ここのところずっと雨が降っている。
放課後になっても変わらない天気は、心のなかに雨が溜まるように気持ちを重くしていく。
「柏木さん、まだ帰らないの?」
帰り支度をする木村さんに声をかけられた。
今日の委員会の草むしりは雨のため中止。代わりに備品チェックをやらされた。
「せっかくだから宿題していこうかな、って」
「雨もすごいしね」
最近は木村さんとも普通に話をするようになった。
話をするようになって知ったことは、木村さんは大の映画好きだということ。
それも私たちが生まれる前に上映していた作品を愛していて、今日も備品チェックをしながらいろいろと教えてくれた。
あいかわらず上手な返しはできなくて謝ったところ、木村さんは『いいのいいの。聞いてくれる人がいるだけでうれしいから』と笑っていた。
通学バッグを手に取ると、木村さんは「ね」と私に言った。
「もしよかったらなんだけど、ニックネームで呼んでもらうことってできる?」
「木村さんのニックネームはキムだよね?」
「みんな苗字からつけたあだ名だと思ってるけど、女優のキム・ノヴァクからつけてるの。誰も知らないけどね」
「そうなんだ」
キムなんとかという女優のことを知らない私に、木村さんは「あのね」とうれしそうにはにかんだ。
「ヒッチコックの『めまい』とかで有名な女優さんでね。すごく憧れているの。キレイなだけじゃなく、演技が私を魅了して離さないの」
キラキラした瞳で語る木村さんに、私まで笑顔になってしまう。
「わかったよ、キム」
「よろしく、カッシー」
そう言ったあと、木村さんは首をかしげる。
「カッシーはしっくりこないから考えておくね。バイバイ」
「バイバイ」
手を振ったあと、急にさみしくなったのはなぜだろう。
スマホを取り出し、更新分まで小説を確認することにした。
お見舞いに行った帰りに、大雅と一緒に夕日を眺めている描写を目で追う。
小説のなかには、主人公が恋した大雅がいる。
でもあの日、一緒に夕日を見たのは優太だった。
大雅の席を見る。
風邪のあと復帰した大雅は、前よりももっと話しかけてくるようになった。
クラスのみんながウワサするくらい、私たちの距離は近づいている。
「でも……」
自分のなかに彼への想いがないことは、この数日で自覚している。
――私は、大雅に恋をしていない。
元々、小説のなかの悠花とは見た目も性格も違いすぎるから、主人公になれないとわかっていたから。
それよりも、もっと心配なのはこの先の展開だ。
「とにかく事故だけは避けないと……」
あいかわらず『パラドックスな恋』の展開は忘れたままだけど、大雅が事故に遭うことだけはわかっている。
どんなふうに事故に遭うのか、どれほどの傷を負うのかは思い出せないけれど、何度もくり返し読むほど好きな話だからバッドエンドではないはず。
連載が進めば思い出せるかもしれない。
そこまでは『大雅に恋する私』でいて、そばにいたほうがいいだろう。
窓ガラスに伝う雨を見た。流れて、ほかの雨粒と同化して、また離れていく。
まるで私の心みたい。いろんな感情がくっついたり離れたりしている。
「……待って」
思わず声にしていた。
この場面を覚えている。これは……小説のなかにも出てきたはず。
ガタッ。
音にふり向くと、大雅が私を見てうれしそうに口元をカーブさせた。
「あれ、悠花」
やばいな、と身構える。このシーンは……。
「課題明日までだったの忘れてて取りにきたんだ。悠花は電気もつけずになにしてたの?」
「私は委員会、すぐ帰ろうと思ったんだけど、雨が激しいから――」
途中で言葉をごくんと呑みこんだ。
思い出したばかりの記憶を急いで上映する。
□□□□□□
雨の音がさっきよりもすぐ近くで聞こえた気がした。
私と一緒に空が泣いているみたい。
「私は平気。だって、今は傷ついてなんかいないから。大雅とまた会えたこと、すごくうれしく思ってるんだよ」
「僕もだよ」
「だったら教えて。いったい私たちになにが――」
「悠花のことが好きなんだ」
□□□□□□
そうだった。ここで大雅に告白をされるんだ……。
ということは、小説の物語は終盤に入っていることになる。
どうしよう。
あれほど憧れていた告白のシーンなのに、自分の気持ちを確認した今、それを受けることはできない。
「雨が激しいから、日葵が部活終わるの待ってたところ」
とっさの言い訳につけ加え、
「もうすぐここに来ると思うよ」
けん制もしておく。
告白できない状況にしておいたほうが、大雅とふたりきりになる機会は減らせるはず。
なんとかこの場面をすり抜けないと、と自分に言い聞かせる。
私の決意も知らずに大雅はスルスルと机の間を抜けると、優太の机の上に腰をおろした。
「雨だね」
「あ、うん」
あいまいに答え、カバンを整理した。
「なにか、悩んでるの?」
「ううん、別に。私、帰らなくちゃ」
強引に立ちあがる私の腕を、大雅はつかんだ。
思ったよりも大きな手に驚きながら、思考がフリーズしてしまう。
「なあ悠花」
――ダメ。
「話したいことがあるんだけど――」
――それ以上言わないで。
「離して!」
強引に手を振りほどくと、傷ついた目をした大雅が視界のはしに映った。
ううん、これは私の錯覚なの……?
