図書館の重い扉を開くと、館内にはあいかわらず頼りない照明が光っていた。

 今朝は、起きると家には誰もいなかった。
 キッチンに『冷蔵庫にお昼ご飯があります』というお母さんのメモがあった。
 制服に着替えて家を出て、だけどどうしても学校へ行く気になれずバスに乗り図書館へ来た。
 なんのために来たのかはわからない。

 カウンターにいた長谷川さんは私に気づくと、「おはようございます」と変わらない挨拶をした。
 頭を下げても、乾いた唇から言葉は出てくれなかった。
 立ちすくむ私に、長谷川さんはカウンターの向かい側の席を手のひらで示した。

「優太くんが事故に遭ったそうですね」
「……え?」

 おろそうとする腰を途中で止めた。
 どうして、長谷川さんが知っているのだろう。

「誰に聞いたのですか?」
「日葵さんからです」

 あっさりとそう言ったあと、長谷川さんはメガネを外した。

「日葵さんは、あなたに教えられた不思議な出来事の原因を調べるために、あれから何度も来館されています。最後に来られたときに、事故のことを聞きました」

 事故、という単語は胸をえぐる凶器のよう。
 雨のなかひしゃげた車の映像は、思い出したくなくても勝手に脳裏に映し出されてしまう。
 寝不足で乾いた目に、あっけなく涙が込みあがってくる。
 うなだれる私に、長谷川さんも口を閉じた。

「大雅が事故に遭うと思ってたんです。でも、違いました。代わりに優太が事故に……。よく考えたらわかったはずなのに、なんで……」

 悔しくて苦しくて、だけど現実はざぶんざぶんと波のように私を苦しめる。

「私も驚いています。本当に、小説のような展開が起きているのですね」
「叶人はなぜこの物語を書いたのでしょうか。どんなにがんばってもうまくいかない。まるで、叶人が私を恨んでいるようにすら思えてしまうんです」

 小説のなかの私は、大雅を好きになる。
 実際は、大雅ではなく優太への気持ちに気づいた。
 どちらを好きになっても、結局相手は事故に遭ってしまう。
 まるで逃れられない運命に翻弄されているよう。

「もう小説の連載は終わりましたよね?」
「はい」

 今朝になり、最後のエピローグが公開されていた。
 小説の主人公は、大雅の帰りを公園のベンチで待っているというハッピーエンドのシーンだ。

 あまりにも現実と違いすぎる。

 私が優太を好きになったから事故に遭わせてしまった。
 だとしたら、今回の事故は私のせいでしかない。

「優太くんが事故に遭った日、悠花さんは雨星を見たのですか?」

 そう尋ねる長谷川さんに、一瞬思考が停止した。

「雨星……。いえ、見た記憶はありません」
「じゃあまだチャンスはあります。叶人くんは、雨星の降る日に奇跡が起きることを信じていました。あの小説でも主人公は雨星を見ましたよね?」
「ああ、はい……」

 小説のなかで主人公は、事故の直後に雨星を見ている。
 はっきりとは言い切れないけれど、私が事故に遭ったときはひどい雨が降っていた。

「いつも空を見ていてください。きっと雨星は降りますから」

 長谷川さんの言葉にうなずくけれど、私には雨星がなにかがわからない。

「見ていれば気づくと思いますか?」
「思うんじゃなく、信じてみましょう」

 やさしく笑みをくれた長谷川さんに、私は薄暗い天井を見あげる。
 今日の天気は晴れのち曇り。
 雨星がなにかはわからないけれど、信じるしかないのかな……。

「小説にしたのは私ですが、叶人くんが見た夢の内容が元になっています。書いたのはあなたを恨むためではなく、幸せになってほしいからです。叶人くんと雨星のことを信じてみませんか?」

 信じたい。
 でも、悲しい気持ちに打ちのめされることばかりの今、なにを信じていいのかすらわからない。
 辞書を引くようにスマホを開き、小説の本文ラストを表示させた。

 □□□□□□
 ――きっと大丈夫。
 見あげた空は、遠く離れた場所で戦う大雅につながっているから。
 雨星は、大雅に奇跡を起こしてくれる。その日までうつむかずに私は生きていこう。
 いつかまた会える、その日まで。
 □□□□□□

 この小説の主人公のように私も強くなりたい。
 叶人が見た夢に意味があるのなら、その答えを知りたい。

 なによりも――優太に会いたい。

「信じてみます」

 自分に言い聞かせるように言ってから、私は叶人が好きだった本を何度も読んだ。
 読めば読むほど意味がわからない本には、やっぱり雨星についての記載はなかった。
 お願い、叶人。私を――ううん、優太を助けて。
 そのためだったら私はなんでもやる。
 だから、優太を連れて行かないで……。