夕焼け公園に人の姿はなかった。
ベンチに日葵と並んで座る。
曇天の空の下に見える町は灰色にくすみ、そのまま夜を連れてきそう。
「大雅、来るって?」
右斜め前の手すりに腰をおろした優太は、今日は部活を休んだそうだ。
それくらいの緊急事態が起きている。
「あと五分で到着するよ、って」
日葵がLINEの画面を読む声には張りがなく、彼女の動揺が表れている。
「急な転校ってなんだよ。俺たちには相談してくれてもよくね?」
優太も不機嫌さを隠そうともしない。
私は……あいかわらずこの先のシーンがまったく思い出せずにいる。
小説のなかの大雅は、転校が決まったあと事故に遭うのだろうか?
それとも、もっと先の話なのだろうか。
「悠花の言ってたこと、やっぱり本当だったね。大雅の転校も、小説のなかに書いてあったんだね」
私だけに聞こえるように小声で言う日葵の瞳には涙が浮かんでいる。
「ごめんね。直前にしか思い出せなくて」
「ううん。だって、転校を止めることはできないだろうから……」
そっと手を握ると、日葵の膝に涙がひと粒落ちた。
「あ、きた」
手すりから体を起こした優太が大きく手をあげた。
ふり向くとゆっくり歩いてくる大雅が見えた。
まだこの制服を着てそんなに経っていないのに、もう転校するの?
……なにか思い出しそう。
一瞬見えかけた映像をたぐり寄せようとするけれど、つかんだそばからボロボロこぼれ落ちていくようだ。
「お待たせ。この坂はさすがにのぼるのキツイね」
なにも変わらない笑顔。なにも変わらない態度。
日葵はゆがみそうになる顔を必死でこらえている。
「お待たせ、じゃねーよ。転校のこと、なんで俺たちに言わなかったんだよ」
腕を組む優太の横に腰を下ろした大雅。
「そう言われると思ってたよ」
「言うに決まってるだろ。やっと再会したってのに、あまりにも急すぎんだろ」
涙をこらえる日葵をチラッと見た優太が、また視線を大雅に戻す。
「ちゃんと説明してくれるんだろうな」
「そのつもりで来たよ。本当なら、ウソの理由――父親の転勤とかにしたかったけど、うちの家庭環境はバレてるしね」
大雅の瞳はいつもより暗い。
まるで雨が降り出しそうなこの空に似ている。
「あ……」
思わず言葉がこぼれたけれど、みんなには聞こえていない。
そうだ、たしか大雅が転校する理由は……。
すうっと息を大きく吸いこんだあと、大雅は「病気なんだ」と言った。
小説でもたしか本当の理由は病気だった。
「詳しくは言えないけど、僕の血に問題があるんだって。このまま進むと死んじゃうみたいでね」
「そんなっ」
短い悲鳴を日葵があげた。
「このところ体調が悪くて学校も休みがちだったよね。風邪だと思ってたけれど、詳しい検査をして発覚したんだ」
淡々と語る大雅に、隣の優太はぽかんと口を開いたままで固まっている。
「自分の人生の残り時間を知ったときはショックだった。毎日泣いたし、家族もそうだった。でもね、神様はいるんだよ」
もう日葵は涙を隠すことなく嗚咽を漏らしている。
「神様、って?」
そう尋ねると、大雅はまっすぐに私を見た。
久しぶりにちゃんと目が合った気がした。
「生前、うちの父親はアメリカで血液の研究をしていたんだ。そのときに知り合った有名なドクターに相談したら『アメリカに来い』って言ってくれたんだよ」
小説のなかでもこんな展開だった気がする。
大雅は病気が発覚してアメリカへ行った。
そうすると事故に遭うのは、この直後のこと?
それともそのシーンは飛ばされたってことなの?
