個室に入り腰をおろすと、おもしろくらい手も足も震えていた。
もう間違いない。
なぜかはわからないけれど、『パラドックスな恋』と同じことが起きている。
小説の登場人物だった大雅が、現実世界に現れたんだ……。
だとしたらなぜ、日葵も優太もそれを受け入れているのだろう。
優太にいたっては、昨日までは大雅のことを知らないそぶりだったのに。
しばらくじっと考えてみる。
ずっと『パラドックスな恋』の世界観にあこがれていた。
小説の主人公になれるなら、身を任せてみるのもいいかもしれない。
「……でも」と、つぶやく。
あの小説の主人公である悠花は、私とは真逆の性格だ。
彼女は、小学三年生までの記憶はないけれど、明るくて幼なじみとも楽しく接している。
詳しい描写はないけれど、小説の主人公はみんなかわいくってスタイルもいいのが定番。
だからこそ、誰もが恋に落ちることができる。
小説だけじゃない。
昔話のお姫様も漫画やドラマの主人公も、みんな美人だからこそ幸せなエンディングを迎えられるんだ。
でも私は……違う。
容姿に自信がないし明るくもない。
なにもかもがうまくいかず、もがくことすらできずにウジウジしているだけ。
こんな私のことなんて、大雅は好きになるはずがない。
迷いながらトイレを出た。
廊下の窓から見える景色はいつもと同じ。廊下を歩く生徒も同じ。
違うのは大雅がいることだ。
不思議な現象の理由も意味もわからないけれど、ずっとあこがれていたのだから受け入れてみるのもいいかもしれない。
教室から大雅がふらりと出てきた。
私を見つけてうれしそうに笑うのがスローモーションで見えた。
さっきの話の続きをしてみよう。もしおかしな展開になったらすぐにやめればいいだけ。
鼻から大きく息を吸い、大雅に向かって足を前に出した。
「あの、さっきはごめんね。驚いちゃって……」
「大丈夫だよ。じゃあ改めて自己紹介するね」
あ、このシーンにつながるんだ……。
「僕の名前は山本大雅。君は、柏木悠花。僕たち、実は幼なじみなんだよ」
いたずらっぽい顔で覗きこんでくるところまでも同じ。
小説の中のイメージそのまますぎて、顔が赤くなってしまう。
「……大雅」
名前を呼べば、本当にうれしそうに大雅は白い歯を見せて笑う。
それから大雅は窓の外に目をやった。
「本当になつかしいよ。でも、このあたりもずいぶん変わったね。学校までの道もきれいに整備されていたし」
小説では教室のなかで四人で話をしているシーンだったはず。
私が逃げたことで状況が変わってしまっているみたい。
頭のなかにあるスマホをスクロールしてこのシーンを探す。
「区画整理があったからね」
優太が言うべき台詞を代わりに言うと、大雅はまぶしそうに目を細めた。
『駅前あたりはどうなの』って、そう言うのかな……。
「駅前あたりはどうなの?」
一字一句同じ台詞を口にする大雅。
「あそこは昔のまま。店はけっこう変わったとは思うけど」
次の台詞は『ねえ』だったはず。
「ねえ」
『町を案内してくれない?』
「町を案内してくれない?」
もしも、これが夢ならさみしいな。
どんな理由でこんなことが起きているのかはわからないけれど、理想の相手が目の前にいる今を失いたくない。
「いいよ。放課後、一緒に行こう」
そう言えた自分を、褒めてあげたくなった。
私と大雅が町歩きをすることは、『廊下で偶然耳にした』というクラスメイトの女子により、あっという間に広がってしまった。
普段は話をしたことのない女子たちが、昼休みになったと同時に声をかけてきた。
「山本くんと幼なじみって本当なの?」「ふたりで出かけるの?」「柏木さんのイメージ変わったよ」
なんて答えていいのかわからず、あいまいにごまかしながら自分の席に戻った。
いや、逃げたというほうが近いかもしれない。
日葵はすでにお弁当を食べ終わり、チョコレートをつまんでいる。
