放課後になりいくぶんおさまった雨に、クラスメイトはあっという間に教室からいなくなった。
トイレでいつものように『パラドックスな恋』を確認しても、あいかわらず更新はされていない。
小説の物語にある通りに行動していないからなのかもしれない。
日葵は部活に休みの申請をしに行くついでに、優太に持っていくプリントを職員室にもらいに行っている。
教室に戻ると、窓辺に大雅が立っていた。
雨を読むように、じっと空に顔を向けているうしろ姿が、小説と重なった。
イヤだな、と思った。
否が応でも小説のなかで告白されたシーンを思い出してしまう。
憧れてやまなかったあのシーンも、実際に起きてしまうのは避けたい。
私に気づいた大雅が、「ああ」とふり返り、窓枠にもたれた。
「カバンがあるからまだいると思ってた」
「あ、うん」
「最近あまりしゃべってなかったからさ。これからユウのお見舞いに行くんだって? 木村さんが教えてくれたんだ」
「うん……」
「うん、しか言ってくれないんだね」
小さく笑う大雅のうしろで雨が再び激しく降り出した。
いつもみたいにごまかして乗り切ればいいのに、なんの言葉も浮かんではくれない。
「僕が一緒だと困っちゃうよね?」
「そんなこと、ないよ」
しどろもどろな私の声を、雨音が奪っていく。
しばらく続いた沈黙のあと、大雅は窓ガラスを指さした。
雨粒が集まり、下へと流れている。
「人生は分岐点がたくさんあるね」
「分岐点?」
ガラスを伝う雨がふたつに分かれ、ほかの雨と結合してまた分かれていく。
「いくつもの分かれ道があって、僕たちは右へ左へと歩いて行く。状況によってどちらかにしか進めないことはあったとしても、最終的には自分で選んでいるんだよ」
大雅の言っていることがよくわからない。
固まる私に、大雅はさみしそうに笑う。
「大丈夫だよ、悠花に告白はしないから」
「え……?」
告白って言ったの?
「僕が告白するのを恐れている。だから、前みたいに話せなくなったんだよね? 悠花が嫌がることはしないよ」
「待って。そうじゃなくて……」
「悠花は自分の信じた道を進んでいってほしい。迷ったって大丈夫。悠花の選んだ答えを応援する人はたくさんいるから」
歩き出す大雅の腕を思わずつかんでいた。
思ったより強い力で握ったことに気づき、パッと手を離した。
「ごめん。あの、私――」
――大雅は小説世界から出てきたの?
――大雅は本当に私の幼なじみなの?
どちらの質問をしても、大雅は困るだろう。
大雅の言うように、私は分岐点で優太を好きになる道を自分で選んでしまった。
ううん、選んだんだ。
でも、大雅が事故に遭う可能性はゼロとは言い切れない。
だとしたら、私にできることはなんだろう。
「正直に言うとね……大雅に告白されなくてよかったって思ってる」
「だろうね」
「でも」と、勇気を出してその顔をまっすぐに見た。
「ひとつだけお願いがあるの。明日以降、雨の日の夕方は駅前に行かないでほしいの。詳しく言うと、夕焼けが見えるのに雨が降っている日。ヘンなこと言ってるってわかってるけど、すごく大事なことなの」
小説では雨の夕方に大雅は事故に遭う。
その状況を回避できれば大雅は助かるかもしれない。
「どうしても行かなくちゃいけない用事があっても、駅裏の交差点だけには近寄らないでほしい」
言うそばからおかしなことを言っているってわかってる。
それでもちゃんと伝えなくちゃ。
もう、あとで後悔するのはイヤだから。
「前に町案内をしたときに大きな交差点があったよね。お願いだから、お願い――」
「わかったよ」
大雅はこぶしを口に当ててクスクス笑った。
「あいかわらずヘンな人。ま、悠花らしいけどね」
「……ごめん」
「許しが出るまでは、雨の日に駅前には行かないと約束する」
ホッとする私に大雅は「じゃあ」と教室を出て行った。
体中から力が抜ける気がした。
ひとり残された教室で雨を見た。
窓ガラスにはいくつもの分かれ道を雨が流れている。
私は今、正しい分岐点を選べているのかな……。
「悠花」
低い声に目をやると、うしろの扉に日葵が立っていた。
ひと目でわかる、日葵が不機嫌だって。
「あたし、悠花のことわからないよ」
今のやり取りを見ていたのだろう、日葵は大股で歩いてくるとまっすぐに私をにらんだ。