「治るのか?」
「あいかわらずユウはせっかちだね。ドクターが言うには、半年くらいはかかるだろけど完治するって。早ければ早いほうが治療をはじめやすいから、すぐに向かうことにしたんだ」
「ねえ」と消えそうな日葵の声が聞こえた。
「また……会えるんだよね?」
転校のショックと病気の発覚により、もう日葵の顔はくしゃくしゃになっている。
嗚咽を漏らす日葵の肩に、大雅は右手を乗せた。
「約束はできないんだ」
「そんな!? ……あ、ごめん。そうだよね」
恥じらうようにうつむく日葵に、大雅は腰を折った姿勢のまま続けた。
「日葵に伝えたいことがあるんだ。君は……幸せになれるよ」
急にそんなことを言う大雅に、私だけじゃなくほかのふたりも時間が止まったように動きを止めた。
「ユウだって悠花だって同じ。僕たちの道はここで離れていく。いつか会えるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、僕がいなくてもきっと幸せになれるから。だから、ここでさよならだよ」
無意識にうつむいていたみたい。
砂利をする音に顔をあげると、日葵が立ちあがっていた。
「なに言ってんのよ。さよならなんて言うわけないでしょ。今じゃ世界のどこにいたって連絡は取り合えるんだから」
強気な口調で言いながらも、日葵の頬には涙がとめどなく流れている。
声が震えている、顔がゆがんでいる。
「ああ、そうだよね」
「近況報告はちゃんとしてよね。で、元気になったら顔くらい見せてよね」
「その日を楽しみにしているよ」
やさしく答える大雅に、日葵はやっとホッとした顔をした。
「いつアメリカに経つの?」
「あさっての日曜日の予定なんだ」
日葵の口が『日曜日』と声にはせず動いた。
「でも『さよなら』じゃないんだからね。あたしたちは昔も今もこれからも、ずっと友達でしょ」
日葵はどんな気持ちで『友達』と言ったのだろう。
自分の気持ちを必死で抑えて大雅を見送ろうとしているんだ。
けなげな日葵を見ているだけで胸がえぐられそうなほど苦しい。
恋はなんて悲しくて苦しいんだろう……。
はあ、と大きく息を吐き出したあと、日葵はバッグを肩にかけた。
「ちゃんと連絡して。またね」
逃げるように小走りで去っていく日葵を、
「待てよ」
優太が追いかけて行った。
大雅はふたりを見送るようにさみしげに目を細めている。
私も日葵を追いかけたい。
日葵を強く抱きしめてあげたい。
でも、今は……どうしても知りたいことがあった。
「大雅に聞きたいことがあるの」
「うん」
わかっていたように間を置かずに大雅はうなずく。
もっと早く聞く勇気が持てればよかった。
日葵みたいに、ちゃんと言いたいことを言えたなら……。
「大雅は、小説のなかから出てきたの?」
「え、なにを言ってるの?」
こういう答えが怖くて、ずっと言葉にできずにきた。
自分の弱さを理由にして逃げ続けてきた。
でも、自分の言いたいことを隠したってなにも変わらない。
「大雅の転入は、『パラドックスな恋』という小説と同じ。そのあともまるで小説を読んでいるように同じことが起きた。偶然だって何度も思った。でも、違う。大雅は小説からこの世界にやって来たんだよ。お願いだから本当のことを教えてほしい」
私から視線を逃がし、大雅は天気を読むようにあごをあげた。
「大雅」
気おくれしそうな自分を奮い立たせて言葉を続ける。
「最近は、小説の内容と少しずつ変わっていってる。これはなにを意味しているの? 大雅はなんのために私の前に現れたの? この先にいったいなにが起きるの?」
しばらく宙を見ていた大雅が、静かに私を見た。
悲しみに満たされた瞳に、なぜだろう、優太と見た泳ぐ月を思い出した。
「あなたは……誰なの?」
「じゃあ、君は誰なの?」
やわらかい声で尋ねる大雅に、
「私は……」
言葉が詰まった。
「みんな自分の人生では主人公なんだよ。小説によく似た設定になったとしても、それをなぞるだけじゃなく、自分の意志で物語を進めていくんだ」
言っていることはわかる。
でも、私が知りたいことはそんなことじゃない。
「昔から僕は思っていた。悠花は自分の言いたいことを口にしない。誰かに道を譲り、自分を卑下することでごまかしてきた。そんな悠花の変化が、毎日の選択肢に影響しているんだよ」
「ちゃんと答えて。大雅は実在するの? どうして、どうして……」
私のことじゃない。大雅のことを聞きたいのに、うまくはぐらかされている。
どんな言葉も大雅には伝わらないような気がして、続く言葉が見つからない。
ふいに大雅が空を指さした。
「もうすぐ雨星が降るよ」
「え……」
「小説の内容と、これからのことを思い出して。悠花は自分で自分の未来を開いてほしい。君ならできるはずだから」
そう言うと、大雅は歩き出す。
追いかけることもできず、さよならも交わせないまま、公園を出ていくうしろ姿を見送った。
その向こうに大きな雨雲が浸食してきている。
もう会えない予感が胸を、世界を、悲しい色で覆っていた。
ベンチに日葵と並んで座る。
曇天の空の下に見える町は灰色にくすみ、そのまま夜を連れてきそう。
「大雅、来るって?」
右斜め前の手すりに腰をおろした優太は、今日は部活を休んだそうだ。
それくらいの緊急事態が起きている。
「あと五分で到着するよ、って」
日葵がLINEの画面を読む声には張りがなく、彼女の動揺が表れている。
「急な転校ってなんだよ。俺たちには相談してくれてもよくね?」
優太も不機嫌さを隠そうともしない。
私は……あいかわらずこの先のシーンがまったく思い出せずにいる。
小説のなかの大雅は、転校が決まったあと事故に遭うのだろうか?