「にしても、大雅変わらないね。背だけは高くなってるけど、あとはそのまんま。昔に戻ったみたいでうれしいよね」
日葵も優太と同じで、大雅のことを幼なじみだったと思い込んでいる。
小説世界から大雅が現れたことで、周りの記憶も変わっているみたい。
不思議だ。
こんなに非日常的なことが起きているというのに、時間とともに受け入れている私がいる。
「なになに、また考えごと? 大雅とふたりで出かけることに緊張しちゃってたりして」
それもある。でも、それ以上に日葵に現状についてわかってもらいたい。
「あのね、日葵。その……おかしなことが起きてるの」
「おかしなこと?」
最後のチョコを口に放り込んだ日葵。そう、彼女は小説の中の茉莉とは違うはず。
「小説の登場人物が、現実世界に現れたの」
「映画の話?」
「そうじゃなくって……」
こういうとき、おしゃべりじゃない自分が情けなくなる。
小説の悠花ならスラスラとよどみなく説明できるんだろうな。
「小説に書いてあったことがリアルに起きてるの。私がよく読んでいる『パラドックスな恋』って小説があるよね?」
表情だけで日葵が『パラドックスな恋』に思い当たる節がないことは伝わってくる。
「え、待って。悠花、ちゃんと話してくれないと意味不明だし。だいたいそんな小説、あたし知らないよ。そもそもあたしが小説なんて読むわけないじゃん」
それはわかっているけれど、どうすれば日葵に伝えられるのか……。
そうだ、とカバンからスマホを取り出す。
「小説投稿サイトに載っている作品でね。何度も私が読み返している作品なの。日葵が呆れるくらい何度も話をしてるよ」
スマホを取り出し、お気に入りに登録してある『パラドックスな恋』を表示させる。
いつもと変わらないタイトル画面を見てホッとした。
これを見せれば日葵だってわかってくれるはず。
スマホを印籠のように差し出すと、日葵は「小説って苦手」と言いながらも読みはじめてくれた。
これで私の主張は理解されるだろう。
「……え、なにこれ」
日葵が画面に向かって目を見開いている。
そのまま読めば、私たちに起きていることを理解してくれるはず。
けれど、数ページ読んだだけで日葵はスマホを返してきた。
「ちゃんと読んでくれた?」
「更新分までは読んだよ」
「更新?」
意味がわからず画面を確認する。
□□□□□□□
軽く頭を下げた彼の瞳が私を見た。まっすぐに見つめてくるその目がやわらかくカーブを描く。
え、私のことを見ている……? って、気のせいだよね。
彼は唖然とする私から隣の伸佳に視線を移すと、さらに笑顔になる。なぜか伸佳も同じように笑っている。
意味がわからないまま、黒板に書かれる『山本大雅』の文字を眺めている間に、チャイムがまた鳴った。
(つづく)
□□□□□□□
そのあとのページはなく、下にはイイネボタンが表示されている。
これは、本編がはじまってすぐのシーンだ。
「つづく、って……」
つぶやく私の手を、日葵が握ってくるから思わずスマホを落としそうになる。
え、なんで日葵がうれしそうに笑っているの?
「すごいね悠花。小説を書いてるんだ?」
「え……なんのこと?」
「これって昨日、大雅が引っ越してきたシーンでしょ。あたしや伸佳も名前は違うけど出てるし。なるほどねぇ、実際に起きたことを小説にしてるんだ。悠花にこんな才能があったなんて驚きだよ」
言ってる意味がわからない。
スマホを手元に置きなおしてから首を横に振った。
「違うよ。書いたのは私じゃないって」
「照れちゃって。『ITSUKI』っていうペンネームもいいね。ていうか、よっぽど大雅との再会がうれしかったんだねえ」
ニヤニヤにしている日葵に、目の前が真っ暗になっていく。
トップ画面を改めてみると、完結しているはずの『パラドックスな恋』は『連載中』に変わっていた。
頭がこんがらがる。これは、どういうことなのだろう?
現実世界が進むたびに、小説も更新されていくということ……?