笑え、と自分に指令を出すと、すんなり唇が動いてくれた。
「もう大雅、それセクハラだよ」
「あ、ごめん」
宙をかくように指先を動かしてからパタンと手をおろす大雅。
「なんかごめん。ちょっと話がしたかっただけなんだ。でも、やめておくよ」
どうしていいのかわからずうつむく私を置いて、大雅は教室を出て行ったようだ。
遠ざかる足音は、すぐに雨音に紛れ聞こえなくなった。
……危なかった。
ため息をつき、教室のカーテンを閉めた。
窓の外は灰色の世界。これじゃ、今夜は星も見えない。
大雅を好きな自分を演じるのも難しいとなれば、どうやって事故を防げばいいのだろう。
もうわからないよ……。
そういえば、叶人の借りていた本を返しにいかないと。
ついでに雨星についても調べてみよう。
違うことで頭のなかを埋めようとするのに、さっきの傷ついた大雅の顔が浮かんでしまう。
誰かに悲しい思いをさせるのは、なんて痛いんだろう。
放課後になっても変わらない天気は、心のなかに雨が溜まるように気持ちを重くしていく。
「柏木さん、まだ帰らないの?」
帰り支度をする木村さんに声をかけられた。
今日の委員会の草むしりは雨のため中止。代わりに備品チェックをやらされた。
「せっかくだから宿題していこうかな、って」
「雨もすごいしね」
最近は木村さんとも普通に話をするようになった。
話をするようになって知ったことは、木村さんは大の映画好きだということ。
それも私たちが生まれる前に上映していた作品を愛していて、今日も備品チェックをしながらいろいろと教えてくれた。
あいかわらず上手な返しはできなくて謝ったところ、木村さんは『いいのいいの。聞いてくれる人がいるだけでうれしいから』と笑っていた。
通学バッグを手に取ると、木村さんは「ね」と私に言った。
「もしよかったらなんだけど、ニックネームで呼んでもらうことってできる?」
「木村さんのニックネームはキムだよね?」
「みんな苗字からつけたあだ名だと思ってるけど、女優のキム・ノヴァクからつけてるの。誰も知らないけどね」
「そうなんだ」
キムなんとかという女優のことを知らない私に、木村さんは「あのね」とうれしそうにはにかんだ。
「ヒッチコックの『めまい』とかで有名な女優さんでね。すごく憧れているの。キレイなだけじゃなく、演技が私を魅了して離さないの」
キラキラした瞳で語る木村さんに、私まで笑顔になってしまう。
「わかったよ、キム」
「よろしく、カッシー」
そう言ったあと、木村さんは首をかしげる。
「カッシーはしっくりこないから考えておくね。バイバイ」
「バイバイ」
手を振ったあと、急にさみしくなったのはなぜだろう。
スマホを取り出し、更新分まで小説を確認することにした。
お見舞いに行った帰りに、大雅と一緒に夕日を眺めている描写を目で追う。
小説のなかには、主人公が恋した大雅がいる。
でもあの日、一緒に夕日を見たのは優太だった。
大雅の席を見る。
風邪のあと復帰した大雅は、前よりももっと話しかけてくるようになった。
クラスのみんながウワサするくらい、私たちの距離は近づいている。
「でも……」
自分のなかに彼への想いがないことは、この数日で自覚している。
――私は、大雅に恋をしていない。
元々、小説のなかの悠花とは見た目も性格も違いすぎるから、主人公になれないとわかっていたから。
それよりも、もっと心配なのはこの先の展開だ。
「とにかく事故だけは避けないと……」
あいかわらず『パラドックスな恋』の展開は忘れたままだけど、大雅が事故に遭うことだけはわかっている。