それとも、もっと先の話なのだろうか。
「悠花の言ってたこと、やっぱり本当だったね。大雅の転校も、小説のなかに書いてあったんだね」
私だけに聞こえるように小声で言う日葵の瞳には涙が浮かんでいる。
「ごめんね。直前にしか思い出せなくて」
「ううん。だって、転校を止めることはできないだろうから……」
そっと手を握ると、日葵の膝に涙がひと粒落ちた。
「あ、きた」
手すりから体を起こした優太が大きく手をあげた。
ふり向くとゆっくり歩いてくる大雅が見えた。
まだこの制服を着てそんなに経っていないのに、もう転校するの?
……なにか思い出しそう。
一瞬見えかけた映像をたぐり寄せようとするけれど、つかんだそばからボロボロこぼれ落ちていくようだ。
「お待たせ。この坂はさすがにのぼるのキツイね」
なにも変わらない笑顔。なにも変わらない態度。
日葵はゆがみそうになる顔を必死でこらえている。
「お待たせ、じゃねーよ。転校のこと、なんで俺たちに言わなかったんだよ」
腕を組む優太の横に腰を下ろした大雅。
「そう言われると思ってたよ」
「言うに決まってるだろ。やっと再会したってのに、あまりにも急すぎんだろ」
涙をこらえる日葵をチラッと見た優太が、また視線を大雅に戻す。
「ちゃんと説明してくれるんだろうな」
「そのつもりで来たよ。本当なら、ウソの理由――父親の転勤とかにしたかったけど、うちの家庭環境はバレてるしね」
大雅の瞳はいつもより暗い。
まるで雨が降り出しそうなこの空に似ている。
「あ……」
思わず言葉がこぼれたけれど、みんなには聞こえていない。
そうだ、たしか大雅が転校する理由は……。
すうっと息を大きく吸いこんだあと、大雅は「病気なんだ」と言った。
小説でもたしか本当の理由は病気だった。
「詳しくは言えないけど、僕の血に問題があるんだって。このまま進むと死んじゃうみたいでね」
「そんなっ」
短い悲鳴を日葵があげた。
「このところ体調が悪くて学校も休みがちだったよね。風邪だと思ってたけれど、詳しい検査をして発覚したんだ」
淡々と語る大雅に、隣の優太はぽかんと口を開いたままで固まっている。
「自分の人生の残り時間を知ったときはショックだった。毎日泣いたし、家族もそうだった。でもね、神様はいるんだよ」
もう日葵は涙を隠すことなく嗚咽を漏らしている。
「神様、って?」
そう尋ねると、大雅はまっすぐに私を見た。
久しぶりにちゃんと目が合った気がした。
「生前、うちの父親はアメリカで血液の研究をしていたんだ。そのときに知り合った有名なドクターに相談したら『アメリカに来い』って言ってくれたんだよ」
小説のなかでもこんな展開だった気がする。
大雅は病気が発覚してアメリカへ行った。
そうすると事故に遭うのは、この直後のこと?
それともそのシーンは飛ばされたってことなの?
