病院の待合室は空いていた。
窓から入る日差しが、フロアに模様をつけているみたい。
エレベーターへ急ぐ私の耳に届くアナウンスはまるで暗号みたい。
とにかく早く大雅に会いたかった。
アナウンスが暗号のように耳に届いている。
おばさんが連絡してくれていたのだろう、エレベーター前に立っている看護師さんは名前を告げると『五階の五〇三号室です』と教えてくれた。
五階に着き、部屋番号の案内ボードを見て歩き出す。
「悠花ちゃん」
廊下の向こうから大雅のおばさんが歩いてきた。
「おばさん……」
「突然呼び出してごめんなさいね」
「私のほうこそ申し訳ありません。私のせいで大雅が……」
おばさんはやさしく首を横に振った。
「さっき目が覚めてね。すっかり元気なんだけど、骨折した足がかなり痛いみたい」
「……すみません」
頭を下げようとする私の手をおばさんが握った。
「もう謝罪は終わり。電話でも散々聞いたじゃない。それに、あの子、すごくうれしそうよ。『今度は僕が助けたんだ』って、まるでヒーローみたいに胸を張ってるの」
うなずく私に、おばさんはやわらかい目を花束に向けた。
学校まで迎えに来てくれたお母さんが持たせてくれた花束だ。
「すごくキレイね。ありがとう」
「いえ……」
「私は先生に話を聞きに行くところ。骨折さえ治ればとりあえず退院することができるんですって。早く会ってあげて」
頭を下げて歩き出す。
数歩進んだところで「悠花ちゃん」とおばさんが私を呼び止めた。
ふり向くと、おばさんはなぜか躊躇するように一歩あとずさりをした。
どうしたのだろう。
さっきの笑顔もなく、悲壮感がおばさんを包んでいるように見えた。
「あの、ね……。ううん、なんでもないの。ごめんなさい」
足早に去っていくおばさんは、なにを言いたかったのだろう。
ひょっとしたら大雅は、顔に傷を負ったのかもしれない。
それとも、あの日の私のように記憶をなくしてしまったたとか……。
それでも、私が見たかもしれない雨星が大雅を助けてくれたんだ。
気弱になる自分を戒め、ドアをノックした。
「はい」
大雅の声にホッと胸をなでおろしてドアを開ける。
まぶしい日差しが降り注ぐ部屋の中央にあるベッドの上に、大雅がいた。
左足にギプスが巻かれていて、ベッドに固定されている。
「ちょっと花、多すぎるんじゃない?」
にこやかに笑う顔に、もう私の視界はゆがんでいた。
大雅が無事だったこと、記憶を取り戻せたこと、たくさん苦しめたこと。
ぜんぶが感情になり、涙になって頬にこぼれた。
「泣かないで」
「ごめん。ホッとしちゃって……。あの、本当にごめんなさい」
頭を下げる私の手をつかむと、大雅はそばにあった丸椅子に私を座らせた。
「大丈夫だって。ケガだって大したことないし」
「だけど、だけど……」
くしゃくしゃになりそうな花束を床頭台に置く。
「それより悠花の記憶が戻ったことがうれしくて悲しい」
「……どうして悲しいの?」
鼻をすすりながら尋ねると、大雅は照れたようにうつむいた。
「だって、僕のせいで記憶をなくしちゃったから。今でも、いつでも、あのときのことを後悔しているんだ」
「私こそ、今回の事故のこと申し訳なくって……でも、よかった」
「うれしくて悲しくて申し訳なくてよかった、って、僕たちの感情はバラバラになってるね」
大雅が握る手に力を入れるのがわかる。
そうだよね。私たちは生きていて、これからはずっとそばにいられる。
退院したらこれからは一緒にいられるんだよね。
けれど、
「離れてもお互いのことを心配し合おう」
大雅がそんなことを言うから、私は悲しみに支配されてしまう。
同時に、この数日疑問に思っていたことがムクムクと入道雲のように大きくなっていく。
「……離れても?」
つぶやくような質問に大雅は首を横に振った。
「父親が海外に転勤になってね。家族一緒について行くのがルールだから。知登世もずいぶん怒ってたけど、しょうがないんだよ」
記憶が戻ればすべて解決すると思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
今、心がクリアになっているのが自分でもわかる。
いくつも覆っていたフィルターが外れた視界では、幼なじみのウソなんて簡単に見抜いてしまう。
――ウソをつくということは、大事なことを隠している証拠。