どんなふうに事故に遭うのか、どれほどの傷を負うのかは思い出せないけれど、何度もくり返し読むほど好きな話だからバッドエンドではないはず。
連載が進めば思い出せるかもしれない。
そこまでは『大雅に恋する私』でいて、そばにいたほうがいいだろう。
窓ガラスに伝う雨を見た。流れて、ほかの雨粒と同化して、また離れていく。
まるで私の心みたい。いろんな感情がくっついたり離れたりしている。
「……待って」
思わず声にしていた。
この場面を覚えている。これは……小説のなかにも出てきたはず。
ガタッ。
音にふり向くと、大雅が私を見てうれしそうに口元をカーブさせた。
「あれ、悠花」
やばいな、と身構える。このシーンは……。
「課題明日までだったの忘れてて取りにきたんだ。悠花は電気もつけずになにしてたの?」
「私は委員会、すぐ帰ろうと思ったんだけど、雨が激しいから――」
途中で言葉をごくんと呑みこんだ。
思い出したばかりの記憶を急いで上映する。
□□□□□□
雨の音がさっきよりもすぐ近くで聞こえた気がした。
私と一緒に空が泣いているみたい。
「私は平気。だって、今は傷ついてなんかいないから。大雅とまた会えたこと、すごくうれしく思ってるんだよ」
「僕もだよ」
「だったら教えて。いったい私たちになにが――」
「悠花のことが好きなんだ」
□□□□□□
そうだった。ここで大雅に告白をされるんだ……。
ということは、小説の物語は終盤に入っていることになる。
どうしよう。
あれほど憧れていた告白のシーンなのに、自分の気持ちを確認した今、それを受けることはできない。
「雨が激しいから、日葵が部活終わるの待ってたところ」
とっさの言い訳につけ加え、
「もうすぐここに来ると思うよ」
けん制もしておく。
告白できない状況にしておいたほうが、大雅とふたりきりになる機会は減らせるはず。
なんとかこの場面をすり抜けないと、と自分に言い聞かせる。
私の決意も知らずに大雅はスルスルと机の間を抜けると、優太の机の上に腰をおろした。
「雨だね」
「あ、うん」
あいまいに答え、カバンを整理した。
「なにか、悩んでるの?」
「ううん、別に。私、帰らなくちゃ」
強引に立ちあがる私の腕を、大雅はつかんだ。
思ったよりも大きな手に驚きながら、思考がフリーズしてしまう。
「なあ悠花」
――ダメ。
「話したいことがあるんだけど――」
――それ以上言わないで。
「離して!」
強引に手を振りほどくと、傷ついた目をした大雅が視界のはしに映った。
ううん、これは私の錯覚なの……?
笑え、と自分に指令を出すと、すんなり唇が動いてくれた。
「もう大雅、それセクハラだよ」
「あ、ごめん」
宙をかくように指先を動かしてからパタンと手をおろす大雅。
「なんかごめん。ちょっと話がしたかっただけなんだ。でも、やめておくよ」
どうしていいのかわからずうつむく私を置いて、大雅は教室を出て行ったようだ。
遠ざかる足音は、すぐに雨音に紛れ聞こえなくなった。
……危なかった。
ため息をつき、教室のカーテンを閉めた。
窓の外は灰色の世界。これじゃ、今夜は星も見えない。
大雅を好きな自分を演じるのも難しいとなれば、どうやって事故を防げばいいのだろう。
もうわからないよ……。
そういえば、叶人の借りていた本を返しにいかないと。
ついでに雨星についても調べてみよう。
違うことで頭のなかを埋めようとするのに、さっきの傷ついた大雅の顔が浮かんでしまう。
誰かに悲しい思いをさせるのは、なんて痛いんだろう。