君がくれた物語は、いつか星空に輝く

 夕食の席は久しぶりに家族がそろった。
 お父さんは食べたらまた出ていくらしく、テーブルの横には旅行用のトランクが置かれている。
 さっきから会話がないまま、もうすぐ夕食は終わろうとしている。
 今日のおかずは、コロッケとナスのお浸しに卵サラダ。

「食欲ないの?」

 箸が進まない私に、お母さんが声をかけてきた。

「そういうわけじゃないけど……」

 大雅の言葉が気がかりで、とても食事どころじゃない。
 もうすぐ雨星が降る、とはどういうことだろう。
 小説の主人公は雨星を見たのだろうか。

 ふいに強い頭痛が襲ってきた。
 最近は、小説の展開を思い出そうとすると頭痛が起きるようになった。
 まるで、思い出させないように『頭痛ボタン』を押されている気分。

 カシャンと箸を置く音に顔をあげると、お母さんはなぜかお父さんをにらんでいた。

「ほら、だから言ったじゃない。悠花にだって悪影響が出てるのよ」
「別居しようと言ったのはそっちだろ? なんでもかんでも俺のせいにするなよ」
「今のまま続けるほうが不自然だから提案しただけよ。もうこれ以上先延ばしにしても仕方ないじゃない」

 ふたりの声が頭の上を滑っていくようだ。
 耳がシャットアウトしているのだろう、言葉の意味が理解できない。
 思えば昔からそうだった。どんな言葉も悲しみの前では素通りするだけだった。

 大雅は言っていた。
 『悠花の変化が、毎日の選択肢に影響しているんだよ』と。
 流されるまま右へ左へ進むよりも、自分の未来を自分で選択していきたい。

「お父さん、お母さん」

 背筋を伸ばした私に、ふたりはハッと顔を向けた。
 子どもの前で言い争ったことを恥じるように、ふたり揃ってバツの悪い顔をしている。

「私はふたりが納得した上で離婚するなら反対しないよ」
「ほら、悠花だって――」

「でも」と、大きな声でお母さんの口を止めた。

「その前に、ちゃんと考えるべきだと思う」
「考えるってなんのことを?」

 キョトンとするお母さんの目を見つめた。

「叶人が亡くなってしまってからの私たちのこと」

 ふたりの前で叶人の名前を出すのはいつ以来だろう。
 お父さんは目を見開いたままでじっとしている。
 お母さんは花がしおれるように視線をテーブルに落としてしまった。

「叶人が亡くなってからね、この家も一緒に死んだみたいだった。お母さんは叶人の思い出から離れないし、お父さんは元気そうなフリをしてた。私は……叶人のことを必死で思い出さないようにしてきたの」

 叶人がいつも座っていた席に、今は誰もいない。

 ぽっかり空いた席で、たしかに叶人はたのしそうに笑っていた。

「叶人が中学生になったころから、私、あんまりしゃべってなかった。挨拶もそこそこで、決して仲のよい姉弟じゃなかったと思う。急に入院することになっても、すぐに戻って来るだろうって思ってた」

 でも、そんな日は来なかった。
 叶人が亡くなったのは小説の話じゃない、現実のこと。

「真実から目を逸らせることで、なんとか乗り切ろうとしていたと思う。お母さんもお父さんも、きっと同じなんだよ。同じくらい悲しくて、やりきれなくて、それでもなんとか生きているんだよね?」

 悔しそうなお父さんの横顔を見たのは、叶人の葬儀のとき以来かもしれない。
 お母さんは怒っているのか悲しんでいるのかわからない表情で唇をかみしめている。

「『叶人のため』に仲良くするのは違うと思う。もちろん『私のため』でもない。ふたりが決めた決断に私は反対しないつもり。ただ、私は……ちゃんと叶人の死について受け止めようと思う。そうすることを選択したの」

 席を立つ私に、おかあさんがすがるような視線を向けてきた。

「お母さんだって……お母さんだって悲しいのよ」
「わかってる。でも、お父さんも同じくらい悲しいんだよ。悲しみへの向き合いかたが違うだけで、みんな自分の方法で叶人を思ってる」

 病院のガラス越し、スマホの会話、叶人の笑った顔。
 ずっと過去を思い出さないようにしてきた。
 小説の世界へ逃げ、現実世界から目を逸らしたんだ。

「だからもう叶人のことでいがみ合うのはやめようよ。冷静にどうすればいいのかふたりで話し合ってほしい。ふたりの悲しみをわかってあげられなくて、ごめんね」

 そう言い残し、二階の部屋へ戻った。
 電気をつけないまま、プラネタリウムのスイッチを手探りでONにした。
 ベッドに横になれば、天井に星空が広がっていた。
 叶人のことを考えながら見る空は、まるで本物みたいに見えるよ。
 あの星のどれかに叶人はいるのかな?
 悲しみに暮れる私たちを心配しているのならごめんね。

 頭痛は波が引くように消え、心の重さも少しだけ軽くなった気がした。