今日は、隠された真実を知る最初で最後のチャンスだと思ってここに来た。
「パラドックスって知ってる?」
急カーブで話題を変える私に、大雅は目を丸くした。
「なにそれ」
「見かけ上と、実際が違うことをパラドックスって言うんだって。私、思ったの。私たちの恋って、パラドックスな恋だな、って」
「パラドックスな恋……」
くり返す大雅に椅子ごと近づくと、あっけなく視線は逸らされてしまった。
「記憶が戻ってから、ずっと大雅のことばかり考えてる。そのなかで、不思議に思うことがあったの」
そう、病院に来ることが怖かったのは、私なりの結論が正しいと認めたくなかったのも原因のひとつだった。
「私の事故にショックを受けて小学三年生のときに家族で引っ越しをしたんだよね? それなのにどうして今、この町に戻ってきたの?」
「それは……」
言い淀む大雅に、お願いだから悪い予感が当たらないようにと願う。
「同じ町に戻って来るだけじゃなく、私のいる高校の編入試験をわざわざ受けたんだよね。そんな偶然、あるの?」
「…………」
「きっと」と口にして、声のトーンが暗くなっていることに気づいた。
「茉莉や伸佳が教えたんだと思う。私と同じ高校に入ることに意味があったんだよね?」
どうしよう。また視界が潤んできている。
でも私は……もうこの理不尽な毎日に負けたくない。
大きく深呼吸をして自分を奮い立たせた。
困った顔の大雅が、ふうと息を吐いた。
「さっきも言ったけど、父親の転勤で戻って来たんだよ。高校なんてたくさんあるわけじゃないし、偶然だよ」
昔からウソをつくのが下手だったよね。
「思い出したの。大雅のお父さんは、小学二年生のときに亡くなっていることを。だからあの日、大雅は雨星にもう一度お父さんに会えるように、って願ったんだよね?」
「……それは」
「亡くなってしまったお父さんが転勤するなんてこと、ありえないと思う」
「ああ……」
ため息のような声を漏らす大雅の手を握った。
あたたかくて大きな手に願いをこめた。
閉ざしてしまいそうな心をどうか私に開いてほしい。
今、私は私の結論を言葉にする。
「大雅……病気なんだよね?」
窓から入る日差しが、フロアに模様をつけているみたい。
エレベーターへ急ぐ私の耳に届くアナウンスはまるで暗号みたい。
とにかく早く大雅に会いたかった。
アナウンスが暗号のように耳に届いている。
おばさんが連絡してくれていたのだろう、エレベーター前に立っている看護師さんは名前を告げると『五階の五〇三号室です』と教えてくれた。
五階に着き、部屋番号の案内ボードを見て歩き出す。
「悠花ちゃん」
廊下の向こうから大雅のおばさんが歩いてきた。
「おばさん……」
「突然呼び出してごめんなさいね」
「私のほうこそ申し訳ありません。私のせいで大雅が……」
おばさんはやさしく首を横に振った。
「さっき目が覚めてね。すっかり元気なんだけど、骨折した足がかなり痛いみたい」
「……すみません」
頭を下げようとする私の手をおばさんが握った。
「もう謝罪は終わり。電話でも散々聞いたじゃない。それに、あの子、すごくうれしそうよ。『今度は僕が助けたんだ』って、まるでヒーローみたいに胸を張ってるの」
うなずく私に、おばさんはやわらかい目を花束に向けた。
学校まで迎えに来てくれたお母さんが持たせてくれた花束だ。
「すごくキレイね。ありがとう」
「いえ……」
「私は先生に話を聞きに行くところ。骨折さえ治ればとりあえず退院することができるんですって。早く会ってあげて」
頭を下げて歩き出す。
数歩進んだところで「悠花ちゃん」とおばさんが私を呼び止めた。
ふり向くと、おばさんはなぜか躊躇するように一歩あとずさりをした。
どうしたのだろう。
さっきの笑顔もなく、悲壮感がおばさんを包んでいるように見えた。
「あの、ね……。ううん、なんでもないの。ごめんなさい」
足早に去っていくおばさんは、なにを言いたかったのだろう。
ひょっとしたら大雅は、顔に傷を負ったのかもしれない。
それとも、あの日の私のように記憶をなくしてしまったたとか……。
それでも、私が見たかもしれない雨星が大雅を助けてくれたんだ。
気弱になる自分を戒め、ドアをノックした。
「はい」
大雅の声にホッと胸をなでおろしてドアを開ける。
