――大雅はいつも雨星を探していた。

 口ぐせのように『雨星が降る日に奇跡が起きるんだよ』と言っていた。
 奇跡の意味もわからなかった私には想像できなかったけれど、大雅は本気で信じていた。
 図書館で借りたという本に載っていたそうだけれど、私は見たことがなかった。
 いつもいつも、私たちは夕焼け公園で雨星を探した。
 茉莉と伸佳も最初はつき合ってくれていたけれど、門限の早いふたりは夕暮れがはじまる前に帰ることが多かった。

 あれは小学三年生の夏のこと。
 その日はおかしな天気で、太陽は出ているのに雨雲が空を覆っていた。
 町の際に夕焼けが広がるころ、雨が降り出した。

 『もう帰ろうか』と言う私に、大雅は駅前を指さした。
 そして宝物を見つけたように目をキラキラ輝かせたと思ったら、ダッシュで走り出してしまった。

 必死で追いかけ、私たちは駅前の交差点に――。


「大丈夫?」

 茉莉に声をかけられ、ハッと我に返った。
 まるで白昼夢を見たみたい。
 ぼんやりする視界に焦点を合わせると、雨の町にカサが咲きはじめている。アスファルトには模様のように雨のシミが生まれていた。

「昔の記憶がどんどんよみがえってるみたい。私、大雅を追ってここまで来たんだよ」

 あのころはこんなに広い歩道もなく、交差点だって古ぼけていた。
 けれど、あの日私たちはたしかにここに来た。

「大雅がね、私をふり返ってうれしそうに言ったの。『ほら、これが雨星だよ』って。でも、私にはなんのことかわからなかった。ただ、雨が降っているようにしか思えなくて、でもうなずいた。だってあんまりにもうれしそうだったから」

 伸佳が横断歩道の前でふり向くのを見て、大きく胸が跳ねた。
 同時に頭痛が激しくなっている。
 思い出そうとする自分を必死で食い止めているみたい。

 でも、それでも……私は思い出したい。
 このまま大雅がいなくなるなら、せめて彼との思い出を取り戻したい!
 ぎゅっと目をつむると、ふいに周りの空気が変わった気がした。
 頬にあたる雨が、さっきより冷たく感じられる。

 そっと目を開けると、今よりも古ぼけた街角に立っていた。
 信号機も町も、雨で色を流されたようにグレーに沈んでいる。

 目の前に――あの日の大雅が立っていた。

「ほら、これが雨星だよ」

 無邪気な笑顔で空を指さすと、ランドセルも一緒に揺れている。
 これはさっき見た幻想の続きなの?
 でも、降る雨粒も吹きつける風も、まるで現実のようにリアルだ。

「大雅……」
「見えない? これだよ、これ! 奇跡が起きるかな。僕、会いたい人がいるんだ」

 そうだった。彼には会いたい人がいるんだった。
 大雅が指す空には夕焼けがあって、向こう側には雨雲がまだある。

「会いたい人って誰のこと?」

 あの日と同じことを尋ねる私の声もまた幼かった。

 大雅は「もう」と唇を尖らせた。

「お父さんだよ。あの本に書いてあった奇跡って、きっとお父さんに会えることなんだ」

 空から雨が降ってくる。私には雨星の意味がわからない。
 そんな私にしびれを切らしたのか、大雅はなにかを探すようにあたりを見渡している。
 やがて、彼は交差点の向こうに目をやった。

「お父さん?」

 そうつぶやく口元。
 向こう側の歩道にカサをさしたサラリーマンが歩いている。

「違うよ」
「ううん、お父さんだよ」

 けれど、大雅はその人が本当のお父さんだと信じて疑わない。

「お父さん!」

 叫んで駆け出す大雅がスローモーションになる。
 足元で雨がゆっくり跳ねている。
 横断歩道がくすんだ赤色の光を放っている。

「危ない!」

 横断歩道に足を踏み入れた大雅の手を必死で引っ張る。

 ブブブブブ!

 すごい音にふり返ると、大きな車が私たちを襲おうとしていた。
 とっさに大雅を突き飛ばすと同時に、腰のあたりにひどい痛みが生まれた。

 私の体はあっけなく転がりアスファルトにたたきつけられる。
 歩道でしりもちをついた大雅が大きく目を見開いていた。

 ……よかった。大雅が無事でよかった。

 目を閉じれば、痛みはすっと遠ざかり、抗えない眠気が私を襲った。