻らない、というのも誤情報ということはないだろうか。そうあってほしい。
 もし優太を失ったら……。その思考の入り口に立つだけで、叫びたくなるほどの怖さを感じる。

 イヤな考えを頭から振り払う。
 振り払っても振り払っても、シミのように消えてくれない。

 ふと、目の前に誰かが立っていることに気づいた。

「もう、探したんだからね」

 両腕を腰に当てた日葵が立っていた。
 隣の椅子に腰をおろす日葵をぽかんと見つめる。

「え、なんで……学校は?」
「それはこっちの台詞。今日さ、キムが家の都合で遅れてきたんだよ。車で送ってもらったらしいんだけど、駅前で悠花を見たってこっそり教えてくれたの。でも、いつまで待っても教室に来ないから、具合悪いフリして早退しちゃった」
「……ごめん」

 胸に熱いものが込みあげてくる。
 日葵に早退までさせたなんて、悔しくて悲しくて、でも少しだけうれしかった。

「優太の入院している病院って家族以外は入れないけど、ひょっとしたら悠花がいるかも、って思って見に行ったんだよ。ちょうど駅前に戻って来たところ。午後一時二十五分、容疑者を確保しました」

 明るい口調の日葵に、私が言えることはやっぱり「ごめん」だけ。
 そういえば、日葵は図書館でいろいろ調べてくれていたんだよね。
 ますます自分がイヤになる。

 うつむく私の肩を日葵は抱いてくれた。

「心配だよね」
「…………」

 言葉はもう、出ない。
 足が手が、あごが震えたと思うと、悲しみは涙になって頬をこぼれ落ちる。
 もう泣いてばっかりだ。

「私……どうしたらいいのかわからなくって」
「あたしだってそうだよ。まさかふたりが事故に遭うなんて思ってなかったから。でも、小説のなかでは骨折で済んでたでしょ?」

 え、と日葵を見ると、不安そうな表情をしていた。
 一瞬で笑顔を作る日葵もまた、不安でたまらないんだ。

「小説、読んでくれたの?」
「だって、悠花の言ってたことが起きちゃったんだもん。観念して『パラドックスな恋』ぜんぶ読んだよ。いろいろ聞きたいことはあるけどさ、きっと優太は助かるよ。それよりあたしが悲しいのはさ――」

 そのときになって、日葵の声も震えていることに気づいた。

「悠花が大変なとき、助けてあげられないってこと。悠花の話をちゃんと聞いてあげられなかったことが情けなくて。もっと早く知れたなら、今回の事故も防げたかもしれない。これじゃあ親友失格だよね」

 ムリして笑みを浮かべる日葵の右目から涙がぽろりとこぼれた。

「日葵……」

 毎日電話をくれたのに、メールやLINEもたくさんくれたのに、そのひとつも私は返すことができなかった。
 日葵をもっと悲しませたのは、私なんだ。

「責めてるんじゃないよ。あたしが悔しいだけだから」

 腕を離した日葵が、子どもに言い聞かせように顔を覗きこんできた。
 涙があとからあとからあふれてくる。

「ごめんなさい。私……」
「いいんだよ。もういいから。こうやって会えたんだし」

 やさしい日葵に首を横に振る。

「私、頭が優太のことでいっぱいになってて……。優太のおばさんも家に電話をくれたとき、こんな状況なのに私の体のことをすごく気遣ってくれた。うちの親も、私のことすごく心配してくれてる。日葵だってそうなのに、私は誰にも、なんにも……」 

 なんて私は弱いんだろう。起きていることから逃げるばかり。
 これじゃあ小説の主人公にはなれない。
 ハッピーエンドを望んでいるくせに、なにひとつ自分から行動できていないのだから。

「もう」
 と、日葵は今度は両腕で抱きしめてきた。

「あんなことがあったんだから、なにもできなくて当然。でも、もし今度同じことがあったら、あたしは絶対に悠花のそばにいる。悲しみを半分にすることはできないけれど、一緒に背負うことはできるから」
「……うん」

「それにね」と日葵は鼻をすすった。

「小説の世界はあくまで小説の世界。あたしは、悠花の物語を紡いでほしい。負けないで一緒にがんばろう」
「うん」

 もう一度うなずくと、日葵は抱きしめていた腕をほどき、目の前に立った。
 頬の涙を拭ったあと日葵は「行こう」と言った。

「行くってどこへ? あ、図書館なら今行ってきたとこ――」
「優太に会いに行こう」
「え……」

 でも、病院は家族以外は入ることができないきまりになっている。
 それに、おばさんにどんな顔して会えばいいのかわからない。

 ううん……優太に会うのが怖いんだ。
 ふいにあたりが暗くなった気がした。
 見あげると厚い雲が太陽の姿を隠していた。遠くで雷の音も聞こえている。

「このまま家に帰っても、きっと同じこと。悠花は悩みごとがあるとそのことばかり考えちゃうでしょ。だったら、無理やりにでも会いに行こうよ」

 日葵の提案に首を横に振る。そして、すぐに縦に振りなおした。
 私もなにか行動を起こしたい、ってそう思えたから。

「わかった」
 そう言って立ちあがる私に、日葵はニッと白い歯を見せた。