「大雅のことどう思ってるの? 『覚えてない』って言ったかと思えば、『好きだよ。心が覚えている』とか言ったり。で、次はまた『覚えてない』で、今は『告白されなくてよかった』って、なによそれ」
怒っていると言うより、日葵は悲しんでいるように見えた。
「大雅のお見舞いのときだって、かなり協力したつもりだよ。なのに、なんで理解不能なことばっかりするわけ!?」
声を荒らげる日葵を見てわかった。
ああ、そっか。そうだったんだ……。
「私、自分のことで精いっぱいすぎて、日葵のことわかってなかったね」
「あたしは関係ないでしょ。今は、悠花のことを言ってるの」
悔し気に顔をゆがませる日葵を、空いている席になんとか座らせた。
前の席にある椅子にうしろ向きで座ると、机越しに日葵と向き合う。
「日葵は、大雅のことが好きなんだね」
そう言う私に、日葵は短く息を吸い込んだ。
「……違う」
言葉とは裏腹に、日葵の瞳が潤むのがわかった。
「大雅のことが好きなのに、私に遠慮してくれたんだよね?」
「だから違うって」
かぶりを振る日葵の手を握った。
ハッと顔をあげた日葵の目が、唇が髪が、恋をしていると叫んでいるように見えた。
小説じゃなく、本当に恋に落ちた人はこんなにリアルな表情をするんだね。
「私、日葵にウソをついてた。本当にごめん」
「いいよもう。大雅だって悠花のことを好きなわけだし、あたしに遠慮しなくても――」
「好きじゃない」
「…………」
握る手に力が入るのがわかっても、ここで止めちゃいけない。
「大雅のこと、最初から好きだと思ってない。一度、日葵に『大雅が好き』って言ったよね。それがウソなの」
雨音に紛れ、日葵の唇が「は?」の形で動いた。
「なに言ってるの。いい加減にして。なんでそんなひどいことを言うのよ。大雅は悠花のことが好きなんだよ。それ、なの、に……」
怒りが悲しみに変わり、涙となって日葵の瞳からこぼれ落ちた。
日葵はずっと私に遠慮してくれていたんだ。
私たちが両想いなことを知り、自分の気持ちを抑えて協力してくれていた。
どれだけ悲しかったのだろう……。
手を離すと日葵は慌てて涙を拭った。
「ぜんぜんわからない。なにがどうなってるのよ」
「私もわからないの。でも、日葵には全部話をしたい」
「話って? なんの話をするのよ」
怒り口調に戻る日葵に、背筋を伸ばした。
「これから話をすることが信じられないかもしれないし、私のことが嫌いになるかもしれない。だとしても、日葵だけには知ってほしい」
日葵だけじゃなく、優太にもこの不思議な出来事を伝えようとした。
最初の反応であきらめたのは、私のほうだ。
あの分岐点で選んだ道は、『話せない』じゃなく、『話さない』だったんだ。
ハンカチで涙を拭う日葵が、渋々ながら小さくうなずいてくれた。
「じゃあ、聞く」
大切な友達に、私のことを知ってもらう。
これが私の選んだ道だ。
「前に『パラドックスな恋』の話をしたこと覚えてる?」
「ああ、こないだ見せてくれた小説投稿サイトのやつでしょ? 最初しか読んでないけど、それと同じことが起きてるって言ってたよね」
涙声の日葵に、うなずく。
「日葵は私が書いたんじゃないか、って疑ってたけど、信じてほしい。あの小説を書いたのは本当に私じゃないの」
「まさか、優太が書いてるとか?」
それも違うだろう。
もしそうだとしても、小説と同じことが起きている説明にはならない。
「最初からきちんと話すから、聞いてくれる?」
日葵はハンカチを置いて大きくうなずいた。
起きたことを順番に話していく間、日葵はただ黙って聞いてくれた。
話は行ったり来たりして理路整然とはいかなかったけれど、なんとか先を続けた。
話し終わるころにはあたりは暗くなっていた。
雨もあがったらしく、虫の声が小さく聞こえている。
日葵はじっとうつむいていたけれど、静かに「つまり」と口を開いた。
「大雅が事故に遭う未来があるかもしれない、ってこと?」
「確実にとは言えないんだけど、小説のなかではそうなってる」
「空に夕焼けが出てるのに雨が降ってることなんてあるの?」
「小説のなかではそう書いてあったと思う」
「そのあとは、どうなったかわからない、と?」
「……うん」
話せば話すほどに、『こんな話、信用されなくて当然だ』と思った。
もし私が日葵に同じことを説明されても、信じられるかどうかわからない。