これじゃあ日葵にわかってもらえない。
「あたしさあ」と日葵がのんきな声で言った。
「昔から悠花って大雅のこと好きなんじゃないかって疑ってたの。ほら、聞いてもはぐらかしてたでしょ。でも、これで確定したね」
「いや……そうじゃなくって」
「小説にまでするなんて、悠花の行動力には驚かされたわ。でも、恋をする気持ち、少しはわかるよ」
「え?」
顔をあげると、日葵は教壇前あたりを潤んだ瞳で見つめている。
そこにはクラスメイトの兼澤くんがいた。たしか、兼澤利陽という名前で、漫画好きということくらいしか知らない。
「兼澤くんとなにかあったの?」
恐る恐る尋ねる私に、日葵はこくんとうなずいた。
「それがさあ、夏休み前に本屋さんでバッタリ会ってね、たまたま同じ漫画を手にしていたの」
これも『パラドックスな恋』に載っていたエピソードだ。
小説のなかでは同じ小説を手にしていた設定だけど、漫画に変わっている。
あれだけ恋愛に否定的だった日葵がそんなことを言うなんて、小説世界が現実に浸食してきているみたいで怖い。
「で、LINE交換をしたの?」
小説のなかで茉莉はそう言ってたはず。
が、日葵は「なんでよ」と笑い飛ばした。
「そんなのするわけないじゃん。ただ、そういうのもいいかな、って思っただけ」
「じゃあ図書館とか喫茶店とかに行く約束はしてないの?」
「やめてよね」
不機嫌そうな顔になった日葵があごをツンとあげた。
「自分が恋をしているからって巻きこまないで。あたしは恋愛なんてしないんだから。ただ、悠花が恋する気持ちは理解できるってことを言いたかっただけ。認めなさい。大雅のこと、ずっと好きだったんでしょ?」
「あ、うん。そう……かな」
言葉に詰まりながら、かろうじてうなずいた。
一瞬の間を取ったあと、日葵は白い歯を見せた。
「それでいいんだよ。あたしは恋はしないけど、恋バナは好きだからいつでも相談して」
小説とは違い、日葵はやはり恋はしないらしい。
私は……どうなんだろう。
今起きていることは不思議すぎるけれど、ずっと憧れていた大雅が現れてくれた。
小説の物語が現実になってほしいと願ってきたはず。
こんなことは二度と起きないこともわかっている。
大雅のことを私は好きなの? 自分に問いかけてみても実感はあまりなかった。
それでも改めて大雅の姿を探すとき、たしかに胸はドキドキしていた。
もう間違いない。
なぜかはわからないけれど、『パラドックスな恋』と同じことが起きている。
小説の登場人物だった大雅が、現実世界に現れたんだ……。
だとしたらなぜ、日葵も優太もそれを受け入れているのだろう。
優太にいたっては、昨日までは大雅のことを知らないそぶりだったのに。
しばらくじっと考えてみる。
ずっと『パラドックスな恋』の世界観にあこがれていた。
小説の主人公になれるなら、身を任せてみるのもいいかもしれない。
「……でも」と、つぶやく。
あの小説の主人公である悠花は、私とは真逆の性格だ。
彼女は、小学三年生までの記憶はないけれど、明るくて幼なじみとも楽しく接している。
詳しい描写はないけれど、小説の主人公はみんなかわいくってスタイルもいいのが定番。
だからこそ、誰もが恋に落ちることができる。
小説だけじゃない。
昔話のお姫様も漫画やドラマの主人公も、みんな美人だからこそ幸せなエンディングを迎えられるんだ。
でも私は……違う。
容姿に自信がないし明るくもない。
なにもかもがうまくいかず、もがくことすらできずにウジウジしているだけ。
こんな私のことなんて、大雅は好きになるはずがない。
迷いながらトイレを出た。
廊下の窓から見える景色はいつもと同じ。廊下を歩く生徒も同じ。
違うのは大雅がいることだ。
不思議な現象の理由も意味もわからないけれど、ずっとあこがれていたのだから受け入れてみるのもいいかもしれない。
教室から大雅がふらりと出てきた。
私を見つけてうれしそうに笑うのがスローモーションで見えた。
さっきの話の続きをしてみよう。もしおかしな展開になったらすぐにやめればいいだけ。
鼻から大きく息を吸い、大雅に向かって足を前に出した。
「あの、さっきはごめんね。驚いちゃって……」
「大丈夫だよ。じゃあ改めて自己紹介するね」
あ、このシーンにつながるんだ……。
「僕の名前は山本大雅。君は、柏木悠花。僕たち、実は幼なじみなんだよ」
いたずらっぽい顔で覗きこんでくるところまでも同じ。
小説の中のイメージそのまますぎて、顔が赤くなってしまう。
「……大雅」
名前を呼べば、本当にうれしそうに大雅は白い歯を見せて笑う。
それから大雅は窓の外に目をやった。