「治るのか?」
「あいかわらずユウはせっかちだね。ドクターが言うには、半年くらいはかかるだろけど完治するって。早ければ早いほうが治療をはじめやすいから、すぐに向かうことにしたんだ」
「ねえ」と消えそうな日葵の声が聞こえた。
「また……会えるんだよね?」
転校のショックと病気の発覚により、もう日葵の顔はくしゃくしゃになっている。
嗚咽を漏らす日葵の肩に、大雅は右手を乗せた。
「約束はできないんだ」
「そんな!? ……あ、ごめん。そうだよね」
恥じらうようにうつむく日葵に、大雅は腰を折った姿勢のまま続けた。
「日葵に伝えたいことがあるんだ。君は……幸せになれるよ」
急にそんなことを言う大雅に、私だけじゃなくほかのふたりも時間が止まったように動きを止めた。
「ユウだって悠花だって同じ。僕たちの道はここで離れていく。いつか会えるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、僕がいなくてもきっと幸せになれるから。だから、ここでさよならだよ」
無意識にうつむいていたみたい。
砂利をする音に顔をあげると、日葵が立ちあがっていた。
「なに言ってんのよ。さよならなんて言うわけないでしょ。今じゃ世界のどこにいたって連絡は取り合えるんだから」
強気な口調で言いながらも、日葵の頬には涙がとめどなく流れている。
声が震えている、顔がゆがんでいる。
「ああ、そうだよね」
「近況報告はちゃんとしてよね。で、元気になったら顔くらい見せてよね」
「その日を楽しみにしているよ」
やさしく答える大雅に、日葵はやっとホッとした顔をした。
「いつアメリカに経つの?」
「あさっての日曜日の予定なんだ」
日葵の口が『日曜日』と声にはせず動いた。
「でも『さよなら』じゃないんだからね。あたしたちは昔も今もこれからも、ずっと友達でしょ」
日葵はどんな気持ちで『友達』と言ったのだろう。
自分の気持ちを必死で抑えて大雅を見送ろうとしているんだ。
けなげな日葵を見ているだけで胸がえぐられそうなほど苦しい。
恋はなんて悲しくて苦しいんだろう……。
はあ、と大きく息を吐き出したあと、日葵はバッグを肩にかけた。
「ちゃんと連絡して。またね」
逃げるように小走りで去っていく日葵を、
「待てよ」
優太が追いかけて行った。
大雅はふたりを見送るようにさみしげに目を細めている。
私も日葵を追いかけたい。
日葵を強く抱きしめてあげたい。
でも、今は……どうしても知りたいことがあった。
「大雅に聞きたいことがあるの」
「うん」
わかっていたように間を置かずに大雅はうなずく。
もっと早く聞く勇気が持てればよかった。
日葵みたいに、ちゃんと言いたいことを言えたなら……。
「大雅は、小説のなかから出てきたの?」
「え、なにを言ってるの?」
こういう答えが怖くて、ずっと言葉にできずにきた。
自分の弱さを理由にして逃げ続けてきた。
でも、自分の言いたいことを隠したってなにも変わらない。
「大雅の転入は、『パラドックスな恋』という小説と同じ。そのあともまるで小説を読んでいるように同じことが起きた。偶然だって何度も思った。でも、違う。大雅は小説からこの世界にやって来たんだよ。お願いだから本当のことを教えてほしい」
私から視線を逃がし、大雅は天気を読むようにあごをあげた。
「大雅」
気おくれしそうな自分を奮い立たせて言葉を続ける。
「最近は、小説の内容と少しずつ変わっていってる。これはなにを意味しているの? 大雅はなんのために私の前に現れたの? この先にいったいなにが起きるの?」
しばらく宙を見ていた大雅が、静かに私を見た。
悲しみに満たされた瞳に、なぜだろう、優太と見た泳ぐ月を思い出した。
「あなたは……誰なの?」
「じゃあ、君は誰なの?」
やわらかい声で尋ねる大雅に、
「私は……」
言葉が詰まった。
「みんな自分の人生では主人公なんだよ。小説によく似た設定になったとしても、それをなぞるだけじゃなく、自分の意志で物語を進めていくんだ」
言っていることはわかる。
でも、私が知りたいことはそんなことじゃない。
「昔から僕は思っていた。悠花は自分の言いたいことを口にしない。誰かに道を譲り、自分を卑下することでごまかしてきた。そんな悠花の変化が、毎日の選択肢に影響しているんだよ」
「ちゃんと答えて。大雅は実在するの? どうして、どうして……」
私のことじゃない。大雅のことを聞きたいのに、うまくはぐらかされている。
どんな言葉も大雅には伝わらないような気がして、続く言葉が見つからない。
ふいに大雅が空を指さした。
「もうすぐ雨星が降るよ」
「え……」
「小説の内容と、これからのことを思い出して。悠花は自分で自分の未来を開いてほしい。君ならできるはずだから」
そう言うと、大雅は歩き出す。
追いかけることもできず、さよならも交わせないまま、公園を出ていくうしろ姿を見送った。
その向こうに大きな雨雲が浸食してきている。
もう会えない予感が胸を、世界を、悲しい色で覆っていた。