「ごめん。やっぱりよくわからない」
素直に日葵はそう言ったけれど、さっきより表情は明るかった。
「だってそうでしょう。こんなの、あたしが読む漫画の世界だもん」
「うん」
「でも、信じたい気持ちはある。だから、協力する。あたしも大雅のことちゃんとチェックする。特に雨の日は厳重な警戒態勢を取るから」
「え……」
驚く私に、日葵は首をかしげた。
「なんで悠花が驚くのよ。あたしのほうが何倍も驚いてるんだからね」
冗談めかせる日葵に、今度は私が泣きそうになる。なんとかこらえながら、
「ありがとう。うれしい」
と伝えた。
「友達なんだから信じるのは当たり前。と言いながら、前のときは全然信じてなかったけど」
ニカッと笑ったあと、日葵は窓の外を見た。
「今日はもう夕焼けも終わってるし、雨も降らないだろうから大丈夫だね。明日からも気をつけないとね」
「そうだね」
机の上には『パラドックスな恋』が表示されたままで置かれている。
指先で画面をスクロールさせながら、日葵が目を伏せた。
「悠花が言うように、大雅が小説のなかの人だとしたら、いつかは消えちゃうのかな。それだと悲しいな……」
「うん」
「そのときは、あたしの気持ちも一緒に消えちゃうんだろうね。でも、この気持ちが消えないほうが、もっと悲しくなる日が来るんだろうなあ」
日葵がやっと見つけた恋なら、私は全力で応援したい。
でも、大雅が消えた世界にひとり残されるのはもっと悲しいだろう。
「悠花だって同じだよ」
「私も?」
「あたしの好きな漫画でも、クライマックスで異世界がリセットされて終わるオチがあるの。そうなったら、悠花が優太を好きな気持ちも一緒にリセットされることもあるんだから」
これまでの私なら、そういう分かれ道が訪れても受け入れただろう。
優太とまた友達として話をすることができる未来なら、それはそれで構わないと。
「悲しいね」
でも、もう優太への気持ちを知ってしまったから。
ふたりして涙を拭ってから、同時に少し笑った。
日葵は、私の大事な友達だ。
トイレでいつものように『パラドックスな恋』を確認しても、あいかわらず更新はされていない。
小説の物語にある通りに行動していないからなのかもしれない。
日葵は部活に休みの申請をしに行くついでに、優太に持っていくプリントを職員室にもらいに行っている。
教室に戻ると、窓辺に大雅が立っていた。
雨を読むように、じっと空に顔を向けているうしろ姿が、小説と重なった。
イヤだな、と思った。
否が応でも小説のなかで告白されたシーンを思い出してしまう。
憧れてやまなかったあのシーンも、実際に起きてしまうのは避けたい。
私に気づいた大雅が、「ああ」とふり返り、窓枠にもたれた。
「カバンがあるからまだいると思ってた」
「あ、うん」
「最近あまりしゃべってなかったからさ。これからユウのお見舞いに行くんだって? 木村さんが教えてくれたんだ」
「うん……」
「うん、しか言ってくれないんだね」
小さく笑う大雅のうしろで雨が再び激しく降り出した。
いつもみたいにごまかして乗り切ればいいのに、なんの言葉も浮かんではくれない。
「僕が一緒だと困っちゃうよね?」
「そんなこと、ないよ」
しどろもどろな私の声を、雨音が奪っていく。
しばらく続いた沈黙のあと、大雅は窓ガラスを指さした。
雨粒が集まり、下へと流れている。
「人生は分岐点がたくさんあるね」
「分岐点?」
ガラスを伝う雨がふたつに分かれ、ほかの雨と結合してまた分かれていく。
「いくつもの分かれ道があって、僕たちは右へ左へと歩いて行く。状況によってどちらかにしか進めないことはあったとしても、最終的には自分で選んでいるんだよ」
大雅の言っていることがよくわからない。
固まる私に、大雅はさみしそうに笑う。
「大丈夫だよ、悠花に告白はしないから」
「え……?」
告白って言ったの?
「僕が告白するのを恐れている。だから、前みたいに話せなくなったんだよね? 悠花が嫌がることはしないよ」
「待って。そうじゃなくて……」
「悠花は自分の信じた道を進んでいってほしい。迷ったって大丈夫。悠花の選んだ答えを応援する人はたくさんいるから」
歩き出す大雅の腕を思わずつかんでいた。
思ったより強い力で握ったことに気づき、パッと手を離した。
「ごめん。あの、私――」
――大雅は小説世界から出てきたの?