「本当になつかしいよ。でも、このあたりもずいぶん変わったね。学校までの道もきれいに整備されていたし」
小説では教室のなかで四人で話をしているシーンだったはず。
私が逃げたことで状況が変わってしまっているみたい。
頭のなかにあるスマホをスクロールしてこのシーンを探す。
「区画整理があったからね」
優太が言うべき台詞を代わりに言うと、大雅はまぶしそうに目を細めた。
『駅前あたりはどうなの』って、そう言うのかな……。
「駅前あたりはどうなの?」
一字一句同じ台詞を口にする大雅。
「あそこは昔のまま。店はけっこう変わったとは思うけど」
次の台詞は『ねえ』だったはず。
「ねえ」
『町を案内してくれない?』
「町を案内してくれない?」
もしも、これが夢ならさみしいな。
どんな理由でこんなことが起きているのかはわからないけれど、理想の相手が目の前にいる今を失いたくない。
「いいよ。放課後、一緒に行こう」
そう言えた自分を、褒めてあげたくなった。
私と大雅が町歩きをすることは、『廊下で偶然耳にした』というクラスメイトの女子により、あっという間に広がってしまった。
普段は話をしたことのない女子たちが、昼休みになったと同時に声をかけてきた。
「山本くんと幼なじみって本当なの?」「ふたりで出かけるの?」「柏木さんのイメージ変わったよ」
なんて答えていいのかわからず、あいまいにごまかしながら自分の席に戻った。
いや、逃げたというほうが近いかもしれない。
日葵はすでにお弁当を食べ終わり、チョコレートをつまんでいる。
「にしても、大雅変わらないね。背だけは高くなってるけど、あとはそのまんま。昔に戻ったみたいでうれしいよね」
日葵も優太と同じで、大雅のことを幼なじみだったと思い込んでいる。
小説世界から大雅が現れたことで、周りの記憶も変わっているみたい。
不思議だ。
こんなに非日常的なことが起きているというのに、時間とともに受け入れている私がいる。
「なになに、また考えごと? 大雅とふたりで出かけることに緊張しちゃってたりして」
それもある。でも、それ以上に日葵に現状についてわかってもらいたい。
「あのね、日葵。その……おかしなことが起きてるの」
「おかしなこと?」
最後のチョコを口に放り込んだ日葵。そう、彼女は小説の中の茉莉とは違うはず。
「小説の登場人物が、現実世界に現れたの」
「映画の話?」
「そうじゃなくって……」
こういうとき、おしゃべりじゃない自分が情けなくなる。
小説の悠花ならスラスラとよどみなく説明できるんだろうな。
「小説に書いてあったことがリアルに起きてるの。私がよく読んでいる『パラドックスな恋』って小説があるよね?」
表情だけで日葵が『パラドックスな恋』に思い当たる節がないことは伝わってくる。
「え、待って。悠花、ちゃんと話してくれないと意味不明だし。だいたいそんな小説、あたし知らないよ。そもそもあたしが小説なんて読むわけないじゃん」
それはわかっているけれど、どうすれば日葵に伝えられるのか……。
そうだ、とカバンからスマホを取り出す。
「小説投稿サイトに載っている作品でね。何度も私が読み返している作品なの。日葵が呆れるくらい何度も話をしてるよ」
スマホを取り出し、お気に入りに登録してある『パラドックスな恋』を表示させる。
いつもと変わらないタイトル画面を見てホッとした。
これを見せれば日葵だってわかってくれるはず。
スマホを印籠のように差し出すと、日葵は「小説って苦手」と言いながらも読みはじめてくれた。
これで私の主張は理解されるだろう。
「……え、なにこれ」
日葵が画面に向かって目を見開いている。
そのまま読めば、私たちに起きていることを理解してくれるはず。
けれど、数ページ読んだだけで日葵はスマホを返してきた。
「ちゃんと読んでくれた?」
「更新分までは読んだよ」
「更新?」
意味がわからず画面を確認する。
□□□□□□□
軽く頭を下げた彼の瞳が私を見た。まっすぐに見つめてくるその目がやわらかくカーブを描く。
え、私のことを見ている……? って、気のせいだよね。
彼は唖然とする私から隣の伸佳に視線を移すと、さらに笑顔になる。なぜか伸佳も同じように笑っている。
意味がわからないまま、黒板に書かれる『山本大雅』の文字を眺めている間に、チャイムがまた鳴った。
(つづく)
□□□□□□□
そのあとのページはなく、下にはイイネボタンが表示されている。
これは、本編がはじまってすぐのシーンだ。
「つづく、って……」
つぶやく私の手を、日葵が握ってくるから思わずスマホを落としそうになる。
え、なんで日葵がうれしそうに笑っているの?