まぶしい日差しが降り注ぐ部屋の中央にあるベッドの上に、大雅がいた。
左足にギプスが巻かれていて、ベッドに固定されている。
「ちょっと花、多すぎるんじゃない?」
にこやかに笑う顔に、もう私の視界はゆがんでいた。
大雅が無事だったこと、記憶を取り戻せたこと、たくさん苦しめたこと。
ぜんぶが感情になり、涙になって頬にこぼれた。
「泣かないで」
「ごめん。ホッとしちゃって……。あの、本当にごめんなさい」
頭を下げる私の手をつかむと、大雅はそばにあった丸椅子に私を座らせた。
「大丈夫だって。ケガだって大したことないし」
「だけど、だけど……」
くしゃくしゃになりそうな花束を床頭台に置く。
「それより悠花の記憶が戻ったことがうれしくて悲しい」
「……どうして悲しいの?」
鼻をすすりながら尋ねると、大雅は照れたようにうつむいた。
「だって、僕のせいで記憶をなくしちゃったから。今でも、いつでも、あのときのことを後悔しているんだ」
「私こそ、今回の事故のこと申し訳なくって……でも、よかった」
「うれしくて悲しくて申し訳なくてよかった、って、僕たちの感情はバラバラになってるね」
大雅が握る手に力を入れるのがわかる。
そうだよね。私たちは生きていて、これからはずっとそばにいられる。
退院したらこれからは一緒にいられるんだよね。
けれど、
「離れてもお互いのことを心配し合おう」
大雅がそんなことを言うから、私は悲しみに支配されてしまう。
同時に、この数日疑問に思っていたことがムクムクと入道雲のように大きくなっていく。
「……離れても?」
つぶやくような質問に大雅は首を横に振った。
「父親が海外に転勤になってね。家族一緒について行くのがルールだから。知登世もずいぶん怒ってたけど、しょうがないんだよ」
記憶が戻ればすべて解決すると思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
今、心がクリアになっているのが自分でもわかる。
いくつも覆っていたフィルターが外れた視界では、幼なじみのウソなんて簡単に見抜いてしまう。
――ウソをつくということは、大事なことを隠している証拠。
今日は、隠された真実を知る最初で最後のチャンスだと思ってここに来た。
「パラドックスって知ってる?」
急カーブで話題を変える私に、大雅は目を丸くした。
「なにそれ」
「見かけ上と、実際が違うことをパラドックスって言うんだって。私、思ったの。私たちの恋って、パラドックスな恋だな、って」
「パラドックスな恋……」
くり返す大雅に椅子ごと近づくと、あっけなく視線は逸らされてしまった。
「記憶が戻ってから、ずっと大雅のことばかり考えてる。そのなかで、不思議に思うことがあったの」
そう、病院に来ることが怖かったのは、私なりの結論が正しいと認めたくなかったのも原因のひとつだった。
「私の事故にショックを受けて小学三年生のときに家族で引っ越しをしたんだよね? それなのにどうして今、この町に戻ってきたの?」
「それは……」
言い淀む大雅に、お願いだから悪い予感が当たらないようにと願う。
「同じ町に戻って来るだけじゃなく、私のいる高校の編入試験をわざわざ受けたんだよね。そんな偶然、あるの?」
「…………」
「きっと」と口にして、声のトーンが暗くなっていることに気づいた。
「茉莉や伸佳が教えたんだと思う。私と同じ高校に入ることに意味があったんだよね?」
どうしよう。また視界が潤んできている。
でも私は……もうこの理不尽な毎日に負けたくない。
大きく深呼吸をして自分を奮い立たせた。
困った顔の大雅が、ふうと息を吐いた。
「さっきも言ったけど、父親の転勤で戻って来たんだよ。高校なんてたくさんあるわけじゃないし、偶然だよ」
昔からウソをつくのが下手だったよね。
「思い出したの。大雅のお父さんは、小学二年生のときに亡くなっていることを。だからあの日、大雅は雨星にもう一度お父さんに会えるように、って願ったんだよね?」
「……それは」
「亡くなってしまったお父さんが転勤するなんてこと、ありえないと思う」
「ああ……」
ため息のような声を漏らす大雅の手を握った。
あたたかくて大きな手に願いをこめた。
閉ざしてしまいそうな心をどうか私に開いてほしい。
今、私は私の結論を言葉にする。
「大雅……病気なんだよね?」