――大雅は本当に私の幼なじみなの?
どちらの質問をしても、大雅は困るだろう。
大雅の言うように、私は分岐点で優太を好きになる道を自分で選んでしまった。
ううん、選んだんだ。
でも、大雅が事故に遭う可能性はゼロとは言い切れない。
だとしたら、私にできることはなんだろう。
「正直に言うとね……大雅に告白されなくてよかったって思ってる」
「だろうね」
「でも」と、勇気を出してその顔をまっすぐに見た。
「ひとつだけお願いがあるの。明日以降、雨の日の夕方は駅前に行かないでほしいの。詳しく言うと、夕焼けが見えるのに雨が降っている日。ヘンなこと言ってるってわかってるけど、すごく大事なことなの」
小説では雨の夕方に大雅は事故に遭う。
その状況を回避できれば大雅は助かるかもしれない。
「どうしても行かなくちゃいけない用事があっても、駅裏の交差点だけには近寄らないでほしい」
言うそばからおかしなことを言っているってわかってる。
それでもちゃんと伝えなくちゃ。
もう、あとで後悔するのはイヤだから。
「前に町案内をしたときに大きな交差点があったよね。お願いだから、お願い――」
「わかったよ」
大雅はこぶしを口に当ててクスクス笑った。
「あいかわらずヘンな人。ま、悠花らしいけどね」
「……ごめん」
「許しが出るまでは、雨の日に駅前には行かないと約束する」
ホッとする私に大雅は「じゃあ」と教室を出て行った。
体中から力が抜ける気がした。
ひとり残された教室で雨を見た。
窓ガラスにはいくつもの分かれ道を雨が流れている。
私は今、正しい分岐点を選べているのかな……。
「悠花」
低い声に目をやると、うしろの扉に日葵が立っていた。
ひと目でわかる、日葵が不機嫌だって。
「あたし、悠花のことわからないよ」
今のやり取りを見ていたのだろう、日葵は大股で歩いてくるとまっすぐに私をにらんだ。
「大雅のことどう思ってるの? 『覚えてない』って言ったかと思えば、『好きだよ。心が覚えている』とか言ったり。で、次はまた『覚えてない』で、今は『告白されなくてよかった』って、なによそれ」
怒っていると言うより、日葵は悲しんでいるように見えた。
「大雅のお見舞いのときだって、かなり協力したつもりだよ。なのに、なんで理解不能なことばっかりするわけ!?」
声を荒らげる日葵を見てわかった。
ああ、そっか。そうだったんだ……。
「私、自分のことで精いっぱいすぎて、日葵のことわかってなかったね」
「あたしは関係ないでしょ。今は、悠花のことを言ってるの」
悔し気に顔をゆがませる日葵を、空いている席になんとか座らせた。
前の席にある椅子にうしろ向きで座ると、机越しに日葵と向き合う。
「日葵は、大雅のことが好きなんだね」
そう言う私に、日葵は短く息を吸い込んだ。
「……違う」
言葉とは裏腹に、日葵の瞳が潤むのがわかった。
「大雅のことが好きなのに、私に遠慮してくれたんだよね?」
「だから違うって」
かぶりを振る日葵の手を握った。
ハッと顔をあげた日葵の目が、唇が髪が、恋をしていると叫んでいるように見えた。
小説じゃなく、本当に恋に落ちた人はこんなにリアルな表情をするんだね。
「私、日葵にウソをついてた。本当にごめん」
「いいよもう。大雅だって悠花のことを好きなわけだし、あたしに遠慮しなくても――」
「好きじゃない」
「…………」
握る手に力が入るのがわかっても、ここで止めちゃいけない。
「大雅のこと、最初から好きだと思ってない。一度、日葵に『大雅が好き』って言ったよね。それがウソなの」
雨音に紛れ、日葵の唇が「は?」の形で動いた。
「なに言ってるの。いい加減にして。なんでそんなひどいことを言うのよ。大雅は悠花のことが好きなんだよ。それ、なの、に……」
怒りが悲しみに変わり、涙となって日葵の瞳からこぼれ落ちた。
日葵はずっと私に遠慮してくれていたんだ。
私たちが両想いなことを知り、自分の気持ちを抑えて協力してくれていた。
どれだけ悲しかったのだろう……。
手を離すと日葵は慌てて涙を拭った。
「ぜんぜんわからない。なにがどうなってるのよ」
「私もわからないの。でも、日葵には全部話をしたい」