「すごいね悠花。小説を書いてるんだ?」
「え……なんのこと?」
「これって昨日、大雅が引っ越してきたシーンでしょ。あたしや伸佳も名前は違うけど出てるし。なるほどねぇ、実際に起きたことを小説にしてるんだ。悠花にこんな才能があったなんて驚きだよ」
言ってる意味がわからない。
スマホを手元に置きなおしてから首を横に振った。
「違うよ。書いたのは私じゃないって」
「照れちゃって。『ITSUKI』っていうペンネームもいいね。ていうか、よっぽど大雅との再会がうれしかったんだねえ」
ニヤニヤにしている日葵に、目の前が真っ暗になっていく。
トップ画面を改めてみると、完結しているはずの『パラドックスな恋』は『連載中』に変わっていた。
頭がこんがらがる。これは、どういうことなのだろう?
現実世界が進むたびに、小説も更新されていくということ……?
これじゃあ日葵にわかってもらえない。
「あたしさあ」と日葵がのんきな声で言った。
「昔から悠花って大雅のこと好きなんじゃないかって疑ってたの。ほら、聞いてもはぐらかしてたでしょ。でも、これで確定したね」
「いや……そうじゃなくって」
「小説にまでするなんて、悠花の行動力には驚かされたわ。でも、恋をする気持ち、少しはわかるよ」
「え?」
顔をあげると、日葵は教壇前あたりを潤んだ瞳で見つめている。
そこにはクラスメイトの兼澤くんがいた。たしか、兼澤利陽という名前で、漫画好きということくらいしか知らない。
「兼澤くんとなにかあったの?」
恐る恐る尋ねる私に、日葵はこくんとうなずいた。
「それがさあ、夏休み前に本屋さんでバッタリ会ってね、たまたま同じ漫画を手にしていたの」
これも『パラドックスな恋』に載っていたエピソードだ。
小説のなかでは同じ小説を手にしていた設定だけど、漫画に変わっている。
あれだけ恋愛に否定的だった日葵がそんなことを言うなんて、小説世界が現実に浸食してきているみたいで怖い。
「で、LINE交換をしたの?」
小説のなかで茉莉はそう言ってたはず。
が、日葵は「なんでよ」と笑い飛ばした。
「そんなのするわけないじゃん。ただ、そういうのもいいかな、って思っただけ」
「じゃあ図書館とか喫茶店とかに行く約束はしてないの?」
「やめてよね」
不機嫌そうな顔になった日葵があごをツンとあげた。
「自分が恋をしているからって巻きこまないで。あたしは恋愛なんてしないんだから。ただ、悠花が恋する気持ちは理解できるってことを言いたかっただけ。認めなさい。大雅のこと、ずっと好きだったんでしょ?」
「あ、うん。そう……かな」
言葉に詰まりながら、かろうじてうなずいた。
一瞬の間を取ったあと、日葵は白い歯を見せた。
「それでいいんだよ。あたしは恋はしないけど、恋バナは好きだからいつでも相談して」
小説とは違い、日葵はやはり恋はしないらしい。
私は……どうなんだろう。
今起きていることは不思議すぎるけれど、ずっと憧れていた大雅が現れてくれた。
小説の物語が現実になってほしいと願ってきたはず。
こんなことは二度と起きないこともわかっている。
大雅のことを私は好きなの? 自分に問いかけてみても実感はあまりなかった。
それでも改めて大雅の姿を探すとき、たしかに胸はドキドキしていた。