君がくれた物語は、いつか星空に輝く

 家の近くまで来るころには、薄い闇が町に降りていた。
 二階建ての家が見えると、やっと自分のテリトリーに戻れた気がする。
 昔は違った。
 むしろ、好奇心旺盛なほうで、渋る日葵や優太を連れて駅前に探検に出かけて親に怒られたりもした。

 いつから私は世界が怖くなったのだろう。
 家のカギを開けなかに入ると、リビングからテレビの音が聞こえている。

「ただいま」

 やはりリビングのテレビではニュースが流れている。
 ソファに身を沈めてぼんやり眺めているお母さんは、「ああ」と短くつぶやいてからゆるゆると立ちあがった。

「もうこんな時間なのね。いつの間にか寝ちゃってたわ」
「うん」
「ご飯炊いてないから夕飯遅くなりそう。部屋で待ってて」
「わかった」

 お母さんも仕事だったらしく、ワイシャツにスカートのままだ。
 結婚するまで働いていた職場に、半年前に戻ったそうだけれど、疲れのせいだろう、口数が日々減っている。
 なにに対してかわからないため息を背中で受けながら、二階にある自分の部屋に向かう。
 部屋着に着替えるときに、また大雅のことを思い出した。

 あれは実際にあった出来事なの?
 それとも、同じ小説ばかり読んでいる私が見た幻影なの?

 ベッドに仰向けで寝ころぶと、大きく深呼吸をしてみる。
 やっと、頭のなかがクリアになった気がする。

 そうだよ、小説と同じことが起きるなんてありえないこと。
 非現実な出来事なんて起こらないほうがいい。これが正直な今の気持ちだ。
 思ってもいないようなことが起き、自分を見失うのが怖い。
 体を起こし、机の上に置いてある写真立てを手に取った。

 写真のなかに、弟である叶人(かなと)がいる。

 今にも声が聴こえそうなほど大きな口を開けて笑う叶人の写真は私の宝物だ。
 非現実な出来事、それは叶人がこの世界から消えてしまったこと。

 叶人が亡くなってから二年が過ぎようとしている。
 もう二年、まだ二年。
 どちらがピッタリくるのかわからないけれど、叶人が亡くなってから私が変わったのはたしかだろう。

 病気が発覚してからあっという間だったし、コロナの影響で病院での面会もままならなかった。
 最後の会話は病室のガラス越しに、お互いのスマホを使ってだった。
 病気の発症は、中学一年生だった叶人から笑顔を奪っていった。
 入院してからの叶人が笑うことはなかったし、私も同じだった。

 叶人はもう、いない。

 思いもよらぬ叶人の死は、時間とともに非現実な出来事から現実へと形を変えている。
 写真の叶人は青空をバックに白い歯を思いっきり見せて笑っている。
 近くにある遊園地に家族で出かけたときの写真だ。
 はしゃぐ叶人と違い、私はほとんどの時間をベンチに座って過ごした。
 乗り物酔いのせいでもあるし、家族で出かけることに抵抗を覚えていた時期だったせいでもある。

 あれが、家族四人で出かけた最後の日になるなんて、当時の私は思いもしなかった。

 私たちは仲がよい姉弟ではなかったと思う。
 年ごろのふたりの間に会話は減り、お互いを無視するような時期もあった。
 スマホで交わした最後の会話、ガラスの向こうで叶人は『いろいろごめんね』と謝っていた。私も『ごめん』と答えた。

 なにに謝まられたのか、なにに謝ったのか、いまだに私はわからないけれど、そのあと叶人が照れたように見せた笑みが今も忘れられない。

 ふと、一階から言い争うような声がしていることに気づいた。
 お父さんが帰ってきたのだろう。
 両親のケンカは、日々増えている。

 窓の外には星も見えない。

 この世界は叶人が亡くなった日から、色を落としてしまったんだ。