「話って? なんの話をするのよ」
怒り口調に戻る日葵に、背筋を伸ばした。
「これから話をすることが信じられないかもしれないし、私のことが嫌いになるかもしれない。だとしても、日葵だけには知ってほしい」
日葵だけじゃなく、優太にもこの不思議な出来事を伝えようとした。
最初の反応であきらめたのは、私のほうだ。
あの分岐点で選んだ道は、『話せない』じゃなく、『話さない』だったんだ。
ハンカチで涙を拭う日葵が、渋々ながら小さくうなずいてくれた。
「じゃあ、聞く」
大切な友達に、私のことを知ってもらう。
これが私の選んだ道だ。
「前に『パラドックスな恋』の話をしたこと覚えてる?」
「ああ、こないだ見せてくれた小説投稿サイトのやつでしょ? 最初しか読んでないけど、それと同じことが起きてるって言ってたよね」
涙声の日葵に、うなずく。
「日葵は私が書いたんじゃないか、って疑ってたけど、信じてほしい。あの小説を書いたのは本当に私じゃないの」
「まさか、優太が書いてるとか?」
それも違うだろう。
もしそうだとしても、小説と同じことが起きている説明にはならない。
「最初からきちんと話すから、聞いてくれる?」
日葵はハンカチを置いて大きくうなずいた。
起きたことを順番に話していく間、日葵はただ黙って聞いてくれた。
話は行ったり来たりして理路整然とはいかなかったけれど、なんとか先を続けた。
話し終わるころにはあたりは暗くなっていた。
雨もあがったらしく、虫の声が小さく聞こえている。
日葵はじっとうつむいていたけれど、静かに「つまり」と口を開いた。
「大雅が事故に遭う未来があるかもしれない、ってこと?」
「確実にとは言えないんだけど、小説のなかではそうなってる」
「空に夕焼けが出てるのに雨が降ってることなんてあるの?」
「小説のなかではそう書いてあったと思う」
「そのあとは、どうなったかわからない、と?」
「……うん」
話せば話すほどに、『こんな話、信用されなくて当然だ』と思った。
もし私が日葵に同じことを説明されても、信じられるかどうかわからない。
「ごめん。やっぱりよくわからない」
素直に日葵はそう言ったけれど、さっきより表情は明るかった。
「だってそうでしょう。こんなの、あたしが読む漫画の世界だもん」
「うん」
「でも、信じたい気持ちはある。だから、協力する。あたしも大雅のことちゃんとチェックする。特に雨の日は厳重な警戒態勢を取るから」
「え……」
驚く私に、日葵は首をかしげた。
「なんで悠花が驚くのよ。あたしのほうが何倍も驚いてるんだからね」
冗談めかせる日葵に、今度は私が泣きそうになる。なんとかこらえながら、
「ありがとう。うれしい」
と伝えた。
「友達なんだから信じるのは当たり前。と言いながら、前のときは全然信じてなかったけど」
ニカッと笑ったあと、日葵は窓の外を見た。
「今日はもう夕焼けも終わってるし、雨も降らないだろうから大丈夫だね。明日からも気をつけないとね」
「そうだね」
机の上には『パラドックスな恋』が表示されたままで置かれている。
指先で画面をスクロールさせながら、日葵が目を伏せた。
「悠花が言うように、大雅が小説のなかの人だとしたら、いつかは消えちゃうのかな。それだと悲しいな……」
「うん」
「そのときは、あたしの気持ちも一緒に消えちゃうんだろうね。でも、この気持ちが消えないほうが、もっと悲しくなる日が来るんだろうなあ」
日葵がやっと見つけた恋なら、私は全力で応援したい。
でも、大雅が消えた世界にひとり残されるのはもっと悲しいだろう。
「悠花だって同じだよ」
「私も?」
「あたしの好きな漫画でも、クライマックスで異世界がリセットされて終わるオチがあるの。そうなったら、悠花が優太を好きな気持ちも一緒にリセットされることもあるんだから」
これまでの私なら、そういう分かれ道が訪れても受け入れただろう。
優太とまた友達として話をすることができる未来なら、それはそれで構わないと。
「悲しいね」
でも、もう優太への気持ちを知ってしまったから。
ふたりして涙を拭ってから、同時に少し笑った。
日葵は、私の大事な友達だ。